SLAYER'S CREED   作:EGO

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Memory09 物語(シナリオ)は終わらない

「ん、んぅ~?」

 

 聞き慣れぬ喧騒により、少女は目を覚ます。

 ソファーか何かに寝かされているのか、背中には柔らかな感覚があり、頭の下にはクッションがあるのか更に柔らかい。

 いまだに寝ようとしているのか、鉛のように重い瞼を無理やり持ち上げ、霞む視界の中で天井の染みを眺める。

 視界の端に映るシャンデリアは、庶民が少し背伸びすれば買える雑多なものだが、手入れが行き届いているのか、蝋燭の光を優しく反射し、室内を照らしている。

 その明かりをぼぅと眺め、視界が鮮明となってきたら視界を巡らせた。

 広い室内──酒場だろうか?──に複数個置かれた卓には皿に乗った料理や飲み物の入った杯が並び、どことなく宴会を開いているのはわかる。

 彼らの表情、声は貴族のそれよりも生き生きとしていて、とても楽しげではある。

 一つだけ問題があるとすれば、卓を囲む人物たちが皆、怪しげな衣装を纏っている事だろうか。

 只人、森人、鉱人、蜥蜴人、圃人、闇人。

 革鎧、板金鎧、ただの衣服を改造したもの、神官服、ただの襤褸布同然の服。

 種族、衣装こそ違えど、彼らの中にはどこか強い繋がりのようなものを感じる。

 だが、その雰囲気は街ですれ違った冒険者たちとも、城を警備する騎士たちとも違う。彼らよりも、どこか後ろ暗いもののように思える。

 尤も、彼女が思ったのはそこまでだ。彼らが影に走る者(ランナー)たちであることも、自らの救出に一枚噛んでいることも知るよしもない。

 数度瞬きを繰り返すと体を起こそうとソファーに手をつき、一息に体を押し上げる。

 視界が高くなり、寝かされていたソファーは、酒場の片隅にあることと、カウンター席に座る平服姿の男の存在に気付く。

 黒い髪を後頭部で一纏めにし、僅かに頭を動かす度に、それこそ犬の尻尾のように揺れている。

 見覚えのある背中だが、その背には長筒も弓も矢筒もなく、黒一色の外套も、表情を隠す頭巾もない。

 だが、腰に下げる黒い剣からして、彼であることは間違いないだろう。

 その彼は、店主と思わせる頭巾を被った男性と何やら話しているのか、カウンターに置かれた料理には一切手をつけず、店主の表情はどこか笑いを堪えているように見える。

 

「──あいつが怒ってたぞ?『よくも可愛いこの子を気絶させたな!』だとさ」

 

「下水道だからな、臭いに潰されたんだろう。それよりも、ローブの臭いは落ちそうか」

 

「まあ、大丈夫だろう。今、持ってきてやるから──」

 

 店主はそう言うと、不意に自分の方を手で示した。

 それに合わせて彼は首を巡らせ、彼女の方へと視線を向けた。

 蒼と金の双眸が彼女を射抜き、思わず体を強張らせたが、当の彼は柔らかな笑みを浮かべてカウンター席から離れる。

 コツコツと音をたてながら自分へと歩み寄り、視線を合わせるように膝を折った。

 

「ようやく目が覚めたか、お姫様」

 

「え?ああ、うん……」

 

 少女は怖いほどの笑みを浮かべる彼の姿に困惑しながらも頷いた。

 彼は彼女の様子を気にする様子を見せず、淡々と告げる。

 

「ここは街の酒場だ。あのカウンターにいるのが店主。客はお前の救出に力を貸してくれた奴らと、その裏で色々と暗躍していた奴ら」

 

 最後の一つだけ忌々しげな声音だったのは、恐らく気のせいではない。彼も知らなかったのだろう。

 

「暗躍とは失礼だな。王が死んだのだから、空いた席に女王がつくのは決まっているだろう?」

 

 そんな彼の背中に、聞き慣れぬ女性の声がぶつけられた。

 少女は体を傾け、その女性へと目を向ける。

 黒に近い褐色の肌に、只人のそれに比べて長い耳からして、間違いなく闇人。

 女闇人は透ける程に美しい銀色の髪を払い、どこか得意気な顔をして彼へと目を向けた。

 彼は僅かに髭の生えた顎を撫で、大きめのため息を一つ。

 

「あの野郎の事はどうでもいい。お前が代わりになるというのなら、おそらく大丈夫だろう」

 

 それなりに彼女の事を信用しているのか、早口にそう告げるが、「だが」と付け加えて料理の並んだ卓の方へと目を向けた。

 

「あいつらが納得したのか?」

 

 そう言いながら彼が示したのは、影を走る者たちに混ざって宴会を楽しんでいる物乞いたちだ。

 彼らは元物乞いの王の圧政を崩さんと立ち上がった。文字通り命懸けでそれをなし得たというのに、一日を待たずに次の王が決まるというのは──。

 

「ああ、気にしないでくれ」

 

 批判的な視線を向ける彼に対して、女闇人はあっけらかんとしながら笑みを浮かべた。

 男のみならず、同性であってさえも魅了する笑みではあるが、彼は一切魅入られた様子を見せない。

 そんな彼の様子に「やれやれ」と諦めたように首を振ると、女闇人は困り顔の少女へと視線を向けた。

 

「ああ、申し訳ない。自己紹介がまだだったな」

 

 女闇人は苦笑混じりにそう言うと、優雅に一礼して見せた。

 慣れている貴族でさえも、ここまで美しい礼は出来ないだろう。

 冒険の経験はなくとも、貴族間の宴会には慣れている少女ですらそう思ったのだから、相当なものだ。

 女闇人は顔を上げ、母親のような慈しみの溢れる笑みを浮かべて少女に名乗った。

 

「──私は灰被りの女王(クイーン・オブ・アッシュ)。キミの人生において、関わることのない筈だった、しがない闇人さ」

 

 女闇人改め、灰被りの女王の名乗りに、少女は心底不思議そうに首を傾げた。

 関わることのない筈だった──とは、どういう事なのか。

 まあ、確かに。自分が城を抜け出さなければ出会う事もなかっただろうから、その事を言っているのだろう。

 困惑する少女を気づかってか、彼がため息混じりに言う。

 

「……無駄な情報を言うな。余計にややこしくなる」

 

「そう言うな、少年。事実を告げているだけだ」

 

 彼の指摘をそう言って受け流すと、彼女は少女に向けて言う。

 

「とりあえず、城まで送ろう。あいつが話をつけてくれているだろうさ」

 

「あいつ?」

 

 再び首を傾げる少女に、彼は再びため息を吐く。

 

「こっちの話だ、気にするな」

 

 ひらひらと手を振りながら言うと、彼は立ち上がり、踵を返してカウンターの方へと歩き出す。

 同時に店の奥から荷物を抱えて戻ってきた店主が、それらをカウンターの上に置き、彼はそれから真っ先に外套(ローブ)を手に取ると、慣れた様子でそれを纏う。

 次いで鎧、脚甲、鎧と身につけ、弓と長筒、矢筒を背中に背負う。

 そうして彼はいつもの格好となり、深呼吸をしながら目を細めた。

 文字通りの仕事モードとなった彼に向け、店主はふとした疑問を問いかける。

 

「それで、この仕事が終わったらどうする」

 

「──」

 

 されて当然の疑問に、彼は思わず間の抜けた面持ちとなった。

 アサシンとなったとはいえ、()()()()職業は冒険者だ。それも在野最高の銀等級。

 そして、冒険者たる彼の隣には、必ず彼女の姿がある。

 故に彼の返答は無言の苦笑。仕事上ではなく、個人的な関係をも知る店主に対して、別に言う必要もないだろうと判断したのだ。

 実際に店主は「愚問だったな」と笑い、彼に「当たり前だ」と返される。

 五年かけて作り上げた信頼関係

 少女が二人の仲睦まじい様子を眺めていると、不意に灰被りの女王が声をかけた。

 

「さて、キミにも着替えてもらおう。寝間着で城に行くわけにはいかないだろう?」

 

「それはそうだけど、肝心の服はどうするのよ?」

 

「安心してくれ。ちゃんと新品を用意した」

 

 少女の疑問に対して灰被りの女王は得意気に笑い、彼女の手を引いて立ち上がらせる。

 

「生憎と空部屋がないそうでね。そっちの従業員用の部屋を貸してくれたよ」

 

 言いながら彼女は歩き出し、少女は引かれるがままその後に続く。

 

「ちょ、ちょっと待って!色々と聞きたい事が──」

 

「世の中には、聞かない方が良いこともあるぞ?」

 

 勢いのままに質問をぶつけようとした少女の声を、どこか冷徹な印象を受ける灰被りの女王の声が遮った。

 思わず口を閉じた少女に向けて、彼女は女王の異名に恥じない迫力を持って告げる。

 

「少しでもこちら側に足を突っ込めば、そのまま引きずり込まれるだけだ。だから、あまり聞いてくれるな」

 

 有無を言わせぬ圧力の中に、どこか悲哀の色の込められた言葉。

 彼女の気遣いとも違う警告に少女は無言で頷き、了承の意を示す。

 今回の事件(シナリオ)で、一体いくつの命が消えた。

 敵も味方も、無関係な市民まで、どれほどの犠牲が出た。

 それは決して一つや二つで終わるものではなく、両手の指の数でも数えきれないだろう。

 そこまでの被害を出してまで、自分を助け出してくれた。

 まあ、一度死んだ気もするがそれはそれだ。こうして生きているのだから良いではないか。

 顔色僅かに俯けて思慮していた少女に向け、灰被りの女王はドアを開きながら言う。

 

「キミにはキミの役目(ロール)があるだろう?とりあえず、今はそれに殉ずることだ」

 

 彼女はそう言うと少女を部屋に入れ、「では、終わったら言ってくれ」と告げてドアを閉めた。

 広い部屋にポツリと残された少女は、机の上に丁寧に畳まれた衣装に目を向ける。

 よく着るドレスとは程遠いが、動きやすさを重点においたのは、何となくわかる。

 染み一つないワイシャツに、深緑色のベスト。ズボンもチョッキと同色で、硬い革製のロングブーツは、冒険にも耐え得るもの。

 これを着て裏口から抜け出せば、格好だけなら冒険者と名乗っても違和感はないだろう。

 だが、ここで逃げてしまえば、死んでいった人たちが報われない。次は真っ正面から堂々と逃げると決めている。

 少女はそんな決意を抱きながら寝間着を脱ぎ捨て、用意されていた衣装に袖を通す。

 どうやって採寸したのか、少し怖いほどにぴったりだ。

 やったとすればあの闇人か、あるいは──。

 

「嫌々、それはないか」

 

 脳裏に過った彼の姿を頭を振って振り払い、両頬を叩いて気合いを入れる。

 最後に姿見の前で乱れがないかを確認し、「良し!」と頷いてドアをノックする。

 すると一秒経たずにドアが開き、そこで律儀に待っていたのか、灰被りの女王と目が合う。

 彼女は少女の姿を頭の上から爪先まで見ると、にこりと満足げに頷いた。

 

「うん、それなら大丈夫だな」

 

 彼女はそう言うと、振り向きながら手を振った。

 誰かにむけた合図だろうが、その誰かに関しては察しがついている。

 少女の予想が正しければ、こちらに向かっているのは黒髪の男性。自分を二度も投げ飛ばし、嫁入り前の少女の裸を見やがった彼だ。

 

「用意は」

 

 予想通り、灰被りの女王の背後から漏れ出た声は彼のものだ。

 

「出来てるさ。後は彼女の決意次第だ」

 

 彼女はそう言い残すと、彼の脇を抜けて店内へと戻っていった。

 取り残された二人の間に僅かな沈黙を享受すると、少女はホッと息を吐いて彼へと言う。

 

「これから帰るわ。護衛をしてくれない?」

 

「逃げない事と騒ぎを起こさない事。依頼するというなら、報酬を払って貰う事が条件だが」

 

 彼は指を三本立てながら言うと、少女は得意気に笑みながら胸を張る。

 

「冒険者への礼儀は、最低限弁えているわ」

 

「装備を盗んだ奴の台詞とは思えないな」

 

 少女の言葉に、問答無用のツッコミが入る。

 数日前の事をいまだに根に持っている事に困り顔になりつつも、少女は小さくため息を漏らした。

 

「依頼って形で良いけど、報酬はどうするのよ?」

 

「後で滞在先を教える。そこに運ばせてくれ」

 

 少女の疑問に淀みなく答えた彼は、傷痕の残る口元に笑みを浮かべた。

 

「それなりの額は貰う。しばらくは小遣いがなくなると思え」

 

「わかってるわよ」

 

 少女は当然と言うように頷き、「どうせ使うことないし……」と小声で呟いた。

 彼は聞き流すように腕を組んで肩を竦め、彼女を先導するように裏口を目指して歩き出す。

 ふと、少女はその背中に向かって問いかける。

 

「貴方は冒険者なのよね?」

 

「そうだな」

 

「異名とかないの?その方が報酬も渡しやすいし」

 

 少女の質問に、彼はドアノブに伸ばしていた手を止めた。

 数瞬迷うように固まると、彼女にも聞こえる程のため息を吐き出した。

 そして迷いを振り払うように踵を返し、少女に視線を向けながら言う。

 

「俺は『ならず者殺し(ローグハンター)』。いつの間にかそう呼ばれるようになった、しがない冒険者だ」

 

 彼が苦笑混じりにそう言うと、少女は思わず体を固めた。

 ならず者殺し、ローグハンター。噂に名高い辺境勇士、小鬼殺しと並んで語られるあの英雄が、まさか目の前の人物なのか。

 思考の海に沈みかける少女を放っておき、ローグハンターはドアを開く。

 既に陽が昇ってしばらく経つのか、差し込む光はそれなりに強い。

 彼は思わず腕で目を庇って目を細めるが、慣れた頃を見計らって腕を降ろす。

 

「さて、行くぞ」

 

「え?あ、わかったわ!」

 

 彼の言葉にハッとしながら、少女は陽光を背にする彼の方へと歩き出す。

 今度こそ帰ろう。退屈ではあるが、家族が待っている、あの城へと──。

 

 

 

 

 

 昨夜働き通した仕掛け人(ランナー)たちが集う眠る狐亭のカウンター席に、灰被りの女王は腰をかけた。

 今頃少女は出発し、彼を護衛として侍らせている事だろう。

 

 ──羨ましくはない。うん、羨ましくなんかないとも。

 

 何となく不貞腐れた様子の灰被りの女王に、店主は黙って葡萄酒を出す。

 彼女がやけ酒でも飲むかのように一口でそれをあおると、店主は冷たい瞳でもって彼女に言う。

 

「妙だな」

 

「──ああ、妙だ。証拠を手に入れたが、肝心の取引相手はどこに行った」

 

 酒を飲んだからか、頬を赤くした灰被りの女王は、しかししっかりとした口調でもって返した。

 彼女の部下たちが混乱の中でかき集めた書類の数々と、王の死を知って降伏してきた幹部連中からの情報。

 それらを頼りに取引相手である貴族たちを探したのだが、結局見つけることは出来なかった。

 屋敷に忍び込んでまで探したというのに、見つかったのは使用人、妻ないし夫、子供のみ。肝心の本人が見つからない。

 今現在も捜索してはいるものの、おそらく結果は変わらない。既に都を出たのだろうか。

 

「とにかく、しばらくは捜索を続ける。他所(よそ)ならず者の集まり(ローグギルド)にも聞いてみよう」

 

「そうだな。俺も常連の情報通に聞いてみるさ」

 

 彼女の提案に店主はそう進言すると、やれやれと首を横に振る。

 

「冒険の種が有りすぎるとは言うが、アサシン(こっち)の仕事まで増やさないでもらいたいね」

 

「それは天上の神様の仕事だろう?それとも、今回の一件で目をつけられたかね?」

 

 灰被りの女王は肩を竦め、一杯に注がれた葡萄酒を覗き込んだ。

 水面に映る自分の顔はいつも通りだが、不機嫌そうだ。

 理由は、いくつか心当たりがある。

 仕事が中途半端に終わったからか。

 それもある。それもあるのだが──。

 

「彼を侍らせて都を観光か……」

 

「だから諦めろ。あいつは惚れた女の為に裏切り者(アサシン)にまでなれる男だ。振り向かせるのは、まあ無理だろう」

 

 どこぞの大司教も狙っているそうだが──。と付け加え、店主も葡萄酒をあおる。

 灰被りの女王は再び葡萄酒をあおり、酒臭いため息を吐き出した。

 

「むぅ……。どうにかならないものか」

 

「相手が悪すぎるな」

 

 彼女の愚痴にも似た呟きに、店主は次の葡萄酒を出すことで答える。

 どうせしばらく彼は戻ってこないのだ。今のうちに力を抜けるだけ抜いておいた方が良いだろう。

 まあ、戻ってこなかったとしても──。

 

「原石は見つかった。後は磨いてやるだけだ」

 

 店主は不敵に笑みながら、アサシンの協力者となった物乞いたちに目を向けた。

 自由を求め剣を取り、一度死線を潜り抜けた。素質は十分。後は覚悟があるかどうかだ。

 だが、店主は信じている。

 彼らならきっと、強い戦士(アサシン)になってくれるだろう、と。

 

 

 

 

 

 都はいつもの通りの活気に溢れていた。

 行き交う人々は挨拶混じりに笑いあい、走り回る子供たちは無邪気に笑い、道端に座る大人たちは何やら賭け事に興じている。

 誰も知らぬ真夜中に、文字通り都のあり方が変わりかねない戦いがあったというのに、血で血を洗う殺し合いがあったことも知らずに。

 そんないつも通りの街並みを進みながら、少女はローグハンターの背中を追いかける。

 人の波に呑み込まれまいと必死だが、当の彼も彼女を気づかってか、歩調はだいぶ緩い。

 天高く舞う鷲は相変わらず、一羽で気ままに空中散歩を楽しみ、時折「キィ」と鳴いている。

 自分もあのくらい自由に出来たなら、今回のような事件は起きなかったかもしれないし、むしろ悪化していたかもしれない。

 そこまで考えた少女は重くため息を吐き、前を歩く彼の背中へと目を向けた。

 目深く被ったフードのせいで顔色はうかがえないが、時折揺れているから、周囲に目を向けて警戒しているのだろう。

 戦いは終わっても、まだ残党がいるかもしれない。あくまでも万が一の可能性の話だが、その万が一が起こり得るから怖いのだ。

 現に、少女はその万が一のおかげで城を抜け出せたし、万が一のおかげで彼と出会った訳だし、万が一のおかげで誘拐されてしまってわけである。

 神々が振るう骰子(さいころ)の出目次第とは、本当に良く言ったものだ。

 そんな下らない事を考えていたからか、僅かに歩調が緩む少女。

 彼は見てもいないのにそれに気付いたのか、僅かに歩調を緩め、背中越しに振り返る。

 フードの奥に隠された蒼い瞳が少女を見つめ、通行人には聞こえないようにぼそりと漏らす。

 

「どうした、日が暮れるぞ」

 

「ん?今行くわ」

 

 彼の言葉にハッとしつつ、小走りになって彼の脇についた。

 片や二十五歳の男性。片や十五歳の少女。

 一歩の歩幅が違うのは当然の事だが、不思議とどちらかが前に出る事も、遅れる事もない。

 彼が歩調を合わせているのだから当然だ。先生から指導された尾行術が、こんな形でも生かせる事は知っていた。

 何年も前に、彼女と仕事仲間という一線を越えた頃だろうか。彼女とプライベートでも二人きりになることが増えた頃から、意識するようになった気がする。

 彼はそこまで思慮すると、ゆっくりと瞬きする事で意識を切り替える。

 そんな事はどうでも良い。と、自分に言い聞かせるのだ。

 何故か。理由は単純。これ以上考えたら、少女を放っておいてでも、今すぐに会いに行ってしまう。

 

「どうかしたの?」

 

 ひょいと、視界の端から少女の顔が飛び出してくる。

 その表情は先ほどの言葉通り、心配の色が強い。

 ローグハンターは自分の顔に触れ、「大丈夫だ」と告げて苦笑を漏らす。

 彼女の元に帰れると思うだけでこれとは、少々抜けすぎではないだろうか。

 彼はフッと息を短く吐き、半ば無理やりに意識を戻す。

 城まではもうすぐだが、まだ油断は出来ない。

 

 

 

 

 

 結局の所、拍子抜けする程に何も起こらなかった。

 道行く人は皆笑顔に溢れ、敵意を向けてきた者は誰一人としていない。

 そんな平和な空気の中でたどり着いたのは、大きな城門を見ることの出来る通りだった。

 何を思ったのか少女は路地の影に身を隠し、ローグハンターは目を閉じて何やら集中している。

 閉じた瞼の裏に映るのは、鷲の目線で俯瞰的に見下ろされる都の風景だ。

 目的地たる城の周囲を重点的に観察し、見張りの兵士の巡回の様子を眺めている。

 

「……問題はなさそうだが、俺はここまでだな」

 

 目を開きながら言うと、少女は少々不安げになりながら頷いてみせる。

 本音を言えば彼にもついてきて欲しいが、彼にも予定があるらしく、今すぐにでも戻らなければならないそうだ。

 きっと、また誰かを助けに行くんだろうと思うと、無理に止める事は出来ない。

 少女は一度深呼吸をすると、ローグハンターに向けて頭を下げた。

 

「この度は、非常に迷惑をおかけしました」

 

「気にするな」

 

 少女の珍しく真剣な謝罪に、ローグハンターは首を横に振った。

 少女がゆっくりと頭を上げると、今度は彼が真剣な声音で告げた。

 

「──だが、忘れるな」

 

 告げられた言葉は、その一言のみ。

 そこに込められた想いがわからない程、少女は幼くない。否、成長したと言うべきか。

 ローグハンターは乱暴に──それこそ妹にするようにだ──少女の髪を撫でると、その背を押して通りへと押し出す。

「わわっ!?」と声を出しながらも転ぶことだけは凌いだ少女は、反射的にローグハンターのいた場所へと目を向けた。

 文句の一つでも言ってやろうとしたのだが、肝心の彼は既にいない。もう行ってしまったのだろう。

 そこまで大事な用事なのかと興味が湧くが、今さら追いかけるのは無理だ。また誘拐されるのがオチだろう。

 それは流石に笑えない。また自分のせいで人が死ぬというのは、きっと耐えられない。

 彼女の脳裏に過るのは、視界にこびりついた死んでいった一人の顔だ。

 彼らの顔を忘れてはいけない。今回の失敗を忘れてはいけない。過去を背負って進むと決めたのだから、当たり前だ。

 少女は再び深呼吸をすると、城門を目指して歩き出す。

 裏から逃げたのだから、帰るのは正面から。次出る時があるとすれば、それも正面から出ると決めている。

 天高く舞う鷲の影を目で追って、最後の覚悟を決める。

 

 ──とりあえず、怒られるだろうなぁ。嫌だなぁ。

 

 なんて、年相応な事を考えながら一歩ずつ。(いえ)へと向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 屋根の上から城の中へと消えていく少女の背中を見送ったローグハンターは、目深く被ったフードの下で目を細め、疲れきったようにため息を漏らした。

 慣れぬ事はするべきではないなと自分に言い聞かせ、神殿のある方角に目を向ける。

 屋根伝いに行けば、下を通るよりも楽にたどり着けるだろうと推測し、善は急げと走り出す。

 瓦を落とさないように細心の注意を払いながら疾走し、小さな段差を乗り越え、建物を繋ぐ渡し木の上を駆け抜け、時には飛び越える。

 何人かの人々に見られはしたものの、修行中の芸人辺りだろうと目星をつけられて言及されることはない。

 そして彼自身も気にする様子はなく、神殿まで通り数本となった頃、彼は足を止めた。

 進行方向の屋根に、そこから足を投げ出して座る、謎の人物を発見したからだ。

 纏うローブは汚れ一つない純白で、目深く被ったフードには嘴を模した意匠が施されている。

 あのフードの形状には見覚えがある。否、見たことがあって当然なのだ。

 

「アサシン……!」

 

「ん?ああ、来たか」

 

 ローグハンターの呟きに、(まこと)なるアサシンは反応を示した。

 彼を警戒する様子もなく立ち上がり、右手を挙げながら口を開く。

 

「お前に会おうと思っていたんだが、なかなか都合がつかなくてな。六年も(・・・)待たせてしまった。いや、申し訳なかった」

 

 口元に笑みを浮かべながら、上部としては友好的な態度でもって接してくる。

 だが、ローグハンターは黒鷲の剣に手をかけ、敵意を隠す事もなく剥き出しにする。

 タカの眼が教えてくれたのだ。相手の影は赤一色。味方であることはあり得ない。

 アサシンは彼の態度を咎めることなく、より一層笑みを深めた。

 笑顔とは本来、相手を安心させたり、自らの喜びを示したりするものだ。

 しかし、彼の笑顔は違うとわかる。

 口元に浮かべる笑みは歯を見せつけ、相手を威圧するような力を感じさせ、そもそもをして目が笑っていない。

 ローグハンターは額に浮かぶ脂汗をそのままに、アサシンの行う全ての挙動に注意を払う。

 まず、相手との力量(レベル)差を確かめ、殺せるか否かを判断。駄目ならどう逃げ切るかを考えなければならない。

 彼が摺り足で間合いを開けようとしている事を察してか、アサシンは肩を竦めた。

 

「ああ、逃げないでくれ」

 

 アサシンがそう言うと、その姿が雷光と共に掻き消えた。

 驚愕し、反射的にその場を離れようとしたローグハンターの肩に、背後から薬指の欠けた左手が置かれる。

 目を見開きながら振り向いた瞬間、僅かに濁った金色の双眸と視線が交差する。

 ほんの一瞬。それこそ瞬き一つにも満たない時間であだたとしても、その目の輝きに魅入られた。魅入られてしまった。

 ローグハンターが後悔を抱いた頃には、全てが遅い。

 

「──やり残した仕事を、引き継いで欲しいだけだ」

 

 アサシンが小声でそう告げると、再び雷鳴が鳴り響き、雷光が辺りを照らす。

 それが止んだ頃に残されたのは、焼き焦げた天井瓦と、何事だと集まる野次馬のみ。

 その一人である、袋を抱えた赤髪の魔術師でさえも、何が起こったのかを知ることはなかった──。

 

 

 

 

 




誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。

期限は『Extra Sequence01 いと慈悲深き地母神よ』が完結してから+1週間です。随分と今更な事を聞きますか、ダンまちとゴブリンスレイヤーコラボイベント『Dungeon&Goblins』にログハン一党をぶち込んだものをーー

  • 見たい!
  • 別にいいです……。

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