街でゴブリンを殺害したローグハンターは、翌日の朝一番に再び礼拝堂を訪れていた。
女魔術師はまだ睡眠中であり、彼女には銀髪武闘家がついてくれている。
太陽を模したと思われる祭壇を前にして、彼はただ何かをすることなく、立っているだけだ。
剣の乙女は礼拝堂に入ると、僅かに驚いた表情を浮かべ、すぐに笑みを浮かべた。
「━━あら、随分お早いのですね」
「ああ、仕事の話だ」
彼はそう切り出し、単刀直入に問いかけた。
「……どこまで知っていた」
「どこまで、とは?」
彼はその鷹を思わせる鋭い視線を剣の乙女に向け、僅かな怒りを滲ませる。
ゴブリンに捕まった女性がどうなるか、頻繁に巣に飛び込む彼は知っている。
下手をすれば━━するつもりはなかったが━━大切な仲間である女魔術師がそうなっていたのだ。怒りを滲ませるのも、当然だろう。
「最初の待祭の殺害は、まず間違いなく邪教徒辺りの仕業だ。倒された魔神王の腹心か、または狂信者か……」
彼はそう推理し、それでもって断言する。
「だが、その後に続いた犯罪、その大半はゴブリンの仕業だ。改めて訊く、どこまで知っていた」
「………」
彼女は答えない。答えられないのか、答えたくないのか。
彼は大きくため息を吐き、そして彼女に問いかけた。
「━━依頼を確認するぞ。俺たちは街の殺人犯を見つけ、捕縛または殺害すれば良いんだな」
「……ええ、そうですわ」
「ならば、依頼は続行するぞ」
彼がそう断言すると、剣の乙女は「え?」と僅かに声を漏らした。
その反応に小さく首を傾げ、彼は言う。
「居場所のわからない邪教徒のほうはともかく、ゴブリンにはすぐにでも対処できる。この街は遺跡の上に建てられているのだろう?」
「はい……」
「ならば、準備が整い次第、そこに潜る」
「あの、よろしいでしょうか」
一人で話を進め、今後の行程を勝手に決めていく彼に、剣の乙女は待ったをかけた。
彼は一度口を閉じ、彼女の言葉を待つ。
「相手はゴブリンです。あなた方に出した依頼はあくまで━━」
「『街で殺人をした者の捜索、殺害』だ。わかっている」
「でしたら」
「だから、その犯人であるゴブリンを殺す」
何故か止めようとする剣の乙女の言葉を二度に渡って遮り、そして告げた。
「━━相手が
彼の鷹の眼光が彼女の瞳を射抜く。
心の奥底まで見通すようなその蒼い瞳を、彼女ははっきりと、その見えざる瞳で見たのだ。
僅かに強張る彼女を他所に、ローグハンターはこう言った。
「闇に生きる者は殺す。それだけだ」
彼はそう告げ、彼女の脇を通りすぎて礼拝堂の外を目指す。
そして、ふと立ち止まり、背中越しに彼女に告げた。
「手が足りないだろうから、友人に助力を頼む手紙を出してくる。ついでにギルドで地図も拝借するさ」
「……かしこまりました。ですが、出発する前に、わたくしに声をかけてください」
「わかった。あと、ゴブリン狩りが終わったら全てを話せ」
「……はい」
彼はその返事を聞いて小さく頷くと、一度も振り向くことなく礼拝堂を後にする。
彼の背中に向けて伸ばされた、か弱き乙女の腕にも気づかずに━━━。
水の街の冒険者ギルド。
彼は一人でそこに赴き、辺境の街に向かう冒険者に手紙を託す━━こうしたお使いのような依頼もあるのだ━━と、そのままの流れで
だが、彼の探していたその依頼がない。
地下に大規模な遺跡が残されてきるというのに、そこに巣食っているであろう
彼は顎に手をやり、認識票を見やすいように位置を調整し、人混みを掻き分けて受付に向かった。
いつもと違う受付嬢が、
「ようこそ、冒険者ギルドへ」
「少しいいか」
「はい、何でしょうか」
受付嬢は彼の下げる銀色の認識票に気づくと、その表情を僅かに強張らせた。
彼女からすれば、見たこともない銀等級冒険者に声をかけられたのだ。多少身構えるのは仕方がないだろう。
そんな事お構い無しに、ローグハンターは彼女に訊いた。
「これから地下の遺跡に潜るんだが、地図はあるか」
「?いいえ、ありません」
「……誰かが持ち出したのか?」
「いいえ、無いんです」
『何言ってんだこいつ』という視線が、目の前の受付嬢だけでなく、ギルド中から突き刺さる。
遺跡があるのに地図がない。これは、一体どういう事なのか。
『━━出発する前に、わたくしに声をかけてください』
ふと、剣の乙女に言われた事が脳裏によぎった。
ギルドに地図がないことは、彼女は知っている筈だ。
━━まさか、地図は彼女が持っているのか……?
彼はそこまで思慮して、そして受付嬢に礼を言うとギルドを後にした。
彼の事を「田舎者」と揶揄する声がギルドで囁かれ始めたのは、それからしばらく経ってからだ。
再び法の神殿の礼拝堂。
ローグハンター一行と剣の乙女は向かい合う形で腰をおろし、地下遺跡の地図を睨んでいた。
その地図を確認し、ローグハンターは小さく舌打ちをすると、剣の乙女に確認を取る。
「まさしく迷路だな。この地図は正確なのか」
「随分と古い地図ですので、場所によっては通路が塞がっている可能性もあります」
「……一度
彼の呟きに、女魔術師が手を挙げた。
「それは私がやります。得意ですから」
「頼む。問題は、ゴブリンがどこを巣にしているかだ」
「遺跡全体に散らばっているとして、問題はその中心だよね~。群れの頭目が何かも気になるし」
銀髪武闘家がそう呟き、頭を捻った。
ここまで大規模なら、
ローグハンターは頷き、その地図を指で撫でた。
「あいつに手紙を出したから、五日もすれば来る筈だ。それまでに、出来る限り正確な地図を描くぞ」
「当面の目的はそれだね。彼が来て『何もしてないよ』何て言ったら、流石に怒るだろうし」
「そうね。紙とインクが足りるといいんだけど……」
「補充でしたら、こちらで用意しますわ」
彼らが話し合いを進める中、剣の乙女がそう言った。
彼はその言葉に頷き、その古びた地図を指で撫でる。
「それじゃあ、潜るとするか。無理はしないで行くぞ」
「了解っと」
「わかりました」
二人の返事を聞くと、ローグハンターは剣の乙女に訊いた。
「━━それで、どこから潜ればいいんだ」
「神殿の裏庭の井戸から降りるのがよろしいかと思いますわ」
剣の乙女は地図をなぞりながら答え、三人はその場所を確認する。
「ですので、しばらくはこの神殿を宿としてお使いください」
ローグハンターは頷くと地図を丁寧に折り畳み、女魔術師に手渡す。
それを受け取った彼女はカバンに隙間を作ると、そこに地図を押し込んだ。
それを確認したローグハンターが最初に立ち上がり、二人もその後に続いて立ち上がる。
しばらく座っていたため強張った体をほぐすと、三人は礼拝堂を出ようと歩き出す。
「あの……」
「む」
不意に剣の乙女に呼び止められ、彼らは振り返った。
僅かに不安を帯びた表情。こちらを心配しているのか、それとも別のことを心配しているのか。
「まだ何かあるのか?」
彼が確認すると剣の乙女は僅かに俯き、顔をあげるとそっと呟く。
「どうか、ご武運を……」
彼女の言葉にローグハンターは苦笑すると、いつものそれを口にした。
「━━運は自分で掴むものだ、大司教」
彼はただそう言い残し、一党の二人を連れて礼拝堂を後にする。
剣の乙女は彼の言葉に僅かに驚き、そして小さく笑う。
神々に祈りを捧げる場所で、そこまで豪気なことを言える人物は、そう多くはいないだろう。
「GOB!?」
「……五つ。そっちは」
「ヤッ!」
「GO━━!?」
「問題ありません」
地下遺跡という名の下水道に潜った三人は、本日何度目かの戦闘を無事に終了させていた。
ゴブリンたちの装備は割りと整っており、どの個体も、簡単なものではあるが鎧を身に纏っている。
彼ら三人が探索を始めて三日ほど、少しずつ調査を進める中で、地図もだいぶ形になり始めていた。
それも街の地下という範囲での話。それより外に伸びる迷宮に挑むのは、勇敢ではなく無謀だ。
そこをしっかりとわかっている三人は、確実に一歩ずつ歩を進めていく。
女魔術師が持つ松明と、前衛二人が腰に下げるランタンだけが、彼らにとっての光源だ。
銀髪武闘家はホッと息を吐き、不機嫌そうにしながらランタンに目を向けた。
「邪魔……」
ぼそりと呟き、位置を調整。何度か蹴りを素振りして、また調整と繰り返す。
ローグハンターはゴブリンたちの武器を改め、まだ使えそうな剣を拝借した。
バスタードソードは、もう肉が斬れぬほどに血脂でべっとりだ。代わりを見つけなければ、最悪死ぬ。
彼はため息を吐き、バスタードソードを近くの水路の中に投げ込む。
ゴブリンの死体が沈んでいるのだ、剣の一本や二本増えたところで、問題はないだろう。
その剣を打った工房長がこのことを知ってどう思うかは、彼には預かり知らぬことだ。
ちょうど水路を見ていたためか、ローグハンターが真っ先に異変に気づいた。
タカの目を発動し、じっと水路の上流を睨む。
警戒する頭目にならって二人も周囲を警戒すると、彼らの耳に水が弾ける音が届いた。
波ではない。下水の流れに乗り、何かが音を立てながら近づいて来ているのだ。
その時、彼の視界に複数の赤い影が映った。
タカの目を解除し、その方向にランタンを向けてみれば、そこにあったのは廃材を組み合わせただけの粗末な筏だった。
隣の銀髪武闘家もそれに気づき、思わず声を間の抜けた声を出す。
「ゴブリンの船!?」
「そのようだな、隠れろ!」
ローグハンターの号令と共に、近くの脇道に飛び込んで身を潜める。
その瞬間、彼らのいた場所に大量の矢が降り注ぎ、下卑た笑い声が下水道にこだました。
隠れたはいいが、見つかるのも時間の問題。見逃して撤退という手もあるが、彼らは一つの失敗をしていた。
「……隠れる場所、間違えたね」
「ああ……」
「せ、狭い……」
三人が隠れた脇道はその先が潰れており、進むことが出来ない。三人がギリギリ押し込めるスペースしかなかったのだ。
だが下手に飛び出せば、間違いなく矢の雨にさらされる。
さて、どうするかと僅かに思慮し、ローグハンターは女魔術師に言った。
「『
「わかりました。ですが、ゴブリンたちが通路に跳び移って来たら━━」
━━どうするんですか?
彼女がそういう前に、彼は口元を布で覆いながらエアライフルを構え、グレネードランチャーに手を添えた。
「マスクを。ゴブリンを眠らせる」
彼の指示に二人はマスクをつけ、魔術師は杖を構える。
「大丈夫なの?上、街だよ?」
「問題ない。大気中に散れば、すぐに有害では無くなる」
グレネードランチャーとは便利なもので、範囲外には一切効果を示さない。
ガスグレネードなぞ、それが顕著だ。小さなグレネードに詰め込まれた微量のガスは、破裂と同時にすぐに空気中に散り、無害な濃度となる。
「行くぞ」
「はい!《
杖に填められた
その輝きでゴブリンたちは冒険者たちがどこに隠れたかに気づき、そして嘲笑った。
どこを狙っているのだ。あれでは、自分たちの矢の方がしっかりと━━━。
「GOB……?」
そこまで思った瞬間、何かが彼らの頭を飛び越えて船上に落下、弾けると共にガスをばらまき始めた。
同時に『
ゴブリンたちは慌てて逃げようとするが、次々とガスを生み出す何かが降り注ぎ、ガスに包まれた彼らは眠っていく。
深い眠りに陥った彼らは、音もなく沈む船と共に、下水の中に沈んでいき、浮き上がってくることはなかった。
三人はホッと息を吐き、ローグハンターは顎に手をやった。
「……思いの外、群れは大規模だな。地図もだいぶ出来上がってきたから、後はゴブリンスレイヤーを待った方が得策か」
「そうだね。これ以上の無理は禁物かな……」
「毎回これでは、いずれ押し切られますね」
そう話し合いながら彼らはその隙間から脱出し、銀髪武闘家が下水を見下ろした。
ゴブリンたちが浮き上がってくる気配はない。
だが、ごぽごぽと気泡が水中から上り、水面で弾けた。
彼女が首を傾げた瞬間、それが飛び出してきた。
思わず声を尻餅をついた彼女の視界に、白い鱗に包まれた巨体、その身に相応しいほど逞しい顎、どっしりとした四本の足を持った怪物が映った。
ローグハンターは彼女を抱え起こし、そしてその怪物の登場に目を見張る。
「……
「ど、どうしてこんなところに!」
驚いているのは女魔術師も同じ事。
その沼竜は水中から打ち上げたゴブリンを空中で噛み砕き、ギョロリと動くその目でローグハンターたちを睨み付けた。
「「「………」」」
「………」
三人と一体がばっちりと目が合わせると、僅かな沈黙が彼らの間に流れた。
そして三人が目を合わせて頷きあったことを合図に、沼竜はその顎を大きく開く。
「AAAAARRRRIIIGGGGGG!!!!」
「逃げるぞ!」
「異議なし!」
「言われなくても逃げますよ!」
三人は駆け出し、沼竜を振り切ろうと必死に足を動かしていくが、
「いや~、しつこい!すんごい追いかけて来てるんだけど!?」
「縄張りに船とゴブリンを沈めたから、怒ってんだろ!謝ったところで聞いてはくれないだろうがな!」
彼らを追いかけて、沼竜は水路を突き進む。
銀等級二人には話す余裕がある。だが、女魔術師にその余裕は無かった。
息を切らし、痛む脇腹を押さえ、必死に足を動かしていく。
彼女とて、この程度で疲れるほど柔ではない。
だが、魔術を使った後という、最も消耗している時に走るのは、彼女にとってこれ以上ない苦痛だった。
その事に気づいたローグハンターは僅かに減速し、女魔術師と並走すると、何の躊躇いもなく彼女の体を抱き上げた。
「ひゃ!?」
「我慢してくれ、撒けたら降ろす!」
ローグハンターにいわゆる『お姫様抱っこ』された女魔術師は、その顔を耳まで赤くする。
前を走る銀髪武闘家がそれに気づき、「いいなぁ!私も担がれたいな!」と叫ぶが、今はそれどころではない。
結局彼らは沼竜に追いかけ回され、その日の調査はそれまでとなった。
「「あぁ~」」
街に上がってきた二人は、神殿に備え付けられた大浴場━━と言っても蒸し風呂だが━━に訪れていた。
二人で間の抜けた声を漏らし、浴場を包む暖かな湯気が、溜まった疲れを癒してくれる。
女二人だからとタオルでその体を隠すことはなく、それは敷き布団代わりに尻の下に敷かれていた。
夜遅くということもあってか、二人以外に利用者はいない。
女魔術師は隣の銀髪武闘家に目を向け、小さくため息を吐いた。
僅かに残された傷痕が時折見られるが、その肉体はある意味完成している。
彼女も自分の肉体に不満があるわけではないのだが、横に更に上がいられると、流石に不安になるのだろう。
銀髪武闘家はその体を伸ばし、隣に腰かけ、じろじろと見てくる女魔術師に声をかけた。
「……ちょっと良い?」
「何か?……っ!?」
気だるそうに反応した女魔術師は、その目を僅かに見開いた。
立ち上がっていた銀髪武闘家の手には、いつの間にか白樺の枝が握られているのだ。
それで体を叩き、疲労で凝り固まった筋肉を解すためのものだ。だが、彼女はそれを鞭のように使って素振りをしている。
彼女の動きに合わせて彼女の豊満な胸が揺れ、垂れていた水滴が弾ける。
そして、彼女は清々しいほどの笑みを浮かべ、女魔術師に問いかけた。
「叩いてあげよっか?」
「いえ、結構です……」
「叩こうか?」
「結構です……」
「叩くね?」
「駄目です!な、何を言い出すんですか!?」
彼女は思わず自分の体を抱きしめて身を守るが、銀髪武闘家はスイッチを入れ、若干の負のオーラを滲ませながら言う。
「彼にお姫様抱っこされて、無駄に疲れさせたんだから、お仕置きしないとさ……」
「うっ。そ、それは……」
思わず納得しかけた女魔術師だが、すぐに反論する。
「けど、彼が勝手にやったことです。私だって驚いたんですよ!」
思わず敬語になってしまっているのは、目の前の彼女がスイッチを入れたことに気づいてだろう。
その彼女は、ただ冷静に告げた。
「でも、嬉しそうだったよね?顔真っ赤にしてさ」
「それは━━」
━━そうですけど……。
その言葉をどうにか飲み込み、彼女はそっぽを向いた。
銀髪武闘家は不敵に笑み、白樺の枝を振り上げようとして━━、
「あら、お二人とも、元気そうでなによりですわ」
「ッ!?」
誰かに話しかけられ、咄嗟に白樺の枝を背中に隠す。
女魔術師はホッと安堵の息を吐き、その誰かに目を向けると、再びその目を見開いた。
女であろうと見惚れてしまう、熟れた果実のように豊満な、美しい肉体。
そんな肉体の持ち主など、二人もいないだろう。
「だ、大司教、様……?」
「はい。勤めで遅くなってしまって……お隣、いいですか?」
「は、はい!どうぞ……」
女魔術師は上擦った声で返事を返し、僅かに体をずらして場所を開けた。
銀髪武闘家は、背中に隠した白樺の枝をどうしようか考えている。
女であろうと見惚れるその肉体に、女魔術師は横目でチラチラと見てしまうことを自覚しながらも、それを止めることが出来ない。
そして、何度か見ることでそれに気づいた。
大司教━━剣の乙女の肉体にうっすらと走る、白い筋。
それが幾重にも重なり、細いものから太いもの、短いものから長いものまで、様々だ。
一度気づいてしまうと、気になって仕方がなくなる。
女魔術師はさらに注視し、その白い筋━━傷痕がないところを探すが、見つからない。
蒸し風呂の熱で肌がうっすらと桃色に染まったからこそ、見ることが出来るものだ。
「……気になりますか?」
「え、ああ、その……」
思わず言い淀んだ女魔術師に、剣の乙女はその傷痕を撫でてぼそりと呟く。
「すこし、失敗してしまったのね」
全身の傷が何でもないかのように、彼女は微笑む。
「うしろから、頭をがつん、って。……十年以上、前のことだけれど」
十年以上前の失敗。つまり、彼女が駆け出し時代に失敗したのだろう。
駆け出し時代に失敗し、こんな傷が残る仕事は、そこまで多くはないだろう。
つまり、彼女は━━。
「それで、今は大丈夫なんですか?」
銀髪武闘家が自分の傷痕を撫でながらそう言うと、剣の乙女は一瞬その仕草を止め、彼女に目を向けたると微笑した。
「ふふ、あなたは優しい人なのですね……」
彼女はそう呟き、白樺の枝がある場所に手を伸ばすが、それは銀髪武闘家の背中だ。
その彼女は僅かに考え、そして天井を仰いだ。
「あ~、彼の影響ですよ」
その彼は、現在部屋で寝ている。女性とはいえ、人一人を抱えての全力疾走は堪えたのだろう。
銀髪武闘家は苦笑して、そして言った。
「自分が誰かの失敗で死にかけても、それを巻き起こした張本人を前にして笑うぐらいですから」
女魔術師には、それが彼らの出会いとなった依頼であることを、ローグハンターがそう呼ばれるようになった原因の一つであることを知っている。
剣の乙女は「そうですか……」と呟くと、彼女に目を向けて淡々と続けた。
「それでもいつか、消えてしまうのでしょうね、彼も」
眼帯の奥に隠された瞳が銀髪武闘家を射抜いたが、それでも彼女は笑ってみせた。
「当たり前ですよ。生きていれば、いつか必ず死ぬんですから」
彼女は何てことのないように言い、そして続けた。
「『俺や村の人たちは、この世界に生きる命の一つというだけだ。死んだところで、何事もなく世界は回る』。彼はそう言いながら、死ぬ気で助けて、いつか本当に死ぬんです」
僅かに憂いの色がこもった瞳。言葉の重さは、彼女が一番わかっているのだろう。
彼女は大きく深呼吸をすると、再び笑って隠していた白樺の枝を差し出した。
「それでは、お先に失礼します。魔術師ちゃん、たぶん、明日いっぱいは休みになると思うから、しっかり休んでおいてね」
彼女はそう告げると、滑らないように気を付けながら大浴場を後にした。
女魔術師と剣の乙女はその背中を見送ると、その後数分に渡り、二人で気まずい沈黙を享受することとなった。
ローグハンターが使用している部屋の前、髪も乾かぬうちに、銀髪武闘家はそこにいた。
本来なら、女魔術師と相部屋だ。だが、やはり、彼と一緒の部屋で寝ないと落ち着かない。落ち着けない。
彼女は扉をノックしようとして、躊躇い、またノックしようとして、また躊躇った。
そんな事を何度か繰り返し、そこを後にしようとした時、不意に扉が開いた。
開いたのはもちろん中にいたローグハンターであり、彼はいつもの衣装ではなく、寝間着姿だった。
「……どうかしたのか」
相変わらずの声だが流石に眠いのか、その目は細められている。
彼が小さく首を傾げる中で、彼女は彼に勢いよく抱きついた。
彼は流石に面食らい、踏ん張る事も出来ずに部屋の床に倒れこむ。
そして、何かを言う前にその唇を塞がれた。
無抵抗の彼は一方的に舌を絡められ、二人の呼吸が混ざって消える。
そして、銀色の糸を残しながら顔を離したところで、彼は小声で訊いた。
「……何かあったか」
だが、彼女は答えない。
そんな時、彼がやることは決まっている。
「……運ぶぞ」
「……うん」
彼は静かに確認し、了承を得たところで彼女を抱き上げ、そっと部屋のベッドに寝かせた。
そして一旦離れ、部屋の鍵を締める。
彼女の隣に横向きで寝転び、優しく彼女の頬を撫でた。
そんな彼の手に自分の手を重ね、彼女が口を開く。
「キミはさ。死なないよね……?」
その問いかけに、ローグハンターは真面目な顔で言う。
「死ぬまで死ぬつもりはない」
矛盾を孕んだ言葉だが、その言葉こそ真実だ。
駆け出し時代から変わらないその言葉に、彼女は苦笑して、そっと彼の肩を押した。
横向きに寝転んでいた彼はあっさりと仰向けに倒れ、その上に彼女は馬乗りになり、自分の服に手をかけた。
彼は目を細め、僅かに批判的な目を向ける。
「ここがどこだか、わかっているか?」
「……うん。でも、『愛し合っている者同士』を止める法律はないでしょ?それに、ここは一応だけど宿だし」
確かに、愛する者同士を抑圧する法律はない。
確かに、この部屋は神殿への来客に宿として解放されている場所だ。
「まあ、確かに、その通りかもな……」
俺も随分と甘くなったものだ……。
彼は自分の変化に苦笑し、もはや彼女を止めるのを諦め、逆に自分の服に手をかけ始めた。
駆け出しの頃、彼はどうにか元の世界に戻ろうと考えていた。
だが、今は違う。
確かに自分には『帰らなければならない理由』もある。
前の世界では、組織の一員として、己を殺してでも組織を生そうと考えていた。
━━だが今はどうだ。
今の自分は、目の前の彼女と共に生きようと、何が何でも一党の仲間たちと共に生き残ろうと考えるようになっていた。
もちろん、テンプル騎士団の誓いを破るつもりはない。
それに関しては、自分が口を開かなければいいだけだ。
そう思えるほど、彼にとっては大きすぎるほどの『残らなければならない理由』が、いくつも出来てしまったのだ。
誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。
期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー
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見たい!
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別にいいです……。