神なる獣、
年長の森人たちが集い、里の行く末、とるべき行動を議論する。
白熱する会議場を他所に、月下のバルコニーは何とも静かなものだった。
「……で、これはどういう趣向だ」
不機嫌そのものといった様子の輝ける兜の森人が、優雅でありながらその鬱陶しそうにそう漏らした。
彼の視線が向けられているのは、車座になった男性冒険者一同と、その中央に置かれた酒瓶と揚げた芋が盛られた皿だ。
鉱人道士が髭をしごきながら当然のように言う。
「独身最後の夜は男衆集まって酒盛りっつーのが定番じゃろうが」
「婚礼の儀式は幾日も先だし、会議の最中なのだがな」
口外に一刻も早く立ち去りたいと告げる彼に、服と体の汚れを落としたローグハンターは告げる。
「あの様子だと、会議は相当長引くだろう。それに、おまえが居なくとも問題ないだろう」
「只人にあの会議の重要さはわからんだろう?」
「長々と会議をして動かないほうが問題だろうに」
鋭く放たれた言葉に輝ける兜の森人は答えず、ローグハンターはフッと笑って既に空になった杯を弄ぶ。
その頬が僅かに赤らんでいることを横目で確認し、「こりゃ酔っとるの」と鉱人道士が漏らし、蜥蜴僧侶は「愉快愉快」と目玉をぎょろりと回すと、杯片手に不機嫌そうな輝ける兜の森人に言う。
「我らの壮行会と思うてくだされ。森人にもそのような風習はなかろうか」
「ある。が、行くつもりなのか?」
「無論だ」
輝ける兜の森人の確認に、ゴブリンスレイヤーは迷いなく答えた。
どこであろうと脱ぐことのない兜が縦に揺れ、更に言葉を続ける。
「ゴブリンは皆殺しだ。問題は奴らの巣を陸路で目指すか、水路で目指すかだが……」
ちらりと赤ら顔のローグハンターに目を向け、「駄目だな」と漏らす。
だがそれが肝心の本人には届いていたようで、ローグハンターは不機嫌そうに眉を寄せながら言う。
「何が『駄目だな』だ。俺だけで目指すなら、森を突っ切るぞ」
「おまえだけならそれで良いだろう。だが……」
僅かに気の抜けたローグハンターの言葉にゴブリンスレイヤーはそう返し、早めに休むように告げた女性陣のいる洞に目を向けた。
ローグハンターの一党ならどうにかなるだろうが、女神官にゴブリンが待ち伏せているだろう森の中を進ませられるかと問われると、答えは否だ。
蜥蜴僧侶は頷き、ローグハンターにも━━理解出来るかは別として━━聞こえるように言う。
「地の利は敵にある。下手に密林を踏破よりは、川を行く方が目もありましょうや」
「問題は筏だな」
「矢盾もなく、加工する時間もありませぬか」
「ああ。こちらの存在は向こうにも知られている。策を練られれば面倒だ」
「然り、然り」
酒を他所に手早く策を纏め始める二人にため息を漏らす鉱人道士は、目の据わったローグハンターに目を向けた。
「頭巾の。あんまり呑み過ぎんなや」
「もーんだい、ないっ!」
「駄目じゃこりゃ」
上機嫌そうにへらへらと笑うローグハンターの姿に困り顔で髭をしごき、ある程度話が纏まった頃を見計らってゴブリンスレイヤーに杯を差し出す。
「にしても、小鬼どもが森人の里を襲うかんの?」
「ゴブリンは愚かだが、間抜けではない。だが……」
差し出された杯を受け取り、がぶりとあおる。
「ゴブリンが森人を脅威と判断できるのか?」
彼の尤もな意見に、ローグハンターを除いた三人は小さく唸る。
ゴブリンらにとってすれば、目の前にあるものは全て略奪の対象だ。相手との戦力差など、たいして考えもしないだろう。
ローグハンターは後ろに倒れかけた体を腹筋と背筋でもって支え、据わった目で話し込む四人に視線を向ける。
「……とにかく、あのローブ野郎は俺が殺す」
「斥候殿は、あの異様な小鬼を随分と敵視しておるようですな」
蜥蜴僧侶が顎に手をやりながら言うと、ローグハンターは胸を張って不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「父と似た格好でな。侮辱されたように思えてならないんだよ」
「頭巾のの故郷からの流れ者が、ゴブリンに殺られたってことかの?」
「知るか……!」
吐き捨てるように返し、酒をあおる。
ゴブリンスレイヤーはその様子に小さく息を吐き、最悪
蜥蜴僧侶は目玉をぐるりと回し、持ち込んできたチーズを一かじり。
味わうように何度も咀嚼し、喉を鳴らして飲み込んだ。
「……彼奴らの欲望は、底無しですな」
「欲が強いという意味なら、
ローグハンターが口を挟むと、蜥蜴僧侶は「然り」と腕を組んで頷いた。
「生きるとは即ち欲し望むことなればこそ、生命は草葉に虫とても猛々しく生きねばな」
「……だが、際限のない欲望は他人を不幸にする」
いつの間にか酔いが覚めたのか、ローグハンターは重々しく息を吐いて頭に手をやった。
彼は目を細めていつも通りの眼光を瞳に宿し、ふと夜空を見上げる。
天に居座る二つの月は、昼間の太陽のように大地を照らしている。
「仕事をこなして雨風の凌げる家に住み、贅沢にならない程度に毎日食べ、家族や隣人、友人たちと言葉を交わす。それだけで満たされないのが難しいところだ」
「現に、おまえさんも銀髪のと毎日べたべたしてるかんの」
「その話は置いておいてくれ……」
鉱人道士がわざとらしく笑みながらの横槍に、ローグハンターは困り顔で目を逸らし、話題を戻すために咳払い。
「満たされない者は、他人から、自分よりも弱いものからあらゆる物を奪い、搾取する」
「ゴブリンのようにか」
「ああ。下手すればそれよりもたちが悪いかもしれん」
ゴブリンスレイヤーの問いかけに、ローグハンターは真剣な表情で返す。
そしてその表情のまま続ける。
「秩序や法があるのは、奪われるばかりの人々を守るためだ。無秩序が生むのは、誰かを妬み、奪い、奪われるを繰り返す混沌だけでしかない」
蜥蜴僧侶は彼の言葉を一言一句逃さずに聞くと、ローグハンターに問いかけた。
「その言葉は、父上からの受け売りですかな?」
「……いいや」
対するローグハンターは、とても懐かしむように、そして僅かに悲哀の色を籠った瞳で首を横に振った。
「とても世話になった恩人の教えだ。もう、二度と会えない場所にいる……」
悲哀の込められた瞳が向けられているのは、天上にいる神々だろう。
目があっているかはわからないが、そうだとしたら困っているに違いないと勝手に想像する。
「……あの人に、誇れる自分になれただろうか」
「なんじゃい、銀等級でも飽きたらないんかいな」
鉱人道士が髭をしごき、酒を一あおり。彼の言葉を聞いていた他の三人も黙り込んでいた。
銀髪武闘家がいればすぐにでも判別してくれるのだろうが、おそらく酔った彼は口が軽くなる。
ゴブリンスレイヤーはいつかに飲みに行った時の彼を思い出し、小さく唸って息を吐いた。
彼らを他所に、ローグハンターは自分の認識票を引っ張り出し、月明かりに晒す。
鋭い銀色の輝きは、彼の想い人の髪と瞳の色を思わせる。
彼はそれをじっと見つめ、重くため息を吐いた。
「今の俺は、目の前の人を助けるのに手一杯だ。先生のように世界を救うために戦うのは、そんな人たちを手伝うために戦うのは、無理だろう」
自身の半身たるアサシンブレードをそっと撫で、懐かしむように、噛み締めるようにぼそりと漏らす。
「自分はただの武器だと言い聞かせていた頃は、随分と楽だったが……」
彼はそう言うとタカの眼を発動し、部屋で寝ているであろう彼女に目を向けた。
壁を抜け、置物を越えた先にいる青い影は、規則正しい寝息を立てている。
安心したと安堵の息を吐き、黙って聞いてくれている友人たちに目を向けた。
「今の俺には、守りたい人がいる。あいつの為なら、相手が誰だろうと躊躇うつもりはない」
まっすぐ向けられた蒼い瞳に宿るのは刃の如き鋭さ。それだというのに、殺気や敵意はまったくと言っていいほど感じられない。
万が一にも彼女に手を出そうものなら、抵抗も弁明も、命乞いすらも許さずに相手を殺しきるだろう。
そう判断出来るほどに、酔っている筈のローグハンターの瞳には揺れがない。
だが、それも一瞬で失せて、覇気を失うと共にすぐに俯いて黙り込んでしまった。
いきなり酔い潰れたローグハンターの姿に三人は目を合わせると、やれやれと言うように肩を竦めた。
「言いたいだけ言って寝たのか、こいつは」
「最終的に
「しかし、武闘家殿が聞いていたら昏倒ものでしょうな」
輝ける兜の森人が苛立ちをぶつけるように酒をあおり、鉱人道士はやれやれと首を振り、蜥蜴僧侶は相変わらず愉快そうに笑う。
ゴブリンスレイヤーだけは、座ったまま眠る彼の姿を見つめ、居心地悪そうに視線を逸らした。
ゴブリンスレイヤーの内にある
ローグハンターの内にある
この六年で、ローグハンターは確実に変わっていった。
だが、自分はどうだ。六年で変われただろうか。
ゴブリンスレイヤーは兜の下で瞑目し、杯をあおる。
目を閉じたからか、喉を降りていく酒の熱をより強く感じる。
それが視界が潰れた分を他の感覚が補っているだけだとわかっていても、その事を反復して確認する。
それでも閉じられた瞼の裏に映るのは、果たして誰の姿だろうか━━━。
ゴブリンスレイヤーらが酒宴を開くバルコニーからは見えない位置に、その森人はいた。
森人が好む狩衣装の上からフード付きの外套を纏い、腰に下げているのは黒曜石の大刀。身の丈はありそうな大弓を背負っている。
フードに隠れて見えにくいが、普通の森人よりも長い耳は、彼が上の森人であるからだろう。
口元に蓄えられた髭は彼が上の森人でも年長の枠組にいることを周囲に知らしめ、フードに隠されたその表情を更に覆い隠していた。
老年の
背中の筒を支える帯にある赤い十字架は、友人から警告として告げられたものと一致する。
だが━━と、老年の上森人は顎に手をやって目を細める。
彼の言葉には裏がない。私利私欲のために誰かを利用し、蹴落とし、搾取するといった邪な感情を一切感じないのだ。
友人は相手が騎士なら、この世界のために討ってくれるかと頼まれたが……。
老年の上森人は困り顔でため息を吐き、思わず寄せてしまった眉間のシワを指で伸ばす。
「アルタイルよ。寄越すなら、もう少しわかりやすい者を寄越してはくれなかったのかの……」
遠い過去の友人に向けて不満げに愚痴り、フードの中で長耳を揺らす。
尤も、思慮深い彼はアルタイルがローグハンターを寄越した訳ではないことを知っている。
ローグハンターを寄越したのは、この世界の神々とはまた違う何者か。文字通り世界を作り上げた別次元の者だ。
アルタイルは『果実』をもってそれを知り、後に来る者たちのためにあるものを残していった。
それを託すか否かは、自分の一存に任された訳だが……。
老年の上森人はほとほと困り果てた様子で、遠くで語らう花冠の森姫と星風の娘の姉妹に目を向けた。
花冠の森姫の姿は、遠目からであれば母親の面影を残している。星風の娘のほうは、まあ語るまい。
気分転換を済ませた彼は、再び冒険者らに意識を向ける。
酒宴も終わった様子で、片付けの音や誰がローグハンターを運ぶかで話し込んでいるようだ。
老年の上森人は再びため息を漏らし、慣れた様子で木々の合間を飛び回り、自身の家である洞を目指す。
━━とにかく、彼と言葉を交わしてみなければわからんか。
彼が騎士だというのなら、討たねばならぬ。
彼がアサシンだというのなら、導かねばならぬ。
全ては友との約束を果たすため。タカの眼を持つ者たちを守るため。
「しかし、あの小鬼は何者……」
友と似た格好をした小鬼の姿が脳裏に過り、思わず足を止める。
もしかしたら、導くべき人物は既に死んでいるのかもしれないと想像し、その予想が外れているように願う。
如何せん、森人らしくもなく、アルタイルの件は自分一人に一任されている。
お陰様でこの数百年で一気に老け込んだ気がするが、気にはならない。
何よりも、小鬼に関してはあの冒険者たちがどうにかするだろう。
老年の上森人は『神々のサイコロの出目次第』というどこか適当な━━この世界とっては基本的な━━答えへと落とし込む。
彼が本当にアルタイルの残した物を託せる者ならば、この程度の試練、越えて貰わねば困る。
老年の上森人は再び眉のシワを伸ばすと、自宅を目指して再び進み始めた。
いつの間にか自分がいなくなり、余計に荒れた会議場の騒ぎ声を都合よく聞き流して━━━。
森のどこかにあるゴブリンたちの巣のとある場所。
「GRRBGOBRRRRGRB!!!!」
隻腕の
懐に入れていたお宝が禍々しいまでに輝き、熱を持っている。
『ローディング。ローディング。ローディング。ローディング』
「GOBRGOBR!!!」
謎の声と共に、何かの知識を無理やり頭に流し込まれる。
自分が自分でなくなる恐怖と、殻を破る快感に襲われ、小鬼暗殺者は唾を撒き散らしながら更に暴れまわる。
悶え苦しむ仲間という、ゴブリンなら爆笑必至の光景だが、それを見るゴブリンたちの表情にはそれがない。
彼を怒らせた場合にどうなるかは、片目を抉られた群れの頭目の姿を見れば、嫌でも理解出来る。
『
「GBR━━━」
謎の声と共に小鬼暗殺者が固まると、ぐったりと床に突っ伏した。
とあるゴブリンが仲間に押されるがまま声をかけた時だ。
「じゃ……ま………だっ!」
「B━━━!?」
小鬼暗殺者の口から
声をかけようとしたゴブリンは思わず驚き、慌てて後ろに下がる。
小鬼暗殺者は荒れた息を整えると、その場にいる
━━備えろ。
たった一言。ゴブリンたちには、それだけで十分だ。
誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。
期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー
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見たい!
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別にいいです……。