Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第26話 ‘Nimrod’

《…少しばかり、昔話をしようか》

 

 ごう、と唸る翼が地に影を落とし、残影を曳いて上空を駆けてゆく。

 小ぶりな切り欠き三角翼に、翼端を切り落としたように黒く染めたMiG-21UPG『フィッシュベッド』。旧式機と言うも愚かな、もはや骨董品と同義でしかない棺桶の中にあって、しかし当のパイロットであるおやっさんの声には些かの迷いも無い。

 四方を投影画像で囲われた、棺桶(コフィン)の中で、レフは周囲へ目を向ける。

 ル・トルゥーアからの脱出のために燃料補給だけを最優先としたため、『オルシナスC』の燃料計は既に満タンに近い。空中退避していたジェミニ隊の『アステロゾア』も今は基地へと戻り、順次補給を受けつつあった。レーダーサイトには、未だに基地の目と鼻の距離にいくつもの機影が映っているものの、それらが基地目掛けて殺到して来る様子は今のところは見られない。スフィアの分析によれば、ル・トルゥーア制圧のためのヘリ部隊、または地上部隊を待ち、歩調を合わせて侵攻して来るのではないかとのことだった。死に体のこの基地に対してご丁寧なことだが、今はその隙がありがたい。

 

「聞かせてくれ。おやっさんを名乗ってたカルロス・グロバールっていうのが、どんな男なのか」

《何、自慢するほどの来歴は何一つない。ただの死にぞこないの傭兵崩れだよ》

 

 『MiG』のエンジン音に紛れ、灼けた男の声はなおも明瞭に響く。前置きを置いて、おやっさんは省みるように、何かを伝えるように口を開いた。

 

 曰く、おやっさん――カルロス・グロバールは、民間軍事会社に籍を置く傭兵だった。45年前のベルカ戦争から、2006年の自由エルジア紛争、2010年の東方戦争を始め数多くの戦場に身を投じ、所属会社が倒産寸前になったのを機にゼネラルリソースへ移籍したのだという。驚くべきことに、当時率いていたのはニムロッド隊と称する飛行小隊――すなわち、レフ達が以前に円卓で遭遇した同名の部隊の前身だったというのだ。言われてみれば、確かにあの時のF-2Xと翼の塗装が同じである。

 

「あの時の部隊かよ!まさかのおやっさんゆかりの飛行隊とはなぁ」

《今の小隊長は、当時の部下の生き残りだろうよ。()()の骨法をどれだけ継いでいるかは、もう分からんがね》

「にしても、凄え来歴だったんだなおやっさん。ベルカ戦争から今まで生き残ったうえ、まだ飛べる体なんて」

《ふふ、それはまあ…そうだな。ワシがまだペーペーの新人だった頃に、当時の隊長から叩き込まれた信念のお蔭だろうよ。『死なないこと、死なせないこと』というのが、まさにそれだ》

「…傭兵らしくねぇな、なんだか」

《そうかね?…ふふ、そうかもしれんがね》

 

 死なないこと、死なせないこと。

 生き汚く、潔さと対極に当たるその言葉を聞きながら、それでもレフは不思議と嫌悪感を感じなかった。むしろ権益拡大のために互いの脚を引っ張り合い、人々の疾苦も省みずライフラインへの計画的な空爆を行い、互いにクリーンな戦争を標榜する現代の企業間戦争と比べれば、それはいっそ真っ当にさえ思えてくる。

 思い返せば、先の『円卓』での空戦の際、同じ言葉を聞いたような気がする。もしかしたら、あれがおやっさんから隊を受け継いだという生き残りだったのだろうか。

 

「…あれ。でも待てよ。おやっさんはゼネラルリソースで飛行隊を預かってたんだよな。何でニューコムに、しかもこんなド田舎なんかに来たんだ?」

《…そうだな。ここまで語ったんだ。その理由を言わん訳にはいくまい》

「いいんだぜ、言いたくなきゃ言わなくて」

《いや。お前さんには知っておいて欲しい。ちっぽけな男の滲めな信念、その末路をな》

 

 遠く過去を指すように、おやっさんの声が押し鎮めた調子へと変わってゆく。おそらく苦痛であろう過去を前に、おやっさんはぽつぽつと語り始めていった。

 

 先の情報を引き継いで、おやっさんがゼネラルリソースへ移籍してから数年後のこと。当時、おやっさん――カルロス・グロバールはユージア大陸のデラルーシ領空の防衛任務を与えられていたのだという。

 事件が起こったのは、2026年のこと。ユージア大陸でゼネラルリソースを標的とした大規模なテロが発生し、おやっさんもまたそれに巻き込まれたというのだ。

 

 当時、GRDFの主力は無人機であった。

 2019年の灯台戦争において得られた、無人機のみで構成された部隊の投入にはリスクも伴うという反省から、あくまで指揮官機は有人の機体とし、そのサテライト機として複数の無人機を編成するという構図である。当時のおやっさんが指揮するニムロッド隊は全て有人機ではあったものの、対テロ戦という敵が見えにくい戦況では想定外の事態が起こることも考えられたため、上記部隊の支援に当たる多目的部隊として同行を命じられていた。

 結論から言えば、この選択はGRDFにとって正解だったが、おやっさんにとってはこの上ない悪夢をもたらした。

 

 一般に知られている通り、2026年の対ゼネラルのテロは、ゼネラルリソースの勃興により存亡の危機に立たされた中小企業連合が秘密裏のうちに出資を行い、傭兵や不平分子らによって起こさせたものである。

 もっとも、隆盛を誇るゼネラルリソースを相手取り、烏合の傭兵部隊で勝ちを得られる道理は無い。その事態の打開のため、中小企業連合はコンピューターウイルスとハッキング技術を投入し、ゼネラルリソースの指揮系統を混乱させる手を打ったのである。

 

 あれは悪夢だった。そう、おやっさんは自嘲するように語った。

 子蜘蛛に啄まれて食い殺される親蜘蛛のように、隷下にあったはずの無人機に次々と撃墜されていく指揮官機。街を護るための自律式対空砲は街へ向けて牙を剥き、時折コントロールを失った無人機は避難する民間人の車列へと容赦なく墜ちてゆく。頼みの綱である遠距離無線も、エレクトロスフィアへのネットワークをも遮断されながら、おやっさんは生き残った有人機を集結させ、数倍の数にもなる無人機部隊へと戦闘を挑んでいった。完全に孤立したその時となっては、戦闘を挑み強行突破を図ることが、『死なせないこと』に繋がると信じて。

 

 結果として、おやっさんが率いる部隊は全滅。脱出したパイロットまでも丹念に機銃掃射で撃ち殺されていった結果、生還したのはおやっさんと部下一人のみであり、ニムロッド隊も半数が命を落としたという。GRDFのトップエース――今や『ウロボロス』の首魁となったアビサル・ディジョン率いる有人機部隊の到着が無ければ、おやっさんもまた死んでいただろう。

 戦火の街を見捨てて逃走を図り、それでもなおほとんどの部下を失ったという現実は、カルロス・グロバールという男の信念を折るのに十分なものだった。

 対テロ戦後、問責を受けたおやっさんは唯一生き残った部下に隊を任せ、ゼネラルリソースを退社。ゼネラル系列企業への再就職など望むべくもなく、流れた末にニューコムへと再就職し、朽ち果てるようにこのル・トルゥーアへと腰を下ろしたのだった。

 

 レフにとって、おやっさんの来歴は衝撃だった。

 デラルーシで全てを失ったあの日、おやっさんが上空を飛んでいたという事実。街を捨て、逃げるという選択肢を選んでいた現実。胸に込み上げる憤懣は、確かにある。しかし、彼我の状況を聞き、おやっさんの信念を受けた今となっては、それを言葉にして詰る積りまではなかった。もっとも、自らの信念以外を知らない一年前ならば、聞いた瞬間に怒鳴り返していたかもしれないが。

 

 だが、今は怒りよりも、何よりも。

 

「…なんでだ?」

《ん?》

「信念へし折られて、空を降りたんだろ?ならなんで、ニューコムの航空部門に再就職して、あまつさえそんな()()までしたんだ?空戦のトラウマを、自分でほじくり返すだけだろうに」

 

 空を舞うMiG-21UPGを顎でしゃくり、レフは疑問を口にする。機体選択もさることながら、その姿は外見からでも補修のために相当に手を加えられていることが見て取れ、到底余暇を埋める手慰みの域を超えている。

 デラルーシでの出来事を踏まえれば、そしてその後の結末を省みれば、おやっさんにとって航空機に関わることは、それ自体が折れた信念を直視せざるを得ないことへと繋がる訳である。それでもなぜ、おやっさんは航空機に――空に関わることを自ら求めたのか。

 

 無線を通じて聞こえたのは、再び口から洩れる笑いの吐息。今度は自嘲ではなく、いくらか悪戯が見つかった子供の照れ隠しのような気配も聞いて取れる。

 

《…空が、好きなんだろうな》

「…好き?」

《ベルカ戦争の頃、当時の隊長とは別に、師匠…とでも言うべき人がいてな。自由な空を、何よりも愛した人じゃった。結果、その人は一度だけ道を誤り、迷い、空に死んでしまったが。それでもワシにとって、今なお心の師匠であることには変わりない。その薫陶が、多分今でも心に残っているからじゃろう。信念も立場も、何もかもを無くした、ZERO(ゼロ)へと立ち返った今でも…心は、空を求め続けておる。…はは、あるいは空に長くい過ぎたための職業病か》

「なんだそりゃ。…子供かよ、どいつもこいつも」

(さが)、じゃよ。ある人も言っていた。空に魅入られた人は、心が空を求め続けるものだとな》

 

 空が、好き。

 たったそれだけの理由で、空っぽの自らをこんな僻地へと運び、手作業で骨董品の機体を再生させたというのか。

 その事実を前に、レフは思わず吹き出して、笑った。笑い、喉の奥から快い声を弾かせ、なお笑った。

 

「ははは、はははは!…あー、バカだなおやっさん。あんたほんとバカだよ。トラウマを負ったのに、一度はへし折れたのに、そんなボロでまだ空を飛ぼうってんだから。蝋固めの翼で飛んだ神話のバカでさえ、あんたよりまだ利口だぜ」

《何の、バカさ度合いじゃあおまえさんもいい勝負だろう。基地は壊滅、敵う目途も当てもないのに、『組織』に対して蟹の鋏を振るう。それも、気に喰わないというだけの理由で。これがバカ以外の何じゃろうか》

「はは、違いないぜ、全く!揃いも揃ってバカばかり、ホントに碌でもないな、この基地は!」

《全くな。…ところでバカ殿、そろそろ時間切れのようじゃ。方位090、ラティオ方面より機影多数。来たようじゃな》

 

 ひとしきり笑い合った、その最後。ヘルメットを片手で押さえながら、レフは弾かれたように身を乗り出して正面に表示されたレーダーサイトへ目を向ける。方向にして東、先ほどから機影がちらついていたラティオ方面から、明らかにこちらを指して移動しつつある反応を見て取ることができた。おそらく制圧用の地上部隊やヘリ部隊が集結し終え、行動に入ったのだろう。

 

 燃料計を確認し、基地スタッフが機体から離れていくのを目で追っていく。ジェミニ隊の『アステロゾア』は既に発進し、今はレフとカールの2機を待つのみとなっていた。

 エンジンの回転数を上げ、それに従うように『オルシナス』はゆっくりと機体を歩ませてゆく。離陸に支障のないルートを選択し、青槍の機体は空を指すように、白亜の滑走路に佇んだ。

 

 白塗りの大地、灰と青の機体。その頭上を、翼端を黒く染めた小さな機影が横切っていく。

 

「…死ぬなよ、おやっさん」

《なに、確かに信念はへし折れたが、『死なない』ことだけはまだ残っている。持ち帰って見せるとも。この惨めでちっぽけな信念だけでも》

「……。――コントロール!キャンサー1、離陸するぞ!」

 

 左右主翼のエンジンが焔を灯し、機体がゆっくりと、徐々に速く地を滑ってゆく。側にスフィア、傍らにカールとイングリット、そして背におやっさんを抱きながら、機体はル・トルゥーアの光景を振り切ってゆく。

 浮遊感に包まれ、風を孕む機体。

 レフは後ろを省みることなく、長きの住処から離れていった。

 

******

 

「…さて、行ってくれたか」

 

 陽は中天、爆撃の黒煙の残滓の中にあって、なお透き通るような快晴の下。カルロス・グロバールは、もはや時代錯誤となった強化ガラス製のキャノピーを透かして、遥か北へと馳せていく2つの機影を見送った。操縦桿を手前へ引き、フットペダルを踏んで機首を東へと向けながら、鳶色の瞳は往時の光を徐々に取り戻してゆく。眼下には半壊した基地の中ほどに眩いほどの白旗がたなびき、抵抗の意志が無いことを無言のうちに物語っていた。基地へこの上余分な被害を及ぼさないよう、黒翼の『フィッシュベッド』は速度を増してル・トルゥーアから離れてゆく。

 

 30年前の東方戦争の最後の日、あのレクタの青年――エリク・ボルストは、たった一人で幾万もの人間を護り、散っていった。オーレッドへ向けて落着する攻撃衛星SOLG迎撃のためハイウェイに佇む『ラーズグリーズ隊』を、殺到するベルカ残党相手に最期の最後まで護り切ったのだ。人づてに聞いたその最期と、記録に残る鮮烈な人格は、これまで出会ったエース達と比しても何ら遜色ないものだった。

 翻り、今。

 背には、護るべき希望。

 周囲には味方一人なく、数でも質でも勝る敵が迫りつつある。

 ――嗚呼、何という事か。この年にもなって、よもやワシが、俺が、エリクの真似事とは。

 嗚呼、何という事だろうか。それでもなお、再び空に上がることのできた喜びと、この高揚感は。これではレフの言う通り、確かにバカには違いない。

 

 喉奥からの快活な笑い声ひとつ。機体を高度4000に取り、カルロスは僅かに機体を傾けた。旧式ながらも機首のレーダーは敵の姿を見定め、その数と高度を告げている。

 

「あれか。掴んで投げられそうな小城相手に、ご丁寧なことじゃて」

 

 右へと傾いた機体から、キャノピー越しに下方を見やる。今のル・トルゥーアの惨状に対してあまりに過剰なその戦力に、カルロスの口元には思わず苦笑がこみ上げた。

 上空から見下ろした限り、航空機の総数は実に14機。正確にはそのうちの6機は基地制圧のための兵員を乗せた輸送ヘリらしく、機体前後それぞれに上を向くプロペラを見て取ることができる。当然ながら戦闘能力は皆無に等しく、MiG-21の脅威とはなり得ない。

 問題は残りの敵機である。差し引き8機のうち6機は残存部隊掃討のために付随していると思しきF-16XA『セイカーファルコン』だが、残る2機はGRDFの主力機であるF-22C『ラプターⅡ』と見て取れた。2000年代の近代化改修を経たとはいえ、第4世代機に届かないMiG-21UPGではF-16XAでさえ手を焼く存在ではあるが、『ラプターⅡ』に至っては逆立ちしても勝てる相手ではない。

 

 だが。たとえ絶望的な性能差であれ、戦い方を考えさえすれば()()()()ことはできる。

 

「このまま行かせる訳にはいかんな。悪いが、少々付き合ってもらおうか」

 

 操縦桿傍らのボタンを押し、機体下部の増槽を捨てる。眼下の編隊もとうにこちらを認識しているのだろうが、その編成には些かの揺らぎもなく、最初からこちらを無視している様子が見て取れた。旧式1機の存在と速攻で基地を陥落させる利益を秤にかけ、後者を選んでいるであろうことは疑いようがない。もしかするとたかが羽虫一匹、こちらを恐れて逃げているに違いないと高をくくっているのかもしれない。

 

 それならば、その羽虫が人を刺す害虫であったならば、どうか。

 

 操縦桿を倒し、スロットルを開放するとともに『フィッシュベッド』は速度を増して急降下に入ってゆく。元来が小型軽量で加速性能に優れた機体ではあるが、その加速の伸びは従来のMiG-21を上回っている。その速度が予想を超えていることに、そしてその機首が後続のヘリを差していることに、眼下のF-22Cは遅ればせに気づいたように僅かに揺らいだ。

 

 事実、カルロスの駆るMiG-21UPGは外見こそ原型機そのままだが、実際には機体修復の過程でそのほとんどに手が加わったもの――言うなれば『ディビナス改』とでも評すべき程度には様変わりしている。

 破損していたエンジンは直径が近く加減速の出力調整に秀でたF-16XAのものに換装し、不足部分はレフが撃墜した同機の部品を拝借して補修。左右主翼下に2か所ずつ設けられたハードポイントのうち、内側2か所にはチャフ弾と通常弾を装填した2連装23㎜ガンポッドを装備し、攻撃と防御両面の役割を持たせている。外側の2か所には火器を装備していない代わりに、左右方向に長い長方形の構造体が折りたたまれており、外観上の大きな差異となっていた。胴体後方下部も原型機より僅かに膨らみ、後に補修が加わったらしい跡が見て取れる。総じて見れば、火力を廃して推力と対誘導兵器に重きを置いた構成と判じてよい。

 

 推力が速度を呼ぶ。速度が風を生み、黒い三角翼を猛進させてゆく。

 下方、2機。こちらの針路を図り、ヘリとの間に割り込むべく急旋回するF-22C。その鼻先が『ディビナス改』を捉えるより一歩早く、黒翼は『ラプターⅡ』の射線の中を抜けてゆく。

 ガンレティクル、中央。距離1300。1000。700。

 短刀で敵の心臓を貫くように、機銃で直接に手を下す、14年ぶりの感覚。

 

 引き金は、僅かにコンマ数秒。

 唸りとともに左右主翼から放たれた4連の火線は、まるで大鎌で腰斬するかのように、正面のCH-47Lの後部を千切り飛ばしていった。

 

「老体に『フィッシュベッド』の加速は堪えるな。さて、次は」

 

 編隊中央を抜かれ、左右へ崩れるヘリ編隊。その最中を突っ切って、カルロスはフットペダルを踏むとともに操縦桿を左斜めへと引き機体を旋回反転させる。首をもたげて上方を仰ぐと、こちらを指して2機のF-22Cが急降下しつつある様が見て取れた。その向こうでは未だにヘリが算を乱しているが、さらに奥――ル・トルゥーア側に近づきつつあるF-16XA編隊は今なお崩れる様子を見せていない。レフ達への追撃を可能な限り遅らせる上でも、混乱に乗じて自らが逃げる上でも、次の目標はF-16の妨害以外には無かった。

 

「とはいえ、どこまでこの羽虫を見零して貰えるかどうか…!」

 

 ミサイルアラート。

 電子音の警報がカルロスの言葉をかき消し、迫る脅威に警戒を促す。振り返るまでもなく、攻撃手は2機の『ラプターⅡ』。後方上空を抑える敵に対し距離2500ほどを隔ててカルロスの『ディビナス改』は大きく弧を描き反転しつつあるが、電波誘導式の長距離用ミサイルでその隙を穿ってきたもののようらしい。

 

 スロットルを絞る。

 速度を殺し、旋回半径を狭める。

 徐々に感覚を縮めるミサイルアラートを前に、カルロスは敢えて減速による急速反転を優先した。急激なGに堪えるような息を漏らしながら、引き金を引いてチャフ弾をばらまきミサイルの誘導を妨害してゆく。あとは、敵のミサイルが高誘導の新型か、誘導方式併用型でないことを祈る他にない。

 

 迫る。

 反転を追える最中にも、斜め上からミサイルが注いでくる。数は4、矛先はなおもこちら。

 応えるように引き金を引く。

 舞い散るチャフに、わずかにミサイルの針路が逸れる。

 4発が、左右に開く。

 隙が、開く。

 ――今。

 

「通るぞ!!」

 

 近接信管を作動させ、直近で爆ぜる炎。

 外板を打ち続ける破片の雨。

 それらを後方に抜いて、カルロスの『ディビナス改』は『ラプターⅡ』の下方を抜けながら、西へと向かうF-16編隊の背を追い始めた。相対から頭上を抜けた2機のF-22Cは、縦方向に旋回するインメルマンターンの要領で以て、急速反転に入っている。

 

 しかし、早い。元来軽量な機体であることに加え、重量のあるミサイルなどの追加装備を持たず、さらにより高出力なエンジンに換装したこともあり、カルロスの『ディビナス改』は東方戦争時のそれより遥かに速い。攻撃を逃れるヘリの傍らを抜け、眼下の木々を掠めながら、黒翼の葉巻型は6機の『セイカーファルコン』を追ってゆく。

 狙うは、速度を緩めぬままの後下方からの一撃離脱。未だ崩れぬ編隊を前に、距離は見る間に3000を切り、2000を割り、1000へと近づいてゆく。

 

 あと、一歩。

 カルロスのその希望に水を浴びせたのは、耳元に低く響く電子音――後方からのレーダー照射警報だった。

 

「もう追いつかれたか…!?く、流石に速いわ!」

 

 冷静に努めていたが、なお一対多の状況に焦りがあったのか。『ラプターⅡ』の速度性能の見積もりが甘かったことを、カルロスは今更ながらに思い知った。

 そもそも、『ラプターⅡ』の原型機であるF-22A『ラプター』は、一時的な推力の底上げ方法であるアフターバーナーを用いずに超音速飛行を可能としたエンジンを搭載した機体である。すなわち平均した巡航速度は他の機種と比べても比類ない高さを持っており、継戦能力や格闘戦への適性で見れば他の追随を許さないと言っていい。2000年代からF-22Aを『最強の戦闘機』として見る向きは強かったが、その評を支える要素のうちの一つこそが、優れたエンジン能力によるものと言えるだろう。この点は、2006年の自由エルジア紛争において『リボン付き』の駆るF-22Aと相対したカルロスも十分に承知していたことであった。

 

 F-22Cに搭載されているのはA型のものの改良型であり、その長所を余すところなく受け継いでいる。

 すなわち、その高い巡航速度が帰路の所要時間を狭めることにより、戦闘時には気兼ねなくアフターバーナーを利用することができるのである。通常ならば爆発的な勢いで燃料を消費するアフターバーナーを、カルロス追撃のために『ラプターⅡ』のパイロットが躊躇なく利用してきたのも、まさにこの為であった。

 

 レーダーレンジ後方に敵の姿が迫る。速度の乗り切ったF-22に対し、アフターバーナーを渋ったMiG-21ではたかが知れている。その距離は見る間に縮まり、早くも1500に達しつつある。

 カルロスの目が、機体と速度計を幾度も往復する。

 見図る限り、射程距離への到達はほぼ同時。だが、例え敵を1機確実に落としたとしても、こちらも撃墜されてしまえば元の木阿弥である。

 

 ――ままよ。

 カルロスは正面を見据え、皺だらけとなった掌に力を込めた。正面の『セイカーファルコン』との距離は700を数えるが、有効射程まではまだ遠い。

 正面が迫る。

 後方に迫る。

 鳶色の瞳がガンレティクルを覗き込む。

 狙いは、正面中央の『セイカーファルコン』。

 敵が左右へ分かれる。

 レーダー警報がロックオンアラートへと変わる。

 距離が600を切る。

 射程距離の、一歩外。

 

「そこじゃあ!!」

 

 標的が、わずかに右へと傾いた一刹那。

 その瞬間にカルロスは、旋回する敵の予測進路上へ機関砲をばら撒き、間髪入れず操縦桿を左手前へと引いた。敵機に爆ぜる火花を視界の端に捉えながら、後方からのミサイルを辛うじて尾部に躱して、急旋回で『ディビナス改』は『ラプターⅡ』の射線から逃れてゆく。

 左右上下への激しいGに、圧せられた下腹部。操縦桿を引いて機体を立て直しながら、カルロスはぐふぅ、と込み上げる吐息を吐き出した。ちらりと後方を振り返ると、翼から煙を吹いた『セイカーファルコン』が1機、よろめきつつも体勢を立て直す様が見て取れる。命中こそしたが基幹部分は外していたらしく、せいぜいが小破というところだろう。

 

「浅かったか。やはり『(つがい)のカワウ』やエリクのようにはいかんな。…さて」

 

 正面を向き直り、カルロスは目をレーダーサイトへと落とす。後方にはつかず離れずの位置に、二つの機影が追い縋っている様が見てとれた。いうまでも無く、護衛のF-22Cに違いない。敵にしてみれば、舐め切っていた旧式機に連携をズタズタにされたうえ、こうまで弄ばれたのだ。周辺に他の脅威が無く、制圧する目標も陥落寸前とあれば、邪魔な羽虫を叩き潰すのに総力を挙げるのは当然であった。

 

 右、次いで左へ。横方向への切り返しにも、後方の『ラプターⅡ』はぴたりと張り付き、ややもすれば距離を詰めて来る。そもそも旋回性能では、MiG-21ではF-22にどうあっても及ぶものではない。

 こちらを嬲り殺すように、後方からは断続的にミサイルアラートと機銃が迫る。

 横へのGが老境へ差し掛かった体を容赦なく圧し、冷や汗が全身を浸してゆく。

 

 ――そろそろ、か。

 後方警戒ミラーを覗き込んだカルロスが口中に呟くのと、機関砲の1発が『ディビナス改』の尾翼を穿ったのはほぼ同時。

 その瞬間、カルロスはスロットルレバーを力の限りに押し、加速を乗せて逃走にかかった。

 

「重い重い。いかに強力なエンジンとはいえ、初速の分はこっちのものよ」

 

 尾部に焔を灯した『ディビナス改』は見る間に加速し、2機の『ラプターⅡ』が慌てたようにその後を追尾する。カルロスの言を示すように、その距離は見る間に開いていった。

 機体そのものが重ければ、それだけの重量物を動かすために必要なエネルギーもまた大きくなる。MiG-21の登場当時、同世代の機体であるF-4『ファントムⅡ』などと比べて『フィッシュベッド』が格闘戦で優位に立てた理由の一つがこれであった。すなわち機体が軽いために加速時の初速に優れ、短時間での加減速を繰り返す格闘戦に適していたのである。サブタイプの数が多いMiG-21といえど、基本的に軽戦闘機に分類される同機体群において、この特性は概ね変わらない。

 

 もっとも、これは初速の話に過ぎない。一旦十分な推力さえ得てしまえば、加速の伸びは高出力のエンジンを積む方が勝るのは自明である。

 それを物語るように、一旦広がりつつあった『ディビナス改』と『ラプターⅡ』の速度差は徐々に縮まってゆき、やがて猛烈な勢いでその距離を狭め始めていた。機体の最高速度、アフターバーナーの継続可能時間で考えれば、加速のみで逃げおおせることは不可能と言っていいだろう。

 

 距離、2000。1800、1600。

 レーダー上で狭まる距離を見計らい、カルロスは敢えてスロットルを通常出力へゆっくりと戻していった。元より、最高速度で勝負する気はカルロスに無い。

 狙うタイミングは一瞬。後方の『ラプターⅡ』が、こちらを短距離空対空ミサイル(AAM)の射程に収める一瞬前。

 

 目が、距離を図る。空を観、敵を探り、その付け入る隙を見定める。

 距離1300。

 深く息を吐き、下腹に力を籠める。老いた今となっては、これから起こる()()に気を張っていなければ耐えられない。

 左腕がスロットルレバーに伸びる。

 右手の指が、操縦桿の兵装ボタンを探る。

 距離、1000。

 この上ない、僅かな間隙。

 

「今!!」

 

 声と同時にスロットルを引き絞り、操縦桿のボタンを押す。

 凄まじい揺れと衝撃。前方向へ体を押し付ける激しいG。体がばらばらになりそうな衝撃に骨は軋み、耳元で響く轟音が遠くなりかけた鼓膜を破らんばかりに災難でゆく。揺らぐ視界の中、それでも意識を失わなかったカルロスの目の前には、先ほどまで後方にいた筈の『ラプターⅡ』の姿があった。

 

 一瞬にして機位を入れ替えた異変は、外観から見ればその全容を見て取ることができるだろう。

 2機の『ラプターⅡ』の後方に位置どった、カルロスの『ディビナス改』。その主翼外側のハードポイントを埋める位置から、それぞれ2枚の長方形の板が下方へ展開していたのだ。原型機には無かった機体下部の膨らみも下へと延び、さながら帆船の帆のように風を受けて速度を殺している。

 

 火力でも、最高速度でもない、カルロスが選んだ『ディビナス改』の切り札。

 それこそが、急減速を可能とするエアブレーキの増設――すなわち『速度差』であった。

 いうまでも無く、MiG-21は初速に優れる反面、加速の伸びは他機種に劣る。すなわち初速に物を言わせて逃走を図ったところで、加速に勝る敵には早晩追いつかれる計算である。このような場合には急減速で敵のオーバーシュート(追い抜き)を誘発するのが上策だが、MiG-21の場合は軽い自重が仇となり、減速による制動が利き辛い。

 

 それを補うのが、このエアブレーキである。左右両翼のものは墜落したF-15CXやスクラップとなった『アステロゾア』のフラップを拝借し、胴体下部の大型エアブレーキはF-35BXの機体上部に設けられたエアインテークカバーを流用している。このような雑な補修が可能だったのも、偏に冗長性が高いMiG-21ならではの長所によるものであった。

 

 増設したエアブレーキ、高い初速を活かした逃走、そして懇切なまでに『ラプターⅡ』に対して繰り返した挑発。その全てが結実した結果は、今カルロスの眼前に、無防備となったF-22Cの背となって映っている。

 

「空はいい。上座も下座も無く、全てが自由だ」

 

 通常1門で以て航空機関砲とする23㎜口径弾を、4門同時に撃ち放てば一たまりも無い。

 右側のF-22Cが現状を把握したころには、その黒い翼は四連の光軸によりずたずたに食い荒らされ、やがて漆黒の体を紅い炎へと包んでいった。傍らの1機は左上へと急旋回し、こちらを遠巻きに俯瞰する勢いを見せている。

 

 ちらり、と奔らせる目。見やったデジタル時計の数値は分数を重ね、レフ達がル・トルゥーアを発ってから既に20分が経過している。同道するジェミニ隊の速度は不安要素ではあるが、これだけ稼げば逃げおおせてくれた所であろう。

 

「さて、ワシもルーメンへ行きたいところだが。少々燃料を使い過ぎた。…どうするかね」

 

 バイザーを上げ、害意を失ったらしい『ラプターⅡ』を視界の端に、カルロスは半ばを切った燃料計に向かって独り言ちる。加減速に応酬にアフターバーナーの使用、おまけに年甲斐もなくはしゃいでしまったとあって、ルーメンへ向かうには到底燃料が足りない。

 

 ニコラスにでも(たか)りに行くか。

 何の気もなしにそう呟き、カルロスは一路、『ディビナス改』の針路を北へと取る。

 

 全土を覆う戦火とは裏腹の、澄み渡った晴天の下。

 刻外れの蝙蝠のように、黒翼の戦闘機は翼も軽やかに、その空の下を駆けていった。

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