Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第29話 Seek and deem

 ぎらぎらと熱せられたアスファルトから、幽鬼のような陽炎が揺らめき立ち上ってゆく。

 夏の盛りともなれば直射は言うに及ばず、熱せられた空気すらも身に纏わりつきそうなほどに暑い。即席の避暑地とでもいうべき風通しの良い日陰ならば、それが幾分かでも和らぐのがせめてもの救いであった。

 滑走路に面した、臨時的に設けられた駐機場。翼を並べる雑多な機影の翼の下に、つかの間の休みを貪る男たちの姿があった。そのほとんどは半ば自棄のように上半身裸であり、それぞれ適当に場を占めて身を並べている。

 

「俺たちのセミヌード、偵察衛星からは丸見えなのかね」

「衛星網はズタズタになってるって聞いたぞ?」

「マジかよ。エレクトロスフィアは機能してるのに?」

「軍事部門の回線が集中的に攻撃を受けたんじゃないかね。噂じゃどさくさに紛れてニューコムが偵察衛星壊しまくってるとかなんとか」

「マジかよニューコム最低だな」

 

 他愛のない噂話に聞き耳を立てながら、レフは無関心を装い大きなあくびを見せる。噂の真偽は定かではないが、現時点を以て巡航ミサイルによる長距離精密攻撃が降って来ていない現状を見るに、それもある程度は信じてもいいのかもしれない。何せここスーデントールは、すぐ傍にスーデントール市街を抱えた立地であり、わずかな誤差が民間人への被害に繋がりかねないのである。ごくわずかな瑕疵が数多の人命と引き換えになりかねない以上、偵察衛星を介しない間接攻撃など行えるはずもない。それを踏まえれば、長距離攻撃を受けていないという現実は、宙の目が機能していないことを示す傍証としては十分なものだった。

 

「そういや聞いたか?飛行隊長のあのハゲ、死んだらしいぜ。この間のサピン方面への出撃で、噂だと赤帯の『デルフィナスⅡ』にやられたんだとか」

「へ、ざまぁ見やがれってんだ。突っ込ませるだけの能無しめ。…いや、髪無しだったか」

 

 からからと笑い声を上げる、他愛ない二人の男の会話。ぴくりとその一節を耳にして、レフは閉じかけていた目を見開いて、二人の方へと目を遣った。会話の中に混じっていた『赤帯の塗装の』、『デルフィナス』という情報に、思い当たる節があったのである。

 

「なぁ、それってどの辺りのことなんだ?」

「?なんだよお前、あのハゲに気でもあったのか?」

「違うわハゲ。そんな強力な奴が相手だと、いつ我が身になるか分からねぇだろ?情報は武器、ってな」

 

 ――そう、情報はまさに、事態を打開しうる最上の武器。真意を隠し、レフは男たちに声をかけた。

 レフが『ウロボロス』の奴隷戦士となり、既に10日あまり。この間に、レフはエレクトロスフィアを自由に移動できるスフィアに協力を仰いで、反撃の手立てとなりうる情報の収集に当たっていた。一つには各勢力の動向、そして一つには敵味方の有力な部隊やその所在の把握というのが、その大雑把な区分けである。

 しかし、『情報』というものには色も意図もなく、それゆえに雑多な玉石から本命を探し出すのは難しい。厳重に保護された情報への接触はもちろん、真贋の見極めもそう易々といくものではなく、現時点で得られている情報はほんの一握りに過ぎなかった。

 先の、男達が話していた『赤帯の』『デルフィナス乗り』。その人物もまた、レフが所在を探ろうとしていた人物の一人である。

 

 NEUサピン方面軍所属、イルダ・バーモンテ顧問航空技官。

 かつて『円卓』の空で戦った僚機にして、スフィアの姉妹である『オーキャス6』のマスター。クルスを除けばNEUの中でも指折り――少なくともレフの実感ではだが――である彼女の所在を掴み、あわよくば対『ウロボロス』のための力としたいというのが、レフの意図の一つであった。

 

 それとない期待を込めて、向けた言葉と目。

 しかしそれに返って来た答えは、存外なほどに素っ気ないものだった。

 

「さあ?」

「さあってお前」

「だってあのハゲの死因とか特に興味も無いしな。どうもサピン北部…そうそう、フトゥーロ運河の偵察に出た行き道みたいだが。あの辺りに出た『ウロボロス』の機体が前に何機か赤帯の奴にやられた事があるから、今回もそうじゃねえか、って話だよ」

「只の憶測かよ。…にしてもフトゥーロ運河?何でまた」

「知らねぇよ、あいつらの考えることなんて。そんなにあのハゲが恋しいなら今度花でも摘んで持って行ってやりな」

「ハゲ散らかせこの野郎」

 

 失望を呑み、レフは追い払うように手を払ってごろりと横になり男たちに背を向ける。イルダに撃墜されたかどうかすら、これでは相当眉唾物ではないか。

 

 それにしても、妙な話だった。

 フトゥーロ運河はオーレッド湾と、オーシア北部のノースオーシア州西南に位置する五大湖とを接続する運河であり、かつて五大湖沿岸がベルカ公国の領土だった時代には経済的にも軍事的にも重要な意味を持つ地域であった。とはいえ2040年時点ではNEUがその過半を領空として取り収めており、おまけに現時点ではニューコムの勢力はサピン中部のグラン・ルギド周辺に逼塞している状態にある。2039年のGRDFとNEUとの交戦でサピン沿岸部の防衛施設や護衛艦隊は大きな被害を受けたばかりである以上、さしたる脅威があるとも思えない。なぜそのような空域に、わざわざ使い潰しの利く自分たちではなく、『ウロボロス』直属の部隊を偵察に差し向けたのだろう。

 

 ――情報は、力。わずかな期間ではあるが情報をかき集めていた甲斐もあり、レフの脳裏には推測が組み立てられてゆく。

 

 目下、スーデントールを占拠した『ウロボロス』の最大の脅威は、ラティオに駐留するGRDFの機動部隊である。保有する航空部隊もさることながら、随伴する対地攻撃艦隊『ランドグリーズ』による直接攻撃は脅威の一言であり、昨年のニューコムとの抗争で沿岸施設を瞬く間に殲滅した事実からもその威力は察せられる。

 

 この脅威に対し、『ウロボロス』は当初、敢えて湾口の防備を薄くすることで艦隊をオーレッド湾へ引き込み、退路の無い湾内で飽和攻撃を仕掛けて殲滅する方針を取った。

 しかし昨年の戦闘で同様の戦術をNEUから受け、虎の子の艦隊を半壊させられた教訓から、GRDF艦隊は同じ轍を踏むことはなかった。すなわち、しきりに沿岸から内陸にかけての『ウロボロス』拠点へ艦対地、ないし航空攻撃を加えて戦力を漸減する手段に出たのである。既にいくつかの拠点は壊滅したとの情報も得られており、事態がこのまま推移すれば、スーデントールが丸裸になるのも時間の問題であった。レフとすれば、そうなってくれた方が当然都合はいい。

 

 しかし、今の情報が事実とすれば、『ウロボロス』はここにきて従来の方法を捨て、オーレッド湾内の警戒を強化した――すなわちGRDF艦隊のオーレッド湾への侵入を阻止する方向へと方針を変えたことになる。それがどのような意図を持つものかまでは、今のレフには判断が付かなかった。

 

 得られる答えはなく、思考は廻る。

 GRDF艦隊の、オーレッド湾への侵入阻止。そしてそれと並行した、オーレッド湾内の警戒強化。二律背反としか思えないこれらの先にあるものとは、一体何なのだろうか。頭の中で何度パズルのように情報を組み立てても、何か決定的なピースが足りていない感すら感じられる。

 湾外の艦隊に対する、対抗手段。例えばGRDF艦隊が侵入できない湾内に、そのような『何か(ピース)』を配置する――そのために、オーレッド湾内の掃除が必要だったのではないだろうか?

 では、その『何か』とは一体何だ。

 

 思考の糸が、真相の一端のような塊に触れる、その一瞬。脳裏に渦巻いていた思惟は、翼の外から降ってきた男の声に打ち消された。

 

「ヒュドラ隊総員、整列。衣類を整え整列してください」

 

 虚を突かれたように、何だ、と誰かが口にする。

 首だけを捻り声の方向を向くと、白く照り返す路上にこちらを向いた二人分の人影が見て取れた。肩から上は翼に隠れて見えないが、前に立つ人物の方はUPEOの制服を着ているようにも見える。

 上着を引っ掴んで上半身に羽織り、のろのろと翼の下から這い出てゆく。2人程に至っては完全に気を抜いていたらしく、上着を肩にかけただけの半裸姿のまま、あくびを噛み殺して出てくる有り様だった。

 目の前に立つのは、男が二人。一人は黒髪を後ろで細く結い、眼鏡をかけたインテリ風の男である。後ろに立つ男はといえば背も低いうえに顔には深く皺が刻まれ、どう見積もっても老境に入った老人にしか見えなかった。到底、空に上がれるような年齢には見て取れない。

 

「安寧を求める感覚は理解できますが、惰眠はすなわち欲であり、悪徳です。我ら『ウロボロス』の一員として、忌むべき態度であることを自覚してください。我らの本願は、そのような肉体の欲から解放されることにあるのですから」

「…はぁ……」

「申し遅れました。本日あなたがた『ヒュドラ隊』の特殊支援に就く『オフィウクス1』ルカ・クレメンティです。露天で甚だ恐縮ですが、司令部より出撃命令が発令されたことに伴い、緊急ブリーフィングを行います」

 

 眼鏡の向こうの目を細め、早口で口を開き始めるルカ。炎天に晒され、立ち並ぶヒュドラ隊の面々が露骨に不快そうな顔を浮かべるのにも構わず、青年は流れるように言葉を並べて手元の大型携帯端末を操作してゆく。神経質そうな相貌に色白な肌、そして戦闘機パイロットと言うにはあまりにも哲学者めいた思想。それらがないまぜになったその姿はいかにもアンバランスであり、言葉では言い表せない違和感をレフに覚えさせた。

 

「現在、オーレッド湾周辺にUPEO、ニューコム両勢力の残存部隊が展開しており、それらが我が方の輸送ルートの妨げとなっています。各員はこれより出撃し、オーレッド湾周辺空域の哨戒を行ってください。敵部隊や艦載機と遭遇した場合は、位置情報の送信を第一とするように」

 

 滝のように額を濡らす汗を拭いながら、話に耳を傾ける男達。その様子すらも意に介さず、ルカは作戦空域を表示した携帯端末の画面をレフ達の方へと向けた。概観すれば、オーシアの五大湖上空を頂点とし、各機が幅の狭い扇型を描いて広大な湾内を網羅する形である。レフの担当空域は最も東側であり、五大湖沿岸からフトゥーロ運河東端を抜けて南下したのち、オーレッド湾の中ほどで東へと折れてサピン西岸を北上し帰還するルートだった。出撃部隊のリストを見る限り、ヒュドラ隊の他にルカ達のオフィウクス隊と、例の三日月が属するアクティアス隊も出撃するらしく、相当大規模な強行偵察であることが見て取れる。

 

 …だが、しかし。これはどう見ても。

 男たちに目こそ向けているものの、一瞥する様子もないままに言葉を連ねるルカに向け、レフは生じた疑問を投げかけた。

 

「質問」

「まだ伝達は終わっていません、ヒュドラ4」

「まあまあそう言わず、2点だけ。ヒュドラ隊には明らかに航続距離が足りない機体もいますが、それらは片道切符ですかね?」

 

 傍らの何人かが、同感とばかりにうんうんと頷く。他人の問題ならばレフも放っておいたであろうが、こればかりは自分自身の生死にも直結する以上、聞いておかねばならない事であった。

 

 レフが抱いた疑問の一方。それは、単純な偵察への向き不向き――すなわち航続距離の問題である。

 レフが現在乗機としているMiG-33SS『ファルクラムSS』は、そもそもが前線での運用を念頭に簡易かつ軽量な構成を重視した機体である。時の主力機であるSu-27『フランカー』系統の機体と比べ整備や維持管理が容易なうえ、機体そのものが安い割に制空用途の要求に応えうる性能水準を持つというメリットがあり、多くの中小国や傭兵が好んで採用した『貧者の名機』というのが、『ファルクラム』という機体に与えられた評価であった。

 

 無論その一方で、長所に起因する短所もまた存在する。

 その最たるものが、燃料積載量の少なさに由来する継戦能力や航続距離の短さであった。小柄な機体に双発のエンジンと高度な火器管制能力、豊富な積載能力を付与した代償に、燃料を積載するスペースが制限されてしまったのである。通常『ファルクラム』に求められる、敵地にほど近い前線での運用であれば問題にならない欠点ではあったが、極めてイレギュラーな運用を行う今となっては無視すべからざる問題であった。一応増槽は搭載できるものの、スーデントールからオーレッド湾の中ほどまでを往復し、あまつさえ戦闘が起こりうる状況を考えれば、どう考えても燃料が足りない。不時着にかこつけて『ウロボロス』を抜け出すのは一手ではあるが、さしたる情報も、打開の手がかりもないままに放り出されるのは御免であった。

 

 何を聞くかと思えば、つまらない事を。そう言わんばかりに溜め息一つ、ルカは携帯端末に目を落としたまま、レフへと口を開いた。

 

「我々は諸君を同志として迎えています。見捨てることなどありましょうや。五大湖上空に、友軍の空中給油機を配置します。航続距離に劣る機種でも、今回の偵察任務には十分でしょう」

「そりゃ良かった。ではもう一つ」

「発言は許していません、ヒュドラ4」

「まあまあまあまあ。……俺達は今日、()()()()()()()んですかね?」

「……」

 

 彫像のようにルカの後ろに侍っていた老人が僅かに目を見開き、初めて反応を見せる。ルカもまた眼鏡越しの目をじろりと上げ、無言のままにレフを一瞥した。興味を失ったような先ほどとは一転したその反応は、レフの質問が本質を突いていたことを暗黙のうちに物語っている。

 作戦を聞いて直感的にレフが感じたのは、オーレッド湾周辺の警戒にしては狭い索敵範囲に由来する違和感であった。最も東側を担当するレフでさえサピン沿岸までしかカバーしておらず、あまりにもオーレッド湾上空に索敵範囲が偏重しているのである。輸送ルートへの脅威を排除するというのならば、ゼネラルリソースの勢力圏であるウスティオや、ニューコム勢力圏下であるベルカとサピンといった内陸部の方が喫緊であろうはずなのに。

 すなわち。ルカが先ほどぽつりと漏らした『艦載機との遭遇』を示唆する言葉を踏まえれば、オーレッド湾内に、『ウロボロス』の脅威となる機動戦力が存在する、ということではないのか。

 

 間、数秒。

 逡巡を経たその間は、レフの読みが的中であることを告げていた。

 

「………我が方の脅威となりうる、陸海空の脅威全て。索敵目標は自ずから明白でしょう」

「…なるほど、なるほど。確かにアホな質問でした。邪魔しました、続きをどうぞ」

「ヒュドラ4。あなたは我意を通し独断専行するきらいがある。それもまた欲の一つ、厳に謹んでください」

 

 ちくりと言葉の針一つ、レフから目線を逸らしたルカは、再び作戦の解説に口を開く。もはやそれらを聞き流しながら、レフは心中手応えを感じていた。『ウロボロス』がGRDFの機動部隊へどのように対応するかは定かではないが、少なくともオーレッド湾で『何か』を行う予定であり、そのために湾内を厳重に警戒していること。そして何より、『ウロボロス』が警戒する戦力が湾内に存在する可能性が高いことが確実になっただけでも、大きな収穫と言うべきだろう。『観て、それを基に考える』というおやっさんの薫陶が生きたと言っていい。

 

 炎天下、額の汗が頬を流れるのにも構わず、レフは脳裏を巡らせる。

 ルカの影からその姿を静かに見据える、老人の視線に気づかぬまま。

 

******

 

《ヒュドラ1から5、離陸準備よし》

《6から10、同じくよし》

《ヒュドラ1は第1滑走路、ヒュドラ6以降は第2滑走路から離陸せよ。オフィウクス隊は第1、アクティアス隊は第2より続け》

 

 エンジンの回転数が増す甲高い音が地面に反響し、振動となって『ファルクラム』の翼をびりびりと揺らす。

 雲量0、相変わらずのうだるような快晴。遮るもの一つ無い、この上ない哨戒日和の空の下を、黒衣の罪人は粛々と滑走路へと入ってゆく。まっすぐ南へと奔る滑走路の先は、立ち上る陽炎で朧に霞んでいた。

 

 右翼端を黒く染めた『デルフィナス』が、続いて中ほどを黒く彩ったF-15CXが地を離れ、眼前の『タイフーンⅡ』も尾部に焔を灯して陽炎の地平を走ってゆく。それら全てが空へと上がったのを見やってから、レフもまた離陸への手順に手を奔らせた。

 ブレーキ解除。エンジン回転数、温度ともに異常なし。スロットルを開き、自動制御されるフラップの制動をちらりと確かめながら、目は計器類へ、次いで正面へと戻ってゆく。機器類の配置や離陸時の癖こそ『デルフィナス』や『オルシナス』と異なるものの、離陸の手順というのはどの国、どの会社の機体でも変わる所はない。

 

 ぐんぐんと増してゆく速度、外を走ってゆく光景、それに比例して体を押し付けるG。

 今回は増槽と自衛用の空対空ミサイル(AAM)しか積んでいないこともあり、速度の伸びはすこぶる良い。機速が規定値に達し、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)の表示が『離陸OK』の表示へ変わったことを見定めてから、レフは操縦桿を引いて機首をゆっくりを引き上げた。風を孕んだ翼はふわりと空へと舞い上がり、先行して離陸した3機の背を追ってゆく。事前の手順に従えば、このまま五大湖上空まで編隊行動したのち、おのおののルートへ向けて散開する予定だった。

 モニターで後方を省みれば、滑走路を走るヒュドラ5、そして滑走路へと入るオフィウクス隊の姿。並ぶ第2滑走路からも、ヒュドラ隊が続々と発進しつつある。連なる機列へ目を運び、正面へと戻しかけたその末端で、レフはおや、と滑走路の異変に気が付いた。

 

 第2滑走路の最後尾、『三日月』を象ったアクティアス隊の『グリペンJ』の尾部から、薄く煙が昇っているのである。炎こそ生じていないものの、慌てたようにブレーキをかけて路上に停止した辺りから察するに、エンジンの異常加熱かエンジンノズルの損傷といったところだろうか。

 

《ちょ…何よコレ、こんな時に!アクティアス2、エンジンに異常発生!…ああもう!偵察隊に遅れちゃう!》

《アクティアス2、エンジン停止を。整備班、ただちに発進機の修理作業に当たれ》

《急いでよ!》

 

 当たり散らすような女の声が、通信回線越しにレフの鼓膜を揺らす。声の調子や口調からするに、やはり以前にオーレッド湾上空で交戦した『三日月』と同一人物なのだろう。管轄する部隊が異なるために基地での接点はこれまで無く、当然面識も無かったが、口調と無鉄砲な様子から察するに20代、下手をすれば10代というところか。相も変わらず通信回線ではエースらしからぬ慌てた様子が聞こえてくるが、突然のアクシデントならば無理もないことかもしれない。

 

 もっとも、『グリペン』シリーズは維持管理や整備の容易さに重きを置かれた機体であり、それは最新型たるJ型にも受け継がれている。通常の機体ならば少なくとも半日以上は要するエンジンの交換もものの1時間で行うことが可能であり、この点で『グリペン』という機体は同世代の機体群と一線を画すると言っていいだろう。モニターで俯瞰した様子から見積もれば、こちらが哨戒の往路を終える頃には前線に復帰してくると見ていい。

 

 小さなアクシデントを意識の外に、航跡は南へ走って、オーシア領五大湖上空へと至る。集結したヒュドラ隊10機はそれぞれ散開し、各々に宛がわれた哨戒ルートへと舵を切って行った。レフもまたフットペダルを踏み、南東へと進路を取ってゆく。オフィウクス隊の4機はオーレッド湾上空を低速で航行し、前線に異変があれば――あるいは逃亡の兆候があれば、そちらへ駆けつける手筈であった。

 

 眼下に波打ち寄せるサピンの海浜を、左手に広がる広漠な岩の大地を控えながら、レフはちらりと右手に遠ざかってゆくオフィウクス隊の機影を見やる。ダイヤモンド隊形を保ったまま崩れる素振りも見せないひと塊の機影に、レフは心中舌を巻いた。――炎天下のミーティングを終えた、出撃の直前。その際に、オフィウクス隊の実態を見てしまったためである。

 機種は、GRDFやUPEOでもポピュラーなF/A-18『ホーネット』系統。ルカが駆る隊長機は電子戦装備を施したE/A-18GR『グラウラーⅡ』であり、電子戦ポッドを装備した主翼と赤、緑、白の3色帯を染めた尾翼から、外観で判別することができる。残る3機はいずれも一般的な戦闘攻撃機型であるF/A-18I『ホーネットADV』となっており、編成だけで見れば何の変哲もない前線航空部隊であった。

 驚いたのは、僚機の『ホーネットADV』が全て無人機である点である。それもAIによる自律制御ではなく、ルカの後ろに控えていたあの老人が『ホーネットⅡ』の後席からエレクトロスフィアを介して操作する遠隔操縦方式であるというのだ。遠隔制御の無人機ならば『AIの暴走』というリスクが無く、かつての灯台戦争のような問題は起こらないと判断されたゆえの編成なのだろうが、それにしても今どき無人機との混成編成とは珍しい。

 

 空に上がりその統制を遠目に見てから、地上で覚えた僅かな不安はたちどころに霧散した。判断力が落ちた高齢の人間が、複数の無人機を遠隔操作する――レフをして流石に無茶だと思わしめた杞憂を押しのけて、オフィウクス隊は見事な統制を見せていたのである。ただ電子装備に慣れているだけでは、おそらくこうも上手くはいかないだろう。

 

 ゼネラルとの抗争が始まってからこの紛争に至るまで何度か色々なジジイに驚かされてはきたのだが。

 ――あのジジイは、一体何者なのか。

 

「…素性、前歴。その辺からでも何か分かればな。何なんだよあのジジイ…」

 

 今度、スフィアに調べてもらうか。

 例によってエレクトロスフィアで調査中の相棒の名を口中に呟き、レフはぽつりと感嘆を漏らす。『ウロボロス』の対ゼネラル艦隊の動向、それに動員するであろう秘策、オーレッド湾に存在すると思しきニューコムとUPEOの残存勢力、そしてジジイの素性。スフィアに力を貸してもらわねばならないことはあまりにも多い。スフィアとレフ、電子の海と人の波という二方面での情報収集ではあるが、何とも骨が折れそうであった。

 

「…に、しても。本当に『脅威』なんているのか?哨戒機すら飛んで来ないじゃねぇか」

 

 長く果てなく繋がる海と、東側の相も変らぬ陸地の光景。岩場が平地へ、次いで緑広がる農地へと変わった他は何一つ変化が無く、レフは欠伸を噛みしめながら思わず呟いた。クーデター組織が闊歩し混乱の中にある非日常でありながら、漁船程度しか航行していない眼下の光景はあまりにも平和に過ぎる。クルスやスフィアの話によればサピン区都グラン・ルギドにはニコラス・コンテスティ航空参事率いるNEU部隊が防備を固めているとのことだったが、グラン・ルギドと最短距離に当たる沿岸部を通過しても、迎撃機の姿はおろかレーダー照射を受ける気配すら無い。あまつさえ時折NEUの沿岸部拠点が見えたかと思えば、対ゼネラル戦や『ウロボロス』の襲撃でことごとく壊滅している始末である。こうなっては、対『ウロボロス』で当てにしていたグラン・ルギドの部隊もどこまで頼りになるか分かったものでは無かった。

 

 サピン中部沖合へ至り、偵察ルート南限へ達した所で東へと舵を切り、北へ向けて旋回する。結局、脅威と呼べるものとは何一つ遭遇することなく偵察任務も過半を終えてしまったことになる。僚機はもちろん、敵とすら出くわさず飛ぶ孤独の飛行は何とも心細い。

 

 北へと延びる、飛ぶもの一つ見えないオーレッド湾の空。かつての嵐の日、フォルカーの思惑のもとで争った乱戦の空と同じ空域とはどうにも思えない。

 カール。スフィア。おやっさん。イングリット。イルダ。…ついでにフォルカー。

 あの時は側にあり、今はいない人々の面影。不意にそれらが脳裏に去来し、レフは言いようのない孤独感と不安を覚えた。

 

 果せるのだろうか。

 『ウロボロスの(キャンサー)となる』。口ではそう言ってみたところで、スフィア以外には何一つ当てのない立場なのである。ニコラスのNEU正規軍もどこまで当てにしていいものか分からない。

 たった二人で、組織という怪物に、立ち向かえるのだろうか。

 

 孤独の空に浮かんだ、らしくない不安の兆し。先の見えない状況は、ややもすれば恐怖となって心の隅に忍び寄ってくる。

 ――感傷は、人を殺す。

 戦場に気を緩ませた報いは、早くも警報音となってレフへと返ってきた。

 

「…ッ!?クソッ!」

 

 ミサイルアラート。

 鼓膜に響いた音を反射的に断じ、レフは力を込めて操縦桿を左へと傾ける。

 スロットル開放、増速。

 同時に左フットペダル踏下、増槽投棄。

 

 左エルロンロールから急降下に入るMiG-33SSの下方をAAMが掠め、炸裂した1発が金属片を機体へと打ち付ける。外装に損傷こそあるが、致命傷ではない。

 ヘルメットの側面から、自らの頭を拳で一発。気合を入れ直し、不安も感傷もかなぐり捨てて、レフは加速が乗ったところで操縦桿を引いて機体を垂直旋回へと入らせた。軽量な『ファルクラムSS』は、速度帯さえ誤らなければ縦へも横へも軽快に動く。

 後方の敵機を振り切り、縦へと動いた旋回の頂点。レフは頭を巡らせて、奇襲を計った敵の姿を眼下に捉えた。

 高度、200ほど下。距離2500、機数は2。

 短い機首と、その付近から延びるLERX。小型機ゆえに目立つキャノピーの大きさと、ダブルデルタ翼から延びる双ブームという特異な形状。かつてもこのオーレッド湾上空で見覚えのあるその姿は、間違いない。

 

「『グリフィス』…ニューコムの機体か!」

 

 R-141『グリフィス』。ニューコムが開発した、軽空母や地上基地向けのV/STOL攻撃機。おそらく純然たる制空戦闘機である『ファルクラム』とは性能差があることを考慮し、こちらが頭上を通過するのを待って、死角から奇襲を仕掛けたのだろう。『グリフィス』も攻撃機としては加速性能に優れるものの、MiG-33SSと比べてしまえば奇襲以外に勝る要素は万に一つも無い。

 

 さて。

 機体を上下正位へ翻し、沿岸側から回り込んで撃ち放たれる機銃掃射を躱しながら、レフはしばし頭を捻る。

 単に交戦するのであれば、彼我の性能差もある以上撃墜は容易である。が、ここでニューコムの機体を撃墜したところで、対『ウロボロス』を考えるとレフに利益は一つも無い。おまけに、今回の任務は偵察が第一であり、敵との交戦は二の次というれっきとした下命もあるのである。ならば考えるまでも無く、ここは敵機を見逃して一目散に逃げるのが上策であった。レフとしても同じニューコムの機体を落とすのに気が引けない訳でもない。

 

 左から右へと抜けた『グリフィス』が、縦旋回から撃ち下ろしの掃射を見舞う。

 敵の針路を図り、左手前へ操縦桿を引いて、射線を潜り抜ける緩降下で回避する。

 

 攻撃を捌ききり、操縦桿を返して左旋回から北へと進路を移してゆく。加速が乗ってしまえば、『グリフィス』では『ファルクラム』には追いつけない。奇襲を受けたのは癪ではあるが、そもそも性能面でこちらが劣る道理は無いのだから――。

 

 機体の速度を上げるべく、力を入れかけたスロットルのボタン。

 だが、その拍子に至ったレフの違和感が、その指をすんでのところで押し留めた。

 

 そう、最初(はな)から、『グリフィス』では『ファルクラム』にどう転んでも勝てる筈は無い。こちらが交戦の意思を示しているならまだしも、こちらが気づいていない先ほどのような状況ならば、そのまま逃がしてしまえば撃墜のリスクを負うことも無かったのである。それをわざわざ、なぜあの『グリフィス』は自ら攻撃を仕掛けて来たのか?

 

 違和感は疑念となり、思考の枝葉を伸ばしてゆく。

 そもそも、『グリフィス』はV/STOL機であり、他勢力における同種の機体よろしく配備先は軽空母や沿岸の小規模基地に限られている。積載量や機体性能の面で通常機に劣るV/STOL機を、わざわざ設備の整った正規空母や内陸の軍事基地に置く意味合いが薄いためである。そして、ニューコムのサピン沿岸基地はことごとく壊滅状態にあり、『グリフィス』を運用できる規模の拠点は今やほとんど存在しない。

 ならばこの『グリフィス』は、どこから来たのか?

 

 サピン沿岸。オーレッド湾。V/STOL機。――軽空母。

 

「…まさか」

 

 枝葉の先に実った、一つの仮説。

 思考がそこに至り、反射的にレフは右へと操縦桿を切って、フットペダルを踏んで機体を右旋回降下へと入らせた。サピン沿岸に向けて『ファルクラムSS』は大きく弧を描き、その背を2機の『グリフィス』が慌てたように追尾してゆく。その鼻先は、明らかに最初に『グリフィス』から奇襲を受けた空域へと指向していた。

 

 高度を下げる。波の飛沫が機体下面を掠めるほどに翼が水面へ迫る。

 レフの脳裏に蘇るのは、ゼネラルリソースの『ランドグリーズ』艦隊との交戦の状況と、先日のスフィアの情報。記憶が確かならば、()()()は『ランドグリーズ』艦隊との交戦で損傷するも健在で、『ウロボロス』の襲撃も捌ききって母港を脱出したと聞いていた。そして、グラン・ルギドのNEUの勢力圏内へ――すなわち、今レフが飛ぶ地点の方向へと離脱した、とも。

 

 これまでの情報、そして往路で海上に影一つ無かったという事実。それらを踏まえれば、考えられる可能性は一つしかない。

 

 飛沫が時折キャノピーを濡らす。

 横風が機体を揺らす。

 後方から飛来したミサイルが、尾部を掠めて爆炎を刻む。

 

 右旋回。攻撃を回避するため、岩肌聳える岩壁方向を横目に流した、その最中。

 レフの目に映ったのは、脳裏に描いた仮説そのものの姿だった。

 

 漁船の港に偽装した、小規模な堤防。

 岩壁にぽっかりと空いた穴と、その頭上を覆う樹木。

 そしてその奥に佇む、スキージャンプ台のように傾斜した甲板を持った大型艦。

 

 やはり。あれは。

 

「…なるほどな!」

 

 『プリンシペ・デ・アルルニア』。サピン行政区内でNEUが唯一保有する軽空母。

 録音を警戒し、注意深く口を噤みながらも、レフはその姿に希望を覚えた。まさか、これほど『ウロボロス』の喉元近くに、こうも巧みに隠れおおせていたとは。今は貧弱な個艦でしかないが、『ウロボロス』にとっての予想外(イレギュラー)であることには違いない。あとは、他の『ウロボロス』機に発見されないよう祈る他に無かった。

 

 無論、空母側から見れば、レフの方こそがイレギュラーである事には変わりない。レフの『ファルクラム』が減速した隙を突き、肉薄して機銃掃射を浴びせかけた『グリフィス』の挙動に、油断しきっていたレフは泡を食う羽目になった。

 

「おわっとととと!分かった逃げる、逃げるっての!!」

 

 チャフ散布、次いで増速。

 噴射圧に乱れる波を背に、『ファルクラムSS』は『グリフィス』をぐんぐんと引き離してゆく。速度が十分に得られたのを見計らい、機体を縦旋回、次いで水平へ。『オルシナス』で散々行ってきたインメルマンターンの要領で、レフは機体を反転させて、改めて北西の方向へと機首を向けていった。

 見下ろした眼下では堤防に波が爆ぜているのが見えるが、『プリンシペ・デ・アルルニア』が収まっていたドッグは上空からでは全く見て取ることができない。おそらく潜水艦用ドッグを拡張し再利用したものだろうが、よく考えられたものだった。

 

 あとは、何食わぬ顔で五大湖に向かい、スーデントールへと帰還するのみ。

 機体損傷の言い訳を考えつつ北進を始めたその時、ぴ、という電子音とともに、不意にレーダー上に交点が浮かび上がった。反応は友軍だが、真正面から、それも音速を超えてレフの方へと猛進してくるのが見て取れる。

 レーダー上で判別できる識別コードは、『アクティアス2』――すなわち、例の『三日月』。

 

「何だ?何か異常事態でも起こったか?」

 

 レーダー上の交点はやがて肉眼でも見える黒点となり、HMD越しのレフの目にも捉えられる。方位は、やはり真正面。距離にして5000という所だろうか。

 

 それにしても、妙である。

 確か事前の予定では、アクティアス隊は西寄りの空域を担当していた筈である。こちらにオフィウクス隊がいるにも関わらず、わざわざ『ウロボロス』正規部隊の一部を追加で回すとは、何があったというのか。

 

「まあ、別に知ったこっちゃないが」

 

 距離4000、3000。

 黒点は近づき、徐々に翼や尾翼が判然と見て取れるようになる。それでも正面の『グリペンJ』は、相対の針路のまま曲がらない。

 

「にしても何だ、ありゃ。巡航速度ぶっちぎりじゃねえかよ」

 

 2000。1500。

 迫る。針路も変わらなければ、速度も落ちない。

 

「…え?……嘘だろオイ」

 

 1200。1000。

 曲がらない。速度も落ちない。相対速度、――おおよそマッハ2。

 

「…嘘だろオイ!?」

 

 700。

 鳴り響く衝突警報に、レフは堪らず渾身の力を込めて操縦桿を左へと倒した。エルロンロールの要領で機体は左へと傾き、そのすぐ傍らを『グリペンJ』が擦過してゆく。

 轟音。一拍遅れの衝撃波と乱気流。鼓膜には何かが弾け飛ぶ金属音が響き、平衡を失った機体がオートパイロット制御となりよろめく機体を水平へと戻してゆく。急制動と衝撃でぐらぐらと揺れる頭で、レフは何とか握り直した操縦桿で操作をマニュアルへと切り替えた。

 

 超音速での、真正面から、それも自ら回避しないままの対向。言っては悪いが――いや、もはやこうなれば当然の権利であろう、今の機動は狂気の沙汰としか言いようがない。

 ネジの飛んだ無鉄砲女め。罵倒をなんとか喉の奥へと押し込めて、レフは周囲を見渡す。

 レーダー上の光点は、未だに一つ。いつの間に反転したのか、気づけば『三日月』の『グリペンJ』は『ファルクラム』と同航となり、レフの右後方からゆっくりと並行しつつある所だった。装甲キャノピーの下ではパイロットがどちらを向いているのか分からないが、少なくともその挙動から察するに、明らかにこちらを意識していることは見て取れる。

 

「速度違反だぜ今のは。何かあったか?」

《…見たか》

「は?」

《ヒュドラ4。こちらで、()()を見つけたか?》

「何も。ニューコムの機体に追いまくられて逃げかえっただけですよ、俺は」

《……》

「…何か?」

《いや。ならいい》

 

 置き捨てるような言葉一つ、『三日月』は速度を上げ、西へと大きく旋回してゆく。

 『プリンシペ・デ・アルルニア』の事に気づかれたのか、それとも何か別の思惑があるのか。動揺と期待、半々の思いを首の皮1枚の下に秘めて、レフは立て直した機体を再び北西へと向けた。暴風のような『グリペン』の擦過とは対照的に、今は空は穏やかに凪いでいる。

 

 調べることが、一つ増えたな。

 思わずそう口にして、レフは慌てて誤魔化すように口元を押さえた。

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