Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

47 / 56
第45話 雷洋の大鯨

 ぐん、と体を掴んだ圧力が、一拍を置いて後方の彼方へと引き離されてゆく。

 

 後背には、徐々に離れゆく母艦『ニョルズⅡ』の巨体。黒灰色の甲板にはいくつもの機体が並び、甲板に備え付けられたカタパルトへと進みゆく様が見て取れる。鈍色の翼が空を仰ぎ佇むその姿は、さながら戦空へと今まさに昇らんとするワルキューレの軍勢を思わせた。

 

《『ギェナ1』発艦完了。続いて『ギェナ2』、発艦作業に入ってください》

《『ニョルズⅡ』より随伴各艦、対空警戒を厳にせよ。『ヘイムダル』の二の舞を決して踏むな》

《直掩機『アルキバ5』より入電。レーダー、目視ともに周辺空域に敵影なし》

 

 瞼を閉じ、聴覚に集中して飛び交う通信に意識を泳がせる。どの道コフィンシステムで自らの意識と操作系はリンクしており、ちょっとやそっとのことで墜落することはない。集中を高めるその最中にも、緊張を帯びたいくつもの声は絶えず鼓膜を揺らし、自らの皮膚と化した機体の表面にはさんさんと日光が降り注いで、疑似的に体を温め続けている。

 

 心地良い。

 戦場を前面に控えたにしては些か呑気に過ぎるその感傷を不意に抱いて、GRDFのフライトスーツに身を包んだ青年――レナード・ルイス・カサハラは思わず苦笑した。確かに空中空母封じの秘策を携えて来たとはいえ、これではあまりにも油断が過ぎるというものである。

 

 無論、能天気に日光浴が気持ちよいという訳ではない。

 レナードは、こうした出撃の際のぴんと張り詰めた空気が好きであり、何より自らの技量と思考を表現する場である空戦が好きであった。GRDF空母航空隊一の伊達男を自負するレナードにとってみれば、陸――有体に言えば夜の街――ならいざ知らす、平時では肝心の空で男ぶりを披露する機会は極めて少ない。だからこそ、彼は戦空という得難い『決闘』の場に高揚を覚えるのであった。

 あまつさえ、今回は沈んだ『ヘイムダル』の雪辱戦であり、『ウロボロス』への反撃の嚆矢となる切り返しの一閃であり、()()()()とともに再起する復讐(リベンジ)の場なのである。揃いに揃ったこの条件で、興奮しない男がいるものか。

 

《機嫌が良さそうですね、『ギェナ1』》

「おっと、抑えきれん情熱(パッション)が機体から漏れちまってたかね。この表現力を見習ってくれてもいいぜ、『ギェナ2』?」

《はは…流石に隊長は肝が太い。こんな得体の知れない機体に乗っても、それほどまで余裕があるとは》

「バカ野郎、このギリギリのところで戦う張り詰めた感覚がいいんじゃないか。余裕のない男はモテないぜ」

 

 発艦した後続の機体から『さっすが隊長!』『一本取られたな、ギェナ2』と下卑た声が次々と響き、傍らに並ぶ僚機『ギェナ2』へからかうように向かってゆく。何せ『ニョルズⅡ』航空隊の中では年少の部類に入る『ギェナ2』である、コフィンの中で苦笑して肩をすくめる様が目に浮かぶようであった。

 

 無論、『ギェナ2』の不安も理解できる。こちらとしても空中空母への対策を用意してきたとはいえ、不確定要素はけして少なくないのだ。例えば空中空母の針路と装備。哨戒機の有視界内に捕捉するまでその位置を把握できなかったという謎。強固な防御力に対する通常兵器の有効性。指折り上げていけば、枚挙に暇がない。

 

 そして、不確定要素の中でも最たるもの。それこそが、レナード自らや『ギェナ2』が駆る異形の機体の有効性であった。

 頭を巡らせ、視界の端に捉えた『ギェナ2』の機体。従来の航空力学をことごとく無視したかのようなその姿は、さながら冗談とロマンに空想という翼を生やしたようにしか見えない。

 機体の胴体は、先端と後端のそれぞれへ向けて伸びる細長い紡錘型。後端には黒鉄色に染まったエンジンカウルが覗いており、外見からも単発機であることが見て取れる。機体中ほどのコフィンを収めた胴体両脇にはF/A-18E/F『スーパーホーネット』のものに似た方形のエアインテークが備えられているが、この部分まではけして突飛な構成ではない。

 最も目を引く異形は、上から見てW字を描く奇妙な前進翼の形状である。更に主翼の中ほど――すなわちW字の下方に突き出た部分からは直接水平尾翼と垂直尾翼が伸びており、言うなれば特殊型双ブーム式とでも評すべき独特のシルエットを形成していた。エアインテーク上部から延びる大型のカナードも合わさって圧倒的な異物感を醸し出すその姿は、後続のアルゴラブ隊が駆るF-35CRと比べるととても現実のものとは思えない。

 

 YFA-47SC『カットラスⅡ』。それこそが、この異形の翼に与えられた名であった。

 姿もさることながら、その出自もまた異質の一言に尽きる。というのも、本機はゼネラルリソース製の純正機体ではなく、業務提携を行ったオーシア内のとあるベンチャー企業の手で設計されたものなのである。新機軸の機能を多数詰め込んだ意欲的な設計にゼネラルリソースも着目したものの、いかんせんあまりにも前衛的な設計思想とコスト高騰の予測から、本機はあくまで次期主力機XFA-36『ゲイム』の保管戦力候補としての立ち位置に据えられ、同社の手で細々と試作が行われるまでに留められていた。

 ところが、先の空中空母との戦闘でラーズグリーズ艦隊が艦載機の喪失に直面すると、状況は一変。損耗した戦力を至急補充する必要に迫られた上、『カットラスⅡ』が有するとある特殊機能が空中空母のビーム兵器に有効と想定されたため、増加試作済みの6機を半ば接収するような形で同社から買い上げて急遽戦力化したのである。藁をも掴まんばかりのその姿勢は、本社を有するユージア大陸での対応で手いっぱいとなっているゼネラルリソースの窮状を如実に示すものでもあった。

 

「全機揃ったな。作戦通り、ギェナ隊の6機が先行して空中空母に肉薄する。アルゴラブ隊はそれまで敵射程圏内に近づくな!」

《『ギェナ2』了解》

《アルゴラブ隊、同じく》

「聞き分けが良くてよろしい、野郎共。…『ニョルズⅡ』が射程内に入る前にケリを付ける。行くぞ!」

 

 左右後方に僚機が揃ったタイミングを見計らい、レナードはスロットルを開放して『カットラスⅡ』を加速。頭を巡らせれば、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)上にはこちらに倣って同様に加速する僚機5機の姿と、機首を大きく左右に翻して迂回上昇に入ってゆくアルゴラブ隊の『アドバンスドライトニング』8機の姿が捉えられた。すなわち今回の対空中空母戦では、『ニョルズⅡ』単艦としてはほぼ最大限と言っていい計14機もの戦闘機が投入される計算となる。空母に残るのは最低限の護衛機とヘリのみであり、ラーズグリーズ艦隊として乾坤一擲を賭した作戦と言ってよかった。

 

「ち…!どうにも勝手が違うな、こいつは!」

 

 機首を僅かに上げた緩上昇加速を重ねながら、レナードはコフィンシステムから伝わる機体の感覚に思わず声を漏らす。

 速度計、次いで高度計。感覚に数値の裏付けを求めるのはパイロットの性か、反射的に走らせた視線に映ったそれらの数値は、果せるかなその『感覚』が正しかったことを物語っていた。

 

 有体に言えば、この機体は()()。軽快そうなその外見に反しエンジン出力に対する重量があまりに大きく、その上昇力も加速力もF-35の水準に及んでいないのである。旋回性も前進翼を採用している割には鋭いとは言い難く、Su-47タイプのような比類ない格闘戦能力など望むべくもなかった。前進翼と可動式カナードの賜物かロール性能は比較的良好なため、高度優位を活かした一撃離脱ならば空対空戦闘も可能だろうが、それにしてもおおよそ戦闘機に求められる機敏さからはかけ離れていると断じてもいいであろう。

 

 しかし、おおよそ万物に於いて、欠点は長所の裏返しである。

 戦闘機としては落第とさえ評していい、致命的な運動性の低さ。それを代償として『カットラスⅡ』が有しているのが、空中空母の光学兵器封じとして着目された新機軸機能――低温プラズマアクティブステルス(CPAS)であった。

 その名が示す通り、本来この機能は機体の構造材質や塗料に依存しないステルス技術として採用されたものである。

 構造としては、機体の胴体が外殻と内殻の二重構造となっており、それらの間に低温プラズマを循環。低温プラズマにより機体全体に電磁的防護機能を付与することで、機体に照射されたレーダー波を無効化しステルス機能を発揮するというものである。ステルス能力の低い前進翼とカナード翼を装備しているにも関わらず、本機能の恩恵により『カットラスⅡ』はF-35シリーズにも勝るステルス能力を有することとなった。

 

 そして、電磁的に機体を防護するというCPASのコンセプトを応用した特殊装備――電離プラズマ防御システム(IPDS)の存在が、『カットラスⅡ』を対空中空母の切り札たらしめていた。これは、機体下部両側面に設けられた排出口からCAPSで利用する低温プラズマの一部を放出し、瞬間的に周囲の電位を高める機能である。ある程度の熱エネルギーを有するために赤外線誘導式のミサイルを妨害するフレアとして利用できる他、極めて高い電位差を生み出すことができるため、磁性の強い攻撃――平たく言えばビームを湾曲ないし拡散させて防ぐことも可能となる。かつてオーシアが開発した『アーセナルバード』や、ニューコムの『ヴェパール』に搭載された電磁パルス防御システムとは似て非なるものであり、より光学的防御に特化したものと評して差し支えないであろう。

 なお当然ながら、CPASで利用する低温プラズマを共有する関係上、IPDSを使用できる回数はけして多くは無い。リミッターを意図的に解除すれば使用上限を超えた使用も可能ではあるものの、それはステルス能力の喪失と同義であり、運動性に劣る『カットラスⅡ』では現実的な選択肢ではないだろう。

 

 レナードが閉口するほどの足回りの悪さと、引き換えに得た切り札(ジョーカー)たる力。

 未だ真贋定かならぬその能力を発揮する機会は、存外に早く訪れた。

 

《…見えた!水平線上、方位345!目標の敵影を確認!》

「案の定、レーダー反応が弱いな。各機IPDS用意!敵のビームを防ぎ次第、一気に距離を詰める!ガイドレーザーを見逃すなよ!」

 

 来た。

 

 息を止めて腹に力を籠め、勢いよく鼻から吐き出し気合を入れる。

 操縦桿手元レバー押込み、火器管制の安全装置解除。主翼下短距離空対空ミサイル(AAM)4発、機首下部短距離プラズマ投射砲(SLPL)、いずれも異常なし。内部構造を切り詰めた弊害により『カットラスⅡ』は内蔵機銃を持っておらず、火器といえばこの2種の他にない。迫る時宜に備えて指をIPDSの作動ボタンにかけながら、レナードは遥か見るように目を細めて空中空母の方向へと目を凝らした。

 

 先の戦闘での観測データから、空中空母の光学兵器の詳細はおおよそ検討が付いている。

 搭載されているのは、おそらくイーオン粒子を利用した荷電粒子ビーム兵器。大気中の空気分子によるビームの拡散を避けるため、発射前に低出力のガイドレーザーによる熱膨張で針路上の空気を排除し、しかるのちに本命たる高出力の荷電粒子ビームを放つ機構というのが、『ヘイムダル』撃沈の状況から導き出された結論であった。

 すなわち、本命の攻撃の前には、必ず予兆たるガイドレーザーが発射される。その予兆を見落とさず、最善のタイミングでIPDSを作動させられるかどうかがこの作戦の成否の分かれ目であった。

 

 レーダー照射を告げる低い電子音が鼓膜を震わせる。

 敵艦、直進。高度4500、こちらに対しやや上方。高度を上げて敵ビーム照射を避けるのも一手ではあるが、そうすれば後続のアルゴラブ隊が狙われかねない以上、今は敢えてビームを撃たせるのが最善である。

 風を纏った翼がびりびりと揺れる。

 速度を増すごとに、黒点に過ぎなかった敵影は徐々に形を帯び、大鯨も似た丸みのある影を遠目に形作ってゆく。

 喉の渇き。

 ひりつく瞳。

 無意識に前傾する背。

 

 ――光。

 

「作動!」

《了解!》

 

 瞬間、網膜に奔った淡緑の光芒。

 それが空中空母から放たれたガイドレーザーであることを知覚するより早く、レナードは反射的にタイミングを告げ、同時に機体を左ロールとともにわずかに上昇させた。

 周囲に電光が爆ぜ、放出された低温プラズマが機体を覆う。

 右、頭を巡らせた先には、先ほどまでの編隊中央位置を貫く細い光軸が一筋。レーザーの熱で膨張した空気は暴風となり、『カットラスⅡ』の翼を圧してゆく。

 

「来るぞ!」

 

 轟、という暴風を纏った光の奔流が、咄嗟に紡いだ声をかき消してゆく。

 通信すら聞き取れない轟音、まばゆい閃光に一瞬塞がれる視界。直撃すれば重厚な装甲すら両断しうるその熱量も、しかしプラズマに覆われた『カットラスⅡ』の翼を抉り切るには至らない。光の粒となったイーオン粒子の弾丸は磁性の壁に阻まれて、あらぬ方向へと湾曲しては虚空へと散ってゆく。

 

 時間にして僅かに数秒。永遠のような数瞬を経て、熱と、風と、光の暴圧が彼方へと過ぎっていった後。

 そこには蒼穹を背にして空を切る、健在な6機の姿があった。

 

《ははっ…はは…!嘘だろ、あんな光のサーフィンでも無傷だ、コイツ!日焼け一つ負ってやしねぇ!》

「油断するなよ、『ギェナ4』。――本命だ!」

 

 機体表面温度、電子機器、いずれも正常。プラズマによる火器系へのダメージなし。

 HMD脇に表示したダメージコントロールディスプレイから素早く情報を読み取って、レナードは操縦桿を握る掌に力を込めた。言うまでも無く敵の切り札を封じることには成功こそしたものの、これはあくまで敵の懐にようやく斬り込めただけに過ぎない。

 HMDの数値を見る限り、空中空母までの距離は4000と少し。レーダーで探るまでもなく、その左右上方には護衛機と思しきいくつかの機影が浮かび、下方周辺にも小柄な機影が複数滞空している様も見て取れる。空中空母に至近距離戦の備えが無いとは思えないが、いずれにせよ今は荷電粒子ビームの再充填までに距離を詰めて一撃を与えることが肝要だった。

 

「敵機に被られる前に懐に飛び込む!脇目も振らず突っ走れ!」

 

 スロットル開放、針路は空中空母に対し1時を維持。

 耳を苛むロックオンアラートを意識の外に、レナードの鳶色の瞳は距離2000に迫る空中空母へ、そして上方の護衛機へと忙しなく動き続ける。

 肉眼と拡大画像で確認する限り、『ウロボロス』の護衛機はMiG-33SS『ファルクラムSS』が4機きり。空母周辺に滞空する小柄な機影は判然としないが、サイズから判断するに観測用ドローンというところだろう。機数で言えばこちらが有利だが、自重が大きくパワーウェイトレシオに劣る『カットラスⅡ』では、格闘戦・機動戦のいずれでも『ファルクラム』に敵う道理はない。すなわち、長期戦は敗北と同義という訳である。

 

 簡単なことだ。

 視界の端で『ファルクラム』が降下体勢に入り、増し続けるGに体を押さえつけられながら、レナードは口端に笑みを佩いた。何につけて、物事がシンプルなのはありがたい。先述の通り、要諦はビームの迎撃が及ばない至近距離から空中空母へAAMを叩き込むだけの話である。無論、技量にそれだけの自信もある。

 

 相対距離、1700。1400。図体が大きい相手ともなれば、肉眼での相対距離は見誤り易い。既に眼前の巨体は照準器からはみ出る程となり、肉眼では距離300程度に見まごうまでに迫っている。

 1300。1100。

 対空砲火の類は無く、空母は鎮静を保ち続けている。もとより近接防御火器の類を備えていないのか、それともあまりに急な接近に対応が追い付いていないのか。

 1000。

 あと一歩。

 ロックオンアラートが迫る。

 『ファルクラム』が左右から距離を詰める。

 ――空中空母の下部が閃光を帯びる。

 

 『発射』。

 その言葉を果たして発していたのかどうか、レナードは知覚することはできなかった。それほどまでに、直後に視界を覆った閃光と爆炎の奔流は強烈であった。

 

 肉薄する『カットラスⅡ』がAAMを全弾発射したその瞬間、空中空母は再度ビームを発射。ガイドレーザーによる針路確保を省略して発射されたそれらは、瞬く間に拡散して無数の光芒となり、周囲に展開していたドローンに反射して、一瞬にしてレナードらの眼前に光の網を形成したのである。いかに細く微弱なエネルギーといえども、AAMの信管を反応させるには十分なエネルギーを有したそれらは、さながら薄幕の電磁防壁。光の網に絡めとられたミサイルは次々と爆散し、空中空母本体へ1発たりとも掠めることすらなく、虚空に焔を散らして消えていった。

 

《拡散ビームだと!?》

《旧エルジアのシールドドローンか!?》

「抜かった…!各機ダイブ、急げ!アルゴラブ隊、二次攻撃を頼む!」

 

 空中空母の左を掠め、左旋回からその背を見やりながら、レナードは臍を噛んだ。敵にも近接防御の備えがあることは想定していたが、合計20発以上のミサイルによる同時攻撃を全て防ぎうる手段は流石に想定外である。豊富な火力を有する『アドバンスドライトニング』ならばいざ知らず、空中空母の長距離ビームを突破することに重点を置いていた『カットラスⅡ』では、これ以上の戦闘は不可能と言っていい。敵護衛機は既にダイブする僚機を追撃する体制に入っていることに加え、空中空母の両舷からは無人機と思しき小型の機影も射出され始めており、これ以上の長居は死と同義に他ならなかった。

 

 だが。

 

《『ギェナ1』!…隊長!何やってるんです!隊長も早く離脱を!》

「そうも行かないんだな、これが。アルゴラブ隊の到着まで、奴のビーム攻撃を防ぐ必要がある。お前らはそのまま低高度まで離脱しろ。ダイブに徹すれば『ファルクラム』は引き離せるかもしれん」

《…隊長!》

伊達男()がエスコートをほっぽり出せるかよ!」

 

 急降下する5機の『カットラスⅡ』を追う、2機の『ファルクラム』。残る2機はこちらと空中空母との間に割って入り、正面から迎撃する構えを見せていた。既にミサイルを使い果たしたこちらとは対照的に敵機は火力を維持しており、やや上方の機位、近接戦における運動性、そして数の面のいずれでも敵機の方が優っている。

 ――そんな事は、今更問題ではない。元より不利は承知である。

 己の責務を飄々とこなしてこそ伊達男。自認したその在り様を、自分自身が否定してなるものか。

 

 正面から『ファルクラム』が迫る。

 距離1800、1500。降下機動に入っているためか、流石に速度は速い。

 口端に浮かぶは、苦笑とも皮肉とも、歓喜ともつかない男の笑み。

 嗚呼、こうして真正面から迫ってくるのがグラマーなブロンド美女、それも2人まとめてだったのならどんなに良かったことか。

 

 相対距離が1000を切る。

 ロックオンアラートの長音がミサイル発射を示す拍動へと変わる。

 空中空母、ガイドレーザー発射。方向、アルゴラブ隊の接近方位。

 飛来、4連。ミサイルと機銃。

 瞬間。

 

「悪いが――俺の心臓、そんなに安くはないぜ!」

 

 フットペダル踏み込み、操縦桿左手前。コンマ秒後に出力カット、左ロールへ。

 敵の火線が殺到するまさにその瞬間、レナードの『カットラスⅡ』はカナードと前進翼に裏打ちされた横機動性を活かし、進行方向を軸にバレルロールを展開。これまでの鈍重な機動とは対照的な鋭い旋回を以て、正面からの迎撃を紙一重で回避して見せた。すれ違いざまに放ったSLPL――IPDSの機構を応用したプラズマ投射砲――の直撃を受け、右翼を溶断された護衛機の片割れはスピンを描きながら墜落してゆく。

 無論、それを省みるゆとりはレナードには無い。後方で大きく弧を描く『ファルクラム』を引き離しながら、空中空母の左舷側を擦過して、ガイドレーザーとアルゴラブ隊の間へと割り込むべく機体を増速させてゆく。

 

「間に合ってくれよ!」

 

 距離にして300という至近距離、IPDSのプラズマ放出と荷電粒子ビームの照射までの間は、時間にしてわずかに1秒ほどのこと。放射されたビームはプラズマの磁界に阻まれて無数の光軸となり、レナードの『カットラスⅡ』や空中空母自身の装甲を削りながら、細かな光の塵となって消えていった。

 

 HMD上、アルゴラブ隊の8機は健在、接敵まであと30秒ほど。乗機『カットラスⅡ』のプラズマ発生量わずか、ステルス能力30%に低下。IPDS使用不能。

 後方には――振り返るまでもなく、反転した『ファルクラム』と無人機の姿。

 状況と彼我の位置を吞み込んで、レナードは不意に煙草を吸いたい気分に襲われた。

 初手での空中空母撃沈こそ敵わなかったものの、アルゴラブ隊への攻撃を防ぎ、部下を逃がすことには成功して、敵護衛機の戦力も削ぐことはできた。一方で、現在の自機の位置では撃墜は免れず、アルゴラブ隊の戦力でも空中空母の拡散ビームをかいくぐることができるかどうかは定かでない。

 

 ささやかな自己満足と、茫漠たる諦念と。こんな気分には煙草が合うのだが、あいにく胸ポケットにも備えなどあろうはずはない。もたもたと感傷に浸っていては、脱出も間に合わなくなってしまうだろう。

 この点、レナードに最新鋭実験機を是が非でも持ち帰ろうなどという殊勝な心掛けは皆無であった。何せ、伊達男の命は戦闘機より重いと放言して憚らない男である。

 

 遠目にアルゴラブ隊の機影を確かめ、レナードは緊急脱出レバーへと手をかける。

 しかしそれは、この空においてついぞ引かれる時は訪れなかった。

 

位置の見極めに下方をちらりと覗いたその時、レナードの鋭い視力が『それ』を逃さず捉えたのである。

 空中空母の真下、海面近くから急上昇する、槍の穂先のような鋭い機影を。

 

******

 

《空中空母、高度4500。識別よりクラリアス改級『メラス』と推定。周囲にMiG-33SS『ファルクラムSS』1、形式不明の戦闘用UAV8を確認しました。GRDFの形式不明機1が追尾されています》

「間に合ったか…!真下からどてっ腹にぶち込んでやる!」

 

 水面に反響する轟音が足元から遠のき、代わって強烈なGが真正面から体を押し付ける。

 高度300、600、1000。ベース機から一転して加速性能を重視した『サイファード・ワイバーン』だけに、その上昇力はR-211『オルシナス』に匹敵するほどに凄まじい。優れた推力重量比を以て運動エネルギーの損耗をねじ伏せて、鋭角の機影は死角から突き上げるように空中空母の底部を指して昇ってゆく。狙いは艦体底部、両舷モジュールが干渉していない脆弱な空母の脇腹。

 

 急いだ甲斐があった。急かされた焦りで噴き出た汗を拭い取り、レフは心中に独りごちる。

 GRDFが空中空母へ接敵した直後に『プリンシペ・デ・アルルニア』を発ち、レーダーに探知されない超低空を飛ばしに飛ばして十数分。GRDFが一次攻撃を終え、『ウロボロス』側の注意がそちらへ向いた隙に懐へ飛び込めたのは僥倖と言う他ないであろう。空中空母の航路上かつ空戦域にもほど近かった位置に偶然『プリンシペ・デ・アルルニア』が潜伏していたのがその要因であり、いわば『プリンシペ・デ・アルルニア』は大鯨の喉元に突き付けられた一振りの短刀と同義であった。

 この偶然を、幸運を、逃す訳にはいかない。

 

《敵UAV反転。2機が降下に入ります》

「強行突破する。何か異変があったら警告しろ、スフィア!」

《了解。敵空中空母下方に熱源反応増大、警戒してください》

「…野郎!」

 

 眼前――すなわち直上。一次攻撃隊と思しきGRDFの1機を追撃していたUAVがようやくこちらに感づいたらしく、翼を翻して急降下に入ってゆく。

 カモメのように上曲した主翼と、カメムシを思わせる角ばった胴体。見覚えのある無機質なその姿は、以前オーレッド湾で会敵した謎の潜水艦に搭載されていたUAVと同じタイプに見て取れる。いずれにせよ余計な機動でエネルギーを浪費する余裕は無く、今は真正面から強引に突破する他に無かった。

 

《そこの所属不明機、待て!空中空母に近寄るな!》

「…!?この声…!?」

《…敵は拡散ビーム…ビームネットでミサイルを迎撃する手段を持っている!一方向からの攻撃は無意味だ!…聞こえてるのか、これは…クソっ!使い慣れないオープン回線じゃ勝手が分からんぜ!…とにかく!そこから急いで…!》

「聞こえてるよ伊達男、静かにしてろ!こっちは最初(はな)からその積りだ!」

《…!お前は…!?》

 

 聞き覚えのある声。脳裏に過ぎる浅黒い肌と、端正な顔立ち。

 やはりあいつかと苦笑一つ、レフはなおも『ワイバーン』を駆り上昇を続けてゆく。既に相対するUAVとの距離は1300を切り、空中空母へも2000を数えるばかりとなっていた。

 レフにしてみれば、切り札たる荷電粒子砲を備えた空中空母が近接防御手段も備えているというのは想定の範囲内であった。正確にはレフではなくフォルカーによる予想ではあったが、あれだけの巨体を誇る――言い換えればそれだけ被弾のリスクが高い空中空母が、近接防衛に関して何の備えも無いというのは不自然である。空中空母本体は対空砲等の防御火力をほぼ備えておらず、対空能力が低いという欠点は『ウロボロス』所属時に知悉していたことから、残る手段として『通常火器に依らない迎撃機構を備えている』という予測に至るのはいわば当然の帰結であった。この点、直近に『ヴェパール』が備えていた電磁パルス防御システムという例を見ていたレフ達にとっては容易に想像できる話であったといえるだろう。

 そして、先の伊達男(レナード)の言葉でその種が拡散ビーム――すなわち荷電粒子による電磁干渉と、熱エネルギーによるミサイルの破壊によるものと判明した以上、敵の防衛網は破ったも同然であった。

 

 正面左右、ミサイル2発、遅れてさらに2発。ロールでエネルギーを失うのも惜しく、レフは針路を維持したまま、咄嗟に操縦桿のトリガーを引いて『ワイバーン』からフレアを放出する。

 機体主翼付け根から左右へ放たれるそれらは、しかし速度と慣性を帯びたミサイルを誘うに些か遅い。

 左右へ大きく針路を曲げた後発の2射とは対照的に、先行し速度が増した第一射は十分に『ワイバーン』から引き離すこと叶わず、それらは『ワイバーン』の間近で近接信管を作動させ炸裂。灰色の躯体は一瞬爆炎に包まれ、飛散した破片は『ワイバーン』の外装を左右から掻き削いでゆく。

 

 擦過する無人機の轟音が過ぎ、薄墨の帯を引いて黒煙を抜けた先の空。

 そこには蒼穹を背に虚空を泳ぐ大鯨の、無防備な腹が横たわっていた。

 

《至近弾により機体が損傷しました。ロール性能、エンジン冷却機能、いずれも低下しています》

「今飛べてりゃそれでいい!…照準補正、安全装置解除!使用兵装、主翼下単装レールガン4基!」

《了解しました。単装レールガン砲口展開、電圧正常。…気を付けてください、レフ。ドローンが艦底部に展開。空中空母の熱量が更に増大しています》

《本当にあのまま突っ込む気か…!…信じていいんだな、ミスター!?》

「今以上の賭け時があるかよ!――いいからおたくの掛け金(ミサイル)、全部乗せやがれ!」

《…!アルゴラブ各機、ニューコム機が仕掛けた直後にミサイル斉射だ!急げよ!》

 

 打てば響くその声に、噛み締めた奥歯から笑みが漏れる。

 眼前、照準の央。狙いは荷電粒子砲と思しき底部構造体とジェネレーター。

 閃光。底部から放たれた光軸が、周囲のドローンに反射して幾何学的な光の網を描き出す。

 怯み、一瞬。それでも操縦桿を握る掌は緩まず、『サイファード・ワイバーン』の2基のエンジンは一層の唸りを上げて吠え続ける。

 距離、1500。1200。

 1000。

 大鯨の心臓へと銛を穿つ、必中必死の距離。

 

「行けェェェ!!」

《各機斉射!!》

 

 炸薬を内蔵せず、音速を以て対象を貫通する砲煩兵器――レールガンにおいては、磁性と熱量を帯びた光芒の網を以てしても防ぐことは叶わない。

 距離1000を切る至近距離から放たれた4発のレールガンは、荷電粒子の熱量でその弾頭を灼かれながらも殺到し、過たず空中空母の底部へ着弾。荷電粒子砲の構造体が()し割れ、亀裂から爆炎が漏れ出た一瞬後には無数のミサイルがその船体へと着弾し、鈍色の巨体は瞬く間に焔と黒煙に包まれた。

 

 揺らぎ、墜ち行く空中空母。船体が軋む断末魔の悲鳴と誘爆の爆炎を割いて、レフの『ワイバーン』は空中空母の直上で翼を翻し反転する。

 先ほどの至近弾によるダメージか、ロール速度はやはり鈍い。致し方なかったとはいえ、たった一航過の交戦でここまでのダメージを負ってしまうとは、パウラに知られれば説教は必至であった。

 

「どうも『オルシナス』の頃の癖が抜けてないな…。耐久性を過信し過ぎたか」

《レフ、後方に敵機です。距離600》

「なっ!?」

 

 油断を討つ、戒めの一撃。

 後方の敵――『ファルクラム』から放たれる筈だったそれは、しかし反射的に振り返ったその瞬間には既に潰えていた。敵機が攻撃態勢に入ったその瞬間、横合いから割り込んで来たレナードの機体が『ファルクラム』へ電光を撃ち放ち、その機首を一瞬にして両断せしめたのである。さながら首を失った亡者のように、機首を抉られた『ファルクラム』は切断痕から煙を吐いて、よろよろと海面目掛けて墜ちていった。

 

 間一髪で死神の鎌を潜り抜けた安堵感に息を漏らし、レフは浮かんだ汗を拭う。

 HMDの端にはレナードの見慣れぬ機影が大きな弧を描き、右隣りへゆっくりと近づいて来る様が映し出されていた。

 

「悪いな、助かった」

《お互い様だな。にしても、そんなイカした機体を持ってるなんて聞いてないぜ》

「あんたこそ。そのキモ……あー…個性的な戦闘機は初見だ。ゼネラルの新型か?」

《企業秘密って所だ。一つや二つミステリアスな所があってこその伊達男ってな。…さて、『ギェナ1』より『ギェナ2』!そっちは無事か!?》

《こちら『ギェナ2』。現在、NEUの艦載機と連携し敵機へ反撃を行っています。全機健在!》

《よしよし、了解した。それじゃあミスター、一番槍は譲ったんだ。残りの獲物は頂いていいよな?》

「おう。一個貸しだからな、伊達男!」

 

 返答代わりのロール一つ、傍らの漆黒の機体は翼を翻して、ゆっくりと下方の交戦域へ降下してゆく。鈍く陽光を反射して遠ざかってゆくその機影は、やはり遠目から見てもどうにも奇妙な姿であった。

 

《敵無人機を掃討する!空中空母への止めも抜かるな!》

 

 レナードの声が、オーレッド湾の蒼穹へと響き渡る。

 眼下では新たに爆炎を吐いた空中空母がぐらりと揺らぎ、黒鉄(くろがね)の臓腑を水面へと散らす様が映えていた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。