Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere - 作:びわ之樹
遠景に屹立する灰色の鉄塔が、夕日を受けて紅く染まっている。
郷愁を覚える静かな光景と相反し、アスファルト固めの地面の上には人、人、また人。その多くはNEUの制服を纏った軍人か、はたまた撮影機器やメモ用の電子バインダーを携えたマスコミ関係者らしく、薄紅の空気は騒々しいざわめきにさざめくように揺れている。
サピン行政区郡都、グラン・ルギド郊外に位置するサン・モンテルロ特別区。かつて首都防空部隊が居を構え、今や臨時的にNEUの対『ウロボロス』拠点となった空港が横たわるその地は、今は哀愁と静かな熱狂の渦に包まれている。頽勢続きで久しく覚えていなかったその感覚を肌で感じながらも、濃緑色のツナギに身を包んだ男――アレックス・ウルフは、それを傍観者のようなどこか冷めた目で俯瞰していた。
「急報を受け、ニコラス閣下は急ぎこちらに向かっておいでとのことです。到着までもうわずかかと」
「承知した。…ふふ、一
基地司令部棟の前に集う人々の中心に立つクルス・コンテスティは、基地スタッフの報告を受けて苦笑しながら独り言つ。先ほどからマスコミの面々は遠慮会釈なくフラッシュを焚き続けているが、それに怖じることなく平常心を貫いているのは流石と言えるだろう。クルスの隣に立っている副官らが明らかに固くなっているのとは対照的に、その所作は気取らず自然体を保っており、何ともなれば撮られることをそれとなく意識する余裕すら見て取れる。何せ、多くのマスコミを招いた、サピンの象徴たる祖父と孫の感動の再会なのである。今更ここで消耗した姿や動揺する様子をカメラに晒す訳にはいかない。
公式には行方不明扱いとなっていたクルスが、民間人に偽装して突如NEU勢力圏内の空港に降り立つ。全ては、ルーメン出立とともにサヤカがサピンのマスコミへ打ったその情報が始まりだった。クルスのグラン・ルギド到着前後から真偽を確かめる電話がひっきりなしに基地へと入り、それが確からしいと確証を得られた段階で、NEUは急遽クルスとニコラスの会見の場を用意したのである。その間、アレックスは『エスクード隊を移送した民間会社のスタッフ』然とした様子で自然に付き従いながら、急転直下の一部始終を具に眺めていた。
サピンに到着したその日のうちに、クルスらエスクード隊の面々は降り立った民間空港から陸路でサン・モンテルロへと移送され、ニコラスもまた公務を切り上げて、急遽セッティングされた感動の再会の会場へと急行するという手際の良さ。その点にアレックスは思わず舌を巻くと同時に、反撃の糸口を掴むことに懸命となっているNEUの苦境も見て取った。
事実、事を冷静に俯瞰すれば、これは捕虜となっていた一兵士の原隊復帰に過ぎないのである。なるほど確かにその脱走劇こそ興味を誘う話柄ではあるだろうが、だからといってグラン・ルギドを挙げて大々的に取り上げる程の事ではない。
だが、『ウロボロス』の隆盛により行政圏の北部を蚕食され、ベルカを始めとした他の行政区との連絡も絶たれた今。『サピンの英雄』ニコラスの孫であり、NEUきってのエースパイロットでもあるクルスの復活は、NEUの反撃の旗印としてこの上なくおあつらえ向きの出来事である。一パイロットの復帰をここまで演出し、反撃の契機にまで昇華させたNEUの手際は、翻って藁をも掴みたいほどに困窮したNEUの内情を示す証左ではないか。少なくとも、基地スタッフに混じりエスクード隊やマスコミを遠巻きに眺めるアレックスには、そう思わずにはいられなかった。
「ニコラス閣下が到着されました」
基地の責任者らしい男の声が響くや、一帯は水を打ったように静まり返る。
空気が張り詰める感覚。息を殺し、誰かが固唾を呑む気配。やがてそれらは、どたどたという足音と、徐々に露わになってゆく幾人かの人影へ、それらが仄伺える司令部棟のドアの方へと集中してゆく。
その先頭の人物――初老のニコラス・コンテスティが夕日の中へと降り立った瞬間。その顔はフラッシュに眩むことなくクルスの元へと注がれ、喜びとも、悲しみともつかぬ複雑な表情を相貌へと刻みつけていた。
「クルス!」
「ニコラス航空参事、ご足労いただき、申し訳ありません。クルス・コンテスティ、只今を以て原隊に…」
「………クルス!!」
一歩、二歩。他のものは目に入らずというように、ニコラスはたどたどしく歩を進めてゆく。敬礼を示したクルスが言葉を紡ぐ間にも、それはやがて駆け足となり、涙を浮かべ――クルスの言葉を切るように、ニコラスは痩せた孫の体を両腕で抱いた。
行方知れずとなっていた孫を労わり抱く、祖父の姿。そこには名声も階級も、立場さえも忘れた、ただ一人のニコラス・コンテスティという初老の男の姿だけがあった。
「クルス!…クルス!!ああ、こんなにも痩せて!……大変だったろう、辛かったろう、苦しかったろう…!」
「…ニコラス航空参事…」
「もういい、もういいんだ。ここは…サピンはお前の家だ。俺達が愛した故郷だ。ここには、お前を害するものは何もない。……ああ、畜生、腕までこんなに細くなって…」
「………おじい様……!!」
クルスの目から零れる、一筋の涙。繋ぎとめていた感情の堰が切れたかのように、それはやがて滂沱のような涙となり、クルスの頬を濡らしていった。語る言葉は溢れる感情に流されて、ただただ相抱き合う祖父と孫の姿と嗚咽だけが、紅い夕日の下に照らされている。気づけば周囲のそこここからも啜り上げるような吐息が漏れ聞こえ、クルスの副官に至っては外聞もなく顔をぐしゃぐしゃに濡らして号泣していた。この期に及んでフラッシュを焚く不心得者もいないのだろう、気づけばNEUの人間はおろかマスコミの面々すらも、感動と静寂の中に静まり返っている。
血縁が、サピンの英雄と英雄が紡ぐ、感動の再会。
しかしそれに目を奪われることなく、アレックスは一人の男に意識を向けていた。
ニコラスの後ろに控えていた、NEUの幹部級職員や護衛と思しき数名の集団。その中に、見覚えのある懐かしい顔を発見したのである。なるほど話に聞いた通り、現役の頃と比べて些か肉が付き、傭兵らしい鋭い気迫も衰えた感はあるが、それでも顔の至る所に刻まれた傷跡と、目の奥に宿る熱は変えようがない。
注がれる視線に気づいたのだろう、NEUの事務職員の制服に身を包んだその男が、一瞬驚いた様子でアレックスへと目を向ける。
やはり、間違いない。確信とともに、アレックスは無言で頷いて男へと視線で意思を送る。おそらくはその意図が伝わったのだろう、僅かに首を後方へとしゃくって合図した男は、一瞬後にはあたかも感動に堪えないという風情で顔を覆って、司令部棟の中へと消えていった。
『ついて来い』。
同じ戦場に立った者同士のみが分かる、以心伝心の感覚が告げるはその言葉。
アレックスはちら、と周囲を見やり、一歩、二歩とさりげなく後退して、やがてマスコミの人だかりへと消えていった。
******
「驚いたな。まさかお前がここにいるとは、アレックス」
「こちらこそです。…いや、話には聞いていましたが。まさか本当に敵中を突破してグラン・ルギドに辿り着いているとは、正直半信半疑でした。ご健勝で何よりです」
「話に?…ははあ、成程。そうかそうか。では、あいつらも元気のようだな」
「ええ。ニムロッド隊をかつて率いていた貴方の事です。
言葉の裏に隠した意図に、男はふ、と苦笑し言葉を濁す。かつてと変わらぬ注意深いその様に、アレックスは思わず口元を綻ばせた。その相貌はスーデントールやルーメンでレフ達に相対した際の厳しいものとは裏腹に、心から気を許す穏やかなものとなっている。離れて幾年経とうとも、命を預けて共に立った紐帯と実感は薄まり様がない。
マスコミ取材の喧騒を遠くに窺う、司令部棟脇の倉庫裏手。壁に背を預ける中肉創身の男――おやっさんことカルロス・グロバールと、それを前に談笑するアレックス・ウルフの姿がそこにはあった。建物の影であるため周囲はやや薄暗く、見渡す限り2人の他に人影も見当たらない。
民間軍事会社『レオナルド&ルーカス安全保障』からゼネラルリソースへの移籍を経て、共に翼を並べること20年近く。カルロスは、アレックスが率いているGRDFの航空部隊『ニムロッド隊』の先代隊長であった。以前カルロスがレフへと語った通り、2026年の対ゼネラル同時テロの際の失態でカルロスがGRDFを退職して以降は、副官であったアレックスがニムロッド隊の隊長に就任した、というのがその経緯である。それ以来の14年間、二人は連絡一つ行ってこなかった――正確には、アレックスは幾度となくカルロスへ連絡を図ったのだが、カルロスの消息は杳として知れなかったという背景もある。かつての隊長と部下という間柄、14年と言う歳月の間に積もり積もった話は、それこそ山のようにあった。
かつて共に飛んでいた仲間の今。カルロスのル・トルゥーアでの暮らしと、レフ達キャンサー隊との笑い話。結局互いに嫁のなり手がいなかった事の嘆きと自棄気味の笑い声。そして、カルロスがGRDFを辞めて以降のニムロッド隊の軌跡。尽きぬ話題はやがて昔から今へと移り、アレックスがここに至った経緯と、その挫折へと移ろいでゆく。
オーシア東方地域におけるニューコムとの抗争と、示威行為や資源地帯への攻撃を主とした終わらぬ経済戦争の有り様。勃興する『ウロボロス』。『ラーズグリーズ』らGRDF連合艦隊壊滅の顛末と、部下を失い捕虜となった経緯。レフやヒカリとの出会い、脱走、ルーメンでの今。語るごとにアレックスの口は重く暗く沈んでゆき、苦い過去は否応なく意識の表層へと浮かび上がってくる。
全てを語り終えた後。アレックスは深いため息とともに、感情を吐露するようにカルロスへと思いを紡いでいた。
「…護るべき艦隊を失い、率いるべき部下を喪い、貴方から受け継いだ信念は、……もはや、敗北と屈辱に塗れたものへと成り果てました。……護り通せなかったのです。仲間も、貴方の信念も」
「………」
「信念を汚してしまった私には、もうニムロッド隊を率いる資格は無い。…お願いです。GRDFへ戻ってください、カルロス隊長。何もパイロットとしてではなくていい。参謀として、アドバイザーとして…後進へ正しく、ニムロッド隊の信念を伝えなければならないのです」
「……アレックス」
か細く、縋るように紡ぐ声。受け継いだものを全うできなかった情けなさと胸を圧し潰す葛藤に、心の臓
は千々に乱れて拍を刻み、苦悶に噛み締める奥歯はぎりりと音を漏らしている。
間、一拍。
応ずるカルロスの口から漏れたのは、呆れたような溜め息一つ。そして、意思と信念を今なお宿す、熱を持った言葉の奔流だった。
「そうか。…そうだったか。
「…隊長?」
「いいか、アレックス。戦いの空を飛ぶに当たり、信念は確かに重要なものだ。今まで何度も示した通りな。信念は『指針』。価値判断の基準であり、迷った時の標であり、心の支えだ。――だがな。指針はあくまで指針だ。それはけして『目的』じゃねえ!そこを履き違えるな!!…『信念』を護るために自分自身を犠牲にして何になる…!」
「……指針と、目的…」
「そうだ。船の羅針盤を考えてみろ。羅針盤は、行き先を示す絶対的な標だ。だが、目的地の途中に岩礁があったり、海流が渦を巻いていたらどうする。頑なに羅針盤を信じてそのまま沈む奴がいるか?――ベルカ戦争の頃から今まで、俺はそんな奴らを何人も見て来た。皆強く、あまりにも純粋で、…鋭すぎた。自分の力だけじゃどうにもならない、命を脅かすほど『大きなもの』を前に、信念を曲げることを知らなかったんだ。お前には、そうなって欲しくない。信念の意味を教えながら、信念の意義を伝えきれなかったあいつの…エリク・ボルストの二の舞にはなって欲しくないんだ」
「………隊長……」
悲哀を帯びた内省は、怒りへ、次いで祈るような声音へ。カルロスが怒るであろうことは予期していたが、予想以上に激しい感情の渦に、アレックスはしばし呆然と口を開ける。カルロスのその感情と意思の源たる、最後に口にした人物の名前には、アレックスも聞き覚えがあった。
東方戦争の折、まだカルロスとともに民間軍事会社に所属していた頃。エリク・ボルストはベルカ残党の策略により祖国レクタを追われ、一傭兵としてサピンに身を寄せる人物だった。当時サピン王国空軍に派遣されていたニムロッド隊は、そこでエリクという人物に知り合う機会があったのである。
とはいえ、アレックスはカルロスほどにエリクと接点があった訳では無い。深く知り合う前にエリクは程なくサピン軍を脱走し、当時のL.M.A.に身を寄せて独りベルカ残党に対し反撃を開始。その最終盤でオーレッドを護り戦死したという顛末を、カルロスから仄聞する程度の知識しか持ち合わせていなかった。言うまでも無くエリクがサヤカの夫でありヒカリの父親であることも知っていたが、何せ戦死の経緯が経緯である。敢えて二人に対し、エリクの人となりを聞くことは自ら憚っていたのであった。
だが、先のカルロスの独白を聞いて、アレックスはカルロスとエリクの間の関りを、朧ながらに理解した。かつてエリクが絶望の淵に沈んでいた――亡き仲間の復讐を果たし、その結果空っぽになってしまった――ことがあった際に、おそらくカルロスはエリクに対して『信念』の話をしたのだろう。そしておそらくは、共にいた時間があまりにも短かったゆえに、『信念』という概念に対するスタンスを伝え損ね、その点に深く後悔しているのではないか。真実は最早カルロス独りの胸の中だが、先の言葉とこれまでの経緯を見て来たアレックスには、そうとしか思えなかった。
死なない。死なせない。
一見『信念』という概念とは相反する、しかし中庸を是とするニムロッド隊の精神そのものと言っていい『信念』。その神髄を伝えぬまま、自分を死なせない。その意志は、何より深く刺さるように、それでいてじわりと染み入るように、アレックスの心に伝わっていった。
「…ま、何が言いたいかというとだ。今更GRDFには戻れん。何より今はニコラスの補佐で忙しい。戦略面ではあいつの壮大な視野が光るが、殊戦術面では不安も残るんでな。脇を固める補佐役はいるに越したことは無い。そういう訳だ、
紡ぎ繋いだ言葉の糸に結びを付けるように、間に入れた息一拍。それを境にカルロスはにへ、と相好を崩し、表裏の無い好々爺のような相貌となってアレックスへと笑って見せた。『伝えるものは伝えきった』。そう無言に語る表情からは厳が取れ、とても戦場に立つパイロットであったとは伺うことはできない。おそらくきっと、彼ら――レフ達に見せていた普段の表情とは、こういうものだったのだろう。
止まっていられない。負けていられない。隊長にも、レフにも。
心に吹く清涼な風に乗り、抱く言葉は短い感慨。何せ、事こうなっては、対『ウロボロス』反乱分子で前線に立つ最年長は自分なのだ。いつまでも、情けない姿を見せる訳にはいかなかった。
「…愚問でした。隊長――いえ、カルロス先代隊長。やはり、貴方に会えて良かった。もう、私は迷わない。受け継いだ信念の神髄を、次代の『ニムロッド』へ受け継いで行きます。その為にも対『ウロボロス』戦は、必ず成功させなければならない」
「ほう。どうする積りだ?」
「まずはラティオへ渡り、GRDF残存部隊と合流します。申し訳ないですが、練習機でも何でも構わないので、機体を1機融通してください。…私の階級と立場では、どれだけ時間がかかるか分からない。それでも必ず、ラティオやレクタに残存したGRDFを動かして見せます」
「はは、その意気だ、アレックス隊長。そんな大それたことは、ワシも先代隊長もできた試しは無い。一軍を動かして劣勢をひっくり返してみろ。ワシらなんか目じゃない、オーレリアの『南十字星』にも匹敵する大殊勲だ」
「やって見せます。私もまた、中庸にして無形を是とする、ニムロッド隊の一員なのですから」
満ちる意思、定まる
大きく頷き一つ、『機体の手配は任せろ』とだけ言い残し、カルロスは司令部棟の扉の奥へと消えていく。
もう迷うことはない。潰れることもない。洗われた信念を新たに宿して、アレックスもまた建物の影から影へとその身を消していった。
建物の向こうからは、歓声と拍手の音、複数人が話す大声にがちゃがちゃと金属がぶつかり合う音が響いて来る。ニコラスとクルスの再会がひと段落し、一般に向けた会見の準備が進められているのに違いなかった。
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《判断が遅い!後ろを取られたら機動を瞬時に判断しろ!》
「やってるっつうの!
《今まで機体性能に依存してきたツケだ。性能が劣っているならそれだけ速く判断しろ、ということだ!》
太陽を背に受ける二つの機影が、青空に白く幾何学模様を刻んでゆく。
旋回、下降、急上昇。
背を捉える三角翼の機体――J-10XD2に対し、あらゆる回避運動を以てなお、F-104XDはその矛先から逃れること能わない。互いの背を捉えるべく小さな機影が旋回を重ねるその様は、あたかも大空と言う名の箱庭を舞台とした、三次元的な
ルーメンより南へ2㎞ほどを隔てた、人家の絶えた広原上空。実戦さながらに罵倒の飛び交うレフとパウラの模擬戦を、高度3000ほどに捉えることができる。戦闘空域から離れていることもあり、周囲には機影一つなく、それゆえに視界の範囲は全て模擬戦のフィールドとでも言うべき状況であった。
かねてよりの作戦方針である『ウロボロス』の補給路遮断のためにカール達やジェミニ隊が不在となった折、唐突にパウラに『顔を貸せ』と言われて飛び立ってから30分ほど。有無を言わせず巻き込まれたのが、この過酷と言うも愚かな実戦形式の模擬戦だったという訳である。既に相当な時間を空戦機動に割いているが、彼我の機体性能を差し引いてもなお、レフはパウラの『ファイアバード』を射界に捉えることすら叶っていない。
《どうした、その程度か!そんなものではヒカリの足元にも及ばないぞ!》
「うるせえな、分かってるよそれくらい!」
《パウラ主任のJ-10XD2、後方射撃位置に3秒間占位しました。これで3回目の撃墜ですね、レフ。がんばれー》
「にゃろ…!こいつなら…どうだ!」
《!》
スフィアの棒読みな声援にか、傍若無人なパウラの物言いにか、それとも全く歯が立たない己の技量へか。スフィアの言葉にかちん、と感情を突沸させたレフは、スロットルを開くとともに操縦桿を引き、『スターファイター』の鼻先を上げて加速急上昇に入った。狙いは言わずもがな、レフの得意たる頭上からの逆落としである。縦横ともに運動性の低いF-104では精密な狙いを付けることは困難だが、機体の軽量さと優れた推力重量比を活かした頭上からの追撃速度であれば『スターファイターⅡ』は『オルシナス』を上回る。旋回を多用する格闘戦で勝ち目がない以上、唯一残る目は、今まで幾度も活路を見出して来たこの戦術の他には無かった。
なお余談ながら、今回スフィアには一切の支援を断たせ、傍観者に徹するように指示を下している。突発的だったとはいえ、一応は互いの技量を試し合う模擬戦なのである。スフィアの支援を受けられるレフと旧式の機体に頼る他ないパウラでは不公平だと思ったゆえの判断ではあったが、その結果がこの苦戦では立つ瀬も無かった。
重力を引き離し、天を指して、『
――その、筈だった。
「…!?いねぇ!?」
視界一杯に地表と千切れ雲を捉えた、パウラが居る筈の低高度域。果たして見下ろしたその先には、求める機影一つ見当たらなかったのである。いくつか雲は浮かんでいるものの、到底戦闘機が隠れられるほどの体積は無い。
一体、どこに。焦りを帯び、探る視界は地表を、地形の影を、雲の間を泳いでゆく。
その姿が潜むのが、眼前ではなく自らの思考の隙であったことに気づいたのは、どこか楽し気に語るスフィアの声によってだった。
《レフ、レフ》
「後にしろ!今取り込み中だ!」
《いえ、おそらくもう
「……なぁっ!?」
ぞくりという感覚を覚え、思わず振り返ったその先。そこで目に映ったのは、過たず急降下するこちらの後方にぴったりと張り付いたJ-10の姿だった。距離にして400を切った機銃の有効範囲であり、実戦であれば致命は免れなかったに違いない。
今まで、数多の窮地を脱してきた、『
いくらパウラの技量が卓越しているとはいえ。
いくら本調子の『オルシナス』でないとはいえ。
いくらスフィアの支援が無かったからとはいえ。
――これでは、あまりにも立つ瀬がない。無さすぎるではないか。
《加速で振り切る戦術なら、優速な敵はそれに追随してくることを何故想定しない。戦術を一つ限りしか持ち合わせていないからそうなるのだ》
「…ぐ、ぬ、ぬ…!」
短く突き刺すようなパウラの言葉に、レフは遅ればせながら先の結果を理解した。
類推するに、こちらが急上昇した直後にパウラのJ-10もまた急上昇して、ずっとこちらに追随していたのだろう。それもおそらくはこちらの腹側に機体を隠し、振り返っても視認できない位置を保ちながら。こうすれば、こちらが失速反転した時点でパウラ機は頭上を取る形となる。あとは垂直降下するこちらを射界に捉えながら、悠々と背を抑え続ければいい。パウラの咄嗟の判断と、軽量で加速力に優れる『ファイアバード』の性能が合わさってこその機動ではあったが、いずれにせよ自信に満ちていた唯一の戦術をあっさりと覆された事実に変わりはなかった。
《今日はここまでだ、帰投する。今日の反省を明日までに考えておけ。…サヤカと私を、失望させるなよ》
宣告するような、温度の感じられない言葉一つ。
それを最後に背後から機影は離れ、先導するようにルーメンを指して舵を切ってゆく。
結局、強引に模擬戦に引きずり出した詫び言も、アドバイスらしいアドバイスも一言たりともないまま。もやもやとした憤懣と自らへの嘆息に塗れた『スターファイターⅡ』の速度は、自ずと巡航速度を超えて早まっていった。
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「はあぁぁぁぁぁ…やってられっか畜生…」
国境都市ルーメン郊外、L.M.A.が有する航空機整備施設。
先の模擬戦から1時間ほどの後、詰所のソファにぐったりと背を預け、両手両足を大の字に広げて脱力するレフの姿があった。先ほど空に上がった2機の整備に人員が出払っているためか、ソファのレフとその前に置かれた携帯端末の中でゆらゆらと泳いでいるスフィア、そして隣の給湯室で水を流している
「よ、お疲れレフ君。濡れタオル使う?」
「…ヒカリか。悪い、サンキュー」
「おねーさんはこういうとこによく気が付くのです。…で、どうだった、パウラ師匠は」
給湯室のもう一人――ヒカリが広げてよこしたタオルを受け取り、ひとしきり顔を拭いてから広げて顔へと被せてやる。天井を仰いだ顔にはぴたりと冷たいタオルが密着し、未だ熱を帯びた体には心地よい刺激だった。
「なんつうか…お前の技量が並外れてるのと、連携がさっぱりな理由がよく分かったぜ」
「そうでしょー!パウラ師匠は本当に凄いんだから!」
「おい、後半を無視しただろお前」
溜め息半分、レフが口にしたのは、感じたそのままの意見。
これまで幾度も見て来た通り、ヒカリは技量が並外れて高い一方で、僚機とチームを組んでの行動がひたすら苦手という欠点も抱えていた。レフはその理由を、偏に本人の素質によるものと思っていたが、どうやら師匠であるパウラの影響も一因らしいと今回の模擬戦で感じたのである。
技量については言わずもがな、あれだけの腕前を持つ相手にマンツーマンで訓練を重ねていれば、相応に向上していくのは道理である。問題は、それについていける僚機が限られることと、そもそもチームワークを学ぶ機会が無かった事だろう。過去どうだったかは知らないが、見た所現在のL.M.A.では、戦闘機を扱えるのはパウラ以外にいない。自ずと訓練も単機対単機にならざるを得ず、ヒカリにとってはUPEOに入るまでそれを学ぶことができなかったのだろう。UPEOに入ったら入ったで、僚機との技量差が足を引っ張り、満足な連携演習はできなかったに違いない。
個人の優れた技量は確かに素晴らしいが、それも綿密に計算された連携の前には弱い。
スーデントールで見たヒカリとカプチェンコの空戦を見る限り、レフはその点について一抹の危惧を抱かずにはいられなかった。
「そうそう、パウラ師匠とレフ君が出てる間に、サピンのNEUが声明を出してたみたいよ。ほらあの、例のエスクード隊のクルス君」
「クルスが?」
「そうそう。声明っていうか演説って感じかな。録画してあるから、今再生するね」
「レフ、レフ、私も見たいです。画面をテレビに向けてください」
「お前は機器にアクセスして自由に観れるだろうが」
「こういうのは気分なのです、気分」
ソファの背もたれから上半身を乗り出したヒカリが、テーブルの上のリモコンを手に取り何やら操作をし始める。今のご時世では網膜認識センサーにより、音声や目を動かすだけで操作を行うのがスタンダードなのだが、L.M.A.に置いてあるテレビ類は些か古いモデルのものらしい。
砂嵐が画面に走ってしばし、映し出されるのは件の会見場と思しき壇上の図。かつてのサピン国旗をそのまま踏襲したサピン行政区旗とニューコムの社章を染めた社旗を両側に控え、左右に居並ぶニューコムサピン支社の重役連らしい人々を前に登壇しているのは、間違いなくクルスの姿だった。正装に身を包み、画面に向かって堂々と語るその姿は、従来の整った顔立ちと相まって威風堂々とした美丈夫といった風情を醸し出している。
レフは顔にタオルを乗せたまま、指先でその端を僅かに摘まみ上げて、開いた空隙からテレビの画面へと目を遣った。どうやら録画は会見の途中かららしく、放送に気づいたヒカリが慌てて録画したらしい様が伺い知れる。
《…『ウロボロス』が武装蜂起を開始して早数か月、オーシア東方地域は…否、今や全世界が混乱の只中にあります。彼らは謳います、戦争やエゴの否定を。しかし、目下の状況はどうか。『ウロボロス』によりひたすら戦禍は拡大し、ユージア大陸では都市そのものが攻撃を受けて、民間人に多くの死傷者が出たと聞きます。彼らは理想を語るが、武力蜂起という道を選んだ時点で、それは矛盾しているのです!私は、声を大にして言いたい!彼らの騙る『理想』を前に、今人々が生きる『現実』を手放してよいのか!》
「ひゅー、かっこいい。クルス君こんなに凛々しかったっけ。いや確かにイケメンではあったけどさ」
「ここに到着した当初はやつれてたからな。…とはいえ、期待を乗せられ過ぎて無理してなきゃいいが」
《まずは、我がニューコム経済圏の皆さんに問いかけたい。今、我々NEUは力を振り絞り『ウロボロス』に立ち向かっています。経済は混乱し、物価の上昇を招き、地域によっては物流すら支障が生じていると伺っています。これも全て、我々NEUの力不足の致す所です。…それでも、どうかあとひと時だけ、皆様には耐え忍んで頂きたい。『今』と『未来』という現実を護るため、もう少しだけ辛抱の時間を預けて頂きたいのです。我々は、けしてそれを無駄にはしません》
『ウロボロス』の矛盾を糾弾し、次いで自らの膝元たるニューコム経済圏へとクルスは呼びかける。緊張と興奮でその頬は紅潮し、額に光る汗がその熱量を物語っていた。両脇に並ぶ重役の面々も知らず拳を握り、高揚を隠せない様子が見て取れる。
糾弾は決意へ、そして調和の言葉へと流れてゆく。時に語りかけ、時に断じるその様は、男の身から見ても惚れ惚れするほどに輝かしい。
《さて。そして私は、ゼネラルリソースへ、そしてUPEOへもお伝えしたい。これは指示でも命令でも強制でもない、あくまで一つのお願いです。我々NEUは、これまでゼネラルリソースのGRDFとも、時にUPEOとも鎬を削ってきました。それは偏に、ニューコム経済圏下の人々の利益を護るための行動でした。しかし今、我々の前に立つのは、人間に電脳化を強いる『ウロボロス』。この脅威は、ゼネラルリソース経済圏下の人々を始めとした、あまねく全ての人類に共通する脅威です。そこには、どの経済圏であり、どの組織であるかという別は無い。――お願いです。この放送を聞いているゼネラルリソースの皆様。UPEOの皆様。どうか我々と轡を並べ、『ウロボロス』への抗戦に力を貸してください!東方の諺に、『三本の矢』というものがあります。一本の矢はたやすく折れる。しかし三本束になればどうか。五本なら。十本なら。――まして、ゼネラルリソース、UPEO、そしてニューコムが団結したら!――我々は人類です。自ら考え、自ら解決策を見出してきた生命体です。ヒトの世を現実を否定する『ウロボロス』に、力を合わせて対抗しようではありませんか!ヒトの世を、護る為に!!》
歓声、熱狂。肩で息をするクルスに呼応するように、カメラの前では人々が立ち上がり熱狂を叫んでいる。
人が人の心を動かすチカラ――クルスの持つカリスマを目にし、レフはタオルの下で笑みを零した。この声明でGRDFやUPEOがどう動くかはまだ分からないが、少なくとも世界へ届く檄文をクルスが発したことには変わりはない。少なくとも団結するための『核』がこうして作られた事は、これまでと一線を画する画期的な出来事だと言っていいだろう。そしてそれは、『ウロボロス』によるサピンへの攻撃が一層の激しさを増すことと同義でもある。
「流石だな。やっぱりあの人は、人の上に立てる器だ。何もかも違え」
「これで反撃の目途が立てばいいんだけどねー。アレックスさんもどうしてるかな」
「さあな。便りの無いのが良い便りとは思いたいが。…………」
「……レフ君?」
クルスへの感嘆。独りラティオへと渡ったアレックスの姿。
対『ウロボロス』を担う二人を想起し、自らの今を省みて、レフは独り思惟に沈む。
クルスは、『ウロボロス』での苦い記憶を抱きながらも、自らの立場を自覚してサピンへ移った。
アレックスもGRDFを動かすべく、無理を承知でルーメンを離れていった。二人とも先行きは分からぬまま、自らのできることを意識して、それぞれの地へと渡って行ったのだ。
翻り、今の俺はどうか。
やるべきことは常に行っている。『ウロボロス』補給路の遮断、キャンサー隊ら戦力の配分、情報収集。模擬戦ではパウラに打ち破られたものの、技量への自信だってある。
ある、が、しかし。
『戦術を一つ限りしか持ち合わせていないからそうなる』。
『サヤカと私を、失望させるな』。
パウラの言葉が脳裏に過ぎる。
指摘としては、この上なく厳しい言葉である。だが、それは翻れば、まだ成長の余地があることを示す証左でもある。
思い出せ、おやっさんの薫陶を。
見つめ直せ、自らの強みと弱みを。
省みろ、機体の特性を活かすという原点を。
それらを見返せば、『できること』は、まだまだある。
「ヒカリ」
「ん?」
「カール達が戻ってきたら、しばらく顔貸してくれ。今日はもうちょい、飛びたい気分だ」
「!……んふふ~、そっかそっか」
「…何だよ気持ち悪い」
「何でも。いや、向上心があるのは素晴らしいなって。でもお姉さん手は抜かないよ?」
「そこは勘弁しろ。お前の本気になんて付き合いきれるか」
余裕を見せるヒカリの笑みに棘一つ、レフはタオルを除けて瞼を開け、天井を仰ぎ見る。木製拵えの天は窓から差し込む斜陽に照らされ、心なしか高いようにも見えた。
深く息を吸い込めば、意識するのは知らぬ間に早まっていた鼓動。クルスの姿を見て自分自身も高揚を覚えていたのかは知れないが、ここまで自ら空に上がりたいと思うのは久しぶりであった。
窓の外からは、びりびりと低く響く『アステロゾア』特有のエンジン音が響いてくる。
出撃していたジェミニ隊の2機が、仕事を終えて戻ってきたのに相違なかった。
《…どうでしたか?》
《話にならない。やっぱり、エリクとは比べ物にならないな。
《ふふ、性急になってはいけませんよ、パウラさん。話して、語り合って、その在り様を見て。そうして初めて人の真贋は分かります。全てはこれから、ですよ》