Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第23話 機械と人間(ひと)

 芳香剤が醸す虚しい石鹸の香りが、開けた電子扉の先から鼻孔へ飛び込んでくる。

 

 踏み込み、一歩、止まる足。

 壁掛けの時計は午前10時過ぎを指すにも関わらず、全ての窓にカーテンが下ろされ、屋内の電灯も消えた部屋の中は見渡せないほどに薄暗い。明るい廊下から一転した暗幕の視界に、レフは瞼を薄く開き目を凝らした。

 

 さして広くない部屋に、人影は一つ。部屋の三分の一ほどを占拠するベッドに腰掛け、パソコンのディスプレイに朧に照らされた相貌は青白くなり、ひどくやつれて見える。これまで以上に頬が削げ落ち、普段はオールバックに整えている黒髪も今は前に横にと跳ねた無秩序な有り様となり果てて、往時の在り様を察するのは難しい。長裾の白衣を着用していなければ、レフも眼前に悄然と座るその人物が、曲がらぬ頑なな意思を宿すあの男――フォルカー・アーノルトだとは咄嗟に判断できないであろう。

 

 唐突に部屋に差し込む光にも、フォルカーの瞳はレフを省みる素振りも無い。鼻から軽くため息一つ、レフは口元をへの字に曲げながら、フォルカーの前へと腰を下ろした。携えてきたトレイをテーブルへと下ろすと、かちゃん、と陶器が触れる小気味良い音とともに、コーヒーの芳しい香りとクロワッサンのバターが焼けた甘い匂いがふわりと屋内に広がっていく。

 

 先に口を開いたのは、ぱちり、と傍らに置かれた電灯のスイッチを押したレフの方だった。

 

「手間かけさせんじゃねえよ」

「………悪いが、席を外してくれ」

「そうはいかねぇ。お前、こないだの出撃から何日引き籠ってたと思ってやがる。食堂のおばちゃんが心配してんだよ」

「…………」

「カールも、イングリットもおやっさんも、それにスフィアもだ。お前がトレイを空にしないと俺も帰れねぇ。あんまり我を張るようなら頭押さえつけてでも食わせるぞ」

「……………」

 

 軽食のトレイとパソコンを間に、そこで二人の会話は途切れる。

 こちこちと時を刻む秒針、時折陰影を変えてフォルカーの顔を照らすディスプレイ。焦れるような停滞を前に、レフはむらむらと腹立たしさを感じ始めてきた。何せ部屋に入ってこのかた、フォルカーはまともに口を開くどころかレフと目を合わせることすらしようとしないのである。瞳は相変わらず目の前のディスプレイに落ちているが、かといってそれを熱心に観ている風でもなく、まるで空を漂う雲を眺めているような空漠とした風情すら見て取れる。

 

「…お前な、さっきから熱心に何を見て………。ったく!」

 

 停まった空気に耐え兼ねたかのように、腰を上げフォルカーのディスプレイを覗き込むレフ。ちらりと映像を捉えるも一瞬、レフは吐き捨てるように声を荒げ、乱暴にディスプレイを折り畳んだ。力を込めた拍子にコーヒーの水面が揺れるのも構わず、レフは呆れと憤り半々となった双眸でフォルカーを覗き上げている。

 

 濁った水底と、泥に半ば埋もれた金属の外骨格。フォルカーのディスプレイに映し出されていたのは、先日のオーレッド湾底調査時に撮影した映像だったのである。

 

「いつまで終わった事を見続けてんだ!こんなもんを何万回見返そうが、過去はもう変わらねえんだよ!!」

 

 膝立ちになり、激情したレフはパソコンへと掌を叩きつける。食いしばる歯、ふう、ふうと荒ぶる吐息。動と静の膠着の間で、フォルカーの目は僅かに揺らいだ。

 

 レフの言う通り、全ては3日前に終わってしまったことだった。

 フォルカーの策謀通り、戦禍と混乱の巷となったオーレッド湾上空。その隙を打ち、全てを投げうって強行したフォルカーによる海底調査は、しかし全て徒労に終わった。

 当時のオーシアとサピンにより遺された極秘調査の結果通り、海底に横たわっていた8()()の『ヴァルハラシステム』搭載機の残骸。順調に発見されたそれらは、しかし肝心の『ヴァルハラシステム』搭載部分たる機体前方部分がことごとく失われ、求めるシステム中枢部はおろか搭載データすらも入手することが叶わなかったのである。そのうちの大部分は明らかに人為的な手によって持ち去られた形跡が見て取れたが、フォルカーにとってその過程はさしたる問題でなく、『ヴァルハラシステム』が一つたりとも入手できなかったという結果のみが現実として重くのしかかったのだった。

 

 UPEOとゼネラルリソースの間に交戦状態を引き起こし、さらにオーレッド湾上空での大空戦を経た結果、失われた命は果たしてどれほどだったか。そのことごとくが無為となってしまった現実は、フォルカーを廃人同然の姿に変えるのに十分に過ぎるものだったと言えるだろう。

 

 だがレフに言わせれば、それらは全て終わったことでしかない。それを、未練がましく部屋に閉じこもりながら調査映像を眺め続け、現実との直面を今なお避けようとしている姿勢こそが、レフには許せなかったのだ。

 要諦は、ポーカーと同じである。全てを賭し、全てを投げうって、フォルカーは自らの『役』に賭けた。それが不意になった今、敗北を認めて清算するしか――あるいは卓をひっくり返し、全てを捨てて逃走するしか、他に道は無いのだから。

 

「お前がここに籠って目を逸らし続けてりゃ、現実は変わるのか?違うだろう!?勝てば官軍とは言うがな…お前は、その賭けに負けたんだよ!!」

 

 さっと紅潮する頬、額に浮き出る血管。レフの言葉に殻を突かれたかのように、瞬間フォルカーの表情が様相を変える。

 まるで能面にひびが入るような錯覚を覚えた、その一瞬後。がばりと唐突に腰を上げ、襟元を掴み上げたフォルカーの様に、レフはあやうく足元を崩しかけてたたらを踏んだ。ひび割れから意志が染み出すかのように、揺らいだフォルカーの瞳からは大粒の涙が零れ落ちている。食物はおろか水さえ満足に摂っていないだろうに、どこにそれだけの水を湛えていたのかと思うほどに、それは止めどなく零れていった。

 

「何人だ。……一連の私の計画で、何人が死んだ?」

「………UPEOの理事と、あの時のUPEOの護衛機。『円卓』。この前のオーレッド湾でも大勢死んだ。誘発して起こった戦闘も含めれば、5、60にはなるだろう。下手をすりゃ3桁だ」

「………。……。…私は、誇りを取り戻したかった。ベルカ公国から連なる研究者の家系として、自らの矜持を取り戻し、自らを肯定したかっただけだった。『ヴァルハラシステム』はその手段であり、犠牲と言う名の過程は、結果で報われる筈だった」

「……」

「だが。…だが!計画は頓挫し、『ヴァルハラシステム』は得られず!私の背には策謀の汚名と、数十の犠牲だけが残った。……分かるか!?数十だ、数百だ!その命の全てが無為になったんだ!!君にこの重さが、この失意が分かるのか!?」

 

 襟を掴む拳に力が籠り、布地がぎしりと悲鳴を上げる。これまで抑え続け、殺し続けてきた感情が堰を切ったように、フォルカーの口からは激情が零れ、目からは涙が溢れ続けて来る。

 

 正面から見据える。

 深く息を吸う。

 間、一瞬。

 感情と重圧を双眸に受けて、レフは応じるように口を開いた。

 

「分からねぇよ、馬鹿」

「…!」

「父親や爺さんの誇りを引き継いで、研究者として名を上げる。立派な話だよ。お前の背にある『伝統』っつうバックボーンは、俺にとっちゃ羨ましい限りだ」

「………」

「だがな。お前はその目的の為に焦り、最短距離を選んだ。理性で感情を押し殺すとはよく言うが、お前はまさにその通りに、人間らしい情やら思いやりを捨て去って、理性に徹しきっちまったんだ。まるで機械みたいに…ここに来た当初のスフィアみたいにな」

 

 真っすぐに交わる視線の先で、フォルカーの瞳が揺れる。は、と短く息を吸い、意識を内奥へと向けるように細かく揺れる双眸の様は、フォルカーの心の揺動を物語っているかのようであった。

 襟を締め上げられながら、なおもレフは言葉を継いでゆく。

 

「クソ喰らえだ!俺は感情を…俺自身の物差しと直感を第一に生きてきた。他の連中だってそうだ。それぞれの価値観で悩み抜き、自分で考えて納得した上で行き先を決めてる。――俺たちは人間だ。ヒトっつう生物である以上に、人間っつう存在だ。人間らしい感情抜きに、機械みてえに判断してりゃ、そりゃ今のお前みたいになるだろうよ。…俺たちは、機械じゃないんだからな」

「……人間と、ヒト………」

 

 言葉が意思を帯び、意志が情を孕む。

 瞳の揺動が増すのに応えるように、フォルカーの腕の力は弱まっていき、やがてその双腕はレフの襟を掴んだまま力なく崩れ落ちた。正面を見据える力も無く、フォルカーは項垂れたまま、自省するようにぽつりぽつりと口を開いてゆく。弱々しく探るようなその言葉は、まるで自らも与り知らない心の奥底を指先でなぞっていくかのようだった。

 

「……私は、冷徹たれと自らを戒めてきた。我々は動物ではない、人間なのだと。理性で以て感情を制してこそ、ヒトは人たりうるのだと。…人間らしさは時として判断を狂わせ、不要な変化や不確定要素をもたらす。だからこそ私は、研究者として、術策を成すものとして冷徹に……そうだな。君の言を借りれば、『機械のように』努めてきた」

「人間は、学習して変わってくもんだ。俺もおやっさんや遭遇した敵の連中…それに……その、何だ。スフィアのお蔭も…少しだぞ、ほんの少しだが。何にせよここで出会った連中のお蔭で、俺は少しずつ変わることができた。機械じゃないからこそ、俺たちは変化する。そしてそれは悪じゃねえと、俺は思う。……その点では、お前よりスフィアの方がよっぽど人間らしいかもな」

「……ふ」

「…何だよ」

「………君の口から、まさかそんな言葉が出るとはな」

「変化ってやつだ、これが」

 

 ふ、と微笑んだような吐息を合図に、フォルカーの腕がレフの襟を放してだらりと下がる。

 背筋を僅かに傾け、頭を上げたフォルカーの顔。そこには苦いものを噛み締めたように歪む口元と、眉尻を下げて和らいだ目があった。熱病に浮かされたような妄執の色は既にその瞳を去り、変わって悔恨と失意と、一抹の平穏をないまぜにしたような複雑な表情が浮かんでいる。

 肩を押す。

 その力に随うように、フォルカーはよろめくように一歩、二歩と下がって椅子へと腰を下ろす。押す側のレフが驚くほどに、その体は力なく軽いものだった。

 

「幸か不幸か、ここいらの各勢力は打撃を受けて膠着状態。『待ち』の時間だ、手前自身を見直す時間は腐るほどある」

「…そうだな。………省みてみようか。私のこれまでと、これからを」

「ま、とりあえずはそれを食え。食べるのも、機械じゃねえ人間の特権だ」

 

 見下ろす顔に、に、と浮かべる笑み。

 応えるように弱々しくも口端を上げたフォルカーの顔を見て、レフは踵を返した。背にはかたり、と硬い音が鳴り、幾分冷めたコーヒーと口内の空気が触れるずず、という音へと変わっていく。

 

 衝突の後に揺蕩う、平穏の静寂。レフが電子扉のスイッチを押した瞬間、それは脆くも破られた。

 

「え、あ、マズ。扉開くっスよ!」

「!下がってくださいイングリット、何気なく通りかかった一般人を装うのです」

「えっ!?ちょ、ちょっと待って…きゃっ!」

「あら、あら。あらららら」

「………何やってんだお前ら」

 

 支えを失うように、横合いの体をそのまま部屋へと倒れ込ませるカールとイングリット。倒れた瞬間に腕をすっぽ抜け、床を転がるスフィアとスゥノ。そして、呆れを帯びたこの上なく冷徹な色で2人と2個を見下ろすレフ。どうやら扉に体を預けて盗み聞きを決め込んでいたのか、カールとイングリットは目が泳ぎ、いかにも白々しい。

 

「いや、いや違うんスよ!ホントにレフがフォルカーさんを殴り倒しに行くんじゃないかって心配で…ねぇ!」

「そ…そう、そうですよ!そりゃレフ技官が存外穏やかな顔で入っていくのは見てましたけど、でも万一…ねぇ!」

「あらー、でも割とノリノリで聞き耳立ててたわよね、二人とも」

「!!」

「よし。よしオーケー分かった。弁明は後でたっぷり聞いてやる。ゲンコツ何発か判断するのはその後だ」

 

 ぴしゃりと言い放ったレフは、見え見えの言い訳を交互に口にする二人の襟首を掴んで引きずるようにドアの外へと引っ張り出す。『邪魔したな』と言い残し閉じた扉の先には、穏やかに、どこか寂しそうに笑むフォルカーの姿があった。

 両手には、未だに弁明を喚きながらじたばたともがくカールとイングリット。スゥノはイングリットの、スフィアはカールの下腹部に飛び乗り、さながら橇に乗る人間のようにバランスを取っている。

 

「レフ」

「何だ」

「ありがとうございます」

「…………」

「…レフ?何だか頬が紅い………いたたたたた!ちょっと待って!もっとゆっくり引きずってっス!」

「焦げる!お尻が摩擦で焦げますからあぁ!」

 

 礼を告げる、短いスフィアの言葉。

 頬にじりじりと温かいものを感じ、レフはそれを振り払うように前を向くや、早歩き気味の速度で二人を引きずっていった。

 腹立ち紛れか、照れ隠しか。無意識なその感情は判然としないまま――。

 

******

 

 ほどなく日を経た、とある日の夜。ル・トルゥーアの基地施設の片隅、住居棟に設けられたフォルカーの居室から漏れ出る光が、暗く鎮まった廊下を朧に照らしている。

 部屋は、例によって薄暗い。遠くには野生のみみずくと思しき声が静かに響き、対となったベッドの上では、輪のように丸めたタオルケットの真ん中でスフィアがスリープモードに入り丸くなっている。

 暗い箱庭、パソコンの照り返しに浮かぶ相貌は独り。しかしその表情は、まるで憑き物が落ちたように、瞳に光を宿している。

 

 対するは、ディスプレイに映る白衣姿の一人の男。短く切り揃えた黒髪に、角の丸い方形の眼鏡。その奥にある瞳は一見して執念を帯びた意志の強さと狡猾さを湛えており、見る人によっては爬虫類を想起させる。

 ざ、ざ、と奔るノイズが収まり、通信が安定したのを見計らって一呼吸の間。先に口を開いたのは、フォルカーの方だった。

 

「お久しぶりです、サイモン技術主任」

《……。やつれたな、フォルカー主任研究員。一見では君と分からなかった》

 

 ディスプレイの向こうで、サイモンと呼ばれた男は驚いたように目をしばたかせる。気の毒がるような言葉でありながら、語尾にどこか研究対象を見るような驚きを帯びた張りがあるのは、果たして生来の研究者気質か、はたまた元来から他者への感傷が薄いゆえだろうか。すぐに詮ない事だと意識を外し、フォルカーは改めてディスプレイの向こうへと目を向けた。

 

「一連の事態について、報告書と始末書をお送りしました。…それと、辞職願の方も」

《ああ、受け取ったよ。内容を精査し、届け出の方は人事部に回してある。…それにしても、大変興味深い内容だった》

「…申し訳ありません。自ら願ってオーキャスを預かりながら、何ら成果を残すことはできなかった。それどころか私の独断専行の結果、ニューコム内にも多くの犠牲を出してしまった。私一人の首で償いきれるものではありませんが、ご了解頂ければ幸いです」

 

 告げる言葉は、非を認めながらも明確な意志を宿した、凛とした口調。後悔こそあれど、悄然とした空気を微塵も感じさせないその様を見て取って、サイモンは幾度かうん、うんと頷いた。サイモンの手元には紙片やディスプレイが幾つか揃えられているらしく、その視線はしばらく掌中の紙片へと落ちている。

 

 ニューコムの研究員としての職を辞す。ニューコムでのこれまでの実績を、それどころか研究員の家系としての誇りを取り戻すという目標すらも捨て去るに等しいその決断は、しかし先日の作戦失敗の後からフォルカーの脳裏に過ぎる選択肢ではあった。

 かといって、当初からその選択が大勢を占めていた訳では無い。ほんの数日前まで、フォルカーの脳裏を埋めていた決断とは、すなわち自決であった。

 まるで水底のような暗い部屋。光無い視界の中で、淀んだような海底の調査映像を眺め続けた数日間は、言うなれば自らの失敗と罪を認めるための時間であり、それを心に刻み付ける自罰の期間に他ならない。心身を苛み自らを罰する、ほんの僅かな甘美と多大な苦痛を要した日々は、しかしフォルカーの苦痛を埋めるのに十分なものではなかった。むしろその時間は日に日に己の失敗と引き起こした事象の大きさを否応なく意識させ、自らを裁くという一面へと意思を向けさせるばかりだったと言える。事実、あと2日でも同じ日々を続けていれば、フォルカーはこの居室で首を括っていたことだろう。

 

 それを踏みとどまらせたのは、不意に押し入って来たレフと、そのやり取りに聞き耳を立てて心配していたカール達の姿だった。自らの過程と結果に悔恨しか無かったフォルカーに対して、レフは彼らしい直截な言葉で、『人間として考えろ』と教えてくれたのである。

 

 もちろん、フォルカーの自罰の意識は変わってはいない。具体的に何をすればよいのか、脳裏に浮かんでいる訳では無い。

 だが、ここで死んでしまっては考えることも叶わない。自裁という思考停止に突き当たっては、もはや何も進むことはできない。

 あの日レフが居室を去り、ぼんやりとコーヒーを飲み干してから、フォルカーの心に浮かんだのはそんな思いだった。生きて、苦しんで、考え尽くせ。そう、彼は語りかけたのだと。

 

 もっとも、これだけニューコムに損害を生じさせた以上、自らの意思とは関係なく社会的にけじめは付けなければならない。何度も見直し、幾度も書き直した辞職願をひとまず電子データでサイモンへ送付したのはつい先日の事であった。

 以上の変転と自省を経たフォルカーの目に、もはやその心を縛る妄執のような憑き物は無い。やつれながらも瞳に僅かな光を帯びたその姿は、レフの叱咤やスフィアの在り様とも、けして無関係ではなかっただろう。

 

《興味深い、というのは、君の『オーキャス14』のことだ。残存した『オーキャス』のデータは、全てこちらに送られている。その中でも、『オーキャス14』の集積したデータは想像以上だと言っていい。これだけあれば、目標値の達成には十分だろう》

 

 流石に研究者一筋の男と言うべきか、辞職の話もそこそこに、サイモンの言葉は『オーキャス』へと向く。どこか偏執的な熱を帯びた目の色こそサイモンの常の姿だが、フォルカーはその言葉に疑念を覚えた。

 

 フォルカーの計画の一環で一時期ベルカに派遣されていたこともあり、確かに『オーキャス14』の戦闘能力や情報処理能力は配属当初から飛躍的に成長した。その成果は確かではあるが、単純に戦闘能力という点で言えば、ハインツが管理する『オーキャス3』や、純粋な戦闘機のAIである『オーキャス6』の方が遥かに優秀だと言えるだろう。事実、手元にある情報共有用のデータを省みても、『オーキャス14』の敵性目標の撃破数は際立って低い。元来が電子戦用である以上致し方ないことではあるが、それにしても想像以上と評価されるほどの戦果を挙げたという自覚はフォルカーに無い。

 

 研究者において、疑念と興味は直線上の存在である。

 いずれにせよ、間もなくニューコム・インフォ研究員という職はじきに辞するのである。放っておけばいいという無関心と、どうせならば知っておきたいという興味の葛藤は、あっさりと後者が勝った。

 

「…想像以上の成果、とは?」

《うん?》

「この際ですので、一つだけお伺いします。…サイモン技術主任。『オーキャス』とは一体何なのですか?航空機に搭載する戦闘用AIでありながら、その在り様は量産性や効率性を度外視しているように見受けられます」

《………》

「今ならばNEUと演習を行うなり、コンピュータ上でのシミュレーションなりで戦闘経験を重ねることもできた筈だ。なぜそれをせず、わざわざ現地部隊に派遣をするという手間を選ばれたのか。なぜ不要である筈の、人間と言語でコミュニケーションを取る能力が与えられているのか。お聞かせ願いたいのです」

 

 謎は謎を呼び、気づけばフォルカーは長広舌を振るっていた。『オーキャス』配備時にその意義は一応の説明は受けていたものの、どこか納得できなかった疑念が今になって顔を出したのだろう、一つと断った筈の質問は、気づけば複数に渡っていた。

 無人機の威圧感を与えない配慮である、コミュニケーション能力とCGモデル。そして無人機運用のため、コントロール奪取や暴走の防止を企図した自立思考型AIという存在。事前に説明を受けたその内容は、しかし矛盾に満ちている。

 そもそも、『オーキャス』はAIも機体も、それぞれが代替の効かないワンオフである。後の量産化に向けた実験機という意味合いは分かるが、それならば損耗の危険のないニューコムの本拠で試行を重ねるのが本来ではないか。すなわち『オーキャス』の現状は、公称されているその目的と配備の在り様が真っ向から食い違っているのである。

 

 ディスプレイから、溜め息一つ。

 『知ってどうするのだね』と返す冷たい視線にも、フォルカーの意思は屈することは無かった。

 

「どうか、お願いします」

《…先に断っておくが、辞職しても守秘義務が変わることはない。それは分かっているな?》

「無論です」

《…。…無から、人間に限りなく近いAIを作り出すのは不可能だ。それは知っているな》

「はい。サイモン技術主任が常々仰っていた事です」

《そうだ。…だが私はそれでも、人間に限りなく近いAIを作り出す必要に迫られたのだ。人間に擬態し、社会に溶け込んで、自然に()()()へ接近できる。いかなる形であれ、あの男を殺せるAIを》

「……え?」

 

 思わぬ方向からの答えに、フォルカーの思考が硬直する。

 『あの男』とは。それを殺すAIとは、一体どういう事なのか。脳裏に差し込む疑念と怯えをよそに、サイモンはなおも言を接ぎ続ける。歪んだ意志の籠った瞳を、病的に煌々と輝かせながら。

 

《君の言う通り、AIの戦闘能力はエレクトロスフィア上の反復演習でどうとでも補うことができる。何と言ってもAIは生物では無く、したがって疲れを知らない。たとえ24時間であれ、AIは演習を続けて技能を向上させられるだろう。そのための素体は既に作り上げ、ディスクデータに落とし込んだ上で演習を重ねている》

「と、言う事は…」

《察したようだな。つまり元より、各『オーキャス』に戦闘データの収集など期待してはいないのだよ。私が欲していたのは、ただ一点。生身の人間と円滑にコミュニケーションを取ることができる、人間に限りなく近い対人技術の収集だけだ。人と対した時、どのように応え、どのような表情を示し、どんな興味を抱くべきか。その莫大なデータは、机上の演習だけでは到底得られない。君のところの…あー、何と言ったか。例の航空技官のように、『問題児』と報告される我の強い人間へ『オーキャス』を付随させたのもその為だ》

「レフを……指名したというのは…その、理由で…」

《その点、『オーキャス14』のデータは申し分ない。これらの対人データを組み込めば、私の『NEMO(無銘)』も完成する。今は幾万幾億のシミュレーションでのみ奴を殺し続けているが、これが現実となるのだ》

 

 つり上がったサイモンの口端から、かかか、と弾けるような空気が漏れる。それがサイモンの笑い声だと理解するまでに、フォルカーは数秒を要した。

 

 つまりサイモンにとり、ニューコムの発展も、技術的な進歩すらもその眼中にはなく、目指していたのは『あの男』とやらを殺害するという個人的な欲求のみだったのである。派遣された研究員はもとより、多大な予算を割いた『オーキャス』もまた、サイモンにとっては人間と接させるためだけの機械に過ぎなかったのだろう。そしてそれは、少なくとも『オーキャス』が設計されるはるか前から練り上げられた計画なのに違いない。なぜならば、『オーキャス』の正式名称は『Omen, Autonomy Controlled Aircraft System』――すなわちその冒頭言『Omen』は、サイモンが開発したという『NEMO』のアナグラムなのだから。

 

 その真実に対面し、フォルカーは恐怖した。

 全てを欺瞞しながら人も資源もことごとくを費やし、人一人を殺すためだけに情熱を傾ける。いくら機械のようだと謗られようが、サイモンに比べれば自分は遥かにかわいい方だった。熱病に浮かされたように嬉々として語るその様からは、もはや狂気しか感じ取れない。

 

 気づけば額に浮いていた冷や汗を、フォルカーは掌で拭い取る。『オーキャス』について、サイモンについて事細かに聞く気は、もはや薄れていた。

 

「…ありがとうございました」

《ああ。…じきに辞令が届くが、君は『オーキャス14』と、代理で預かっている『オーキャス1』を携えて一度スーデントールへ向かえ。そこで『オーキャス』とデータを譲渡してからポート・エドワーズへ帰還するように》

「スーデントールへ?」

《そうだ。旧ノースオーシア・グランダーIG社の施設跡に、ニューコム・スペースと共同の開発施設が完成している。そこへ『オーキャス』を譲渡すれば、サピンでの君の任務は完了だ。質問は無いな?》

「…はい」

 

 熱を冷ましたように、サイモンは素っ気なく上司としての辞令を伝えて、ぷつりと通話を切る。再び砂嵐が戻ったディスプレイを前に、フォルカーは疲労感を覚えて背もたれに身を沈めた。

 

 サイモンの真意、『オーキャス』の真実。聞くべからざる怨恨と策謀の渦に、フォルカーの脳内は困惑の螺旋を描いていた。何をどう整理すればいいのか、もはや分かったものではない。

 渦巻く心を静めるべく、深くついた息。その拍子に薄く目を開けると、そこにはスリープモードに入り微動だにしないスフィアの姿があった。先の話を省みれば、本社への招聘と同時に『オーキャス14』もここを引き払うことになるのだろう。それは偏に、『オーキャス14』とレフ達を引き離すことと、そして二度と再会が叶わないことと同義である。

 

 これまでの自分ならば、おそらく無視していたであろう感傷。

 しかし今のフォルカーには、機械と人間の間に生じた絆というべきその紐帯を、見過ごすことはできなかった。

 

 心臓は落ち着きを取り戻し、暗闇の中でフォルカーは漆黒の球体を見つめながら、幾度となく息をつく。

 

 草木も眠る、夜の帳。不意にとある名案を思い付くまで、フォルカーの重い吐息は続いていた。

 

******

 

 『死』という前兆無い離別と比べれば、それは遥かに上等ではあっただろう。

 それでも、その言葉はレフにとって唐突だった。

 

「何だと?」

「だから、今月末で我々はここを引き上げると言ったんだ。私に付随していたニューコム・インフォの部隊も、もちろん『オーキャス14』や『オーキャス1』も退去することになる」

 

 灰色拵えの格納庫に翼を休める、青槍の意匠を施したR-211C『オルシナスC』の傍ら。乗機の確認のため作業着姿で機体を見上げていたレフは、唐突にフォルカーから告げられたその言葉に整備確認書類を取り落としかけた。数多の騒音と人声飛び交う屋内で、その周囲だけは腹立たしいほどに静寂にすら感じられる。

 揺らぎそうな視界の中、反射的に壁へと向けた目に映るのは、2040年の1月を示す壁掛けカレンダー。日付は既に半ばを超え、『今月』といえばあと2週間ほどしか残っていなかった。

 

「…そうか」

「ああ。ル・トルゥーアの幹部連には今しがた話したばかりだが、君たちにも真っ先に伝えたかったのでね。カール技師にも直接話そうかと思っているが」

「やめとけ、俺から先に話しておく。あいつは下手すると失神しかねん」

 

 言葉に詰まるレフと対照的に、フォルカーは流れるように言葉を紡いでゆく。まだ頬のあたりに幾分やつれた印象は残っているが、オーレッド湾での作戦直後と比べれば外見上は回復したように見て取れた。何より、目や言葉の端々に漂っていた切羽詰まったような緊張と焦燥はもはや薄れ、精神を自ら磨り潰すような緊張はその相貌から消え失せてしまっている。レフに言わせれば、鬼気迫るかつての姿を比べれば、憑き物が落ちた今の姿の方がいくらかでも健全だった。

 

 フォルカーの言葉が向かう先、当のカールは今は不在である。数少ない戦闘機隊の一人として今はイングリットと共に哨戒飛行に出ているのだが、今はカールの不在が幸運だったと言えるだろう。何せ人一倍スフィアのことを気に入っていた男なのだ。あと半月足らずで離れねばならないと知った暁には、顔面からあらゆる液体を垂れ流して悲嘆した上で、この先1週間は部屋に閉じこもる可能性もある。大槌を振り下ろすようにフォルカーの口から言わせるよりは、日々の生活の中でそれとなく切り出していく方が、まだ彼我の影響は少ない筈であった。

 

「で、当のスフィアはどうした。今日は俺もまだ見てないが」

「持って来ようかと思ったが、今日は君たちに会いたくないそうだ。あれなりに寂しいんだろう」

「…チッ、子供か。人間臭いこと言いやがって」

 

 レフの口を突くのは、反射的な悪態の言葉。それをレフなりの照れ隠しと寂寥の表現だと受け取ったのか、フォルカーは僅かに口元を緩ませた。

 レフとしては、そう評したくなるのも当然であった。離別――それもおそらく永遠の――に寂しさを覚え、へそを曲げて部屋に閉じこもるなど、まるで両親の引っ越しに反対して泣きじゃくる小学生のようではないか。

 

 脳裏に蘇る、着任してからこれまでのスフィアの姿と言葉。不意に去来し、胸を乱すようなその感慨から逃れるように、レフは話題を変えるべく口を開いた。本題から逃れてはスフィアと変わらないではないか、という思いも片隅にあるが、今それを正面から受け止められるほど、レフも自らを納得させきれてはいない。

 

「それで、お前はこれからどうする。ニューコムを辞めるってのは前に聞いたが」

「君らしくないな、私を心配してくれるとは」

「いや、正直ザマァとしか思ってねぇが。興味はあるんでな」

「…まぁ。まあ、そうだろうな。…さて、どうしたものか。ニューコムの関係企業に再就職はできない。かといって、今更ゼネラルリソースに行く気も無い。今回のサルベージ船の手配でルーメンの企業と繋がりはできたので、そちらにでも声をかけてみるかな」

 

 遥か先を望むように、フォルカーは顔を庇の下へと向ける。眩しいように目を細め、斜めに注ぐ冬の日差しに瞳を泳がせるその姿は、わずか1か月前とはもはや別人の感があった。あれだけ技術者としての成功を目標として定めていた男が、今は気ままに再就職先を探しているというのは、感心でもあれば不思議でもある。

 今の姿と、かつてのフォルカー。その両者を重ね合わせ、レフは思わずはっ、と笑みを刷いた。

 

「?どうした、急に」

「いや、人間こうも変われるもんだと思ってな。今の姿を1か月前のお前が見たら、掴みかかって激怒するだろうよ」

「AIがああも変われるのだ、人間だって変わることはできる。その可能性を教えてくれたのは、他ならぬ君たちだ、レフ技官」

 

 奇襲とは、戦術上極めて有効である。

 先の先を取ることで、虚に囚われた相手の対応を封じる――さながら奇襲的にフォルカーから感謝の言葉を受け、レフは数瞬思考が止まった。

 ついぞ人を褒めることのなかったフォルカーの言葉。噛めば噛み砕くほどに、恥ずかしさすら覚えるその内容。脳裏が再始動を果たすと同時に、ふ、と噴き出した息は、やがて快活な笑い声へと変わっていった。

 

「はは、ははははは!な、何だお前!その…くふっ、そのこっ恥ずかしい発言は!今どき中学生でも言わねえよ!」

「随分だなレフ君。私は思ったままをだな…」

「はは、はー…涙出たわ。もういい、要件は分かったからもう行った行った。これ以上笑わされて点検の邪魔されたら敵わねぇよ」

「心外な…。……レフ君。まだ離任まで時間もある。『オーキャス14』……いや、『スフィア』とも、話をしてやってくれ」

「………そのうちな」

 

 笑いのあまり浮かんだ涙を指の腹で拭い、掌を振って追い払うようにフォルカーへジェスチャーを返す。書類を手に、『オルシナスC』の主翼を見上げたレフに向けたフォルカーの言葉にも、レフはそれ以上目を合わせることは無かった。それ以上の反応は無いと見越したのか、フォルカーは踵を返し、奥で作業を進めるおやっさんの方へと歩いていく。

 

 どこか意固地なその反応は、照れ隠しでもあれば寂しさを紛らわすためでもあり、何よりそれほどまでに心を動揺させる自らへの戸惑いでもあった。

 いうまでも無く、あれは――スフィアは機械である。呵責なく命を奪い、幼い日の人生を根底から覆した忌むべき存在の筈である。いくらこれまでの戦歴で理解し、和解して相棒となったにせよ、その根本は変わることはない。そもそもが期限区切りの一時的な配備だったのだ、遅かれ早かれこうなることは分かっていた筈なのである。

 

 なのに。なんでこんなにも、心が乱れてしまうのか。

 

 感傷の残滓を振り払うように、レフは常以上に懇切丁寧に、自らの『オルシナスC』の各部へと目を奔らせてゆく。千々に乱れた感情は理性を上滑りして、ややもすれば検査そっちのけでスフィアのことを想ってしまっているのが、我ながらどうしようもなく腹立たしい。

 

「…スフィアが、そうか」

 

 寂寞と、理不尽と、重ねた信頼の重さと。心に積もった感情の澱が、口を突いてぽつりと零れる。

 格納庫の薄暗い端では何やら言葉を交わしながら、おやっさんとフォルカーが『オルシナス』をちらちらと見やっているのが、今のレフには幾分煩わしかった。

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