Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第30話 金色の片割れ月

 朧な電灯が燈を落とし、吸い寄せられては散っていく蛾の陰影を、無機質なアスファルトの上へと縫い付けている。

 日没を迎えて既に3時間。秋に差し掛かった夕空は瞬く間に夜へと移り、今やスーデントールはとっぷりと闇の帳に包まれている。この時間になっても警戒は続いているのか、時折離陸してゆく機体のエンジン音がびりびりとトタンの壁や電灯の柱を揺らしていた。

 

 頭上を過ぎゆく、上空直掩の影一つ。

 その目から隠れるように、レフ・ミハイロヴィチ・ヤコヴレフの姿は、電灯の影となる倉庫と倉庫の間にあった。幅1mもない狭い空間にあって、レフは背を壁へと預けて腕を組んだまま、瞑目して微動だにしていない。

 遠ざかるエンジン音、きゅるきゅると摩擦音を上げる航空機のタイヤ、遠く固く響く人の足音。それらに耳を澄まし、思考を脳裏に組み立てながら、彼はただ求める人物の姿を待っていた。その人物の出撃予定を探り、帰還時刻のおおよその目星を付けて、警備の目をすり抜けながら現場に落ち着き既に1時間。日が暮れた秋の夜は些か冷えるが、薄く空を覆う雲が幸いし、凍えるほどではない。

 

 ――来た。

 研ぎ澄ました聴覚に近づく音を捉え、レフはか、と目を見開いた。

 こつ、こつと響く足音は一人。音は軽く、相応に体重の軽い人物であることが伺える。上着の裾とズボンが触れる微かな衣擦れの音も聞き取れる辺り、今の場所から間近に当たる倉庫沿いを通り宿舎へと向かっているらしい。生え抜きの『ウロボロス』所属者に割り当てられた格納庫から宿舎へ向かうにはこの倉庫群を経由するルートが最短距離であり、十中八九ここを通ると踏んだ訳ではあるが、やはり待ち伏せ場所に選んで正解であった。

 

 近づく足音、知れず高鳴る鼓動。

 電灯に照らされた影が、潜む狭間へ差し込む一瞬。

 レフは横目にその姿を探り、それが求める人物と確かめてから、藪から棒に声をかけた。

 

「よう」

 

 ぴたり。

 人影が足を止め、射るように倉庫と倉庫の間の闇へと目を注ぐ。

 出で立ちは、上腕のワッペンを『ウロボロス』のものに貼り変えたUPEOの制式軍装。身長150㎝にも届かない子供のような短躯と、裏腹に豊かな胸の膨らみが上着の上からも見て取れる。髪は肩下まで伸ばした黒髪ながら、色素が薄いためか、光の加減で若干の赤みを帯びているように見えなくもない。長いまつ毛を戴いた瞳は今は薄く細められ、闇の中にある声の主を探るように怪訝な表情を形作っていた。

 

「…誰かしら。ニューコム辺りの特殊交渉人(エグゼキューター)か、それとも変質者?」

「随分だな、この前も一緒に飛んだ仲じゃねぇか。『アクティアス2』…ヒカリ・B・タカシナ殿」

 

 眉尻を下げて眉間に皺を寄せ、一層不審な表情を浮かべる相手に向けて、レフは光が差す中へと一歩足を踏み入れる。レフの姿を光の下で目にした女――ヒカリは、目を見開くも一瞬、顎に自らの掌を当て、小首を傾げて見せた。どうやら彼女の中では『正体の分からない不審人物』から『どこかで見たことがある誰か』へと認識がシフトしたらしい。

 

 ヒカリ・B・タカシナ。元UPEO精鋭部隊SARF所属、『アクティアス隊』2番機。それこそが、レフが待ち構えていた相手であった。最初はオーレッド湾上空での戦闘、近くではやはりオーレッド湾での索敵任務の際などで同じ空を飛ぶことはあったものの、こうして直接顔を合わせるのは初めてのことである。顔こそは知っていたものの、今こうして本人を目の当たりにしてみると、存外に幼い姿をしているのが意外であった。外見からすると、概ね10代後半から20前後というところか。

 

 思い当たる節が無いのか、相変わらず首を傾げてうんうんと唸るヒカル。埒が明かないとばかりに、『ほら、前にも()りあっただろ、『ハルヴ隊』の時に…』と出した助け舟でようやく思い至ったらしく、光は握りこぶしで左掌を叩くジェスチャーをして見せた。

 

「あー!ああ!チョロチョロよく動いてたあの時の青いの!えーっと…レフ、……アントノフ?」

「ヤコヴレフな」

「それで何々?果し合い?復讐?お姉さん強いぞぅ、肉弾戦も」

 

 この野郎。

 危うく口からまろび出そうになったその言葉を喉の奥へと押し込んで、レフは仕切り直すように一呼吸置いてから肩を壁へともたれかけた。片やヒカリの方はと言えば、一人勝手に解釈を下し、しゅっしゅと拳の素振りを繰り出す始末である。このままヒカリのペースで押し切られれば、本題へ切り込むことも叶わない。

 そう、今問わねばならないのは、そんな枝葉ではなく核心を最短に穿つ本題。すなわち、先日彼女に抱いた、ある疑問を問うことにある。

 

「そのナリで何言ってんだよ。第一、空で起こったことでいちいちグチグチ言ってられるか。お互い仕事でもあるんだし」

「じゃ、何よ」

「いや、夜分悪いが、一つ『ウロボロス』の先輩に聞きたいことがあったんでね」

「…何よ」

「大したことじゃない。俺のいた『ニューコム』と『ウロボロス』じゃ、報告のやり方に違いがあるかも、とも思ったんだが。…この間の哨戒任務で、何であんたは()()()のことを上に報告しなかったんだろうってな」

「……――!」

 

 一息、切り込むような言葉の鏃。

 静寂に呼気が響くとともに、ヒカルは目を一際丸くして、見る見る顔色を変える。探りを入れるカマの積りではあったが、傍目にも分かりやすいその反応に、レフは内心確証を掴んだ思いだった。

 

 レフが抱いた疑問――その発端は、先日のオーレッド湾索敵の際の出来事である。

 サピン西岸沿いを単機で索敵している最中、レフは偶然に、岩壁のドックに潜伏する軽空母『プリンシペ・デ・アルルニア』を発見した。『ウロボロス』による母港への奇襲をかいくぐったこの艦は、『ウロボロス』による血眼の索敵活動にも関わらず、今の今まで見つかることなくこうして隠れおおせていたのである。

 言うまでもなく、レフの真意は『ウロボロス』への忠誠にはなく、その打倒にある。そしてその目的の為には、いわば『ウロボロス』の喉首に突き付けられた懐刀と言える『プリンシペ・デ・アルルニア』の存在が生きる可能性がある。そう考えられたことから、レフは咄嗟に同艦の発見をひた隠し、その場を後にしたのであった。機載カメラの射界に写らないよう機体正面を空母へと向けるのを避け、言葉にすらしなかったことは言うまでもない。

 

 ところが、その帰路に何の前触れもなく接触してきたのが、ヒカリが駆る『グリペンJ』であった。それも巡航速度を遥かに超えた速度での急接近であり、偶然行き違ったとは到底思えない状況で、である。あわや撃墜という急接近にも説明一つなく、ヒカリは『何かを見たか』という曖昧な問いだけを向けて、『何も見ていない』というレフの回答を得るやそのまま帰っていったのだった。

 

 レフの疑問は、この点にあった。

 当初レフは、この不可解なヒカリの行動を、オーレッド湾内の索敵に躍起となっている『ウロボロス』の意を汲んだものと考えた。すなわち、レフの『ファルクラムSS』の不自然な機動をレーダーで察知し、その実態を確かめるべく急行してきたというものである。

 ところがいざ帰投してみると、その仮説には早くも矛盾が生じた。帰投後に話を聞いた限りでは、レフの機体の不審な挙動も、それどころかヒカリがレフの元へ急行したことすらも報告された形跡が無かったのである。レフの機体が僅かに損傷を負ったことも過小に報告されたらしく、今後の索敵範囲が沿岸部から内陸側へと移るなど、不可解な点は数えあげるに余りある。かといって咄嗟の言葉をまるきり信じたとは、レフも思っていなかった。

 

 この疑念に、ある事実が追い風をかけた。

 以前、レフが属する『ヒュドラ隊』の隊長だった禿頭の男がいる。彼はレフの先日の偵察任務中に戦死しているのだが、ヒュドラ隊の同僚にそれとなく聞いたところ、その際の飛行ルートが今回のレフのそれと大きく重複していたのである。そしてその下手人は一切判明しておらず、撃墜の際に男が救難信号を発した形跡もないという。

 

 つまり、事実は仮説とは逆なのではないか。

 

 すなわち、ヒカリは『ウロボロス』に叛意を抱いており、何らかの理由で所在を知った『プリンシペ・デ・アルルニア』を護っているのではないだろうか。もしそうだとすれば、『プリンシペ・デ・アルルニア』の潜伏場所付近で妙な機動をしたレフの元へ急行してきたことも、合流後に発した問いの意味も納得できるものになる。発見したと言っていればその場で撃墜すればよく、あくまで発見していないと言い張るのならば放置すればいい。ヒュドラ1が救難信号を出す間もなく消息を絶ったのも、友軍機たるヒカリから至近距離で攻撃を受けたと仮定すれば納得できる。あまりにも直線的に過ぎるがゆえに違和感の多い行動ではあるが、こうして見方を変えてみれば、動機と行動としては一応は繋がることになる。

 もしこれが事実だとすれば、レフにとっては僥倖であった。

 元より、レフは最初から『ウロボロス』へ叛逆する積りなのである。同じ志を持つ仲間がいるならば、それに越したことはない。ましてそれが、単機で瞬く間に『ハルヴ隊』を撃墜する手練れならば一層である。レフとしては当然ながらその線を信じたい。

 

 とはいえ、である。

 信じたいものへと傾くのは人間の性だが、仮説と逆説を繋ぎ合わせただけの推論で以て事実と判断するには、今回の場合はあまりにも果断に過ぎる。何せ仮説の脇を固めるものは、当日のヒカリの行動と、同ルートを偵察していた『ヒュドラ1』が何者かによって撃墜されたという事実の二つきりしかないのだ。不審な行動を取ったレフを『ウロボロス』派のヒカリが敢えて泳がせているという仮説も成り立つ以上、下手に結論を決めてかかるのは下策と言ってよかった。

 

 以上の推察と経緯を踏まえ、レフは二人きりとなるヒカリの帰投後のタイミングを狙い、こうして探りを入れたという訳である。

 短く初歩的な探りの一手ではあったが、赤に青にと顔色を変え、何を言うべきと口ごもるヒカリの動揺を察するに、黒に近い灰色と見てよかった。

 

「な!!…に、言ってんの。何言ってんの。何言ってんの、マジで。何言ってんの。だ、だいたい『あの船』って何のことよ」

「何って、あんたも本当は見たんだろ?サピン西岸の岩壁に泊まってた、あの大型の…」

「あー!!いや、違う違う!違うの!あの空母は訳あって…!」

 

 …幸先良い、と思ったのは確かに事実ではあるが。カマをかけた最初の一手で驚くほどあっさり引っかかったヒカリの様に、レフは思わず頭を抱えたくなった。最初にオーレッド湾上空で交戦した際の直截で感覚的な空戦機動を見た時にも思ったことではあるが、オブラートに三重ほど包んで評するならば、どうもヒカリは若干おつむが弱い気がしないでもない。

 絶句から一瞬、居たたまれない気の毒そうな表情を浮かべて、レフは絞り出すように言葉を接いだ。

 

「…………あんた、策略とか騙し合いとか確実に向いてないクチだよな」

「へ?何で?」

「『空母』って一言でも言ったか、俺」

「…ああああああ!!」

「バッカ野郎声がでかい!…ああくそ、ちょっとこっち来い!」

 

 悲壮なまでの絶叫一つ。頭を抱えたくなりながら、レフはヒカリの襟首を掴み上げるや、足腰に力を込めて倉庫の間の影へと小さな体を引っ張り上げた。本来ならば先のくだりからもう幾つか探りを入れる予定であり、わざわざスフィア相手に想定問答まで行っていたのであるが、こうなれば却って恥ずかしい。

 

 闇の中へとヒカリの体を引き込んで、レフは影から慌てて左右を見やる。

 耳を澄ます。意識を集中する。

 ――誰何の声は無い。こちらへと向かってくる足音も無い。エンジン音が偶然重なったのか、幸いに基地の『ウロボロス』所属員に感づかれた様子はないようだった。

 

 掌で汗を拭い、ほう、と息を漏らした、その一瞬後。

 向き直ったヒカリの手元、こちらを真っすぐに指す鈍色の銃口に、レフは思わずぎょっとする羽目になった。

 

「…『ウロボロス』に告発する積り?」

「そうだとしたら、仲間の2、3人でもその辺に伏せてる。俺一人でこんなリスクを冒すかよ」

「信じられない。たった今騙されたばかりだもんね。…今度はあたしの番。あんたは、何者?」

 

 正面から爆ぜる視線。

 微動だにしない銃口、瞳に宿る意思。

 泡を食った先の姿とは裏腹に、ヒカリは明確な殺意を宿して、銃口の先にレフを捉えている。

 惚れ惚れするような確とした構えを前に、レフはヒカリのことを見直す思いだった。なるほど確かにおつむは些か弱いかもしれないが、この切り替えの速さと命題へ徹しきる姿勢は、いつぞや干戈を交えた時の姿と重なるものがある。

 

 観念するように、吐息一つ。

 下を向き、息を吐いて、再び頭を上げて。正面から刺さる詰問の目に、レフもまた正面から相対した。

 

「俺は、『ウロボロス』に一撃を見舞ってやりたい。そのために『ウロボロス』の中で方策を探っている。あんたに接触したのもそのためだ」

「……『ウロボロス』に?」

「ああ」

「あんたが?」

「おう」

「一人で?」

「まあ…正確には現状で二人だが」

「あー…なるほど。バカなんだね、あんた。分かる分かる」

 

 心底馬鹿にしたような、それでいて共感を抱くような柔らかな響き。

 一拍後、それはぷ、と吹き出す音に代わり、やがてヒカリは口元を押さえてくすくすと笑いだした。下げた銃口を腰へと戻し、声を抑えながらも、その顔には人懐こい笑い顔が浮かんでいる。

 

「いい、いいよ。あたしもバカだけど、あんたもよっぽどバカだ。…よし、お姉さん優しいから信じちゃう。バカが集まれば無敵だって師匠も言ってたしね」

「…そういうところだぞ、あんた。って言うか、お前の方が年下だろうが」

「あたし29だけど」

「………………………??」

「おい。おい何だねその目はおい。その憐れむような目は何なんだねおい」

 

 相変わらず容易に人を信じる不用意さに溜め息一つ、直後の言葉に思考は停止する。

 29。――ヒカリ・B・タカシナ29歳。単語の羅列と目の前の姿が何一つ結びつかず、レフの頭は束の間混乱した。先に述べたような小さな体躯に童顔、よく言えば素直な性格と相まって、レフはてっきりヒカリを20前後と踏んでいたのである。それが、よもや自身より4つも上だったとは。

 

 年相応の清廉さと芯の強さを持つイングリットの姿を想起する。

 精力が漲った肢体と世慣れた空気を纏うイルダの姿を記憶から描き出す。

 それら2人と、目の前のヒカリの姿を改めて比べる。

 

 身長。顔つき。精神年齢。

 …一部を除き、どう見てもイルダはおろかイングリットよりも年下にしか見えない。

 

 ――いや。

 いやいや、いや。待て、落ち着け。そもそも今この場にあって、ヒカリの年齢などどうでもよい話題でしかない。衝撃的な話に思考が停止してしまったが、今整理しなければならない情報は山ほどあるではないか。

 

 気付けに頭を左右へ思いきり振り、レフはぱんぱんと掌で頬を叩く。

 事ここに至り、レフは再認識した。ヒカリとの会話では己がしっかりと手綱を握らなければ、あっという間にヒカリのペースに巻き込まれてしまうのだと。

 

「ごほん!それはそうとして、だ。今聞いておきたいことは山ほどある。あんた、何で『プリンシペ・デ・アルルニア』の事を知ってたんだ。同志はいるのか。今後のプランは。それに…」

「待って。待った待った待った。お姉さん一気に聞かれると困っちゃう」

「……。…『プリンシペ・デ・アルルニア』」

「それでよし」

 

 レフを味方と見定めたことで肝も据わったのか、矢継ぎ早に質問を投げかけるレフに対して、立てた人差し指を向けるヒカリ。慣れぬ自称お姉さんの雰囲気にたじろぐも一瞬、レフは質すべきうちの一つを口にして、その言葉を待った。

 

 ヒカリが語る所によると、『プリンシペ・デ・アルルニア』の現状は、ヒカリの出自と密接に関係がある。

 

 そもそも、『ウロボロス』の襲撃から逃れて母港を出港した時点で、軽空母『プリンシペ・デ・アルルニア』はまさしく孤立無援であった。護衛すべき艦隊は昨年の対ランドグリーズ艦隊戦で大半が失われており、それどころか艦載機の補充すらままならず、矛も盾も無い丸裸の状態でオーレッド湾を漂う羽目となったのである。当然『ウロボロス』の警戒厳しいグラン・ルギド防衛部隊の勢力圏下へ到達することもままならず、岩壁を利用したドッグへ這うように逃れるのが関の山であった。

 戦うための力もなく、かといって友軍に下手に支援を要請すれば、位置が露見し袋叩きに遭うのは明白。

 そのような状況下で『プリンシペ・デ・アルルニア』の首脳部が選択したのが、ゼネラル・ニューコムのいずれの傘下にも属さない、民間企業を介した物資の調達であった。

 

 ここに登場するのが、ヒカリの出自に関わる部分である。

 聞けば、ヒカリの母親はルーメンに居を置く物品調達仲介企業の経営者なのだという。秘密裏に行われた『プリンシペ・デ・アルルニア』の物品調達依頼に、いち早く応じたのがこの会社であった。先も見えない単艦の軽空母、それもニューコム本社すら与り知らない調達依頼である以上、資金回収の目途も立つ筈も無いであろうに、それに応じたというのは偏に経営者の豪気と辣腕によるものと言っていいのだろう。おそらくは相当に法外なオプション料金と支払遅延利子を被せてはいるのだろうが、その部分まではレフの知ったことではなかった。

 

 何よりレフの興味を引いたのは、ノースオーシアのルーメンにあるという会社の素性であった。

 ルーメンに拠点を構える、ゼネラル、ニューコムのいずれにも属さない民間企業。ヒカリの母親である以上は経営者たるその人物の苗字もタカシナと考えてよく、それらを総合すれば脳裏に過ぎるある記憶と線で結ぶことができる。

 想起するのは、おやっさんが残した言葉。

 『ルーメンの、サヤカ・タカシナという女に会え』。このサヤカ・タカシナという人物こそが、『プリンシペ・デ・アルルニア』の窮状にいち早く応じたというヒカリの母親なのではないか。

 記憶と言葉を結ぶ線を頼りに、ヒカリの言葉の間へと差し込んだ問い。その答えは、果せるかな『当たり』であった。

 

「え?何であんたがママの名前知ってるの?」

「やっぱりそうか…。俺の…師匠?いや、ダチ?…まあ、そんな感じの人が、『ウロボロスを打倒するためにはこの人に会え』って教えてくれたんだよ。カルロスってじいさん、知らないか?」

「カルロス…カルロス。どうだったかな。あたし、ママの仕事には基本的に関わらなかったからさ。…まぁ、『プリンシペ・デ・アルルニア』に関してはママから聞いたことだから、間接的に仕事に関わっちゃった訳だけど」

「ってことは、『ウロボロス』に入ったのは『プリンシペ・デ・アルルニア』を護るために?」

「それもあるけど…順番は逆。あたしが『ウロボロス』に入った後で、そのことを聞いたんだ。元々、SARFが丸々『ウロボロス』に寝返ることになったから加入した訳だけど、あたしもあたしで気になることが…」

 

 そこまで言葉を紡いだところで、ヒカリははっとしたように口元を覆い、唐突に言葉を切った。まるで、『話し過ぎた』とでも言うかのように。

 聞いた限りでは、『ウロボロス』加入に至る経緯に不自然なところは無い。元々、この『ウロボロス』に纏わる動乱は、SARF本部の責任者であるギルバート・パークが突如としてSARFの『ウロボロス』への参画を表明したことが一端なのである。当然、事前に実働部隊へ腹心を送り込んで根回しをしていたことは十分に考えられることであり、周到に狭められた網の中でやむなく『ウロボロス』へ加入したというのは、いかにもありそうな話であった。

 だが内心の納得とは裏腹に、ヒカリのこの様がレフの脳裏に引っかかった。

 『ウロボロス』加入の第一義は、時流上致し方なく。第二義は、母の会社の利益上で『プリンシペ・デ・アルルニア』を護るため。しかしそれ以上に、本命たる理由があるということなのだろうか。

 

 本命ではないが、些か興味を引くその疑問。それとなく触れようとした問いに対する答えは、しかしはぐらかすようなそれだった。

 

「…気になることが?」

「や、今は関係ないことだった。それで次は、えーと…今後のプラン?」

「そうだ。『プリンシペ・デ・アルルニア』だってずっと護り続けられる訳じゃない。その後はどうする」

「ノープランだけど?」

「……薄々、そんな気はしてたが」

 

 確かに、動機は今は二の次か。

 頭を切り替えて続けた問いは、予想していたとはいえあんまりな答え。むしろ清々しさすら感じられるその答えに、レフは思わず頭を抱えた。

 手綱、手綱を。しっかりと、固く、油断せず握らなければ。

 

「む。じゃああんたは何かあるの?プラン」

「とりあえず、内部で得られそうな情報は概ね手に入れた。『ウロボロス』に敵対する各勢力の拠点や規模もだ。こちらの情報をリークして、どこぞにスーデントールを強襲させる。その隙に脱出してルーメンへ向かうってのがセオリーだが…こうなると一番有望なのは、ゼネラルリソースの連合艦隊か」

 

 ふてくされた表情を浮かべるヒカリに対し、背を壁に預けてレフは概要を口にする。

 『ウロボロス』で散々にこき使われたこの半月は無駄では無く、スフィアの協力もあって情報は相当に仕入れることができた。敵味方の拠点と位置、その規模。『ウロボロス』が想定している戦略。そして、海の向こうにあるユージア大陸の戦況。『ウロボロス』を抜けた後に戦略を練り上げるには十分なものを、既に仕入れたことになる。後は、肝心かなめの脱出の算段さえ整えば問題は無い筈であった。元より『ラーズグリーズ』艦隊を主軸とするゼネラルリソースの連合艦隊はスーデントール攻撃の姿勢を示しており、規模としてもタイミングとしても、利用すべき存在の筆頭には違いないだろう。

 

 現状では、最善であろうその戦略。

 しかしそれに対し、ヒカリは頭を振って難色を示して見せた。

 

「や、ダメダメ全然ダメ。あんな見え見えの『脅威』に、『ウロボロス』が何も対策してない訳が無いじゃない。この1週間、何のためにオーレッド湾の哨戒を強化してると思ってるのよ」

「やっぱり、あの哨戒は対ゼネラルの布石だったか。…『ウロボロス』は何を考えてる?」

「…それは、分からないけど。あたし達にも全部の情報が開示されてる訳じゃないし。…けど、これだけは覚えておいて」

「…」

「スーデントールの『ウロボロス』は、()()()を持っている。それも戦況を一変させる、文字通りの鬼札(ジョーカー)を」

「切り札…」

 

 ヒカリの口から語られたのは、何らかの方策を取りつつあるという『ウロボロス』の動き。強大ゆえに人目を引き、それだけに対策もされやすいという道理ゆえか、ゼネラルの連合艦隊を頼る手は望み薄だという。

 何よりレフの興味を引いたのは、『ウロボロス』が所有するという切り札の存在だった。確かにヒカリの言う通りゼネラルの連合艦隊は対策を考えやすい既存艦艇の集団でしかないが、それゆえに折り紙付きの脅威を持っていることは否定できない。中核となる航空母艦はもちろんのこと、ランドグリーズ艦隊から合流した対地打撃艦、防空を担う無人のサテライト艦などは、陸海空全ての戦力にとって等しく脅威となるだろう。

 

 堅実にして、現実感のある脅威。それをひっくり返す切り札とは、一体何なのか。いずれにせよ万一に備え、次善の策は考えておく必要があった。

 

「もう少し、調べておく必要がありそうだな」

「厳重に秘匿されてるようではあるけどね。えっと、あとは…」

「待った。流石にこれ以上は時間がかかり過ぎる。今はここでばらけて、後で他の情報交換といこう。後であんたの部屋に()()を送る」

「…どうやって?志願兵と正規兵じゃ宿舎もセキュリティも違うのに」

「まあ待ってろ。急にテレビが点いても叫ぶなよ」

「…?」

 

 続きを話そうと口を開くヒカリに対し、レフが腕時計を見て言葉を被せる。ここでヒカリに接触してから、既に20分ほど。待ち伏せていた時間も加味すれば、優に1時間半近くは宿舎を離れていたことになる。これ以上はお互いに怪しまれる可能性も高い以上、以降の連絡はスフィアに任せた方が得策だった。時間としては短かったものの、ここで同志としてヒカリと接触できた上、おやっさんに示された『サヤカ・タカシナ』への直接的な繋がりができたことは非常に大きい。

 

 持ち前の迂闊さ――もとい人の好さで『相棒』を信じたのか、無言でこくりと頷くヒカリ。レフもまた首肯で応じ、踵を返したその時。『あ、そうだ』と唐突に上がるヒカリの声に、レフは内心ひやりとしながら振り返った。

 

「最後に一つだけ。ここの『ウロボロス』打倒を目指すのなら、『カプチェンコ』に気を付けた方がいい」

「カプチェンコ?…誰だ」

「オフィウクス1…ルカにいつもくっついてるじいさんがいたでしょ。あいつよ」

「ああ、あの妙に目力のある。…何者なんだ、相当に歳だろあのジジイ」

「分からない。けど、オーシアでの『ウロボロス』立ち上げで主軸になったメンバーの一人らしいって。いずれにせよ、睨まれたら厄介よ。お互いに気を付けましょ」

「だな。今日は助かった」

「あたしこそ。じゃ、また後で。アントノフ君」

「絶対わざとだろお前」

 

 小さい体を建物の影に潜め、踵を返したヒカリの姿が闇の中へと消えていく。

 警戒を促す彼女の言葉に、脳裏に過ぎるのは先日目にした老人の姿。確かに『ヒュドラ隊』の指揮を執るルカの斜め後ろに並ぶ、いかにも組み合わせとしては不相応な姿が記憶に残っている。

 年のころは、どう軽く見積もっても60歳は上回っている。それにも関わらず戦闘機の後席に乗っていることも印象的だが、何より印象に残っているのは、ふとした拍子に垣間見える、心の奥底まで見抜くかのような鋭い眼光だった。

 思い返せば、あの目はどこかおやっさんにも、ニコラス参事にも似ていたような気がする。あれは確かに、老境に至って得た鷹揚さで以て滾るような熱と誇りを包み込んだような、戦う男の眼であった。

 

「…考えることが多すぎるな」

 

 薄雲の空を仰ぎ見て、レフは静かに独り言ちる。

 動員されるであろう、対ゼネラル艦隊戦における立ち回り。サヤカ・タカシナへの接触方法。『切り札』とやらの素性。スーデントール脱出の手筈と、それに向けた布石の構築。そして何か一枚を隠している様子の、ヒカリの真意。ただでさえ頭を捻らせるこれらの問題に加えて、ここで新たにカプチェンコという老人の謎さえ加わったのだから堪らない。一夜にして飛躍的に増えた情報の奔流に、レフの頭からは今にも湯気が上がりそうだった。

 

 いずれにせよ、人目につきかねないこの場では、落ち着いて考えを巡らせることも叶わない。

 仰いだ空に息を吐き、額を一拭いしてから、レフは倉庫の影に紛れ込むように、闇から闇へと歩を進めていった。

 

 薄雲を裂いて、黄金色の月光がスーデントールを穏やかに照らしてゆく。

 月齢は下弦の半月を経て、やがて三日月へと移ろいゆく頃であった。

 

******

 

 ――同刻。スーデントールの現『ウロボロス』拠点において、立ち並ぶ倉庫群の対角線に位置する『ウロボロス』幹部級へ宛がわれた宿舎。概観すれば他の宿舎と大差のない鈍色の箱型の2階から、向かいの倉庫と倉庫の狭間を射るように見据える老人の姿があった。

 

 色素が沈着し、褐色を強めた皺の目立つ皮膚。薄くなった頭髪はもちろんのこと、長く伸びた眉すらも真っ白に退色しており、些か猫背気味な姿と相まったその姿は70歳を下るまい。秋の夜分ゆえか他の人間よりも厚着を着込み、窓の傍で温めた紅茶を喫している姿は、いかにも余生を満喫する好々爺を思わせた。無論、その眼光に垣間見える鋭い色を除けば、の話であるが。

 

 古びた詩集を手に、老人は空を仰いで謳うがごとく口ずさむ。淡々と、それでいて過去へと想いを馳せるように。

 

「『――おお、新しい世界への門は開かれた』。…さて、()()は『鬼神』を貫くや、それとも『片羽』へと至るや――」

 

 夜風へ溶けゆく、言葉の余韻。

 その残響を裂くように、老人の部屋のドアがノックとともに開かれる。扉の向こうの白衣の姿にも、老人の体は動かない。

 

「失礼します。カプチェンコ様、本日の調()()のお時間です」

「まあ、今しばし待て。今宵は、月の美しいことよ」

 

 老人の言葉とは裏腹に、風に流れた薄雲へ、半月はその姿を朧の幕へと隠してゆく。

 

 真意の定かならぬ老人の言葉に、白衣は小首を傾げていた。

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