──風景に溶け込め。
アサシンたちの信条たる三つのうち、第二の掟として継承されている言葉だ。
抜き身の刃ほど目立ち、周囲を恐れさせる物はない。だからこそ、彼らは鞘の中の刃たれと教えられたのだ。
とても嫌そうではあったが父から教えられた信条を自らの胸の内で反芻し、貧民窟の闇に潜むアサシンは、タカの眼を発動しつつ目を細めた。
殺気を漏らさないのは勿論の事だが、壁の向こうに見える赤い影の数に思わずため息を漏らす。
灰被りの女王曰く、取引が早まった可能性があるとの事だが、それはおそらく正しい。ただの幹部候補の拠点へと道だと言うのに、警備の数が周辺の比ではないのだ。
通りにいるだけでも十数人、屋根の上にも弓兵が何人かいる。
弓兵の方は息を潜めているつもりなのだろうが、タカの眼を用いれば丸見えだ。
一旦タカの眼を解除すると腕を組んで僅かに思慮し、手持ちの道具を確かめる。
弓、銃弾、煙幕、ダーツ、一通りの道具は揃っている。否、ここに来るまでに揃えたに訂正。
同時に時間がない事も視野に入れ直し、気合いを入れた。
気付かれた所でなんだ。
アサシンは背を預けていた壁の方に向き直ると、いつものようによじ登り始める。
簡素な素人仕事で建てられた建物は、下手に力を入れれば容易く崩れる事だろう。
弓兵たちが陣取っているのも、比較的丈夫なものを選んでいるに違いない。
壁を登り終えても体を持ち上げす、顔だけを覗かせて周囲に眼をやる。
空には雲一つなく、月明かりの他に光源もない。
だが、その月明かりこそが厄介だ。真夜中の月明かりの明るさは、昼間の太陽のそれと同じだ。
録な遮蔽物のない屋根の上を走るのは、狙ってくれと言っているのと同義。
アサシンは面倒臭そうにため息を漏らすと、壁から降りて路地の奥へと足を進める。
無計画な増築で、通りは蟻の巣を思わせる程に入り組んでいるが、既に
まるで毎日のように通る道を進むように淀みなく、右に左へ、警備の目を掻い潜るように潜入していく。
警備を配置したところで、入り組む通り全てを見張れるかと問われれば、その答えは否だ。
アサシンはその警備の穴を、まるで糸のように通り抜けていく。
数多くいる警備の中に、彼の姿を見た者は誰一人としていない。
夜目の利く種族がいれば違ったろうが、その手の種族は引く手あまただ。
鉱人であれば、生まれ持った技量により仕事はすぐに見つかるであろうし、森人であれば、生まれ持った美貌によりすぐに見つかる。
蜥蜴人なら傭兵としても活躍出来るだろうし、圃人の作る住まいは住み心地が良いと聞く。
闇人は……探せばすぐにでも職につけるだろう。
ただですらそれなのに、この国には『冒険者』という、生まれも育ちも関係ない職業がある。
それにすらなれず──或いは心折れた故に──物乞いとなるのは、只人が大半であろう。
自分にとっては至極どうでもいい──圃人の作る住まいは気になるが──事を首を振ると共に振り払い、さらに闇の奥へ。
このまま目的地まで接近出来ればと思慮するが、その期待はすぐに裏切られた。
裏路地を迷いなく進んでいくアサシンは、進行方向な脇道から差し込む光に目を細めた。
壁の影の中に身を潜め、彼の体からは、僅かに漏れる呼吸音以外の音が消える。
同時に鷲と視界を共有し、通りの先を確認する。
視線が貧民窟の闇の中から、月光に照らされる貧民窟を俯瞰するものへと変わり、次いでタカの眼を発動する。
通りの先は広場であるようで、演説用なのか娯楽用なのか、一角には材木を適当に組み合わせたような舞台が設置されている。
広場に集まる無害な物乞いから色が失せ、彼らの視線を集める舞台やその脇には、赤い影が複数屹立していた。
そして、赤い影に守られるように舞台の脇に控えているのは金色の影だ。おそらく、目的の幹部候補。
アサシンはタカの眼を解除しつつ鷲との視覚共有を止めると、影から身を乗り出した。
そのまま音もなく裏路地から出ると、広間に集まる人混みに紛れ込む。
一瞬視線を感じたが、すぐに切れる。
フリーランと並ぶアサシンの基本技能として、群衆に紛れ込むというものがある。
そこにいるのに、相手にはいないと思わせる。アサシンの信条が形となった技の一つだ。
群衆に紛れ込みながら移動し、舞台の上を確かに見える位置につく。
幹部候補の護衛と思われる物乞いたちの服は、辺りに住む物乞いよりも整っている。何よりも腰に下げている剣は、鞘にこそ納められているものの、おそらく軍からの横流し品。
護衛の装備を確認しつつ待っていると、件の幹部候補と思われる老爺が舞台の上に立った。
戦闘で失ったのか、或いは
ぎょろりと剥かれた眼球の片方は、ガラス玉のように雲っており、おそらく失明しているのだろう。
だが、アサシンはその理由を深くは考えない。考えるよりも先に、爆発しそうな殺意を抑えなければならないのだ。
彼女が刺される瞬間を、直接見たわけではない。彼女が誰に刺されたのかは、あの場に居合わせた友人たちから聞いただけだ。
だから、まだ人違いの可能性もある。世界は広いとはきえ、偶然の一致というのはよく起こることだ。「似ているから」なんて理由で、関係のない人物を殺すのは教義に反する。
気付かれぬように深呼吸を繰り返し、必死になって殺意を抑える。今気付かれれば、大変な事に──、
──なるのか?
アサシンは気分を紛らわすように首を傾げ、僅かに気分を緩ませる。張り詰めたままだと、数分持たずに爆発すると察したからだ。
実際気付かれた場合、大変な事になるのだろうか。
周りの関係のない人々が巻き込まれる可能性は捨てられないが、敵を排除する分には問題はないだろう。
屋上の弓兵が気がかりだが、そこは路地裏に飛び込めば巻くことが出来る筈。
直接的な戦闘に関しては心配していない。武装した物乞いに負けていては、アサシンとは名乗れない。
気分転換が効いたのか、爆発しかけた殺意はだいぶ落ち着きを取り戻した。
なら、大丈夫だ。と自分に言い聞かせ、舞台上に立つ隻腕の老爺に視線を向ける。
「こ、これより王からのお言葉を伝える!民たちよ、こ、心して聞けぃ!」
慣れぬ事をさせられているからか、或いは何か──まあ、間違いなく自分だが──を警戒しているのか、
尤も、その程度で見つかるほどアサシンの隠密能力は低くはない。無駄な努力だ。
老爺は視線を泳がしつつ、集まった物乞いたちに言う。
「じ、次回より、集める税を増やす……との事だ。王の要求する税を納められなければ、わた、私のように腕を落とすぞ!よ、よいか!?」
老爺が言い切るや否や、周囲の物乞いたちから怒号がとんだ。
「ふざけるな!」と言った普通の内容から、瞳に少々危険な輝きを宿した呪詛まで、内容としては様々だ。
物乞いたちとて一枚岩ではなく、王の下にいる事を不服に思う者もいるのだ。
アサシンは混ざって適当に罵声を浴びせながら、僅かに思慮をする。
──うまく支援してやれば、彼らが暴動を起こしてくれるのではないか。
思慮を深める彼を他所に、物乞いの何名かが懐から短剣を取り出し、群衆を掻き分けながら舞台に向けて駆け出した。
それを察知した護衛たちは老爺を連れて舞台を降り、数名が殿としてその場に残った。
武装した物乞い同士がぶつかり合った瞬間、非戦闘員たる物乞いたちは蜘蛛の子を散らすように広場から逃げていく。
その瞬間、アサシンは選択を迫られた。
まず第一の選択肢は、彼らを無視して逃げた老爺を追いかける。
今から追いかければ拠点に入る前に追い付ける可能性もあり、今現在の目的は彼だ。おそらくだが、これが最善の選択肢。
第二に、護衛の殿と戦闘する物乞いに加勢する。
負傷する危険性もあるし、何より老爺に追い付くことが出来なくなるだろう。拠点に潜り込み、尋問するのは少々骨が折れる。
だが、しかし──。
──目の前で抗う人々を捨て置いて、彼女に顔向け出来るのか?
その疑問が湧いた瞬間、彼の体は動き出す。
流れるように淀みなく、背に回していた弓を手に取り、矢をつがえて狙いをすませる。
弦を引き絞り、眼と矢、敵を一直線上に並べ、放つ。
放たれた矢は空気を切り裂き、物乞いを引き倒して頭をかち割らんと剣を振り上げた護衛の喉元を貫いた。
がぽがぽと血に溺れながら崩れ落ちると、物乞いが困惑しながらアサシンに目を向けた。
彼はその視線を無視し、再び矢をつがえて屋根の上の弓兵を狙いをつける。
物乞いを狙っていた弓兵は彼の狙いに気付くが、もう遅い。
気付く一瞬前に放たれた矢が
白眼を向いて屋根から落ちた弓兵を捨て置き、次なる矢をつがえようと矢筒に手を伸ばすが、視界の端の出来事に気付いて引っ込めた。
殿として残った最後の護衛が、物乞いたちの手により討たれたのだ。まともな訓練を受けていない男が、自分とほぼ同格の相手を複数人同時に相手など、出来るわけがないのだ。
アサシンは小さく息を吐きながら弓を背に回すと、物乞いのリーダー格と思われる男が警戒しながらも歩み寄ってくる。
「あんた、何者だ。この辺りの奴じゃあないが……」
髭と汚れが目立って顔立ちはよく分からないが、声からして若いのは確かだ。自分と同じ、少し上か?
アサシンは僅かに思慮しつつ、男に言う。
「ここの王に用がある。どこにいるか知っているか」
腰に下げた黒鷲の剣の柄を撫でながら言うと、男は品定めするように目を細めた。
──今の弓の腕からして、素人という事はない。
剣を下げていたり、腰には短筒を二本も下げていたりと、間違いなく物乞いではない。
目深く被る頭巾のせいで顔立ちはわからないが、口元の古傷と纏う雰囲気からして、堅気ではないだろう。
──なら、何者だ?
男性は眉を寄せて思慮するが、その答えにたどり着けない。
冒険者が貧民窟に来るなんて事はないだろうし、見たところ番兵という訳でもない。
ならば、一体何なんだと、どうやっても答えにたどり着くことはない。だからと言って聞いてみた所で、目の前の男が素直に教えてくれるとも限らない。
黙りこんだ男の姿にため息を漏らすと、アサシンは彼に背を向けた。
背中から来たところで、どうとでもなるからだ。
「お、おい、あんた!」
「俺は王に会いに行く。その為には、さっき逃げた奴を追う必要がある」
──来るなら、追いかけてこい。
アサシンは付け加えるように小さく漏らすと、路地裏の闇へと消えていった。
リーダー格の男はその背に手を伸ばすが、虚空を掴むに終わる。
男は自分の手を見つめながらため息を漏らすと、護衛から武器を剥ぎ取り、武装を整えた部下たちに視線を戻す。
王が来てから、ここは良くなったと言う者は多い。
だが、そうは思わない者も多いのだ。
王が来てから税と称した金品の徴収が行われ、それを払えなければ、腕か足を落とされ、目を焼かれる。
体のどこかが欠損していれば同情を買い、硬貨を落としてもらい易くなるからだ。
だが、そのせいで死んだ者や、心を壊してどこかに行った者がいるのだ。
それだけではない。王が来てからしばらくして、何やら薬が出回り始めた。
人から判断能力を奪い、狂わせ、唸るだけの廃人へと変える劇薬。
その税の徴収と薬のせいで、友を失った者も多い。
彼らはそんな者たちの集まりだった。やり場のない怒りを王にぶつけようとしているだけの、名前だけの反乱軍。
誰も動かないのなら自分たちがと集まり、先日どこかの密偵が拠点を襲撃したとの噂を聞き、やるなら今だと行動を起こした訳だが……。
「……あながち間違いでもなかったみたいだな」
男は腕を組みながら言うと、部下たちに目を向けた。
皆が皆、自分を頼りにしているかのように目を輝かせている。
彼は困ったように笑うと、すぐに表情を引き締めて部下たちに告げた。
「あの頭巾野郎を追うぞ!」
彼の号令に部下たちが応じ、アサシンを追いかけて闇の中へと消えていく。
この戦いに何の得があるのかはわからない。だが、彼らは死んでいった友のため、今を生きる友たちの『自由』のために剣を取った。
自由の為に剣を取った者たちをアサシンが裏切る事はない。
狙う敵が共通だというのなら、確実にだ。
「速く中に入って!ここは誰も通しません!」
「あ、あた、当たり前だ!何のためのごごご、護衛だと思っている!?」
護衛に急かされるまま、老爺は自身の拠点である家屋に転がり込む。
共に入った護衛数名が入り口に閂を入れ、外からは開かないように固定する。
老爺は荒れた息を落ち着かせようと、肩を揺らしながら精一杯に目を見開き、必死の形相となる。
「な、なん、何なのだ、あの連中は!?」
ぎょろりと剥かれた視線を護衛へと向けるが、彼らからの返答は表情を青くさせて沈黙するのみ。
随分と頼りない護衛に苛立ちつつ、老爺は自身の部屋へと足を進める。
幹部の拠点となる家屋には、一部屋だけ重厚な扉が設置されている。
そこは
老爺はその部屋に入り込み、内側から鍵をかける。
入り口はその一つだけ。鍵なければ外から開くことは出来ず、その鍵は自分の手の中だ。これで、入り込む事はまず不可能になる。
安心した老爺は避難所の壁に体を預けると、頭を抱えてへたり込んだ。
──どうしてこうなった……?
彼の脳内にあるのはそれだけだった。
かの誘拐作戦で、邪魔をする冒険者──しかも銀等級だ!──の一人を仕留めた。その実績を王直々に誉められ、念願の幹部となれたのに……。
──どうして、どうして……!
老爺は一人、闇の中で唸り声をあげる。
全てに怯える悲痛な叫びは、重工な扉に阻まれて誰にも届くことはない。
だがしかし、声は届くことはなくとも、その姿は見られていた。
彼が王に認められる一因となった出来事により、冒険者からアサシンへとなった一人の男。
彼のタカの眼をもってすれば、誰が、どこに隠れていようと、必ず見つける。
それを知らぬ老爺は気付いていない。彼は今、自分から袋小路に飛び込んだという事実を。
死神の鎌は、既に振り上げられているという事を。
老爺が逃げ込んだ屋敷を見下ろせる位置に、半ばから崩れた塔が鎮座していた。
災害か、或いは人の手によるものか、かつては見事な尖塔であったそれは、二階から上が完全になくなっている。
その崩れた尖塔から屋敷の周囲の様子を探るのは、タカの眼を使用し、老爺や護衛の痕跡を追てきたアサシンだ。
フードの下で目を細め、改めて警備を確認する。
正面玄関には二名。屋敷の中には三名。屋根の上には弓兵が二名。
先程の騒ぎがあったからか、全員警戒を強めている。下手に近付けば問答無用で攻撃してくるだろう。
数瞬悩んだ彼は背に回した弓を手に取り、矢をつがえた。
狙いは屋上の弓兵。彼らを潰せれば、少なくとも上から見られる事はなくなる。
息を吸いながら弦を限界まで引き絞ると、左瞳から怪しい金色の輝きが漏れ、同色の何かが矢へと込められていく。
それが限界まで溜まった瞬間、矢が放たれた。
狙う筈の弓兵からは大きく右に逸れるが、アサシンは慌てる事なく次の矢をつがえると渾身の力をもって弦を引き絞り、一息の間を開けて放つ。
後に放った矢は色のない流星となり、弓兵の一人の頭を撃ち抜く。
頭に矢を生やしながら、体を弓なりにしならせて崩れ落ちた弓兵に、もう一人の弓兵が気をとられた瞬間、彼の後頭部に矢が生えた。
後頭部を撃ち抜かれた弓兵は、何が起きたのかを理解する間のなく、膝から崩れ落ちる。
状況を理解しているのは、矢を放ったアサシンだけだ。
彼の友人たる妖精弓手は風を予測し、イチイの枝という非常に軽い矢をそれに乗せることで曲げて見せた。
だが、アサシンのそれは根本からして違う。
いつかに見た夢の中で、とある戦士が見せてくれた技──或いは武器──の一つ。
誰が呼び始めたのかは定かではないが、その技を扱える事から『捕食者の弓』と呼ばれていた。だが今回に限って言えば、『捕食者の一矢』と呼んだ方が適切だろう。
己の意のままに弓の軌道を変え、相手の急所に無理やり命中させる。
逃れられる術は射程外に逃れるか、何かを盾にして隠れるか、それを潜り抜けて放った本人を殺すかしかない。
今回はその三つのいずれも許されず、無防備なまま頭を撃ち抜かれた。言わずもがな、即死である。
屋上の弓兵二人を仕留めたアサシンは、弓を背に戻すと塔の外壁伝いに降り始める。
その勢いはもはや落下と大差ないが、時折壁に残された突起や、朽ちかけた柱に張り付くようにして、その速度と軌道を制御する。
彼の他に出来る者はいないであろう、下方向へのフリーラン。洗練された動きに無駄はなく、気付いた頃には石畳の上だ。
霞を払うようにローブの裾を払い、再び闇の中へと足を進める。
問題となりそうな弓兵は仕留めた。後は
道端に放置されている、家屋に使われる筈だった材木の上を乗り越え、時折すれ違う貧民窟の住民たちを掻き分け、ひたすら前へ。
そうして進むこと一分程、入り口を守る護衛二人の姿を視認した。
彼らの表情は随分と固いものだが、どうせ攻撃は来ないだろうという根拠のない油断があるのは確かだ。
故にアサシンは物陰に潜むのを止め、腰の投げナイフベルトに両の手をやりながら、正面から護衛の二人に近付いていく。
護衛の二人も彼に気付き、「おい、止まれ!」や「こっちには何もないぞ!」と叫ぶが、アサシンはそれを無視して手を振り上げた。
そこには投げナイフが一本ずつ握られて、月明かりを受けて不気味に輝いている。
護衛の二人はそれを察知したが、もう遅い。腕が振り下ろされると共に投げナイフが放たれ、寸分狂わず二人の喉元に突き刺さった。
がぼがぼと自分の血に溺れながら両膝をついた二人に近付き、突き刺さった投げナイフに手をやると、一息で振り抜く。
喉元を掻き切られた二人の首からは、噴水のように血が吹き出すが、アサシンは構うことなく二人の脇をすり抜ける。
投げナイフの血を懐から取り出した襤褸布で丁寧に拭い、再びナイフベルトに納めた。
彼が内側から閂のされた扉にたどり着くと共に二人は崩れ落ち、何度か痙攣を繰り返した後に、完全に動かなくなった。
背後から聞こえた倒れる音を気にも止めず、アサシンは黒鷲の剣を抜き放ち、タカの眼を発動して閂の位置を確かめる。
扉そのものは雑多の木材、閂はそれよりもいくらか硬い木材だろう。
扉を透けて金色に輝くそれを避けるように、アサシンは扉の端に黒鷲の剣を突き立てた。
狙うは閂よりも下。閂が硬いのであれば、扉を斬ってしまえば良い。
軽く柄頭を突いて貫通させ、木目に逆らうように真一文字に動かしていく。
人体に比べるなら数倍の硬さを誇る木材だが、黒い
苦戦するまでもなく扉を切り裂いたアサシンは黒鷲の剣を腰帯に戻し、軽く扉を蹴った。
真一文字に刻まれた傷を添うように扉の下半分のみが倒れ、体を丸めれば大人でも潜り込める程度の穴が開いた。
閂を傷つけることなく、しかし派手な音をたてることなく、アサシンは幹部の屋敷へと足を踏み入れる。
襲撃を警戒してか明かりは灯っておらず、中の様子はいまいちわかりずらいが、遠くからぎしぎしと木の軋む音が聞こえる。
屋内にも見張りがいるが、光源は少ない窓から差し込んでくる月明かりのみ。録な光源もなしの闇の中では、只人の三人程度、大した脅威にはならないだろう。
相手がアサシンとなれば、尚更だ。
アサシンはタカの眼を発動し、
二階がないのは有り難く、何よりそこまで広くはない。目的の人物がどこにいるのかもわかっている。
音を出さないように細心の注意を払い、タカの眼で見えるにしても罠を警戒しつつ、ゆっくりと奥へと進む。
途中、突き当たりで護衛の兵士と鉢合わせになりかけたが、タカの眼で察知していたお陰で、何の問題もなく
壁の影から勢い良く飛び出し、相手が狼狽えた隙にアサシンブレードを相手の心臓目掛けて刃を突き出す。
卓越した技量で骨の隙間を突いた一撃は、狙いとおり相手の心臓を貫いた。
突き刺した勢いのままに兵士を壁の影へと引きずり込み、絶命を確認をすると共にアサシンブレードを引き抜き、腰に下げていたりランタンの蝋燭の火を吹き消す。
屋内の警備は残り二名。その二人は確実に対処しておかなければならない。
その二人は一ヶ所に集まっている。おそらくだが、幹部が立て籠った部屋の警備をしているのだろう。
──好都合だ。
アサシンはフードの下で笑みを浮かべ、そこを目指して一直線に歩いていく。
壁に飾られた絵画──おそらく盗品だろう──や、通路の脇に放置された割れた瓶──おそらく酒が入っていたのだろう──などを横目に、更に奥へ。
窓から入り込む月明かりに自身の影が映らないように気をかけつつ、目的の二人が確認出来る壁の影に体を同化させる。
すぐに仕掛けようと投げナイフを構えるが、何やら会話している事に気付くと、投げナイフをベルトに仕舞いつつ耳を澄ませる。
「──この部屋、入り口ってここだけだよな?」
「もっと言うと鍵も一つだけだ。それも、今は部屋の中だがな」
「ここを守るのは良いが、他に入れそうな場所なんかあったか?」
「壁が薄いとか言われているが、そこらの剣で切れるほど柔じゃない」
「壁を抜くって、そこまでして部屋に入り込むヤツなんているか?」
「いないだろうなぁ」
「だよな?」
二人は苦笑混じりに会話を終えると、再び通路へと視線を戻した。
どうせ誰も来やしない。来たところで、さっきの暴動を起こした連中が突っ込んでくるだけだろう。
警備の二人は、そのどちらもがそう思っていた。王に楯突く人物なぞ、それこそ灰被りの女王ぐらいだ。
尤も、王は彼女を必ず口説き落とすと息巻いていたが。
「♪~」
「ん?」
弛んでいた意識が、突如として鳴った口笛によって引き戻される。
隣の同僚にも目を向けて彼も驚いている様子を確認し、幻聴でない事を悟る。
二人は目配せすると、一人が短剣を片手に先行し、もう一人がその後ろに続く。
腰に下げたランタンのみが頼みの綱というのは心許ないが、ないよりはましだ。松明なぞ使おうものなら、この屋敷が燃え落ちてしまう。
ぎしぎしと床板を軋ませながら、ゆっくりと距離を詰める。
額に脂汗を垂らしながら、後方の同僚との距離を離さないように慎重に、確実に、一歩を踏み出す。
たかが数メートルなのに、遥か彼方を目指している錯覚を覚えるが、音の漏れていた曲がり角にはすぐにたどり着いた。
息を整え、同僚と目配せして曲がり角を曲がろうとした瞬間、闇が襲いかかった。
凄まじい力で引き倒され、抵抗する間もなく喉を掻き切られる。
霞む視界、沈んでいく意識の中で見たのは、喉に投げナイフが刺さり、崩れ落ちる同僚の姿。
──ああ、おまえもか……。
自分も死ぬと言うのに、どこか他人事のように思った事が、男が死ぬ間際に思った最後の事だった。
「外と含めて五人。後は──」
そんな事知るよりもないアサシンは、今しがた殺害した二人をそのままに、幹部が隠れる部屋の扉へと歩み寄った。
他の扉と違い重厚なそれは、先程のように開けることは不可能だろう。
「──この中の奴をどうするか……」
顎に手をやって呟くと、見張りの二人が交わしていた会話の内容を思い出す。
──壁を抜くってそこまでして……。
見張りがそんな事を言っていた事をすぐさま思い出すと、アサシンは来た道を戻り、通路の途中にある部屋へと入る。
タカの眼で幹部の位置を確かめつつ、壁を撫でて小さく頷くと、矢筒からグレネード付きの矢を取り出す。
丁寧に矢からグレネード部分を取り外し、中に詰められた火の秘薬を部屋の隅へと撒く。
グレネード数個分の火の秘薬を撒き終えると、扉を開けたまま部屋の外へ出る。
──準備は終えた、後はやるだけだ。
アサシンは自分を落ち着かせるように深呼吸をすると、雑嚢から火打石を取り出し、次いで取り出した松明に火をつけた。
彼の周囲が優しげな橙色の明かりに照らされるが、彼はそれを躊躇う事なく放り投げ、すばやく扉を閉めて身を隠す。
放たれた松明は床に撒かれた火の秘薬の上へと落ち、そして──。
地を揺らす轟音が、屋敷とその周囲に響き渡った。
衝撃により適当に取り付けられていた扉が吹き飛び、中に押し込まれていた業火が通路へと吐き出される。
その原因を作ったアサシンにさえも、近くに稲妻が落ちたという錯覚を覚えるほどの衝撃が体の芯を殴り付けたが、物影に隠れていた彼が大きな
隠れていた物影から顔を覗かせ、所々に火のついた通路の様子に肩を竦める。
──やりすぎたか……?
鼻につく焦げ臭さに眉を寄せ、口元を布で覆い隠して物影から出る。
先程の疑問はどこへ行ったのか、ずかずかと無造作な足取りで松明を投げ込んだ部屋へと入った。
一言で言ってしまえば、室内は酷い状況だった。
爆心地たる壁際は床と天井含めて全てが吹き飛び、室内にあったものは全て隅へと変わっている。
もし室内に人がいたならと思うとゾッとするが、いないことはわかっている。用があるのは隣の部屋だ。
アサシンは壁に開いた穴を通り、目的の部屋へと足を踏み入れた。
そちらの部屋も酷いもので、倒れた棚の中身が床へとぶちまけられ、いくつかの書類には火がつき、棚へと燃え移り、天井、壁へと更に広がっている。
この屋敷が燃え落ちるのも、時間の問題だろう。
アサシンは倒れた棚を避け、部屋の隅に横たわる幹部である老爺を発見した。
倒れた棚に下半身を潰されてはいるがまだ息はあるようで、ぎょろりと剥かれた瞳でアサシンを睨んでいる。
アサシンは目を細めて老爺の目の前で片膝をつくと、淡々とした口調で問う。
「お前の主はどこにいる」
「お、教えたら、助けてくれるか?」
「──考えてやる」
怯えきった表情の老爺の問いかけに、アサシンは僅かに考える素振りを見せてから頷いた。
彼という一途の希望に頼る他ない老爺は、ポツポツと語り始める。
「わた、私の王は、こ、ここの下にある、ちちち、地下水路を根城にして、している。い、いいい、入り口は、捨てられた墓地にあ、ある、井戸だ」
「……それだけか?」
着々と火が燃え広がる中、アサシンは短く問いかけた。
言葉はそれだけだが、その表情は「もっと言わなければ殺す」と告げている。
彼の反応に顔を青ざめた老爺は、魚のように口をぱくぱくと開閉させるだけで、言葉を発する事はない。
アサシンは情けない老爺の姿にため息を漏らし、「一つ聞かせろ」と右手人差し指を立てた。
そして老爺の返事を待たずに質問をぶつけた。
「お前は最近幹部になったと聞いた。何故だ」
絶対零度の殺気を放つ蒼い瞳に睨まれた老爺は、下半身に湿り気を感じながら、それから逃れる為に必死になって口を動かす。
「こ、ここの前のささ、作戦で、ぼ、冒険者の一人を仕留めた。そ、その実績がみと、認められたんだ……!へ、へへ、そ、それは綺麗なぎ、銀色の髪をしたお、女だった」
老爺は死にたくない一心で言った事だろう。無様に鼻水を垂らし、唾を飛ばしながら、回り辛い舌を必死に回して説明した。
だが、その言葉で、彼の運命は決定する事になる。
アサシンは冷えきった視線で老爺を一瞥すると、何をするわけでもなく立ち上がった。
そのまま踵を返して立ち去ろうとした彼の足を、老爺の手が掴む。
掴まれた事で再び意識を老爺に向け、彼の必死な形相を視界に納める。
「お、教えたら、た、たた、助けてくれるのでは!?」
「俺は考えてやると言った。考えたぞ、ほんの一瞬だが」
アサシンは足を振って老爺の手を振り払うと、「それに」と付け加え、強い憎しみを隠す様子もなく告げた。
「恋人を刺した話を自慢げにされた。これだけでも殺すに値すると思うが」
「……ッ!ま、待て、待ってくれ!あ、あれは──」
「じゃあな、爺さん。あんたの眠りに、安らぎあらんことを」
彼の言葉を聞く事なく背を向けると、軽く手を挙げながら壁に開いた穴を通り、そのまま燃える屋敷から脱出する。
「い、嫌だ!死にたくない、死にたくない、死にたくない!」
一人残された老爺は棚を退かそうと暴れるが、元より非力で、更に隻腕の彼では、重い木材の棚を持ち上げるのは不可能だ。
炎の熱と、黒い煙に包まれた室内で生きていられる時間は、あと数分もないだろう。
どうにか抜け出そうと体を捩り、掴めそうな物を探して手を振り回してみるが、そんな物がないのは見ればわかる。
老爺の瞳から光が消えていく中で、複数の人影が燃える室内へと滑り込んできた。
「あの旦那、派手にやったみたいだな……」
一人は軍帽を被った若い男だ。煙を嫌ってか口元を布で覆い、軽口を叩いているが、そこ手には油断なく連弩が握られている。
彼に続いて入ってきたのは、小柄な少女だ。彼女も口元を布で覆っているが、目立つ長耳からして森人だろうか。
彼女は先に入った男と二三やり取りすると、まだ燃える事なく残っていた書類をかき集め始める。
老爺は少女が近付いてきた頃を見計らい、残った力を振り絞って「助けてくれ!」と声を張り上げる。
少女はびくりと体を跳ねさせると老爺に目を向けた。
彼女の視線と老爺のぎょろりとした視線が交錯したが、それも一瞬の事。少女はすぐさま意識を書類へと戻して収集を始める。
老爺が再び声をあげようとしたが、その頭に連弩の口が向けられた。
「爺さん、俺たちは仕事中なんだ、静かにしててくれ」
若い男の声でそう告げられ、老爺は素直に口を閉じた。
指示を聞いてやれば、もしかしたら助けてくれるかもしれないと思ったのだろう。
だが、その期待はすぐに裏切られる事となる。
一通りの書類を集め終えたのか、少女がぱんぱんに膨らんだ鞄を肩に下げながら戻ってくる。
「これで良し。引き上げよ」
「了解っと。火事場泥棒なんて、楽な仕事だな」
二人は頷きあうと、老爺には一瞥もくれずに屋敷を後にする。
老爺が知るよしもない事だが、今の二人は灰被りの女王の下で働く
つまり、彼とは敵対関係にある組織の一員。老爺を人質にしても良かったかもしれないが、物乞いの王はもうすぐ死ぬのだから助けないのは当然のこと。
加えて二人が頼まれたのは、アサシンが混乱をもたらしている隙に資料やその他の情報を確保すること。
言ってしまえば火事場泥棒なのだが、まさか本当に火事場から盗む事になるとは思わなかっただろう。
彼らの事を何一つ知る事もなく、理由もわからずに取り残された老爺は、ついに心折れたのか、壊れたように笑い始めた。
老爺の不気味な笑い声も、炎と煙に巻かれて消えていった。
『──幹部から情報を手に入れた。予定通り、これから物乞いの王を目指す』
『──女王様、いくつか書類を回収しました。私たちは撤収して、後続に任せます』
幾人かの
額の宝玉を輝かせる獣を撫でつつ、隣を歩く狐に言う。
「お前が推してくるだけはある。仕事が速いな」
「それはお前の部下にも言える事だ。このまま何事もなければ良いが」
狐は周囲を警戒しつつ、そう呟いた。
仕事は始まったばかり。本番はここからだ。
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期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー
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見たい!
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別にいいです……。