Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第32話 戦乙女(ワルキューレ)狩りⅡ(後) ‐円環の陥穽‐

 真っ二つにへし折れた鈍色の鉄塊が、新月色の水面へと呑み込まれてゆく。

 

 航空要員と航海要員、二様の人員を有する原子力空母ともなれば、省力化の進んだ現代といえど乗組員は3000人を下らない。甲板から投げ出され海面に浮かぶ芥子粒のような人の頭は、膨大な質量と体積が生み出す大渦に巻き取られて、黒々とした波の中へと引きずり込まれてゆく。

 虚空の彼方から飛来した光軸に貫かれ、わずかに3分余り。恐怖と怨嗟、数多の命を纏いながら、GRDFが誇る大型空母『ヘイムダル』は、既にその三分の二を海中へと没しつつあった。

 

「スフィア、今のは…。何か分かるか?」

「発射方位および高度を同定。後方の『クラリア・ラベス』または『メラス』から発射されたものと推定されます。また、周辺空域に高濃度のイーオン粒子を検出したことから、おそらくイーオン粒子を利用したビーム兵器の一種と考えられます」

 

 光軸により、彼岸と此岸を分けられたかのような空と海。その一端たる空で呆然と呟いたレフの問いに、スフィアは流れるように答えてゆく。一般的な制空戦闘機であるMiG-33SS『ファルクラムSS』には精密な大気成分検知装置は搭載されていないが、一般的に広く使われる上に飛行特性にも影響を及ぼすイーオン粒子は、通常の機体でも簡易的な検知が可能となっている。スフィアの答えは、機体が有するその機能に裏打ちされたものであった。

 

 イーオン粒子とは、主として空気中の汚染物質浄化に用いられる特殊な粒子である。

 イーオン粒子は粒径に対して強いプラス電荷を有しており、マイナスに荷電する大気中の窒素化合物や硫黄化合物を強力に吸着する作用がある。電荷を全て中和し限界まで汚染物質を吸着したイーオン粒子は電気的に中性のエアロゾルへと移行し、速やかに不活性化するという訳である。人体や環境への悪影響が少なく、かつ不活性化したエアロゾルの再回収も容易であることから、イーオン粒子は新時代の大気浄化物質として広く用いられるようになっていた。

 特徴的なのは、イーオン粒子が一連の吸着反応を示す際に、微弱な薄緑色の燐光を発する点である。

 粒子一つ一つの発光は短時間かつ弱いものではあるが、大気汚染が深刻な地域であったり、あるいは散布されたイーオン粒子が極めて高密度であるなど急速に反応が進む場合には、それは連続した強力な発光現象となる。言うなれば、まるで無数のホタルが空中に舞っているかのように空がきらきらと光るのだ。

 

 スフィアからイーオン粒子について言及され、遅ればせながらレフは先ほどの光と、イーオン粒子の発光が似ていることに気が付いた。網膜に焼き付くような鮮烈な薄緑と、瞬く間に散っていった残光は、その他に例えようがない。

 すなわち、今のが『ウロボロス』が有する奥の手中の奥の手。憶測の域を出ないが、スフィアの言う通り、イーオン粒子を利用したビーム兵器ということなのか。

 

「…考えるのは後か。あのジジイが来るまでに残りの敵機を…」

「レフ、右後方より1機」

「ちっ!」

 

 仰いだ目を引き付けるように、スフィアの声とミサイルアラートが重なる。

 右後方、距離650。ヘッドマウントディスプレイ(HMD)上の表示を素早く確かめ、レフはフットペダルを踏み込むとともに機体を増速させた。

 右旋回、次いで機首を捻り下げてAAMの誘導を回避。脳裏に描いた挙動そのままに、『ファルクラムSS』の機体はレフの神経が生み出す電気信号を読み取って、思考を機動へと反映させてゆく。

 空戦機動に言うスプリットSの要領で、高度を下げながら平行に戻る機体。そこから頭上を見上げると、追尾してきていたF-35CRが、こちらへ挑みかかるように機体を傾けて高度を下げつつある様が見て取れた。位置取りといい、この執念深さといい、先ほど空母の対空砲火に突っ込んで来た『命知らず』と見ていい。

 

《逃がすかよ、『首無し(デュラハン)』野郎!!》

「いい加減しつけぇぞ、『命知らず(デアデビル)』が!!」

 

 先ほどのビーム兵器の影響で空域の磁場が乱れたのか、敵パイロットと思しき混線が耳朶を打つ。それを意に介する暇も無いまま、レフはすぐさま機体を左へ倒し、左旋回で受ける態勢を取った。後方のF-35は高度を下げながら、こちらの背を追うべく旋回へと入ってくる。

 

 縦や横方向への旋回で互いの背を狙う合う巴戦――格闘戦においては、機体形状や推力重量比の関係からMIG-33に分がある。そうした機体の相性を知らないのか、はたまた意図的に無視しているのか、『命知らず』のF-35はこちらの誘いへ容易に乗ってきた。案の定、旋回を重ねるごとに旋回半径の差は露わとなり、レフのMiG-33SSは徐々に敵の後方を捉えてゆく。通信から洩れ聞こえる敵パイロットの苦悶から察するに、単に頭に血が上っていただけなのかもしれない。

 

 HMD上を薄緑色のロックオンシーカーが奔る。

 F-35CRの機影に重なったそれがロックオンを告げ、致命の凝視をその背に刻んでゆく。

 レフは、しかし撃たない。距離800を割り、600に迫りながら、レフはなおも旋回を狭めて機銃の射程へと距離を近づけてゆく。

 敵を値踏みし甘く見積もったのも一つにあるが、機銃での攻撃を選んだ最大の要因は残弾の不安であった。何せ今日は既に初撃の空対艦ミサイル(ASM)2発に加え、空母甲板への攻撃でも空対空ミサイル(AAM)2発を使ってしまっているのである。残弾といえば機銃幾らかとAAM4発きりしか残っていない以上、墜とせると踏んだ相手には弾薬を節約するのが最上であった。

 

 シーカー上に機銃の照準を示すレティクルが表示され、機銃射程内への到達をレフへと告げる。

 引き金の役割を引き受ける、指先から生じる攻撃の意思。呼応する機体、唸りを上げる機首30㎜機関砲。

 『ファルクラムSS』の機首から放たれた曳光弾は対空防御のフレアを割きながら、その黒い胴体を空へ縫い付けるように撃ちつけていった。

 

《くそ…!根性!根性だ!!艦載機乗りは恐れねえ!!》

「根性でどうにかなるならなぁ…俺だってこんだけ苦労してねえんだよ、クソッタレが!」

《――んだらあぁぁぁ!!》

 

 万感入り混じった罵倒を投げかけ、30㎜機銃が敵機のコクピットを貫きかけたその刹那。

 眼前のF-35は翼を垂直へ傾けるや、機首を引き真っ逆さまに急降下して、掠めた機銃弾を躱してみせた。呆気に取られたレフの眼下で、それは水面すれすれの位置で機体を立て直し、煙を吹きながら母艦の方へと飛び去ってゆく。けして高い高度ではないにも関わらず、それも縦機動性がけして良くない『ライトニング』で急行下離脱をしてみせた辺り、流石はその字に違わぬ『命知らず』というところだろうか。

 

 黒い尾翼に描かれた、光の槍を携えた天使のエンブレム。

 その敵を少し見直す気になりながら、レフは離脱してゆくその機影を視界の端に流していった。

 

「はン!慣れない機体だろうが、この程度ならどうってこと…」

「レフ、ご機嫌なところ恐れ入りますが、海上から艦対空ミサイル(SAM)です。計4発、距離2200」

「…っと、そっちがいたな、まだ!」

 

 海上のサテライト艦。

 忘れかけていた洋上の脅威を思い起こし、レフは飛来するSAMに直角に構えるように機体を右旋回させる。

 先ほどのスプリットSで高度を失ったため、回避に割けられる時間は相応に短い。チャフとフレアの散布を織り交ぜた回避行動でもなおミサイルは間近を擦過してゆき、その内の一つが近接信管を作動させて炸裂の華を夜空へと散らしていった。

 

 攻撃の隙を縫い、レフは空へと目を奔らせる。ヒュドラ隊7機に対し敵残存機は5機と、空でこそ優位は『ウロボロス』へと移りつつある。一方で海上では空母1隻を撃沈、もう1隻を無力化しおおせたものの、サテライト艦をはじめとする海上打撃戦力はほぼ健在であり、俯瞰した限りではいずれの優勢も未だ見いだせない状態であった。先ほどのビームで艦隊の射程圏外から攻撃できれば最上だが、第二射が飛んでくる気配は無い。

 

 砲火舞い散る空と海、間に満ちる動的な膠着。

 それを打ち破ったのは、夜の帳に紛れるようにひっそりと到達した大柄な機影――ルカとカプチェンコが乗る『ヴェパール』の姿だった。

 

《『オフィウクス1』、空域に到達しました。これより電子攻撃戦を開始しますので、本機は現空域を動けません。ヒュドラ隊各機、速やかに敵護衛機を殲滅してください》

《本機が撃墜されれば、残る諸君へ向かう対空砲火を遮る者はいなくなる。互いの為、気張ってくれたまえ、皆。…おお、おお。『首無し』君も生きていたか。息災で何よりだ》

「お蔭様でな!…というか、何でわざわざ出て来たんだあんたら!」

《『ヒュドラ6』、私語は慎んで、空域制圧に専念してください》

「ち…!」

 

 速度を落とし、海上を睥睨するようにゆるりと空を旋回する『ヴェパール』。その電磁パルス防御システムに巻き込まれないためか、無人随伴機である4機の『ホーネットADV』はやや距離を開けて、さながら翼を広げた巨鳥のように付かず離れず空を舞っている。

 『新顔』の空域侵入に目敏く気づき、上空から『ヴェパール』を指すF-35。それに呼応するべく機首を上げて相対しながら、レフは思考に挟まった違和感を覚えた。

 

 事前にヒカリから聞いていた通り、『ウロボロス』は確かにあの空中空母と、搭載したビーム兵器という『切り札』を隠し持っていた。まんまとGRDF艦隊をオーレッド湾口へ引きずり込み、懐へ引き込んだところで穿ち抜いて見せたのである。ここまでは、『ウロボロス』の筋書き通りと言っていい。

 

 ならば、なぜ。

 なぜあの空中空母は、()()()()()()()()()()()()()のか。 

 

 下降する敵機に、機首を上げる『ファルクラムSS』。機銃が飛び交い、曳光弾が夜空を裂く中で、なおも思考は糸を紡ぎ続ける。

 

 想像するならば、技術的な問題でビーム兵器の連射ができないというのが最も予想に易い。正規空母をたった一度の直撃で真っ二つに溶断するほどの高出力である以上、イーオン粒子の充填と加速にも相応に時間を要すると見ていいのだろう。地上や艦上設置型はもちろんのこと、航空機搭載型兵装ですら連射可能なレーザー兵器が実戦配備されている今、敢えてビーム兵器を搭載した謎は分析の余地があるが、この予想がもっとも現実的には違いない。

 

 だが、二大企業の抗争やフォルカーの策謀、『ウロボロス』の術策で揉みに揉まれ、物事の表層と深層という二面性に気づかされてから1年余り。それらに培われたレフの直感は、その予測を是とは告げていなかった。

 

 ニューコム拠点への綿密な襲撃、堅実な防衛網の構築といった緻密さと、捕虜の戦力活用というそれに反した雑把な方策。秘匿していた数多くの最新兵器と、それに反して少ない人員という弱み。『ウロボロス』が持つそれらの二面性を手掛かりに踏み込んでいけば、その意図もおおよそ読み取れる。

 絶対的に足りない戦力。ヒュドラ隊を先行させ、空母を率先して狙わせた意味。無傷の敵空母への狙撃、そして空対空戦で無力な『ヴェパール』を敢えて空域に侵入させた理由。

 脳裏に過ぎる、()()()の空。

 

「…まさかな」

「レフ?どうしました?」

「…なんでもねぇ。取り越し苦労を願っただけだ」

 

 左翼を曳光弾で貫かれ、F-35CRから黒い破片が千切れ飛ぶ。主翼の中ほどから先を失ったそれは、やがて錐揉む躯体を炎に包まれて、洋上を朱に照らしながら落葉のように墜ちていった。

 海に咲いた赤と黒の花を眼下に送り、レフは脳裏に過ぎった不吉をぽつりと零す。かつてフォルカーが手を出した、混沌の戦場をもたらした引き金。『ヴェパール』に搭載されたあの禁断の機能に、不安を拭い去れぬまま。

 

《おお、素晴らしい。卓越した手腕だ。()()()()()()()の下にでも付けていれば、往時のベルカも支えられたろう》

「さっきからごちゃごちゃと…。誰だよそりゃ」

 

 上空から俯瞰していたのか、『ヴェパール』からカプチェンコの声が降ってくる。相変わらず、こちらの理解や知識を無視した単語を並べ立てる語り様であり、もはや一聞では痴呆の老人と何ら変わる所が無い。確かに相当の高齢にも関わらずこうして戦闘機の後席に搭乗している点では驚異的だが、結局それは常人と比べての話でしかない。一体ヒカリは、この男の何に気を付けろと言っているのだろうか。

 

《『オフィウクス2』、私語が多すぎます》

《おお、すまないね『オフィウクス1』。では、叱られがてらにもう一つ。ラティオ方面より、急速に接近する反応が4つ捉えられた。識別はゼネラルリソースだ。速度を鑑みると、作戦完了より早く空域に到達することになるだろう》

「ち…!このタイミングで増援かよ!」

《っ…!?く…!頭の固い愚鈍なゼネラルが、今頃!各機、全力で『ヴェパール』を護ってください!『オフィウクス2』は随伴機で迎撃を!》

《承ったとも。さてさて、ヒュドラ隊。奮戦してくれたまえよ。何せワシは敗残の老いぼれなのでな》

「分かってら!どの道あんたらを護らなきゃ生きて還れないんだからな!」

 

 敵襲、増援。

 脳裏に差し込む緊急報に、レフは疑問を捨てて頭を切り替える。悩み考えることは後からでもできる。今は、眼前に迫る脅威を退けるのが先決だった。

 レーダーレンジ、索敵範囲を拡大。僚機と情報リンク、空域を検索。

 掌と瞳の僅かな動きから、正面ディスプレイには瞬時に周辺空域の索敵状況が映し出された。確かにカプチェンコの言う通り、北東よりこちらを指す白い楔型が4つ、密集隊形で迫ってくる様が見て取れる。レフから見れば『ヴェパール』を挟んで空戦中の友軍機よりさらに向こうであり、『ウロボロス』の機体の中ではレフが敵から最も遠い。先ほどの『命知らず』に付き合った結果、僚機集団と距離を開けてしまっていたのが要因であった。

 高度にして、約2800。拡大映像での目視はおろか、レーダーですらもまだ機種を確かめることはできない。

 

 高度の優位を取った友軍の『タイフーンⅡ』と『デルフィナス』が、敵編隊の斜め上方から逆落としに突撃を仕掛けてゆく。片や敵の針路は、レーダー上で判別する限りその斜め下を指しており、降下による加速を活かして射線を潜り抜ける積りと見て取れた。『ウロボロス』の2機もそれを承知なのだろう、いち早く攻撃位置に就くべく速度を上げて急降下に入っている。直交する進路では元より直撃は望めないだろうが、初撃で編隊を乱してしまえば勝ち目はあると見込んでのことに違いなかった。

 

 上空から襲い掛かる『狩る側』と、その牙を潜らんとする『狩られる側』。

 傍目にも明らかだったその立ち位置は、しかし瞬きののちに入れ替わっていた。

 

 GRDFの4機が増槽を捨て、反動で機体がせり上がる。

 速度は、上げない。機首を上に向け、攻撃針路を逸した『ウロボロス』の2機に対し上昇して正面から突っ込んでゆく。攻撃位置に就くべく加速に専念していた2機は、予想外という虚に囚われ、一瞬横方向への機動が遅れてしまっていた。

 

 一瞬の隙は、音速の交錯においてはすなわち致命の隙。

 敵機から放たれたのは、ミサイルではなく一直線に飛来する無誘導のロケット砲。ミサイルと比べて遥かに小さなそれらは、『ウロボロス』の2機と交差する一瞬に炸裂し、連鎖した爆炎を刻んでゆく。真正面からその衝撃をもろに受けて、『タイフーンⅡ』は機首を抉り飛ばされて錐揉みを描きながら墜ちていった。辛うじて直撃を避けた『デルフィナス』も、余波でよろめいた一瞬を機銃で狙い打たれ、数多のハイエナに生きながら食い散らかされるように穴だらけとなってゆく。

 

 その断末魔、『デルフィナス』が生み出した爆炎の閃光。

 それに浮かび上がった4機の姿を、『ファルクラムSS』のカメラは鮮明に捉えていた。

 翼端を落とした切り欠きデルタ翼と、胴体から滑らかに主翼へと至る流麗なライン。主翼付け根の左右上部に出た膨らみはコンフォーマルタンクだろうか。右側タンクからは燃料給油プローブらしき突起も覗き、そこだけが華奢な印象のシルエットに反してマッシブな意匠を与えている。

 機体色は、一般的なGRDF機同様の灰色に染まった胴体と主翼。

 そして――斜めに黒く塗り欠かれた翼端。

 

「……――」

「レフ、レフ。いい情報と悪い情報があります。いい情報ですけれど、敵空母が変針しました。敵増援を盾に、海域より離脱する模様です」

「知ってるよ。真下に見えてるからな」

「それと、悪い方ですが。敵増援、判明しました。GRDFの『ニムロッド隊』。F-2X(カイ)、4機です」

「知ってるよ。――今、見ちまったからな!」

 

 爆炎に浮かんだ、4つの機影。網膜に焼き付いたその姿に、レフの心臓はぞくりと脈打った。

 ニムロッド隊。GRDFの一部隊にして、かつて『円卓』でレフを撃墜した因縁の部隊。厳密には撃墜される前に自ら緊急脱出したのではあるが、脱出せざるを得ない状況に追い込まれたという点では、被撃墜と同義と言ってしまっていいだろう。

 その相手と、まさか今、こんな状況で再び出会うとは。

 

 やや下方からその姿を認め、レフはHMD越しに頭を上げる。

 その口元に浮かぶのは、笑み。それも、畏れと闘志がないまぜになった、引きつりながらも明確な意思を示した笑みであった。

 

「どうしますか、レフ。逃げますか」

「バカ言え。逃げた所で生きて還れるかよ。それに、あの時とは違う。俺は変わった。機体もまだ戦える。剛腹だがあのジジイもいる。あの蝙蝠野郎に落とし前を付けさせる、またとないチャンスじゃねえか」

「レフ、私の分析によれば、勝率は3割にも満ちません」

「そんなことは聞いてねぇよ。…手ェ貸せ、スフィア!」

「了解しました。敗北の見えた戦闘を、勝ちに持ち込む。高揚します、とても」

 

 傍らをゆらゆらと泳ぐスフィアが、レフの右手に掌を合わせて同意を示す。電子データの集合体にも関わらず、その掌から伝わる熱の錯覚を覚えて、レフはに、と笑みを刻んだ。短い言葉に意思を乗せて、スフィアもまた瞼を閉じて情報をディスプレイへと投影してゆく。

 

 レーダーレンジ、再度コンバットモードへ移行。機体を左側へ傾け、傾斜した視界から空を見上げながら、レフは敵の針路を避けるように左旋回で迂回してゆく。

 友軍との連携がもはや絶望的な以上、今は単機で戦わざるを得ない訳だが、1機で真正面から切り込むのは得策ではない。それならば、敵の意識の外である横合いから攻撃を仕掛けて編隊を乱し、1対少数の状況を作り出す。僚機は先ほど失敗した手ではあるが、彼我の戦力差を考えるとやはりこの手が最善だった。

 

《く…!ヒュドラ隊、何をしている!敵編隊が接近しています!早く!『ヴェパール』の盾に…!》

《落ち着け。落ち着きたまえ、ルカ。彼らはまだ戦っている。ワシの無人機もいる。指一本、触れることは能わぬとも》

 

 通信を揺らすルカの狼狽を流し聞きながら、レフは横倒しになった機体から敵編隊を見上げる。

 距離おおよそ2000、ほぼ真横。他のヒュドラ隊機は敵のF-35にかかりきりとなっており、到底『ヴェパール』の援護に入る余裕は無い。ニムロッド隊の4機は、遮る者の無い空を駆け、『ヴェパール』に対して距離を詰めてゆく。

 

 頃合いを見計らい、レフは機首を引き上げて、横倒しのまま『ファルクラムSS』を敵編隊の横腹目掛けて突進させたエンジン出力を上げ、フットペダルで針路を微調整しながら、首無しの機体は放たれた矢のごとく墨色の空を疾駆してゆく。

 

 速度800、900、950。

 速度を増す敵の姿を機体のレーダーが捉え、ミサイルシーカーがそのシルエットへと重なってゆく。相対距離は1800を、1400を切り、暗夜の中にもその姿を徐々に映し出してゆく。

 敵に対してほぼ90°を取って交わる今の位置では、ミサイルを撃った所で当たる確率はほどんと無い。有効打を与えうる万が一を捨てて、レフは機銃の引き金を指先に触れさせた。正面には薄緑色のガンレティクルが映し出され、今まさに眼前を横切らんとする4つの機影へ十字架を刻み付けている。

 距離600。

 500。

 敵の反応を捉え、接近警報が鳴り響く。

 敵の鼻先が十字架へ触れる。

 機械音声が、機銃を撃てと告げる。

 指先に、殺意が滲む。

 

 ――今。

 指が動くより早く、神経が伝える信号を拾って放たれる機銃。

 しかしそれは、発射のまさに直前、唐突に照準からかき消えた敵機の残影を貫くに留まっていた。

 

「ちっ!」

 

 舌打ちが響く。

 上下2機。算を乱した、とは言い難い別れ方を見せた敵編隊の間を抜け、レフは水平へ戻した機体を上方へと旋回させる。

 読まれていた。おそらくはこちらの挙動を読んだ上で、咄嗟に作戦変更させないために敢えて懐までこちらを引き付けたのだろう。狙いは――考えるまでもない。

 

 宙返りの最中、頭を捻って下方を見やる。こちらのやや後方には、『黒翼』2機。そしてその傍らを掠め、『ヴェパール』へと迫る機影がもう2機。『ヴェパール』の元へ駆けつけたいところだが、そのために針路を変更すれば、後方の2機の射線に身を晒す羽目にもなる。

 おそらくは、敵の狙い通り。今やレフと『ヴェパール』は、完全に分断された形となっていた。

 

《敵機突破…!な、何をしている、ヒュドラ6!》

「流石に一筋縄じゃいかねえか。1対2の状況で、あいつの子守りまでしなきゃならんとは…。ちょい荷が勝つな」

「レフならできますよ。きっと。たぶん。私の予測を全無視した訳ですし」

「へいへい」

 

 スフィアの軽口に生返事半分、上昇する機体からちらりと後方へ視界を送る。

 ――やはり、来ている。『黒翼』のF-2Xが2機、こちらのすぐ背を追うようにほぼ垂直に上昇しつつある。距離にしておおよそ1700、出力と速度を考えれば追いつかれることはないだろうが、逃げ続けていれば『ヴェパール』の援護が疎かになりかねない。

 それなら。この位置関係ならば。

 

 息を吸い、止める。

 下腹に力を籠める。

 先ほど空母へ攻撃した時と同じ、脳裏に描くイメージは木の葉。樹から千切れ、はらりゆらりと舞い降りる、木の葉落としの要領。

 

 一拍。

 『首無し』の『ファルクラムSS』はその瞬間噴射を緩め、速度を急速に落として失速する。

 重い機首はくるりと下を向き、重力の虜となるままにその機速は瞬く間に重なって――やがてその進路は、急上昇する2機と真正面からかち合った。

 

 一瞬の虚を打ち、AAMと機銃を撃ち放つ。

 暗闇ゆえにこちらの挙動を見損ねたのか、『黒翼』にしてはまばらな応射が夜空に光軸を刻んでゆく。

 衝撃が走る。

 誰かが息を呑む気配が伝わる。

 

 直上から、敵機とすれ違った一瞬。

 装甲キャノピーで互いのコクピットは覆われているにも関わらず、その瞬間レフは、敵パイロットと目が合ったのを感じた。

 

《…この機動…!『首無し』とは、あれか!》

「チッ、相変わらずの機動だ!ミサイル1発無駄にしちまったぜ!」

 

 捨て台詞一つ、レフは振り返ることなく、機首を下げて速度を重ねてゆく。反転して来るであろう後方の2機は気がかりではあるが、今はほぼ無防備の『ヴェパール』の方が重要である。

 いた。

 高度にして150ほど下、距離1300先。2機の『黒翼』が、『ヴェパール』へ向け疾駆している様が見て取れる。接敵の様子を見る限り、敵は『ヴェパール』への攻撃に専心している風情で、後方への警戒はおざなりと言っていい。ルカはともかくカプチェンコもこちらの挙動を察しているのか、敢えて『ホーネットADV』の機動を緩め、付け入る隙を作り出しているようにも感じられる。

 もとより兵装の多くを使い果たし、軽量となった『ファルクラムSS』は速い。急降下で速度を稼いだそれは、瞬く間に敵機との距離を詰めてゆく。

 敵は無防備、こちらは死角。これならば1機は――。

 

《ニムロッド2、後ろだ!!》

「…チッ!」

 

 その目論見は、しかし後方からの声によって打ち砕かれてゆく。

 引き絞り発射したAAMは一拍遅く、慌てて回避運動に入った正面の『黒翼』を掠めて、虚空に虚しく爆炎を咲かせたのみだった。左右へ大きく散開した2機の間を抜け、レフは右旋回に入って『ヴェパール』の傍らへと合流してゆく。

 

 頭を巡らせ、視界を上げるは斜め左上、そこには反転し、再度4機ひと塊となって集結した『黒翼』の姿があった。

 

「にゃろう…まだ諦めてねぇな。…当然か。あの空母が逃げ切るまで、諦める訳はねぇよな」

《ヒュドラ6!君は…貴様は、何を手玉に取られているんだ!自分の役割が分かっているのか!!》

「落ち着けよお利口さん。口調が崩れてるぜ」

《なぁっ…!》

《ヒュドラ6、よく突破してくれた。流石にあの4機相手では、ワシも骨が折れそうだったものでな》

「どうだかな…。で、あとどれだけ凌ぎ切ればいいんだ」

《3分半、というところかな。できるかね?》

「…無謀だな。連中、機動はそこまで鋭くないが、複数種のロケット砲を積んでやがる。手の読めない相手を、1対4で捌ききれってか?」

 

 声を荒げるルカを意識の外に、レフは偽らざる感想をカプチェンコへと返す。

 記憶が確かなら、確か以前に『黒翼』が使っていたのは近接信管の炸裂弾と、矢状の散弾を撒き散らすフレシェット弾。いずれもが一定の加害範囲を持つ領域制圧兵器であり、それそのものによる損傷より、むしろ回避運動を制限される点の方が厄介と言えるだろう。

 唯一前回と違うのは、こちらの乗機が格闘戦能力に優れたMiG-33SS『ファルクラムSS』という点である。先ほどの切り返し機動を見るまでも無く、軽量双発の制空戦闘機である『ファルクラム』と、単発で兵装を満載したF-2Xでは旋回性能に雲泥の差がある。首尾よく近接戦闘に持ち込むことができれば、あるいは状況を覆すことができるかもしれない。

 

 もっとも、数で勝る敵が、格闘戦に巻き込まれた僚機を見過ごす場合に限る、という付帯条件付きの話ではあるが。それが現実的な予想でない以上、どう考えても無理難題であった。

 

「ち…やっぱどう考えても無理だ。ドッグファイトに持ち込めれば可能性はあるが、敵が乗ってくる訳がねぇ」

《言っている場合か、ヒュドラ6!貴様達は革命の前面に立つ戦士(奴隷)なんだぞ!たとえ身を盾にしてでも我々を護れ!》

《ふむ、ふむ。なるほど、近接戦闘か。なるほど、成程》

「…!来るぞ!……しゃあねぇ、一か八か…!」

 

 焦燥と、沈黙。『ヴェパール』から漏れる二通りの反応を割るように、眼前のF-2Xが動き始める。こちらの挙動を見定めたのか、斜め上空から機体を傾けて、それらは翼を翻しながらこちらの右前方から接敵に入っていった。間隔を大きく開けて両翼に広がった扇状の隊形を取っており、ロケット砲による飽和攻撃を目論んでいるものと伺い知れる。F-2Xの配置と兵装搭載量を踏まえれば、たとえ残るフレアとチャフを総動員したところで防ぎきれるか、どうか。

 

 意を決し、左へ傾けた機体を緩く旋回させて、レフは『ヴェパール』の側方を庇う位置へと陣取ってゆく。鼻先は、敵編隊正面方向。こうなれば一か八か、ヘッドオンからの攻撃で連携を乱した後に各個撃破していく他にない。

 とはいえ、残り2発のAAMで、どこまで対応しきれるものか。

 今度こそ、五体満足で生き残れるものか、どうか。

 

 正面同高度、距離2200。

 

 舌打ちの下に決めた覚悟に応えるように、レフの両翼を機影が追い越していったのはその時だった。

 角ばった主翼と長いLERX、外側へ傾斜した尾翼を持つ4つの機影――カプチェンコの駆る『ホーネットADV』。

 

「…!?おい、ジジイ!?」

《確認する、ヒュドラ6。格闘戦に持ち込められれば、君は連中を退けられるのだな?》

「……っ!?」

「ッ…。…ああ。MiG-33なら、F-2ごときに格闘戦で負けやしねえ。筈だ。――やるよ。やってやろうじゃねえか!!」

 

 ぞわ、という悪寒。こちらの奥底を見定められる感覚。

 威迫のような、確信を求めるようなカプチェンコの声に、レフは半ばヤケクソ気味に声を張った。

 背筋を伝う悪寒を払うために。被撃墜という苦汁を拭うために。そして、自らを奮い立たせるために。

 

 ふ、と漏れる、誰かの声。

 それに応えるように、一瞬後には『ホーネット』は左右へ一糸乱れず展開し、正面の『黒翼』を迎え撃つ姿勢を取った。正面に対しては2機がレフの左右前方に並び、残る2機は左右上方へ大きく展開した、奇妙な隊形を布いている。敵味方多くの航空隊に触れて来たレフではあったが、初めて見る隊形――否、()()の取り方であった。

 

《では、久方ぶりに披露しようか。金色の円環を》

 

 カプチェンコの声に弾かれるように、『ホーネット』が一斉に展開し始める。

 正面、距離1600。1200。急速に接近する『黒翼』に対し、2機の『ホーネット』はやや速度を緩めながら正面から相対してゆく。

 

 発射。初手は正面の『黒翼』4機。主翼の下にちかちかと光が爆ぜるや、それは一瞬後にはロケット砲の雨となってレフの方へと降り注いで来る。

 こちらも反撃を。そう考えかけて、レフは遅ればせに2機の『ホーネット』が視界から消えているのに気が付いた。先ほどまで左右両翼にいたものは、既にいち早く左右下方へ退避している。すなわち、敵に先手を打たせるだけ打たせてから、両機はさっさと退避してしまったのであろう。てっきり正面からヘッドオンで攻撃を仕掛けるものと判断し、敵を注視していたレフは、敵の弾幕の中に独り取り残される羽目に陥っていた。

 

「やべっ!」

 

 慌てて下方へ目を遣り、機動をイメージするままに機体を右へと旋回させる。右ロール、背面から機首を引いて、螺旋を描く旋回降下。飛来するロケット砲が尾部を掠め、炸裂した破片が尾翼を打って、視界を包むように閃光が後方の空を照らしてゆく。

 

 くそったれ、あのジジイ。

 口中に罵倒一つ、レフは機体を引き起こして『黒翼』の編隊を仰ぎ見る。そこでは初撃の隙を打つように、上方から迂回していた『ホーネット』が攻撃を仕掛け始める所だった。

 

 左右へ間隔を広げた敵編隊へ、左右上方から『ホーネット』がAAMを撃ち込んでゆく。もとより攪乱を狙った攻撃だったのだろう、鼻先へ撃ち込まれたそれらは近接信管を作動させ、『黒翼』の視界を遮ってゆく。

 下方、2機。

 やや崩れた統制を穿つように、先ほどレフの傍らから離脱した『ホーネット』が斜め下方から撃ち上げるように連撃を仕掛けてゆく。こちらも命中弾こそないものの、炸裂の連鎖と編隊を突っ切る『ホーネット』の挙動のため、『黒翼』の編隊は明らかに乱れを見せて揺らいでいた。ここまでは、編隊連携を乱す攪乱戦術の定石と言っていい。

 水際立ったカプチェンコの采配が顕れたのは、その直後だった。

 

 旋回し、体勢を立て直すF-2X。

 敢えて速度を活かした一撃離脱を行わず、緩く旋回に入る『ホーネットADV』。

 その背を『黒翼』の1機が捉えたその瞬間、初撃を仕掛けた『ホーネット』が『黒翼』の後ろに割って入ったのである。ミサイルアラートを感知したのか、それは小さな弧を描いて射界から離脱。『ホーネット』を振り切り仕切り直しを図ろうとしたそれは、しかし別の『ホーネット』による横合いからの機銃掃射を受けて、再び機首を切り返して交戦の渦中へと戻らざるを得なくなった。

 

 1機を囮とし、他の1機が敵を牽制する。かといって攻撃には固執せず、囮は牽制役に、牽制役は囮にと目まぐるしく変化し、旋回の渦から逃れる敵にはすかさず1機が牽制を加えて逃がさない。能力と数の優位からイニシアチヴを握っていた筈の『黒翼』は、今や『ホーネット』が描く小旋回の渦の中に囚われ、墜としも墜とされもしない膠着の円環に絡め取られていた。いうなれば、4対4という同数にも関わらず、『黒翼』は完全にカプチェンコの無人機に包囲されているのである。

 

 これは、今まで見たどの戦術とも違う。これは輪や渦というより、まるで――。

 

《――『巣』。馬鹿な。これはまるで、話に聞いた『ゴルトの巣』じゃないか…!》

「『ゴルト』…?」

《さて。前言の通り、敵を手中に捉えて見せた。後は君の仕事だよ、『首無し』君》

「…応よ!言われなくても!」

 

 身を乗り出すように機速を速め、レフは円環の中へと吶喊してゆく。

 カプチェンコの声に応えながら、レフは心中舌を巻いた。通信能力に長ける『ヴェパール』とはいえ、無人機を同時に4機。それもあれだけ高齢の人間が、ここまで複雑な戦術を組み立てうるものだろうか。いくら経験があるとしても、いくら能力が優れるとしても、到底人間業とは思えない。

 

「本当に人間かよ、あの野郎!」

 

 畏れ、不満、痛快さ。ないまぜになった笑みを口元に浮かばせて、『首無し』のMiG-33は空を切る。

 吶喊するは、『巣』とやらの中。『ホーネット』4機の包囲に絡め取られ、横合いからの射撃を受けて体勢を崩した『黒翼』のうちの1機。

 

 表示されたガンレティクル目掛け、レフは攻撃意思を示す。

 機首が唸りを上げ、曳光弾が十字架の中心、『黒翼』の主翼中ほどへと殺到する。

 『黒翼』が機体を捻り、咄嗟に投影面積を減らす。

 衝撃、飛び散る破片。擦過の轟音が敵機に反響し、コフィンのフレームをびりびりと揺らしてゆく。

 

 手応えあり、しかし軽い。

 振り返ると果せるかな、敵機は薄く煙を噴きながらも、なお健在であった。

 

「まあいいか。次は…お前だ!」

《くそ、『首無し』まで加わって…!》

《ニムロッド4、2の支援に回れ!…ちっ!今度はこちらか!》

 

 早々に見切りを付け、レフの眼は続けざまに別の機体の背中を捉える。エンブレムは他の機体と差は無いが、混線を聞く限りではおそらく隊長機。左旋回に時折縦機動やロールを織り交ぜた切り返しを図っているが、その度に運動性に優れる『ファルクラム』との距離は却って詰まってゆく。

 もう一歩、ではあるが。

 

「来たか!」

「レフ、後方に敵機1。AAM射程内です」

「分かってる!」

 

 ちらりと目を奔らせた、後方警戒モニター。その端に黒い翼端が映り、間髪入れずロックオンアラートが低く鳴り始めた所で、レフは機体を切り返して水平に戻ったのち、すぐさま機首を引き上げた。斜め60°の急角度を描いて速度は一気に落ちていき、その隙を打つべく後方の1機はレフの背中に喰いつきつつある。

 

 横旋回の応酬から、縦へと包囲を抜ける一線。下がった速度、隙を見せた背中。偶然とはいえ並べ立てたこの好餌には、いくら『黒翼』の一端といえども喰いつかざるを得ないに違いない。

 

《…!待て、ニムロッド2!追うな!!》

「かかったな!!」

 

 それは、重なる包囲に混じった異物への油断だったのか。

 瞬間、レフの『ファルクラムSS』は機首を垂直に引き上げるとともに急減速。先に『黒翼』の追撃を躱した時と同様の要領で、失速を利用して一瞬で下方を向く機動――ストールターンをして見せたのである。先と違う点といえば、状況が1対1であること。そして、互いの距離が近く、一瞬の遅れが命取りとなること。

 

 一度見ていた筈の挙動を間近で目にし、『黒翼』の機動が一瞬揺らぐ。

 転回する天と地が視界を巡り、やがて照準の中心が上昇する機体を捉える。

 ロックオンシーカーが奔る。

 レーダーがその翼を捉える。

 距離、500。首を飛ばしうる匕首の間合い。

 

「借りは返すぜ、蝙蝠野郎!!」

 

 主翼の下に灯る噴射の焔は二筋。

 それらは降下の速度を乗せながら直進し、『黒翼』の胴体側部を穿って、その身を染めた黒い翼端を爆炎の中に千切り飛ばしていった。

 

《……!ニムロッド2!!》

「まず1機!」

 

 雪辱。

 それを果たした快感に胸を浸し、レフは再度渦の中へと舞い戻ってゆく。

 ――隙は、すなわち致命。その原則にあるまじき、浮かれた心持ちのまま。

 

「よっしゃ!次は…」

「レフ!3時方向に1機!」

「何ィ!?」

 

 スフィアの声に咄嗟に右を向き、レフは後悔した。

 水平飛行に戻り速度を落としてしまった自らの愚に。そして、真っすぐにこちらを指して吶喊する、『黒翼』の姿に。

 

《カルロス隊長の遺訓を…!よくも、貴様!!》

 

 ロックオンアラートすら無いままに、針路を包囲するようにロケット砲が殺到する。

 機首上げ、右旋回、増速。

 反射的に『ファルクラム』へ下した操作は、しかし一手遅きに失していた。

 ロケット砲のうちいくつかは、『ファルクラム』のコクピット間近で炸裂。それと同時にキャノピーに衝撃が走るや、全周囲モニターの右側三分の一が突如として投影機能を失ったのである。網膜たる機能を失った右側モニターの死角を突いて、『黒翼』は『ファルクラム』の右側を擦過してから間髪を入れず反転の挙動を見せている。

 

「な…!?なんだこりゃ!」

「フレシェット弾です!おそらくキャノピー表面の投影用外部センサーが、矢弾によって破損した模様!」

「……!!冗談だろ、クソ…!!」

 

 一拍前の歓喜を拭い去り、冷や汗が額に浮かぶ。

 まずい。これまでも窮地は腐るほどあったが、視界の半分を覆われての戦闘は経験が無い。狩られる側に回った今更ながらの自覚を胸奥に、レフは目を奔らせ、左右小刻みに旋回を重ねていく。少なくとも、敵集団を絶えず左側に捉えておかねば死角から奇襲を受けかねない。

 

 後方。

 接近警報。

 振り返るまでも無く、レーダー上には先ほどの敵機――おそらく『黒翼』の隊長機がぴったりと張り付いている。兵装を使い向こうも軽くなっているためか、旋回を重ねてもさほどに距離は開いていかない。しかし少しでも回避行動を緩めると、瞬く間にロケット砲がその隙を狙ってくる。

 

 炸裂。

 衝撃。

 すぐ右側に爆炎が上がり、レフは咄嗟に機体を左へと切り返す。直後、自らの傍で生じたばち、という衝撃音に、レフは自らの失策を思い知る羽目になった。

 炸裂音ののち、キャノピー上面を打つ雨のような無数の打音。一拍の後、今度はキャノピー上面の映像がぶつりと消え去ったのである

 正体はいうまでも無く、機体上部に受けたフレシェット弾。夜空よりも黒い漆黒に覆われた頭上に、鼓動は否応なしに高まってゆく。

 

 徐々に目を潰してゆく、まさに狩人らしい絶命の矛先。

 それに唐突に終わりを告げたのは、背後に生じた爆発音。

 そして、刻を告げる老人の声だった。

 

《被弾…!?馬鹿な、どこから…!》

《…時間だ。よく凌いだな、『首無し』君。ただ今を以て、我らの戦闘は完勝のうちに幕を下ろした》

「…なに?どういう事だ、ジジイ」

《海上を見たまえ》

 

 急旋回でF-2Xの射線を躱し、殴るように汗を拭う。後方を振り返ると、先ほどまでこちらを追尾していた『黒翼』の隊長機は機体後部から炎を吐き、よろめきながら徐々に高度を落としていくのが目に入った。位置関係を見る限り、カプチェンコの『ホーネット』が攻撃した様子は無い。

 一体、何が。

 右へと機体を傾け、言われるままに俯し見た昏い海の上。そこに広がっていたのは、信じがたい光景だった。

 

 それは、火の海だった。GRDFの艦同士が喰い合い、対艦ミサイルに貫かれた艦艇が次々と傾いては沈んでいくのである。よくよく見れば、攻撃を仕掛けているのは小型のサテライト艦が主で、フリゲート艦以上の大型艦艇はいずれもハイエナに集られるように啄まれては沈んでゆく。

 

《左舷に着弾!傾斜します!》

《なぜ友軍のサテライト艦が…!指揮艦!『ポラリス』!応答しろ!!》

《『ポラリス』より応答なし!…対地打撃艦『エルモ』、沈みます!》

 

 角ばった意匠の対地打撃艦が、左へ転覆するように沈んでゆく。

 フリゲート艦が艦砲の集中砲火を浴び、応射する間もないままに艦橋を撃ち砕かれる。

 退避する空母の盾となり、駆逐艦が横腹を晒したまま洋上の墳墓へと姿を変えてゆく。

 燃え盛る洋上には、投げ出された無数の乗員の姿。それらを嘲笑うかのように、沈みゆく艦艇が生み出す渦は、それらの影を無情にも呑み込んでゆく。無人艦に脇腹を破られ喰い尽くされていく有人艦隊の最期の様は、まさに『ウロボロス』に追い落とされ、今まさに敗残する人間の姿を象徴するかのようだった。

 

《隊長!》

《アレックス隊長…!艦隊が…!!》

《…………。俺はいい。ただちに退避し、『ニョルズⅡ』を護れ。…これ以上、死なせる訳にはいかない》

《…了解!》

 

 サテライト艦から放たれるSAMをチャフ散布で躱しながら、残る2機の『黒翼』は速度を上げて急速に離脱してゆく。隊長機は通信直後に脱出したらしく、墜ち行くF-2Xの傍らには白い落下傘が一つ、ふわりと舞っているのが見て取れた。

 

「……これは、まさか…」

「『ヴェパール』のシステム・シレーヌ…。エレクトロスフィアを介した強制掌握機能。それに違いありません。おそらくはあの指揮艦を掌握し、傘下のサテライト艦をコントロールしているものと思われます」

「………とんでもないものを敵に回すことになりそうだな、俺達は」

 

 ヒュドラ隊を先行させ、露払いをさせた意味。空母以外を敢えて狙わなかった理由。そして、前線に出て来た『ヴェパール』がわざわざ艦隊上空に居座った訳。全ての不明要素が帰結した眼下の海を、レフは呆然と眺めていた。

 最大の脅威であるGRDF艦隊の無力化や壊滅ではなく、自らへの戦力化を目論む。そんな魔法や詐術のような策謀を、『技術』の力をてこにして、ここまで実現しおおせたというのか。

 

 不意にレフは、背筋に寒気を覚えた。

 先ほどまで『黒翼』に追い回された汗が冷えたのか、『ウロボロス』の綿密な策謀に対する脅威か、それともあのカプチェンコに対する言いようのない畏れか。そのいずれとも、今は判別がつかない。

 

《『ランドグリーズ』は全滅。『ラーズグリーズ』は半身を喪い、『レギンレイヴ』は我らが手中に陥った。上々の戦果と言えるだろう。流石は『首無し』君だ、君の奮闘もまた、直々に上奏するとしよう》

「…そりゃどうも」

《『おお、王よ、偉大なる聖剣の主よ。我らに冥府の先触れはいりませぬ。たとえこの身が朽ちて魂魄のみとなろうとも、我ら自ら踵を揃え、王前の護りとなりましょうぞ』。おお、今宵は良い夜だ。なんと良い空なことか――》

 

 詩の一節を謳うカプチェンコの声が、赤と黒に染まった空へと消えてゆく。

 眼下には、流れ出た燃料に引火し、煉獄のように燃え広がる海。もはや抵抗する者の消えた鉄屑の原を、サテライト艦は踵を返して北西へと舵を切ってゆく。

 

 炎に照り返され、鈍色の艦体を紅く染めたその姿は、まるで同胞の返り血に染まった戦乙女の姿を思わせた。




《作戦の完遂、ご苦労だった。現在、鹵獲したサテライト艦と指揮艦はフトゥーロ運河のオーシア側岩壁で整備を行っている。やがて間もなく、我が軍の貴重な海上戦力となる筈だ。なお指揮艦の人員の多くは、掌握した管内の防衛システムと突入部隊により射殺されたが、若干名が降伏し生存している。救出したGRDFの捕虜と併せ、現在は収容場所を検討中である。施設管理担当者は、後ほど集合するように。以上だ》
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