Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第24話 The next step

 悲しいほどに澄んだ冬空が、揺蕩う雲とともに天を覆っている。

 時に、2040年1月末。冬の最中のサピン南部にも関わらず、降り注ぐ柔らかな陽光と、冷たくも爽やかに吹き抜ける風は肌に心地よく、小春日和と呼ぶに相応しい。もって2日ほどの晴れ間ではあるだろうが、長い冬の中にあっては恵みの好天ともいえる空である。

 

 ル・トルゥーアの小さな格納庫前に広がる広場には、佇むいくつかの機影と人の姿。

 弧を描いて湾曲した主翼を持つ大型の機体は、ニューコムの主力中型輸送機であるR-502『ストレクタス』。その傍らには『ヴェパール』と『マルティム』が扁平な機首を並べ、コバンザメのように『ストレクタス』の影に付随しているのも見て取れる。いずれも十分に暖気を済ませているのだろう、エンジン回りからは既に陽炎が立ち上り、その回転数を物語っていた。

 

 『ストレクタス』の横にぽつぽつと並ぶ人の影は少ない。

 フォルカーは輸送機を背にして副司令と何やら言葉を交わし、2個の球体であるスフィアとスゥノは、それぞれカールやイングリットと名残を惜しんでいる。カールなどは眦に既に涙を浮かべており、その寂莫と未練を如実に物語っていた。

 

 2週間ほど前にフォルカーから宣告された、ル・トルゥーアからの異動――すなわちスフィアとの別れの日。

 その当日を迎えてなお、カールやイングリットの後ろに佇むレフは真一文字に引き結んだ唇に苦い表情を浮かべ、自らの心の乱れを呑みきれないでいた。

 

「ぐすっ…。本当に残念っス。スフィアちゃんともスゥノちゃんとも、もっと長く飛んでいたかったっスよ…。この数か月、死ぬほど大変だったっスけど…それでも楽しかったっス」

「あらあらあら、カールったら涙と鼻水で顔がくしゃくしゃ。ニンゲンって、こんなに水分が出てくるものなのねぇ」

「イングリット、この通りレフは横暴ですしカールは比類なく頼りないので、私は心配です。二人をよろしくお願いします」

「うん…うん!任せて!二人にダブルラリアット叩きつけられるくらい強くなるから、私!」

「スフィアちゃん何ヶ月経っても冷たいっス…でもそこがいい…」

 

 思わず世迷言を口走るカールと物騒な事を言い始めたイングリットの背で、レフの足はしかし動かない。

 おそらくは、永遠の離別。その現実と、『機械との別れを拒む』自らの心に、そして今なお続く動揺の大きさに、レフは今なお戸惑っていた。

 

 寂しい。切ない。辛い。本能が叫ぶその言葉を、しかし機械に親を殺されたという自らの来歴と、何より意地が口にするのを阻む。当初(はな)から機械をあれだけ嫌っていたというのに、今更別れたくないなどと女々しいことを言ってなるものか、という馬鹿らしい意地が己を縛り続けている。

 それは意地というには、いくらか幼稚に過ぎるものかもしれない。レフ自身、素直になれないのも言葉をかけられないのも、その根源は気恥ずかしさであることは自覚している。感謝したいという思い、別れたくないという欲と、気恥ずかしさや意地。真っ向からぶつかり合う感情の相克が、今となってもなおレフの脚と口を引っ張っているのだった。

 

 実際には、フォルカーから話しを聞いて以降、スフィアと言葉を交わそうと何度か試みはした。

 しかしその度に心が怯み、あるいはスフィアとすれ違って会えずじまいとなり、結局こうして当日を迎えてしまったのである。対面を先送りにしてきたツケか、こうして最後の日となってしまった今日も、なんと言葉をかけるべきか未だに心は定まっていない。

 

 踏み出せない、最後の一歩。レフの心中を知ってか知らずか、副司令と話すべきことは伝え終えたらしいフォルカーは、レフへ向けて足を進めて来た。

 

「レフ君、君には迷惑ばかりをかけた。…同時に、『人』としての心の重さも知ることができた。改めて、君にはお礼を言いたい」

「やめろ気持ち悪い。礼なら人事部に掛け合って、給料1割ほど上げてくれ」

「ははは、もちろん別途用意しているが、それはさておき。…()()()()とは、話はしたかい?」

「………いや」

「…あれもまた、君から多くを学んだ存在だ。おそらく、あれとはもう会えることはない。心を知った『物』の最期の土産に、声をかけてやってくれ」

「……らしくねえな」

「お互いにな」

 

 したり顔で目くばせを向けるフォルカーに、レフの心がいら、と疼く。オーレッド湾の作戦の後に和解して後、心に余裕を取り戻したためか、どうにもこの所のフォルカーはレフに先手先手を打ってくる節があった。スフィアにしきりに挨拶を勧める今も、年頃の息子の見合い相手を方々から探すお節介な母親のような厄介さを被せて来る辺り、レフには何ともやりきれない。できるならば一発殴ってやりたいが、流石に今は自重するだけの分別は、レフも持ち合わせていた。

 

 観念に、要するは数秒。

 目で促すフォルカーの脇を抜け、レフは意を決してスフィアへ一歩を踏み出した。気づいたのか、はたまた待っていたのか。カールと話していた体をレフへと向け、スフィアは黒い球体の上面を開け、CGモデルの表示されたディスプレイから見上げている。

 

「……俺の『オルシナス』は複座(二人乗り)なんだがな」

 

 いざ前に立ち、真っ白になる頭。考えていた一言目も消え失せて、最初に口を突いたその言葉を自省して、レフは直後に赤面した。

 

 何を言っている、俺は。

 まずい、これはまずい。まず第一に意味が分からない。別れの挨拶の第一声に言うべき事柄ではない。さらに穿って考えれば、聞きようによってはこれは――『オルシナス』の後席はお前以外にないというような、告白、に、類する、のでは。

 いや、違う。違うぞ。そういう意味では断じてない。単にここで別れるのは惜しいという意味であり、今まで通りの空戦が一人ではできなくなるという意味であり、それらが言葉足らずになっただけであり。

 

 何を言いたいのか。何を言いたかったのか。何を言えば伝わるのか。

 

 焦りと感情が喉を詰まらせ、言葉が脳裏に渋滞する。照れくさそうに眼を泳がせるレフの様におかしさを堪えるカールやイングリットの姿も、今のレフには意識の外だった。

 

「いや、あれだ、違うぞ。その、つまり…」

「レフ」

「…な。…何だよ」

「あなたは、絶えず私の刺激でした。理不尽に怒り、理不尽を怒り、そんな理不尽を抱いている」

「……」

「心があるということ。意志を持つということ。それゆえにヒトという種族は『人間』たりえるのだということ。それを理解し、無から生まれた私が『意志』という有を得られたという事実は、私にとって無上の宝物です」

「スフィア…」

「ありがとう、レフ。あなたたちのお蔭で、私は成長することができました。一個の戦闘用AIとしてでなく、一個の人格として」

 

 ふ、と漏れる息。心に込み上げる感情。

 気づけば、レフは掌で額から目の上までを押さえて、腹の底から笑っていた。

 

 なるほど、これは傑作だった。迷ったまま感情を口にできない自分に対し、スフィアは自らの心を整理して、一つの人格として感謝を示して見せた。機械を毛嫌いしていた自分と比べて、その機械であるスフィアがこうでは、もはやレフの意地とやらは立つ瀬も無いではないか。

 

 ひとしきり、目に涙を浮かべるほどにレフは笑って、まっすぐにスフィアと瞳を交わす。――ああ、やはりこいつには敵わない。

 

「お互い様だな。こっちだって、お前のお蔭で成長した。俺も、カールも、イングリットも。皆だ」

「私が?…私が。私が…。…それは、とても。とてもとても、嬉しいです」

 

 にこりと浮かぶ笑み、繋がる意思。暖かな離別の結びに小春日和の熱を感じ、レフは心が和らぐのを覚えた。短くも確かなやり取りを見て取ったのか、フォルカーは腕時計をちらりと見やり、集った両者へと声を上げる。

 

「名残惜しいですが、そろそろ定刻です。我々は出立しようと思います」

「えー!ええええー!もう行っちゃうんスか、スフィアちゃんとスゥノちゃんー!」

「縋りつくなアホ。こんなデカい機体をこれ以上駐機していられるか」

 

 悲しみの余り、最後にスフィア達を抱きしめるべくダイブするカール。その強襲を華麗に回避しカールの頭をジャンプ台代わりに跳躍した2個は、そのままフォルカーの腕の中へと納まった。地に転がるカールは泣きながら、それでも最後の暴力的なスキンシップに満足したらしく、わずかに幸せそうな微笑を浮かべている。見下ろすレフの眼差しは、とても気の毒なものを見る時の憐れみの色を帯びていた。

 

「それでは、()()私はここでお別れです。レフ、イングリット、カール。ありがとうございました。おやっさんにも、よろしく伝えてください」

「私()もう会うことはないと思うけれど、とっても面白かったわぁ。3人とも、元気でね」

 

 それを最後の言葉にCGモデルが陰り、閉じてゆくスフィアとスゥノの外殻。どうやら『ヴェパール』と『マルティム』は『ストレクタス』から遠隔操作でコントロールするらしく、スフィアとスゥノはフォルカーに抱えられたまま、連れ立って『ストレクタス』の昇降口へと向かっていく。

 フォルカーの脚がタラップの一歩目を踏むその瞬間。

 レフはその背へ、『スフィア』と呼びかけた。響くエンジン音の中でもそれを聞き分けたらしく、スフィアは球体のまま、くるりとレフへと振り返る。

 

「ありがとうな。相棒」

 

 ぴょおん、と『ストレクタス』の主翼へ衝突しそうなほどに高く飛び上がるスフィア、それを受け止めて微笑を湛えるフォルカー。それを最後の名残に、1人と2個は振り返ることなく昇降口へと入っていった。高まるエンジン音とともに『ストレクタス』の車輪はゆっくりと動きだし、ゆるゆると巨体が滑走路を走り始め、やがてその翼はふわりと空へと舞い上がってゆく。

 

 轟、というジェットエンジンの響きが徐々に遠のき、やがて3つの機影は雲の彼方へと消えてゆく。

 とっくに姿を消した幹部連とは裏腹に、アスファルトの上に残るのは遥かを見やるレフと、突っ伏したままのカール、そしてそれを引っ張り上げんとするイングリットの3人だけが、格納庫前の広場に未だに残っていた。

 

「ああ…うー、あーうぅ…。この喪失感…課金するほど気に入ってたオンラインゲーが突如配信停止になった時以来っス…」

「ああもう、気持ちは分かるけど起きてカール。スフィアちゃんが心配するでしょ」

「お前って奴は…。悪いがイングリット、そのアホの世話を頼んでいいか」

「いいですけど…レフ技官は?」

「あいにく俺はこれから哨戒飛行の時間なんでな。折角ここまで来たんだし、このまま『オルシナス』で待つことにする」

「まだ30分はありますよ?」

「いいだろうがそれくらい。…たまには一人で待ちたいんだよ」

 

 それとなく察したイングリットが、転がるカールを無理やり引き起こし、肩に担いで引きずってゆく。もはや完全に荷物と化したカールへ背を向けて、レフはそのまま近場の格納庫へと足を踏み入れていった。イングリットの言う通り準備を始めるには些か早いが、今は少しでも一人でいたい気分だった。

 

 庇をくぐり、暗みに慣れた目を凝らす。飛行前の最終確認か、青槍の塗装を施した『オルシナスC』のキャノピーは開いており、その中へおやっさんが半身を潜り込ませている。

 

「おやっさん。もう乗れるか?」

「おうレフ、早いな。もう準備かね」

「まあな」

「…奴さんら、出発したかね」

「ああ、今しがた」

「そうかね。…さて、準備はできとる。もういいぞ」

 

 フライトスーツの前面ファスナーを締め、ヘルメットを手にコクピット横のタラップへ。数週間前はスフィアを抱えていく必要があり、タラップを握る両手が塞がるのが難儀だったが、今は快適に昇降が可能である。離別を終えたばかりのレフは、その快適さが幾分切なかった。

 

 タラップへ手をかけ、入れ違いに地上へと降りるおやっさん。その間際、ふふ、と意味深に笑うおやっさんの様に、レフは怪訝な顔を向けた。

 

「…何だよ、気持ち悪いな」

「いや何、フォルカーさんが中々粋なプレゼントを残していったと思ったもんでな。お前さんの辛気臭い顔も吹き飛ぶだろうと思うと、思わず笑っちまったのよ」

「プレゼント?…何だよあの野郎、思わせぶりに言いながら分かってるじゃねえか。…あれか、コクピットの中とかいう奴か」

「さぁなあ。プレゼントってのは、渡すまで子供に見つからん場所に隠しておくもんだ。ま、楽しみにしておれ」

 

 我ながら子供のようだが、置き土産の一つでもあるかと思えばいくらかでも気も紛れる。座席へ収まってキャノピーを閉じ、電気系統のスイッチを入れてから、届く範囲へ走らせる目と手。しかし思いつくままに探りを進めても、それらしきものにはついぞ届かない。

 座席の下。違う。

 正面コンソール下の空間。こちらもない。

 後席…は盲点だったが、通信用ディスプレイに映る後席の映像を見る限りそれもない。

 主翼下部点検用ハッチ。万一そこにあったら今からでも奴を追ってぶん殴ってくれる。

 

 ない、ない、ない。探せどどこにも求めるものは見つからず、期待はやがて失望へ、そして面倒さへと変わってゆく。期待させておいて、結局何だったのか。

 外を映す全周囲モニターに包まれたまま、レフは座席を倒して眠るように目を瞑った。早くコクピットに入ったからといって、特段時間を潰す術は考えていない。

 

「たく、アホらしい。何を期待してたのやら」

《レフ、レフ》

「…ああくそ、何もかもあいつのせいだ。今更声が蘇りやがる」

《レフ、見てくださいレフ》

「ったく、幻聴の割にしつこい…」

《レフ。見てください1時の方向。木の上にロビンが翼を休めています。かわいいです》

「くそ、いい加減、に…!?」

 

 耳の奥に残る、スフィアの声。それを振り払うように瞼を開き上体を起こした瞬間、レフは視界を覆う眩しさと、その中に映る光景に自らの目を疑った。

 

 スフィアの声に随うように、ディスプレイにはいつの間にか正面の木の拡大映像が浮かび、顔から胸にかけて鮮やかなオレンジ色に染まった小鳥が枝の上を行き来している様が見て取れる。

 目を疑ったのは、その傍ら。まるでディスプレイの中を泳ぐかのように、拡大ウィンドウを指し示すCGモデルの少女が映し出されているのである。青みを帯びた銀髪、耳の上で外側に跳ねたイルカのヒレを思わせる癖毛、そしてぱっちりと開いたダークブルーの瞳。見慣れたその姿は、まるで――いや、まさしく。

 

「…スフィア!?な…、どういうことだ、こりゃ!」

《違います、あれはロビンですレフ。童謡でも有名ですよ。だぁれが殺した、クックロビン…》

「小鳥はどうでもいい、それよりお前だ!……本当にスフィア、なのか?」

 

 あの黒い球体が映し出していたスフィアのCGモデル。声も言動も瓜二つのその様に、レフは束の間混乱した。当の少女はと言えばディスプレイの中で小首を傾げること数瞬、合点がいったように口を開く。

 

《なるほど。フォルカーも私のオリジナルも、私のことは話していなかったのですね》

「…どういうこった」

《私は、あなたたちが呼ぶスフィア――正式名称『オーキャス14』の、人格データと蓄積メモリのみを複製し、エレクトロスフィア上に移植したものです。平たく言えば、戦闘に関わる能力を全て削ぎ落した劣化コピーです》

 

 呆気に取られるレフの前で、少女はくるくるとディスプレイの中を泳ぎながら口にする。

 曰く、別れを惜しむレフとスフィアの姿を見て、何か恩返しができないかとフォルカーが考えた結果が今の姿であること。

 曰く、記憶も人格も全てこれまでのスフィアと同じだが、電子戦能力などはことごとく削除、ないしロックされていること。

 曰く、本体たるデータはエレクトロスフィア上に存在するため、必要に応じてエレクトロスフィアと接続されている電子機器へ行き来できること。

 ――つまりはフォルカーは、二度と再会は叶わないスフィアに代わり、空戦用AIとしてではなく一個の『人格』としてのスフィアを遺していったということ。

 

 聞く全てが驚きでもあり、こんな隠し種を秘蔵していたがゆえのフォルカーの余裕だったというのが密かな納得でもあったが、その何よりも、今はこの再会が嬉しかった。

 

「ははは、こりゃ傑作だ!はははは…!…たく、いらん心配かけさせんじゃねぇよ」

《?》

「何でもない。で、何て呼べばいいんだ。スフィアⅡか?」

《いいえ。これは、今の私は確かにオリジナルと分割された人格ですが、同時にこれまで皆と培ってきた人格でもあります。…だから、ぜひ。『スフィア』と呼んでください》

「代り映えしねぇなぁ。……これからもよろしく頼むぞ、スフィア(相棒)

 

 庇の影から、小春の柔らかな日差しが差し込んでくる。

 微風、雲量1、哨戒飛行に支障なし。晴れ渡った空は、今日は遮ることなく遠くまで澄み渡っている。

 

 離陸予定まではまだいくらかあるが、どうせ閑古鳥が鳴く辺境の小基地である。今更数分早まったところで、妨げるものは何もありはしない。

 

 キャンサー1、タキシングに入るぞ。

 通信にそう言葉を向けて、レフはブレーキを解除して、スロットルをゆっくりと開いた。青槍の『オルシナスC』はじわりと陽の下へとにじり寄り、アスファルトの上に鮮やかな青を映えさせる。

 

 澄んだ空の先に、向かう機体に収まるは都合2人分の意志。

 高まるエンジン音に驚いて、樹の上に留まっていたロビンが3羽、翼を広げて飛んでいった。

 

******

 

《GRDF機、ラティオ方面行政区境界を侵犯し西進中。機数5、うち偵察機1を含む》

《キャンサー隊、邀撃行動を開始せよ。ヴァルゴ隊は方位020へ向かえ》

 

 遥か眼下に広がる雲海が、見渡す限りの白を織り成している。

 上昇角28°、高度6000。頭上に遮るものは何一つなく、黒々とした青空が太陽を擁して広がっている。自らの機体が響かせるエンジン音の他に耳を苛む音は何一つなく、レフは深く沈みこむような静寂の中、機体を翻して眼下を見やった。燦燦と注ぐ強烈な光に、雲上の機影は合して5つ、影絵のように浮かんでいる。

 

 時に、2040年8月。海の向こうでゼネラルリソースとニューコムが本格的な交戦状態に入り、ここサピンもまたきな臭い匂いを帯び始めた頃。穏やかな平時であれ、流血と怨恨の戦空であれ、空は全てを呑み込むほどに遠く、青かった。

 

「キャンサー1、敵編隊捕捉。『スターファイターⅡ』1、『ラプターⅡ』4。鉛筆野郎(スターファイター)は偵察型らしい」

《キャンサー2、こちらも確認。ヴァルゴ隊も急行中らしいっス》

「『オルシナスC(こいつ)』でF-22とやるのは荷が重いな。ばらけさせてからヴァルゴ隊に任せる。スフィア、シーカーは『スターファイター』に固定しろ」

《了解しました。レフ、『スターファイターⅡ』の最高速度では、『オルシナス』でも追いつけません。気を付けてください》

「今更言われることかよ。――行くぞ!」

 

 左フットペダル、操縦桿を倒し左へ。エルロンロールで上下反転し、やがて機首を下へと向けて、青槍の『オルシナスC』は頭上から穂先を突き落とすように急降下へと入ってゆく。位置取りにして敵編隊の前方、ほぼ直上。ベルカ前線を経てレフが練り上げ、得意としてきた頭上からの一撃離脱である。

 薄い菱形翼と高出力のエンジンを持ち、迎撃機として最適化された『オルシナス』の速度は、GRDFの主力機F-22Cを軽く凌駕する。それを十分に知ってのことであろう、4機のF-22Cは加速での逃走という愚を犯さず、左右それぞれへ大きく分かれる針路を取った。中心の『スターファイターⅡ』は機体を翻し、雲海の中へとその身を潜ませてゆく。

 

《レフ技官、敵偵察機に逃げられます!》

「奴の位置はスフィアが押さえてるから問題無え。目標、左の2機!」

 

 心配そうに声をあげるイングリットに間髪入れず応じ、レフはフットペダルを踏んで機体の針路を左へと僅かに逸らす。視界の端では、シーカーに付随した――ビジュアルで言えば四角いシーカーを『持ち』、姿の見えないRF-104Xの位置を示したスフィアが、『ここです、ここ』と言わんばかりにディスプレイの中で手を振っているのが目に入った。ふた昔ほど前の表計算ソフトでは疑似的に画面内を動き回る似たようなヘルプ検索機能があったというが、『オルシナス』のディスプレイ全周を自らの海とした今のスフィアの自由度には足元にも及ばないに違いない。言い方を選ばなければ、エレクトロスフィア上から常時スフィアにハッキングされているようなものだった。

 

 兵装選択、近距離用の赤外線誘導空対空ミサイル(AAM)。マッハ1を越えたこの速度帯では、機銃での射撃は元より不可能である。

 追跡用のシーカーとは別に、攻撃用のロックオンシーカーがヘッドマウントディスプレイ(HMD)上を走って最左翼の『ラプターⅡ』を捉える。距離にして1100、まだやや遠いが、直交に近い今のベクトルではそもそも必中は望めない。

 

 風を帯びた翼が迫り、有効射程を示して赤く染まるロックオンシーカー。

 その一瞬を見やり、レフは操縦桿のボタンを押して、間髪入れずそれを手前へと引き上げた。

 

 がこん、と翼の下に響く衝撃。

 急制動と機首上げを受けて下半身に集うG。いくら縦への機動性に優れる『オルシナス』といえども、ほぼ垂直に近い急降下では制動にも相応に距離を要する。

 大きく湾曲してゆくAAMの軌跡をしり目に、雲へと入り平衡を保つ『オルシナス』。後方に響いた炸裂音は、しかし続く爆音を伴わぬまま、彼方の空へと消えていった。

 

《至近弾1!『ラプター』は未だ健在です!》

「だろうな。キャンサー1よりヴァルゴ1!敵編隊はばらけた、『ラプター』の相手は任せるぞ!」

《任せろ。新型の丁度いい獲物だ!》

「たく、新品貰ったからって浮かれやがって。スフィア、偵察機の位置は分かるか」

《方位075、距離1700。雲の中で大きく迂回しながら、東へ向けて離脱を図っています》

 

 薄膜を帯びたような白い闇の中、レフは操縦桿を引いて、横倒しとなった機体を旋回させて東へと向けた。機体の旋回に合わせてシーカーを持ったスフィアもまた画面の中を泳ぎ、彼方を飛ぶ見えざる敵機の姿を正面へと捉えてゆく。

 戦闘機能の全てを削ぎ落した、オリジナルたるスフィアの劣化コピー。

 自らそう称したスフィアであり、レフも当初はよく喋るマスコットとしてしか捉えていなかったが、なかなかどうして、今のスフィアもまた優秀であった。確かに高度な分析やジャミングは行えないものの、単純に周囲へ目を配る頭数が倍になっていると思えばその効果は計り知れない。単純な複座機と比べてほとんど機体と一体化しているスフィアは有機的にセンサーを活用することにも長けており、こうしてレフが戦闘に集中している間でも、指定した別目標と絶えず追尾するといった芸当も可能となっているのである。もちろんこれは応用の一例に過ぎず、発送次第では極めて柔軟な戦闘も行いうると言えるだろう。

 普段はやたらと自儘に行動し、ディスプレイ上を自由にぷかぷかしているのが玉に瑕ではあるのだが。

 

 前方には、未だ姿の見えない『スターファイターⅡ』。しかしスフィアは敵影を捉えて離さず、その相対距離は既に1100を割っている。『オルシナス』以上に横方向への機動を苦手とするF-104Xでは、来た道を戻るための旋回で速度を失ってしまっているのだろう、眼前の機体は未だにその速度を活かせないでいる。あるいは、後方を抑えられているのに気づいていないのかもしれない。

 

 距離1000。900。800。雲が薄くなり、揺らぐ焔が眼前に掠める、まさに目と鼻の先に心臓を置いた距離。

 放つのはAAM1発、すぐ隣を飛ぶカール機からもさらに1発。双鏃となったミサイルは雲の中でも正確に『スターファイターⅡ』の噴射炎を捉え、手繰り寄せられるかのようにその尾部へと着弾。垂直尾翼を、次いで胴体の後ろ半分を爆炎の中に千切り取られ、螺旋を描いて白い闇の中へと消えていった。

 

 偵察機、撃墜確認1。スフィアの持っていたシーカーが消えるのを確かめて、レフは操縦桿を引いて機首を上げた。先の戦闘域は雲海の上部だったため、雲の上まではほんの数秒の距離でしかない。

 

《ところでレフ。後方、雲の上に敵機1です》

「は?…うおっ!?」

 

 『オルシナス』の機首が雲を割くと同時に、後方から注ぐミサイルアラートがけたたましく耳朶を打つ。

 後方、1機。――護衛の『ラプターⅡ』。脳裏が結論を結ぶより速く殺到したミサイルに、レフは咄嗟に操縦桿を引き、同時にスロットルを開放した。ぐん、と速度を増す『オルシナス』の尾翼をミサイルが掠め、こちらを追うように『ラプターⅡ』もまた上昇に入ってゆく。

 

「お!お前な!そういうことは先に言え!」

《レフならば大丈夫かな、と思いまして》

「分析能力削ったツケか!カール、俺のケツの1機を狙えるか!?」

《今雲から出るっス!》

 

 ゆらゆらと後方警戒モニターを正面へと運ぶスフィアを横目に、レフは後方に位置するカールへと通信を送る。案の定と言うべきか『ラプターⅡ』はこちらに専心しており、すぐ後方から雲を破ったカール機への警戒は疎かになっているように見て取れた。位置取りを概観すれば、垂直方向へと連なる変則的な挟み撃ちの姿と言えるだろう。

 

《後方、射程内に入ります》

「カール、狙いは適当でいい!撃て!」

《了解っス。FOX2!》

 

 ロックオンアラートが鳴り響く。

 カールの声が無線を揺らす。

 ほぼ同時に響いた二つの音を受け、後方の警戒音が急速に遠のいてゆく。どうやら彼我の位置を咄嗟に判断し、いち早く『ラプターⅡ』が回避運動に入ったのに違いなかった。過たず後方警戒モニターの中では、その比類ない運動性能で上昇から急速反転した『ラプターⅡ』が、後方へミサイルをいなしてカールの『オルシナス』と入れ違っていく様が見て取れる。

 

《外れた!》

「まだまだ!縦ならR-211(コイツ)だって負けてねぇ!」

 

 フットペダル、左右同時。スロットル急速閉鎖、操縦桿を手前へ。

 垂直上昇から制動をかけ、レフは『オルシナス』の速度を殺して機体を空中へと静止させる。無重力にも似た浮遊感が体を包むも一瞬、『オルシナス』は重力に随って機首を真下へと向け、急速に速度を増しながら急降下へと入っていった。空中機動に言うテールスライドの要領ではあるが、中型機である『オルシナス』では主翼部にかかる負荷も大きく、些か骨の折れる操縦である。

 

 鳴り響く失速警報、平行を見失ってくるくるとディスプレイの中を回るスフィア。耳と目を幻惑するそれらを意識の外に、レフは眼前を急降下する『ラプターⅡ』の後方へと追い縋る。運動性に任せて左右いずれかへ逃げるか、操縦桿を引いて制動をかけるか、はたまたこのまま雲へと突っ込むか。

 

「4択なら…コッチでどうだ!」

 

 ガンレティクルを映し出し、レフが見据えた先は『ラプターⅡ』の左翼側。『オルシナス』機首の機関砲が唸り、曳光弾が『ラプター』の左半身を抉るように撃ち放たれてゆく。

 弾痕。火花。『ラプターⅡ』の漆黒の体に穿たれたそれらは、しかし致命とは言えなかった。レフの読みは外れ、『ラプターⅡ』は雲の手前で急制動。機首を急速に上げて雲上を舐めるように引き起こし、そのまま東へと進路を向けて離脱へと移っていったのだった。いくつか破片を散らし煙を吹いてこそいるものの、あの速度ではラティオのゼネラル経済圏内へと逃げ切られてしまうだろう。

 

 ともあれ、最低限の目的である偵察機の撃墜は達成できたのである。これ以上の追撃は蛇足というものだった。

 

「よくまあ動く…。流石に『ラプター』相手はキツイな」

《キャンサー1、お蔭でスコアは頂いたぜ。やっぱ『デルフィナス』はいいぞー》

「うるせえよ、俺だって選べるならそっちがいいっつうの」

 

 対戦闘機戦を終え、傍らへと寄ってくるヴァルゴ隊の2機。首尾よく護衛機のうち1機を仕留めたらしく、上機嫌のヴァルゴ1はレフの隣でくるりと機体をロールして見せた。列機の『デルフィナス』と酷似した外見ながら、エルロンロールの速度はそれよりもいくらか速い。

 

 より鋭角を描く後退翼に小ぶりとなった水平尾翼、『オルシナス』同様に機体下部へと突き出た層流制御装備と、華奢な印象を覚えさせる細い機首。よくよく見れば、その姿は『デルフィナス』と細部が著しく異なっている。

 R-102『デルフィナスⅡ』。ル・トルゥーアにただ1機しかない、正真正銘の新型機。それこそが、ヴァルゴ1が駆る機体の素性であった。元より旋回性能にかけてはF-22に一日の長があったが、この機体においては格闘戦でも『ラプター』に引けを取らないという。レフとしても羨ましい限りであるが、こればかりは仕方が無かった。

 

《そんな訳で。今日は奢りだな、キャンサー1》

「言ってろ。俺にも『デルフィナスⅡ』が届いた暁には、毎日接待三昧させてやるからな」

《いやー、素行不良なレフにこんなお上品な機体が届くっスかねー》

「ヴァルゴ1。そこのカールがR-102と遊びたいってよ」

《ちょ!?》

《…え?それって強制的に私も!?》

《カールは臆病なくせに言葉が不用心です。イングリットはしっかり手綱を握ってください》

 

 噴き出すヴァルゴ1、抗弁するカール、ディスプレイの中でそれらの周りを泳ぎ回るスフィア。雲海の上、静寂を取り戻した空の中で、笑い声が蒼穹へと溶けていく。

 

 けして平和ではないが、退屈でもない、穏やかに流れてゆく空。

 こんな時間がいつまでも続けばいい。

 

 それがいかに儚い思いだったのか。人々がそれを知るのは、僅かに先の事だった。

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