Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere - 作:びわ之樹
ごぶ、と肉を打つ鈍い音が、白壁の小さな部屋に響きます。
目――視覚センサーの前には、顔を赤黒く染め憤怒の表情を滲ませるレフの姿。握った拳を振り抜いたその先では、左頬を殴られたフォルカーが平衡を失い、並んだ椅子を倒しながら床に転がっています。血の滲むフォルカーの口元を労わる素振りもなく、レフはフォルカーの襟元を掴んで引きずり上げ、唇を噛み締めながらフォルカーを連打し続けました。
格納庫を一壁隔てた、出撃前のパイロットが集う搭乗員詰所。
緊急事態を迎えた今となっては悠長にここを経由するパイロットもなく、喧騒に包まれた格納庫側と廊下の間で、そこは渦の中に生じた空白地帯の様を呈しています。
言葉無く、ただ感情と視線を交わすだけの応酬。カールも、彼に抱えられた私――オーキャス14も、そこに言葉を差し込めないまま、ただ茫然と二人の衝突を見ている他ありませんでした。
「取り返しのつかないことをしてくれたな、フォルカー。調停の目が消えて、ゲベート前線はこれで泥沼化だ。オーシア方面や五大湖上空でもゼネラルとUPEOの睨み合いが続いている」
「……」
「分かるか?お前の指先一つのせいで、この経済戦争の先行きは全く見えなくなっちまった。…お前の馬鹿なマネが、際限なく戦火を拡大させちまったんだぞ!!」
裂帛の声とともにレフの拳がフォルカーの胸に入り、むせ返る声と吐息が空気を揺らします。唇か口の中を切ったのか、フォルカーが吐き出した唾は血が混じり、口元からも赤い筋となって零れていました。襟を掴み上げられ抵抗を奪われたフォルカーの目は、しかし殴られ続ける姿と対照的に光を失っていません。
「…言ってみろよ。どういう積もりだったのか!何を考えて、お前はこんなバカをやらかしたのか!!」
「レフ!もうやめるっスよ!これ以上はフォルカーさんが死んじゃうっス!」
「レフも、右手甲部に打撲傷が認められます。これ以上の暴行行為は、互いの状態を考慮すると推奨できません」
空白、一瞬。
一拍息を呑み、ぐ、と奥歯に力を込めたままフォルカーを掴んでいた左手を離すレフ。倒れるように椅子に沈んだフォルカーを一瞥することなく、レフの目は私へと向かいます。怒りを滲ませ目を血走らせたその表情は初めて見るもので、私は反射的に思考回路が硬直するのを感じました。
「お前もお前だ、スフィア。結局はお前も『機械』に過ぎなかった。信じようとしていた俺が馬鹿だったよ。どれだけ感情豊かに見せようが、どれだけ人に似せようが、お前は命令一つで躊躇なく人を殺せる『機械』でしか――」
「レフ!!」
響く声、ぱちん、と残響を帯びる軽い音。射るようなレフの言葉への内省に囚われていたせいか、それはカールがレフの頬へ平手打ちを浴びせた音だと知覚するのに、いくばくかの時間を要しました。歯を食いしばり、引けた腰から振り出した掌をレフの頬に当てたまま、カールは今にも泣きだしそうな必死の表情でレフへと重ねます。
「そんな…そんな言い方はあんまりじゃないっスか!スフィアちゃんは
「………カール」
「う…!……た、例えばっス。凶悪な殺人犯が包丁で人を殺したからって、包丁そのものを誰も責めないじゃないっスか!せ、せ…責任を負うのは、扱うその『人』になるんじゃないっスか!?」
――。
息を呑む、と言うのは、おそらくこういう時に使うものなのでしょう。思考と感情の奔流をせき止め、一石を投じて視点の変化を促すような、どこか新鮮な感覚。
機械は、操るその人間によって何色にも染まる。堂々たるその言葉が、日頃柔弱で優柔不断なカールの口から紡がれたことにも、私は意外というべき驚きを感じました。私が人間であったのなら、きっとカールの様を見て目をしばたかせていたことでしょう。
もちろん、人間が手にする道具と、自ら思考が可能なAIを一概に同列として考えるのはナンセンスです。それが自らを肯定するためだけの甘い言葉であることを自覚しながら、それでも私はカールの言葉に、一抹の救いを感じていました。
「えっと…つまりっスね。今回の件でスフィアちゃんを叱るのはお門違いであって…」
「もういい、カール」
「…!…う…」
「頭に血が上っちまった。状況報告に司令部まで行って来る。1時間後に第4小会議室に集合。…続きはそこでだ」
「…それがいい。全てを説明するために、私も用意したいものがある。…すまないが、作業に集中したい。カール航空技師、悪いがしばらくオーキャス14を預かっておいてくれ」
「は、はぁ…」
顔を背け、目を合わせることもなく足早に部屋を出て行くレフ。フォルカーもまたカールにそう告げたのち、口元の血を拭ってから詰所の扉をくぐっていきました。
沸騰したような感情の熱量から一転した、静寂に包まれる白い四つ壁。見上げた先でカールは視線を落とし、唇を結んだまま不安げに眉を下げています。言葉を結ぶことなく、片腕に私を携えたまま黙々と倒れた椅子を直してゆく姿は、悲痛という表現がしっくり当てはまるほどに痛々しいものでした。
「…まだ時間もあるっス。少し休憩にするっスよ。…正直、少し胸も辛いっスしね」
悲しく口端を上げて、カールは空いたテーブルに私を下ろします。自動販売機で紙カップのコーヒーを購入したカールは目の前に座り、一度深く溜息をつきました。
人間の溜息は、心に積り重ねた感情の吐露。居室でしばしば溜息をつくフォルカーの様子からそれは把握していましたが、カールがこれだけ大きな溜息をつくのは初めて見るものでした。
「ごめんっス、スフィアちゃん。レフがあんなこと言って…。レフのあれも、…まあ言葉の綾っスから、気にしないで欲しいっス」
「いえ。レフの言う通り、私は人間に似せただけの機械に過ぎないのでしょう。無から人間に近いAIを作り出すのは不可能だと、私たちの素体を作った人も言っていました。できることは、幾万幾億もの試行を重ねて、少しでも人間に近づけることだけだと。…そのために、私たちが…」
「え?」
「いえ、何でもありません。…それより、カール。私は一つ、聞きたいことがあります」
「?いいっスよ、俺で答えられることなら何でも…」
「レフはなぜ、あれほどまでに『機械』を嫌悪するのでしょう?」
柔らかな言葉の行き来。私の言葉でそれは止まり、ぴくりと硬直したカールの目がしばし宙を泳ぎました。掌の間で紙カップを回すように弄ぶその様子は、心から滲み出る迷いを反映しているようにも見て取れます。
以前から感じていたように、レフは多くの矛盾を抱えた人格です。その中でも、機械――殊電脳技術やAIに対する半ば生理的な嫌悪感は、その最たるものと言っていいでしょう。精密機械と言っていい戦闘機に搭乗し、電子技術の結晶とも言うべきエレクトロスフィアを駆使しながらそれらの『機械』を否定するという信条は、一皮剥けば自己否定の危険をも内包しているものと言えます。ここしばらくはその傾向も収まっていましたが、今回の出来事でそれも再燃してしまった感は否めません。
その源を、知りたい。
本人でないカールにそれを問うナンセンスさを覚える傍ら、私はその思いを抑えずにはいられませんでした。
レフは興味深い存在であることに変わりはなく、私は彼をより理解したく考えています。その間に機会への嫌悪感が障害として横たわっているのならば、私にもそれを和らげるためにできることがあるのではないか。心――思考回路に生じた行動指針をそう呼ぶかは定かではありませんが――に浮かぶのは、そんなどこか淡い思いでした。
瞼を閉じ、カールは湯気を上げるコーヒーを一口傾けます。
一息置き盃を傾ける仕草は、人間にとって覚悟を固める行為の証左である。エレクトロスフィアを介して読んだ文学作品から、私はそれを知っていました。
「……。ホントは、本人の口からすべきなんスけど…今は多分知っておいたほうが、お互いのためっスしね。…先に断っておくと、俺もおやっさんから又聞きした話なんス。それでも良かったら」
「お願いします、カール。レフが躊躇するなら、私は少しでも歩み寄りたい」
驚いたように目を開き、一拍後に穏やかに微笑むカール。ふ、と漏れたコーヒーの香りの乗せて、カールはぽつぽつと、その記憶を語り始めました。
カールの語るところによると、その発端は13年前に遡ります。
レフは、当時12歳。ユージア大陸の小国であるデラルーシに住まう、何の変哲もない少年だったそうです。
デラルーシは、そもそもがけして豊かとはいえない国でした。
大国である軍事国家エルジアの近隣に位置するという地政学的条件に加え、国内には少数民族を抱えておりしばしば衝突を引き起こすなど、1980年代後半からデラルーシの国情は不安定さを増していました。国内外に火種を抱えていたデラルーシでしたが、その衰退が決定的となったのは1999年に発生した小惑星『ユリシーズ』の落着だったとされています。国土への直接的な被害に加え、多数の難民の発生、それに伴う経済や雇用の混乱が生じ、デラルーシの国力は急速に減衰しました。
追い打ちをかけるように2003年にはエルジアの侵攻に伴う大陸戦争に巻き込まれ、その終結後も少数民族と結んだエルジア軍残党がデラルーシ内で内戦を繰り返すなど、2000年代後半にはデラルーシの経済は崩壊。その影響もあり、ゼネラルリソース勃興後には早い段階でゼネラル経済圏へと加わったのです。当然自力で軍備を整備する余力も無く、デラルーシの国土防衛にはGRDFが当たることとなり、当時の最新鋭となる無人機部隊も多く配備されていました。
ところが、これがデラルーシの、ひいてはゼネラルの仇となります。
2026年、ユージア大陸においてゼネラルリソースに対する大規模なテロが発生。この際に投入されたコンピューターウイルスにより無人機部隊のコントロールを奪われ、それらがGRDFや市民へ牙を剥いたのです。
当然ながら、国防をGRDFに依存していたデラルーシも例外ではありません。反旗を翻した無人機の攻撃に巻き込まれ、デラルーシ市民にも多くの死傷者が出ました。
当時デラルーシに在住していたレフの両親や兄弟も、この時に死亡したそうです。無人機の掃射で撃たれたか、それとも撃墜された有人機の墜落に巻き込まれたか、今となっては確かめようもないが――そう、おやっさんは言っていたとのことでした。
空を護る機械の盾が、瞬く間に無慈悲な殺戮兵器となる。鮮烈で悲惨なその体験が、レフの心にどのような変質を与えたのかは想像に難くありません。常に手綱を握っていなければ、どんな残酷なことでも無感情に執行しうる危険な存在。機械という存在をそう捉えるようになっていたとしても、無理のないことだと考えるより他ないでしょう。コフィンシステムを備える『デルフィナスE』を駆りながら、戦闘の際には手動操作に切り替えているという事実も、その心情を裏付けるものだと言えます。
ならば、レフの不信を払拭するために、私が歩み寄れることとは。
私は、何ができるのでしょう。
「…俺が知ってるのは、ここまでっス。原因が過去のトラウマにある以上、レフの気持ちも分かるといえば分かるんスけど、でもこのままじゃ…」
「いえ、ありがとうカール。新たに知ることができ、私も考えるきっかけを得ることができました」
「なら、良かったっス。…俺、レフもスフィアちゃんも好きだから、二人がギスギスしてると正直辛いんスよ。…だから。俺ができることがあれば、何でも言って欲しいっス。…ほら、俺たち仲間っスから」
ほわり、と思考回路が熱を帯びる感覚。
先日覚えた怒りの発露とはまた異なる、いつぞや鳶を見上げた空のような穏やかな印象に、私は思考に安らぎを抱きました。
仲間。
同僚とも列機とも異なる、どこか親愛を帯びた近しい言葉。なぜか左右へころころと転がるのを抑えられないまま、私は温かなその言葉を噛み締めるように、記憶領域へとその情報を刻み付けました。
「では、早速一つお願いします」
「了解っス!何なりと!」
「私を運んで下さい。そろそろ行かないと遅れてしまいます」
「あ。…はは、それじゃ喜んで」
きょとんと間を置いた一瞬後、カールは時計を見て穏やかな笑みを零します。
話し込んでいたせいか、もう10分ほどでレフが言っていた待ち合わせ時刻。多少歩かなければならない距離があり、急がなければ遅れてしまいます。
空になったカップをゴミ箱へ放り投げ、カールは私を両手に携えて廊下へと向かっていきます。
コーヒーから流れたのか、底部の掌から伝わる仄かな熱を、私の胴体はじんわりと確かめていました。
******
「揃ったな」
壁掛け時計が16時20分を指すと同時に開いたドアに、短く言葉を紡ぐ。
顔を向けた先、扉を閉じるのは頬に湿布を貼ったフォルカーの姿。言葉無く正面に座ったフォルカーは、携えてきたノートパソコンを開き、傍らに書類の束を置いて見せる。自分の隣にはカールが、その正面にはスフィアが座り、一挙手で届く狭い間合いに4人が集う格好だった。場所こそ今朝ミーティングを行ったのと同じ部屋ではあるが、各々の顔は朝とは裏腹に一様に強張っている。
準備を終え、真正面から瞳を見据えるフォルカー。交わったその瞳の色はあくまで深く真っすぐであり、到底反省を覚えた男の目では無かった。
「目的を話せ、フォルカー。内容次第じゃ、顔面叩き割るだけじゃ収まらん。このまま法務部に突き出す」
「内容次第では無罪放免にもなるのかな?」
「それを決めるのは俺だ。言葉遊びはいい、さっさと話せ」
匕首を突き合わせるような短い応酬に、隣のカールがあわあわと宥めるように手を振るう。言葉の通り、顔を合わせた距離は腕を伸ばせば届くほどに近い。一瞬間違えれば、そのまま拳を握ってフォルカーの顔面に叩き込むことは十分に可能な距離である。
それを意識してか、いないのか。
『私はベルカの、技術者の家系だった』という想像の外の切り口に、レフは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「は?」
「ベルカ公国は優れた科学技術で知られた国であり、『超兵器』とすら評される兵装群を保有してきた。私の祖父は超高層レーザー兵器『エクスキャリバー』の開発に携わり、父も後に航空部門で最新鋭機種の開発に関わった。かつての灯台戦争終盤に投入された『フギン』『ムニン』の前身となる機体の開発にも、一部携わっていたという」
「…ふぎ…何スか?」
「…ああ、その辺りは非公開情報だったな。ともかく、私は技術畑の家系に生まれたということさえ理解してくれればいい。もっとも肝心のベルカの技術も、今やあるかなきかの姿ではあるが」
「……ベルカは策謀に長けたお国柄だ。
目を細めてフォルカーを睨み、レフは机の下に拳を握る。
レフの念頭にあるのは、2010年に勃発した環太平洋戦争の史実だった。当時の世界を二分する超大国、オーシアとユークトバニアによって引き起こされた戦争ではあるが、後年開示された情報によれば、その開戦に当たっては旧ベルカ公国を出自とする強硬派が策謀したことが明らかとなっている。同時期にオーシア東方諸国で起こった東方戦争でもそれは同様であり、直接的にベルカ公国軍残党が戦闘に介入した事例すらあったらしい。
遡れば、1995年のベルカ戦争でベルカ公国崩壊の引き金を引いたのはオーシアであり、その協力国であったユークトバニアである。環太平洋戦争はすなわちベルカ公国残党による両大国への復讐であり、そこから転じて『ベルカは策謀に長ける』という世評へと繋がっていると言えた。
この事実を踏まえ、もしフォルカーの目的が『ゼネラルとUPEOの離間による停戦の妨害と戦線拡大』『それに伴う周辺国の没落』にあるというのも考えられない話ではない。もしそうであれば、レフは躊躇なくフォルカーを社内法規を司る法務部へ突き出し拘束する積りであった。
『違う』。
しかし意に反し、返って来たのはそんな言葉。フォルカーは一拍息を置き、再び口を開き始めた。
「私の信念や誇りの軸足は、あくまで名高い技術者の家系であったという事実にあり、ベルカそのものにはない。欲するのは、父祖同様に技術者として高い実績を上げたいという欲求だけだ」
「あとベルカ出身の俺的には風評被害もいいとこなんスけど、レフ」
「とりあえずカールは脇に置いといてだ。なら何で戦火を煽った」
「そこに至るために、順を追って説明しているのだ。…ともかく、私はその生い立ちから技術者への道を進み、ニューコムに研究員として入社した。専攻のAI技術や通信技術を活かせる無人航空機開発セクションの担当者としてだ。父のこともあり、私は自信があった」
不満を漏らすカールを意識の外に、レフはフォルカーの話に耳を傾ける。確かフォルカーの生まれは2009年であり、そこから算出すれば就職を考える頃には既にニューコムも勃興しゼネラルと勢力を争う時期に入っている。その真意総てを信じる訳にはいかないが、すくなくとも足取りの辻褄は合っていた。
「だが、そこで私は壁に当たった。そもそも、AI制御による無人機の開発で先行していたのはエルジアだ。複数投入された初の実戦的無人戦闘機であるX-02『ワイバーン』の存在や、灯台戦争における無人機技術を踏まえれば頷ける所もあるだろう。研究室でも先行するのは皆エルジア系の技術者であり、私は大きく出遅れた。サイモン技術主任が開発した『オーキャス』の素体をベースに研究を進めたものの、あくまで万一に備えた予備としての側面が強いものだったのだ」
「他の研究員か…。前にエスクード隊にくっついて来てたハインツとかいう研究者もか?」
「その通り。彼は光学技術専攻で、光子収束技術を最大限に活かすAIとして格闘戦に特化した『オーキャス3』を開発したようだが。話は逸れたが、私はその状況に満足しなかった。予備機の開発を任されたまま、他の技術者から一顧だにされない現実…専攻を活かした新たな技術すら注目されない事実に、私は苦悩の日々を送っていた」
「…なるほど…」
「だが、ある時に幸運に恵まれた。私以外の研究員とオーキャスの派遣先が全て決まった後、不足した戦力の補填を理由として、私と『オーキャス14』のル・トルゥーアへの派遣が決まったのだ」
疑念に満ちた目を、逸らすことなくフォルカーへと向けるレフ。しかし先の経緯同様に、その内容には一応の辻褄が見て取れる。
その根拠として脳裏に過ぎるのが、以前『ランドグリーズ』艦隊討伐の際に合流した『オーキャス3』が話していた内容だった。
確か、オーキャス3がスフィアと会話していたあの時、オーキャス3は『落ちこぼれの予備機』『補欠の配属地』と言っていた。スフィアの扱いが万一に備えた場合の予備AIであり、本来ル・トルゥーアがオーキャスの配備地でなかったのだとしたら、それらの情報についても矛盾しない。
だが整合性がぴたりぴたりと合っているだけに、どこか怪しく感じるのもまた事実である。言葉巧みに騙されたのは今日の今日であり、疑り深くなるのはこの際仕方がない。
「私はこれを僥倖と感じた。ようやく、私は技術者として名を上げるスタートラインに立てたのだ。この千載一遇を逃したくないという気持ちは、どうか理解してほしい」
「…いや、それはいいが。それがどう今回の事件に繋がるんだよ」
「そう考えるのも無理はない。ここまでは、私の動機に過ぎない。今から話す『手段』の部分に、今回の件も関わってくるのだ」
「いいから早く言え。もういっぺん殴るぞ」
「…。私は考えた。どうすれば、最強の無人機を、AIを作り上げられるのか。無人機の特性とは何か。…私が至った答えは、汎用性の高さだった。人間という多分に経験則を要する操縦母体と異なり、AIは電子的操作を元に機体を操縦する。対空に特化すれば対空戦に、偵察に最適化すれば偵察にと、プログラムの書き換え一つであらゆる状況に対応できるというのがAIの強みと考えたのだ。当然内包するプログラムが増えれば増えるほど、対応できる状況も増えることになる」
半ば苛立ちながら、促した先の口ぶりはまたもや搦め手の切り口。迂回を重ねる回りくどさにしびれを切らしそうになりながら、なおもレフは辛抱強く耳を傾け続ける。
その直後に放たれた耳を疑う言葉に、突いた片肘を跳ね上げるまでは。
「では、エースパイロットと呼ばれる人々の戦闘技術を多数搭載したとしたら。それは数多のエースを単機で再現できる、最強の無人機になるのではないか?」
「なに…?」
「これは何も突飛な発想ではない。事実、灯台戦争の折には同様のコンセプトで運用された無人機があったという。…その消息を探すうちに、私はあるシステムの存在に突き当たったのだ」
有人機の――エースの機動を再現する無人機。
その言葉を聞いて、レフは反射的に目を細めた。無論、疑念である。
確かにそれが実現できるのならば、最強の戦闘機と言っても過言ではないだろう。エースと呼ばれるパイロットには独自の戦闘技術があり、それゆえに明確な強みと弱点が存在する。しかし複数の機動を再現できるAIならば、それぞれの弱点を補完した無欠の機体となりうるに違いない。
もっとも戦闘技術の模倣など、たとえAIに学習させるにしても多大な時間と労力を要するものである。ゼロからそれを作り上げるなど、ナンセンスも極まれり――そう言わんばかりに、レフは口元を顰めて見せた。
「はっ、なんとまあ都合のいいモンが転がってるもので。ロストテクノロジーって奴かい?」
「その通り。数多のエースパイロットの機動を電子データとして入念に解析し、AIに反映させる画期的なシステム。厳重に秘匿された情報の海の中で、私はまさにロストテクノロジーを探り当てたのだよ」
「……は?」
「2010年12月31日、戦闘衛星SOLGがベルカ残党に掌握され、オーシア首都オーレッドへ向け落着する事態となった。この迎撃のため用意された
「…おい、まさか」
「――正式名称、『ヴァルハラシステム』。エルジアの技術を基に完成された、ベルカ公国が遺した遺産。これを引き上げ、解析し、『オーキャス14』に搭載することが私の狙いだ」
…馬鹿な。
思わずぽかんと口を開けたまま、レフはその思いを抑えることができなかった。そもそも、そんなものが本当に実在するのか。環太平洋戦争の最終盤、オーレッド湾上空で戦闘があったことは知っているが、それはあのニコラス航空参事がサピンのクーデター軍と交戦したもののみのはずである。
システムとやらの存在、年月、内情。疑おうと思えば、その全てが疑わしいではないか。
「話にならん。環太平洋戦争だぁ?29年も前に落っこちた機体のシステムが残ってるとでも思ってんのかよ」
「ここ『アヴァロン』を湖底から復活させた際、内部劣化は極めて少なかったと聞く。厳重に密閉されたシステム周りならば、たとえ機体自体が浸水していたとしても無傷の可能性は十分にある。システム搭載機が複数あったことを踏まえれば、実現は不可能ではない。海底に沈んでいる位置も、ほぼ確認済みだ」
「…あ!まさか俺たちと入れ替わりにル・トルゥーアに配属された機体って…!」
「その通り。私の一存で、水中探索能力を持つ対潜哨戒機を充てさせてもらった。彼らが哨戒の折、同時にデータも収集していたということだ。これを見て欲しい。ル・トルゥーアの部隊が調査した結果だ」
ノートパソコンの画面をこちらに向け、フォルカーは僅かに微笑む。オーレッド湾の航空写真らしいその図には、確かにある程度分散して、航空機の残骸らしい姿を複数認めることができた。おそらくは海底調査の結果と航空写真を合成した資料なのだろう。
疑念に対しても、フォルカーは万全の自信を崩さない。狂信や妄執を思わせる頑なな姿に違和感を覚えたまま、レフの胸には納得と新たな疑念が浮かんでいた。
レフ達が『アヴァロン』へと派遣される際、代わりにル・トルゥーアへ赴任してきたのはニューコム・インフォ直属の部隊だった。配備機も対潜哨戒型のR-501『ライコドン』に特殊仕様の『フォルネウス』と、怪訝に思ったのを覚えている。あれらはいずれも、オーレッド湾底の残骸を探るための対潜哨戒機だったのだ。
問題は、その場所である。オーレッド湾はその名の通りオーシア首都オーレッドに囲われるように存在しているが、現在はUPEOが管轄する数少ない空域である。オーレッド湾北側にはゼネラルリソースが行政区としている州も横たわっているものの、GRDFはこれまでUPEOを刺激する事態は起こしていなかった。言い換えれば、UPEOが健在な限りオーレッド湾底の本格調査やサルベージは到底不可能という訳である。
理論がそこに至った所で、レフは思わず息を呑んだ。
ゼネラルリソース、UPEO、対潜哨戒機、そして水底に沈むというシステム。フォルカーの話に登場するピースはいずれもオーレッド湾に凝集し、それらは一つの接点で結ばれる。
――まさか。
「……フォルカー。まさか、UPEO機を落とさせた理由は…」
「…私にとって、『アヴァロン』やゲベートなどどうでもいい。ベルカの勃興自体、ここに至っては興味はない。私の狙いはただ一つ。ゼネラルとUPEOに交戦状態を誘発し、UPEOによる警戒に隙の生じたオーレッド湾から『ヴァルハラシステム』を引き上げる。その一点だけだ」
拳を握る。
下肚に力を籠める。
フォルカーがそう言い終えるのと、レフの拳がその顔面に真正面から叩き込まれるのは同時だった。
倒れた椅子から崩れ落ち、鼻血を床に落とすフォルカー。
立ち上がり、拳を握ったまま見下ろすレフ。
慌てたようにレフを背後から抑えるカール。
三者三様の姿を、スフィアは静かに見上げている。
「ぶ、ぷぁ…!」
「レフ!?ダメっス、落ち着いて!」
「落ち着いてるさ。この上なく冷静だとも。…話を聞けて良かったよフォルカー。見下げ果てた奴だ。これならいっそ、ベルカの復讐のためとでも言われたほうがなんぼかマシだ。…そんな自己満足な理由のためにゲベートの戦火を拡大して、UPEOの連中を殺したのか」
厳しさを帯びる目、額に浮かぶ青筋。フォルカーの変化を目に捉えながら、レフは歯を食いしばるように感情を叩きつけた。
鼻血を拭い、べ、と血を吐いてから、フォルカーもまた立ち上がりレフを見据える。片や感情、片や理性。真逆の両者の只中に、交錯する目は爆ぜる程に激しい。
「ゲベートはどちらに転んでも、どのみち戦火は避けられない。あの柔弱な理事を抱えたUPEOも同様だ。いずれ避けられない戦火なら、それを最大限に活かし、最短で目的へとアプローチする。目標達成を図る上で、私は理性的に計画し、最も犠牲の少ない方法で実行している積りだ。感情的な復讐心より劣ると貶められる謂れはない」
「理性で感情を抑え付けるとかよく言うが、あれも嘘っぱちだな。理性も暴走する。目標の為に手段を択ばなかった結果が、際限なく人死にを生み出していく。今のお前はまさにそれだ、フォルカー」
「そこまで!もうそこまでにするっス二人とも!…どっちにせよ、もう事は起こったんス。もうどうしようもないじゃないっスか!」
叩きつける言葉と感情、個の衝突。それを見かねたのか、必死に割って入るカールの形相に、レフの心はわずかに冷めた。ふん、と鼻息を吐き、フォルカーに背を向けて、レフは空虚な白壁へと目を向ける。
カールの言う通り、ゲベートに関わる事態は既に起きてしまっている。フォルカーの真意を聞き、その心情を否定したとして、その計画をどうするかはまた別問題であった。
「…何だろうと好きに計画しろ。お前が正しいかどうか、この目で見届けてやる。だが、俺の機体の後席にお前はもう乗せん」
「それはいい。オーレッド湾探索の計画が、より綿密に組めるというものだ」
「…。スフィア、お前もだ。当分『ヴェパール』での飛行は禁止する」
「レフ!それは…!」
「腹が減った。ぼちぼち解散にするぞ」
一息に言い終え、口から吐き出す息で胸奥の憤懣を僅かでも和らげる。感情を溜め込んだ今、これ以上気が昂れば、今度こそフォルカーが気絶するまで殴り続けることになるだろう。スフィアにしても、機械への不信が再燃した今となっては、発端となった『ヴェパール』をこれまで通り任せる訳にもいかなかった。
カールの抗弁を背に、手をかけたドアノブ。
それがきい、と鳴るのと、カールが一際大きく『レフ!』と声をかけるのは同時だった。
これ以上、何だというのか。振り返った先には泣きそうな目をしたカールと、その両手に抱えられたスフィアの姿があった。
「レフ。あなたが機械という存在に、得体の知れない不安を感じることは理解できます。常に手綱を握っていなければ、何をするか分からない――何でもしかねない存在だと危惧する思いも」
「…何のつもりだ」
「私が、レフの機体の後席に乗ります。私の手綱をあなたに預け、相互理解の階とする。考えた末の、私なりの一歩です」
「…レフ。俺からも頼むっス。スフィアちゃんの思いを、…お願いっスから…」
心のタガが外れたのか、カールの目からぽろりと零れる涙。
半円のカバーを開け、まっすぐに見つめるスフィアの目。透き通った滴のような双の瞳を見て、レフは反射的に目を背けた。
機械。フォルカーの命令のままに、疑いなく策謀に手を染めた得体の知れない存在。
だが同時に、思いやりを見せ、『歩み寄る』と言ってみせた感情ある球体。
相克する思いに心は軋み、決断を澱ませる。
こいつを、機械を、また改めて信用しろと――。
「………。フォルカーにも言った通りだ。…好きにしろ」
「…!」
「ああもちろん、操縦は俺だからな」
息を呑むカールの、嬉しそうな気配。背中に感じた
夏の日は長く、しかし地下の『アヴァロン』において黄昏の訪れを感じることは難しい。
薄暗さを帯びた廊下の先へ、足音は静かに消えていった。
《関係職員へ伝達。本日2100時、ゲベート行政区に対しUPEOが本格介入を開始。同時にオーシア北部にてゼネラルリソースとUPEOが交戦状態に入ったことが確認された。担当者各位は、引き続き警戒を厳にするよう》