Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第33話 嵐夜の燈火

 冷気を帯びた隙間風が、天井から吊るされたフード付きの電球を揺らしている。

 時刻、午後8時15分。曇りガラスで明瞭には見えないものの、日がとっぷりと暮れた今となっては、鉄格子に切り取られた外の光景は杳として判別がつかないほどに黒で塗り潰されている。

 

 奥行き10mにも満たない狭い部屋には、飾り気のない机とパイプ椅子、朧な光を落とす卓上スタンドが一つきり。さながらテレビドラマに登場する取り調べ室のような様相を横目に、レフは机の脇を通り抜けて、鉄格子に隔てられた窓へ布の覆いを被せ掛けた。入口方向への見張りを兼ね、レフはそのまま部屋奥側の一角に背中を預けて、室内を睥睨するような姿勢へと入ってゆく。

 

「さてと。それじゃ整理しよっか。これまでと、これからについて」

 

 入り口側に近い椅子に座るヒカリが、部屋の雰囲気にそぐわぬあっけらかんとした様子で口火を切る。短躰に不釣り合いなバストを机に乗せたまま、ばさばさと机に並べてゆくのは、ところどころ『部外秘』と記された大量の書類や画像データ。あまりにも無造作なその様子に、レフは溜まらず横槍を差し込んだ。

 

「ちょっと待て」

「?何さ」

「お前の呼び出しだから黙って付いてきたが、どういう状況だ、これは」

 

 怪訝そうに小首を傾げるヒカリの様子に、レフは思わず頭を抱える。これから『ウロボロス』を裏切り一矢報いようという切所だというのに、これでは密謀も何もあったものではない。――なぜよりによって捕虜の尋問室で、それも()()()()()()()()()()()()話を切り出すというのか。

 

 呼気の拍子に、古びたパイプ椅子がぎしりと軋む。音の主は、小柄なヒカリでも、立ったままのレフでもなく、その両者の間に座る男――先日のオーレッド湾上空の戦闘で撃墜された、F-2X(カイ)のパイロットであった。GRDF仕様のジャケットを身に纏い、おそらく40代半ばと思しきその後ろ姿は、今は後ろ手に手錠を嵌められ椅子に半ば拘束されている。先日の硬骨な戦い方とは裏腹に、我関せず、というように目を伏せて悄然としたその姿は、どこか紅葉を終えた枯れ木の様を連想させた。

 

 いずれにせよ、この期に及んで第三者に『裏切り』の密談を聞かせるなど、あっていいものではない。疑問を抱いたレフの眼は、知らず問い質すような厳しいものへと変わっていた。

 

「そんな怖い目しないでよ。もう段取りは最終段階なんだし、今までみたいな声だけのやりとりじゃ限界があるじゃない。尋問室なら密室だし、純粋な『ウロボロス』構成員のあたしなら監視も付かないから、この場所を選んだって訳。とっても合理的」

「そういうことを言ってんじゃあねぇ。このタイミングで『機密』をよそ者に漏らすリスクを聞いてんだ。少なくとも目と耳は…最悪は口も封じるしかなくなる」

 

 あくまで飄々としたヒカリに釘を刺すように、レフは懐に手を差しながらぴしゃりと言い放つ。ジャケットの内側、左胸の内ポケットに提げた拳銃――ヒカリから融通してもらった万一の備えであるが――の感触を指先に、レフはなおも目を離さなかった。勿論ここで撃つつもりはなく、グリップで殴り気絶させる程度のものではあるが、いずれにせよ用心は必要だった。

 

 無論それも、あくまで『現時点』の対応というのに過ぎない。言外にその意味と、幾ばくかの殺気を込めてレフは言葉を紡ぐ。

 レフの真意を知った上で敢えての事なのか、それともそもそも真意を理解できていなかったのか。警戒を示すレフとは対照的に、ヒカリはにへらと相好を崩し、気楽に応じて見せた。

 

「この人は大丈夫。理由を知ったら、きっと味方になってくれる」

「はぁ?」

「あなただって、この現状を良しとする筈は無いもの。でしょ?アレックスのお兄さん。…今はおじさんの方がいいかな」

「…?君は…」

 

 一転して矛先が変わったヒカリの言葉に、今まで何の興味も示さず俯いていた男の顔が上がる。訳知り顔のヒカリとは対照的に、今一つぴんときていないらしい男は、首を僅かに傾げたまましばし硬直していた。

 

「忘れちゃったかな。それもそうだよね、20年近く前の話だし。…ルーメン・メディエイション・エージェンシー(L.M.A.)の、サヤカ・タカシナ。あたしは、その娘です」

「………!!ま、さか。ヒカリちゃんか!?あのルーメンの…!」

「うん。お久しぶりです、アレックス・ウルフさん」

「…そうか…。あの小さかった女の子が、こんなに大きくなって…」

 

 常の姉貴面らしからぬ、少女のようなはにかみを交えた微笑で、男――アレックスに向かうヒカリ。既知の間柄というのは間違いではなかったらしく、アレックスもまた懐かしげに目を細めて、感嘆するように深く息をついた。互いの素性を知っている者ゆえの気の置けない距離間に、両者の間の空気はほわりと和らいでゆく。懐かしさ余ってか、ヒカリなどは本来の目的そっちのけに、『元気そうでよかったー!ニムロッド隊はあれ以来何を…』と無関係な雑談を切り出し始める始末であった。

 無軌道なヒカリらしい脱線の気配と、補足も説明もなく置いてけぼりの現状。それらを敏感に察知し、レフはすかさず会話へ横槍を差し込んだ。

 

「待て待て。どういう事だ。お前ら知り合いだったのか?」

「ん、そうそう。あたしが小さい頃、アレックスさんは仕事でよくママの会社に来てたんだ。まぁ、そんな複雑な経緯じゃないんだけどね…」

 

 前置きを紡ぎ、ヒカリはレフへ補足を加えてゆく。

 解説に付随した余計な枝葉を省けば、概要は次のようなものであった。

 曰く、2010年代にとある民間軍事会社に所属していたアレックスは、その所属部隊『ニムロッド隊』とともにしばしばヒカリの母親の会社を訪れており、そこで子供の頃のヒカリと知り合ったのだという。民間で軍用機を運用する場合でも問題となるのは整備性――平たく言えば部品の確保が担保できるか否かであるが、往々にして旧式機を運用することの多い民間軍事会社で部品の確保まで行うのはあまりにも負担が大きい。その結果、アレックスの所属会社は、幅広い機材一般を取り扱うヒカリの母親の会社と業務提携し、部品類一式の調達を任せていたという訳であった。

 

 とはいえ、2000年代後半から2020年代にかけては全世界的に国家間の衝突が多発した時期であり、それに応じて各種兵器の進歩も急速であった。一つには、エルジアが運用した対空レールガン『ストーンヘンジ』を嚆矢とし、オーシアの『アーセナルバード』やユークトバニアの『シンファクシ級潜水艦』、エストバキアの『シャンデリア』、そしてレサスの『グレイプニル』などに代表される超兵器群の台頭。そしてもう一つには、F-22『ラプター』やF-35『ライトニングⅡ』シリーズ、Su-57『フェロン』等の第5世代機の普及。戦争の拡大に起因するこれらの要素により、1~2世代前の機体を運用することの多い民間軍事会社は瞬く間に戦力として陳腐化。1995年のベルカ戦争では主力となった彼らも、2010年代後半には無用の長物と化してゆき、やがてゼネラルリソースのような『国家戦力の代替が可能な規模』と『兵器の質と量のバランス』を両立できる多国籍複合企業へと吸収されていくこととなった。こうした時流の中、アレックスが所属していた会社もまた溶けるように消えていき、人員はゼネラルリソースへと吸収。その結果、アレックスはヒカリやその母親とも疎遠になっていったという訳であった。

 

 脳裏に想起するのは、ル・トルゥーアでの別れ際におやっさんから聞いた過去。確かおやっさんは民間軍事会社からゼネラルリソースに移籍し、2026年まで『ニムロッド隊』を率いていたと言っていた。そして、ゼネラルリソースを標的としたテロで部下一人を残し、部隊が全滅した、とも。民間軍事会社に所属していたという点と、その後GRDFに移籍したというおやっさんの言葉は、アレックスについて言及したヒカリの話にも符合している。

 と、いうことは。おやっさんの部下で唯一生き残った隊員というのは、もしやこのアレックスなのではないか。

 

「そうだったのか…。そういやおやっさんも似たようなこと言ってたな」

「おやっさん?」

「ああいや、こっちの話だ。…ということは、整理するとだ。お前は、この男と子供の頃知り合いだった。だから、この計画にも乗ってくれると考えてこうして声をかけた。そういうことだな?」

「そのとーり。さっすがアントノフ君、話が早い」

「ヤコヴレフな。……っつーか、お前って奴は…」

 

 アレックスに対する考察もそこそこに、レフはあまりにも短絡的に過ぎるヒカリの思考と過剰な行動力に、思わず頭を抱えた。いくら昔の知り合いといっても、ヒカリの言を借りればそこから20年は経っているのである。20年という長い年月の間に、立場や思想が変わってしまったとして、何らおかしくないではないか。事実、アレックスはヒカリと出会った当時の傭兵とは異なり、今やれっきしたGRDF所属となっているのである。正式なゼネラルリソースの社員が、敵対する『ウロボロス』内部の、それも今日聞いたばかりの提案を聞いて、素直に首を縦に振るものかどうか。

 

 ちらりと横目でアレックスを探ると、その背は再び俯き、貝のように口を噤んでしまっている。案の定と言うべきだが、その気配からは迷いというよりも、明確な拒絶の意すら感じられた。

 

「まあまあ。これを見ればアレックスさんだって協力してくれるって。じゃじゃーん!題して!ヒカリとアントノフ君の愉快な脱走大作戦!!」

「もう突っ込む気も起きねぇ。あと声を控えろ。ついでに作戦発案の8割は俺だからな」

「情報確保の8割はあたしじゃん」

「当たり前だアホ」

 

 ことさらに明るい声で――事実、不安を微塵も感じていないのかもしれないが――、ヒカリは手元の書類をずらりとアレックスの前に並べて見せる。『ウロボロス』の重要拠点や部外秘の搭乗割スケジュールなど、一見しただけでも、通常目にするべきではない資料の類であることは容易に察せられるであろう。

 俯き、眉一つ動かさないアレックス。その姿を前にしても怯むことなく、ヒカリは作戦を滔々と述べ始めた。

 

 スーデントールから脱走を図るのに、要諦は3点に集約される。すなわち、最重要人物であるクルスをいかに連れ出し、いかに脱走のきっかけを作り、いかに脱走後の追撃を防ぐかという点である。

 このうち、脱走の起点とその後の追撃防止についてはレフ発案のもとでヒカリが主として動き、その手段を確保した。すなわち日時を定めてヒカリが基地各所の火災警報装置に細工を施すとともに、スフィアもまた基地の通信網を攪乱。その隙を突いてルーメンから発進したL.M.A.所属機がスーデントールを奇襲し、迎撃の名目でヒカリやレフが離陸する、というものである。通常の迎撃任務ではレフ達()()()が動員されることは無いが、通信が混乱した状態ならばどさくさに紛れてヒカリの手でレフを解放できると見越しての方策であった。

 

 問題は、クルスをいかに連れ出すかである。

 サピンの英雄であるニコラス・コンテスティの孫にして、NEUのエースであるというそのバックボーンは、現状散り散りとなっている反『ウロボロス』勢力を纏め上げるのに最重要の旗印である。その危険性は『ウロボロス』も十分に把握しているようで、他のエスクード隊所属員という人質を確保して脱走を防いだ上で、出撃時以外は居室に軟禁し、あまつさえ常時警備員を張り付けているという徹底ぶりであった。ここが脱走における最大の難事であり、今日の打ち合わせは実質的にこの部分を詰めるためのものとさえ言っていい。

 

「お前の権限で何とか連れ出せないのか?」

「無理だと思う。『ウロボロス』所属といっても、あたしも1パイロットでしかないから、人事権までは持たされてないし」

「なら、警備員を引き離すのはどうだ。お前の色仕掛けとかで」

「嫌に決まってるでしょそんなの。第一、警備員は2人一組で張り付いてるのに」

 

 ふうむ、と溜め息一つ、両者はしばし口を噤む。ああでもないこうでもないと頭を捻る二人を前に、アレックスはなおも表情を崩さない。

 呼吸、一拍。よし、と声を上げたのはレフの方だった。

 

「となれば、これしかない。クルスの出撃に合わせて行動を起こして、発進済みのクルスをそのまま連れ出すんだ。リスクも相応にあるが、一番警備が手薄なタイミングを狙うならここしかねぇ」

「そうなるかぁ…。クルス君の出撃予定は、明日と明々後日。どっちも夜だから、隠密行動する分には有利かもしれない」

「時間をかけるのは得策じゃないな。こうして会合までしてれば、遅かれ早かれ目を付けられる。明日実行として、L.M.A.は動けるのか?」

「大丈夫と思う。けど、エスクード隊の捕虜はどうする?」

 

 幾分でも見込みのある作戦に行きつくも束の間、思考は陥穽に一時躓く。ヒカリの調査によれば、エスクード隊の捕虜は3名、いずれも分散して収容されている。これらを解放しながら格納庫を目指すには、いくらレフとヒカリの二人がかりといえども大幅なタイムロスになりかねない。

 

「……可能なら解放するが。あくまで努力目標だな。今はクルス救出が最優先だ」

 

 彼我の人員とタイムスケジュールを脳裏に、レフは敢えて残酷な結論を口にした。

 納得はできない。けして肯定できる話では断じてない。可能な限り、方法は考える積りである。だが、本来の目的を見失った結果迷走して失敗するリスクを負うのは、今は避けるべきであった。

 とはいえ、もしそのような事態に陥ってしまった場合、心配となるのはクルスの精神状態である。現状ただでさえ消耗している上に、部下を犠牲に自分一人が生き残ったと知った場合、クルスが果たして戦意を維持できうるかどうか。たとえその身を救出できても、精神が潰れてしまっていては元の木阿弥である。ヒカリの心配にも一理ある以上、この点も熟考を要する課題であった。

 

「そう…か。せめて、事前にスフィアちゃんから情報を与えておくとか」

「ふむ。…リスクはあるが、やってみる価値はあるかもな。連中も、NEUの頃は『オーキャス3』に日常的に触れてたんだ。スフィアの存在にも、納得はしてくれるだろうさ」

「いーなー。会ってみたかったな、スフィアちゃんの姉妹機。そうだ、折角だしクルス君にもスフィアちゃんから情報を入れておけば?」

「いや、それは止めといた方がいいだろう。クルスへの警戒はまだ解かれてない。変に策謀してる気配を感づかれて、出撃停止にでもされてみろ。それこそ元も子も無いだろ」

 

 ヒカリの、そして自らの心に言い聞かせる、万が一の時の覚悟。それを呑み込み、事前の布石を踏まえて、作戦は具体へと至ってゆく。ひとまず机上でもって形作られたそれは、レフとヒカリ、スフィアのそれぞれの役割と、外的要因であるL.M.A.の援軍を相互に絡めた、さながら組木細工のような様相であった。

 

 作戦決行は、クルスの出撃予定時刻である明日午後9時15分。明朝までにエスクード隊員へはスフィアを介して作戦を伝え、可能ならば作戦決行のタイミングで自ら居室を抜けてくるよう依頼しておく。翌日は、決行時刻に作動するようヒカリが細工した警報装置の作動を開始の合図とし、同時にスフィアがエレクトロスフィアを介してスーデントール基地の通信および電子機器の制御を妨害。この間にレフは居室を脱し、適宜捕虜を解放しながら混乱を引き起こして、その隙に乗機へと移動してゆく。あとは基地を襲撃するであろうL.M.A.の部隊と合流し、上空のクルスを引き連れてルーメンへ強行突破を図るという流れであった。

 吶喊で組み上げただけに粗はそこここにあるが、今は巧遅よりも拙速が重要な局面である。こればかりは割り切る他にないが、それでもいくつかの要素は致命的なリスクになりかねないのも否めないのが現実であった。

 例えば、L.M.A.の襲撃のタイミングと、スーデントール組の呼応がうまくなされるかどうか。レフらによる捕虜解放の首尾は。――そして、エスクード隊員や眼前のこの男からの、情報漏洩が起こらないかどうか。

 

「…で、どうだ。アレックスとか言ったな。昔懐かしいヒカリちゃんの作戦を聞いて、協力する気になったか?」

 

 ヒカリが、内奥する全ての策を吐き出しきった後。短刀を突きつけるように、レフは訪れた沈黙を裂いて言葉を告げた。懐手には拳銃を握り、威迫も、場合によっては口封じをも辞さない様子を構えている。

 俯いたままの男の口から紡がれたのは、しかしある意味では予想通りのものだった。

 

「いいや。ヒカリちゃんには悪いが、私は乗らない」

「…ほお」

「私は今日、何も聞かなかったし、何も言う積りも無い。それだけは安心してくれ」

「そんな!アレックスさん、どうして…!」

「役に立てないからだよ、私は。先代の隊長の無念を受けて、私は部隊とあの人の信念を受け継いできた。…だが、先日の戦闘でそのいずれもが潰えてしまった。部下を死なせて、あろうことか私の方がおめおめと生き残ってしまったのだ。…依って立つべき信念を失い、護るべきものすら失った私には、もはや何もない。このような役立たずの解放にまで時間を割くのは、無駄というものだ」

「………」

「…以上だ。君たちの成功を、心より祈っている」

 

 瞑目し、アレックスはそれきり言葉を切る。巌のごとく不動を示すその姿に、レフは案の定とばかりに溜め息をついた。ヒカリはといえば先ほどまでの楽観から一転した泣き顔になり、助け舟を求めるようにレフの方をちらちらと見やっている。この状況で頼られたところで、こうも頑なになった相手を説得できる自身はレフには無かった。

 

「なら、話はここまでだ。行くぞヒカリ。やることは山ほどあるんだからな」

「でも!…でも。アレックスさぁぁん…」

「諦めろ。元々といえば、お前の見切り発車が原因なんだからな」

 

 アレックスの横を抜け、ヒカリの襟首を後ろから持ち上げるようにレフは離席を促す。抗弁も結局は形を成しえず、ヒカリは未練たっぷりに書類を纏め、小脇に抱えてドアの方へと向かっていった。

 

 これ以上は、時間の無駄か。

 そう告げるレフの理性に、しかし相反する感情は抗ってゆく。

 失われた仲間と、自らの存在意義。へし折れた信念。そして、その先に至った姿。先のアレックスの述懐を聞き、レフの脳裏に結ばれたのは()()()の面影だった。アレックスと同じ道を歩み、同じ壁にぶつかって、しかし後に真逆の方向を向いた、一人の男の姿を。

 諦めるのは結構。自分自身を見限るのも大いに結構。だが今、目の前で塞ぎ込み、枯れてしまった男を前にすれば、あの人の半生を聞いた者として思いを叩きつけない訳にはいかなかった。

 

「…アレックス。最後に一つ、言っておくことがある」

「………」

「お前みたいに、信念をへし折られて何もかもを無くした男を、俺は知ってる。自分も死なず、仲間も死なせないっていうアホみてぇな信念すら護り切れなかった、ちっぽけな男の話だ」

「…え」

「信念も部下も故郷も、何もかもを無くして、そいつはサピンに流れ着いて、何年も俺と同じ基地にいた。…馬鹿な話だよ。もう二度と空には上がらないと(のたま)ってたくせに、影でこっそりジャンク品を集めて戦闘機をレストアしてよ」

「レフ君…?」

「…俺の基地が『ウロボロス』に襲撃された日。あの人はそれを引っ張り出してこう言ったんだよ。『空が好きだから。信念も何もかも無くしたが、その一心だけは今も心に残ってる』ってな。その人は、俺たちを()()()()()ために、たった一人で殿(しんがり)を全うしてみせた。馬鹿だけど、純粋に格好いい人だと、そう思ったもんさ」

「…!待て。その人は、…まさか…!」

「これ以上は教えてやらねぇよ。今のあんたの姿を見て、不意に思い出しただけだ。…俺はそろそろ出る。ヒカリ、後は頼む」

 

 ぎしりという椅子の軋み、刺々しい手錠の鎖が擦れる金属音。背後でアレックスが立ちあがった気配を受けながら、レフはそちらを見やることなく部屋の扉をくぐっていった。慌てたようにその背に声をかけるヒカリにも応ずることなく、後ろ手に掌を振ってその背は角の先へと消えてゆく。

 

 隊長。貴方は。俺は。

 残されたアレックスは、椅子に深く腰を下ろし、唇からぽつりと言葉を漏らす。

 虚ろな瞳に宿った苦悩は、古びたテーブルの上を抜けて、虚空の先へと漂っていった。

 

******

 

「――レフ君が監禁された!?」

 

 翌日、明朝。

 寝起きばなのヒカリを叩き起こしたのは、唐突に点いたテレビに映るスフィアの声と、金槌で頭を殴られたような衝撃の言葉だった。

 

《今朝早くのことです。カプチェンコ老が部下を率いてレフを拘束し、今は居住棟の臨時留置所で監禁されています。同時にエスクード隊の人員3名も拘束され、同様に監禁されている模様です》

「嘘、でしょ…!何でこのタイミングで!」

 

 頭が混乱する。事態が呑み込めない。

 ともかくも『ウロボロス』仕様の制服へ着替えながらも、ヒカリの脳裏には明確な方針が浮かんでこない。ただただ、無数の『なぜ』だけがその思考を埋め尽くしていく。

 なぜ、このタイミングで、

 なぜ、露見したのか。

 考えられるのは、情報の漏洩である。レフ本人からでは無いにせよ、自分がL.M.A.に充てた連絡か、スフィアの通信が傍受されていたのだろうか。あるいは考えたくないが、アレックスさんからか。同じNEU出身という以外にレフとエスクード隊員が同時に捕らえられている以上、例の脱走計画が露見したと見て間違いない。

 

 ヒカリの思考は、そこである矛盾に行き当たった。

 いや、もし本当に計画が露見したというのなら、なぜ私は捕縛されていないのか。実質的にレフと並んで計画の首謀者である以上、優先度はエスクード隊員よりも高い筈なのである。それがなぜ、今に至るまで自由なのか。

 

「…分からない。分からないことだらけだけど、まずは情報収集!スフィアちゃん、あたしの携帯に移れる?」

《問題ありません。では、これより》

《侵入しました》

「うお、早!…いやいやいや、じゃなくて。とりあえず、現時点で分かってることを教えて。クルス君やアレックスさんは!?」

《両名とも、拘束はされていないようです。警戒状況についても変化はない模様》

 

 急ぎ足に扉を抜け、ヒカリは携帯片手に廊下を歩いてゆく。もはや動揺のあまり衆目に晒されることへも注意が及ばず、その脚はあてもないままに速度を速めていった。

 おかしい。

 スフィアの説明に、疑念は一層深まってゆく。

 話を聞いてゆくと、どうやら二人は無事であり、特に周辺の様子が変わった気配も無いという。それどころか、エスクード隊の3人に対しても、まだ脱走計画の詳細は行きわたっていないらしかった。つまりカプチェンコはレフとエスクード隊員という作戦に重要な対象を抑えながら、肝心の自分やクルスは放置しているということになる。

 

 レフやママと違い、こういった手合いの難題について深く考えるのは苦手である。苦手ではあるが、今は生きる為に、何としてでも突破口を考えださねばならない。

 考えれば考えるほどに名案は思い付かず、想いだけが先行して足を速めてゆく。

 廊下を走り、扉を抜け、次の角へ。思考に集中するあまり、ヒカリは角を曲がりかけたその拍子に、逆方向から歩き来る人影に危うくぶつかりそうになった。『ウロボロス』の制服に身を包み、神経質そうな相貌と眼鏡、長い髪を後ろで結った髪型。言うまでも無く、『オフィウクス隊』隊長のルカ・クレメンティの姿であった。

 

「おっと。危ないですよ、ヒカリ・タカシナ。どうしたのです、そんなに堰切って」

「へ!?あ、いや、そのー…た、体力作り?」

「走り込みなら外でやればいいでしょうに。…では、失礼。少々忙しいので」

「…?何なに、何か緊急事態?」

 

 角の内側をするりと抜け、その場を後にしかけるルカ。その様子に常ならざるものを感じ、ヒカリは咄嗟に言葉をかけた。ルカのオフィウクス隊といえば、レフら『ヒュドラ隊』を直接監視する立場である。彼ならば、何か知っていてもおかしくは無い。

 果せるかな、影を負ったように振り返ったその顔には、額にうっすらと血管が浮かんでいる深刻なものだった。

 

「ああ、まだ聞き及びではありませんでしたか。…私の部下、レフ・ミハイロヴィチ・ヤコヴレフが、同志を騙り反乱を企てているという情報を掴みました。――嗚呼、何たる手落ち!何たる屈辱!何たる愚昧!!崇高な理想を解せず、そればかりか愚かにも蟷螂の鎌が如き叛逆を企てるなど!言語道断!!」

「ええ…と…」

「…失敬。少々昂り過ぎました。ともあれ、私はこれから彼の尋問に当たりますので」

「って、パイロット自らが?」

「人員の減少に加え、今は()()()()中の者も多く、絶対数が不足しています。何より、私は彼の隊長ですので。…それでは、これにて」

「あ、ああ…うん!頑張ってー…」

 

 分からない。分からない。原因が、そしてこれからどうするべきなのか。

 ルカの姿が廊下の先に消えてから、ヒカリは思わず額を壁に当てて立ち尽くした。この様子で、果たして警報装置に細工して回ることなど可能なのだろうか。レフの解放の道筋は。そして、L.M.A.の部隊をこのまま投入していいのか。不確定な要素ばかりの現実に、ヒカリの思考能力は早くも容量に限界を迎えかけていた。

 

《ヒカリ…》

 

 心配そうなスフィアの声が、ヒカリの鼓膜に遠く響く。

 

 やばいぞ、これは。

 今は、そう言葉を返すのが精いっぱいであった。

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