Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere - 作:びわ之樹
《…では、貴艦隊…いや、GRDFの総意として、我々NEUと連携する意向はない、と?》
緊張と若干の苛立ちを帯びたクルスの声が、白亜の狭い室内に静かに響く。
眼前には直径3mほどの円卓と、GRDFの記章を戴いた軍人の姿が3。飾り気のない室内には窓一つなく、外の光景を映し出す大型モニターがその代わりを務めている。モニターに映る航跡の波を刻んだ水面と、足裏からわずかに感じる揺動がなければ、その様はさながらグラン・ルギドの一般的な企業における小会議室の様相だった。
サピン北部アルロン地方境界におけるNEUと『ウロボロス』の戦闘で、ニコラス・コンテスティ麾下のNEUが大勝利を収めてから半日後。所はオーレッド湾洋上、GRDFに所属する航空母艦『ニョルズⅡ』艦内。
グラン・ルギドのクルスと中継を結ぶ携帯端末の背を眼前に控え、レフは憮然と当然が半々となった醒めた目で、事の成り行きを双眸に収めていた。
「意向は無いなど、とんでもない。これはあくまで我々なりの協力の仕方と捉えて頂きたいですな、クルス・コンテスティ大尉…もとい、顧問航空技官」
《…差し支えなければ、理由をお伺いしても?》
「左様ですな。…昨夜半の我が艦隊との
《損耗したとはいえ、『ウロボロス』の戦力は健在です。2隻の空中空母も動向が掴めない以上、こちらの戦力は多いほどいい。少なくとも、双方で戦略の調整を行う意義はある》
液晶の境界を往還する議論が、戦勝の熱を醒ますように空虚に響く。クルスが呼びかけた『勢力を越えた連携』など、結局は絵空事――そう告げるかのように、GRDFの反応はにべもない。ディスプレイの向こうからクルスがいくら両勢力の協力という道理を説いたところで、ゼネラルリソースの独力を以てスーデントールを制圧するというGRDF指揮官の主張が変わる様子は微塵も感じ取れなかった。
当然と言えば、当然か。
腕を組んで全容を俯瞰し、レフは心中に感慨を結ぶ。
ゼネラルリソースへの反発により、同社から分離独立したというニューコム設立の経緯。基幹産業のほとんどで競合する様子。そして、陰に陽に互いに仕掛け合う、陰湿な妨害と破壊工作。これまでの対立の歴史を踏まえれば、互いの共通の敵たる『ウロボロス』を前にしてもなお、手を取り合って非常事態に立ち向かうというのは土台無理な話だったのだろう。協力し合うことが最善であることは理解していてなお、目の前の利益や根深い反発心理という人間らしいエゴが、その手を取ることを阻むのである。
加えて――あくまで状況から見た推測であるのだが――、GRDFが単独でスーデントール奪還という方針を堅持しているのは、相応の目的と、それを可能とする手段が根底にあると見ていい。
目的とは言わずもがな、スーデントールに蓄積されているニューコムの最新技術や情報の接収である。スーデントールは元々ニューコム・インフォの一大研究施設を有する都市であり、今もなおその技術を活用したと思しき兵器群が投入されている状況を見れば、ニューコムの技術の大半を手中に収められるであろうことは容易に想像がつく。これに加えて言うならば、ニューコムに先んじてゼネラルリソースが『ウロボロス』を駆逐したという事実を得ることも目的の一つに入るのかもしれない。戦後を踏まえれば、この『戦争』の経緯と結末は、互いの企業イメージや信頼性にも深く直結することになる。
だが、それならば。その『目的』を可能にする手段とは、一体何なのか。
言うまでも無く、当面の最大の脅威は『ウロボロス』有する2隻の空中空母である。実際にGRDFは空中空母のビーム兵器により空母1隻を喪失しており、艦隊の大半を喪失して敗退した前歴もある。それを踏まえれば、件のビーム兵器への対抗策、および空中空母そのものに対する何らかの対抗策を用意してきたと考えるのが妥当だろう。
何らかの新兵器や新型機か、ビームを封じる戦術か、はたまた空陸と連携した戦略による封殺か。その手法は皆目見当がつかないが、少なくとも無策でオーレッド湾まで飛び込んで来た訳では断じてないと考えていい。
とはいえ、ニューコムの事情としてはGRDF頼みとする訳には断じていかない。前述の通りスーデントールに有する最新技術の情報を護るためというのももちろんではあるが、それ以上にニューコムとしては、ここで万が一にでもGRDFに潰えられては大いに困るのである。
ここオーシア東方地域においては、勢力扶植が早かったゼネラルリソースの経済領土が圧倒的に大きく、それだけ経済的、資源的な地力に余裕がある。有体に言ってしまえば、仮にレクタやウスティオ、ラティオにおける戦力が壊滅しようとも、被害がほぼ生じていないファト、ノルドランド、ウェルバキアの戦力を結集すれば――当然時間と資源の消費を度外視すればではあるが――巻き返しも不可能ではないのである。
これに対し、ニューコムの勢力圏はといえばオーシア内のいくつかの州の他はサピンとベルカしかなく、現在の前線の戦力がオーシア大陸におけるほぼ全ての戦力という状況である。もしここでGRDFが専行し、結果的に壊滅した場合、なし崩し的にNEUの前線も崩壊することは明白と言っていい。勝ち馬に乗る訳ではないが、両社ともに確実と言える勝ち手が無い以上、ニューコムとしては是が非でもGRDFと連携する必要があるのであった。
《スーデントール攻略に当たり、我々は詳細な地形図や配置図、地下機構構造まで全て把握しています。迅速な施設の制圧を念頭に置けば、少なくともNEUの地上部隊と歩調を合わせて頂くのが最善。そうは思われませんか?》
「無論、我々もこの艦隊のみでスーデントール制圧が可能とは考えておりません。ご承知かもしれませんが、現在ウスティオ・ゲベート方面から撤退した部隊を回収し、レクタ西部にて再編成を行っております。地上部隊や空挺部隊のほぼ全てが健在でありますので、心配はご無用です。――ああ、しかしスーデントールの地下機構図や配置図は我々としても是非頂きたいところ。如何でしょう、施設制圧は我々が請け負いますので、それらの情報をご提供いただくというのは」
苛立ちの熱を帯びたクルスの声に、冷笑するような艦長の言葉が重なる。
持ち前のカリスマと技量を活かした前線指揮こそクルスの得意ではあるが、反面こうした交渉の場では怜悧な判断力と話術、そして弱みを見出し利を通す、一種悪辣な洞察力が必要となる。この点、ぼっちゃん育ちで交渉事の経験に疎く、相手を責める腹黒い強引さにも程遠いクルスには、些か荷が重い仕事であっただろう。
《そんな事、できる筈が…!》
これはもう、いかん。
傍若無人な態度に声を荒げるクルスの姿にそう直感し、レフは腕組みを解いて背を預けていた壁から立って、クルスが映る携帯端末の横から顔を覗かせた。これ以上平行線を辿る交渉を重ねて、却って険悪な状況になっては目も当てられない。今は、互いの方針を明確にできただけでもよしとすべきであった。
「クルス顧問航空技官、そろそろ時間です。どうでしょう、今後も連携の方策を探っていくということで、本日は一旦持ち帰り再検討しては」
《…!……ええ。そうですね、レフ技官。――我々NEUとしては、今後も連携の方向性を模索させて頂きたく思います。当面は独自判断で行動しますが、前線判断によりGRDF部隊の支援を実施する場合もありえます。その際には、是非協力させて頂きたい》
「それは勿論、結構です。国際法上での事前通達等の手続きさえ踏んで頂ければ、我々も歓迎いたしますので。今後も実りある交渉ができること、期待しております」
《……お時間を頂戴し、失礼しました。それでは》
沈黙に幾ばくかの憤懣を込めて、クルスはレフへと目で合図を送る。
携帯端末を持って一礼し、最低限の挨拶を交わしてから、レフは艦内の通路へと繋がる扉を開いた。扉の両脇には空母までレフを乗せてきた『グリフィス』のパイロットとゼネラル側の総務担当士官が控え、格納庫への案内のため先導して歩き出してゆく。
余談ながら、今回の協議で『ニョルズⅡ』へ着艦するに当たり、レフはサピン西沿岸に潜伏するNEUの軽空母『プリンシペ・デ・アルルニア』を経由して移動してきていた。スフィアやヴァルハラシステムを搭載した『サイファード・ワイバーン』を
《……不甲斐ない。レフ技官やおじい様の戦果をてこに交渉できるかと思ったが、見通しが甘かった》
「ま、仕方ないでしょう。本来こんな仕事、一パイロットがするもんじゃない。肩書不足で足元見られるのがオチです。俺だって絶対に無理だ。…面倒ごとは偉い幹部連中に任せて、俺たちは本来の仕事に戻りましょう。餅は餅屋ですよ」
《…そうか…。…そうだな》
「俺たちはそろそろ『ニョルズⅡ』から出立するんで、一旦通信を切ります。また後で」
《了解した。…ありがとう、レフ技官》
目礼一つ、端末の通信を切り、カバーを被せて表示を消す。どこか気恥ずかしい思いとわずかばかりの親密さを帯びた熱を感じながら、レフはそれを肩掛け鞄の中へとしまい込んだ。我ながら不思議な話ではあるが、完璧だと思っていたクルスにも苦手があったのだと知り、どこか親密さを覚えたがゆえの感慨だったのかもしれない。
とはいえ、やることは山積みである。
交渉の継続とはしたものの、実質的には決裂に近い結果。これを踏まえ、NEUとしては今後の方針を策定する必要がある。予定通りイェリングの奪取を進めるべきか、『プリンシペ・デ・アルルニア』をGRDFの牽制に充てるのか。また、レフ達ルーメンの遊撃戦力をどこで活かすべきか。決めるのはグラン・ルギドの首脳部だろうが、自らの事態の一部である以上、興味関心は自ずと高まっていくものである。
エレベーターを昇り、格納庫への廊下を歩く中、顎に指を当てて考えることしばし。わずかに目を伏せていたゆえか、レフは廊下に背を預けてこちらをにやにやと見やる男の姿に気づくのが、しばし遅れることとなった。
「よ。ニューコムのエースパイロットさん。昨晩の大立ち回り、サイコーだったぜ」
「あん?…誰だ、あんた」
「おいおい、ご挨拶だな。その大立ち回りのクローザーを務めた仲じゃないかよ」
人差し指と中指を合わせた右手を切るように振る、気障なハンドサイン一つ。ややウェーブのかかった黒髪に黒い肌、GRDFの制服に身を包んだ青年は、いかにも気さくな様子で白い歯を覗かせる。
その言、無線越しに聞いたような気がする声音に、レフも遅ればせながら合点を覚えた。確か、昨晩の戦闘で加勢してきたF-35のパイロットが、確かこのような声ではなかったか。
「ああ、昨晩の。世話になったな。…っつーか、何で俺だって分かったんだ?」
「もちろん。勘だ。あんたじゃなかったら、後ろの彼に声かける積りだった」
「はっ、そうかい。当たりを引き当てる運は達者みてぇだな」
「どういたしまして。それに、昨日の今日だ。てんやわんやのニューコムが俺たちに使いを立てるなら、ここらの様子や俺達の状況を知ってる奴を充てた方が適任だろ?」
得意げな様子に、釣られて苦笑一つ。船乗りらしい向こう見ずな決断力と、それを裏打ちする観察眼は、先の空で見た様子に違わぬ親分肌の男のようだった。
「レフ・ミハイロヴィチ・ヤコヴレフ、NEUの航空技官だ。昨日…いや、今朝か。ありがとよ」
「おっと、伊達男たる俺が名乗り遅れるとは。GRDF『ニョルズⅡ』所属、レナード・ルイス・カサハラ少尉だ。ここでのこの前の戦闘で指揮官が戦死したもんで、俺が航空隊の指揮官を務めてる。そんなところでよろしく、ミスター」
レナードと名乗る男の様子と、『ここでのこの前の戦闘』――オーレッド湾におけるGRDFと『ウロボロス』との戦闘――という言及に、レフの脳裏に蘇る光景。言われてみれば、レフには思い当たる節があった。
空中空母の攻撃を受けて沈没する空母『ヘイムダル』と、遁走する『ニョルズⅡ』。そしてその殿となり、当時『ファルクラムSS』を駆っていたレフと相対したF-35CRの姿。そういえばあの時の機体に描かれていたエンブレムと昨晩見たものは、同じ『光の槍を携えた天使』のエンブレムではなかったか。
――あの時の『
奇妙な縁を薄皮1枚の下に収めながらも、自ずと浮かぶは合点の籠った苦笑い。思わず怪訝な表情を浮かべたレナードへ紛らわすように手を振るもその苦笑は収まることはなかった。
「まったく妙な縁だことだ、本当に」
「?よく分からないが…ま、いずれにせよ。俺は強いパイロットが好きなんだ。上が何を言ったか知らないが、当分は力を合わせて行こうじゃないか、ミスター。ああそうだ、何ならゼネラルリソースに移籍しないか?今なら第2中隊の指揮官を用意できるぜ」
「バカ言え、不足だ不足。あのクソ艦長放り出してその椅子を寄越せ。…と言うか俺も忙しいんだ、もう行くぞ」
「ははっ、英雄殿はご多忙と来たか。…ま、久しぶりにいい男の顔を見られてよかったよ。また会おう、ミスター・ヤコヴレフ」
「へいへい、覚えておくよ。
左手を前、右手を背に、悪戯めいた笑顔を刷いて軽く会釈。さながら執事のような冗談めいた礼を見せるレナードを横に過ぎ、レフは後ろ手に手を振って応えを送る。短い邂逅ながらどこか馬の合う海の男を背に受けて、レフ達は廊下を曲がり、『グリフィス』が駐機する格納庫へと向かっていった。
曲がりくねった紅色の縁と、どこか親和を帯びた潮色の縁。熱を帯びた胸に二つのよすがを残して、レフは照明の下に佇む機体のタラップへと脚をかけてゆく。
その先にある、長く太いもう一つの縁が綻ぶ絶望を、今はまだ知らぬまま。
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「待たせた、フォルカー。何だ、話しておく事ってのは」
『ニョルズⅡ』から帰還し、グラン・ルギドやルーメンと今後の協議を経た後。西へ傾いた太陽が岩壁から差し込み、紅く染まった『プリンシペ・デ・アルルニア』の甲板上に、『ワイバーン』とフォルカーの姿があった。機体のデータや電子機器を点検していたのか、機体から延びたいくつものケーブルはフォルカーの手元にあるパソコンへと繋がっており、ディスプレイには無数の文字列が流れては消える様が見て取れる。
昨晩の戦闘から帰還した後の『ワイバーン』を整備していたフォルカーが、『急いで伝えておきたい事がある』と藪から棒に切り出してきたのは、『ニョルズⅡ』へ起つ30分ほど前の事。落ち着いた後に訪れることを約束し、ようやくレフの手が空いたのは、既に一日も過半を過ぎた夕刻になってからの事であった。
最初に声を掛けられてから、既に4時間ほどというところか。以前であれば皮肉の一つでも言われていたのかもしれないが、今は『ああ、いや。待っていたよ』とばかり零れるのみ。ずっと作業を続けていたのだろう、疲労を帯びたフォルカーの傍らにレフも腰を下ろし、フォルカーが口を開くのを待った。
「慌ただしい一日だったのだろう。休憩はいいのかい?」
「問題ない…とは言えねぇが、今はそんな事言ってられねぇよ。踏ん張りどころだ、お互いにな」
「ああ…そうだな。……そういえば、協議の方は首尾よく?」
「そっちも問題ねぇ。俺とお前は、しばらく『
大事のように呼び出しておきながら、フォルカーの切り口は他愛もない。
先ほどまで行われていた対『ウロボロス』方針協議については、グラン・ルギドのニコラスや幹部連、クルスにより方針の大枠が描かれ、先鋒部隊たるレフとルーメンの面々へ直接連絡が行われた。
昨晩から今朝にかけての戦闘によりサピンへの脅威はひとまず去った訳ではあるが、今なお空中空母が健在であり、かつV2を始めとした核兵器も所在が不明である以上、それらの脅威がいつ牙を剥くかは分からない。
その背景とGRDFとの交渉決裂を受け、NEUの今後の方向性としては、『ウロボロス』の補給拠点であるウスティオ領内ソーリス・オルトゥスと、空中空母の補給拠点であるイェリング廃鉱の殲滅に注力されることとなった。オーレッド湾のGRDF艦隊とレクタに集結している航空・空挺部隊が直接スーデントールを突く動きを見せていることから、NEUとしては『ウロボロス』の防衛戦力を分散させるため、当初から目的としていたこれら2拠点を重要目標として定めたのである。
当然ゼネラルリソースが抜け駆け的にスーデントールを制圧するリスクも考えられるが、スーデントールはオーシア東方における『ウロボロス』の最大拠点であるだけに、相当頑強な抵抗が予想される。ニューコム側としてはゼネラルリソースと『ウロボロス』が衝突する隙を突き、前述の2拠点を落とすことで着実にスーデントールへの足場を固めてゆく方策を取ったという訳であった。言うなれば、『善は急げ』の指向を持ったゼネラルリソースの戦略に対し、ニューコムは『急がば回れ』の方策を取ったというところだろうか。
もっとも、敢えて主戦場正面を避けてソーリス・オルトゥスを再度制圧目標に据えた辺りに、この隙にウスティオをニューコム経済圏に組み込まんとする首脳部の思惑も透けて見えなくもない訳ではあるが。
以上の戦略において、主力を務めるのはクルス麾下の残存した航空部隊と、『アヴァロン』を始めとしたベルカの残存戦力。ルーメンのヒカリとカール、イングリット、パウラは万が一に備えた遊撃部隊として機能し、レフとスフィアはGRDF艦隊の監視と支援のため、当面は『プリンシペ・デ・アルルニア』に腰を落ち着けることとなった。もしGRDF艦隊が窮地に陥れば、『プリンシペ・デ・アルルニア』の艦載機とともにこの救援に当たるのがその主任務である。よりスーデントールに近いこの潜伏地であれば、GRDF艦隊に迫る敵部隊の脇腹を突くことも不可能ではない。
だが、それよりも。
協議結果の話題を振り本題を避けるフォルカーの様子に、レフは明らかな違和感を覚えていた。殊技術的な面については多分に直接的なこの男が、こうも露骨に主題を避けるというのは珍しい。それほどまでに、できれば触れたくない内容ということなのだろうか。
「らしくないな」
「え?」
「言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ、フォルカー。……ヴァルハラシステムの事か?」
「!……。……はは。敵わないな、君には。……分かった。本題に入ろう」
図星であったのか、驚きに目を見開く表情一つ。僅かに目を伏せ、自嘲と憂いの混じった悲壮な笑みを口元に刻んでから、フォルカーは覚悟を決めたように顔を上げてこちらを見据える。
正面に交わるのは、ベルカ人らしい澄んだ青い瞳。こんなに綺麗な目の男だったかと、レフは不意に益体も無い感慨を抱いた。
「厳密には、ヴァルハラシステムではなく『オーキャス14』の事だが。…レフ君。昨晩の戦闘で、実戦では初めてヴァルハラシステムを使ったと思う。どうだった」
スフィア。
予想外の要素に、どきりと胸が跳ねる。回りくどい聞き方によるじわりとした苛立ちと不安が相まって、レフの口調は思わずぶっきらぼうなものとなってしまっていた。
「…どうも、何も。あんなシステムで空戦ができる訳ないだろうが。スフィアが即席で何とかしたからいいものの、いちいち画面の指示に従いながら戦闘機動する余裕は無ぇよ。一昔前のレースゲームだってもっとマシだぞ」
「…それだ。『オーキャス14』は何と言ってたんだい?即席で、何をどうするって」
「何を、って…いや、土壇場だったからよく覚えてねぇよ。確か…システムと機体をスフィアがリンクさせるとか、何とか」
「機体制御の主導権は君の手に委ねたまま?」
「まぁ、そうだが」
「………そうか。…そういう事か…」
「おい、どういう事だ。はっきり言え。…言え!」
一人合点した様子のフォルカーに、胸倉を掴み上げる勢いでレフはフォルカーへと食って掛かる。急に荒げた声にこちらを見る周囲の目も意識の外に、レフはそれきり沈黙し、荒げた呼吸を落ち着かせながらフォルカーの言葉を待った。
――もったいぶるな、言え。スフィアが一体、どうしたというのか。その言外の思惟を、揺らぐ瞳に宿しながら。
「まずは落ち着いて欲しい、レフ君。…昨日、出撃前。ヴァルハラシステムは元々、無人機での運用を想定したものと説明したが、覚えているかい?」
「…おおよそ、うろ覚えだがな。それがどうした」
「それなら、話は早い。あらゆるエースパイロットの戦闘データを集積し機体へと出力するヴァルハラシステムと、変形機構を持つゆえにあらゆる機動に対応できる『ワイバーン』。そして、これらを仲介する航空機制御用AI『オーキャス』。これら全てが揃うことでヴァルハラシステムは十全の力を発揮し、…『オーキャス14』は最強のAIとなる筈だった」
「………」
「だが、有人制御となるとその前提は崩れることになる。システムが示す機動を人間が反映させるとなると、当然タイムロスが生じることになる。神経伝達速度や人間の体のつくりの限界だ、こればかりは仕方がない。…事実、君はさっき言ったな、空戦中にそのような…『機械の指示を見ながら操縦する』余裕はない、と」
「……だから、回りくどいんだよ。学者の話って奴は。バカな俺にも分かるように、はっきり言え、フォルカー」
前提を固めるように、あるいは外堀を埋めるように、結論へ一歩一歩近づいてゆくフォルカーの独白。じりじりと心を焼くような焦燥と、弧を描く言説への苛立ちを感じながら、レフは静かに続きを促した。
額には、冷や汗一筋。それは、自らとスフィアが、抜き差しならない状況へ踏み込んでしまったことを無意識の内に察したがゆえの身体反応だったのかもしれない。
「ここは重要な所だよ、レフ君。…そう、人間が――君が操縦の主導権を握る限り、避けることのできないタイムロス。それが空戦において致命的な隙になるであろうことは、私にだって分かる。それでも君は意地でも主導権を『オーキャス14』へは委ねないだろうし、『オーキャス14』だってそれは肯じなかっただろう」
どくん。
鼓動が仮定を刻む。
昨晩の戦闘が、スフィアとのやりとりが、鮮明に脳裏に蘇ってゆく。
予期しない『ウロボロス』艦載機部隊に包囲され窮地に陥った時、スフィアは確かにヴァルハラシステムでの突破を提案した。それまでの戦闘からシステム頼りは不可能と断じたこと、そしてスフィアが自らシステムと機体のリンクを買って出たことも、まざまざと記憶から浮かび上がってゆく。
「だから、『オーキャス14』は…自らヴァルハラシステムになる道を
「…………何?」
「当然、オリジナルの航空機制御用端末ならばともかく、今のコピー体…簡単な電子機器制御能力と、コミュニケーション機能しか持たない『オーキャス14』にそんな芸当は不可能だ。…これは推測だが、今の『オーキャス14』はヴァルハラシステムから抽出したデータを自らの存在領域に保存し、瞬時に出力して機体制御へ反映しているのだと思われる。その代償に、自らのデータ…記録領域やコミュニケーション機能を司る部分を、それらで上書きしながら。システムと機体制御の仲介経路と化した今の『オーキャス』は、もうエレクトロスフィアへ退避することも叶わなくなっている。いわば今の『オーキャス14』は、ヴァルハラシステムや『ワイバーン』そのものと同義と言っていい」
鼓動が早まる。
無意識に、息が切れる。
『私が、機体制御とシステムをリンクさせれば』『ヴァルハラシステムは本来の力を発揮できる』。
大意すれば、あの時スフィアはそう言っていた。事実、その直後から機体のレスポンスは一変し、『ウロボロス』艦隊を退ける大きな力となったことは確かである。
だが、それなら。
機体制御を自らに委ねながら、システムと機体をリンクさせることの意味というのは。
あの時の、覚悟を帯びたようなスフィアの声音は。
――まるで遺言のような、祈りのような、最後の言葉の真意は。
「――結論を言え。頭に血が上ってる今の俺にも分かりやすく、一言で」
言葉を止め、唇を結び一拍。わずかに目を逸らしたフォルカーは、観念したように奥歯を噛みしめてから、まっすぐにレフの瞳を見据え返した。憐れみと情動で、微かに湿った色を以て。
「…………。……これから先。ヴァルハラシステムを使うたびに、『オーキャス14』は記憶と言葉を――感情を、失うことになる」