Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere - 作:びわ之樹
中天を頂いた太陽が、陰鬱とした影を白い地表へと縫い付けている。
晴天の屋外で直射に曝されていながら、体を包んでいるのは芯を震わすような寒気。フライトスーツの前面をしっかりと閉じていようとそれは変わらず、ただただ自らの奥底から漏れ出る冷え冷えとした感覚が、項垂れた全身を冷気の中へと浸しているかのようだった。
サピン北部、対『ウロボロス』攻略作戦の中間拠点として整備された、サン・ドラド中継基地。
滑走路に面した路上、朽ちかけの木箱に腰掛けて悄然としたように項垂れた、カール・グラッツェルの姿がそこにはあった。
「お願いです、何とか上がらせてください!ここで空中空母の侵入を許したら、ヴァレーでの犠牲も報われません!」
「申し出はありがたいが、ダメなものはダメだ!独断で勝手な真似はできん!それにこの基地の備品では、ゼネラル製の機体の整備は…」
「だったら片道でも保てばいい!NEUだって迎撃戦力は足りてない筈だ!どうか…!」
僅かな距離を隔てた路上では、GRDFのフライトスーツを着用したパイロット達が整備兵と押し問答を繰り返している。おそらくは先日のヴァレー空軍基地奇襲の際に合力したGRDFパイロットの生き残りらしく、彼らの向こうには被弾痕が生々しく残るF-16XA『セイカーファルコン』の姿が見て取れた。機器の点検中なのか機体からは無線音声が流れており、彼我の状況や動静を嫌が応にも教え続けている。
おせっかいな事に、と言うべきか、漏れ聞こえる無線のお蔭でここ数時間の状況はカールにも把握できていた。
不意を突いて現れ、ルーメンを突破し海上へと抜けた空中空母。残存戦力を結集して迎撃に向かうクルス顧問。『円卓』に独り残り
問題は、こちらの喉首に突き付けられた空中空母であった。ルーメンでの接敵状況から察するにおそらく所在不明となっていたベルカの遺産――核兵器『V2』弾頭を搭載していると考えてよく、首都グラン・ルギドやオーシア首都のオーレッドへの到達を許せばどれだけ犠牲が出るか分かったものではない。サピン内の戦力は払底している以上、迎撃の完遂の為には1機でも戦闘機が必要な状況であり、その為に自分たちも出撃して側面を突く、というのは一応の道理でもあった。幸いサピン北部というここの立地はオーレッド湾にもほど近く、全速力で飛ばせば僅か十数分で海上へと到達できる。
けれど。
気を抜けば震えだしそうな二の腕を懸命に押さえつけながら、カールは歯を食いしばる。
確かに道理はそうだけれど。…寒い。――怖い。
どうしようもなく恐ろしいのだ。あの空中空母が、その向こうに確実に待つ死が。
今更ながら、なぜこうも自分が臆病なのか分からない。でも、あのレフすら遥かに上回る技量を持つパウラ主任すら歯が立たず、命を賭した特攻ですら足止めにもならなかった存在なのだ。
恐ろしい。
後方警戒モニターの中で見た不鮮明な画像の記憶でも、その姿は瞼の裏に鮮明にこびりついている。羽虫に集られるように食いちぎられていくイングリットの姿を、遺体すら残らない程に粉々になったパウラ主任の姿を思い出すと、震えが止まらない。
耳を塞いでいよう。
目を逸らしていよう。
そうすればきっと、事態は自動的に解決していく。何せ迎撃に向かったクルス顧問はサピンの英雄の孫、NEUオーシア東方方面を代表するエースパイロット。これしきの障害、難なく突破してくれるに違いないのだから。
――数週間前の、救出直後の焦燥したクルスの姿。
成すすべなく撃墜されるパウラ機の残影。
悠然と蒼穹を泳ぎ去る空中空母。
先の独白をかき消していく幾つもの光景を頭の外へと追い出して、カールは顔を上げることなくGRDFのパイロット達から目を伏せた。もし片時でも彼らの背を見てしまえば、恐怖と罪悪感で押し潰されてしまいそうだったから。
「勇ましい事でございますね。若さゆえの血気かと思えば、羨ましささえ感じてしまいます」
いつの間にか背後に立っていたサヤカの声に、ぎょっとした面持ちでカールは反射的に振り返った。通信で聞いた限りでは、パウラ主任が命を落とした際にかなり取り乱していたようだが、視線の先に佇む今の姿は平時のそれとなんら変わりない姿としか見えない。出で立ちが普段のスーツでなく、L.M.A.の薄汚れた作業着姿であることを除けば、つい先ほど命からがらの脱出劇を終えて来たとは到底思えない事だろう。
「……サヤカ支社長。…落ち着かれたっスか」
「?と言いますと?」
「…あ、いや、その…パウラ主任の事っス。長年の仲間だったでしょうし、支社長のメンタルにって…」
「ああ、パウラさんの事でございましたか。ご心配なく。離別は悲しいことですが、いつかこうなる日が来るものと覚悟もしておりました。いつまでも悲しんでいては、パウラさんに申し訳ありませんからね」
「…そうっスか。……強いっスね、支社長は。俺には到底、真似できないっス」
視線を落とし、カールは胸の底から嘆息を零す。
サヤカの事を人情の無い冷血漢と言う気は無いが、それでも長年の仲間を失ってわずか数時間で立ち直るその精神は、とても真似できるものではないと思った。仲間はおろか、名前さえ知らない敵味方が簡単に命を落とす様でさえ恐怖となって自身の身を縛っているのだ。あまりにも自分と違い過ぎるその精神性には、到達することはできないだろう。
敬意というよりは半ば畏れのような感情を抱き、サヤカから目を逸らすカール。そのまま元通り落そうとした頭の上に注いだのは、まるでそよ風が過ぎるようにくすくすと鳴った、サヤカの微笑だった。
「…っ、…どうしたんスか」
「あらあら、失礼を。…カールさん、私はね、実は…少し嬉しいのでございます」
「嬉しい…?」
「パウラさんの事です。…パウラさんがお話ししていたか存じませんが、彼女はさる事情で、10代半ばの頃から私と仕事をしていました。出会った時、パウラさんは人間性が希薄で、生きる目的さえも見失ったウツセミのような状態だったものです。それが、今では生きた意味を見つけ、自分の意思で戦い、死んでいった。――人の信念は、結果ではなく過程に宿ります。私には、パウラさんが目的と意義を確立して、
「…でも、……そんなの…!」
違う。
常識をなぞるように、あるいは自己弁護を説くように、カールの心は反射的に反発した。
そんなものは、生き残った人間の自己解釈ではないか。結局は徒労に終わってしまった犠牲を慰めるために、恣意的な注釈を加えただけの詭弁に過ぎないのではないか。
――死んだら、何もかも終わりではないか。
「…そんなの、おかしいっスよ!どんなに立派な信念を掴んだって、死んだら終わりじゃないっスか!…さっきだって、足止めを考えずに全員が逃げに徹していれば、パウラ主任は死ななかったかもしれない。撃墜されても、不時着や脱出で助かる目だってあった筈っス。…死んだら、何もかも無意味じゃないっスか…!」
堪えられぬ激情が、自分でも意外なほどの熱となって口から溢れ出る。訳が分からぬまま涙を零しながら、それでもカールは思いの丈を懸命に絞り尽くした。怒りか、悲しみか、それとも自裁を求めてのことか。その理由は、カール本人にすら分からぬまま。
「愚かで、無意味な行為だった。カールさんは、そうお考えなのですね?」
「……。いえ…その…」
「私もそう思います。パウラさんの行為は、愚かだったでしょう。手の内の全てが読めないまま、あの空中空母に挑むのは無謀以外のなにものでもありませんでした」
「……」
「ですが、私は思うのです。愚かであることと、間違っていることはイコールではない。愚かでも、損でも、たとえ結果が無意味だったとしても。後悔をしたくないという情動が体を突き動かす事はあります。それこそが、その人間にとっての信念であり、『正しい』という事なのでしょう」
「……後悔をしたくない、情動…」
「だから、私は嬉しかったのですよ。信念とは、すなわち自分自身。かつて信念を――『自己』を持たず、命ぜられるままだったパウラさんが、その選択をできたことが。生物の中で、人間だけが養いうる情動、感情。それは、とても尊いことだと思うのです」
死んだら、終わり。それはやはり間違いない。
でも。だったら。
後悔を抱えたまま、生きて、生きて、生き果てて。増幅していく後悔という名の重荷を背負い続けることは、自分にとって正しい…快い生き方だろうか。
否、だ。そんなの、
死ぬのは怖い。今でも身震いしそうなほどに怖い。
でも、あの時結果的に二人を見捨てて逃げ、さらに座視した結果クルスまで見殺しにしてしまったら――その方がより怖く、寝覚めが悪い。そんな結末、納得できるものではない。レフも常々示していたではないか。納得できないことはしない。翻れば、一たび納得したからにはとことんやる、と。
「失礼しました、少々不謹慎でしたね」
「いえ。…一つ聞きたいっス、サヤカ支社長。俺の『デルフィナス』、まだ飛べそうっスか?」
「勿論。わが社の整備体制は万全でございます。航続距離の続く限り、快適な飛行を約束致します」
脚に力を籠め、立ち上がる。
血流が頭から落ち、数瞬眩む視界。こきこきと鳴る関節。そして、見上げた先。今なお太陽に照らされた、澄み渡った蒼穹――誇りと意地を託した、『キャンサー隊』の色彩そのままの崇く濃い蒼色の空。
「ありがとうございますっス、サヤカ支社長」
「行かれるのですね?」
「はい」
「ご武運を。ささやかながら、当社で分析した空中空母のデータを『デルフィナス』に組み込んでいます。あなた自身の正しさの、力となりますよう」
「はい!…っス」
迷いを収めた瞳を交わし、カールは踵を返して駐機した『デルフィナス』の下へと向かっていく。
乾いた地面と陽光が、風を産んで吹き抜けてゆく。
基地の喧騒と吹き抜ける風の中、徐々に入り混じってゆくのは、『デルフィナス』のジェットエンジンが唸る甲高い回転音。
「…ふふ。昔からの性分ですかね。殿方を奮い立たせる役割というのは」
抜けるような空を仰いだサヤカの唇から、零れ落ちるは謳うような回顧の言の葉。
悠々たるエンジンの音は徐々に回転を増し、その言葉を風の中へとかき消していった。
******
《『ティラドール3』被弾!落伍します!》
《敵護衛機、直下!4…いや、5!無人機と推定!》
「怯むな!カバレロ各隊は敵無人機を牽制、ティラドール各機は我に続け!」
飛び交う曳光弾の嵐雨を縫って、深紅の機体に率いられた4つの機影が黒鉄の大鯨へと疾駆してゆく。
エルロンロールで対空砲の射線を避け、群がる
選択は主翼下、単装レールガン1対2連。後続する3機の『オルシナス』もそれに倣い、都合8発の弾頭が大鯨の巨体へと殺到してゆく。
擦過、次いで下降で速度を得てからの上昇反転。省みたその先では、対空砲の射界に捕らえられた最後尾の『オルシナス』が尾翼を抉り取られ墜ちてゆく様が見て取れる。片や空中空母はと言えば、確かに8発が命中したにも関わらず、致命傷となっている様子は見られない。
《申し訳ありません…!『ティラドール4』、脱出します!》
《手応えが無い…!どこを撃てば墜ちるんだ、こいつは!》
「ルーメンの戦況は聞いていたが、これほどとは…!…敵船体への攻撃は望み薄だ、後方からエンジンを狙う!」
無為となった反復攻撃の被害を省みて、深紅の『オルシナス』に収まるパイロット――クルス・コンテスティは臍を噛んだ。
一度目は接敵直後、敵側方からのゴンドラ部への攻撃。そして二度目は先ほどのそれ。2度の攻撃と過去の対『ウロボロス』戦闘から察するに、やはり敵の大部分を占める船体部分は強固な装甲で覆われているらしく、おまけに動力部が存在しない為に貫通したところで有効打は期しがたいようだった。かといって機能が集中している底部ゴンドラは両側面が無人機発着モジュールで覆われている上に対空火器も多く、攻撃は到底覚束ない。
一切の攻撃を歯牙にもかけず、大空を泳ぐその様はさながら空中要塞。
絶望的な考察の末尾に不愉快なその感慨を重ねつつ、クルスは闘志を叩きつけるように瞳を敵の船尾へと向けた。いかに船体やゴンドラが強固といっても、およそ空を飛ぶ機械においては装甲化に限度がある箇所がある。
すなわち、翼とエンジンの2点。どれだけ強固に備えようと、一定の薄さと軽量さを求められるこれらはレールガンには耐えられまい。
敵艦のエンジンの位置を確かめ、クルスは操縦桿を押し込んで機体を降下体制へと入らせる。
現在の位置は空中空母の後方上空であり、主翼とエンジンは巨大な船体が
重力加速度に自重、『オルシナス』の機体特性が合わさり、深紅の鋭鋒は速度を増して空を切ってゆく。
旋回下端、敵艦後方をわずかに上方へ捉える位置。
ちらりと視線を上げて機位を見越し、クルスは脚を踏ん張って操縦桿を引き上げる。
Gが全身を圧する。
遠心力で血液が流れ、一瞬視界が黒く霞む。
距離、2200。
前翼縁エルロン微調整、わずかに機首上げ。
真正面、重ねた照準に映ったのは、胸鰭を大きく広げたかのような空中空母の主翼とエンジンポッド。
ぱらぱらと閃光を刻む対空砲火。
――そして、ゴンドラ下部に提げた砲身が、こちらへと向く様。
「何っ!?」
死神の鎌が振り抜かれたのは、僅かに一瞬。
咄嗟に操縦桿を引いたクルスの『オルシナス』の後方で、回避運動が遅れた後続の2機へと淡緑を帯びた光の奔流が降り注いでゆく。攻撃機としては強固な装甲を持つ『オルシナス』といえども、収束し高速で放たれたイーオン粒子の光軸には成す術も無く、2機はそのパイロットごと融けるように光の中へと消えていった。
「しまった…!!船体下部の光学兵器!!後方へも撃てるというのか…!?」
《『カバレロ2』より『エスクード1』、無人機の排除完了しました!然れども残存は本機と『カバレロ3』2機のみ、レールガン残弾無し!》
「………っ!」
僚機の通信、そして残骸すら残さず消滅した『オルシナス』の姿に、クルスは胸を浸す絶望を呑み込むように奥歯を食いしばる。
状況は最悪となった。
自分自身の見積もりの甘さで、攻撃機たる『オルシナス』を無為に犠牲としてしまい、僚機の残弾も既に無い。有効打を与えうるのはクルス自身の『オルシナス』に搭載された単装レールガンしかいないが、それも残弾はわずかに左右主翼下各2基の計4発。他に抽出できる戦力はもはやNEUには残されていない以上増援の可能性はほぼゼロであり、首都との距離を考えれば僚機を基地へ戻す時間ももはや無い。
すなわち、現在持ちうる火力で撃沈まで持っていく他に無い。
しかし、どうすればいいのか。巨大な船体への攻撃は有効打たりえず、ゴンドラ周辺は対空火器と光学兵器の槍衾。残弾を考えれば、攻撃は一度きりしか行えない。
息を深く吸う。
辞世の神酒を干すように、動揺と絶望を静かに飲み下す。
どうすればいいのか?そんなものは、とうの昔に決まっていた。
英雄たるおじい様の血統を。
理不尽への抵抗たる象徴を。
字義通りサピンの最後の
その全てを賭して、残された4本の――否、
「ありがとうございました、『カバレロ2』、『カバレロ3』。もう十分です。グラン・ルギドへ帰還してください」
《え…!?》
「私は敵艦へ最期の攻撃を仕掛けます。――敵艦後方、船体に妨げられず、光学兵器の射界外となる僅かな空間。その一点から接近し、エンジンを破壊します」
《な…!無茶です!敵艦後方には対空火器が集中している!侵入コースが一点しかない以上回避も困難です!》
「もうこれ以外に手はありません。もし仕留め損ねた時は、すぐさまグラン・ルギドへ連絡し避難の指示を。…時間が無い。――征きます!!」
《クルス顧問!!》
未練が肩を掴む前に、怖れが足を握る前に。
攻略への一縷の光を掴むように、クルスは声を振り切って、スロットルを開放する。
左ロールで機体を傾け、機首を下げて増速、向ける穂先は狙うべき一筋の路。すなわち張り出た船体に妨げられず、下部の光学兵器の射程にも捉えられない、敵艦後方から伸びる上下左右わずか数mの空間。
無論、極めて狭い接敵経路ゆえに回避運動はほとんど不可能であり、空中空母からの迎撃は高い精度でクルスの『オルシナス』へと殺到してゆく。
降り注ぐ曳光弾の雨。
続けざまに機体を苛む被弾の衝撃。
警報。振動。あまりにも遠い距離。
人々の想いを、自らの悔恨を、全てを振り切るように速度を増していく中。クルスは自分自身でも存外な程に冷静に内省する。
ああ、やはりか。
やはり私は、おじい様と同じ存在たりえなかった。いくら若い頃からニコラス・コンテスティの再来と謳われた所で、流石はエースパイロットの孫と賞賛された所で、周囲と運を巻き込み勝利をもぎ取っていくおじい様の不思議な力は、ついぞ自分自身に足りないものだった。
だが、それでもいい。
それならば、せめて背負うもの全てを賭して、『象徴』たる自らに課せられた役割を果たすだけだった。幸い『オルシナス』の装甲は比較的厚い。対空砲を受け止め続けて肉薄し、至近からレールガンと己の機体を撃ち込めば、あるいは撃沈まで持ち込める可能性はある。
賭けろ。乗せろ。
おじい様の血統の誇りを。エースの孫の意地を。『盾』の矜持を。『象徴』に賭けられた期待を。
せめてこの一身を賭して、刺し違えてでもサピンを――。
《そこの『オルシナス』、待ったぁぁぁぁぁ!!!》
「…っ!?」
研ぎ澄ました覚悟を遮らんばかりに、鼓膜を揺らす唐突な絶叫。予期せぬそれに驚いてか、あるいは無意識に縋ってか、クルスは反射的に操縦桿を引いて攻撃コースから機体を引き上げた。殺到する曳光弾とAAMの軌跡が一拍置いて進入路上を貫き、間一髪で尾翼を擦過し抜けていく。
絶好の機会を逃した。――いや、救われたのか。
忘れていた息を吸い込み、我に返って一拍。HMD上に先ほどの声の主を確かめ、クルスはロールで機体を反転させながらその姿を肉眼に捉えた。東から飛来したその機影は、識別コードを見る限りUPEO仕様の『デルフィナスU』。しかしその塗装と所属表示はUPEOのそれとは異なっている。そして何より、どこかで聞き覚えのあるその声は。
《ま、間に合ったっスね…!こちら『キャンサー隊』、『センチネル』!》
「キャンサー隊…レフ技官の僚機か…!?何故…!」
《…良かったっス、本当にすっ飛んで来て。クルス顧問、今絶対、死ぬ気だったでしょ!?》
「………」
《ダメっスよ、死んだらダメっス!クルス顧問はNEUに…いや、サピンに欠かせない人なんスから!顧問が死んだら、誰が
「……!…いや、だが他に手は無いんだ!空中空母の強固な装甲を破るには、もう他の手段は…」
《あるっス!!俺は、それを伝えに来たっスよ!》
――これからのサピン。そして未来を掴む、一縷の希望。
予期せぬ乱入者と彼の言葉が、矜持という名の鎖で自らを縛っていたクルスの心を解いてゆく。
…そうだ。確かにそうだった。
戦いはまだ続くかもしれない。終わったとしても、復興と戦後体制の整備がある。目の前の絶望に悲観するあまり、クルスは自身の命を賭けることに囚われ、その当然の理を忘れていた。目の前の目標を成すことと、生きて帰ることは今この場においても背反しない。
今一度縋ってみよう。そうクルスは決意を結んだ。
同じ部隊ですらない、しかし確かな
《スフィアちゃんが『ウロボロス』から奪取した空中空母の見取り図をデータリンクするっス!船体下部ゴンドラ後部の構造が見えるっスか!?》
衛星通信は未だに不能だが、幸い有視界ほどの近距離ならば表面光学センサーを介した光信号通信が可能である。カールに言われるまま、データリンクを許可したクルスは、HMD上に表示されたワイヤーフレームへと目を走らせた。空中空母の上面を示すそれから図るに、ゴンドラ後部には強固な装甲と動力たるジェネレーター、その基部から延びる主翼とエンジンユニットが見て取れる。
「これは…」
《ゴンドラ後方のジェネレーター、空中空母の急所はそこっス。ここを破壊すれば、ジェネレーターの破壊と同時に主翼とエンジンポッドも脱落する。ひとまずオーレッド湾に沈めさえすれば、当面核兵器の誘爆は防げる筈っス》
「しかし、後方からの接敵は先ほど通り至難の業だ。刺し違える積りでなければ到底…」
《だから、逆っス。ゴンドラの前方、艦載機発進口。ここの装甲とゲートは、パウラ主任の特攻で既に破壊されてるっス。…つまり、正面からここを撃てばジェネレーターに直撃する筈っス!》
「…!そうか…!正面ならば左右と違い装甲は無い。可能性は大いにある、か…!」
《俺が囮になって火線を引き付けるっス。その間にお願いするっスよ!》
「了解した。こちらはおそらく一航過しか持たない。…
《……!了解!っス!!》
ゴンドラの見取り図、ジェネレーターと主翼の配置、そして既に破壊されているという正面ゲート。それら全てを脳裏に描き、クルスは確信一つ、すぐさま機体を傾けて正面からの侵入ルートへと針路を取った。確かに見取り図が正確ならば、この方法は唯一の攻略法たりえる。本来であればレールガンを以てしても正面ゲートの装甲で針路を逸らされる可能性が高かっただろうが、その防壁は既にない。また逆に、こちらの装備が仮にAAM主体だったとすれば、ゲートが無くともジェネレーターまでを破壊するのは至難だっただろう。
初速と直進性に優れるレールガンの選択、カールからもたらされた情報、そして命を賭して特攻を仕掛けた、顔も知らぬパイロットが開いた突破口。その一つでも欠ければ得られなかったであろう、唯一の道筋を目指して、2つの機影は空中空母を追い越して疾駆していった。
左ロール、旋回。横旋回半径では『オルシナス』は『デルフィナス』に及ばないため、カールの『デルフィナス』が自然と前に立ってゆく。
正面、距離3000に空中空母の巨体。搭載のレーダーは一瞬にしてこちらを捉え、ロックオンアラートはミサイル警報へと変わってゆく。
カール機、左、次いで右へ蛇行。旋回の頂点でチャフを撒き、機動と織り交ぜてAAMを躱す姿勢。
飛来するミサイルが立て続けに炸裂の爆炎を上げる。中破した機体の表面へ、容赦なく破片が降り注いでゆく。
距離、2000。1800。ミサイルの切れ間を突いて接近するこちらに対し、空中空母の対空砲が唸りを上げ始める。後方と比べれば数は多くないが、その密度は本業の空母と比しても遜色ない。
曳光弾がカールの翼を捉え始める。すぐ後ろを飛ぶクルスの目にも明らかに黒煙が見え、破片が、抉れた補助翼が飛び散っていく。それでも速度を帯びた翼の道行きを止めるには至らない。
距離、1500。正面に複数の小物体反応。同時に船体下部から熱量増加。
――光学兵器とシールドドローンによる防御壁。
「レーザー網来る!もういい、回避を!」
《……っ!これ以上の後悔は御免、…っス!この路だけはこじ開けて見せるっスよ!!》
奔る言葉は一瞬。それをかき消すように放たれた光の奔流がシールドドローンに反射し、無数の光の網となって眼前に幾何学模様を描く。分散したゆえに一閃ごとの威力は低いが、装甲の薄い単座戦闘機では致命傷にもなりうる熱。それが四方八方からカールの『デルフィナス』に襲い掛かり、薄い主翼を瞬く間に両断してゆく。
だが、墜ちない。
孕んだ速度と風は、揚力を失ってなおも慣性となって槍先のような機影を押し進め続けている。
《邪魔、っスよ――そこのドローン!》
ぐらりと揺らぐ『デルフィナス』から放たれるは、主翼最内ハードポイントのAAMが二筋。爆炎を切り裂く焔を帯びて疾駆したそれらは、クルスが空中空母へと至る正面に陣取っていたシールドドローン2機を過たず粉砕してゆく。
カール機の黒煙を抜け、砕け散るドローンの破片を擦過したその先。そこには、中央がぽっかりと空いたレーザー網の空洞と、その先に口を広げる空中空母の発艦口の姿。刻み付けた照準の十字架は、奈落のようなその漆黒の央。
距離、1000。
「――墜ちろ!!」
衝撃音、4連。
その末を確かめる間もなく、クルスは機体をすぐさまロールさせ、背面飛行の格好で船体の下部を擦過してゆく。
光学兵器の砲身を躱す。
すぐ間近で轟音が響き、次いで圧力が機体下部を拉いで、瞬く間に後方へと抜けていく。
全てを呑み込むような爆炎を抜け、振り返ったその後方。そこにはゴンドラ後方を吹き飛ばされ、爆発の余波で主翼とエンジンポッドを失い高度を落としてゆく空中空母の姿が映っていた。オーレッド湾の両岸まではなお数㎞の余地があり、今から変針したとしても両岸まで辿り着くことは叶うまい。
薄氷の勝利を彩るように、蒼穹に舞うは純白の花のようなパラシュートが一つ。どうやら慣性で空中空母の下方を抜けてから脱出したらしく、カールの健在な姿を遥か下方に見て取ることができた。爆発の余波で生じた強風がパラシュートをオーシア方向へ流しているものの、破片に巻き込まれる危険が少ないと言っていいだろう。
「はぁっ…!はぁっ…。……は、は。『エスクード1』よりグラン・ルギド管制部、空中空母の排除に成功した。管内各部隊への伝達、並びに脱出したパイロットの救出作業開始を求む!」
近傍で、地平線を隔てた遥か彼方で。通信を揺らす多くの歓声が、冷や汗に塗れたクルスの身体を包んでいく。
喉首の刃を退け、残るは円環の蛇の頭のみ。こればかりは到底手の届くものでは無く、今なお前線に立つ彼らに頼る他には無い。
「後は頼みます、レフ技官。――我々の、未来を」
降り注ぐ陽光が、オーレッド湾の水面に煌めき空を照らす。
墜ち行く大鯨からはまた一つ、終焉を告げる号砲のような爆音が鳴り響いていた。