SLAYER'S CREED   作:EGO

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Memory03 同志たち

「まあ、ここで話すのもあれだろう。奥の部屋に行くとしよう」

 

 カウンター向こうに座る灰被りの女王が紫煙を吐きながら言うと、何人かの影を走る者(ローグ)がぴくりと反応を示した。

 酒場全体が薄暗い事もあり、彼らの表情を窺い知る事は出来ないが、間違いなく快く思ってはいないだろう。

 異性ではなく同性からも羨望──あるいは一方的な愛情──を向けられている彼女からの誘いだ。断ればもちろん、快諾しても後ろから刺される可能性がある。

 誰でもない(ノーマン)は彼らの殺気混じりの視線を気にした様子もなく、隣に腰掛ける狐に視線を向ける。

 彼の確認を受けた彼は一度頷き、僅かに困ったように言う。

 

「なら、先に行っていてくれ。俺はまだ来ていない連中を待つ。約束の時間はだいぶ過ぎているんだがな」

 

 目を細めて入り口へと目を向け、出入りする人物らに気を配る。入ってくるのはここ所属の影を走る者(ローグ)たちだけであり、彼が待つ人物は来ない。

 灰被りの女王は再び煙管を吹かして紫煙を吐くと、誰でもない(ノーマン)に流し目で視線を向けた。

 目が眩むほどの色気のこもった視線を受けた誰でもない(ノーマン)は、そっと視線を外す。長時間見つめあうと、何か録でもない事になる気がしたのだ。

 だが、狐に信用されているという事は、それなり以上に優秀なのは明白。今回の件に関しては、彼女、ないしここいる面々の力を借りなければならないだろう。

 その為にも、まずは目の前の彼女と信頼関係を築かなければならない。

 灰被りの女王は腰掛けていた座席から立ち上がると煙管の灰を灰皿へと落とし、煙管はその豊満な胸元へとしまいこむ。

 今まで座って向き合っていたからか、あるいは纏うローブのせいか、彼女が意外と長身である事に気付く。

 誰でもない(ノーマン)もそれなりに身長がある方だと自覚はあったが、灰被りの女王は彼よりも背がある。僅かに顔を上げなければ、視線を合わせる事は出来ないだろう。

 彼女の挙動を観察していた誰でもない(ノーマン)を誘うように、灰被りの女王は下品にならない──むしろ品すらも感じる──程度に尻を揺らしながら歩き始めた。

 彼女の背中を目で追った誰でもない(ノーマン)は、僅かにため息を漏らして立ち上がり、その背を追いかけていく。

 仕事終わりの影を走る者(ローグ)の脇を通り抜け、念のためその顔を頭に叩き込む。この共闘が終われば、また敵となる可能性はある。顔を覚えておいて損はないだろう。

 灰被りの女王が開けた扉を潜って酒場を抜け、薄暗い廊下へと入る。左右両方の壁には等間隔に並べられた燭台には、今にも燃え尽きそうな蝋燭が刺さっている。

 その両脇には質素な扉が備え付けられており、おそらく酒場にたむろしていた者たちの宿として使われているのだろう。

 優しげな橙色の明かりに照らされた灰被りの女王の影は、壁や天井、あるいは扉を不気味でありながら優雅な舞踏を舞うように踊り狂う。

 彼女の後ろを歩く誰でもない(ノーマン)の影は、それを傍観する観客か、あるいは興味の欠片もない無愛想な者のように静かに立ち尽くしている。

 灰被りの女王は目深く被ったフード越しに振り向くと、口元に微笑を浮かべながら言う。

 

「そんなに緊張する必要はないさ。しばらく滞在することになるのだろう?家だと思ってくれて構わんよ」

 

 手振りを交えながら言う彼女は、廊下の最奥の扉を開いて更に奥へ。

 闇の中に突如として現れた階段を手慣れた様子で降りていき、誰でもない(ノーマン)は足を踏み外さないように気をかけながらその後に続く。

 そしてたどり着いたのは、上の物に比べて僅かに豪華な扉だった。

 そこには蝋燭ではなくランプが壁の突起に引っ掻けており、廊下に比べれば明るい。

 尤も、そのお陰で扉には年季が入っている事がわかった。金属部分には錆が目立ち、豪勢だったであろう装飾の一部は欠けていたり、修復されたような痕が見られたりもする。

 灰被りの女王は胸元を探り鍵を取り出すと、扉の鍵穴へと差し込み、軽く捻る。

 カチャリと錠が外れる音が漏れ、鍵を胸元に戻した灰被りの女王はそっと扉を押す。見た目の割に重々しい音は鳴らず、扉が開いていった。

 

「ここは私の私室なんだが、どうせ会議をするのもここだ。まったく、急いで片付けたこちらの身にもなれ。そもそもなぜここなのだ、会議室なんてお堅いものがあるわけないだろう?」

 

 灰被りの女王は扉を開けながら愚痴るが、誰でもない(ノーマン)は無視を決め込み、彼女に気付かれない程度にそっと部屋を覗き込む。

 上の埃っぽさとは段違いの上品な部屋。棚や、そこに納められた食器類には細かな彫刻(レリーフ)が刻まれ、本棚には溢れんばかりに本が押し込まれている。

 

「まあ入ってくれ。廊下に突っ立っていても仕方がない」

 

「ああ」

 

 灰被りの女王に促され、誰でもない(ノーマン)は部屋に足を踏み入れた。

 敷かれたカーペットの踏み心地も良く、天井に吊るされた簡素なシャンデリアには、蝋燭が数本取り付けられている。

 あと目についたものとなると──、

 

「あの山はなんだ」

 

 誰でもない(ノーマン)は部屋の隅に目を向け、灰被りの女王に問いかけた。

 彼の視線の先では、大きめの布が山のように膨らんでいる。僅かに見える隙間からは、がらくたやぼろぼろになった本と思われる何かが見えた。

 灰被りの女王は彼の視線から逃れるように目を逸らし、下手な口笛を吹いて誤魔化す。

 触らぬ神になんとやら、誰でもない(ノーマン)は自分にそう言い聞かせ、会議スペースと思われる部屋の一角に目を向けた。

 手入れの行き届いた円卓と、急拵えなのかサイズもデザインもばらばらの椅子が置かれている。

 誰でもない(ノーマン)がそちらに足を進めようとした時、ローブの裾を灰被りの女王が引いた。

 

「座る前に武器はその机に置いてくれ。弓と長筒、あと剣は絶対だ。後の武器は、まあ好きにしてくれ」

 

「………」

 

 誰でもない(ノーマン)は僅かに眉を寄せたが、その三つはなくともどうにかなるものだと割り切って頷く。

 弓と長筒──ライフルの事だろう──と黒鷲の剣を指定された長机に置き、灰被りの女王の方へと向き直る。

 その瞬間、彼女の暗い色をした瞳が目の前に迫ってきた。

 深淵を思わせる暗い瞳の奥に宿る輝きは、憧れの英雄を実際に見る事の出来た子供のように無邪気でありながら、どこか恐ろしさを感じさせる。

 誰でもない(ノーマン)は思わず背を反らして後ろに下がろうとするが、生憎彼の背後には武器を置いた長机が置かれている。

 どうにか逃げようと考えるが、妖艶な笑みを浮かべた灰被りの女王がそれをさせまいと彼の顎に手をやった。

 空いた手で自らが被るフードを取り払い、その素顔を露にする。

 先に言った通り、闇人特有の黒い肌ではあるが、その整った顔立ちは、顔だけでも商売が出来そうな程だ。

 何より彼の目を引いたのは、透けるほどに美しい銀色の髪。話に聞いた限りでは、闇人には毛色が銀や白などの色素が薄い者が多いそうだ。

 その程度、いつもの彼なら気にも止めない、些細な共通点だ。だが、その些細な共通点は、今の彼にはその一言で片付けられるものではない。

 誰でもない(ノーマン)は僅かに目を見開くと、顔ごと視線を逸らした。

 彼女の顔を見ているだけで、あの時の感覚(怒り)が、目を覚まさない彼女の顔が、情けない(優しすぎた)自分が、思い起こされてしまうのだ。

 ふつふつと煮えたぎる怒りはまだ溜めなければならない。

 彼女への想いは、心の奥の更に奥へとしまわなければならない。

 かつての、騎士としての自分を取り戻さなければ、今回の戦いには勝てないのだ。

 彼の葛藤を知ってか知らずか、灰被りの女王は僅かに頬を赤く染めながら言う。

 

「ああ、何百年振りだろうな、ここまで心踊るのは。まだ私が混沌の尖兵として活動していた時以来か」

 

 昔を懐かしむように、それでいてつい昨日の事を思い出すように、彼女は続ける。

 

「何度目かの秩序と混沌の戦争。神に愛された白金の勇者と、魔神王との決戦が迫っていた頃」

 

 そう言いながら、彼女は彼の口元の傷を細指で撫でる。

 その優しげな手付きは愛撫を思わせるが、どこか愛する子供を甘やかすような優しさにも満ちている。

 困惑する誰でもない(ノーマン)を他所に、灰被りの女王は更に話を進めた。

 

「悪魔の何人かを貴族や将軍に化けさせ、秩序の陣営に混乱をもたらそうとする動きがあった」

 

 彼女はそう言いながら、彼のフードを取り払った。

 後頭部で纏められた闇を思わせる黒髪と、夜空か、あるいは深海を思わせる蒼い右瞳。それとは対照的に、左瞳は輝かんばかりの金色に染まっている。

 灰被りの女王は愛おしそうに彼の髪を撫で、口元に微笑を浮かべた。

 

「だが、その作戦は面白い程あっさりと潰えた。たった一人の暗殺者(アサシン)が、すり替えた貴族と将軍の全員を暗殺、もしくは撃退したからだ。誰だか、わかるか?」

 

「まさか……」

 

 誰でもない(ノーマン)が怪訝そうに漏らすと、灰被りの女王は頷き、彼の左腕の籠手、正確には籠手に刻まれたアサシンのシンボルを指でなぞる。

 

「アルタイルだとも。彼がいなければ、混沌の勢力が勝っていたかもしれない」

 

「その話とこの状況に、何の関係がある」

 

 灰被りの女王の肩を押し返しながら問うと、彼女は手頃な椅子に腰掛け、その表情を恍惚とさせながら自身の豊満な胸に手を当てた。

 手に潰された双丘は形を歪ませるが、その柔らかさでしっかりと受け止める。

 

「私の初恋の相手だ。彼がいなければ、私は秩序に寝返ろうなどとはとも思わなかった。まあ、私も一目見ただけだが……」

 

 瞑目した彼女の瞼に映るのは、仕込み刀(アサシンブレード)妙な球体(リンゴ)を武器に、次々と悪魔を打ち倒すたった一人の男の姿だ。

 纏う純白のローブを返り血で赤く染めながら、何かを守らんと戦い続けた彼の姿に、その戦闘の数少ない生き残りである彼女が魅せられたのは、偶然ではないのだろう。

 短い回想を終えた彼女は彼の面影を誰でもない(ノーマン)に重ね、胸元から煙管を取り出した。

 

「彼はいつの間にか消え、秩序に寝返った私は混沌側からもお尋ね者。ここまでの地位を手に入れるには、随分と苦労したさ」

 

 過去を懐かしむように呟きながら煙管に火を入れ、何度か吹かして紫煙を吐き出す。

 それを受けた誰でもない(ノーマン)は強烈な異臭に咳き込むが、灰被りの女王は気にした様子もなく微笑んだ。

 

「だが、こうして彼と同じ眼を持つ者に出会えただけでも、報われた気がするよ」

 

「そうか」

 

 煙にやられたのか目元に涙を浮かべながら、誰でもない(ノーマン)は適当に返した。

 本人としても詳しく聞きたい話ではあるが、今はそれよりも優先するべき事がある。詳しくは終わってから聞けば良い。

 彼が胸中でそう決めると、灰被りの女王は再び彼に身を寄せた。先程のように顔を近付けただけでなく、体を擦り寄せたのだ。

 彼女の肉感的な肢体に包まれた誰でもない(ノーマン)は、反射的に振り払おうとするが、その腕さえも掴まれて反撃を封じられる。

 灰被りの女王は妖艶な笑みを浮かべると、少々危険な色のこもった視線を彼へと向けた。

 

「だが、しかし、何だ。彼には全く似ていないが、何とも私好みの顔立ちだ」

 

「……離せ」

 

「彼と同じ眼、同じ傷、同じ武器。ふふ、久しぶりに体が熱くなってきたぞ」

 

 瞳の奥に爛々と燃える炎を灯しながら、灰被りの女王は自身の下腹部を撫でた。

 その手の知識に欠ける者でも、様々な期待を胸に生唾を呑み込む光景だが、その手の例外にいる誰でもない(ノーマン)は額に冷や汗を流す。

 もはや目に見える形となった危険から逃げ出そうと、本能に任せて暴れようとするが、不意に灰被りの女王が口を開く。

 

「《アラーネア(蜘蛛)……ファキオ(生成)……リガートゥル(束縛)》」

 

 彼女が紡いだのは『粘糸(スパイダーウェブ)』の呪文。ローブの袖に仕込まれていた糸が暴れ狂い、誰でもない(ノーマン)の両手首を後ろ手に縛り付ける。

 

「ッ!?」

 

「安心してくれ、狐たちが来るまでに済ませるさ。なに、少年だって溜まっているんだろう?」

 

 突然の事態に狼狽える誰でもない(ノーマン)の耳元で、灰被りの女王は誘うように囁いた。

 そして、彼の返事を待たずに彼の鎧とローブを外そうと手を伸ばした時だ。

 

「《マグナ(魔術)……レモナ(阻害)……レスティンギトゥル(消失)》」

 

 どこからともなく、『抗魔(カウンターマジック)』の術が紡がれ、ブツン!と音をたてて誰でもない(ノーマン)を縛っていた糸が不可視の力によって断ち切られた。

 両手が自由になった瞬間、灰被りの女王を突き飛ばし、部屋の隅に鎮座する山に叩きつける。

 ガシャン!とがらくたの山が崩れる音を無視し、長机に置いた黒鷲の剣を手に取り、切っ先を灰被りの女王へと向けた。

 目に宿るのは確かな警戒の色。灰被りの女王を、警戒すべき人物だと認識したのだろう。

 山から這い出した彼女は、露骨に残念がりながら部屋の入り口に目を向けた。

 つられるように誰でもない(ノーマン)の視線もそちらに流れ、そこに立つ人物らに気付く。

 そこにいたのは三人の只人だ。一人は狐、一人は昼間に知り合った御者の男性。もう一人に見覚えはないが、黒髪の女性。三角帽子を被り、身の丈ほどの杖を持っているから、魔術師だろうか。

 誰でもない(ノーマン)が観察している事に気づいてか、女魔術師がニカッと笑みを浮かべた。

 

「やあやあ、女王様。相変わらず欲望に誠実だねぇ!」

 

「あら、来ていたの。早めに言っておいて欲しかったわ」

 

 乱れた髪を手櫛で直しながら言うと、狐に目を向けて笑みを浮かべた。

 

「私たち四人と、タカの眼を持つ者が集ったという事は、そういうことで良いのね?」

 

 彼女の確かめるような言葉に、狐と御者の男性が同時に頷いた。

 二人の返答に灰被りの女王は嬉しそうな笑みを浮かべ、円卓の回りに置かれた椅子に腰かけ、立ち続けている四人に向けて言う。

 

「なら、早く始めてしまおう。何年待った?五年か、十年か?」

 

 今までの怪しい笑みはどこへ行ったのか、その表情は真剣そのものだ。

 困惑する|誰でもないを他所に、女魔術師が円卓の席につく。

 

「自己紹介は座ってからだな。場所なんて適当で良いだろう?上座も下座もないのが円卓の良いところだ」

 

 彼女に続いて円卓についたのは狐だ。彼は誰でもない(ノーマン)の肩を叩くと、どかりと椅子に腰掛けた。

 

「おまえらも早く座れ。話したいことが山ほどある」

 

 どこかこうなることを予見していたように振る舞う彼らに、誰でもない(ノーマン)が困惑していると、御者の男性が声をかけた。

 

「我々は、こうなる日を待っていたのですよ。貴方が冒険者となる、さらに前から」

 

 そう言いながら円卓の席に座り、残された椅子を引いて彼に座るように急かす。

 誰でもない(ノーマン)は無理に考える事を辞め、空いている最後の席に腰掛けた。

 円卓を囲むのは、五人の人物だ。

 灰被りの女王は胸元を探り、小さな指輪を取り出しと、誰でもない(ノーマン)に言う。

 

「では、改めて。私は灰被りの女王(クイーン・オブ・アッシュ)。この都に存在するいくつものならず者の集まり(ローグギルド)の長たる闇人だ。歳は訊くな」

 

 彼女はそう言うと、その指輪を円卓に置いた。

 見た目はシンプルな指輪だが、台座の黒い宝石にはアサシンのシンボルたる紋章が刻まれている。

 誰でもない(ノーマン)はハッとしながらその指輪を凝視していると、続いて女魔術師が笑みを浮かべながら言う。

 よく見る黒い瞳だが、その瞳孔は蒼く染まっている。病気、というわけではないだろう。

 

「私はしがない魔術師だったんだが、今は賢者の学院の校長をしている。キミの噂は聞いているよ、ならず者殺し(ローグハンター)。うちの卒業生が世話になっているようだからね」

 

 彼女は言いながら自慢の黒髪をなびかせ、指に着けていた指輪を取り外して円卓に置く。

 その指輪に納められた緑色の宝石にはアサシンの紋章が刻まれており、彼女もまた関係者である事を教えてくれる。

 もはや言葉も出ない誰でもない(ノーマン)に声をかけたのは、狐だ。

 アサシンの紋章を思わせる火傷痕の残る左手薬指を見せ、見えるように円卓の上に出す。

 

「俺の呼び名は多いが、お前に分りやすい呼び方は狐だろう。今さらではあるがな」

 

 そう言いながら笑みを浮かべ、残る一人に視線を向けた。

 

「後はお前だな、マキャ──外交官殿」

 

「いい加減間違えないでもらいたい。まあ、今は良いです」

 

 狐に呼ばれた外交官は、一度咳払いをして誰でもない(ノーマン)に面と向かい合った。

 

「あなたが騎士である事は承知しています。しかし、こうして同じ卓を囲めた事を嬉しく思いますよ」

 

 彼はそう言いながら、手袋を外して自身の左手薬指に見せる。そこにあるのは、アサシンのシンボルを模した火傷痕。

 つまり、彼も関係者という事だ。

 誰でもない(ノーマン)は──本人も驚く事に──悩む事なく口を開いた。

 

「細かな所属は言えないが、故郷で騎士団の一員だった事は間違いない。その証拠は、手元にないがな」

 

 指輪があれば出せたのだろうが、それは妹に預けたままだ。いまだに大事にしているかはわからないが、多分持ち歩いてはいるだろうと思慮を切り上げる。

 外交官は深く聞くことはなく、彼へと問いかけた。

 

「そして、その騎士たるあなたがなぜここに?」

 

 昼間と違って僅かな敵意を感じる言葉だが、誰でもない(ノーマン)は気にする事なく言う。

 

「今日の昼時だ。俺にとって何よりも大切な奴が、傷つけられた」

 

「あの騒ぎか。うちの(フィクサー)たちに調べさせるように伝えたよ」

 

 灰被りの女王が煙管を吹かしながら言うと、誰でもない(ノーマン)は「それだ」と返して更に言う。

 

「犯人を探したいが、その騒ぎに乗じて貴族令嬢が誘拐された。表立っては動けん」

 

「そこで裏の業界に頼ろうと?」

 

「ああ」

 

 灰被りの女王が確認すると、間髪入れずに返事をする誰でもない(ノーマン)

 彼女は彼の瞳を覗きこみながら、口元に笑みを浮かべた。

 

「私たちは、あまり頼るものではないぞ」

 

 言葉に込められた怒気には、どこか子供をしかる母親のような情が込められている。

 彼女は知っているのだろう。そうやって一時の感情に身を任せ、回り諸とも破滅していった人たちを。

 遥か年下、それこそ彼女からしてみれば子供と同じに思えるほどに幼い彼には、そうなって欲しくはない。だからこそ、どこか母親染みた声色が出せるのだろう。

 だが、誰でもない(ノーマン)にそれはわからない。彼の母親は、もう顔も思い出せないほど幼い頃に、殺されているからだ。

 故に彼は、母親から向けられる『愛情』というものを、知らないのだ。

 誰でもない(ノーマン)は瞑目し、そして自身の拳をギチギチと音が出るほど握り締めた。

 

 ──裏の世界に関わるな?何を言っているんだ、こいつは。

 

 彼は目を開き、絶対零度の殺気を宿した瞳で灰被りの女王を睨み付ける。

 

「元より俺は、そちら側の住人だ」

 

 感情が欠落した低い声には、流石の灰被りの女王すら僅かに悲哀の色のこもった顔となった。

 それに気付いた女性教諭は、小さくため息を吐いて彼に視線を向ける。

 歳は自分よりもいくつか下。自分にもそう見えているのだから、狐や外交官から見れば、年の近い息子程度にすら思えているかもしれない。

 なのに、彼のあの目はなんだ。長年かけて感情を殺した暗殺者でさえ、もう少し優しい目をしているぞ。

 女性教諭は狐へと目を向け、彼は確かに一度頷いた。

 

「お前の過去を根掘り葉掘り聞くつもりはない。だが、一つ聞かせてくれ」

 

 彼の呼び掛けに、誰でもない(ノーマン)はそちらに視線を向ける。殺気が弱まったのは救いだが、今さらなのだから気にする事もないだろう。

 

「お前はこれから、何の後ろ楯も、道標もない闇の中へと足を踏み入れようとしている。覚悟は良いんだな」

 

 狐の問いかけに、誰でもない(ノーマン)は無言で頷いた。元より覚悟が決まったから、あんな時間に狐の店を訪ねてきたのだろう。

 外交官は彼の肯定の所作を見ると、彼へ問いかける。

 

「貴方が身を任せようとしている闇は、今までの物とは違う、這い上がるが困難なものです。よろしいのですね?」

 

「闇に沈みきった俺に、光を見せてくれた奴らがいる」

 

 彼はそう言うと、どこか懐かしむような笑みを浮かべた。

 

 ──自分を兄と呼んでくれる、太陽を思わせる笑顔の少女がいた。

 

 最初こそはっきり言って面倒だったが、あの村での出来事は、今でも鮮明に思い出せる大切な思い出だ。

 

 ──自分を友と呼んでくれる、いつも薄汚れた格好をした同業者がいた。

 

 最初こそ変な奴だとは思ったが、あいつがいなければ自分は冒険者にならず、ただの名無しの放浪者として野垂れ死んでいたかもしれない。

 

 ──自分を先生と呼んでくれる、未来を夢みる弟子たちが出来た。

 

 最初こそ驚いたが、彼女らの成長は自分の事のように嬉しく思えたし、何より彼女らの未来に一役買えたと思えるのは嬉しかった。

 

 ──そしてなによりも、自分を愛してくれる人が、添い遂げたいと想える人が出来た。

 

 ただの同業者から、無駄に長い時間をかけて、互いの想いを確め合った。彼女と共に、十年後も、二十年後も生きていたいと思えた。こんな事初めてだ。

 アサシンとの戦いにおいては、刺し違えたとしても殺すという意識だったが、今はどうだ。何としても生きたいと、彼女の下へと戻りたいと思うようになったのはいつからだ。

 誰でもない(ノーマン)はその瞳に光を宿しながら、彼らに告げる。

 

「俺は、友を、家族を、愛する人を、あいつらが生きる未来を守りたい。その為なら俺は、闇に沈む事も、()()()()()()()()()いとわん」

 

 確かな意志の込められた言葉に、狐は心の底から嬉しそうに笑みを浮かべた。表情が、その言葉を聞きたかったと雄弁に語っている。

 灰被りの女王は「私は口出しせんさ」と煙管を吹かしながら言い、女性教諭も「人生は選択の連続だからな」とどこか悟ったような事を言う。

 残る外交官は深く頷くと、音もなく立ち上がった。

 

「では騎士よ、あなたは騎士団を抜けると言うのですね?」

 

「それであいつらを救えるのなら」

 

「あなたの恩人たちを裏切る事になりますが、よろしいのですか?」

 

「俺にとっては、もう遠い過去だ」

 

 誰でもない(ノーマン)はそう言うと、ほんの僅かに表情を険しくさせた。

 心の中では葛藤があるのだろう。心の奥底にいる騎士としての自分が、ふざけるなと声を張り上げている。

 

「我らの信条は、ご存知ですね?」

 

「ああ……!」

 

 その声を振り切り、彼は頷いた。

 外交官は瞳を閉じ、祈るように言う。

 

「ラーシェイア、ワキュン、ムトラクベイル、クルンムーキン」

 

「これぞ我らが血盟の英知を集約せし言葉」

 

「『闇に生き、光に奉仕する。そは我らなり』」

 

 外交官はそう言うと、懐から指輪を取り出した。

 見た目はシンプルなものだが、台座に納められた蒼い宝石にはアサシンの紋章が刻まれている。

 もう後には退けない。尊敬するマスターたちを、何よりも先生を裏切る事になる。

 だが、それでも、これは──、

 

「俺が、俺の意志で選んだ道だ……!」

 

 かつての自分には、選ぶことの許されなかった道だ。

 かつての自分では、選ぼうとすら思わなかった道だ。

 誰でもない(ノーマン)は指輪を受け取ると、起立して姿勢を整えた。

 外交官は彼を見ながら頷くと、他の面々に起立を促す。

 

「我らアサシンの信条を、心に刻め」

 

「罪なき者に刃を振るうな」

 

「風景に溶け込め」

 

「教団を危険に晒すな」

 

 外交官の言葉を皮切りに、狐が、女性教諭が、灰被りの女王が言葉を紡いだ。

 誰でもない(ノーマン)はその言葉を本当の意味で心に刻み、確かに頷く。

 ならば、残る言葉を紡ぐのは彼の役目だ。

 

「『真実はなく、許されぬことなどない』」

 

 この言葉の真意はまだわからない。否、永遠にわかることはないかもしれない。

 だからこそこの言葉を心に刻み、その意味を自問し続ける。この言葉は、その為にあるのだろう。

 彼の言葉に四人は満足そうに頷くと、代表して外交官が彼に右手を差し出した。

 

「歓迎しましょう。あなたはこの世界における、最初の『アサシン』です」

 

 神々の振るう骰子(さいころ)次第で多くの事が決まる世界において、神々すらも予想外のものが生まれた瞬間だ。

 アサシンは自身の右手を差し出して外交官と握手を交わすと、不敵な笑みを浮かべて話を切り出す。

 

「なら、初仕事といくか」

 

 誰にも知られる事なく、死の天使(アルタイル)の血と役目を引き継ぐ、新たな若き鷹(アサシン)が、産声をあげようとしていた──。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしいお願いします。

期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー

  • 見たい!
  • 別にいいです……。
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