SLAYER'S CREED   作:EGO

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Memory02 灰被りの女王(クイーン・オブ・アッシュ)

 人だけでなく、獣や草木も寝る深夜帯。

 双子の月の輝きも届かぬ、黒一色に塗りつぶされた都の裏路地を、二人の男性が歩いていた。

 一人はフードの下で不機嫌な顔をした店主──狐だ。歩調も普段に比べてかなり早く、踏み出す一歩一歩に力が入っているようにも見える。

 それでも足音一つ立てないのは、彼の技量(スキル)によるものだろう。

 あれだけやる気を見せていた彼がここまで不機嫌になったのには、とても簡単な理由がある。

 その原因は、彼の隣を歩く、同じく目深くフードを被ったもう一人の男性だ。

 都会の闇に溶け込み易いように作られた漆黒の鎧と黒いローブを纏い、背には弓とライフル。腰に下げるのは同じく漆黒の剣とピストル二挺。

 彼はローグハンタ──―いや、冒険者としての身分を捨てた今は、正真正銘の誰でもない(ノーマン)と呼んで良いだろう。

 誰でもない(ノーマン)は頬を掻き、ほんの僅かに申し訳なさそうに言う。

 

「また稼ぎすぎってしまった。申し訳ない」

 

「そう思うなら、二度と賭博場に顔を出さないでくれるか。お前が一回でもやると、こっちは赤字になる」

 

「……善処しよう」

 

 狐の物言いを適当に受け流し、誰でもない(ノーマン)は視線をさ迷わせた。

 店を出てから長いこと歩いたが、目的地までは果たしてどのくらいだろうか。

 彼の胸中に湧いた疑問に気付いてか、狐が意味深な笑みを浮かべながら言う。

 

「そんな真っ直ぐに行くわけないだろう?回り道に回り道を重ねて、ようやく到着だ」

 

 右手の人差し指で宙に小さく円を描きながら言うと、突き当たりを右へと曲がる。

 誰でもない(ノーマン)もその背に続き、都会の闇の奥へと歩を進める。

 光源となるものが一切ない、駆け出しの冒険者なら怯える程の暗さだが、当事者たる二人は何の躊躇いも見せずに進む。

 闇の中こそが自分たちの居場所だと言うように、何の迷いもなくだ。

 誰でもない(ノーマン)はタカの眼と鷲との視界共有を併用しつつ、狐に問いかける。

 

「尾行がいるわけでもないだろう」

 

「万が一の備えだ。お前がいきなり攻めこまないとも限らないからな」

 

 狐はそう言うと、十字路を直進してすぐに右へと曲がる。

 

「まだ疑うのか」

 

「言ったろ、万が一だ」

 

 誰でもない(ノーマン)の殺意混じりの視線を気にする素振りも見せず、狐は小さく肩を竦める。

 彼の背中に目を向ける誰でもない(ノーマン)は、僅かに目を細めて思慮を深めた。

 こうして長時間歩かせる事で、僅かでも自分を疲労させたいのか。

 ここまでの通った道の記憶を、僅かでも不鮮明にしたいのか。

 あるいは、刺客を待たせてある場所まで誘導しているのか。

 そうして思慮していったものも、アサシンとの戦闘で磨きあげた技量(スキル)を駆使すれば、その場を切り抜ける事は出来るだろう。

 その後、間抜けにも道端で力尽きる事がなければ、逃げる事も出来る筈だ。

 そこまで考え、誰でもない(ノーマン)は狐に気付かれないように、そっと黒鷲の剣の柄を撫でた。

 

 ──例え刺し違えになったとしても、皆殺しにする。

 

 いまだに眠る彼女を守るためには、敵を一人も残さず殺せば良い。捕虜に関しては、したところで連れていく場所もないのだからいらないだろう。

 誰でもない(ノーマン)は小さく息を吐くと、狐の背に向けて言う。

 

「店を出てから通りを二つ直進。突き当たりを左、右、右ときて更に通りを三つ跨ぐ。十字路についたら左に曲がり、後は──」

 

「待て、ここまでの道のり全部覚えているのか……?」

 

「……覚えられないと思っていたのか?」

 

 困惑顔の狐の確認に、誰でもない(ノーマン)は心底不思議そうに首を傾げた。

 地形を頭に叩き込み、道に迷わないようにするのは基本中の基本だろうに。

 たかが十数分の道のりを覚えられないほど、自分の記憶力は衰えてはいない。

 狐は額に手をやりながら首を左右に振り、大きくため息を漏らした。

 

「俺の努力は何だったんだ……」

 

「この程度なら造作無い。鍛えられたからな」

 

 狐の諦めたような声に、誰でもない(ノーマン)はどことなく自慢気に返す。

 だが、長年の付き合いがある狐には一つ、確かにわかる事があった。

 

 ──こいつ、かなり無理をしているな。

 

 歩調も、足取りもいつもと変わらないが、決定的なまでに迫力が欠ける。

 彼がなぜ店を訪れたのか、なぜ冒険者としての身分を捨てたのか、だいたいの事情は聞かされた。

 いつも隣にいる彼女がいないせいか、あるいはそうなった原因を引きずっているからか、陰った瞳には覇気が、生気がないのだ。

 狐はそうとは思いつつも、彼を止めることはない。

 この六年、彼と付き合いがあるのだ。適当に見繕った言葉程度で止まるほど、彼が単純でない事は承知している。

 最悪の場合は援護(フォロー)に入れば良いし、彼なら一人でもどうにか出来るだろうという信頼もある。

 僅かに歩調を速めた狐についていくこと更に数分。

 整備の行き届いた石畳によって作られた道から、少しずつ敷き詰められた石畳にひびが多くなってきた。

 人があまり来ないからなのか、彼らが進んでいる道は捨てられたようにも見える。

 ローグハンターは周囲に目を配り、鷲との視界共有で俯瞰的に周囲を見る。

 職人の技が光る石作りの建築物が目立った大通りに比べ、数人の素人が四苦八苦して作り出したように見える木造建築が増え、どれもこれも壁や天井に穴が開き、だいぶくたびれている。

 家屋の全てが薄汚れ、狭苦しくひしめき合い、壁同士が触れあっている。その壁も、恐ろしいほどに薄いものだろう。

 双子の月に照らされるその場所は、なにやら霊的なものが出そうな雰囲気を醸し出していた。

 大きめの地震がくれば大惨事になること間違いなしのその場所はまさに亡霊の街(ゴーストタウン)。貧民窟と呼ばれる、都の中でも一二を争うほどに治安の悪い地域だ。

 そこは秩序がしかれる都には不似合いな程に無秩序が蔓延し、道端に寝転ぶ男に意識を傾ければ、微かではあるが、何やら怪しげな薬品の臭いがする。

 申し訳程度に用意された通りは、元からそこにあったのではなく、無計画な改築、増築の結果、家屋同士の隙間がそのまま道として使われているのだろう。

 更に視線を巡らせ、壁に小さな穴が開いた家屋に目を向けた。

 そこからは、若い女性の喘ぎ声と男の呻き声、僅かに湿り気のある肉と肉がぶつかり合う音まで漏れている。

 誰でもない(ノーマン)は眉を寄せ、不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「狐、本当にここが──」

 

 前を歩く狐に確認を取ろうとした時だ、不意に彼の手が腰に下げた短剣へと伸ばされた。

 誰でもない(ノーマン)はタカの眼を発動し、進行方向に赤い影が複数あることに気づく。

 それだけで状況を察した彼は、黒鷲の剣に手をかける。

 そんな彼らの様子に気付かなかったみすぼらしい男たちは、ニタニタと笑いながら懐に隠した短剣を見せびらかしながら二人を取り囲んだ。

 強烈なまでに漂う酒の臭いからして、酔っているのだろう。

 

「おうおうおう。そんな洒落た格好して、こんな場所に来る馬鹿がいるなんてなぁ」

 

 みすぼらしい男の一人がそう言うと、舐めるように誰でもない(ノーマン)の装備を観察した。

 鎧と剣に関してはよくわからないが、腰に下げているのはまさか銃ではないか。あれは売ればかなりの額になる!

 素早く今回の得となるおおよその金額を叩き出したみずぼらしい男は、ヒヒヒと不気味に笑い、短剣の切っ先を誰でもない(ノーマン)に突き付けた。

 

「命が欲しけりゃ、身ぐるみ全部置いてきな!まあ、素っ裸で帰る勇気があるとは思えねぇが!」

 

 その男の言葉に、仲間たちが同調したように下卑た笑い声を上げながら短剣を構えた。

 数はこちらが上で、取り囲んでいる。この状況で負けることはないと判断したのだろう。

 みすぼらしい男たちの嗤い声が闇の中でこだまする中、狐は額に嫌な汗を滲ませていた。

 取り囲まれたこの状況にではない。彼の背後、短剣を突き付けられた男が滲み出している殺気に当てられてだ。

 かなりの熟練者(ベテラン)でなければ気付かない、何も感じないに等しいほどの殺気。だが、そこに込められているのは、全てを威圧する絶対零度の冷たさだ。

 狐は回りのみずぼらしい男たちが下手に彼を刺激しないように祈るが、それはほんの数秒で打ち砕かれる。

 

昼の騒ぎ(・・・・)で俺らの懐がだいぶ温まってよ!今の俺たちは機嫌が良いんだぜ!!」

 

 みずぼらしい男の言葉に、誰でもない(ノーマン)はピクリと反応を示した。

 狐が小さくため息を漏らした事を知るよしもなく、みずぼらしい男は続ける。

 

「だいぶ仲間が死んじまったが、その分報酬が馬鹿みたいに良くてよ!三日は遊べる額だ!」

 

「我らが王には感謝だぜ!あの方が来てから、俺たちの人生薔薇色だからな!」

 

 誰でもない(ノーマン)は再びピクリと反応を示し、黒鷲の剣を握る手に力がこもっていく。

 自慢話に夢中になるみすぼらしい男が、げらげらと嗤いながら不満そうに言う。

 

「でもよ、拐ってきた女には手を出すなって言うんだぜ?酷いとは思わねぇか?」

 

「こんな我慢することになるならよ、もう一人くらい拐えば良かったなぁ?」

 

「そうだそうだ!俺だって言ったし、他の奴等もやる気だったじゃねぇか!」

 

 ──あの銀髪の冒険者、拐っちまえば良かったんだよ!

 

 みずぼらしい男の誰かがそう言った瞬間、一迅の黒い風が吹き抜けた。

 

「……へ?」

 

 間の抜けた声を漏らしながら、先の発言をしたみずぼらしい男の首が地面へと転がり落ちた。

 人間というのは不思議なもので、首を斬られても数秒間は意識があるそうだ。

 だからこそ、このみすぼらしい男は自分が死ぬ瞬間を体感する事が出来てしまった。

 

「──!?!!!?!」

 

 驚愕と恐怖に目を見開いたまま、その男の生涯は幕を降ろした。

 同時に残された身体が膝をつくと共に、噴水のように勢い良く血を噴き出す。

 突然の事態に固まるみすぼらしい男たちだが、雨のように降り注ぐ血とは別に、背筋に冷たいものが駆け抜けた事を合図に覚醒する。

 彼らが壊れたぶりき人形のようにゆっくりと視線を向けた先にいたのは、柄頭に鷲の意匠が施された漆黒の剣を握る男の姿。

 いつ抜刀したのか、そもそもいつ包囲を抜け出したのかはわからないが、その刃は血に濡れ、垂れた血が小さな水溜まりとなっている。

 誰でもない(ノーマン)は黒鷲の剣に血払いをくれると、みすぼらしい男たちを睨み付ける。

 数は五、狐の奥に二人、手前に三人。

 誰でもない(ノーマン)は一切の感情を廃した瞳で敵を睨み、そして駆け出した。

 

「この野郎っ!」

 

 短剣を両手で構えた男は、愚かにも正面から迎撃しようと試みるが、その結果はどこまでも残酷なものだ。

 誰でもない(ノーマン)はみすぼらしい男渾身の振り下ろしを避けると、下段から剣を振り上げた。

 切っ先が石畳に擦れたのか、耳障りな金属音が鳴り響き、火花が散る。

 

「がぁぁああああぁぁああ!?」

 

 刃が振り抜かれたと同時にみすぼらしい男の両腕が宙を舞い、肘から先の上腕を失った腕からは、大量の血が噴き出した。

 返り血でローブと鎧を赤黒く染め上げつつ、体を反転させながらロープダートを飛ばして別のみずぼらしい男の喉仏に撃ち込む。

 どうせすぐに死ぬと割りきり、ロープダートの回収を後回しにして残りの二人に目を向けた。

 一人は恐怖に駆られてか逃げようと背を向けたが、その無防備な後頭部に投げナイフを放つ。

 風を切り裂く一本の投げナイフは寸分の狂いなく男の後頭部に突き刺さり、男は後頭部に手をやると、ナイフを抜くことも叶わずに白目を剥いて崩れ落ちた。

 残る一人は短剣を捨てると、誰でもない(ノーマン)に向けて頭を地面に擦り付ける程に土下座し、声を震わせながら言う。

 

「た、頼む、頼みます!命は、命だけは助けてください!もう誰にも迷惑をかけません!だから命だけは、どうか!」

 

 余裕綽々だった態度が一変し、無様にも命乞いを始めるみずぼらしい男。

 それを受けた誰でもない(ノーマン)は、わざと足音を立てながら男の目の前まで歩み寄ると、冷淡な声で問いかけた。

 

「貴様らの、王は誰だ」

 

「そ、それは教えられねぇ!あの方を裏切ったら──」

 

 みすぼらしい男が顔を上げてそう言った瞬間、誰でもない(ノーマン)は黒鷲の剣を逆手に持ち替え、何の躊躇いもなく男の手へと突き立てた。

 男の手のひらを石畳諸とも貫き、そのまま地面に固定する。

 一瞬遅れて駆け抜けた激痛に、みずぼらしい男は声にならない悲鳴を上げた。

 のたうち回ろうにも、腕が固定されているため動くことが出来ず、目の前の男に助けを求めようにも間違いなく聞いてはくれない。

 男は顔を真っ赤にしながら必死になって呼吸し、どうにか痛みを和らげようと努める。

 俯いているため表情を読み取られる事はないだろうが、どうやってこの状況を切り抜けるかを考える。

 誰でもない(ノーマン)は男と視線を合わせるように片ひざをつき、髪を掴んで無理やり顔を上げさせた。

 

「貴様らの、王は誰だ、どこにいる」

 

「こ、答えられねぇ……!」

 

 みすぼらしい男は最後の力を振り絞り、誰でもない(ノーマン)の蒼い瞳を睨み返す。

 睨まれた彼は別段表情を変える事なく、左手首の仕込み刀(アサシンブレード)を抜刀、それを地面に固定された男の指に向けた。

 男は彼が何をするつもりなのかを瞬時に察し、どうにか逃げようとするが──、

 

「黙ってろ」

 

 髪を掴んでいた手で頭を押さえられ、思い切り石畳に叩きつけられる。それも容赦なく、顔面からだ。

 鼻が砕けたからか、大量の血を垂らしながらも、男は口内の異物感を確かめるかのように血を吐き出した。

 血と共に吐き出された小さな白い塊は、歯である事は明白だ。

 男は察した、自分たちが喧嘩を売った相手の恐ろしさを。

 

 ──自分が今、拷問されている事を。

 

 男が地面に転がる自分の歯を眺めていると、誰でもない(ノーマン)は再び顔を持ち上げ、もう一度問いかけた。

 

「貴様らの、王は、どこにいる」

 

 聞き取りやすくする為なのか、子供に言い聞かせるようにゆっくりと告げた。尤も、そこには子供に向ける優しさは欠片もないが。

 男はただぼんやりと、誰でもない(ノーマン)に目をやりながら呟く。

 

「知らない、知らない、俺は何も知らないんだよ……」

 

「まずは小指からだ。その次は親指、その次は、そうだな、左目を抉る」

 

 アサシンブレードの切っ先を男の左目に向けながら告げると、男は髪を掴まれながらも首を左右に振った。

 

「知らない、知らないんだよ……。頼む、助けてくれ……」

 

 完全に心が折れたのか、男は目元に涙を滲ませ、惨めに失禁しながらも声を漏らす。

 誰でもない(ノーマン)は男の変化に気にした様子もなく、男の手の小指にアサシンブレードの刃を押し当てた。

 男の小指から血が滲み始めた頃、誰でもない(ノーマン)の肩に狐が手を置いた。

 

「そいつは何も知らん。もう()せ」

 

 彼の言葉に、誰でもない(ノーマン)は僅かに首を向けるだけで何も言わない。瞳に宿る冷たさは変わることなく、止めに入った狐でさえも殺される錯覚を覚える程だ。

 狐は黒鷲の剣に手を置くと、一息でそれを引き抜いた。

 男の口から声が漏れるが、逃げ出そうとする様子はない。逃げられないと悟ってしまったのだろう。

 狐はため息を漏らすと、自身の短剣で男の首を貫き、軽く捻った。

 雑多の短剣で強固な頸椎を砕けたのは、狐の技量(スキル)によるものだ。相手の急所を捉えるという一点だけは、ローグハンターと良い勝負が出来るだろう。

 誰でもない(ノーマン)は白目を剥いて力尽きたみずぼらしい男の死体を無遠慮に投げ捨てると、アサシンブレードを納刀して立ち上がる。

 狐から黒鷲の剣をぶんどるように取り返すと、一度血払いくれてから腰帯に吊るす。

 

「目的地はどこだ」

 

 先ほどみすぼらしい男へ向けたものと、全く同じ声音の問いかけ。

 そして、狐は気付く。無遠慮に逆鱗に触れられた彼は、越えてしまった一線から戻って来られていないのだ。

 怒りの感情を爆発させきれず、彼の中で激情が渦巻き続けている。そして、それを発散させる方法を、矛先にいる相手にぶつける以外の発散方法を、全く知らないのだ。

 一線を越えた彼を引き戻せる人物は、おそらく一人しかいない。そしてその一人は、話を聞いた限りでは昏睡状態だ。

 狐は額に手をやると、小さくため息を吐く。

 

「こっちだ、ついてこい」

 

 だが、既に動き出してしまったのだから戻ることは出来ない。この先は、誠に遺憾ではあるが、神々の振る骰子(サイコロ)に賭けるしかない。

 狐は瞑目したまま祈りを捧げると、誰でもない(ノーマン)の先導を再開する。

 再びみずぼらしい男どもと鉢合わせないように慎重に、かつ大胆に、目的の場所へと急いだ。

 

 

 

 

 

 歩くこと数分。

 狐は一軒の雑貨屋の前で足を止めた。

 鎖で繋がれた吊り看板は、灰を被ったように汚れているが、よく目を凝らせば女性の横顔を模した彫刻がなされている。

 

「ここか」

 

 誰でもない(ノーマン)の問いかけに、狐は重苦しく頷く。見た目こそ静かではあるが、激怒状態の彼を招き入れていいものか、悩んでいるのだろう。

 それを察してか、誰でもない(ノーマン)は無表情で言う。

 

「約束は違えない。向こうが刺激してこなければだが」

 

「ここの連中はそこまで血の気は多くない筈だ」

 

 狐はそう言うと、戸口の端に刻まれた小さな引っ掻き傷を確かめた。

 白墨を擦り付けたようではあるが、別段気になるようなものではない。

 だが、誰でもない(ノーマン)は目を細め、小さく鼻を鳴らした。

 

「随分とわかりやすい符丁だな」

 

 白墨による印はならず者の集まり(ローグギルド)の証というのは、だいぶ前、それこそ彼が黒曜等級になった頃に知った事だ。

 まあ、敵を知るための偵察ついでにわかった事だが、それが今さらになって活きるとは、彼自身も以外に思うだろう。

 狐は彼の言葉にため息を漏らすと、扉を押し開けて中へと滑り込む。

 誰でもない(ノーマン)もその後ろに続き、店内へと入り込んだ。

 薄暗い店内には蝋燭数本が明かり代わりに据え置かれ、弱々しい光に照らされた商品は、その大半が埃に埋もれかけている。

「こっちだ」と狐に促され、誰でもない(ノーマン)は店の奥を目指す。

 タカの眼の暗視能力を生かし、半ば無理やり更に奥へ。

 狐が一見何もない壁の前で足を止めるが、誰でもない(ノーマン)の眼には金色に輝いて見える。つまり、何かあるのだろう。

 狐は後ろに彼がいることを確かめると、壁に取り付けられたランプ台を下へと下げる。

 ガコンと何かの仕掛けが動く音が漏れ、それと共に壁がへこみ、横にスライドしていく。

 壁が開いた穴にあるのは、黒一色の闇。どれほど進むのかも理解できぬ程の闇が、彼を呑み込まんとしていた。

 狐は手で先に行けと示すと、誰でもない(ノーマン)は警戒しながらも奥へと足を進める。

 狐も穴の中に潜り込むと何か仕掛けを動かしたのか、背後からまた先ほどと同じ音が漏れた。

 誰でもない(ノーマン)は気にした様子もなく、闇の中へと足を進める。

 まっすぐな廊下というわけでもなく、緩やかな下り階段となっている。つまり、目的地は地下という事なのだろう。

 数分程歩いた頃だ。闇に視界が慣れると同時に、彼の視線の先に光が見えた。

 魔術的なもので隠されていたのか、あるいな接近に気付いてから明かりを点けたのか、突然現れたのだ。

 誰でもない(ノーマン)は階段を下り切り、念のため背後にいる狐に目配せした。

 狐の返答は、深く頷くのみ。行けと言うことだろうと判断して、光の中へと足を進める。

 薄いカーテンによる仕切りを退け、一歩踏み込んだ瞬間、辺りは喧騒に包み込まれた。

 活気ある酒場に迷いこんだ錯覚を覚えるが、そこに居座る人物たちがそれをすぐさま否定した。

 報酬の金貨の枚数を数える者、武器を検める者、あるいは何やら依頼を受けようとしているものもいる。

 一見しただけでは冒険者ギルドと大差ない雰囲気だが、そこにあるのは和気あいあいとした生易しいものではない。

 いつ横にいる相手が敵に回るかを警戒し、(いぶか)しんでいる。

 冒険者ギルドでは感じられない、独特な距離感と敵意に満たされた空間は、なぜだか知らないが、どこか懐かしさを感じた。

 誰でもない(ノーマン)が周囲を見渡していると、狐がその肩を叩き、脇へと退かす。

 彼の到着に気付いた影を走る者(ローグ)たちは、慌てて身なりを整えた。

 酔っていた者は無理やり覚醒し、武器を点検していた者は武器を置き、依頼の相談をしていた者は一斉に口を閉じる。

 それでも何人かが「狐の旦那!」と声を出し、その声音には彼への信頼が滲み出ている。

 狐が「楽にしてくれて良い」と軽く手を挙げると、ローグたちはまた各々のやるべき事へと没頭していった。

 想像以上に裏との繋がりが強かった──むしろ彼がリーダーなのではと思ったほどだ──狐に、誰でもない(ノーマン)は問いかけた。

 

「ここが、そうなのか?」

 

「ここが噂のならず者の集まり(ローグギルド)、胸を張れないが金になる仕事をやりたがる、文字通りの馬鹿どもが集まる場所さ」

 

 彼の問いかけに答えたのは、カウンター向こうに座る人物だった。

 目深くフードを被っているため顔は隠れているものの、僅かに覗く口元には妖艶な笑みが浮かんでいる。肌の色からして、褐色人種のようだ。

 纏うローブは胸元が大きく開いており、豊満な双丘の谷間をこれでもかと外気にさらしている。言うまでもなく、あれは女性だろう。

 女性は煙管(きせる)を吹かすと、開いている手で彼を手招きした。

 誰でもない(ノーマン)は音もなく女性の元へと寄ると、僅かに目を見開く。

 

 ──闇人だったのか。

 

 目深く被ったフードの奥に隠された長耳が、彼女が只人でないことを教えてくれたのだ。

 彼の心中を察してか、女性は彼の顎先を愛撫するように細指で撫でた。

 

「闇人とて、誰も彼もが混沌を望む祈らぬ者(ノンプレイヤー)ではないという事さ。知り合いにいないかも」

 

 彼女──女性闇人は彼の口元の傷跡を愛おしそうに細指で撫で、彼の背後に視線を向けて上機嫌そうに笑う。

 

「狐、この少年が話題の子かい?」

 

「ああ、そうだ。予想よりもだいぶ速いが、こいつも用があったようだから、連れてきた」

 

 狐はそう言いながらカウンター席に腰掛け、目を細めながら女性闇人を睨む。

 

「それと、前にも言ったがこいつは恋人持ちだ。止めとけ」

 

「むぅ、顔に傷、特に口元に傷のある男性が好みなんだがなぁ……」

 

 女性闇人は心底残念そうに誰でもない(ノーマン)の顔から指を離すと、再び煙管を吹かした。

 吐き出した煙が円を描き、ギルドの喧騒の中へと消えていく。

 女性闇人はフードを取り払い、その暗い色をした瞳で誰でもない(ノーマン)を捉えながら告げる。

 

「ようこそ、我がならず者の集まり(ローグギルド)、吹き溜まった灰の城へ。私はここの頭目、人呼んで灰被りの女王(クイーン・オブ・アッシュ)よ」

 

 ──よろしくね、少年。

 

 彼女はそう言うと妖艶な笑みを深め、足を組み直した。

 ローブに刻まれたスリットからは、程よく肉のついた足がこぼれ落ちている。

 誰でもない(ノーマン)は僅かに眉を寄せながら、助けを求めるように狐に目を向けた。

 狐は手をひらひらと振ってそっぽを向き、ここに呼んだもう二人の仲間を待つ。

 後ろで灰被りの女王に絡まれる誰でもない(ノーマン)を気にかけるが、彼女とは打ち解けて貰わねば困るのだ。

 それは今だけでなく、これからの為でもあるのだ。誰でもない(ノーマン)には、今回ばかりの協力ではなく、しっかりとした協力体制を整えなければならない。

 この世界には騎士団も教団もない。だからこそ、

 

 

 ──それに準ずるものが必要なのだ。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。

期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー

  • 見たい!
  • 別にいいです……。
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