SLAYER'S CREED   作:EGO

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Memory08 物乞いの王

 都の地下に広がる下水道。

 蟻の巣のように広がるそれのほぼ中央に位置する場所に、物乞いの王が座する王室があった。

 部屋の片隅に設けられた上座と呼べるそこには玉座があり、腰かけるのは贅肉にまみれた、醜い男の姿。

 下水の酷い臭いにより機能を失った鼻と、一年を通して闇の中にいる故か、異様に夜目の利く黒い瞳。

 そんな男の脳内は、上機嫌と不機嫌が入り交じった独特の様相となっていた。

 上機嫌な理由としては、()()()()()()()を拐うという、過去に例のない大きな仕事が終わるからだ。

 これが終われば貴族とのこねが生まれ、相手方の弱味を握る事も出来る。更に言えば、自分が貴族の仲間入りが果たせるかもしれない。

 そう思えば、物乞いの王の機嫌は最高潮と言って良いほどに良いものだった。

 だが、彼は同時に不機嫌にもなっていた。

 その理由はいくつかあるのだが、まず第一としては拐ってきた少女に手を出してはならないと指示された事だ。

 理由は明かせないが、彼女には処女でいてもらわなければならないらしく、手を出せば諸とも殺すとも言われている。

 第二に、拐うために多大な犠牲を払った事だ。

 家出少女を拐うだけだというのに、両手の指では足りないほどの犠牲を払うことになってしまった。

 配下たちへの信用は皆無といって良いほどだが、人手はとても大事な物資だ。補充するのも簡単な事ではない。

 全くカリスマ性も迫力もない死に損ないの老人を、末端とはいえ幹部にしなければならない程に、多くの犠牲を払うことになってしまった。

 第三に、愛おしい灰被りの女王からのちょっかいが、急激に増え始めた事だ。

 数日前なら、僅かな小競り合い程度が頻発する程度だったが、最近になって大規模な戦闘が頻発するようになってしまった。

 今現在でさえも攻撃を受けているのだ。彼女を口説き落として勢力を拡大しようもしていたが、この際力で捩じ伏せ、自分が主であると、あの美しさの極みたる体と、誇り高い心に刻みこむしかないだろう。

 彼女とて女だ。手段を選ばなければ、屈服させることなど容易い。

 物乞いの王は醜い顔を更に醜く歪ませながら忍び笑うと、ふと視界の先にいる何者かの影に気付く。

 闇に慣れた彼だからこそ気付けた、今にも消えてしまいそうな人影。

 彼の前でたむろしている配下たちも気付いた様子はない。だが、確実に何か、否、誰かがいるのだ。

 物乞いの王は目を細め、ちらりと玉座の脇にへたり込んでいる少女に目を向けた。

 タイミングがタイミングだ。まず間違いなく、彼女を取り戻しに来た刺客だろう。

 貴族から渡された、相手の意識を混濁させる魔術の込められた首輪を付けさせ、それに繋がれた鎖は玉座に結び付けられている。

 鎖を切るのならまだしも、首輪を外すには鍵が必要だ。その鍵は依頼人たる貴族たちが持っているのだから、救出はまず不可能だ。

 そもそもをして、自分を殺せる訳がない。そんな事をすれば貧民窟には混沌が残るだけだ。

 物乞いの王がそう思慮した瞬間、弦楽器を弾いた時に似た音が鳴ったかと思えば、突然腹に違和感が生じた。

 

「……?」

 

 そっと首を下に向けて見ると、何かが腹に突き刺さっていた。

 長い棒のようなものが肉を貫き、その先には羽のようなものが付けられている。

 王はそれをどこか他人事のように眺めると、その何かの正体にようやく気付く。

 

 ──矢だ。

 

 闇の中より放たれた一条の矢が、王の腹に突き立てられたのだ。

 

「──ッ!??!」

 

 その事実に気付いた瞬間、傷は熱を持ち、王に危険を教え始める。

 突然の事態に一人パニックになった王は、けたたましい音と共に玉座から転がり落ちる。

 上座と下座を分ける段差に頭を打ち付け、額から出血しつつも意識を失うことはないのは、彼の無駄に高いプライドによるものか。

 その音を合図にして、慌てた様子の配下の一人が駆け寄り、抱き起こそうと手を伸ばすが、王は頭の痛みを無視してその手を掴み、自身の方へと引き寄せた。

 いきなり手を引かれた配下の男は態勢を崩し、体を床に叩きつけられるが、抗議する間もなく放たれた矢が突き刺さる。

 撃たれた男とは別の配下の男は相手の位置をある程度察したのか、そちらに向けて松明を放る。

 床を転がるように飛んでいったそれは、何者かの足元で止まり、弱々しい炎がその姿を照らし出した。

 纏うローブは黒一色で、裾の端に描かれた模様は何やら術的な意味が込められたであろう事は、素人目ですら明らかだ。

 纏う鎧も、腰に下げる剣も、手に持った弓でさえも漆黒に染まり、色を持つのは頭巾の奥に隠された瞳のみ。その瞳でさえも、右は全てを見下ろす夜空のように蒼く、左は輝く星のように金色に染まっている。

 世界広しと言えど、そんな瞳を持つ者なぞ二人といないだろう。

 だが、それはどうでも良いことだ。

 敵であれば殺し、味方であるのなら協力してやる。目の前にいるあいつは──!

 

「敵襲だ!」

 

 男は叫びながら肩に下げていた弓を取りだし、矢をつがえて一息に放つ。

 放たれた矢は寸分の狂いなく侵入者──アサシンの眉間に向けて突き進むが、彼の差し出した籠手に弾かれダメージとはならない。

 アサシンは甲高い金属音と共に弾かれた矢を空中で掴み、手早く弓につがえて放つ。

 放たれた矢は本来の持ち主の心臓を撃ち抜き、絶命させた。

 倒れる男に一瞥くれて、弓を背に戻すと共に腰に下げた黒鷲の剣を引き抜き、合わせるように兵士たちも腰に下げる剣を抜き放つ。

 鞘と刃が擦れる音は威嚇以外の意味を持たず、この場において威嚇とは、何の意味もないこけ脅しに他ならない。

 故にアサシンは走り出す。正面突破(最短距離)で詰め寄ると決めた時、覚悟は決まった。

 走りながら兵士の一人が放った矢を腰を捻り、鎧に掠めるほどの距離で避せ、更に駆ける。

 兵士の放った槍の突きを半身になって避け、黒鷲の剣で首を切りつけることで怯ませ、その隙を突く形で左肩に目掛け、上段からの振り下ろしを見舞う。

 鎧を着ているからとどこか安堵している兵士だが、その予想は鎧諸とも叩き斬られることとなる。

 鎧だけではない。その下に隠された骨も内臓すらも切り裂き、文字通り命を断ち切った。

 男が両膝をついた事を視界の端に納めながら、剣を大上段に構えて駆け寄ってきた兵士に向けて左手を差し出し、小指を動かした。

 瞬間、手首に仕込まれたアサシンブレードが飛び出し、男の胸を貫き、その痛みで一瞬体を強張らせ、剣を取りこぼした。

 剣が石畳に落ちる甲高い金属音を合図にアサシンブレードを引き抜き、今度こそと心臓を貫かんと腕を閃かせる。

 がぼっと口から血を噴き出した男からアサシンブレードを抜きながら視線を流し、短剣片手に挑んでくる男を睨み付けた。

 瞬間的に対策を弾き出した彼の脳は、すぐさま指令を体へと伝達させた。

 もはや反射と呼んで良い動きで黒鷲の剣から手を離し、男が持っていた槍をぶん取り、両手で構える。

 短剣と槍。どちらの間合いが上かなど、もはや聞くまでもない事だ。

 凪ぎ払われた槍で男の腹を裂きながら、その勢いに任せて体を反転。同時に槍を逆手に持ち変え、腹から臓物を溢れさせる男の眼窩に穂先を滑り込ませ、捻る。

 脳をかき混ぜられて生きていられる者などいない。こうしてしまえば、それで終いだ。

 アサシンは短く息を吐くと共に槍を手放し、条件反射のように体を仰け反らせる。

 その瞬間、彼の鼻先を戦鎚(メイス)の柄頭が通りすぎ、風圧でフードが取り払われた。

 だが、そんな事はどうでも良い。と思考の端で切り捨て、仰け反った勢いに任せて後転。追撃の振り下ろしも避ける。

 広がった視界に納まるのは、重厚な鎧と兜を被り、戦鎚を構える大男。砕けた石畳。複数の死体と、死体に突き刺さったままの黒鷲の剣だ。

 残る武器での倒し方を思慮するが、その間も与えんと言わんばかりに大男が詰め寄り、戦鎚を振り回す。

 振り下ろし、振り上げ、凪ぎ払い。見た目通りの膂力に任せたごり押しも良いところだが、アサシンからしてみればこれ程の脅威はない。

 反撃(カウンター)に繋げるための受け流し(ガード)も出来ず、下手に攻めようとすれば力で押し切られる。

 彼の先生なら避けた所を致命攻撃(バックスタブ)で決めるだろうが、相手は貫き難い重厚な鎧を纏っているから、アサシンブレードで急所を突くのは無理がある。

 ならば、やることは一つだ。

 避けながら算段を纏めたアサシンは振り下ろしを横に転がり避けると、片膝をついたまま背に回していた弓に手をかけて素早く構えるが──。

 

「ぬぅん!!」

 

 大男の凪ぎ払いが弓を捉え、手元から弾き飛ばす。

 一瞬飛んでいった弓に視線を向けた大男は、武器を失った敵を殺すことなど容易いと兜の下で笑みを浮かべた。

 だが、アサシンに視線を戻した瞬間、目を見開いて驚愕を露にすることとなった。

 武器を失った筈の男の手には、見慣れぬ長筒(ライフル)が握られているのだ。

 形状は短筒をそのまま長くしたような代物で、火打石は上がり、右手の指は引き金に掛かっている。

 長すぎる故か左手で銃身を支え、無理やり狙いを安定させているのか、僅かに震えているが、至近距離では何の意味もない事。

 大男は雄叫びを上げながら戦鎚を振り上げるが、その最期の雄叫びは響き渡った銃声に掻き消され、誰にも届く事はない。

 大砲の非ではない爆音と共に放たれた銃弾により、男の兜は砕け散り、頭は柘榴(ざくろ)のように弾け飛んだ。

 大男が仰向けに倒れた重い音を聞き流しつつ、アサシンは立ち上がった。

 弓を弾かれた時は焦ったが、意外とどうにかなるものだと思わず苦笑。

 ライフルのボルトを開くと、火の秘薬(かやく)鉄球(だんがん)を押し込み、ガシャリと音をたてながら閉じる。

 ライフルを背に戻し、弾かれた弓を回収。歪みがないかを一目で確かめると背に回し、兵士に突き刺さった矢と、相手の矢筒に入ったままの矢を纏めて剥ぎ取り、自身の矢筒へと押し込む。

 最後に黒鷲の剣を死体から引き抜き、一度空を切って血払いくれると、無意識に音をたてずに腰帯に戻す。

 同時に左手首のアサシンブレードを抜刀し、捕食者(タカ)を思わせる眼光を放ちつつ玉座へと足を進める。

 

「む……」

 

 だが、肝心の暗殺目標(ターゲット)である物乞いの王と、保護対象である少女がいないことに気付く。

 残されたのは床に残る血のこびりついた矢と、闇の奥へと点々と続いている血痕のみ。

 只人の冒険者なら見失うこと間違いなしだが、アサシンからしてみれば、万が一にもあり得ない事態だ。

 彼は問答無用でタカの眼を発動し、金色に輝く血痕と、鎖を引かれて連れ去られる少女の幻影を視覚し、取り払ったフードをそのままにその後を追いかける。

 相手の恐怖を煽るようにわざとコツコツと足音をたて、物乞いの王が通った道を一切逸れる事なく、確実に、ゆっくりと距離を詰めていく。

 数分程追いかけた頃だろうか、不意にアサシンは足を止め、闇を奥を睨み付けた。

 

「はぁ……はぁ……。ここまでだなぁ、無礼者が」

 

 聞き取るのも躊躇う程、醜い声が闇の奥からこぼれ落ちる。

 その声と共に現れたのは、額に脂汗を滲ませつつ、少女を盾にするように身構えた物乞いの王だ。

 磨きあげられた短剣の刃を少女の顎先に突き立て、染み一つない白い肌に血が滲む事も厭わずにいる姿を見たアサシンは、どこか既視感を覚えて眉を寄せた。

 

「この娘を助けに来たんだろう?良いか、動くな!」

 

 汚ならしく唾を撒き散らしながら、醜い顔を更に醜く歪め、物乞いの王はアサシンへと告げた。

 同時に、アサシンは先程の既視感の正体に気付く。

 いつかの小鬼(ゴブリン)退治の依頼の時だ。生き残った田舎者(ホブゴブリン)が、捕虜の女性を盾にしてきた事がある。

 

 ──ああ。なるほど、そういう事か。

 

 目の前の男は、ゴブリンと大差のない屑野郎だと言うことだ。ただ、それだけの事なのだ。

 アサシンは目を細め、腰帯に吊るした黒鷲の剣に手をかけるが──、

 

「おっと、武器を捨てろ。その墨を塗ったように黒い剣と弓、背中と腰の筒もだ」

 

 少女に突き立てた短剣に力を込めながら、物乞いの王は彼へと告げた。

 人質がいるのはあちら。武器も戦闘力もこちらが上だが、そのたった一つの事実のみでひっくり返してくる。

 面倒だなと思いつつ、人命第一と言い聞かせ、黒鷲の剣を腰帯ごと落とし、弓とライフルは留め具ごと、ピストルはホルスターごと床へと落とす。

 がちゃがちゃとけたたましい音が下水道に響き渡るが、そんな事に構うことなく、アサシンは少女へと目を向けた。

 虚ろな目は虚空のみを見つめ、短剣を突き付けられているというのみ抵抗する様子もない。

 彼女に付けられた首輪が抵抗する心を封じているのか、自我を閉じ込めているのか、あるいは自分で閉じ籠っているのか、どれなのかはアサシンには検討もつかない。

 故に彼は小さくため息を漏らし、左手の籠手へと手を伸ばすと、そこに取り付けられた部品を捻る。

 勝利を確信した故か、恍惚の表情を浮かべた物乞いの王は、醜く笑みながらアサシンへと告げた。

 

「頭を垂れ、許しを請え!私に服従するのだ!」

 

 下水道に響き渡る物乞いの王の叫びを、アサシンは一切聞く様子もなく口を動かした。

 

「────―」

 

「なんだ!許しを請うと言うのなら、頭を垂れよと言っておるのだ!」

 

 反響する物乞いの王の声に掻き消された彼の声は、肝心の男に聞こえる事はなかった。

 アサシンはわざとらしくため息を吐くと、反響が治まるまで待ち、再び口を動かす。

 

「悪しき欲望から、価値ある物が生まれる事はない」

 

「貴様、この状況でも私を虚仮(こけ)に──!」

 

 物乞いの王の怒号を切り裂くように、アサシンは左手をまっすぐ前へと伸ばし、右手を肘に当てて支える。

 同時に紡がれるは、はるか過去(ルネサンス期)より続く祈りの言葉。

 

「──眠れ、安らかに」

 

 瞬間、鋭い銃声が下水道を駆け抜けた。

 アサシンの籠手に仕込まれた極小の短筒(ピストル)が、火を噴いたのだ。

 遥か過去(アルタイル)より送られた、遥か未来の武器。

 物乞いの王がそんな事を知るよしもなく、放たれた銃弾に眉間を撃ち抜かれた。

 断末魔もなければ、懺悔の言葉もない。立ち尽くす少女をそのままに、その下らない野望と、他者から搾取し続けた命が終わった。

 魂の抜けた肉体は背中から倒れ、少女に突き付けられていた短剣が手から溢れ落ちる。

 倒れた拍子に頭蓋が割れたのか、体からは絶えず血が流れ、石畳の隙間を縫って広がっていく。

 強烈な反動を左手一本で受け流したアサシンは、下らないものを見るように物乞いの王の遺体に一瞥くれると、その場でへたり込んだ少女へと歩み寄る。

 

「お前を連れ出せば任務完了、か……」

 

 血に汚れる事も厭わず、彼女の正面に片膝をつき、虚ろな瞳を覗きこむ。

 真横で人が死に、その血が体を汚していると言うのに、何の反応も示さない。

 顎に手をやり僅かに思慮したアサシンは、タカの眼を通して首輪に目を向ける。

 金色に輝く少女の首に巻き付く、緑色の影。何かしらの術がかけられたであろうのは明らかだ。

 

 ──なら、どうする。

 

 鍵を見つけるか、術士を倒すか、あるいは──。

 

「面倒だな」

 

 片腕持っていかれても構わない。少女が死ぬのは困るが、彼女の死は取引失敗を意味する。そんな危険を冒すとは思えない。

 故にアサシンは、躊躇うことなく首輪に触れた。

 瞬間、小鬼暗殺者(ゴブリンアサシン)の時と同じような光が、彼と少女の姿を包む込んだ。

 

 

 

 

 

 見たこともない、どこかの廊下。

 上品な敷物が敷き詰められ、壁には何やら(いくさ)を描いたと思われる絵画。

 等間隔に続く円柱が支える天井には、見るも豪華なシャンデリア。

 いつもと違う様子の幻に困惑するアサシンだが、廊下の先の扉が開いた事を合図に、そちらに向けて歩き出す。

 幻だからか足音が鳴ることはなく、行く手からは何やら楽しげな女の子の声が聞こえてくる。

 その声に誘われるように扉を潜ると、そこにいたのは、こ洒落たドレスに身を包んだ、見覚えのある少女の姿。

 いや、見覚えのあると言うのは語弊がある。見覚えのある少女が、僅かばかり幼くなった姿と言うべきか。

 それはともかくとして、女の子は窓の外を眺めながら楽しげに鼻唄を歌っていた。

 だが、その表情はどこか悲しげで、どこか羨望にも似た色が混ざっているように見える。

 アサシンが僅かに息を吐くと視界が白一色染まり、元に戻る頃には少女は僅かばかり成長していた。

 だが、それ以外何も変わらない。まるで()()()()()()()にでも入れられているかのように、自由がない。

 何度場面が変わろうと、彼女が成長していくだけ。何もない、平和ではあるが、何もない毎日。

 それが数度続いた頃に、変化が起きた。

 彼女は相変わらず窓の外を眺めていたが、何かに気付いて窓を開け放ち、それを中へと招き入れた。

「キィ!」と鳴き少女を驚かせるそれは、アサシンとしては見慣れたもの。彼の相棒たる鷲だ。

 机に舞い降りた鷲に向け、少女は語り始める。

 最初は細やかな愚痴だったが、堰が切れたように願いを口にした。

 

『──私、家出(ぼうけん)するわ!』

 

 だが、たどり着いたのは彼女の覚悟を嘲るような、辺り一面黒一色の空間。

 居るだけで体が重くなる重圧を感じるその場所に、一人の少女が自分の体を抱きながら、声を殺して啜り泣いていた。

 手入れの行き届いた金色の髪はぼさぼさに乱れ、穢れを知らなかった瞳は濁り、大粒の涙を流していた。

 纏っていたドレスはどこにやったのか、襤褸布同然の服で体を隠している。

 アサシンは周囲を警戒しながらも、何もないかと肩を竦めて歩き出す。

 足元からぴちゃりぴちゃりと水場を歩くような音が鳴るのは、彼女が絶えず泣き続けたが故だろう。

 彼が歩く度に波紋が走り、黒一色だった世界を僅かに揺らす。

 揺れる世界をよそに、アサシンは少女の目の前で止まり、わざとらしく音をたてながら片膝をついた。

 そうしてようやく彼に気付いたのか、少女が泣き腫らした顔を上げた。

 怯えの色が濃く出ている瞳は、本来助けに来た筈であるアサシンにさえ向けられている。

 少女の視線とアサシンの視線がぶつかり合い、二人の間に沈黙が訪れた。

 一分か二分か、あるいは三十秒程度かもしれない。

 長くもなく、短くもない沈黙を破ったのは、珍しい事にアサシン方からだった。

 

「──それで、何か言うことがあるのなら聞くが」

 

「………」

 

 アサシンの言葉に、少女は視線を逸らすのみで言葉を発する事はない。

 彼女の反応に困ったように肩を竦めると、彼はどこか子供に言いつけるような口調で続けた。

 

「口に出さなければ何も伝わらんぞ」

 

「…………私は」

 

 彼の言葉が響いたのか、あるいは根負けしたのか、ようやく少女が口を開いた。

 その声は酷く弱々しいもので、心体共に疲弊している事がわかる。

 

「私は、ただ、外の世界を見てみたかった……」

 

「それは誰でも思うことだ」

 

「いっつもいっつも部屋に居て、全然外に出られないなんて……」

 

「辛いだろうな」

 

 彼女の言葉を否定することなく、肯定することで彼女の口を動かしていく。

 まず相手の言葉に耳を傾けろとは、誰から教わった事だったろうか。

 自問するアサシンを他所に、少女は言葉を震わせながら、彼の胸ぐらに掴みかかった。

 

「当たり前じゃない……!私だって、お兄様みたいに冒険してみたかった……っ!」

 

 徐々に感情的になっていく少女の手を振り払う事なく、アサシンの反応は頷くのみ。

 聞いてやる事こそが、自分の役割と判断したのだろう。でなければ、間違いなくぶん殴ってでも振り払っている。

 彼の対応をどう思ったのかは定かではないが、少女はアサシンの胸ぐらを掴んでいた手を力なく手を離す。

 

「でも、私、色んな人に迷惑かけて、私のせいであんなに人が死んで、私、どうすれば良いのよ……?」

 

 顔を俯け、落涙しながら言う少女。

 そんな少女を見下ろすアサシンは「やることは一つだろう」と、何て事のないように言う。

「え?」と顔を上げた少女の視界に飛び込んできたのは、左手首の仕込み刀(アサシンブレード)を抜刀したアサシンの姿。

 いきなりの事に困惑して固まる少女に向け、アサシンは告げる。

 

「人間は、生きている限り間違うものだ。俺自身、何度間違えたのかすらわからん」

 

 視線を下げながら呟かれた彼の言葉は、深い後悔の色が込められている。

 

「もしもあの時こうすれば、こうしておけば。あの時──一緒に居てやれば。いくら後悔した所で、過去には戻れない」

 

 だからと続けて、彼は精一杯に笑って見せた。

 昔の自分ならきっと出来なかったであろう、柔らかな笑み。笑い方を教えてくれた彼女はいまだに眠っているけれど──。

 

「何もかも受け入れて、次の一歩を踏み出すしかない」

 

 眠る彼女の為に、自分は一歩を踏み出した(アサシンとなった)

 眠る彼女に誇れるように、あの物乞いたちを助けた。

 眠る彼女の下に帰るために、今日一日戦ってきた。

 いいや、彼女だけではない。母が死んだあの日から、彼は一歩を踏み出し、進み続けたのだ。

 だからこそ、彼は問いかける。

 

「お前はどうする。そのまま過去から逃げ続けるのか、あるいは受け入れるのか」

 

 捕食者(タカ)の眼光でもって威圧しながら、アサシンは問うた。

 少女がどう答えようと、それは彼女が選んだ事だ。

 そして、迷うと言うのなら、その背を押してやるまでのこと。

 少女は頬を伝う涙をそのままに、不思議と聞き入っていた少女は、ある意味で彼の予想通りに狼狽えながら問い返す。

 

「う、受け入れるって、どうやって……?」

 

「それは、まあ、色々と手はあるが──」

 

 アサシンはそう言うと、抜刀したままのアサシンブレードに目を向けた。

 

「──一回、死んでみるか」

 

「……はぁ!??!」

 

 突然の物言いに驚愕の声を漏らすが、アサシンは気にせず続ける。

 

夢の中(ここ)で死んだ所で、実際に死ぬわけでもないだろう。良い機会だ」

 

「いや、だからって……。って、夢の中?え?」

 

 先程の言葉が発破になったのか、だいぶ調子を戻し始めた彼女を他所に、アサシンは真剣な面持ちで告げる。

 

「過去を背負うというのなら、覚悟を示して見せろ。高所から突き落とされるの(強制イーグルダイブ)と、どちらがいい」

 

「どっちも嫌という選択肢は……?」

 

「今までと変わらず、現実から目を逸らしたいのならそうしろ。止めはしない」

 

 ──どんな時であろうと、進む道を決めるのはお前だ。

 

 アサシンはそう付け加えると、アサシンブレードの刃を少女に向けた。

 

「決めるのはお前だ。どうする」

 

 彼の短い問いかけに、少女はアサシンブレードを睨むように見つめながら、ゴクリと喉を鳴らした。

 今まで人の生死とは縁遠い場所にいた少女が、いきなり殺されようとしているのだ。迷いはするし、恐れもする。

 何かを間違えれば、自分はおろか、目の前の男さえ死に到らしめる事だろう。

 冒険者だった兄は、何年もの間、こんな重い選択をし続けていたのかと、ここまで来てようやく気付く。

 そう思えば、自分が冒険者となる事に反対する筈だし、少々過保護になったとしても仕方ない事。

 

『何もかも受け入れて、次の一歩を踏み出すしかない』

 

 思慮し続ける彼女の脳裏に過るのは、兄の言葉ではなく、アサシンが先程投げ掛けた言葉だった。

 彼は言った、決めるのはお前だと。

 よく人は神々の骰子(さいころ)の出目次第と言うけれど──。

 

「決めるのは、私……」

 

「ああ。お前がどうしようと、俺は口出ししない」

 

 少女が覚悟を決めるように発した呟きに、アサシンはどこか嬉しそうに笑みながら頷いた。

 少女は一度深呼吸をすると、その瞳に光を取り戻しながら、アサシンの左手を取ると、アサシンブレードの切っ先を自分の手で、自分の心臓へと向けた。

 振り払う事も出来るだろうに、アサシンはされるがままに左手を差し出し、少女に告げた。

 

「もう少し下だ。その位置は骨に弾かれる」

 

 少女はびくりと反応しながらも、アサシンブレードの切っ先を下へとずらす。

 アサシンが「そこだ」と呟くと共に止め、そっと彼の顔を覗き込んだ。

 不安と恐怖が入り交じっているが、どこか信頼の色の込められた視線。

 

「最悪外しても、責任は持つ」

 

 アサシンが言うと少女は確かに頷き、彼の手を取る自身の手に力を入れる。

 少女がまさに刺そうと覚悟を決めたと共に、アサシンは餞別を送るように言う。

 

「次の目覚めが、有意なものになることを願う。それまでは、安らかに眠れ」

 

「──っ!」

 

 彼が言った瞬間、少女は自分の心臓を刺し貫いた。

 同時に彼女の体から光が溢れ、周囲を照らし始めた。

 光に包まれながらも、少女の全身から力が抜けていき、意識が暗闇へと沈んでいく。

 口に感じる鉄の味と、冷たくなっていく自分の体。

 少女は目前まで迫る死を感じながらも、倒れる自分の体を支えるアサシンの姿を、朧気ながらに感じ取る。

 もう言葉を発する気力もないが、最後の力を振り絞って口を動かす。

 そこから音がでる事はないけれど。抱き止められているから、口が動いていることすら気付いてはくれないだろうけど。

 せめて、この言葉を伝えたい。

 

 ──ありがとう。

 

 

 

 

 

「──はっ……はっ……!……っ!」

 

 長い時間息を止めていたかのような錯覚を覚えながら、アサシンの意識は下水道に戻ってきていた。

 体が酸素を求めて口を開閉させ、無理矢理にでも呼吸を繰り返す。

 肩を揺らして荒れた息を整えながら、倒れる少女に目をやった。

 見たところ怪我はなく、身長の割に豊かな胸が上下しているから、呼吸もしているようだ。

 アサシンはホッと息を吐くと、ふと違和感を感じて閉じていた左手を顔の前に持ち上げ、ゆっくりと開く。

 

「……またこれか」

 

 そして握っていた物の正体に気付き、肩を竦めた。

 握られていたのは、いつかの小鬼暗殺者が持っていた『謎の三角形』。都合三つ目の入手だ。

 まあ、それは良いと懐に仕舞い、落とした装備を回収すると、少女の体を抱き上げた。所謂お姫様抱っこの形でた。

 僅かな力で持ち上げられる軽い体とは対象的に、内に秘める覚悟は、アサシンに負けるとも劣らぬもの。

 それに肉体がついていかなくとも良い、技術がついていかなくとも良い。まず覚悟を持つこと。それが大切だ。

 

「……む」

 

 少女を抱き上げた際、彼女の首にかけられていた首輪が消えている事に気付く。

 少女の首輪が消え、自身の手には件の三角形。

 アサシンは少女を抱き上げたまま首を捻って思慮するが、今は彼女の安全と優先せねばと歩き出す。

 幸いな事に、道中の敵は全て倒してある。上から戻ってきていた場合はわからないが、それをどうにかするのは、彼の仕事だ。

 

 

 

 

 

 都の片隅に鎮座する、尖塔の頂き。

 誰もいないように思えるそこには、黒いローブを纏った何者かが、仁王立っていた。

 フードに隠された金色の双眸を双子の月へと向け、口元には挑発的な笑み。

 

「欠片は三つ。残る一つは──」

 

 彼はそう言いながら、ローブの内側に隠された金色に輝く剣を、薬指の欠けた左手で撫でた。

 持ち主の期待に答えるように、剣の刃には幾何学的な紋様が浮かび上がり、すぐに消える。

 

「すぐに手に入れて貰おう。我が主の悲願──エデン再興の為に」

 

 彼はどこかに向けて言うと、山の輪郭が白く染まり、陽が顔を出し始めた事を横目で見つつ、短く息を吐き出す。

 

「その為にも──」

 

 彼はタカの眼を発動し、視線の先に映る一団に目を向けた。

 逞しい馬に引かれる馬車と、それを囲む護衛と思しき者たち。

 

「邪魔者には消えて貰おう」

 

 宣言すると共に、彼は尖塔の頂きより身を投げた(イーグルダイブ)

 落下の風圧に押され、黒いローブが吹き飛んでいくと共に、干し草の山へと身を沈める。

 そこから飛び出してきた男の姿は、ある者は懐かしさを覚え、ある者は恐怖を覚えるだろう。

 纏うローブは汚れのない純白であり、腰には血のように赤い布が巻かれ、左腕には三枚の板金が取り付けられた籠手が填められている。

 被るフードには嘴を模した飾りが取り付けられ、それに隠された眼光は捕食者(タカ)のそれだ。

 彼は肩を鳴らすと走り出す。

 障害物などないかのように、するりするりと避けて進んでいく。

 途中で昇降機で建物の屋根へと昇り、更に駆ける。

 そして屋根が途切れた瞬間、加速の勢いのままに身を投げ、下にいた魔術師(・・・)空中からの奇襲(エアアサシン)によって仕留めた。

 相手の中で一番強い者を、真っ先に潰す。これは基本中の基本だ。

 その理論の下、魔術師を潰した彼は、金色の剣を抜き放ちながら言う。

 

「貴様らの仕事は終わった。故に告げる言葉はこれだけだ」

 

 一行の中でも最高戦力であった魔術師が、真っ先に殺られた事に色めき立つ兵士たちに向けた言葉。

 彼は一行が落ち着きを取り戻す前に、剣の切っ先を彼らへと向けた。

 

「安らかに眠れ。痛みもなく、永遠に」

 

 ──瞬間、雷光が迸り、彼らを呑み込んでいった。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。

期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー

  • 見たい!
  • 別にいいです……。

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