Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第21話 水底の墓標(前) ‐Un-expected‐

 トタンの庇を激しく雨が打ち、砕けた飛沫がアスファルトの窪みを満たすほどに溜まってゆく。

 澄ました耳に聞こえるのは、瀑布のように轟々と降りしきる雨音と雷鳴。うっかり外に出てしまえば1分と持たず濡れ鼠になってしまうほどにその水勢は強く、今日ばかりは敷地内をうろつく人影一つ見られない。格納庫の端に設けられた待機スペースに身を寄せる幾人たち然り、温かな屋内に身を寄せて嵐を避けているのに違いなかった。

 

 鼻孔をくすぐるのは、ちりちりと空気を灼く石油ストーブの匂いとコーヒーの芳しい香り。

 季節外れの大嵐に空を塞がれたキャンサー隊の面々は、乗機が佇む格納庫の一角に、所在無く集っていた。

 

「もう4時間もすれば出撃予定時刻ですが、この様子じゃ出撃は無理ですね。きっとオーレッド湾内も大荒れですよ」

「嵐を押して出撃して、視界不良と落雷でお陀仏とかシャレにならないっスからね。そんな無茶して死にたくないっスし」

「まぁ、軍っつうのは安全保障の名目で何かと無茶を言うもんじゃ。備えておくに越したことはないがね。…そうだ、菓子でも食べんか。お前さんらがベルカに行っとった間に貰ったもんがあるんじゃった」

 

 ストーブを囲み、めいめいにソファや椅子へ腰を下ろすのは4人と2つの姿。イングリットは湯気の立ち上るマグカップを両手で囲んで暖を採り、対面するカールは埃の溜まった窓越しに鈍色に覆われた空を眺めている。レフはといえば一人掛けの古ぼけたソファにどかりと脚を組んで腰を下ろし、砂糖をどっさりと投入したココアを傾けているが、荒天に不安を見せる二人をよそにその眼差しはどこか醒めた色合いを宿していた。

 腰を上げ、格納庫脇の備蓄倉庫と称したガラクタ置き場へと踏み入ったおやっさんが、テーブルの上に置いてみせたのはクッキーの入っている色彩鮮やかな金属缶。『ありがとうございます』とイングリットは躊躇なくそれを取ったが、勝手を知るレフとカールが手を伸ばすことは無かった。何せ密閉されている飲料類と違い、ガラクタ同然に置かれている食料類は、いつから保管しているものなのか皆目見当がつかないのである。

 

 球状の本体を持つスフィアとスゥノは、クッションの上に身を預け、半球のカバーを開いてディスプレイを露にしている。長方形のディスプレイにはそれぞれのCGモデルが表示されており、その表情や意図のありかを常より分かりやすく示していた。カールは言うに及ばず、『オーキャス』に直接触れることは多くなかったイングリットも、今やごく自然にスゥノとコミュニケーションを取るようになっている。

 それにしても。2体を並べると、そうレフは嘆じずにはいられない。

 同じ『オーキャス』とはいえ、姉妹機でもスフィアとスゥノはCGの外見も人格設定も全く異なっている。スフィアはスフィアで、ル・トルゥーアに来た当初より表情や語彙も増え、――機械に『感情』があるかどうかは別だが――多分に感情豊かになっているように感じられた。万に興味を持ち、喜び、叱咤し、意見する。最近は阿吽の呼吸でこちらの意図を図るようにもなり、発言の意味を深読みするようにも変化してきていた。おおよそ機械らしくないと言ってしまえばそれまでだが、今こうしてスゥノと比べてみると、スフィアは色々な意味でスゥノと――他の『オーキャス』と異なってきているのかもしれない。

 

「よっこいしょ。おおい、研究者さん。あんたもこっちで暖まったらどうかね。そこは寒いじゃろうに」

「放っとけよ、おやっさん。さっきから声かけても何一つ返さねえんだから」

「…まあ、無理もないっスよ。あんなにやつれてまで準備してきたのに、()()()()()で計画がボロボロになったんスから」

 

 環に座を占めるおやっさんから向かう声にも、庇の下に立つ男――フォルカーの耳には届いていないらしい。足元が濡れるにも関わらず、庇の下を行っては戻り、時折空を仰いで、惑ったように視線を落とす。落ち着きを無くしたその様はまさに焦燥に囚われ寄る辺を失った男のものだった。

 計画――すなわちゼネラルリソースとUPEOの間に交戦状態を引き起こし、警戒が薄くなったUPEO管轄下のオーレッド湾へ電撃的に侵入して、『ヴァルハラシステム』を引き揚げる一連の策謀。その最終段階が近づいてもなお平静を保っていたフォルカーだったが、実行前日の昨日からずっと、フォルカーはこの調子だった。

 その原因は、他でもない。練りに練り上げ、隙一つ無かった筈の計画の脇から――それも2か所から、想定外に水が漏れたのである。

 

 想定外の一つ目は、作戦実行の前日からオーレッド湾上空へ強い低気圧が侵入してきたことである。視界不良やミサイル誘導性能の低下により護衛が困難になるのはもちろんのこと、海面が荒れれば引き揚げ作業にも多大な困難を生じることは目に見えている。

 当然、天候不順による延期はフォルカーも事前に考慮しており、引き揚げの日程にはある程度余裕を持たせていた。事実、生じた問題がこれだけだったならば、フォルカーは躊躇なく引き上げ日程の延期を決断し、天候が収まった折を見て引き揚げを行っただろう。

 だが、同時に生じたもう一つの事態が、フォルカーから『延期』という選択を奪い去ったのである。

 

 退路を断つ、より重大な二つ目の想定外。それは、ゼネラルリソースがラティオ南部のフィネッタ港へと大艦隊を派遣したことであった。

 艦隊派遣に至った直接的な要因は、先日オーレッド湾口で発生したGRDF艦隊と謎の潜水艦との戦闘である。ニューコムによる以降の調査でも潜水艦の正体は判然としなかったのだが、ゼネラルリソースはこれを『UPEOに加担するニューコムの手によるもの』と判断。事態への報復と交戦状態にあるUPEOへの恫喝を兼ねて、ゼネラル経済圏下にあるラティオへ大規模な艦隊を派遣したのだった。ラティオからUPEOのオーシア大陸司令部があるオーレッドまではまさに目と鼻の先であり、UPEOは喉首を掴まれたのも同然の状態となる。

 

 ニューコム諜報部の情報によると、その規模はまさに圧巻の一言に尽きる。

 主力は、航空母艦『ニョルズⅡ』『ヘイムダル』を基幹とする機動艦隊『ラーズグリーズ』の一部。これに先だっての戦闘で壊滅した対地打撃艦隊『ランドグリーズ』の残存艦隊が付随し、対空・対地・対艦ともに隙の無い編成となっていた。

 厄介なのは、これらに護衛艦隊『レギンレイヴ』が付属していることである。

 この艦隊の大半はミサイル艇級の小型艦だが、指揮艦がエレクトロスフィアを介し、これらの小型艦を一元的に管理しているという異色の特徴を持っている。言うなればかつてエルジアで盛んに行われた少数の有人機とそれらに制御される多数の無人機という運用構成に近く、本艦隊の護衛艦もそれにちなみ『サテライト艦』と呼称される。サテライト艦各個はごく少数の人間によって管理点検が行われるが、戦力として見れば実質的にほぼ無人と言っていい。主力艦の護衛を至上とし、極めて効率的に迎撃を行うその様は、『無人艦隊』と称されるのも頷ける処だった。

 

 分遣艦隊を含めた3艦隊の総数は不明。しかしその規模を考えるに20隻を下回る筈は無く、正規空母2を抱える以上、艦載機も最低でも40機程度は搭載していると見ていいだろう。

 翻って、こちらは脆弱というも愚かである。サピン周辺では唯一となるニューコム側の機動部隊は、その基幹である軽空母『プリンシペ・デ・アルルニア』の修理こそ終了したものの、艦載機の補充が間に合っていないという。UPEOもまた旧オーシア軍の空母を一部受け継ぐ形で保有しているが、その量も質も、ラーズグリーズ艦隊に及んでいるとは到底言い難い。どの手札を見ても勝ちの目が無い以上、真っ向からの艦隊戦を挑めば馬鹿を見るのは誰の目にも明らかだった。

 

 尤も、ニューコム側に勝ち目がないかと言われればそれは断じて否である。

 先だってのランドグリーズ艦隊強襲戦で実証した通り、オーレッド湾およびその外海に至る領域は地理的にNEUのテリトリーである。すなわちオーレッド湾はニューコム勢力圏によって引き絞られた袋の中にあると言ってよく、NEUとしては陸上の対艦ミサイル部隊や航空部隊を総動員し袋叩きにすればよいのであった。それを警戒してのことか現時点でゼネラルの機動艦隊はラティオ領海内に留まっており、一種膠着の様相を呈している。

 ともあれ、この膠着のまま自体が過ぎると考えるのは些か楽観に過ぎる。もし何らかの理由で膠着が崩れた場合、ゼネラル艦隊が湾内になだれ込んでくるとも限らず、そうなった場合『ヴァルハラシステム』の引き揚げはもはや絶望的となる。希望的観測に一縷の望みを託すか、それとも袋小路を避けるため一か八かの活路を見出すか。フォルカーの苦悩は、まさにその一点にあった。

 

「アホらしい。事こうなりゃ可能性はほぼゼロだ。昨日の声明も見ただろ。敵はゼネラルだけじゃねぇんだぞ」

「UPEOのバーナビー声明っスね。UPEOだって対ゼネラルでいっぱいいっぱいだろうに、ホント何考えてるんだか…。あんなんだから前時代的って批判されるんスよ」

 

 肩を竦め、右掌を仰いで皮肉を漏らすレフ。口をすぼめた文句で応じるカールも、それに無言で首肯するイングリットも、脳裏に想起する光景は同じものであった。

 発端は、つい昨日。UPEOオーシア支部の代表理事であるバーナビー・マイアルが報道機関を通じ、『オーレッド湾空域はUPEOの委託管理領域であり、侵入するいかなる軍事勢力も排除の対象と見なす』という旨の声明を発表したのである。突如としてその声明を出すに至った背景には、UPEOの庭である筈の――実際にはNEUの勢力圏と化しているが――オーレッド湾において、GRDFとNEUの航空部隊による戦闘がひんぴんとして起こるようになったことにあった。いうまでも無くGRDFのそれはオーレッド湾侵攻に向けた武力偵察であり、NEUはその迎撃である。

 

 そもそも、現UPEO代表理事であるクラークソンは、ゼネラルとニューコムの積極仲裁を標榜する、いわば動的な中立機関を志向しているとされる。先のゲベート仲裁を見るに、現オーシア支部代表理事であるバーナビーもまたそのシンパと言ってよく、今回の声明もまたその政治的思想に裏付けされたものと言えるだろう。

 しかしどう割り引いて考えても、現在でさえゼネラルに対し不利にあるUPEOが、ここでさらにニューコムまで敵に回しかねない声明を出すというのは愚策と評する他に無い。クラークソンの『積極仲介による平和体制の構築』をオーシア支部なりに実現しようとした結果なのだろうが、レフ達にはクラークソンの方向性を悪い意味で継いでしまったようにしか見えなかった。こうなれば、前時代的な思想に振り回されて命を落とすUPEOの面々がいっそ気の毒にすら感じられる。

 

 ともかくも、この点もフォルカーにとっては向い風であった。元々はUPEOとゼネラルを戦わせ、その隙を突いて目的の『ヴァルハラシステム』を掠めとる積りが、下手を打てばオーレッド湾で両勢力を相手に戦わなければならないのである。幸いに現時点でオーレッド湾の海上兵力は皆無に等しいが、UPEO本拠に近いオーレッド周辺ともなればUPEOも迎撃に本腰を入れるものと見なければならない。

 

 雷鳴、一つ。きゃ、と耳を塞ぐイングリット、驚いて小さくぴょんと跳ねたスフィアを横目に、レフは雨下に惑うフォルカーの背へと目を向けた。

 固く握られた拳。空を仰ぎ一点を見つめる目。そして、蒼白となった横顔。足元が濡れるのも構わず庇近くに足を止め、微動だにしなくなったその背中には、逡巡と葛藤、そして覚悟が滲み浮かんでいる。

 続けざまの雷鳴、跳ねた拍子にスゥノにぶつかるスフィア。それを合図にしたかのように、レフは踵を返し、まっすぐにレフ達の方へと足を踏み出した。その前に立ち見下ろす目は、血走りながらも揺動一つ無く鎮まっている。

 

「決行する」

 

 薄い唇からひび割れるように漏れた、決断を告げる声は短くも重い。

 見上げる一同の目が虚ろを泳いだ一瞬後、フォルカーへと向かったのは案の定とでも言うべき抗弁の嵐だった。

 

「嘘でしょ!?いやいやいやムリ無理死ぬっスってコレ!120%!!」

「私も同意見です!こんな悪天候に、しかも三つ巴の乱戦になる危険もあるんですよ!?とても私たちだけでは…!」

「私はどちらでもいいけれど、大丈夫かしら。人間だと、視界の利かない飛行は大変でしょう?」

「フォルカー、現状での成功確率は低いと判断します。低気圧の通過を待ち、電撃的に侵入を行う方が確実ではないでしょうか。サルベージの精度にも影響します」

 

 両手を振り半泣きになるカール、思わず立ち上がり胸に手を当て抗弁するイングリット。スフィアもスゥノも異口同音に反対を口にし、4つ一束となった抗弁の嵐は外の荒天の比ではない。

 片やそれらの声を、聴いているのかいないのか。フォルカーは瞳を微塵も揺らがせないまま、静かにレフを見下ろした。

 

「レフ君。君はどうだ」

「それが考え抜いた末のお前の決断ってんなら、見届けてやるさ。その末路をな」

「…レフ!?正気っスか!?」

「で、方策はできてるんだろうな」

「ああ」

 

 信頼無く、共感無く、ただ互いの能力を信じているがゆえの無機的な短い応酬。口火はそれで充分。

 そう無言に告げるように、フォルカーは淀みなく口を開き始めた。意志は確かに受け取ったと言わんばかりに、その目は今度は周囲の一同へと向いている。

 

「この荒天はこちらにとっては追い風でもある。ラティオのゼネラル艦隊は容易に動けず、その艦載機の目からも逃れられる。オーレッド湾上空で交戦になろうとも、海上のサルベージ船までは注意も届くまい。既に上空では各勢力の航空機が小競り合いをしているようだが、この乱戦もまた利用できる」

「…って、言ってもっスね…!」

「私はこれからサルベージ船に赴き直接指揮を執る。オーレッド湾上空に先行し、あらゆる障害を排除しろ。基地司令は私が説き伏せる。質問は?」

「大ありっス!!最初(はな)から無理っスよ!天気にも海上にも注意しながら、かつゼネラルともUPEOともやり合うなんて!」

「作戦内容に関する質問が無いようなら、万事以上の通りとする。頼むぞ」

「ちょ、ちょっと!」

 

 口早に方針だけを述べ、可否を口にするカールの言を封殺して、フォルカーは押し被せるように命令を下す。

 怯えを隠そうともしないカール、眉をひそめ不快を露にするイングリットを前にしても表情一つ変えずに、フォルカーはそのまま身を翻し外へと脚を向けていった。おそらくは、司令部に決定を伝えに向かうのであろう。ニューコム・インフォに恩を売り出世の糸口にできる――そんな餌をぶら下げられれば、司令も首を縦に振らない訳にはいくまい。

 迷いなく、まっすぐに足を踏み出すフォルカーの背中。その背を打つように向いたのは、他ならぬレフの声だった。

 

「軟膏と包帯は大量に買い込んどけよ。どう転ぼうが、帰ったらお前をボコボコに殴る」

「私も、そうなることを願っているよ」

 

 ぴたりと止まった足、振り返らず声だけを向ける背中。それだけを残して、フォルカーは雨勢盛んな曇天の下へと躊躇いなく踏み出していった。もはや立ち止まることもなく、その足音は徐々に遠のいてゆく。

 

「マジっスか…」

「マジ中のマジだ、やったろうじゃねぇか。スゥノ、例の散弾ミサイルがあれば積んで行け。敵はどれだけ来るか分からんからな」

「待ってください、レフ技官。こうなってはもう文句は言いませんけど…そちらの後席はどうするんですか?必須では無いですが、今回予想される乱戦を考えると、やはり航空システム技官が必要では…」

「あー…んー。まあ、今までほぼ一人でやってたんだ。何とかなるだろ。他に当ても無いしな」

 

 絶望に頭を抱えるカールをよそに、イングリットが不安の念を口にする。確かに彼女の言う通り、今回は下手をすれば2勢力が相手である。可能なら後席の支援があるに越したことは無いが、こればかりはどうしようも無かった。今まで後席に座っていたフォルカーはスフィアの管理専属であり、これまでも実質的に一人で操縦していたようなものである以上、今回も独力でやる他無いであろう。

 

 決断を口にしたその時、不意に思わぬところから声が上がった。コーヒーをぐい、と飲み干し、にっかりと笑みを刷いてこちらを見上げたのは、今の今まで黙っていた唯一の人物――おやっさんの姿。

 

「まあ待て待て待て、レフ。今回は乱戦、おまけに悪天候な上に護衛目標もあり。正直猫の手も借りたいとこじゃろ?」

「?そりゃ、まあ…」

「だったら、ワシの手を借りてみる気はないか?」

「…おやっさんの?」

「システム周りを弄ったことがある程度で、Rナンバーの機体の操作は正直分からんが、周囲の警戒やら通信の手伝い程度なら何とかなる。何、こう見えて昔は戦闘機も乗り回したクチじゃ。今でも多少なら使い物になるじゃろ」

 

 予想だにしなかった提案に、呟くように上る声。それを前にしてなお、おやっさんは自信を示すように笑いかけた。…大丈夫だろうか。そんな心配は無い訳でもないが、今は警戒の目が一つでも増えるのはありがたい。

 

「…わかった。頼んだぜ、おやっさん。上で俺の操縦に文句言ってくれるなよ?」

「分かっとる分かっとる。…さて!それじゃ気合入れて機体の最終点検と行くか!何せ点検する機体に自分の命を賭けるのは13年ぶりじゃからな!ほれ、ほれほれ。カールもイングリットも立った立った」

「え、ちょ、待…。まだコーヒー全部飲んでないっスって!」

 

 弾けるように腰を上げ、そらそらと手ぶりで二人を急かすおやっさん。いやに張り切ったその様は年甲斐なくも愛嬌があり、綻んだ顔が何ともおかしかった。クッションから降りたスフィアとスゥノもぴょんぴょんと跳ねながら、おやっさんの後へとついて行く。

 

 気合を入れる、自らの頬を叩くおやっさんの手。

 ぱぁん、という小気味良い音が、雨下に佇む格納庫に響き渡った。

 

******

 

 轟々と逆巻く風が、散弾のような雨滴とともに横殴りに吹き付ける。

 軋む機体、絶え間なく細かに揺れる方位計。光量補正を施し雨滴を消した投影画像の中でさえ一面の曇天に覆われた空は暗く、時折閃く稲妻は電波を乱し、その度にヘッドマウントディスプレイ(HMD)の画像もノイズを奔らせる。機体制御で言っても視界で言ってもおおよそ飛行を続けていい空模様では断じてなく、まるで洗濯機の中に放り込まれたような空の下で飛ぶなど、2040年を間近に控えた今の世でもなお正気の沙汰ではない。

 

 そんな、荒れ模様を示す鈍色の渦の中。

 正気を保ちながら、なおも狂気の沙汰に放り込まれた哀れな翼が4つ、暴風を裂くように翻っていた。

 

「くそったれ、なんつー空だ。帰ってからと言わず、出発前にあの野郎を殴ってくりゃよかった」

《そんななんつー空に引っ張り出された俺たちにお詫び言ってくれてもいいんスよ、レフ》

「アホウ。言ってやれおやっさん。長年の戦場で、こんな経験は日常茶飯事だったみたいなニュアンスで」

「…いや。真夜中に『円卓』に突っ込んだことはあるが、ここまで酷い空は初めてじゃな。こんな中人を飛ばせる連中は頭おかしいわい」

「………」

 

 見るからに不機嫌なカールの顔が、正面モニター横の通信用ウィンドウに隠すことなく浮かぶ。流石のおやっさんも今日ばかりは音を上げて、普段より幾分青くなった顔を後ろ席に見せていた。確かに上下左右に吹き荒れる暴風に随い機体は絶えず揺れ動いており、訓練していない人間では5分ともたず飛行機酔いに陥ってしまうに違いない。まして気圧が変動しやすい海上――オーレッド湾上空ともなれば、その激しさは一層と言っていいだろう。出撃したキャンサー隊の4機がオーレッド湾へ出てから15分そこらではあるが、風雨は激しくなりこそすれ、和らぐ気配は微塵も無い。海上を航行しているであろうサルベージ船もまた、高度4000ほどの上空から確かめることはできなかった。

 

「…じゃがどうも、頭のおかしい連中は他にもいたらしい」

《え?》

《キャンサー2より各機、方位315、距離4500に多数の機影を確認しました。NEU、GRDF、UPEOいずれの反応も確認できます。機数、約40》

 

 彼方の空を探ったおやっさんの声、次いで響いたスフィアの通信に、レフもHMD越しにレーダー表示を確かめる。落雷による電波障害でしばしば不明瞭となるものの、その数は確かに30後半か、それ以上。3勢力が入り乱れた乱戦となっているが、GRDF、NEU両軍の機体数が概ね拮抗しているのに対し、UPEOの機数はそれぞれの部隊の半数以下しか見当たらない。おそらくはGRDFとNEUが先に戦端を開き、UPEOの部隊は押っ取り刀で上がって来たのであろうことが伺い知れた。

 

「『円卓』並みの規模だな、こりゃ。聞こえるかフォルカー、こちら『ランサー』。上空は敵だらけだが、続行でいいんだな!?」

《こちらフォルカーだ。構わない、そのまま上空制圧を開始してくれ。予定ポイントに到達し次第、こちらも引き上げを開始する》

「了解だ。せいぜい頑張るこったな」

《そうさせて貰う。……レフ君。『例のもの』の使用判断は君に一任する。引き上げ後ならばタイミングは問わない、君の判断で使え》

「…。了解。切るぞ」

 

 雑音交じりの音の端に、一抹の不安が滲んだ声。心の内奥を表すようなその様を打ち消すように、レフは敢えて乱暴に通信を切った。

 『例のもの』――。大層な呼び名の中身を聞いたのは、出撃のほんの2時間前になってからのことだった。サルベージ船へ出立する直前、フォルカーは押し付けるように一片の紙片を手渡して、そのまま移動用のヘリへと向かっていったのである。心を零すような緊張した面持ちで、『私の最後の手札だ』と言い添えて。

 紙片に書かれた詳細は、流し読みしてなお分かるほどに諸刃の剣である。これをいつ使うべきか、それとも一人の心の中に握り潰しておくべきなのか。その答えは、今もってなおレフには分からなかった。

 

 尾部の焔を風が押し、速度を増して4つの機影は戦空のさ中へと脚を踏み入れてゆく。

 閃光、炸裂、入り乱れる機影。縦へ横へ、数多の機体が交錯するその戦場は、これまでに見たことのない混沌としたものだった。

 

《ペイズリー8、後方に敵機!》

《フレッチャ2、3は下から回り込め!海面に突っ込むなよ!》

《ゼネラルリソース、ニューコム両軍に告ぐ。オーレッド湾空域はUPEOの信託管理空域である。速やかに戦闘行動を中止し退去せよ。繰り返す…》

《うっとうしい。邪魔なUPEO機も纏めて落とせ!》

 

 F-22C『ラプターⅡ』が機体を翻し、後方から迫るR-101『デルフィナス』の追撃を躱す。その奥では同じく『ラプターⅡ』と『タイフーン』が縦の巴戦を展開し、その横腹から2機の『フォルネウス』が機銃掃射で撃ち抜けてゆく。UPEO機はGRDF機はおろかNEUの機体をも敵と見なしているらしく、格闘戦に入るUPEOとNEUの機体も見て取ることができた。空を埋め尽くすようなその機数もさることながら、三つ巴の渦中となった空は先日の『円卓』を上回る乱戦模様と言っていい。

 

《レーダーでは見えていたけど、なんて数…!》

「敵機、ざっと30弱。さ、どうすね。レフ隊長」

「……。よし。機体性能を活かした一撃離脱で数を減らす。キャンサー3、4はついてこい。キャンサー2は現高度を維持して周辺を監視。敵の増援やサルベージ船の脅威が現れたらすぐに知らせろ」

《了解しました。不意の遭遇戦のためか、敵部隊も増援が少数ずつ到着しています。注意してください》

 

 ほう、と後席から洩れるおやっさんの声。それが何を意味するのか判然としないまま、レフは左右の操縦桿を前へと押し倒すと同時にフットペダルを踏み込んだ。

 瞳の動きでレーダー表示を近距離かつ精密走査用のコンバット・レンジへと切り替え、間髪入れず火器管制の安全装置を解除する。イングリットが駆る『オルシナスC』、スゥノが操縦する『マルティム』もその左右後方に連なり、鏃型となった3機は速度を増しながら、風雨の薄幕を裂く錐のように戦場へと突入していった。

 元来が搭載量の多い戦闘攻撃機だけに、『オルシナス』のハードポイントは実に13か所と『デルフィナス』の1.5倍以上を誇る。今回は事前に空対空戦闘が想定されたことから、レフやイングリットの『オルシナス』もそれに準じた兵装構成となっていた。すなわち1か所を増槽に割いた他は8か所に高性能中距離空対空ミサイル(XMAA)を、残る4か所に近距離空対空ミサイル(AAM)の2連装ランチャーを装備するという重武装であり、搭載ミサイル数は合して16発。敵機の多い状況とはいえ、これに『マルティム』の武装や機銃があることを踏まえれば不足は無いものだった。

 

 重なる速度、左右を過ぎてゆく機影。今更探るまでもなく、レフの『オルシナス』は降下当初から見定めた目標を指して、その速度を増してゆく。

 狙いは、互いに背を取らんと螺旋を描いて入り乱れるGRDFの『ラプターⅡ』2機と『アドバンスドライトニング』1機に、UPEOの『テンペストADV』1機。団子状となった4機は背後、まして頭上に警戒を見せる素振りも無く、ただひたすらに眼前の目標を追って旋回を重ねている。

 兵装選択、XMAA4発同時。まずは狙える時に、確実に撃墜してしまうに限る。通常のAAMと比べ倍ほどに射程の長いそれは、目標の尻尾を捉えるようにHMD上に白い四角のマーカーを奔らせてゆく。

 

《ペイズリー3!後方上空だ!『青槍』の機体が来てるぞ!》

 

 雷鳴、混線、誰かが息を呑む気配。眼前のパイロットが回避行動を取るのに先んじて、シーカーが致命を示す赤へと染まる。

 ロックオンを告げる高い電子音が鳴り響くと同時に、押しこんだスイッチはコンマ数秒。引き絞った投槍を放つように、それは白煙を曳いた切っ先となって飛翔していき、瞬く間に『ラプターⅡ』を爆炎の朱へと染めていった。咄嗟に身を捩りXMAAを躱した片割れの『ラプターⅡ』も、その隙を狙い撃ったイングリットのAAMにより爆発の中へと沈んでいく。

 数瞬後、空に燃え咲く爆炎四連。その残滓を裂くように、キャンサー隊の3機は機首を引き上げ反転上昇に入った。

 

《……!ニューコムの増援だ!機数3…いや4!ニューコムの『青槍』!》

《よしっス!撃墜確実4機!》

「ほほう、ようやるようやる。いい調子じゃないか、レフ」

「あんがとさん!次だ、できるうちに減らすぞ!」

 

 スロットルを緩め、操縦桿を思いきり手前へと引く。速度が殺され体が前のめりになる錯覚も一瞬、急角度を描いて上昇に入る軌道に胃袋が押し付けられる。こちらに下腹を向ける『アドバンスドライトニング』を狙い打ち、その後方を抜けると同時に背面旋回に入り、上下反転したままの姿勢で『ラプターⅡ』と真正面からすれ違う。真正面からの機銃の応酬でその翼をへし折りながら、そのまま操縦桿を引いて反転降下に入ってゆく。極力『オルシナス』が苦手とする横方向への機動戦を避け、戦場の隙間から隙間へと縫い潜ってゆく。飛び交うミサイルと機銃の数の割には彼我の速度も速いためか、両勢力とも落としもしないが落とされもしない。

 さて、どうする。次はどこを狙う。

 動的な膠着の中、何度目かのインメルマン・ターンの頂点から見下ろした戦場。何の偶然であったのか、不意に視線を落とした拍子に、見覚えのある紅色の機体が目に映った。

 

《あー!!もう!当たらない!近づいてこない!どうなってるのよクルス!ハインツ!》

《機動を読まれているのか…!?エスクード各機、もう一度だ!『オーキャス3』はその隙を突け!『三日月』とていずれ限界は来る!》

《あらあら。あれ、もしかして『3(スリー)』ちゃんかしら?元気にしてたのねぇ》

「エスクード隊か。それに敵は…おいおいおい、マジかよ」

《GRDFの『ハルヴ隊』!…こんな時に…!》

 

 ひと塊となった紅地に黄金十字の『オルシナス』が、左翼に三日月を象った4機のF-35AR『アドバンスドライトニング』へと猛追してゆく。矛先となった『三日月』はその進路を読むも一瞬、瞬時に2機ずつの小編隊となって左右へ散開し、その矛先を大きく逸らす挙動を見せた。『オルシナス』は4機編隊を維持したまま、迷わず右側の2機へと目標を切り替え追撃を仕掛けてゆく。

 ミサイル、機銃が束となった火線。

 『三日月』の2機はさらに上下に分かれてそれを躱し、その隙を突くように前進翼を持つ紅色の1機が鋭い小半径機動を描いて上へと逃れた1機へ肉薄する。短剣のような紅の機体は、しかしその射程内に『三日月』を捉えるより一拍早く横合いからの機銃掃射に捉えられ、成すすべなく回避行動へと入っていった。先に逃れた『三日月』の2機がフォローのために横側から回り込んでいたのは、こうして傍から俯瞰していなければ捉えられない機動だっただろう。

 

 いうまでも無く、『三日月』の編隊はかつて2度に渡って交戦したGRDFのハルヴ隊。そして4機の『オルシナス』と異形の1機で構成されているのは、以前の対ランドグリーズ艦隊戦で同行したNEUのエスクード隊の面々だった。

 片や先を読む徹底した一撃離脱戦法、片や後の先を制する変幻自在の分散戦術。上級者同士のチェスの対戦を見ているような読み合いの応酬だが、エスクード隊得意の一撃離脱はハルヴ隊の機動を前に乱しに乱され、切り札となる紅の機体――『オーキャス3』の『グラシャ・ラボラス』もまた接近できず、有効打を与えられずにいる。傍目には互角だが、戦術の幅と被弾数を省みればエスクード隊がやや劣勢のように見て取れた。

 

《嘘でしょ!?また『三日月』相手とか…!しかもあのエスクード隊ですら劣勢なんて!》

「ありゃいかん、相性が悪いな。あの戦術は嵌れば強力この上ないが、定型の無い相手はとことん苦手じゃ」

 

 おやっさんの言を引くまでもなく、レフもまた実感は同じだった。火力を集中し一点突破を仕掛ける一撃離脱戦法は、先のキャンサー隊の例の通り強力無比な威力を誇る。その反面、敵が少数であったり、機動性重視の戦術で対策を取られてしまえばその効力もまた半減してしまうのである。今眼前で頑なに一撃離脱戦法を仕掛けるエスクード隊もまた同様であり、さながら矛でひらひらと舞う布を突いているような情景を連想させた。

 

 一度、二度。重ねる『突き』も、その霞のような機動を前に有効打を与えることは叶わない。かつて自らも陥ったように、エスクード隊は攻撃を重ねるごとに却って自らの被弾を増やしてゆく。

 

「さて、次はどうするね、レフ。ハルヴ隊をエスクード隊に任すか、それとも」

「決まってるだろ、そんな事。ここで会ったが百年目だ…きっちり片ァ付けてやる!スフィア、周囲と海上は!」

《GRDF、UPEOそれぞれ接近する機影あり。いずれも高度3000以上、海上に脅威は依然見当たりません》

「よっしゃ。…行くぞ、今度こそドテッ腹ぶち抜いてやる!!」

《よし…よし!やります。やってやります!》

《りょうかぁい。待っててね、3ちゃん》

 

 紅の鏃が狙いを外す。『三日月』の1機が誘うように機体を翻し、それを追うエスクード隊の後方に残る3機が回り込む。機体を巧みに編隊下方へと移し、死角からにじり寄るように距離を詰めてゆく。――ひらひらとまう布から、隠し持った月型斧(メッザ・ルーナ)の刃が閃く。

 

 瞬間、レフはフットペダルを力の限り踏み込んで、『三日月』の予測進路上へと『オルシナス』の鼻先を向けた。一拍遅れてイングリットとスゥノも続き、『三日月』の斜め後方から抉り抜くように距離を詰めてゆく。

 

 迫る。

 狭まる。

 三日月を染め抜いた左翼が、距離2000を、1500を割っていく。XMAAの射程にはとっくに入っているが、F-35ARのステルス性能と『三日月』の技量を前にして有効打を得られるとは思えない。すなわち狙うべきは、回避の余裕すらない至近距離からの一撃以外に無い。

 

《GRDF各隊へ。フラクタル隊8機、アーガイル隊4機、これより合流する》

《UPEO所属、アクティアス隊よりオーレッド湾空域各機へ。当該空域はUPEOの管轄にある。各機速やかに空域より離脱せよ。勧告に従わない場合、実力を以て強制的に排除を行う。繰り返す…》

 

 混線を意識の外に、心中に秒針を数えて機を見計らう。

 距離、1400。1300。

 『三日月』からミサイルが放たれる。

 察知したエスクード隊が回避行動に入るも、近接信管の炸裂に巻かれて1機が煙を噴き始める。

 距離、1000。900。

 『三日月』が目の前で揺らぐ。――散開の挙動。

 距離、800。

 

「撃て!!」

《――青槍!!》

 

 引き金を押し込むと同時に、接近をいち早く察知した『三日月』編隊がばらりと崩れ、その位置へ向けてAAMと機銃弾が殺到してゆく。距離を察知した近接信管が反応し炸裂の焔を上げるも、わずかに1発が至近弾となった他は目立った損傷を与えること叶わず、『三日月』の3機は増速して瞬く間にこちらの射程から逃れていった。左右への機動で逃れられては、『オルシナス』で追いつける道理は無い。さっぱりと左右への追撃を諦め、レフはそのまま速度を増して、散開したエスクード隊の上方をフォローすべく機体を滑り込ませてゆく。

 

「一筋縄じゃいかねぇか…!久しぶりだな、クルス顧問技官!」

《…!君は、確か…キャンサー隊の…!》

「ここは連携といきましょうや。あいつらは俺たちが引き付けますんで、その隙を頼みます。攻撃を仕掛ける時には、『三日月』にも隙ができる。あんたたちの戦法なら、そこを突ける筈だ」

《は!?馬鹿にしないでよ!14(フォーティン)のマスター如きの命令を、何でクルスが聞かなきゃならないのよ!》

《まあまあ3ちゃん。怒ってたら折角の可愛いお顔が台無しよ?笑って笑ってー》

《…って姉さん!?なんで!?14は!?》

 

 頭上から機体を傾け、レフはクルスと装甲越しに視線を交わす。きゃあきゃあと通信を交わすふたつの球体をよそに、両者の間に漂うのは静寂。通信モニターに表情こそ見えないが、時折漏れる息遣いからは苦戦に喘ぐ焦燥と、鍛え抜いた戦術が通用しなかった屈辱、そしてそれらを皮一枚下に抑え込んだ冷徹な思考が垣間見えてくる。

 眼前に『三日月』の4機が合流し、上方からこちらを俯瞰する。機数で劣ろうとも、その挙動には退こうとする素振りも、迷い一つすらも見て取れない。

 

 深いため息、一つ。

 通信の先から帰って来たのは、『了解した』の一言だった。

 

《…!レフ…!》

《…ちょっと!クルス、こんな木っ端部隊相手に!》

《…私は、伝統あるエスクード隊の指揮官だ。ここで隊を損耗させる訳にはいかない。…レフ技官、力を、貸してくれ》

「………はいよ。きっちり隙は作ってみせる。止めは頼んだぜ」

 

 逡巡を経て、通信を揺らすのは責任感と誇りを宿した若い声。存外に真摯なクルスの声に、レフはかつての(わだかま)りが氷解するような感覚に抱かれた。クルスなりの信頼を示すかのように、エスクード隊の5機は左右へ大きく分かれ、荒天に紛れながら旋回へと入ってゆく。

 

 眼前、頭上には『三日月』4機。

 対するこちらは、新生キャンサー隊となる3機。機数、機位ともに、皮肉にもその様は数か月前の『円卓』と寸分たりとて異なっていない。

 

《繰り返す、これは警告である。こちらUPEO所属アクティアス隊。両軍、ただちに空域より…》

 

 虚しい停戦を呼び掛ける張り子の調停者の声も、もはや意識に届かない。周囲に数十機が円弧を描く乱戦の巷で、レフ達と『三日月』の間には奇妙なまでに静寂が漂っている。

 

 稲妻が光る。

 閃光が、4つの機影を残光のように照らしあげる。

 ――来る。

 

《撤退の意志無しと判断。これより介入を――》

 

 名も知らぬ、場違いなUPEOの男の声。

 それを開戦の皮切りとして、『三日月』とレフはほぼ同時に機体を翻した。左右両翼から逆落としを仕掛けるF-35ARに対し、レフも右操縦桿を奥へと倒しこみ、左の敵機へ相対する進路を取る。

 これで、3度目。負けながらも着実に力をつけ、負けないだけの実力を身に着けて来た自負もある。今日こそは、ここで『三日月』を倒して見せる。

 

 胸に燃えるは、闘志と競争心がないまぜになった、らしからぬ戦意の熱。鋭い槍と斧が交わるように、その進路は真正面から交錯してゆく。

 

 心に宿るその思いは、しかし欠片たりとも成就することなく。

 眼前の2機が唐突に爆炎に包まれる光景を前に、脆くも潰えていった。

 

《…え!?》

「…な…んだ!?『三日月』が…!?」

《…は、ハルヴ1、ハルヴ3!!…何だ、何が起こった!?》

 

 前触れなくばらばらに砕け散り、焔を刷いて墜ちてゆく『三日月』の残骸。動揺の声が空を揺らし、静寂は混乱へと塗りつぶされてゆく。

 何だ。一体、何が。

 焦燥に汗を滲ませながら、慌ただしく走らせる視線。レフはその最中に、上空から急降下する一団の機影を捉えた。

 

 距離、概ね2500。4機編隊ながら1機は大きく先行し、残る3機は鏃型に遅れて追随してきている。その鼻先はこちらからやや右へと逸れ、回避運動を取るハルヴ隊の2機へとまっすぐに向かっていた。識別は、UPEO所属『アクティアス隊』。機種――『グリペンJ(イェーガー)』。

 

《『アルテミス』より各機、このまま残りも叩きます!》

《待て、先行し過ぎるな!…おい、聞いてるのか()()()!!》

《その塗装は、パパの誇り。身を捨てて明日を掴んだ、パパの象徴だ…!何の所縁もないあんたたちに預けて堪るか!!》

 

 閃く雷電を背にしてなお、レフはまざまざとその様を捉えた――捉えてしまった。

 突出する1機の翼下が光るや、そこから放たれた高速の弾丸が、過たず『三日月』の片割れを貫くのを。

 ハルヴ隊らしい変幻自在の回避運動を取る最後のF-35に対し、その機動を先読みするように『狙撃』された第2射が、『アドバンスドライトニング』の胴体を撃ち穿つのを。

 そして――葬り去った『三日月』の爆炎を裂いて擦過した『グリペンJ』の左翼に、それと瓜二つの三日月が刻まれているのを。

 

《レールガン…!?馬鹿な、あの『三日月』が一瞬で全滅だと…!?》

《お…俺、夢でも見てるんスか…?それも、とびきりの悪夢を…》

 

 一瞬の出来事に、呆気に取られるクルス。呆然とした口調で、虚ろな目を向けるカール。イングリットも絶句のあまり言葉を失い、戦場は一瞬の虚に包まれる。

 あれだけの強勢を誇った、GRDFのエース部隊が、こうも簡単に。反応こそ十色だが、共通しているのは『信じられない』という一言のみだった。

 

「……冗談キツいぜ、こりゃ」

 

 思わず掌を額に当て、レフはぽつりと呟く。

 

 航跡を引き旋回しながら、こちらへ相対する姿勢を示す『三日月』の『グリペン』。

 その翼下に散った黒翼の4機の残影は焔の残滓を身に宿し、やがて荒れ狂う波の下へと呑まれていった。


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