SLAYER'S CREED   作:EGO

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Memory06 物語(シナリオ)は壊される

 学院を後にした女魔術師らが次に訪れたのは、妖精弓手の要望通りの場所だった。

 開放感と清涼感を併せ持つ、高い天井と広々としたロビー。

 いつの間に陽が沈んだのか、天窓からは優しげな月明かりが入り込み、各所に置かれた蝋燭の炎がそれを後押しする。

 それらに照らされる人々はゆったりとした服装で廊下を行き交い、思い思いの過ごし方をしていた。

 

「す、すごいですねぇ……」

 

 酷く落ち着かない様子で周囲を見て回る女神官の姿に、見た目は落ち着いている妖精弓手が目を輝かせ、長耳を揺らしながらくすりと笑った。

 

「それにしても、都ってすごいわねぇ」

 

「あなたたち、さっきからそればっかりね」

 

 何度か来たことがあるのか、女魔術師は手慣れた様子だ。

 見れば、お客の中には学院の生徒と思われる少年少女らの姿もある、彼女もかつては常連だったのだろう。

 同じく都住まいでも、貴族であった令嬢剣士からすれば珍しいのか、真剣な眼差しで首を傾げている。

 

「何だか暖かいですわ。暖炉の類いは見当たりませんのに」

 

「壁の中に温かい空気を通しているんだったかしら。ここを建てた人は、面白い事を考えたものね」

 

 彼女の疑問に女魔術師が答えると、その流れのまま妖精弓手に問いかけた。

 

「それにしたって、森人が温泉に行きたいなんてね。前は火とか水の精がごちゃ混ぜになってるとか言っていなかったかしら?」

 

「えー、そんな事言ったかしら」

 

 何とも他人事のように呟き、「おっ?」と何かを見つけたのかそちらに駆けていった。

 一通り見終えたのか、女神官が「ごめんなさい」と言いながら戻ってくると、入れ違いで飛び出して行った妖精弓手の背中を見送った。

 

「止めなくて良いんでしょうか……」

 

「好きにさせればいいじゃない。初めてなら、だいたいあんな感じよ」

 

 何やら子供たちとはしゃいでいる様子。

 彼女らが囲んでいるのは、男女双面の浴槽神が水瓶を捧げ持つ像。

 子供が貨幣を像の前にある箱に入れると、水瓶から水が溢れ出る。

 妖精弓手が「すごい!」と歓声をあげ、子供にならうようにまた次、そのまた次と貨幣を入れていく。

 その度に水瓶から水が溢れ出るわけだが、妖精弓手は楽しそうに貨幣を投入していった。

 

「……募金にしたって、入れすぎではありません?」

 

「はぁ。止めてくるわね……」

 

 ため息混じりに女魔術師が駆け出し妖精弓手を捕まえるが、その彼女は「もう一回、もう一回だけ!」と手足を振り回して愚図っている。

 厳しい姉に捕まった妹のようだが、あれで一党最年長なのだから世の中わからないものである。

 女神官は困り顔で乾いた固い笑みを溢すと、ふと気がついて目を瞬かせた。

 誰と言うわけでもなく、何となく見られている気がするのだ。

 相手に隠す気はないのか、突き刺さるような視線が自分に向けられている。

 

「神官さん」

 

「は、はい!」

 

 思慮に耽っていた女神官の意識は、令嬢剣士の呼び掛けにより引き戻された。

 思わず声を跳ねさせて返事をしたが、令嬢剣士はそっと目だけを横に向けて何者かの様子を探っているように思える。

 冒険者歴で言えば女神官が上だが、対人の技量に関しては令嬢剣士に軍配が上がる。

 その彼女が、明らかに警戒しているのだ。

 女神官はいまだに粘る妖精弓手と、彼女と獲得する女魔術師に目を向け、そっと令嬢剣士の視線を追った。

 彼女らの視線の先にいたのは一人の兵士。薄汚れた格好からして、仕事終わりに風呂に入りに来たと察しがつく。

 その兵士が、じっと女神官を見ているのである。

 令嬢剣士は顔を寄せ、女神官に問う。

 

「あの、何かしましたの?」

 

「何もしてませんよ。皆さんと一緒に居ましたから」

 

「そうですわね。なら、なぜ……?」

 

 令嬢剣士がほんの僅かに首を傾げると、妖精弓手を引きずる形で女魔術師が戻ってくる。

 引きずられる妖精弓手は「離してよぉ!」と声をあげているが、それは無視している。

 肩で息をしている辺り、中々に苦戦したのだろう。

 

「は、早く入りましょう。時間がなくなるわ」

 

 女魔術師はそう言いながら妖精弓手を解放すると、彼女は不機嫌そうにむすっとしながら服についた汚れを払う。

 

「もう、もっと丁寧に運んでよね」

 

「運ばれる前提なのがムカつくわ」

 

 額に青筋を浮かべる女魔術師から逃げるように、妖精弓手は女神官の手を取ると駆け出した。

 

「さ、行きましょ。ゆっくりつかれなくなっちゃうわ!」

 

「わ、わかりました!わかりましたから、引っ張らないでください!」

 

 女神官の頼みを都合よく聞き流し、妖精弓手は廊下の奥へと消えていった。

 女魔術師は一つため息を吐くと彼女らの後を追いかけ、令嬢剣士もまた追いかけようとするが、

 

「……あら?」

 

 先ほどの兵士がいなくなっていることに気づいて急停止。

 施設内を見渡してみるが、どこかにいる様子もない。

 まあ、あの格好の兵士なら男だろう。なら、出会うこともない筈だ。

 

「何してるの、置いてくわよ」

 

「あ、すぐに参りますわ!」

 

 戻ってきた女魔術師に急かされ、令嬢剣士は小走りで駆け出す。

 その背中を物陰から見つめる兵士の姿にも気付かずに。

 

 

 

 

 

 女性更衣室に入り込んだ彼女らは、各々の荷物を籠に押し込むと、衣服を脱ぎにかかった。

 回りの女性客──種族は様々だ──にならうように服を畳み、籠に入れていく。

 妖精弓手、女神官、女魔術師はそこまで重装備でもないからすぐに終わるが、革鎧に始まり籠手や外套など、一番の重装備である令嬢剣士はやや苦戦している様子だ。

 

「よっこいしょっと……」

 

 ようやく鎧を脱ぎ終えたら次は衣服だ。

 尤も、こちらはすぐに終わる。手早く脱いで、手早く畳みだけだ。

 

「………」

 

 露になった女魔術師と令嬢剣士の双丘を見つめ、女神官は気付かれないように自分の手に胸を当てた。

 ほんの僅かな敗北感を感じながらも、まだまだこれからですと意気込む。

 彼女の視線に気づいてか、令嬢剣士が苦笑混じりに問いかける。

 

「そう言えば神官さん。香油はお持ちですか?」

 

「はい。その、前に教えてもらって、ちょっと高いのを……」

 

 何とも自信なさげに答えると、妖精弓手がくすりと笑う。

 

「良いの良いの。そのくらいなら、神様だって気にしないわよ」

 

「……あなたは気を付けないさい」

 

 年上ぶる妖精弓手の言葉に、女魔術師が横槍を入れる。

 

「うわ小言だ。この中で一番の年上は私なのよ?」

 

「なら、それ相応の態度を取って貰いたいわね」

 

 女魔術師はそう言うと「お先に」と告げて浴場へと行ってしまう。

「ちょっと待ちなさいよ。洗いっこしましょ」と妖精弓手がその背を追いかけ、取り残された令嬢剣士と女神官は目を合わせて苦笑を漏らした。

 喧嘩するほど何とやらと言うが、彼女らの場合はそうなのだろう。

 令嬢剣士はタオルを持つと、女神官に問いかけた、

 

「わたくしたちも洗いっこしませんか?」

 

「はい。折角ですし」

 

 

 

 

 

 そうして二人で喋りながら体を洗い、途中で妖精弓手と女魔術師も合流して結局四人でそれぞれの体を洗う。

 最後の締めに香油を塗って、ざっと流し、湯船へ。

 浴室も暖気によって暖かく、彼女らが浸かる大きな温浴槽の他、水風呂とその奥にはサウナが据え付けられている。

 それを見つけた妖精弓手が「私、行ってくる!」と駆けていき、「走るんじゃないわよ!」と女魔術師が世話を焼いてその後についていった。

 取り残された女神官と令嬢剣士は顔を見合わせて苦笑を漏らし、二人同時にホッと息を吐いた。

 二人の息が湯気に混ざってドーム状の天蓋へと昇っていく。

 ぽかぽかと全身が暖まると、自然と眠気に襲われる。

 女神官が重たそうに目を細めると、令嬢剣士が「大丈夫ですか?」と声をかける。

 その一言にハッとしながら、女神官は姿勢を正した。

 

「だ、大丈夫ですよ?」

 

「本当ですか~?」

 

「本当です!」

 

 悪戯っぽく言われた言葉に女神官は気丈に返す。

 わざとらしくふんと鼻を鳴らしたのは、強がりたい子供のそれだ。

 令嬢剣士は小さく肩を揺らして苦笑を漏らすと、そっと彼女の髪を撫でた。

 キラキラと光る金色の髪を、痛めないように優しく手で梳す。

 令嬢剣士の突然の行動に、女神官は首を傾げた。

 

「あ、あの……?」

 

「ふふ。わたくしに妹がいれば、こんな感じなのですかね?」

 

「い、妹……」

 

 何度も言うようだが、冒険者歴は女神官が上である。潜り抜けた場数も彼女の方が上だろう。

 だがしかし、彼女は小柄で、保護欲をくすぐる妹のように見えて仕方がない。

 女神官は複雑そうな面持ちで小さく唸ると、じっと令嬢剣士の肢体に目を向けた。

 白い肌よりも更に白い小さな傷痕が、僅かに散らばっているのが見える。

 自分とてそれは同じ事なのだが、自分はゴブリン、彼女は盗賊(ローグ)。危険度でいえばどちらが上か。

 

「……ねぇ」

 

「はい?」

 

 思慮していた女神官に、横合いから声をかけられた。

 令嬢剣士も揃って振り返ると、二人は目を見開いて驚愕を露にした。

 肩口で揃えた金髪に青い瞳。年頃は十五か、十六か。

 だが、令嬢剣士はそんな思考をする暇もなく、弾かれるように自分の隣にいる女神官に目を向けた。

 次いで声をかけてきた少女に目をやり、再び女神官へと目を向ける。

 それから数度同じ事を繰り返し、絞り出すように呟いた。

 

「──似てますわね」

 

 女神官に失礼ではあるが、少女の髪の方が艶があり、肌にも傷一つなく綺麗で、肉付きもしっかりしていて、背も高い。

 湯船に浸かっている都合上、少女から見下ろされているわけだが、令嬢剣士は気にした様子もなく問いかける。

 

「何かご用ですの?」

 

「ちょっと聞きたいんだけど、あなたたちって冒険者なの?」

 

「そうですけど……」

 

 女神官が僅かに警戒心を滲ませながら答えると、少女は「やっぱりね」と得意気に笑んだ。

 そして遠慮なしに彼女らの隣に腰掛け、少女の胸に押されたお湯が跳ねる。

 それを見た女神官は僅かに俯く。神は不公平だ。

 

「ねぇ、職業は?」

 

「わたくしは剣士。こちらは──」

 

聖職者(プリースト)です」

 

 令嬢剣士の言葉は無視しているのか、女神官の方に目を向けて「悪くないわね」と何やら呟いている。

 冒険者二人は顔を見合わせて首を傾げ、女神官が少女に言う。

 

「あの、私たちは一党を組んでおりますので、もし参加者を探しているのなら……」

 

「ああ、違うわ。そういうのじゃないから」

 

 少女が顔の前で手を振りながら言うと、令嬢剣士はほんの僅かに目を細めた。

 

 ──相手の意図もわからない時は、最悪の事態を想定する。

 

 いつかにローグハンターから習った事を意識しつつ、そっとサウナの方に目を向けた。

 女魔術師と妖精弓手が戻ってくる気配はない。女神官を戦力として数えないにしても、体術だけでどうにか出来るだろうか。

 女神官に向けてあれやこれやと質問する少女を監視しつつも、湯船から脱衣場までの距離を推し測る。

 少女が魔術師でもなければ、走れば武器は取りに行ける距離ではある。問題は、湿った石畳に足を取られないかだが……。

 

「参考になったわ、ありがとね」

 

 令嬢剣士の心配を他所に、何か掴んだのか、得意気に笑みを浮かべた少女は水を蹴るようにして湯船から飛び出していった。

 そのまま脱衣場に消えていき、その姿を見ることは出来なくなる。

 

 ──嵐のような人だった。

 

 女神官と令嬢剣士の胸中はその一言であり、二人して何だったのだろうかと瞬きを繰り返す。

 数分しても戻ってくる気配がないと、令嬢剣士は疲れを吐き出すようにため息を吐きながら口元まで湯に浸かった。

 疲れを取りに来た筈なのに、無駄に疲れたような気がしてならない。

 

「いやぁ、なんか逆上せちゃった。すごかったわねぇ」

 

「付き合わされるこっちの身にもなりなさいよ……」

 

 はたはたと真っ赤になった顔を手で仰ぎながら、妖精弓手が戻ってきた。

 その後ろに続く女魔術師は、何とも疲れたといった様子だ。律儀にも妖精弓手に付き合い、無理をしてサウナにこもっていたのだろう。

 妖精弓手はご機嫌そうに長耳を揺らしつつ、女神官と令嬢剣士に問いかけた。

 

「それで、二人も行ってみれば?私は水浴びに行くけど」

 

 彼女の問いかけに女神官は唇に指をあてて僅かに目を思慮すると、「いえ、上がりましょう」とだけ言った。

 令嬢剣士も「そうですわね」と頷くと、他の二人も揃ってあがるに予定を変更。

 ぺたぺたと音をたてながら脱衣場に戻り、各々の荷物がある場所に足を進めたのだが──―。

 

「……あ、あれ?」

 

 女神官のものだけがない。他の三人の物は動いていないのにも関わらず、彼女のものだけが見当たらないのだ。

 妖精弓手と女魔術師の荷物に挟まれる籠に置いたのだから、場所を間違える事も、間違われる事もない筈だ。

 だが、しかし、いくら探しても見つからない。

「あれ……あれっ?」と声は徐々に高くなり、目尻には涙が浮かぶ。

 女魔術師は目を細めると、白い装束の職員に問いかけた。

 

「あの、地母神の神官が出ていかなかったかしら」

 

「は、はい?」

 

 怪訝そうな表情で首を傾げた職員に苛立ちつつも、それを表には出さないように服を探し回る女神官を手で示す。

 

「連れの服が見当たらないの。確認してくれる?」

 

「少々お待ち下さい」

 

 素早く短くそう返すと、職員はさっとその場を去っていった。

 今にも泣き崩れそうな女神官を令嬢剣士が励まし、彼女を手伝って回りの客に聞き込みをしている。

 その姿を一瞥すると、職員が深刻な顔で戻ってくる。

 

「……先程、地母神の法衣を纏った方が出て行かれたそうです。もしかすると……」

 

「そう、なら──」

 

 女魔術師は静かに頷くと、強烈な怒気を孕んだ瞳でどこかにいる犯人を睨み付ける。

 

「──探すわよ、準備して!」

 

「わかっておりますとも!」

 

 撃てば響くような返事をしたのは令嬢剣士だ。

 彼女は女神官を妖精弓手に任せると、自身の装備を手早く着込んでいく。

 

「では、森人さん。神官さんの事、お願いしますわ!神殿で会いましょう!」

 

「え、ええ」

 

 急に生き生きとし始めた二人に困惑しつつ、妖精弓手は確かに頷いた。

 彼女の返事を聞き終えると、女魔術師と令嬢剣士は髪を乾かす間もなく飛び出していく。

 いまだに頭目には届かないにしても、二人はならず者殺し(ローグハンター)の一党を務めているのだ。

 大切な友人から物を盗んだ者を放っておくほど、甘くはない。

 休日気分から一転、狩人となった二人の冒険者は、喧騒の中へと消えていった──。

 

 

 

 

 

 いくつかある都の大通り。

 その一つ一つに名前が付けられ、それに合わせた看板が掲げられているのだが、その文字を読めるのは、通行人の中に果たして何人いるのだろうか。

 

「………」

 

 先ほど武具屋にて購入した投げナイフようのベルトを弄りながら、ローグハンターはちらりと後ろを見た。

 視線の先にいる銀髪武闘家は、今朝とは段違いにテンションが低く、僅かに俯いている。

 なぜかはわかるし、その原因が自分である事も間違いない。

 だが、どうすれば良いのかがわからない。

 自分が惚れているのは彼女であることは間違いない。しかし、剣の乙女には惚れられている。

 彼女の過去に何があったのかは察しがつくし、彼女のためにもその想いには応えてやりたい。だが──。

 先程からずっと同じ問答を繰り返し、ローグハンターは悩ましげに頭を掻いた。

 

 ──剣の乙女に応えた時に、銀髪武闘家はどう思うだろうか。

 

 ──剣の乙女と自分が二人でいる時に、銀髪武闘家はどう思うだろうか。

 

 それを考え、深々とため息を吐く。

 もしも、もしも、といくつも考え、考えた所でどうしようもないという結論に至る。

 誰かの期待に応えるのは良いことだ。良いことである筈だ。だが、それで自分の最愛の人が泣くとしたら……。

 重い足取りを進めつつ、必死に知恵を絞る。

 昼食時に、店主からは何と言われた。

 

『どっちもものにすれば良い!』

 

 その意見を取り入れるのが、言ってしまえば最も簡単なものだろう。

 二人のために生きて、二人と共に明日を見る。それもそれで、有りではあるだろう。

 だが、駄目だ。それで良いと思う度に、喉に小骨がつかえたかのような気持ち悪い錯覚を覚える。

 

 ──なら、どうすれば良い。

 

 真剣にそう思慮した時に、店主から言われたもう一つの助言が脳裏を過る。

 

『お前は真面目過ぎるんだよ。もう少し馬鹿になったらどうだ?』

 

 ──………。

 

 その言葉を思い出すと、ローグハンターは足を止めた。

 彼の後ろを歩いていた銀髪武闘家は俯いていた事もあってか、彼の停止に気付かずに彼の背へと額をぶつける。

 この世界に二つとない黒き真の銀(ミスリル)製の鎧にぶつかったためか、口から「あうぅ……」と間の抜けた声が漏れた。

 赤くなった額を押さえ、目尻に涙を浮かべつつ、顔をあげる。

 

「ご、ごめ──」

 

 謝る前に彼に手を取られ、そのまま裏路地の入り口に引きずり込まれる。

 その勢いのままに背中から壁に押し付けられ、顔の横にローグハンターの左手が付き出された。

 所謂『壁ドン』と呼ばれる体勢なのだが、この世界にそんな名称はない。ただ偶然によるものだ。

 二つの月の光も、どこかの店や誰かの家の明かりさえも届かない路地裏は、大通りのすぐ近くだというのに、見えない壁に仕切られているかのように静かだ。

 困惑する銀髪武闘家の顎に手をやり、クイッと軽く持ち上げると、ローグハンターは真剣な表情で彼女の瞳を覗き込む。

 顔を赤くして目を背ける銀髪武闘家に向け、ローグハンターは言う。

 

「一つ、決めたことがある」

 

「ッ!な、なに……?」

 

 剣の乙女との事だろうと察した銀髪武闘家は僅かに俯いた。

 彼はいつだってそうだ。頼られたら答え、向けられた想いにも真摯に向き合う。

 それが彼だ。自分が好きになった彼なのだ。

 ローグハンターは小さく息を吐くと、俯く銀髪武闘家の顔を上げさせ、視線を合わせながら告げた。

 

「俺は、馬鹿になろうと思う」

 

「……ふぇ?」

 

 突拍子のない宣言に銀髪武闘家は間の抜けた声を漏らした。

 

 ──馬鹿になる。馬鹿になるとは、どういう事なのか。

 

 いまだに壁ドンされる銀髪武闘家が小さく首を傾げると、ローグハンターは苦笑を漏らして彼女に言う。

 

「色々な奴の期待に応え、想いに応えてきた。それが俺の有り方だし、俺のやるべき事だと思っている」

 

「……じゃあ、大司教様とも──」

 

 銀髪武闘家が消え入りそうな声を漏らすと、ローグハンターは彼女の唇に指を当てて閉じさせた。

 そして優しい笑みを浮かべながら、小さく首を横に振る。

 

「言ったろ、俺は馬鹿になる」

 

「……?」

 

 口を閉められた銀髪武闘家は、小さく首を傾げる事で疑問を露にした。

 ローグハンターはそっと彼女の唇から指を離すと、彼女の髪を撫でた。

 

「俺は色々と真剣に考え過ぎていたんだと思う。相手の事ばかり考えるんじゃなく、馬鹿正直にやりたいようにやる」

 

 彼女の銀色の瞳を覗き、ローグハンターは不器用に笑ってみせた。

 彼と長い付き合いのある銀髪武闘家は、それが慣れないことをやる時に見せる笑みである事を知っている。

 ローグハンターはその笑みを浮かべたまま、彼女に告げた。

 

「馬鹿な俺が愛する女性は生涯一人だけ。馬鹿な俺は、何と言われようが他の女を愛さない」

 

「え……?んぅ──!?」

 

 思わず声が漏れた銀髪武闘家の唇を、ローグハンターの唇が塞ぐ。

 軽く触れる程度のキスを終え、ローグハンターはそっと顔を離した。

 顔を真っ赤にさせて目を見開く彼女に向け、彼は優しく笑った。

 

「俺が愛するのはお前だけだ。回りの事なんぞ、知ったことか」

 

 そう言ってまた顔を寄せるが、誰でもない銀髪武闘家によって待ったがかかった。

 

「ちょっと待って!え、良いの?」

 

「……駄目なのか?」

 

「いや、むしろ嬉しいだけど!え、えぇ……!?」

 

 慌てる銀髪武闘家を落ち着かせるように彼女の髪を撫で、ローグハンターは小さく鼻を鳴らした。

 

「大司教には何て言うかは考えていない。先の事は考えずに言ったからな」

 

「馬鹿になるって、そういう事なの……?」

 

「……そういう事じゃないのか?」

 

 ローグハンターが首を傾げると、銀髪武闘家は嬉しそうにではあるが、困ったようにため息を吐いた。

 

「まあ、私も手伝ってあげる」

 

 ──どうなるかわからないけど……。

 

 小声でそう漏らし、わざとらしく肩を竦めた。

 この上なく嬉しい事ではある。望んでいたことではあるが、まさか本当になるとは思ってもいなかった。

 真っ直ぐに自分の瞳を覗く蒼い瞳から逃れるように、大通りの方へと視線を向けると、「ん?」と声を漏らした。

 

「どうした」

 

「あれって、神官ちゃん?」

 

 銀髪武闘家が指差した方向へと目を向け、ローグハンターは小さく首を傾げた。

 二人の視線の先にいるのは女神官だ。

 いつもの錫杖を握り、いつもの法衣を纏い、いつもの帽子を被っている。

 その帽子の上に行方不明だった鷲がいるのは何とも珍しいが、それはどうでも良いだろう。

 

「……なんか、大きくない?」

 

「ああ、デカイな」

 

 銀髪武闘家は女神官の胸を見ながら、ローグハンターは彼女の全身を眺めながらそう漏らした。

 先程までのイチャついていた雰囲気は消え去り、二人は顔を見合わせて裏路地から出ると、女神官の後についていく。

 通りを埋める人々の隙間を縫い、一歩ずつ、少しずつ。

 鼻歌混じりに通りを進む女神官の肩に、ローグハンターは手を置いた。

 

「ふぁい!?」

 

 体を跳ねさせた女神官に驚きつつ、ローグハンターは彼女に問いかけた。

 

「神官、あいつらはどうした」

 

「うぇ!?え、あ、その……」

 

 あちこちへと視線を泳がせ、何やら落ち着かない様子の彼女に、ローグハンターと銀髪武闘家は視線を合わせて首を傾げた。

 

「どうしたの?なんか様子が変だけど」

 

「いや、私は、大丈夫よ?」

 

「珍しいな、お前が敬語を使わないとは」

 

「ッ!」

 

 ローグハンターの指摘に、女神官(?)は表情を強張らせた。

 どうしようかと悩み、打開策をあげているが、次々と没になっているのだろう。

 怪しむ二人の表情に圧されてか、女神官(?)が何かを言おうとした瞬間、

 

「先生、泥棒ですわ!その人を捕まえてくださいな!」

 

「ん?」

 

 突然の呼び掛けに、ローグハンターと銀髪武闘家は揃ってその声の主の方へと目を向けた。

 人混みを掻き分け、女魔術師と令嬢剣士の二人が何やら全力疾走してきている。

 

「やばっ!」

 

 女神官(偽)がそんな声を漏らし、踵をかえして駆け出そうとした時だ。

 

 ──人生で感じた事もない、強烈な浮遊感に襲われた。

 

「……ふぇ?」

 

 意図せず間の抜けた声が漏れ、天と地が回り、最後に背中から石畳に叩きつけられる。

 

「ぐぇっ!?」

 

 口から下品な声を吐き出しながら、女神官(偽)は潰れた蛙のように倒れ、ろくに受け身も取らなかったからか、だらしなく涎を垂らして気絶し、ピクピクと体を痙攣させている。

 なんの躊躇も加減もなしに彼女を投げたローグハンターは、合流した女魔術師と令嬢剣士に目を向けた。

 

「──で、何があった」

 

「温泉で……あの()の服が…盗まれたんです……。それを……ここまで追いかけてきました……」

 

 息を絶え絶えにしながら成された説明に、ローグハンターは肩を竦める。

 倒れる盗人を一瞥し、小さく息を吐く。

 

「番兵に引き渡したいところだが、服を剥がなければならないのか」

 

「一旦神殿まで連れてく?」

 

 銀等級二人の言葉に、息を整えた令嬢剣士が頷いた。

 

「はい。神官さんには、神殿で合流しましょうと言ってありますわ」

 

「なら、連れていくか。おぶるから、手伝ってくれ」

 

 ローグハンターはそう指示を出すとその場にしゃがみ、銀髪武闘家がその背に少女盗人を乗せる。

 彼を囲むように三人が立ち、彼に合わせて歩き出す。

 彼らが気絶させた少女が、一体何者であるかを知ることもなく。

 天上の神々が、慌てふためいていることを知るよしもなく──。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。

期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー

  • 見たい!
  • 別にいいです……。
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