Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第36話 ルーメンの陽光

 清廉で穏やかな陽光が、温もりを帯びて瞼の裏を白く灼きつける。

 身体を包む、ぬるま湯のようにほのほのとした温かみ。今なお頬や腹部にじりじりと響く鈍痛。そして、そんなことなどお構いなしに胸や脛にのしかかる熱を帯びた重み。すん、とひとたび鼻を鳴らせば、甘く香ばしいバターの香りと爽やかなコーヒーの薫香が鼻孔から流れ込んでくる。

 

 朝。

 五感から直感的にそう感じ、レフはうっすらと瞼を開けた。

 眠気から徐々に覚め、像を結んでゆく色彩に真っ先に映ったのは、汚れの無い真っ白な天井。頭を巡らせれば、左隣にはこちらの脛の上へ足を投げ出したカールがいびきを上げながら眠りこけており、右側にはレフの胸へ足を乗せてうつ伏せになったヒカリの姿を見て取れる。本来の右隣はイングリットのようだが、今は熟睡するヒカリの乳房が顔面に鎮座しており、時折助けを求めるような呻き声を漏らしていた。よくよく周囲を見渡せば、さして広くない白亜の室内には毛布にくるまり壁に背を預けるクルス達や、床に寝転がるジェミニ隊の面々の姿も見える。

 

 ここは、一体。

 のしかかるヒカリの脚をどけ、カールの右足を乱暴に振り払いながら、レフはゆっくりと上体を伸び上げる。独房にも似たスーデントールの居室とは無論異なるが、その内装はル・トルゥーアともアヴァロンとも似つかぬ、見たことのない場所である。よほどの混乱と疲労だったのか、昨晩どうやってこの部屋まで辿り着いたのか、レフには全く記憶が無かった。

 

「いつの間に寝てたんだ、俺…」

《おはようございます、レフ。とても爽やかな朝ですね。小鳥も楽しそうに歌っています。私も思わず、早く外に出たいと気が浮き立っています》

「スフィア?…っておい、どこから話してるんだ、お前」

《ここです、ここ。イングリットの携帯端末です。レフのものはオステアに置きっぱなしでしたから》

 

 眠気の残るレフの目に映る、ちかちかと点滅する携帯端末。イングリットの傍らのそれを手に取ると、掌ほどの画面には、今にも飛び出さんばかりに身を乗り出したスフィアの姿があった。久方ぶりの平穏と静かな朝に包まれてか、ヒレのような側頭部の飾り髪はぴこぴこと揺れており、その機嫌の良さが見て取れる。スーデントールで離れていたのは丸一日に満たない時間だった筈だが、その相貌は常の無表情にも、何やら話したくて仕方がないというような前のめりの喜悦が滲んでいた。

 

《昨晩、レフが気を失ってから。話したいことが色々とあったんです。ヒカリの母親との出会いも、予期しない再会も》

「再会?…やべえ、本気で何も覚えてねぇぞ。昨日は、確か…」

 

 言葉を紡ぎたくて堪らないという風情のスフィアをよそに、レフは遠い昔のようにも思える昨晩の出来事を反芻する。

 突然の投獄、事情聴取という名の拷問。警備の隙――おそらくカプチェンコの手による――を突いた脱獄劇。カールやイングリットとの再会、ヒカリとの共闘、そして網の目のような包囲陣を布くカプチェンコとの決着。断片的な記憶こそ走馬灯のように過ぎるものの、それ以降についてはとんと記憶が無い。

 確か、戦闘後に交わした会話は。

 

 か細い記憶の糸を手繰り寄せ、昨晩の断片を拾い集めんと意識が向いた矢先。

 その意識は、ノックの音とともに入ってきた予想外の男の姿によって、一瞬にして現実へと引き戻されることとなった。

 

「失礼。…おっと、もう起きていたのか。身体の調子はどうだ、()()()

 

 携えたトレーに載った、山盛りのパンとコーヒーのカップ。それ以上に、レフの目は男の顔へと吸い寄せられる。

 長く伸ばした前髪をワックスで固め、後ろへと流したオールバックの髪型。そこから一筋、個性を主張するように垂れた黒髪。身に纏う薄緑色の作業着と、上腕に縫い付けられたL.M.A.と銘打たれたワッペン。見慣れた白衣姿でこそないが、冷徹に僅かな熱を帯びたその声音と、()()から何ら変わらぬ相貌は間違いない。

 

「お前…フォルカー!?嘘だろ、何でお前が…!」

「積もる話はあるが、それは後にしよう。まずは皆に朝食を振る舞うようタカシナ支社長から仰せつかっているのでね。皆を起こすのを手伝ってもらえるかい、レフ君」

 

 フォルカー・アーノルト。スフィアを開発したニューコムの技術者であり、策謀の限りを尽くしてオーシア東方地域にニューコム、ゼネラルリソース、UPEOという三つ巴の戦況を作り出した、昨年の戦役の元凶たる男。スフィアの試験を終えてユージアの本社へと帰還した後は、一連の責任を取りニューコム・インフォを辞職したとも聞いている。レフにとっては自身を騙し嘘と策謀によって混沌の戦場へと引きずり込んだ張本人であり、一方で自らを成長させるきっかけとなったスフィアとの接点を作り出したという点で、心象としては複雑な相手でもあった。

 ――その、フォルカーが。ある意味では全ての始まりであり、全てを失ったはずのこの男が、何故今頃未練たらしく、このルーメンにいるというのか。

 

 壁沿いに置かれた棚の上に一端トレーを置き、フォルカーは素知らぬ体でヒカリ達を起こしにかかり始める。

 憑き物の落ちたその相貌と予想外の再会による衝撃に、レフはしばし狐につままれた面持ちで、その光景を呆然と見やっていた。

 

******

 

「何だ、()()()派遣されてたサルベージ船の出所がここだったってのか」

「今時分、ニューコム、ゼネラルのいずれの傘下でもない企業を探すのは難しくてね。オーシア東方地域ではルーメン・メディエイション・エージェンシーしか無かったのさ。その時の縁がきっかけで、ニューコム退職後にここに拾ってもらったという訳だよ」

 

 折り畳み式の机を広げ、にわか仕立ての食卓に一同が就いてしばし。レフの正面のパイプ椅子に腰を下ろしたフォルカーは、コーヒーカップに口を付けながらそう紡いだ。もごもごとパンを頬張るカール、隣席のヒカリと言葉を交わすイングリットの間で、レフもまたパン籠の中のクロワッサンを摘まみ上げてゆく。気を利かせたイングリットが自らの携帯端末を傍に置いてくれたため、今はフォルカーに向かいレフとスフィアの二人が相対している格好であった。

 

 『あの時』とは、言うまでも無く昨年の交戦の最終盤、オーレッド湾での戦いの折の事である。海底に沈むという旧ベルカ軍残党の遺物『ヴァルハラシステム』なるものを回収すべく、フォルカーはこの際にどこからかサルベージ船を調達してきていたのだった。

 語る所は、確かに理に適っている。フォルカー自身がニューコム所属である以上、業務委託の履歴が残るニューコム傘下の企業にサルベージ船を依頼する訳はない。そんなことをすれば、本来の任務でない『何か』にフォルカーが手を出していることは本社に筒抜けになるのは自明の理である。かといって、敵対するゼネラル系列の企業への委託など、本社の経理が通す筈も無いであろう。ニューコムに非ずばゼネラル、ゼネラルに非ずばニューコム。そんな少数寡占状態の現代において、フォルカーがいかにその点に注意を払ったかは想像に難くない。十分の信を置くためにフォルカーがL.M.A.と当時から綿密にやり取りしていたとすれば、フォルカーがニューコム退職後にその縁を頼りにしたというのも頷けるというものであろう。

 

 とはいえ、である。

 

「にしても、お前みたいな疫病神をよくここも受け入れたもんだ。一歩間違えればニューコムとの関係悪化は待ったなしだろうに」

「耳が痛いが、私が仕出かした事態の重大さは私自身も理解している。甘んじて受け入れるとも」

《フォルカーの反省には関心がありませんが、フォルカーの再雇用を認めたというサヤカ支社長には興味があります。昨晩も私は会いましたが、言葉を交わす時間はありませんでしたので》

「…そうだな。私としてもすんなり迎え入れられたのは意外だったが、一つには必要に迫られてだったのだろう。今のご時世、ニューコムやゼネラル派閥に属さない航空電子機器の技師は貴重だ。まして、電子的に複雑な構造を持つコフィンシステムが一般的となった今は、ね」

「ほーん。技術畑はそんなもんなのかねぇ」

 

 話半分、レフは頬杖を突きながら、摘まんだクロワッサンを口へと運ぶ。

 さくり、という軽い食感に、噛み締めるごとに広がる豊潤なバターの香り。生地の仄かな塩気と相まって、五感を絡めた相乗は苦みの効いたコーヒーに心地よい余韻を漂わせてゆく。近場の適当なパン屋から納入していたル・トルゥーアのそれとはまた違う、久方ぶりに旨いクロワッサンであった。

 

 もう一つ、とばかりに手を伸ばしたレフを前に、重なるフォルカーの語り口。上目にそちらを見やりながら、レフはその中身に興味を引かれた。

 

「加えて言えば、サヤカ支社長の人柄…いや、信念に依る所も大きいのだろう。『意志』を持つ人間、『熱』を持った精神――人間らしい人を、支社長は受け入れる。ニューコムで最高のAIを作り上げ、祖父や父に負けない技術者になるという私の夢は潰えたが、幸いにして私の体も、精神も生きている。ここからまた、その夢に向けて歩いてゆくさ」

「ほほう。なるほど、そのために安全性度外視でねぇ…。…いいじゃねえか、興味が湧いた。こう言うのはアレだが、男前で分かりやすくていい」

「…まぁ、時折…いや、しばしばおっかない所もあるがね」

《古風に言う武侠、任侠的な精神構造と言うべきでしょうか。頭より先に手が動くレフには相性がいいかもしれませんね》

「言いやるぜこの野郎」

 

 スフィアの多分に本音混じりな冗談一つ、食卓に響くレフとフォルカーの笑い声。

 それはこんこん、というドアのノック音をかき消して、直後にフォルカーの背後のドアから現れた人影への反応を一拍遅らせる羽目となった。

 

「はぁい、男前でおっかなくて任侠みたいなサヤカ支社長でーす。お(くつろ)ぎの所お邪魔しますね、フォルカーさん」

「……しっ…!!」

「さ、サヤカ支社長!おはようございますっ!!」

「あ、ママ。おはようー」

 

 弾かれたように席を立ち、直立不動で声を上げるカールとイングリット。びくん、と肩を跳ね上げて、一拍遅れて顔を上げたレフの目には、フォルカーの背後にぴったりと立つ黒いスーツの女性が映った。

 サヤカ――話に聞く、サヤカ・タカシナ支社長。カール達の反応に見当を付け、レフはそれとなく探る目を向ける。

 外見は、東洋系らしい黄色みを帯びた肌にショートに整えた黒髪、切れ長の細い目。ヒカリの母親と聞いていたが、ぱっと見た印象ではきめの細かい肌には皺一つ無く、どう見ても30代にしか見えない。一見して微笑を湛えたにこやかな表情を見せているが、その実フォルカーが評したような『おっかない』側面も持っているであろうことは、しばらくここで過ごしていたカールとイングリットの様子からも容易に想像できた。当のフォルカーはといえば、明らかに表情を強張らせたまま、冷や汗を浮かべて俯いている。

 その両肩に手を置かれた拍子に、痙攣するように全身を跳ね上げるフォルカーの様子を目にして、レフは滑稽さと気の毒さが入り混じった感情を抱いていた。

 

「コーヒーがいい香りですねぇ、フォルカーさん。確かお食事をお持ちした後は、会議室でブリーフィングの用意をして頂くようお願いしていた筈ですけどもー」

「は…え…そのいえそのそれは、資料の印刷に時間を要するようでしたのでそれを待つ間彼らと積もる話もあったためでけして怠業していたという訳ではええ、はい、ええ」

 

 サヤカに両肩を揉まれながら、フォルカーの弁明は気の毒なほどに早口となり、末尾に至っては消え入りそうになってゆく。その親指が触れたフォルカーの首元からこき、と音が鳴ったのは、気のせいだと思うことにしておいた。

 脱力して崩れ落ちるフォルカーの前で、レフはパンを置いて立ち上がる。テーブルを隔ててサヤカの正面から相対した格好だが、どこを見ているか分からない目と真意の伺えない表情が、レフにはどこか不気味だった。

 

「レフ・ミハイロヴィチ・ヤコヴレフ。NEUの航空技官です。部下のカールとイングリットが世話になりました」

「あらあらあら、ご丁寧に。改めて、サヤカ・タカシナと申します。私こそ、ヒカリがお世話になりました。大変だったでしょう?」

「あー…いやまあ…」

「あれ?ママ一人?パウラ師匠は?」

「パウラさんは警戒待機中です。今は何かと物騒ですからね。――ああ、正式な自己紹介は、また後程改めて行いましょう。今は少し様子を見に来ただけでしたので」

 

 レフの自己紹介に続くべく席を立ったクルスに、サヤカはふわりと掌を向けて『それには及ばない』と示すように制止する。確かにさして広くないこの部屋では、入れ替わり立ち替わり名乗ってゆくのには少々手狭だろう。こちらとしても異議は無い以上、サヤカの提案に従っておくのが賢明だった。クルスも同意見らしく、『は、それでは』と恭しく首肯を返している。

 

「それでは、一旦失礼いたします。フォルカーさん、あとはよろしくお願いしますね」

 

 立ち去り際のサヤカの言葉に、項垂れていたフォルカーの上半身がぴんと伸びて不動を示す。

 一連の両者のやり取りに、フォルカーの今の立場を垣間見たような気がした。

 

******

 

「――それでは、自己紹介も終わった所ですが。早速、ご依頼の情報提供に参ろうかと思います。情報料、手数料等は後日各々様方の所属に請求書をお送りさせて頂きますので、ご了承ください」

 

 朝食のひと時を終え、1時間ほどが経過した頃。L.M.A.の会議室の中で、正面ディスプレイの傍らに立つサヤカはそこで言葉を一旦区切った。合して10人ほどが掛けられる大机の外縁に並ぶのは、レフら3人のキャンサー隊とフォルカー、クルスとその副官、ヒカリ、アレックスの計8人。レフの前にはスフィアが陣取る携帯端末が置かれ、そのディスプレイの淡く緑色を帯びた光が暗い室内を仄かに照らしている。今ここにいる人数に加え、今は待機しているエスクード隊の生存者3人とジェミニ隊の4人を加えた15人が、ここルーメンに集った戦力の全てという訳であった。

 

「…なあイングリット。『ご依頼の情報提供』…って何の事だ?」

「あー…昨晩は慌ただしかったですから、覚えてないですよね。ここに到着してすぐ、あのGRDFの人がサヤカ支社長に依頼していたんです。『夜が明けたら、目下の状況を整理したい』って」

「マジか。全く聞いた覚えが無ぇ。…その辺は流石に抜け目ないな、あのオッサンは」

 

 ふと生じた小さな疑問に、レフは声を潜めて傍らのイングリットへ顔を寄せる。返って来た答えからするに、昨晩の着陸後すぐ、GRDFの人間――すなわちアレックスがサヤカへ情報提供を依頼していたらしい。ヒカリの言によるとアレックスとサヤカは面識があるようだが、それにしても要領がいいと言うべきか、油断も隙も無いと言うべきか。

 思惟に引かれるように、自ずとアレックスへと向かうレフの瞳。泰然と構えた姿がそこに映った拍子にこほん、というサヤカの咳払いが重なり、レフは慌ててサヤカへと目を向けた。

 

「釈迦に説法のようで恐縮ですが、まずは『ウロボロス』が各地を席巻しつつある目下の状況について整理いたします。なおこちらの戦況情報は、オーキャス14さんが『ウロボロス』から奪取した情報と、私どもが収集した情報を総合したものとなっておりますので、確度は程よくご勘案くださいませ。それでは、はじまりはじまりー」

「………」

 

 緊張した空気の中に緩んだサヤカの末尾が重なり、『いえーい』とヒカリが合いの手を入れる。相応じるタカシナ母子の他に言葉を上げる者は無く――あるいは気安く応じてよいかの判断が付かず――、レフもまた神妙な面持ちで沈黙を貫いた。自分と比べてサヤカとの付き合いが長いカールとイングリットの動じていない様子から察するに、おそらくこれが普段のサヤカの様なのだろう。

 間、一拍。サヤカが掌の端末を操作し始めると、それに応ずるように正面に地図が表示され、続けざまに各所へ赤い丸印が映し出されていった。地形と表示の地名から判断するに、どうやらオーレッド湾を中心としたオーシア東方地域の俯瞰図らしい。

 

「まず、各勢力の現状ですが――」

 

 そう前置き、サヤカは正面ディスプレイ上のポインタを操作しながら説明を加えてゆく。

 曰く、既存勢力の状況はいずれも芳しくない。

 まず最大勢力であるゼネラルリソースだが、オーシア東方各国に駐留するGRDFは各個撃破されつつあり、ゼネラル経済圏下の各郡は分断状態にあるのだという。最前線たる旧ウスティオからはその勢力は既に駆逐され尽くし、残る地域のうち旧レクタ首都のコール周辺とラティオ中部以西に残存戦力を集結させ、『ウロボロス』へ抵抗しているというのがその現状であった。頼みの綱として派遣された『ラーズグリーズ』艦隊も先日の戦闘で壊滅し、辛くも戦没から免れた空母『ニョルズⅡ』ほか数隻がラティオ南部のフィネッタ軍港に残るのみという有り様である。最大勢力ゆえに『ウロボロス』の優先目標となった為か、その惨状は往時からかけ離れてしまっていると言っていい。

 

 これに対し、第二勢力のニューコムは事情が少々異なる。

 対『ウロボロス』戦線においてゼネラルリソースが前線の維持に注力したのと対照的に、ニューコムは末葉の拠点を早々に切り捨て、各地の中心拠点へ戦力を集中させる方針を取っていたのである。結果、初動の速さにも関わらず戦力を浪費し続けたGRDFが現状に逼塞したのに対し、NEUは旧ベルカの『アヴァロン』と旧サピンのグラン・ルギドに戦力を集結・維持するのに成功した訳であった。いわばニューコムは自らの経済圏維持を捨てて戦力確保を優先したのであり、国土という概念を持たない経済戦争という世情ならではの発想と言えるであろう。オステアに集結した戦力こそ潰えてしまったものの、依然としてクルスの祖父ニコラスが指揮するNEU本隊がサピンに勢力を維持しているという点で、対『ウロボロス』の戦力としては第一等と評してよかった。

 

 残る第三勢力のUPEOだが、こちらは詳細を聞くまでも無く、当てになるとは言い難い。

 というのも、UPEOについてはそもそもその戦力、練度ともに他の二勢力に劣っていた上、その指揮官たるギルバート・パーク自らが『ウロボロス』への転向を表明していたという背景があったためである。その結果、オーシア周辺のUPEOは恭順派と抗戦派に分裂して相争いひたすらに戦力を摩耗。恭順派の多くは各地の『ウロボロス』拠点へ合流し、抗戦派は殆どの拠点を捨ててオーシア首都オーレッドへと撤退して、空母『ヴァルチャー』を主軸として徹底抗戦の構えを示しているということであった。いくら大型空母を維持しているとはいえ、その保有戦力は些か心もとなく、対『ウロボロス』の局面では期待できないと言う他無かった。

 

「当面の最大戦力は、ニコラスおじい様のグラン・ルギド駐留部隊という事ですね。『アヴァロン』の主力部隊を併せたスーデントール挟撃が定石でしょうか」

「ところが、そう一概にも申せません。こちらをご覧ください。現時点で判明している、各地の『ウロボロス』拠点です」

 

 サヤカが手元の端末を操作したその一瞬後、戦況判断を示したクルスの表情が曇ってゆく。サピンの英雄と謳われた祖父ニコラスの薫陶を受け、幹部候補生として一定の地政学を学んだらしいクルスの目は、正面へと表示された『ウロボロス』の戦略図の一見だけで必要な情報を読み取ったのだろう。レフはおおよそ戦略眼というものに疎いものの、それでも素人目に概観して、オーシア東方地域の『ウロボロス』側拠点の強大さに今更ながら目を見張る思いだった。

 

 サヤカ曰く、それぞれの位置と保有戦力を踏まえると、『ウロボロス』の重要拠点は4か所に集約できるという。

 

 一つには、言うまでも無く昨日までレフやクルスらが囚われていた旧ノースオーシア州スーデントールである。オーシア東方方面における『ウロボロス』の作戦指揮機能や陸空の主力はここに置かれており、いわば『ウロボロス』の頭脳とでも言うべき位置づけの拠点であった。フォルカーの補足によれば、旧ノースオーシア・グランダーIG社の工廠を流用したニューコム・インフォの次世代型実験機の開発工廠も付近の山脈内に設けられているらしく、いずれの面から見ても最重要拠点と言えるだろう。レフらの逃走劇による被害とカプチェンコの死でどの程度影響が出ているかは判然としないが、その指揮機能は未だ維持されているというのがサヤカの読みであった。

 

 第2の拠点は、サピンとオーシアの間を結ぶフトゥーロ運河である。この運河はオーレッド湾からオーシア領の五大湖を繋ぐ海運の要所であり、『ウロボロス』にとっては海上輸送で運び込んだ物資を本拠スーデントールへ空輸するための海運の終着点でもある。自らの経済圏を持たない『ウロボロス』にとっては、補給を担う拠点として大動脈にも等しい箇所と言ってよかった。その重要性は『ウロボロス』も認識しているらしく、フトゥーロ運河の護岸にはGRDFから鹵獲した無人艦隊『レギンレイヴ』を配備し、独自に保有していた潜水艦部隊も湾口に遊弋しているという。

 この辺りまでは、『ウロボロス』で一連の作戦に携わっていたレフも把握している内容であった。

 

 問題は、ここからである。

 3つ目の拠点は深く内陸に位置する、旧ベルカ領シルム山脈内のイェリング廃鉱。何とここには、以前目にした空中空母『クラリア・ラベス』および『メラス』の補給基地があるというのだ。

 そもそもイェリング鉱山は、廃鉱となった後にもベルカ公国軍やその残党組織によって運用されてきた経歴がある。かつて鉱山として栄えていたために、山岳地帯としては例外的に開けた立地と、鉱物資源を輸送するために発達した河川輸送路を持ち、なおかつ他国から山脈によって隔てられているという条件が防衛拠点として優れていると見なされたためである。護りやすく攻め難い拠点に空中空母が居座られては、他拠点の攻撃や長距離の奇襲すらも成功は覚束ない。

 この時点だけでも、こちらとしては十分すぎるほどの脅威である。しかし、耳を疑うサヤカの解説は、それに終わらなかった。

 

 落盤して久しい、イェリング鉱山の廃坑内。そこに眠る遺産――旧ベルカ公国軍が遺した核兵器を、『ウロボロス』は発掘しようとしているというのだ。

 事の起こりは、2010年の環太平洋戦争。この戦争を裏で煽動していたベルカ残党はここに拠点を置き、切り札として旧ベルカ公国軍が開発した核兵器『V2』を廃坑に隠匿していたのである。結局これらは使用されることがないまま、時のオーシア大統領直轄の特殊部隊による爆撃で廃坑を塞がれ、物理的に封印を施されるという結末を辿っていた。すなわち、封印といってもその実態は廃坑を崩してV()2()()()()()()()()()()だけであったため、V2そのものは今もなお残存していたのである。

 戦後にオーシアがV2を発掘して適切に封印を施さなかった理由は、当時の国際情勢に理由がある。

 環太平洋戦争において尖鋭化したオーシアとユークトバニアの対立は、その終結とともに融和へと傾いたのであるが、その融和ムードの中で当事者たるオーシアが核兵器を発掘するという行為は到底できなかった、というのがその最たる理由であった。9年後の灯台戦争勃発当初にもV2発掘論は再燃したものの、相手国たるエルジアがオーシアの非人道的行為を指弾する国際戦略を取ったことから、こちらも立ち消えとなった経緯もある。やがて訪れた2大企業体制と国家権力の衰退に伴い、イェリング廃鉱とその中に眠るV2は、オーシアの掌の中で宙に浮いた存在となっていたのだった。

 

「――もっとも以上の経緯も、V2の存在も、本来はオーシアの上層部や旧ベルカ関係者しか知りえない筈の情報ではありますが。どこから『ウロボロス』は知り得たのでしょうねぇ。情報漏洩は忌むべきことと、私も他山の石程度には記憶しておきたい事ではございます」

「ベルカ関係者ねぇ…」

 

 事態の背景までに大して興味はなく、レフは話半分にサヤカの言葉を聞き流す。ベルカ出身といえば、フォルカーと隣のイングリット。いや、そういえばカールもベルカ出身だったか。思い返せば、キャンサー隊の関係者はベルカ出身ばかりではないか。――別に、だからどうという話ではないのだが。

 益体も無い思考をよそに、サヤカの言葉は続いてゆく。長々と喋っているにも関わらず、その声音や調子には疲労の色一つ浮かんではいない。

 

 4つ目の拠点は、旧ウスティオ領ソーリス・オルトゥス郊外。

 現郡都のディレクタスからほど近いこの地には、現在『ウロボロス』の陸空の戦力が集結しており、サピン方面への攻撃拠点として整備されているという。これまでの彼我の状況を省みれば、『ウロボロス』が当面最大の脅威をグラン・ルギドのNEU本隊と定め、サピン国境に近いこの地を拠点として選んだのはなんら不思議はない。本来これを抑える筈のオステア基地は既に無く、実質的にこのソーリス・オルトゥスとグラン・ルギドこそが、対面する両勢力の最前線と言ってよかった。

 

 地図を概観すれば、ソーリス・オルトゥスとスーデントール、シルム山脈はウスティオ中部からベルカ西部を貫く一直線で結ばれ、フトゥーロ運河とともにノースオーシア州を含む鋭角の三角形を描く構図となっている。ここルーメンはシルム山脈とフトゥーロ運河を結ぶ長辺からやや西に外れた位置にあるというのが、おおよそで捉えた現在の位置関係であった。

 

 サヤカの言葉はそこで途切れ、重々しい沈黙が暗い部屋を塗り潰してゆく。絶望的な戦況と圧倒的な戦力差、そして先の見えない状況に、誰もが等しく絶望に囚われているのは明白だった。

 

「……旧ベルカ公国の遺産。核兵器まで持ち出す積りだったなんて…」

「空中空母にゼネラル最新鋭の艦隊、それにスーデントールの実験施設…。課題は山積みだな。サヤカ支社長、我々はどう動くべきでしょう」

 

 不安に堪えず零したイングリットに、続くフォルカーの問いかけがサヤカへと向かう。自身一党の感が強かったフォルカーがこのように聞く辺り、サヤカの辣腕を総統に信頼しているということなのだろう。

 ――だが。

 にこり、とサヤカが一瞬向けた冷たい一瞥に、フォルカーが身震いするのをレフは見て取った。

 

「あら、あらあらあら。フォルカーさん、勘違いはいけません。我々はあくまで、みんなの背中を押す企業。私どもが当事者になることなど、あってはなりません」

「…え?」

「さ、それでは皆様。今後、どうなさいますか?ご用命でしたら、何なりとお申し付けください」

「…え。ええ!?ママが指揮してくれるんじゃないの!?『プリンシペ・デ・アルルニア』だってママが保護してたからてっきり…!」

「あらあらあら、いけませんよヒカリ、あなたまでそんなことを言って。誰かの為を想う人の為に――自ら『想う』人の為に力を貸すと、常々言っていたでしょうに。それにかの艦は、補給を要請されたので保護したまで。…うふふ、『奇貨居くべし』とも申しますし」

「嘘ー!?」

 

 耳をつんざくヒカリの声が部屋に響き渡り、カールやイングリット、フォルカーも驚愕の表情を浮かべてサヤカの相貌を見つめている。日頃からサヤカに接していた面々にとって、その判断はそれだけ予想外だったということなのだろう。先のフォルカーの言葉もそうだが、それは普段からサヤカの行動力や果断さが際立っており、それだけ信を置いていたことの証左にも他ならない。

 

 だが4人の動揺をよそに、レフは自分自身存外なほどに、サヤカの主張に納得していた。

 言ってしまえば、確かにL.M.A.は一企業に――それもゼネラルリソースやニューコムと関りの無い民間企業に過ぎない。その長たるサヤカに、『ウロボロス』を打倒し2大企業秩序を復活させるための指揮を委ねるというのは、確かにお門違いであろう。あくまで当事者はニューコムやゼネラルに所属する自分たちであり、当然指揮決定もそれらが行うべきだというのは、確かに筋が通っている。

 

「サヤカ支社長の判断。道理だと思うが、どうかな」

 

 腕組みをしていたアレックスが瞼を上げ、口を開くとともにちらりとこちらを見やる。どうやらアレックスも同じように判断したらしく、レフはそれに応ずるように軽く首肯して言葉を接いだ。

 

「俺も同感だ。俺たちのケツはあくまで俺らで拭けっていうのは、俺には納得できる」

「レフ…!?」

「クルス顧問航空技官。あんたはどう思う」

「…私は………」

 

 驚いたような声を挟むカールをよそに、レフはその頭を飛び越してクルスの方へと向かう。

 サピンの英雄の孫としての誇り。『ウロボロス』に囚われかつての友軍を攻撃してしまったがゆえの挫折。そして、奇跡的とも言える今回の救出劇。それらが脳裏に去来したがゆえだろう、クルスは言葉を濁し、僅かに目を伏せた。

 目を閉じる。

 唇を噛み締め、深く息を吐く。

 掲げた右手、その掌を自らの胸へ。己に問いかけ、覚悟を決めるようにその拳を握りしめてゆく。

 じわりと開き、レフへとまっすぐに向いた青い瞳。その中には、迷いを帯びながらも確かに未来を見据える確とした熱が見て取れた。

 

「…そうだな。迷いは未だにあるが、いつまでも悩んではいられない。我々が指揮官となって、ニューコムを…いや、世界を救うしかない。私は、賛同する」

「隊長…!」

「決まりだな。サヤカ支社長、これでいいんだな。対『ウロボロス』の方針は、クルス顧問とアレックス、俺が前線指揮官として決定する。あんたたちL.M.A.は、それをバックアップする。その間に生じた費用は、後日全額を各企業とUPEOへ請求する」

 

 ゆっくりと腰を上げ、レフはまっすぐにサヤカの瞳を見据えてゆく。

 同じく瞳を流すアレックス、力強く首肯するクルスと合し、熱とともに示された三者三様の意思。それらに動じることなく正面から受け切って、サヤカは満足そうに唇を綻ばせた。

 

「ええ、ええ。結構でございます。――うふふ、久方ぶりに良いものを見させていただきました。懐かしいものですね」

「あ!じゃあじゃあ、あたしも指揮官やるやる!こう見えて2番機としては長年の…」

「いや、お前はやめとけ」

「そうだな。今回は戦術眼も戦略観も求められる局面だ」

「ま、まあ…人には向き不向きもあるので」

「満場一致で否決!?」

「ささヒカリ、今は大事なお話し中ですから。座って座って」

「ママまで!?」

 

 いかにも心外と言わんばかりにヒカリが叫ぶや、その滑稽なその様子にそこここから笑い声が零れる。当の本人もちぇー、と漏らしながら渋々腰を下ろしたあたり、さらさらと流して気には留めていないのだろう。さっぱりとしたその気質は、確かにサヤカと親子の繋がりを感じさせるものだった。

 依然として先の見えない状況ではあるが、そこに差し込む一筋の光を――結束した人の意思を象徴するように、陰鬱な空気は笑い声を前にひと時吹き飛ばされてゆく。

 

 揺れた空気に煽られて、暗幕のカーテンから漏れた明るく透き通る陽光が、暗い屋内をゆらゆらと照らしていた。




《こちら支社長です。整備部長、『例の機体』の整備と()()()()の調整を、予定を早めて進めておいてください。……ええ、ええ。必要な資材は優先的に配分しますので、要求は先に秘書室を通してくださいますように。
 …いえ、いえ。特にどうということはございません。ただ――そうですね、()()が久方ぶりに陽の目を浴びる機会が、存外に早く訪れるかもしれない。そう、感じただけですから》

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