Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第27話 暗転の大地

「…腹減ったな」

 

 遥か東を貫く山肌に、地鳴りのようなエンジン音が遠く木霊する。

 朝からの晴天に熱を帯びた、陽炎立ち上る足元のアスファルト。揺らめく空気の向こうでは、コンクリートの林立も、遠景の山肌すらもが姿を歪め、先の見えないこの世相を暗示しているようにも思われる。

 頭上の太陽は既に中天を過ぎ、傾きが告げる時刻は概ね2時。本来であればとうに昼食にありついていたであろう時間だが、目下緊急事態にある今となっては、果たしていつになるのか覚束ない。まして、この地の本来の住人でない、()()()たる自分たちならば猶更である。

 

 今日くらい、早起きして飯を食っておくべきだった。

 二度寝に耽った朝、防衛に奔走した昼を経て、空腹も極度に達した胃袋。思わず掌を自らの腹に当てて、レフは口内に独りごちた。

 

 サピン行政区北部、ニューコム所管オステア航空基地。レフ、カール、そして『かに座』のエンブレムを刻んだ2機の『オルシナスC』の姿を、その地に認めることができる。いくつか弾痕を受けところどころ塗装が剥げ落ちたその姿は、いかにも尾羽打ち枯らした敗残の軍を思わせた。

 

「機体の中に非常食は一応あるっスけど、今使う訳にもいかないっスしね。食堂にでも行くっスか?」

「定員外の俺たちが急に行った所で、どうせ出るもんも出ないだろうよ。到着の申請はしたんだ、おいおい配置やら配給の話もあるだろ。…落ち着いたら、の話だがな」

「いつになるんスかそれ…」

 

 轟、と風を裂いて地へと舞い降りる細身の機体――R-102『デルフィナス2』の機影を翳した掌に見やり、レフとカールは溜め息のような言葉を吐いてゆく。オステアに到着してから既に1時間弱、その間にも基地へは様々な所属のニューコム機がひっきりなしに着陸してきており、さながらおもちゃ箱をひっくり返したような混雑を見せていた。当然それらを管轄するオステア司令部の混乱は推して知るべしであり、一地方拠点の所属であるキャンサー隊のような末端部隊まで指示が行き渡るのは相当後になると見て良いだろう。既に基地の至る所には機体や人員が溢れかえり、所在なげに佇んでいる様子からも混乱の一端が見て取れる。

 

 オステアはサピン行政区におけるニューコム最大の航空部門拠点であり、NEUサピン方面軍を代表するエース部隊『エスクード隊』の根拠地でもあることから、自然としてサピン方面のNEU基地の中心として見なされてきた経緯がある。『ウロボロス』の奇襲により方々から追い落とされたNEU部隊が再起を期すのにこれ以上の場所は無く、それゆえにNEU残党軍がオステアに集結する結果となったのは容易に想像のつくことであった。戦力の一点集中には欠点も存在するが、単純に手持ちの戦力が増大し、一面に投入できる戦力が大幅に増えるメリットの大きさもまた計り知れない。オーシア東方のニューコム勢力が動揺している今、こうした盤石の拠点が存在するという事実は、全土の部隊にとっても礎石を据えたような安心感を抱かせる筈であった。

 

 地面を奔る、空から落ちる翼の影。その下をくぐり、小走りにこちらへと近づく姿が二人の目に映る。遠目にもNEUの軍装に身を包み、風に金髪を揺らしながら駆け寄るその姿は、報告のためオステア司令部へと向かわせたイングリットに間違いなかった。なお余談ながら、スフィアは駐機と同時に『オルシナスC』から離れ、エレクトロスフィアを介してレフの携帯電話に無断で転がり込んで眠りこけている。あの奇襲を受けてなお、4人が無事にル・トルゥーアを離れられたのは奇蹟と言っていいだろう。

 

「悪かったな、名代押し付けちまって」

「レフが素直…。今夜は大雨っスね」

「脛蹴るぞコラ。…で、何か情報はあったか」

「案の定、司令部の混乱であまり多くは聞けませんでしたが、他の基地の方からも聞いてどうにか。エスクード隊のクルス顧問航空技官(コンサルティング・パイロット)からも情報を頂きました」

 

 そう前置き、イングリットはリングタイプのメモ帳をめくって書き連ねられた箇条書きを読み下してゆく。オステアへの到着報告がてら、司令部での情報収集を兼ねてイングリットを送り出したのだが、どうやら基地スタッフや外部のパイロットにも話を聞いて来たらしい。マメな性格の彼女らしく、今どき手書きのメモ帳というのがいかにもイングリットらしかった。

 

 イングリットが語るところを総合すると、ニューコムの現状は芳しくない。

 ル・トルゥーアが『ウロボロス』から襲撃を受けたのは今日の早朝ではあったが、遡ること数時間前の夜明け時点から、早い所では攻撃を受けていたらしい。早朝に至る一連の襲撃についてニューコム上層部はゼネラルリソースによる偽装攻撃と断定し、ユージア大陸の本拠地であるポートエドワーズ上空では、早速NEUによる報復攻撃が成されていたのだという。

 ところが、この空戦に『ウロボロス』と、それに同調したUPEOの精鋭部隊『SARF(サーフ)』の一部が介入を始めると状況は一変。『ウロボロス』の工作による指揮系統の混乱も相まって戦闘はニューコム劣勢のままに推移し、その最中にポートエドワーズ脱出を目論んだニューコム上層部役員の多くが殺害されたとの情報すら入っていた。各組織の本拠があるユージアでは既に戦闘が主要都市にまで拡大し、巨大海上都市『メガフロート』や地下都市『ジオフロント』上空ですら交戦域になっているという。この状況では本社からの支援は到底見込めないというのが、オステア上層部の統一見解であった。

 

 翻って、オーシア東方の状況である。

 未明から行われた『ウロボロス』による同時攻撃により、ル・トルゥーアを始めとした末端の小規模拠点はそのほとんどが機能を喪失。所属の部隊は多くが殲滅されるか投降し、残る僅かな部隊がオステアを始めとしたいくつかの拠点に集結しつつある状況だった。イングリットが集めた情報によると、ニューコムの研究施設と工廠を擁するベルカ領内スーデントールは既に陥落し、『円卓』を始めとした重要拠点の制空権もあらかた奪取されたという。一方で、サピン区都グラン・ルギドでは空軍指揮経験のあるニコラス・コンテスティ航空参事官(フライト・カウンセラー)が首都防空大隊と周辺の部隊をかき集め、徹底抗戦の指揮を執り始めているという情報もあった。

 

「あのじいさんか…。大丈夫かよ」

「往年のサピンの名エースですよ?環太平洋戦争の時には大隊を指揮して反乱軍を討伐した経験もあるくらいですし、きっと大丈夫です。はあぁ…お爺さんとお孫さん、名エースの血統が南北で立ち上がる。いいですねぇ…」

「何だお前、ジジ専だったのか」

「ち・が・い・ま・す」

 

 グラン・ルギドに拠点を構えるという、ニコラス・コンテスティ航空参事官。かつて一度会ったことがあるが、どこかお調子者らしい雰囲気は否めなかったことは、レフの記憶にも残っている。その指揮能力は未知数ではあるが、サピン南部に寄るグラン・ルギドにも拠点があるという事実はニューコムにとっては朗報だった。

 レフの脳裏に過ぎるのは、おやっさんの姿である。

 レフ達を逃がす為の殿となってル・トルゥーアに残ったおやっさんだが、仮に無事逃げおおせたとして、合流場所に指定したオーシアのルーメンはあまりにも遠い。ある程度燃料を積んだレフ達でさえ到達は困難と判断し、予定を変更してオステアへと立ち寄った程である。早々に増槽を捨て、まして空戦さえ経たMiG-21がたどり着くには、どうしても途中で経由地を経る必要があった。単機である以上、道中で撃墜される確率も多分にある。

 その点、グラン・ルギドとル・トルゥーアは目と鼻の距離であり、MiG-21の航続距離の範囲内でもある。未確定の部分が極めて多いものの、おやっさんが逃げおおせる確率が僅かでも上がるのは願ったり叶ったりであった。

 

 とはいえ、全体を見通した状況は不安定の域を出ない。

 UPEOは、SARFを指揮するパークという男がいち早く『ウロボロス』への加担を表明し、少なくないSARFの部隊がこれに同調。オーシア支部も動揺しており、事態の仲裁は到底望めない状況なのだという。

 ゼネラルリソースに関する情報は少ないが、『ウロボロス』の首魁というアビサル・ディジョンは元々ゼネラルリソースの出身である。内部で密かに同志を募っていたことは十分に考えられ、相応に蚕食されていると見ていいだろう。今なおラティオに駐留する『ランドグリーズ』等の連合艦隊が周辺域の鎮圧に当たっているらしいとの話もあったが、組織としての混乱は他と大差ないと考えられた。

 

 スーデントール方面から逃れて来たパイロットの話では、未確認の大型飛行体を目撃したという噂すらある。真偽のほどは措くとして、情報のいずれをとってもニューコムには面白くない話であった。

 

「…どうなるんスかね、俺たちも、ニューコムも。おやっさんも無事だといいんスけど…」

「かき集めた敗残兵で戦争に勝ったっつう嘘みたいな話も昔にはある。先に立つ奴の旗振り次第だろうな。見ろ」

 

 不安に顔を曇らせるカールに対し、レフは言葉とともに顎をしゃくる。その先では、フライトジャケット姿のまま方々へ指を差し、手招いては指示を下す若者の姿があった。噂の飛行隊長、クルス・コンテスティその人であることは遠目にも明らかだが、混乱と重責の中においてなお凛とした清廉さが佇まいに見て取れる。動揺を宿さないその様に、周囲の期待と信頼は彼の身へと一新に注がれているようだった。

 

「目覚めるような指揮官っぷりだ。やっぱいい男じゃねえか」

「……」

「…何だよ」

「変わったっスね、レフ。前はあんなにクルスさんに棘があったのに」

「そうか?…そうか。まあ、そうだったな」

 

 惚れ惚れしたように、遠目にクルスを見やるレフ。不思議なものを見たように、カールはその様子を微笑しながら口にした。

 

 言われてみれば、確かに初めてクルスに会った時、自分は反発を覚えた。エースとしての血統と実力、地位、余裕のある態度。今思えば、それはクルスという人間に対する無意識の羨望、あるいは嫉妬だったのかもしれない。

 たぶんあれから、自分は変わっていったのだろう。ベルカ派遣を経て、多くのエースに出会い、おやっさんの薫陶を受け、スフィアと互いを理解して。以前のオーレッド湾上空での再会で、クルスが苦戦する様と、ぽつりと吐いた苦悩を聞いていたのも大きいのかもしれない。

 

 いずれにせよ、今のレフはクルスに対し、批判めいた負の感情を全く覚えていなかった。多くの人間に触れ、クルスの強さと弱さを感じて、そして今の指揮官としての奮闘を見て。自らと彼を俯瞰することで、一年越しにようやく彼を認められた――より言えば、自らの位置を認められたということなのだろう。言うなれば、これもまた成長なのかもしれない。

 

「…成長したんだろうな、俺も」

「ぷっ」

「おい今笑っただろお前」

「まあまあまあ。…あ、見てください。件のクルス顧問がこちらに」

 

 カールの首へと腕を回し、ヘッドロックで制裁を下すレフと笑いながら逃れるカール。それらを抑えるイングリットが指さした先には、一通り指示を終えたらしいクルスが歩み向かってくる様が見て取れた。明らかにこちらを指している様子を見て取り、レフもまたカールを手放して、そちらへと脚を向けてゆく。

 

 一声の距離に至り、レフは右腕を上げて敬礼を示す。答礼するクルスは微笑しながらも、目元にはうっすらと隈が浮かび、疲労が滲んでいる様子である。実に一年以上を経た、直接の対面だった。

 

「『ウロボロス』に寝ぐらを追われて転がり込んで来ました。今日から世話になります、クルス顧問航空技官」

「オーレッド湾上空以来だな、レフ・ミハイロヴィチ・ヤコヴレフ航空技官。この前は、情けない姿を見せてしまった」

「何を何を。俺も同じです。UPEOに追いまくられただけだった。もう二度と、暴風雨の中での空戦は御免ですね」

「全くだ。…何にせよ、貴方のようなパイロットが来てくれたことは心強い。我々の今後の方針にも、大きな力になることだ。どうか、力を貸して欲しい」

「もちろんです。…それで、今後の方針というのは」

 

 反感、共闘、そして同じ痛みを味わった戦友へ。

 今に至るまでの邂逅がクルスへも変化をもたらしたのか、クルスからレフへの言葉もまた、一パイロットへとは異なる感慨を帯びたものとなっている。幾らか狭まった距離、信頼と言う名の鎖を心に覚えながら、レフは継がれるクルスの語を待った。

 

 クルスによれば、オステアの方針はスーデントールの早期奪還で一致したのだという。

 ル・トルゥーアへの襲撃を見ても、『ウロボロス』はけして一枚岩ではない。ニューコム、ゼネラルリソース、そしてUPEOからの賛同者が集った寄り合い所帯であり、自然周囲に流されるままに合流してしまった者もいるのだろう。すなわち純然たる『ウロボロス』の戦力はそこまで大きなものでは無く、基幹はこれまでの予想より小規模と見ていい。

 現時点で『ウロボロス』が掌握した拠点のうち、最重要と思われるのがベルカ領スーデントールである。

 かつて南ベルカ国営兵器産業廠が存在したその都市は、現在ではその遺構を活用したニューコムの研究施設があり、大規模なNEU拠点もまた付随している。戦力を迅速に確保したい『ウロボロス』にとって最重要の拠点こそがこのスーデントールであり、サピン領内のその他の拠点はいわば枝葉に過ぎないと断じていいものだった。

 

 そこで、オステア上層部は基幹たるスーデントールの奪還こそが『ウロボロス』の早期討滅に不可欠と判断。折しも各地から集結した戦力を投入し、ベルカ領内の陸上部隊と連携して、陸空からの制圧に全力を費やす方針を決定したのだった。

 作戦は、言うなれば第二次オーシア戦争で見られたような電撃作戦である。

 すなわち、高速攻撃機で編成された第一陣が先行し、『ウロボロス』の戦力が集中する飛行場を爆撃。可能な限り戦力を叩いた時点で戦闘機と攻撃機による第二陣が上空と都市部を掃討し、第三陣たるベルカの陸上部隊が市内要所へなだれ込む、という寸法であった。レフは、速攻が求められる第一陣の副指揮官として抜擢されるのだという。カールとイングリットもそれに付随し、先にル・トルゥーアから脱出したジェミニ隊は第二陣に当たる手筈であった。

 

「この作戦は速度が肝要だ。今夜の夜明けとともに全軍で出撃する。第二陣の指揮官も兼ねて、前線指揮には私も出る予定だ。第一陣には同行できないが、貴方ならやってくれると信じている」

「言われなくたって、全力で向かう積りです。俺も奴らを一発ぶん殴らなけりゃ気が済まないんでね」

 

 それより。

 転調の言葉をそう告げて、レフは作戦を解説するクルスの言葉に口を挟んだ。

 掠れた声、滲む目元の疲労。朝から出撃と情報収集、さらには部隊の指揮に当たっていたのだろう、クルスの疲労は目に見えて甚だしいものだった。この上で出撃前の部隊を整え、睡眠もままならないうちに明朝の出撃を待つのは過酷と言う他にない。見かねた思いが、つい口を突いて出た形であった。

 

「あんたはもう休め。朝からぶっ通しの緊急対応で、ろくに休憩もしてないんでしょう。今やあんたは、航空隊の指揮官じゃない。サピンのNEUを支える柱なんだ。あんたが倒れてしまったら、山ほどの人間が希望を失っちまいます。そうなったら、オステアはもう終わりだ」

「…ありがとう。でも、大丈夫だ。疲れているといっても、まだ1日にも満たない。NEUの…ニューコムの『旗』となるためにも、私は前線に立たなければならない。それより、貴方たちも休んでおいた方がいい。ル・トルゥーアの防衛で、早朝から戦ってきたのだろうし」

「ええ。お言葉に甘えて、飯にありついたら早いうちに休もうと思います。……せめて程々にですよ、クルス顧問」

「ありがとう。折を見て休むことにするよ。それでは、また作戦前に」

 

 横目に、こちらへと走り寄る兵の姿が映る。帽子を被り、手にしたバインダーに紙の束を挟んでいる所から察するに、おそらく本部付の通信兵の一人なのだろう。その姿を認めると、クルスは会釈を見せてから踵を返し、通信兵の元へと向かっていった。どうやら作戦についての連絡事項だったらしく、バインダーを手渡されたクルスは何やら言葉を交わしながら急ぎ足に司令部棟へと向かっていった。

 

「ありゃあ当面休む気は無いな」

「でも、この電撃作戦が決まれば『ウロボロス』の戦力は散り散りっス。もう少し耐えきれば、また休めるようになるっスよ」

「…だといいがな」

 

 躓いた拍子に足を絡め、危うく転倒しそうになるクルス。離れてゆくその背を見ながら、レフはぽつりと言葉を漏らす。

 

 今だ轟音響く蒼穹の下、レフは掌を翳して空を見上げる。

 風向きはやや変わり、南寄りの微風。流れてゆく雲は高く少なく、一帯に高気圧が張り出しているらしい様子が見て取れる。日没までの時間も鑑みれば、このまま天候は明朝まで推移すると見ていいだろう。

 頭上の雲が、ゆっくりと東へ流れてゆく。

 今夜は月光が澄み渡る、穏やかな月夜になりそうだった。

 

******

 

 爆発音。

 遠く鼓膜に響いたその音に、レフは反射的に跳ね起きた。

 目を擦り、壁掛け時計に目を向ける。時刻にして、深夜2時14分。部屋数が圧倒的に足らず、小隊単位ですし詰めにされた部屋の中では、同じく飛び起きたカールが片膝立ちになりながら目をしばたかせている。イングリットは気づかなかったのか、未だにベッドの中で眠りこけて寝息を立てていた。

 

「…レフ、今の」

「エンジンの始動音じゃなかったな。カール、イングリットを叩き起こせ。万一があるかもしれん」

 

 ベッドの二段目から飛び降り、イングリットの元へと駆け寄るカール。それを背に、レフは光漏れ防止のシーリングを施されたカーテンの隙間から外の光景を覗き込み、同時に絶句した。

 

 基地の敷地内から、炎が上がっている。

 区画にして3つほど向こう、闇の中に浮かび上がるその建物は、オステア正規部隊が使用している格納庫の方である。耳を澄ませば空にはいくつか遠雷のような音が鳴り響き、時折ちかちかと閃光の筋が走っている様も見て取れた。

 ――敵襲。

 その直感は、空中の影の一つが炎に包まれ、車両保管庫を直撃すると同時に確信へと変わった。

 

「『ウロボロス』だ!!」

「え…!?まさか!?」

「むにゃ…。ウロ…え?ええ?」

「冗談じゃねえぞ、クソ…!急いで機体に向かうぞ!スフィア、起きてるか!」

《おはようございます、レフ。寝覚めばっちりです》

「今すぐ俺たちの『オルシナス』に移ってエンジンを始動させろ!直掩の連中が墜とされる前に上がるぞ!」

「無理っスよレフ!こんな状況で上がるなんて自殺行為っス!」

「地べた這いずってても遅かれ早かれ攻撃には晒される!つべこべ言わず走るぞ!」

 

 動揺するカールに言い捨て、レフは壁にかけておいたフライトジャケットを引っ掴んで矢継ぎ早に袖を通す。出撃するならば耐G仕様のフライトスーツを着るのが定石だが、奇襲を受けているこの状況では悠長に着替えている余裕などない。

 今はとにかく時間が惜しい。カールとイングリットが最低限の着替えを終えるのを待ってから、レフは拳銃を腰のホルスターから引き抜くと同時に廊下に躍り出て走り出した。他の兵員も異変に気付き始めたらしく、それぞれの部屋から三々五々に目指す先へと散っていく。

 居住棟正面の入口は最短距離ではあるが、滑走路側に面しており狙い撃ちに遭う危険も大きい。レフは建物側面のドアを薄く開けて様子を伺うや、人影が無いのを見計らって隣接する建物の影へと素早く忍び入った。カールとイングリットもそれに倣い、3人ひと塊となって互いの正面へと目を凝らしてゆく。

 

 物陰から隙を伺い、素早く次の影へ。備品や事務資材を込めた連棟の間に入り、レフは周囲へ意識を凝らす。

 頼りになるのは、3者3様の目と耳。戦闘の音が響く物陰の下で、最初にある異常に気付いたのはカールだった。

 

「…レフ、イングリットさん。何か静か過ぎないっスか?」

「バリバリ機銃の音が響いてるだろうが」

「そうじゃなくって。こういう時、普通サイレンとか司令部棟から警報の放送とかするものだと思うんスよ」

「……言われてみればそうです。それに、妙です。さっきから交戦の音の中に、小銃のような音が聞こえませんか?航空機の奇襲に、いくら動揺しててもライフルを使う訳は…」

「……!…二人とも、ちょっと待ってろ」

 

 サイレンが、聞こえない。

 それだけでなく、確かにイングリットの言う通り、耳を澄ますとそこここから短く軽い連続した発砲音も聞こえてくる。

 悲鳴、怒号、そして金属が爆ぜ、ガラスが連続して割れる音。いずれも、小銃を持ち出すような陸戦が行われていることと同義である。つまり、これらが意味するものは。

 

 二人を残し、滑走路側に面する壁からレフは基地中央方向を覗き見る。

 飛び込んで来た光景は、昨日のル・トルゥーアに勝るとも劣らない絶望の姿だった。

 

 司令部棟へ向けて滑走路上を闊歩する、ゼネラルリソース製の多脚戦車。建物の至る所からは発砲炎と思しき閃光が断続的に爆ぜ、建物の壁面近くには至るところに人の死体が転がっている。司令部棟は既に砲撃で半壊し、もはや中枢たる機能を失っているようだった。それらに最も近い正規部隊用の格納庫の前には小銃を突きつけられ両腕を上げるパイロットが並び、その傍らには赤地に黄金十字を施した『オルシナスC』が燃えているのも遥望できる。

 

 間違いない。これは単なる戦力漸減のための空襲などでは断じてなく、陸上兵力すらも投入した基地制圧のための奇襲であった。警報も無く初撃を許してしまったところを見ると、もしかすると各所に既に裏切り者が紛れ込んでいたのかもしれない。策謀が成就してしまった今となっては、それを疑ったところで詮無いことではあった。

 

「どんな様子っスか、外は」

「予想以上にやべえ。この有様じゃ、オステアはもう駄目だ」

「…そんな…!」

「今は中枢の制圧に連中も動いてるが、ここらまで来るのも時間の問題だ。クルスには悪いが、おやっさんの言う通りにルーメンまで離脱する」

 

 何か抗弁の素振りを見せるカールの前に人差し指を立て、レフはその口に蓋をする。こうなれば速やかに迅速に、かつ静かに機体へと辿り着くのが重要であった。この点、外様ゆえに基地の外れに露天駐機せざるを得なかった不運が転じて利となったと言っていい。

 尤も、問題もまたある。現在レフ達は住居棟に隣接した連棟倉庫の間に潜んでいるのだが、駐機しているのは遮蔽物の無い路上を経た基地の対辺上の地点なのであった。距離にしてたっぷり300m以上はあり、生身のままその距離を突っ切るのは極めて分の悪い賭けとしか言いようが無いが、かといって今は他に手も無い。

 

「暗がりに紛れて、一か八か突っ切る他無いか…」

「スフィアちゃんに機体を操作してもらって、近くまで来てもらうのはどうっスか?」

「『オルシナス』の図体だぞ。上の連中に狙い撃ちにされる。頭上の敵が通り過ぎる隙を突いて、全力で走る方がまだ可能性がある」

「敵機、来ます。二人とも隠れて」

「よし。アレが通り過ぎた後だ。死ぬ気で走るぞ」

 

 体を壁面に寄せ、影から伺うように頭上を覗く。

 来る。滑走路上に機銃を掃射し、機首を引き上げながらこちらの頭上へと近づいてくる。

 レフは目を凝らし、その機種を、挙動を図る。

 機体は小型。機首には機体に比べて大型のカナードが設けられ、UPEOの機体に多い無尾翼デルタの形状を闇に浮かべている。

 息を殺すうちにも、機影は迫る。

 大丈夫、気づかれてはいない。

 機体が、機首を上げる。

 デルタ翼が、頭上に近づく。

 エンジンは単発。UPEOの『グリペンJ』。

 翼には、付け根から翼端へ向けて伸びるV字状の緑色。

 ――UPEOの『三日月』のいた部隊。

 

「走れ!!」

 

 絶望は、人を殺す。

 見上げた光景を意識の外に、レフは声を張り上げて走り出した。弾かれたようにカールとイングリットもそれに連なり、3人が一団となって『オルシナス』へとまっしぐらに駆けていく。

 

 しかし、遠い。居住棟と格納庫が目と鼻の先だったル・トルゥーアと違い、大規模基地の範疇に入るオステアはその敷地面積も極めて広い。他のパイロット達が周囲に見当たらないのも、機体が遠いために乗機するのを諦め、地上戦に加勢するか別の機体へ取りつくのを優先したためであろう。

 

 血が巡り、体が熱を帯びる。

 息が爆ぜ、体が空を切る。

 広い、まったく広い。まだか、機体までは。

 

 後ろから何かを叫ぶ、カールの声。

 振り返り、指し示す左の先に横目を走らせると、そこには暗闇にぽつぽつと見える光と、大型の影の駆動音。基地の外側方向から、今更陸上の増援が来る筈も無い。

 『誰だ!』という誰何の声はわずかに一言。一瞬後にはそれは銃声となって、容赦なく周囲の空気を切り裂き始めた。

 

「くそったれ、問答無用かよ!」

「上、上!さっきの『グリペン』が反転して来てるっス!!」

「畜生め…!イングリット、拳銃貸せ!お前ら走れ!!」

 

 イングリットの手から拳銃をもぎ取るように受け取り、レフは二丁拳銃の要領で走りながら両手に構える。どうせ暗黒下で狙いが付けられないならば、少しでも手数を増やしてとにかく牽制した方がいい。

 敵は概ね7人程度、それに空挺戦車が1台か。砲炎が爆ぜるおおよその位置へ向かって、レフは走りながら左右交互に引き金を引く。命中を示す悲鳴は聞こえなかったが、それでも牽制の役には立ったらしい。幾らか弱まった弾雨の中を、引き金を引きながら走ってゆく。

 

 擦過。風切り音。その中に、呻くようなカールの声が混じったのはその時だった。

 

「ぐうっ!!」

「カール!」

「大丈夫っス!それより、上!」

「…ちっ!!」

 

 カールが示す、その先。省みるまでも無く迫りくるエンジン音を前に、レフは頭を抱えながら飛び込むように地面へと突っ伏した。頭上で爆ぜる小銃とは比べ物にならない発砲音は、そのまま頭上を裂いて通り過ぎてゆく。友軍への誤射を避けるためにわざと射撃時間を短くしたのだろうが、今のレフには幸運以外の何物でもなかった。

 

「ノーコン野郎め!」

「レフ!次は左、左!」

「分かってる!…くそ、弾切れかよ!」

 

 牽制の間を縫い、刻一刻と迫る兵士の影。牽制の拳銃も底を突き、レフは拳銃を投げ捨てながらなおも走った。暗闇の中、遠景に炎を背にした悪視界の中でも狙いは徐々に正確となり、足元にびしり、と弾着が穴を穿ってゆく。

 

 もう少し、だってのに。

 歯を食いしばり、息を荒げながら、なおも絶望を背に走り続ける3人の人影。

 それらを追い、致命となる照準を向けた陸兵の一団を、横合いからの火線が襲ったのはその時だった。

 

 轟、と空気を裂く25㎜口径弾が空挺戦車を横から穿ち、一拍の後に炸裂の焔を上げる。

 爆発、火焔、地に伏せる影。そして、耳に響く聞きなれた高周波のエンジン音。ぜいぜいと肩で息をしながらその方向を見やると、そこには翼端に光を灯した『オルシナス』が2機、機首に発砲の煙を上げながらゆっくりと近づいて来る様が見て取れた。まるで意思を持つようにそれらは旋回し、キャノピーを開けてこちらに横腹を向けてゆく。

 

「スフィアちゃん…!?」

「でかしたスフィア!乗れ、今なら間に合う!」

「俺は腕を負傷したっス!イングリットさん、前に!」

「わかった!」

 

 機体下部の層流制御部、次いで機首側面に脚をかけ、レフは飛び乗るように『オルシナスC』のコフィンへと潜り込む。どうやらスフィアが機転を利かせて敵へと発砲したらしく、火器管制は既にマニュアルモードへと切り替わっていた。計器類を見るにエンジン温度も十分に上がり、離陸のためには申し分ないコンディションにある。

 残る問題は、果たして空中の敵――それもおそらく例の『緑翅』――が、こちらを目零してくれるかどうか。

 

「カウント省略、強行突破する!」

《了解です!》

 

 滑走路に並ぶ、青色の翼。

 空と地に奔り続ける閃光と爆炎。

 そして、空へと延びるアスファルトを照らすいくつもの焔。

 省みることなく、レフはスロットルを開放し、『オルシナス』のエンジン出力を徐々に上げていく。

 

 警報。

 機体制御ではない。エンジン回りでもない。耳を苛むこの機械の重低音は、レーダーアラート。すなわち、敵機のいずれかが、早くもこちらを捕捉したのに違いない。

 

《レフ、後ろ…!さっきとは別の『グリペン』っス!》

「振り返るな!とにかく速度を上げろ!」

《やってるっス、やってるっスけど…!くそ、上がれ、上がれ!上がれよおぉぉ!!》

 

 既に戦闘状態に移行している戦闘機と、離陸中の機体では運動エネルギーに雲泥の差がある。後方に迫る機影は急速に近づき、瞬く間にこちらの機体をミサイルの射程圏内へと収めていった。発砲の気配が無いのはミサイルを温存する積りか、それとも最初から機銃で仕留める積りなのか。背後を狙う殺意とはよそに、機速は遅々として上がらない。

 

 心臓が脈を打つ。

 エンジンが回転数を上げる。

 紅い焔が、『エスクード隊』の機体の残骸が視界の端を過ぎる。

 多脚戦車の機銃がこちらを狙い、時折被弾の音が鼓膜を苛む。

 まだか。

 背後に機影が迫る。

 距離500。400。

 まだか。

 早く――。

 

 体を包み込む、重力から解き放たれたふわりという浮遊感。それは間髪入れずに被弾の衝撃と爆発音へと変わり、機体の中のレフを激しく揺さぶった。

 

「くそ!!」

《レフ!!》

 

 悲鳴のようなカールの声と、機体の警報が入り混じる。

 右側エンジン停止、垂直尾翼破損。胴体温度が上昇し、機体が燃えているのも見て取れる。専用塗装を施していた分狙いがこちらに集中したのか、傍らのイングリット機はこちらを追い越して速度を上げていった。

 

「俺はいい、そのままルーメンへ行け!」

《でも…!》

《…分かったっス!!イングリットさん、加速を!》

 

 弧を描き高度を失ってゆくこちらを引き離し、イングリットの『オルシナス』は徐々に暗闇へと溶け込んでゆく。その背を『緑翅』が追っていく様も横目に見えたが、あとは二人の強運に期待する他無かった。

 

《レフ、早く脱出を。私はエレクトロスフィアに退避します》

「応。また後でな!」

 

 座席脇の安全ピンを外し、腕に力を込めてレバーを引き上げる。

 ぱん、という間の抜けた音が響きキャノピーが吹き飛んだ一瞬後、レフの体は座席ごと夜空に舞い上がり、やがて落下傘に吊るされて宙に舞った。青槍の塗装を施した『オルシナスC』はその眼下を抜けて、腹から地面へと吸い込まれて、横転しながら爆炎の中へと沈んでゆく。長きに渡る愛機ではあったが、その最期は勇壮とは言い難い、惨めなものであった。

 

 冷たい夜風が、全力疾走で火照った体を冷ましてゆく。

 空から見下ろしたオステアはもはや方々に炎が上がり、完全に戦力を喪失しているように見て取れた。残った基地施設の前で兵士に囲まれ膝を突く集団は、投降したオステアの兵員だろうか。脳裏を過ぎったクルスの顔も今は詮無く、レフの体は漂うように宙を舞い、やがてなだらかな平地へと降り立った。

 

「今夜はよく晴れた、いい夜だ。そう思うだろ?あんたらも」

 

 額に向けられる、いくつもの銃口。

 軽口一つを唇に躍らせ、レフは両腕を上げながら月を仰ぐ。

 

 晴れ渡った夜空に浮かぶ真珠色の月は、虚しさすら覚えるほどに澄んだ空を照らしていた。

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