Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere - 作:びわ之樹
宵闇を払う暁が、東の山脈を裂いて褐色の大地を照らしてゆく。
雲量、0。見渡す限り曇りない、白みを帯びた蒼穹が崇く透き通る快晴の朝。高度5000に届く高空にあっても与圧されたコフィンに収まっていれば寒さは感じない筈ではあるが、見渡す限り果てのない空の姿と徐々に山がちになってゆく無機質な眼下の光景、そして後のない乾坤一擲の現状を省みれば、ひやりと冷たい感覚が肚の底に満ちていくのは否めない。
決戦、である。
もはや互いに後は無く、負ければ亡滅は免れない、全戦力を賭した争覇の果ての空。どちらが勝利するにせよ、この戦闘の勝敗はすなわち一連の紛争の勝敗に直結すると評してよい。
『ウロボロス』にまつわる騒乱の終末を予感しながら、レフ・ミハイロヴィチ・ヤコヴレフの姿は、ウスティオ南部からベルカ方面へと馳せ向かう数多の翼の中にあった。
《空中管制機『デル・アリエス』より作戦参加の各機へ。これよりグラン・ルギド司令部との長距離通信の最終テストを行う。小隊長各機は本機と光通信のリンクを開始せよ》
編隊のはるか上空に位置する空中管制機の指示に従い、レフは
網膜認識、確認。サブディスプレイより通信系制御メニューを展開。さながら虹彩が受光量を調節するように、コフィン表面に配された光学センサー素子が内部レンズを前後させて、上空からもたらされる不可視のレーザー光を受け取るべく角度と精度を調整してゆく。
下命して数秒ののち、HMDに表示されるのは『接続完了』の赤い羅列。他の列機もそれぞれが受信確認を終えられたのだろう、光通信のネットワーク接続状況を示すサブディスプレイには、次々と接続を示す各機の表示が続いていった。
《編隊全機のネットワーク接続を確認。グラン・ルギドとの長距離通信を開始する》
念を押す管制官の声に異議を唱える者はなく、『異常なし』と同義の沈黙が通信を満たす。
間を置き、待つこと数秒。HMDの前方上面、メインディスプレイの上半分に映し出されたのは、グラン・ルギド司令部で指示を執るクルスの姿だった。
《こちらグラン・ルギドのNEUサピン方面司令部、クルス・コンテスティ顧問航空技官。スーデントール攻撃隊各機へ、まずは
迷いを捨てた、あるいは責任感で覆い尽くした男の端正な顔が、数百㎞もの距離を隔ててなお鮮烈にレフの瞳に映える。些か残る削げた頬の痕は否めないものの、それでもディスプレイの向こうの瞳に宿っているのは、護るべきものをどっしりと肚の底に据えたのであろう、決意の籠った色だった。
無理するんじゃねぇぞ。
口中に紡ぐ、激励と心配の言葉一つ。クルスの言葉が通信に続く中、レフは昨晩までに伝えられた作戦行動計画――対『ウロボロス』の最終局面たるスーデントール攻略作戦の内容を、今一度脳裏に反芻した。
目標は、現在オーシア東方方面の『ウロボロス』が戦力を集中させている工業都市、オーシア連邦ノースオーシア州スーデントール。地理としては北側をバルトライヒ山脈が東西方向へ走り、都市内にはシュヴェスター川の支流が縦横に流れている。南方にはウスティオから連なる山岳地帯が続いていることも相まって平地面積が少なく、機甲部隊の展開には難があることが懸念された。水上戦力からの艦対地ミサイルによる攻撃も検討されたが、水上戦力は遥か南のフトゥーロ運河か、せいぜいオーシア連邦内の五大湖までしか進行できず、敵水中・航空戦力の反撃により袋の鼠となる危険性があまりにも高い。スーデントールの軍事・研究施設の付近には民間施設も点在している以上、巡航ミサイルや弾道ミサイルによる攻撃も民間人の死傷者発生の危険性は極めて高かった。いかに非常時といえど、軍による民間人への誤射がどれだけ世論に影響するかは、21年前の灯台戦争が証明済みである。
以上の条件に加え、『ウロボロス』には二つの脅威が今なお存在していた。
一つは言わずもがな、『ウロボロス』が有する空中空母の存在である。以前にGRDFと共同で撃沈した際と異なり、今回はスーデントールの防衛に残る1隻の空中空母が宛がわれる可能性が高い。言い換えれば空中空母の護衛機による支援や待ち伏せによるこちらへの漸減攻撃、地上からの対空火器による支援があると考えてよく、十分な迎撃態勢が敷かれていることは間違いないだろう。地の利が相手にある以上、通常の航空戦力による撃沈は困難を極めることは容易に想像できることであった。
もう一つの脅威は、『ウロボロス』が推し進める電脳化である。ここしばらくの対『ウロボロス』戦闘では、敵が命の危険を顧みない危険な接敵や特攻戦術を採る事例が多々生じている。先日映像で見た特攻爆撃の様子も鑑みれば、『ウロボロス』が隷下のパイロットに電脳化処理を施していることはほぼ確実であった。
空中空母は確かに脅威ではあるが、正味なところ、こちらの事実の方がどれだけ脅威か計り知れないだろう。電脳化を施された人間は、有機物としての肉体に依らず、電脳上に疑似AIとして存在するとされる。言い換えれば、たとえ搭乗している機体が撃墜されても、機体が電脳空間たるエレクトロスフィアに接続さえしていればパイロットは容易に離脱でき、そのまま電脳空間を介して別の機体に搭乗することができるのである。これは兵士の不死化と言い換えてもよく、有史以前からの戦争における課題を一挙に解決する恐るべき手段と言ってよかった。
こちらがいくら小手先の勝利を掴もうと、『ウロボロス』は資源とスーデントールの工廠が残る限り、無限に兵力を補充できる。この状態が続けば、人的資源が有限なこちらの敗北は目に見えていた。
地理的な制約、そして二つの脅威。
これらに対応すべく、クルスらNEU司令部が作り上げた作戦計画は、GRDFをも巻き込む大規模なものであった。
作戦は、大きく分けて3段階。
第1フェイズは、サピンのNEUおよびレクタ、ラティオのGRDFが有する巡航ミサイルにイーオン粒子充填弾頭を搭載し、成層圏で起爆。短期間に大量のイーオン粒子を高高度域で散布することにより、一時的にベルカおよびノースオーシア全域での衛星通信を遮断する事である。
本来、イーオン粒子充填弾頭は大気の浄化のために各勢力で使用されているものであるが、電荷を帯びる特性上、高濃度のイーオン粒子には通信機能を阻害する事例が報告されている。今回はそれを逆手に取り、エレクトロスフィアとの通信を遮断することで電脳化したパイロットの機体への往来を断ち、電脳化したパイロットの離脱と再搭乗を封じようというのが本フェイズの主眼であった。同時にゼネラル、ニューコム隷下の各通信企業はベルカおよびノースオーシアにおける通信を一時的に遮断。事実上、スーデントールは一切のネットワークから隔離された、電子の海の孤島と化す訳であった。
無論、イーオン粒子散布後はこちらも長距離通信が使えなくなる。この対策として、NEUでは強力な光通信機能を有する空中管制機や電子戦機、果ては装置を積み込んだだけの輸送機まで総動員し、空中に光通信網を形成。司令部や展開各部隊の連携を綿密たらしめる手段として用意していた。
第2フェイズは、スーデントールへの進行である。彼我の位置と地理的条件を踏まえ、今回はウスティオ北部の山岳地帯を抜け、所謂『円卓』を経由してスーデントールへ至る最短ルートが選択された。敵迎撃機や空中空母との交戦はこの空域となる可能性が高く、とりわけ前述のとおり後者は強敵である。
この対策のため、今回の攻撃部隊には対装甲目標用に単装レールガンを装備したR-211『オルシナス』複数機が用意され、空中空母対応部隊として随伴していた。編隊にはこれ以外にもレールガンを装備したヒカリの『グリペンJ』や、空中空母の光学兵器を無効化できるレナードらのYFA-47SC『カットラスⅡ』も就いており、
上記の『ウロボロス』防衛線を突破した上で、敵本拠スーデントールの制圧を行うのが第3フェイズである。無論航空戦力のみで拠点を制圧することは不可能であるため、まずは上空から『ウロボロス』側の航空戦力及び地上戦力を漸減。敵の迎撃能力を奪ったのち、レクタ方面から進出するGRDF空挺部隊が空挺戦車『アントリオン』を投入し、随伴する降下部隊とともに地上を制圧する方法が採用された。ニューコムとしては機密情報の秘匿のためにGRDF空挺部隊の投入は避けたかったであろうが、背に腹は代えられないということなのだろう。
イーオン粒子の霧散速度と上空の風速を踏まえると、第1フェイズにおいて衛星通信が遮断できるのは長くて24時間。すなわち明日の朝日を拝むまでに、こちらは全ての決着を付ける必要があるという訳であった。
――そう、全ての決着を。
「…スフィア」
《はい》
「泣いても笑ってもこれが最後だ。俺たちは必ず勝つ。勝たなきゃならねぇ」
《はい》
「…俺は。お前の力を十全に使う。俺の技量も、『サイファード・ワイバーン』の性能も、ヴァルハラシステムも、全てを絞り出して使い尽くす。全てを使って、この馬鹿げた戦争を終わらせるんだ」
謳うように、自らへ決意を打つように、レフは独り言葉を紡ぐ。
いざとなればヴァルハラシステムを積極的に使っていく――それは、迷い、悩んだ末の決断だった。
正直に言って、納得はしていない。システムを使わずともスフィアが心を失っていくことは変わらない為という、ある意味合理的な諦念も決断の理由には程遠い。いくら事実がそうだと言っても、『相棒』を犠牲に力を得るという様相はレフの信念に合致するものでは断じてない。
それでもレフは、敢えてその決断を下した。納得を第一義とする自らの信念を折ってでも、『生きて欲しい』という彼女の願いを尊重する為に。いかに醜く無様でも、地を這ってでも生き残る為に。――自らを成長させてくれた、無から生まれた有という尊い精神に応える為に。
「――だから。この戦争が終わったら、俺は、お前を――…」
元に戻す。
口を衝いて出かけたその言葉を、しかしレフは静かに呑み込んだ。
どうやって。電子機器やシステム関係の事は全く分からない。仮にフォルカーに相談したとして、そうおいそれとできるものなのか。もはや一体となりつつあるヴァルハラシステムからスフィアを引き剥がすことはできるのか。いや、そもそも一体どこまでがシステムで、どこまでがスフィアなのか。成功どころか手掛かりの当てさえ無い希望を口にする事は、自らを慰める為の願望でしかない。益体も無い、とはまさにこのことではないか。
沈黙、数秒。ディスプレイに映るスフィアは怪訝な様子一つ見せず、指示を待つようにこちらを真っすぐに見返している。そもそもが電子上の存在であるスフィアにこう評することはおかしな話だが、感情を湛えないその瞳の色は、まさに無機的と評するに相応しい。
スフィアが変わってしまってからこの方、肚の奥底にふつふつと滾り続ける熱が、また一つ熱量を増してゆく。憤激と言い換えてもよいその感情は、果たして『ウロボロス』に対して向かったものか、それとも己に対してか。少なくとも『ウロボロス』にしてみれば八つ当たりに近いものではあっただろう。
それでもいい。八つ当たり上等ではないか。そもそも『ウロボロス』の思想信条が気に入らないのはいずれにせよ変わらない訳であり、その『ウロボロス』を潰さねばこの先は無いのだから。この戦いに勝利しなければ、未来の可能性すらも掴めないのだから。
《…24時間後、皆の変わらない顔と対面できることを願っています。……間もなくイーオン粒子の散布を開始する。作戦参加各位、健闘と――生還を祈る!》
生還を、期す。クルスの言葉を胸に刻み、レフは両掌で頬を揉んで、下腹に力を籠めた。
仰ぎ見た蒼穹、抜けた空の底には、北へと奔る鏃のような幾筋もの白い帯。雲を遥かに超えた高高度を馳せるそれらは、やがて北辺に至って次々と爆ぜてゆき、オーロラを思わせる淡緑色の燐光で空の果てを染めてゆく。
空を覆うイーオン粒子の帷の下、綿密に張り巡らされた策謀と光通信の網の中を、無数の翼は北を指して飛んでいった。
******
――そして。張り巡らされた糸は、その初手にして早くも綻びを見せていた。
同時刻、ノースオーシア州南西端の地方都市ルーメン。対『ウロボロス』の主戦場から遠く隔てたこの地を指して、『ウロボロス』の航空部隊が突如として姿を現したのである。
想定外のこの動きを最初に察知したのは、明朝にヒカリを送り出して後にしばらく警戒を続けていたルーメン・メディエイション・エージェンシー(L.M.A.)であった。
「どうですか?」
「間違いありません、サヤカ支社長。所属不明機複数、こちらへ向かって来ています。反応が微弱で、正確な機数は不明です」
管制室に響く、震えを帯びたレーダー技師の声。レーダーモニターを覗き込んでいたサヤカは対照的にふむ、と息をついて、傍らに控えていたパウラへと視線を向けた。長い睫毛が彩る細い目には、どこか訝しげな色が滲んでいる。
「どう思われますか?」
「スーデントール制圧部隊へ側面攻撃を仕掛けるには不自然だ、ここはウスティオを目指す経由地としては遠すぎる。連中は明らかにルーメンを目標にしていると見ていいだろう。…サヤカ、すぐにルーメンを離れる準備をした方がいい。他の職員にも急いで通達を」
「ええ、その積りです。私は搭載機材とともに社の『クラッカーU』で。搭乗しきれない職員は陸路で分散させましょう。…正直、いずれこの時が来るとは思っていましたが」
自嘲でも暗澹でもなく、ただ事実を並べるようにサヤカは独りごちる。サヤカが言う通り、そもそもレフやヒカリ達がルーメンへ脱出して以降、L.M.A.は彼らに全面的に協力し、時には輸送路への攻撃といった妨害工作までしてきたのだ。技術の極致に達した現代の衛星網を以てすれば、その根拠地の所在を早晩『ウロボロス』が察知することは目に見えたことだった。
そして、明白なその予測を目前にして、サヤカが指を咥えて観ている筈は無い。緊急時のルーメン脱出に備え、社が保有する輸送機An-178UC『クラッカーC』にあらかじめ
唯一の誤算は、スーデントール攻略のために周辺のNEUが根こそぎ払底しており、救援の見込みが一切立っていないことであるが。
「パウラさん」
「分かっている。すぐにJ-10で上がって上空警戒のカールと合流する。サヤカが逃げおおせる時間くらいは稼いでみせる」
「…パウラさん。分かっているとは思いますが、どうか命を第一に。…
「…善処するよ」
「……嫌な言い回しを覚えられましたね」
「君のビジネス用語の真似さ」
苦笑とも呆れともつかない、ふ、という笑み一つ。無言の裡に互いに頷き合ってから、パウラは踵を返して格納庫の方へと走り出して行った。アスファルトの通路を隔てた格納庫では、既に緊急発進の指示を受けたらしい整備員が、パウラの乗機であるJ-10XD2『ファイアバードⅡD2』の発進準備を進めている。
傍らの壁にかけていたフライトスーツを身に纏い、次いでヘッドセットを頭へ。ベルカ残党に属してから今に至るまで30年以上繰り返して来た出撃前の作業は、たとえ意識せずとも体の髄まで浸み込んでいる。できれば僚機のカールやイングリットとも綿密に情報共有をしたかったところだが、緊急事態下で贅沢を言う訳にもいかなかった。
「すみませんパウラ主任!遅れました!」
「問題ない。お前の『デルフィナスU』も発進準備に入っている。点検が終わり次第上がる」
「はい!」
緊急事態を聞いて駆けつけて来たのだろう、遅れて格納庫へ到着したイングリットがぜえはあと息を喘がせる。呼吸を整えながら、短く下した指示にもすぐさま弾けるように返したその様は、瑞々しいばかりの若さを感じさせた。思えば、彼女と自分とは倍半分も年齢が隔たっているのだ。40代も半ばを過ぎた己を省みれば、年を取ったものと思わずにはいられなかった。
――年、か。
小柄な様は変わらぬまま、皺だけが増えた自らの掌へと不意に目を落とし、パウラは微かに自嘲する。気づけば、東方戦争の頃の『隊長』と変わらない年になってしまった。最近では戦闘機で空を飛ぶのにも疲労を覚えるようになった自らを省みると、一部隊を率い、かつ裏で策謀を張り巡らしていた『隊長』のバイタリティには今更ながら驚嘆せざるを得ない。それを支えていたのは偏に狂信的な程に一途な復讐心と、同志の意思に応えんとする責任感だったのだろうと、今では理解もできる。
翻り、私はどうか。
この命を、エリクから貰った『未来』を、果たして私はうまく使えているのだろうか。
暖気のため回転数を上げるエンジンが、空気を割く甲高い金属音を響かせながら、徐々に唸りを強めていく。
しばしの沈黙に、小首を傾げ怪訝な表情を見せるイングリット。苦笑一つ、パウラはハンドサインでイングリットへと『乗機搭乗』を示し、自らも機体に架けられたタラップを昇って、開放された『ファイアバード』のコフィンへと体を滑り込ませた。
キャノピー閉鎖、コフィンシステム起動。さながら神経が励起し血液が通うように、キャノピーの内側を覆う全周囲モニターが次々と外部の像を結んでゆく。
機体制御、火器管制、推進系、駆動系いずれも正常。型落ちの感は否めないJ-10XD2ではあるが、簡易な構造に裏打ちされた整備性の高さの賜物か、運用開始から時間を経てなおその性能に遅れは感じられない。胴体下部の23㎜機関砲、主翼ハードポイントの赤外線誘導近距離
「『デメルング』より『ギャラハッド』、離陸後一気に高度3000まで上昇する。上空の『センチネル』は5000に占位し、敵の状況を確認。敵のステルス機に注意しろ」
《了解っス。現時点では可視領域に敵影なし、今なら問題なく離陸できるっスよ!》
《『ギャラハッド』了解です。『デメルング』に続きます》
ブレーキ、解除。地上班の誘導に従い、『ファイアバード』の小柄な機体が徐々に暁の下へと翼を進めてゆく。後方には灰色に塗装されたUPEO仕様のR-101U『デルフィナス』が続き、やや遅れてタキシングルートへ進んでゆく様が見て取れた。滑走路を挟んだ大型機用の駐機庫には離陸準備を進めるAn-178UC『クラッカーC』の姿もあり、ルーメン脱出の算段を進めているらしいことが伺い知れる。
管制官の指示、地上員のハンドサイン、いずれも確認。発進許可の指示に応じるように、パウラはブレーキを解除するとともにスロットルを徐々に開いてゆく。始めはゆるゆると這うように、やがて加速度的に機速を増して、林立する鈍色の建物は瞬く間に後方へと過ぎ去ってゆく。
ふわり、と体が重力の軛を離れ、浮揚感が体を浸してゆく。すぐさま主脚を収納しフラップを格納したパウラは、間髪入れずエンジンの出力を増して、乗機の機首を天へと指して急上昇に入っていった。
《『センチネル』、敵機を捕捉したっス!機数4、距離6500…っスけど、目視上では機数6!案の定、ステルスが混じってるっスよ!》
「何?よく探せ。別の方位、異なる高度に機影は無いか?」
《と言われても…。全方位索敵、いずれも他に反応無しっス。方位220、高度2800で変わらず》
「………」
《主任?》
妙だ。
カールの索敵報告を聞き、反射的に脳裏に生じたのは、そんな些細な違和感であった。事前のレーダー観測通り、敵はベルカ方面からルーメンの方向を指して飛来していることはまず間違いない。
だが、それにしてはあまりにも機数が少なすぎる。いくら目標が民間の空港とはいえ、戦闘機の迎撃は当然予測している筈である。ヒカリが今朝から不在である事を連中が知る由も無い以上、こちらの内情を見透かして戦力を惜しんだ訳でもあるまい。針路にしても敵編隊は五大湖へ向けた針路を取っており、ルーメンを目指すにしては西へ偏り過ぎている。
何かが、おかしい。
――まさか、私は。何か根本的な部分を見落としているのではないか。
《敵編隊変針!方位190…こっちに向かって来るっス!》
「…何であれ、サヤカへの脅威は払う必要がある。全機、方位300へ変針。ルーメン市街から離れる」
《了解!》
頭を振り、思考を捉える疑念を振り払う。惑うな、今はただ目の前の脅威を払うことに注力しろ。
心中に一喝、パウラは半球状のレイカーを操作して、機体を傾け西へと変針する。戦闘機同士の交戦ではミサイルの破片や機体の残骸が大量に地上へ降り注ぐことになる以上、ルーメン市上空での交戦は何としても避けなければならない。
距離4500、4000。彼方に浮かぶ黒点が徐々に姿を露にし、それぞれの翼へ淡緑色のシーカーが重ねられてゆく。カールの報告通り、機数は確かに6。高度はやや下がり2500付近、機数こそ劣るものの、こちらは高度の優位を得ている勘定になる。
配置にして、高度2600に2機、2500に4機。機種は――。
《…『ラファールUM2』…!?空母艦載機が何でこんな所に!?》
「上の2機もF-35CR…艦載型か。詮索は後だ、まずは敵機を退ける」
また、一つ。重なる違和感を思考の外に置き、パウラは迫りくる敵機の様相を、戦場を俯瞰する。
眼下のルーメン市街は東に2㎞ほど離れ、代わって現空域は五大湖の沿岸へと差し掛かりつつある。ここならば例え敵機を撃墜しても、あるいは自らが機体を捨てても、都市部への被害は発生しない。
機位は先述の通りこちらがやや優位。敵機が迂闊に上昇しないのは、上空に位置するカール機を警戒してのことだろう。いくら新鋭のジェット戦闘機とはいえ、上昇の際には当然速度や機動は鈍り、当然それは誘導兵器飛び交う現代の戦闘において致命の隙となる。
そして、敵編隊を低空の格闘戦に持ち込むことができるならば。この旧式でも十分に勝機は見えてくる。
「『ギャラハッド』、高度を稼げ。私が敵編隊を崩す。分散した瞬間を狙い、『センチネル』と同時に一撃離脱を仕掛けろ」
《えっ!?…しかしいくら主任でも、1対6は…!》
「私は大丈夫だ。行け!」
《は…はい!》
抗弁も一瞬、威に圧されたイングリットが、口を噤んで『デルフィナス』の機首を上へと向ける。流石に高速性能を重視した設計ゆえか、その上昇力は同世代の機体群と比較しても際立って高い。黎明の光に翼の影を落としながら、鋭角の機影はぐんぐんと蒼穹へ上っていった。
3000。2000。未だ巡航速度とはいえ、音速機同士の相対速度は並外れて速い。相対距離は瞬く間に彼我の距離を狭め、SAAMの射程距離へと入ってゆく。通常であれば先制攻撃の有効な一打となるが、機数に劣り互いの速度が乗ったこの状況では、SAAMの終末誘導に至ると同時にこちらも懐に入られてしまうだろう。
すなわち、互いに匕首を抜き合う至近の一撃で、敵の編隊を崩す他に無い。
「降下開始。『ラファール』を優先して狙え」
《了解っス!》
距離が狭まる。
敵影が迫る。
距離、1500。
1000。
――800。
敵影に重なるシーカーがロックオンを示す赤色に変わったその瞬間、パウラはボタンを押下。主翼下部のAAM2発を発射し、一拍後に機体下部からフレアを放出した。相対する正面からはミサイルがしめて6発、こちらも各々がフレアやチャフを放出し、こちらの下方へ抜ける針路を示している。
距離が500を割る。
フレアの熱に誘引されたミサイルが矛先を逸らし、あるいは熱量に反応して炸裂してゆく。
連なる爆炎の花が、敵の姿を一瞬覆い隠す。
敵の目が、機械の眼が、焔に眩む。
――狙い澄ました、好機。
「見積もりが甘い!」
交錯する、まさにコンマ数秒の刹那。
その一瞬に狙いを定め、パウラは機関砲のトリガーを引いて、間髪入れずレイカーを引いて反転上昇へと入ってゆく。
血液が鉛直下方へと吸い寄せられ、目の前で天地が逆さまとなる旋回の頂点。ちらりと地表方向を
《凄い…!あの一瞬に寸分違わず…!》
「惚けるな!敵が立て直す前に数を減らせ!」
《り、了解っス!》
直上から急降下する2機の『デルフィナス』を視界の端に、パウラはレイカーを引いて機体を水平に戻すや、追撃を仕掛けるべく機首を下げて急降下へと入ってゆく。元来些かエンジン出力不足のきらいがあるJ-10ではあるが、高度優位から得た位置エネルギーを速度へと変換すれば、相応に加速力は得ることができる。横旋回に入り反撃を図るF-35を無視し、パウラは搭載力に勝る『ラファール』を優先して狙うべく機体を疾駆させた。
イングリットらの強襲を受け、尾翼と機体後部を抉られた『ラファール』が墜ちてゆく。
奔る目が捉えたのは、その傍らの僚機と思しき『ラファールUM2』。イングリットらの追撃を巧みに避け、こちらに背を向けてひたすらに加速を重ねていく様が見て取れた。
だが、速い。無防備に背を向けた一見隙だらけの姿であるが、J-10とほぼ同程度の自重でありながらより高出力なエンジンを2基搭載した『ラファール』の加速力は、元より『ファイアバード』と比べ物にならない。彼我の距離は瞬く間に1000へと達し、短距離AAMの射程を振り切ってゆく。
無論、それを無為に見過ごすパウラではない。
HMD上サブディスプレイ、兵装選択。SAAM、目標は正面の『ラファール』。決断は一瞬、網膜認識で素早く兵装を転換して、パウラは間髪入れず主翼内側ハードポイントのSAAMを発射した。
正面には誘導範囲を示す淡緑破線の円形。その中を、背にシーカーを刻まれ速度を速めてゆく『ラファール』が、焦ったように加速してゆく。いかに高速性能に優れる『ラファール』とはいえ、飛来するミサイルを速度で振り切る術はない。
だが。
《『デメルング』、後方2機!》
「っ!…思ったより速い反転だ。手出し無用!残りの『ラファール』を追え!」
イングリットの声に、反射的に省みた後方。距離1000ほどを隔てて背に張り付いたF-35の姿を捉え、パウラの胸にはじわりと苦みが込み上げた。
――やはり、年を取った。全盛期であれば格闘性能に劣る『ライトニングⅡ』ごときに背を捉われる不覚は取らない筈だが、体を労わり加速を抑えた結果がこのザマである。耐G装備の性能やコフィンシステムがあるとはいえ、加齢による身体能力の衰えは、もはや補えるものでは無かった。
ロックオンアラートが響く。後方警戒センサーが危急を謡う。
鳴り響く警報、己への失望。しかしそのいずれも、パウラの手を留めることは叶わない。レクタで教導飛行隊に属してからこのかた、数的不利を覆してきた経験は余りあるのだ。この程度の不利など、
ふ、と口端に過ぎった笑みは、歯ごたえのある戦況ゆえか、それとも脳裏に過ぎた懐かしい面影によるものか。
得られぬ答えが片隅に消え、入れ違いに響くはミサイルアラート。瞬間、パウラは左右のレイカーを斜めに捻り、同時にスロットルを一気に搾った。
『ファイアバード』の機首が上がり、同時に速度ががくんと落ちる。
後方、ミサイル4連。視界から外れた『ラファール』をよそに、パウラのJ-10はカナードを左右互い違いに傾け、同時に推力偏向ノズルが斜め上方を差し示す。横旋回と急減速、エルロンロールを組み合わせた大振りのバレルロールに、致命を狙ったミサイルは翼を掠め、次々と至近弾の破片を空へと刻んでいった。
追撃で加速を乗せていたF-35が、慌てたようにJ-10を避けて左へと急旋回に入ってゆく。
視界の端にその様を捉え、横滑りする機首をカナードの操作で強引に収めて、鋭角を描いて旋回した先。そこには、加速から上昇に入っていた『ラファール』の背と、母機からの照射を失い迷走していたSAAMの焔が映っていた。
距離、2100。疾風の名を冠する翼は、しかしついぞSAAMの射程から逃れることは叶わない。
淡緑の円環に再び囚われた『ラファール』は、旋回でその身を翻すことも能わず、J-10からの再誘導を受けたSAAMを尾部に受けて爆散。左右両翼と胴体に分かれ、一瞬後には四分五裂して、静謐を湛えた五大湖の水面へと墜ちていった。
《最後の『ラファール』も撃墜!もう一息っス!》
「いい調子だ。この程度なら問題は……」
新たに生じた黒煙を掠め、翻る『デルフィナス』の翼とカールの通信。脳裏に生じかけた油断を払い、残存するF-35を墜とすべく機体を急旋回させた、まさにその刹那。信じがたい
「――。待て。何だ、あれは」
《……え?》
北へと変針し、体勢を立て直す2機のF-35CR。その遥か先の空に、それは浮かんでいた。
大鯨を思わせる、丸みを帯びた漆黒の巨体。下部にぶら下がるゴンドラからは上へ湾曲した小さな翼とエンジンポッドらしき突起が伸び、概観すれば一昔前の硬式飛行船のような姿が蒼穹を背に空を泳いでいる。戦闘機を遥かに上回る巨体にも関わらずレーダー上に反応は無く、さながらそれは幻影か蜃気楼を疑いたくなるような光景であった。
――
《……『ウロボロス』の空中空母…!…そんな、どうしてこんな所に…!!》
《嘘…嘘、嘘っスよ、こんな!空中空母はスーデントールの防衛に就いているって話じゃ…!……それに、この反応…!微量の放射線が出てるっスよ!?》
「……――」
攻撃隊にしては乏しい数の敵。従来なら空母艦載機となるべき機種。ルーメンから外れた針路。放射線。
重なった違和感を、空中空母の姿が最後のピースとなって埋めてゆく。遅ればせながら事態の真相へと至り、取り返しのつかない自らの過ちにパウラは絶句した。
先の敵部隊は、ルーメンへの――L.M.A.への攻撃隊では断じてなかった。その進路と構成から察するに、おそらくは空中空母から発艦した前衛としての偵察部隊に過ぎなかったのである。その最終目的は定かではないが、ここルーメンはNEUら連合軍の進行ルートから外れた格好の迂回路であり、このまま南下すればオーレッド湾へと抜け、オーシア首都オーレッドやサピン郡都グラン・ルギドへと至る事になる。連中にとってはL.M.A.のような木っ端拠点などどうでもよく、初めから後方の拠点を突く算段だったのであろう。すなわち、ルーメンは単なる経由地に過ぎなかったのだ。
――それを。
敵の針路と目下の状況から早合点し、私は敵の眼をルーメンへ、L.M.A.へと向けさせてしまった。敵を防ぎサヤカを護る積りが、却ってサヤカを危険に晒す結果となってしまったのだ。
「………!私の判断ミスだ…!まさか、こんな…!!」
息が止まる。胸が締まり、絞り出した声がか細く消えてゆく。
30年前の
――どうすればいい。
エリク。教えてくれ。私は、どうすればいいんだ。
空中空母の下部から無数の無人機が投下され、さながら輪形陣のような幾何学模様を作り出してゆく。
東から指す暁は、その翼に照り返して、寒々しいほどに冷たい光を地表へと落としていた。