Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第52話 夢幻の果て

《9時方向より敵正反応18。正面上方6、後方45。包囲されています》

「こじ開けてやるよ!」

 

 切り立つ急峻を背景に、無数の機影とミサイルの雨がヘッドマウントディスプレイ(HMD)を覆い尽くす。

 右、左、下方、上。数瞬のうちに目を奔らせ、選ぶは敵密度の薄い左下方。思念と同時に迸った指先の電気信号をコフィンシステムが拾い、一拍を置いて『サイファード・ワイバーン』はやや機首を下げながら9時方向へと急旋回を切ってゆく。

 

 頭上を擦過する無数のミサイルの反応、そして数多の機影。本来であれば近接信管の作動で爆炎の奔流に包まれかねない機位だったのにも関わらず、機体を揺らす衝撃は何一つなく、ミサイルの映像も後逸した瞬間に消え失せていく。

 

 やはり、これも幻。

 旋回で失ったエネルギーを降下で稼ぎ、機首を引いて急上昇。再度高度を上げるその最中にも四方には新たな反応が現出し続け、先読みするようにこちらの選択肢を一つ一つ潰してゆく。

 一体どれが実体でどれが仮想なのか。虚実定かならぬ夢幻の様相に、レフは苛立たしげに唇を噛んだ。

 

《どうしたどうした、レフ・ミハイロヴィチ・ヤコヴレフ!先の大言が泣くぞ!!》

「チ…!調子に乗るんじゃねえ、優等生!」

 

 正面から飛来する『ホーネット』のミサイルをロールで躱し、機首をやや引いて衝突を避ける。

 機体を揺らす衝撃波は、やはり無し。正面から一時的に機影が消え、代わって後背に無数の機影が追い縋ってくる様をHDM越しに確かめて、レフは素早く頭を振って彼我の位置を確かめる。捉えられた限りでは、機首を上げて高度を稼ぐこちらに追従するように追尾する右後方からの8機、左後方からは13。同高度には反応なし。頭を抑えられる心配こそない機位だが、元来の機体の重さゆえに上昇に伴う速度低下は著しく、彼我の距離は急速に近づいてゆく。

 

 ミサイルアラート、数瞬を置いて殺到するミサイルの雨。後方から迫る幾筋もの鏃をエルロンロールで逸らしてゆき、擦過したそれらは霧散するかのようにHMDから消えてゆく。

 

 ルカとの交戦が始まってから幾度目かになる、夢幻の敵との応酬。身体と思考がそれに慣れ始めていた為であったのだろう、そのうちの一つが擦過の瞬間に炸裂し、無数の小片となって機体を揺らす衝撃を響かせたとき、レフは反射的に身が強張るのを感じた。

 

「く…!本物が紛れてやがる!」

 

 下腹に力を籠め、衝撃とGを懸命に耐える。

 無数のダミーを生み出し破壊的な電子攻撃を仕掛ける『ヴェパール』との戦闘において、最も厄介なのがこれであった。生成されたダミーと寸分違わぬ()()――すなわち有人機が紛れていたとしても、電子情報を全周囲モニターに投影するエアロコフィンではその真贋を判別する術が無いのである。肉眼で敵を捉えられる旧来のガラスキャノピーであれば判別は容易だっただろうが、コクピット周りを現行機のコフィンシステムに改修した『サイファード・ワイバーン』ではその手を取る事はできない。

 

 殊この場において、逡巡はすなわち致命。

 彼我の位置から不利を悟り、レフは間髪入れずにスロットルを緩め、次いでアームレイカーを手前へ引き機体をほぼ垂直に急上昇させる。エンジン出力の低下と機体重量により速度は見る間に落ちていき、運動エネルギーを失った頂点で『ワイバーン』は重力に随いくるりと反転。『オルシナス』を駆っていた頃からのレフお得意の機動――すなわち鉛直方向からの逆落としそのままの軌跡を描いて、上昇しながらなおも迫る多数の『ホーネットADV』の真正面へと相対した。やむを得ずの位置取りではあったが、機数にして20を超えるそれらの概観は寸分の差異も無く、外観から本命を見抜くことはやはり叶わない。

 

 距離900。700。

 再度迫るミサイルの追撃に、レフは反射的にアームレイカー横のボタン――フレアの手動射出スイッチへと指を伸ばした。スーデントール上空の制空を控えている以上は防御兵装は温存したかったが、そうも言っていられる状況ではない。

 指先を過ぎる、苦渋の刹那。

 だがその瞬間、レフは正面の光景の中に、一つの違和感が入り混じるのを捉えていた。

 

 左端から3機目の、一見ダミーにも見える『ホーネットADV』。他の機体が全く同様の軌道で迫りミサイルを撃つ最中で、その機体だけが機銃を撃ち、左ロールで機体を回避させる挙動を示していたのである。まるで突然相対したこちらに驚いて反射的に回避機動を取ったかのようなその反応は、無人機と言うにはあまりにも人間臭く、有機的に過ぎた。

 

「…!こいつ、か!?」

 

 ままよ。

 口中に結び、レフは殺到するミサイルを無視して翼を翻した『ホーネット』へと肉薄。やはりと言うべきか、ミサイルの炸裂は無く、擦過したそばから消えていく。

 黒い翼に刻みつける、ガンレティクルの十字架。

 距離400、斉射は一瞬。

 

 機首の機関砲の唸りを感じ、傍らを擦過したその一拍後。

 そこには機体の中央を撃ち抜かれ、焔を纏う幻ならざる翼の残影があった。

 

《馬鹿…な…!?》

《『サーペント3』撃墜!…くそ、何故こちらの位置が…!》

「っしゃあ!人間だった頃の癖は抜けて無ぇみたいだな、お利口さん共が!」

《……っ!!どこまでも…!貴様も私を愚弄するか!!サーペント隊、囲め!囲んで潰せ!!》

 

 繕うことを忘れたむき出しの感情をも聞き流し、レフは心中に確信を抱く。

 当然といえば当然の理ではあったが、有人機と無人機はやはり挙動が違う。すなわち、計算で動く無人機と若干のアドリブ性を有する有人機では、咄嗟の判断や制動のズレといった()()()()()の有無によって、微妙な違いがどうしても生じるのである。遠目には全く判別がつかないが、先ほどのように命の危機を感じるような切所であれば、人間としての防御本能が攻撃よりも回避を優先させるのは避けられない事であった。連中が電脳化しているかどうかは不明だが、仮にそうだとしても脱走前後の時間軸と『ウロボロス』攻勢のタイミングを考慮すれば、『ウロボロス』のパイロットの大半が電脳化処理を施されたのはどう長く見積もっても1か月以上は遡れまい。電脳化して間もない存在であるのなら、生物としての本能が色濃く残っているのも無理はない事だった。

 

「そうと決まれば!スフィア、少しでも周囲と挙動が違う奴にマーカーを付けろ。前面に現れる奴だけでいい!」

「了解しました。本機前方60°を分析画角として設定します」

 

 もはや必要な事以外を喋らなくなったスフィアに苛立ちの籠った舌打ち一つ、レフは間髪入れず目線を前へと戻す。何せ本命の戦場はこの先なのだ、この期に及んで戦闘以外へ気を逸らしている余裕など無い。

 機影は相変わらず四方八方、密度にして40は下るまい。そのいずれもがこちらを指して迫りつつあり、やはり攻勢に入っている間の判別は無謀と言う他ないだろう。

 

 それならば、狙う手は一つのみ。

 先と同様に一瞬の隙を突いて攻勢に転じ、本命を炙り出す以外に無い。

 

 素早く視界を転じ、レフは比較的密度が薄い右下方を見定める。同高度より下には距離5000ほど先に山肌が壁のように連なっており、一時的に敵の出現位置を制限するという点では理想的な立地と言っていい。

 

 右のアームレイカーを手前、左は奥。いわゆるエルロンロールの操作を行うと同時にフットペダルを踏み、レフは『サイファード・ワイバーン』を半回転とともに降下へと転じさせた。自重と重力加速度が重なった機体はぐんぐんと速度を上げ、群がる機影を瞬く間に後上方へと引き離してゆく。

 後方のいくつかの機影が消え、代わって左右前方に生じる新たな機影。ダミーの包囲網から抜けたこちらを再度包囲するために現出位置を再構成したらしく、右と左前方には約15、後方に10とおおよそ先ほどと変わらない密度を維持した構成であった。

 

 馬鹿め。

 地形を考慮しない『ヴェパール』の包囲陣に、レフは喉奥から確信に満ちた罵倒を紡ぐ。

 前方に屏風のように聳える岩肌は、既に距離2000を切るほど。速度で優越するこちらに先んじて『ホーネット』が前方に現れるにはほぼ鉛直の急降下を以て上空から回り込む他にない訳だが、そうなれば山壁が障害となるため、このタイミング、この地形ではできる筈がない。すなわち前方の約30機は確実にダミーであり、残る後方の10に有人機(本命)がいると見てよかった。

 

 下腹に力を籠める。

 両足を踏ん張り、息を吐いて筋肉に力を入れる。

 後方、距離2500。機数変わらず10。

 今。

 

「ぐうっ…!」

 

 アームレイカーを引き、下降から一転して天を指す急上昇へ。速度と急激な機首上げが想像を絶するGをもたらし、レフは呻き声とともに顔を顰めた。気を抜けば嘔吐しそうな圧迫感の下で目を走らせれば、『ワイバーン』の速度はみるみる高度へと変換され、背面方向に敵機が迫る様も見て取れる。距離1200ほど、高度はややこちらが高位。

 

 タイミングを図ってアームレイカーを引き、背面飛行のまま機首を水平へ。

 正面から相対した機数はやはり10。今更のようにそれらの後方へ新たなダミーが現出し始めるが、今更何の意味も無いことは言うまでもない。高速戦闘に最適化された『ワイバーン』は瞬く間に速度を回復し、真正面の編隊中央へと疾駆してゆく。

 

 距離、800。既に懐の中、『ホーネット』ではロックオンが間に合わない。

 600、なおも直進。機銃の引き金を指をかける。

 敵が揺らぐ。

 どれだ。揺らいだ敵は、()()は。

 500。ロールの挙動。2、いや3機。

 瞬間、敵影に重なる赤色の方形3つ。先頭、その左、右端から2機目。

 ――宣告と同義の、スフィアの解析。

 

 距離350、赤枠にぴたりと重ねたガンレティクルが、その央へと光軸を刻み付けていく。

 

 轟音とともに暴風が駆け抜けたその直後、後背から機体を揺らした衝撃波は、先の解析が的中だったことを物語っていた。

 

《…!『サーペント1』撃墜!本機も巻き込まれ小破、エンジン出力低下!》

「よっしゃあ!浅いんだよバァァカ!!こちとら何度も修羅場くぐってんだ!」

《…………もういい。サーペント隊、退け。私が直接奴を殺す》

《ルカ少尉…!?し、しかし、貴方の機体では…》

《退けと言った!!命令の遵守すらできない愚物も、肉体の意識と欲も!『ウロボロス』には不要だ…!》

 

 一斉に消滅する『ホーネット』のダミー、取り残され惑ったように揺らぐ2機の『ホーネットADV』と、高度2000ほど上空からこちらを睥睨する『ヴェパール』の巨躯。先ほどまでの雑多な様相が嘘のような、さながら魔法の帳が払われたかのような広陵とした空の下に、ルカの言葉が暴圧を帯びて響き渡る。肉体と欲を忌避する『ウロボロス』を遵奉しながら、人一倍の感情を以て叫ぶルカの様は、レフには皮肉な矛盾を纏った滑稽のようにしか感じられなかった。

 

「ハッ!肉体だ欲だの人間味を否定してた癖に、人間らしい感情で叫ぶじゃねえか!そのくせ他人には機械みてぇな服従を求めるだぁ?笑わせんなインテリ根暗野郎が!」

《…貴様に…何が…!我らは理想の下、肉体を捨て次なるステージへと進んだ新人類だ!旧来の価値観と欲望に囚われた貴様ら愚物に、我々は理解できまい…!!》

「その言い方…ハッ、なるほど。お前、どうやらもう電脳化しちまってるんだな。あーそうかそうか、そりゃ気の毒なこった!もう美味いピザを食べることもコーラを飲むことも、女とヤる楽しみさえ味わえないなんて、新人類様は不憫過ぎるぜ!次なるステージだぁ?んなもん願い下げだ!!」

《……っ!!………よく、言った、ものだ。レフ・ミハイロヴィチ・ヤコヴレフ。醜く固陋な旧人類。――無様に(つくば)え。惨めに墜ちろ。この機体の全能力を以て、貴様だけは殺す。…その傲慢な精神も!欲望に浸かった肉体も!!欠片さえ残さず刻み尽くしてくれる!!!》

 

 挑発と暴言。2040年の現代においてなお天地に響く、原初の感情の衝突。

 切り結ぶ言葉の刃が末尾を踏んだその直後、レフの周囲を再び無数の機影が覆い尽くす。ご丁寧な事に現出したダミーはいずれも『ヴェパール』の姿に変わっており、自ら手を下すというルカの意思が体現されたかのような様相を見せていた。

 とはいえ、結局のところその戦術は先ほどと何一つ変わらず、飽和型電子攻撃の範疇を出るものでは無い。むしろ巨体かつ自重が大きい『ヴェパール』の運動性では『サイファード・ワイバーン』に追随できる筈も無く、『ホーネットADV』より応じ易い敵と言っていいだろう。必然、取るべき戦術も先ほどと同様、こちらを追わせて隙を突くという、高度差を利用した縦の機動戦で差支えあるまい。

 

「芸の無い奴め!」

 

 『ワイバーン』、降下。確実にダミーであろう正面の機影の傍らを掠め、レフは位置エネルギーを速度へ変換しながら敵影を後方へと集中させていく。山肌と谷を利用さえすれば、ダミーの位置を制限しルカの位置を探るのも容易な筈だった。

 

 ――そう、ルカが『ヴェパール』の機能をさらに解放しないと言う条件付きであれば。

 

《芸が無いのはどちらか。…存分に味わい、悔いろ!!》

「ハッ、負け惜しみを…」

「レフ、正面に障害物です」

 

 後方を省みて敵影を探ったその刹那、不意に生じたスフィアの声に視界を正面へと戻すレフ。

 その目に映ったのは、視界を覆う灰褐色の壁。距離を4000は隔てていた筈の山肌が、こちらを圧し潰すかのように眼前に屹立している姿だった。

 

「…は!?」

 

 馬鹿な。

 距離を見誤った?

 速度が予想以上に出ていた?

 地形が雲に隠れていた?

 

 脳内を埋め尽くす数多の疑問符。反射的にそれらを思考から蹴り飛ばし、レフは思いきりアームレイカーを手前へ引いて機体を急上昇させる。ほぼ垂直に機首を上げ、蒼穹が広がっているであろうその視界の前には、しかし新たな岩の壁。差し込む陽光を背にした眩さで詳細な大きさは図れないものの、さながらねずみ返しのようにせり出した岩は圧倒的な圧力となって、上昇するレフの進路を塞いでいた。

 

 あり得ない。

 ここまでの高度に山肌が――いや、そもそもこんな地形自体が存在する訳がない。

 反射的に紡ぐ結論とは裏腹に、防衛本能は衝突を避けるべく機体をロールし反転させる。皮肉にも先ほど『ホーネット』を撃墜したのと同じ挙動ではあったが、大きく速度を失ったこちらに対し、迫る『ヴェパール』の群れは優速のまま。空に縫い付けられたに等しい『ワイバーン』の翼へ無数の曳光弾の嵐が降り注いだのは、二拍ののちの事だった。

 

「うおおおおっ!!」

 

 被弾の衝撃が機体を揺らし、徹甲弾が装甲を貫く甲高い音が鼓膜を刺す。流石に全ての攻撃が本物ではないにせよ、30近い機影から本物の攻撃を探って回避するのは困難でと言う他ない。幸いに致命傷を免れた機体を何とか反転させ省みた先では、目を疑うような光景が広がっていた。

 

 後方に聳えていた岩壁を、『ヴェパール』が正面から突っ切り擦り抜けていく。

 左右には、次々と像を結んでゆく標高8000に至らんほどの山脈。岩肌が波のようにうねり、谷を、壁を、天井を生み出して、新たな地形を形成してゆく常軌を逸した光景。現実の光景を塗り潰すようなその有様に、レフは一瞬眩暈のような錯覚を覚えた。

 

「…地形テクスチャの新造と構築…!野郎、こんな奥の手を…!」

 

 落ち着け。全部幻だ。こんな地形はあり得ない。子供騙し以外のなにものでもない。

 

 喝破する理性と裏腹に、防衛本能が反射的に手指を動かし、操縦桿を切らせる。いくら頭では理解していようと、目の前に聳える岩壁へ突入する事を本能が躊躇させる。

 パイロット養成課程で必須となる夜間飛行訓練――視界を封じた計器飛行と同じには違いないのだが、中途半端に本物の地形が見えているのが却ってたちが悪い。人間の受容器官における最優先の箇所、すなわち目が中途半端に機能している以上、体の反応が視覚に縛られてしまうのは、いわば人間が生物(ヒト)であるがゆえの宿命であった。

 

 機体が、体が止められない。

 例え幻であろうと、本能が旋回と蛇行を繰り替えさせてしまう。ベース機であればいざ知らず、速度性能と引き換えに格闘戦能力を犠牲にした『サイファード・ワイバーン』である。旋回を重ねるごとに速度は落ち、運動エネルギーを失って、中空の標的に成り下がるのは目に見えていた。

 

《はは、はははははは!踊れヤコヴレフ、無様に滑稽に踊れ!!『ワイバーン(翼竜)』などおこがましい、今の貴様は蝶の標本にすら劣る的に過ぎん!》

「野郎…!調子に乗りやがって!」

《叫べ、喚け、歯噛め!!固陋な肉の体ではそれが限界だ!――止まって見えるぞ、ヤコヴレフ!》

「ち…!」

 

 正面、屹立する巌の壁。高度3000に迫る今となっては真偽の判別がつかず、咄嗟に手前へと引いた操縦桿。

 機首が上がり速度が落ちた隙を打つようなルカの声に、レフは舌打ちで応じるのが精一杯だった。

 

 背面方向――すなわち60°の角度で上昇するこちらに対し、やや機首を下げながら直交するように迫る何機もの『ヴェパール』。いかに運動性の差こそあれ、懸絶してしまった運動エネルギーの差と機位の不利を顧みれば、回避は困難と言っていい。

 早々に上方への回避に見切りをつけ、レフはスロットルを絞ると同時に操縦桿を手前へ。推力偏向ノズルも併用した失速機動――すなわちクルビットを併用したハンマーヘッドを以って、『ワイバーン』の機首を強引に下方へと向けた。一時的に速度が落ちるリスクは大きいが、『ヴェパール』の劣悪な縦運動性を踏まえれば、下方向への離脱がおそらく最適解だろう。

 

 ミサイルアラートが悲鳴を上げる。

 電子音の間隔が狭まり、心拍のような律動が鼓膜を苛む。

 炸裂、後方2連。天頂を覆うように掠めた影と、飛び去ってゆく無数の翼。

 

 加速、2秒。虎口を抜けた心地で息を吐き、レフはアームレイカーを引いて機首を引き上げる。幸いミサイルの直撃こそ避けたものの、高度優位を抑えられた今のままではどの道じり貧だった。

 

「機体後方でミサイル炸裂。破片により推力偏向ノズルの稼動に障害が発生しました」

「くそ…!少しずつでも高度を上げていくしか無ぇ!上に飛んでりゃ岩に衝突することも無いしな!」

 

 いくらダミーの数が多くとも、『ヴェパール』の旋回能力を顧みれば、まだ本物が紛れ込んでくることはない。再び機首を上空へと向け、レフは眼前のダミーや岩壁を無視しながら高度を稼いでゆく。これとて再び攻撃を受ければ高度を捨てて回避する他ないが、このまま低高度に逼塞して封殺されるよりは遥かにマシだった。

 

 いつ終わるとも知れない、精神を削りあういたちごっこの戦様。

 これまで能動的には一切言葉を挟まなかったスフィアが口を開いたのは、その時だった。

 

「レフ、ヴァルハラシステムの使用を提案します」

「……」

「燃料残量と機体の耐久性を踏まえると、これ以上の継戦は今後の戦闘に支障を来たします。システムの使用を下命してください」

やなこった(ネガティブ)

「……理由は」

「あの野郎、欲と肉体を捨てろだのご高説を垂れてイキりやがって。俺はあいつも嫌いだが、『ウロボロス』の思想は更に嫌いだね。あいつの信条を叩き割って高い高い鼻っ柱をへし折るのは、システム(機械)じゃねえ。――人間でなくちゃいけねえ」

「不条理、そして不合理です」

「それが人間()だ」

「――了解しました」

 

 打ち、響き、共鳴する感覚。人間という存在へ飽くなき興味を抱き続ける、『オーキャス14』をスフィアたらしめた要素。

 互いの信を問い重ねた短い応酬の中、残響に宿ったかつての面影。苦い想いとともにそれを飲み干して、レフは決意を宿した瞳を再び前へと向けた。

 八つ当たり、思想の不一致、あるいは単にイラついたから。後付けの付帯条件はなんだっていい。ただレフの心を動かしていたのは、人間としての力で以てルカを討たねばならないという、直感的な想い一つであった。

 

「それに、だ。今更おやっさんの秘訣を使うまでも無ぇ。あの野郎の弱点はだいたい掴めた。…いずれにせよ高度だ!スフィア、『ヴェパール』の挙動から目を離すな!」

「了解しました」

 

 スロットルを開放する。

 エンジンが唸り、高度計がみるみる数値を増していく。眼前には中空に浮かぶ岩塊が、雲が、機影が絶えず生じては擦り抜けてゆき、実体とも幻ともつかない弾雨が視界をまばゆく染めてゆく。機首を向けるは、雲間に姿を時折見せている太陽の方向。白くまばゆい陽光は傾いてなお激しく、真正面に浮かぶ岩塊の輪郭すらも朧に揺らして網膜を焼いていく。

 

 ――やはり。

 見ること。観察し、考察すること。

 ヴァルハラシステムの使用を決断しなかったのは、確かに己の直感やスフィアの事を想っての事ではあったが、さりとて勝算の無い暴勇だった訳では無い。おやっさんから受け継いだその信条を今更省みるまでもなく、レフの目には『ヴェパール』攻略の糸口が既に見えつつあった。

 

 外部の映像を内側のモニターに投影するコフィンシステムにおいては、実際に目にしている太陽光も本物では無く、あくまで光量や波長を補正した映像に過ぎない。とはいえ、太陽は現場において咄嗟の方位の把握や周辺状況の確認に有益な要素であることは間違いないため、戦闘行動に支障が無い程度に補正した上で実体に則して投影しているのが一般的な表示設定であった。平たく言えば、『太陽の方向は他より眩しく映る』程度の事である。

 

 攻略の糸口、その先端は違和感や発見に基づくものが多い。

 レフが抱いた違和感は、まさに太陽にまつわるその点であった。

 

 先ほど『ヴェパール』がこの地形テクスチャ造成機能を発現した直後、目前に突然現れた山肌を避けるために急上昇した時である。上昇し、目前に張り出していたネズミ返し状の岩を目にしたその時、岩が視界の中心を覆っていたにも関わらず、輪郭が不明瞭な程には眩しさを感じることができた。まるで見上げた太陽とレフの間に、岩など存在しないかのように。

 

 この現象が意味することは一つ。

 『ヴェパール』が現出させるダミーはあくまで映像データを投影しているだけであり、実体に則した補正は行われていない。言い換えれば、()()()()()()()()()()()という事実である。今目の前に浮かぶ岩塊の映り方からも、この現象は裏付けられるだろう。

 

 ならば。

 

《やはり芸が無いのは貴様だったな、ヤコヴレフ!光に集う蛾のように頑なに登るか!》

「今のうちに好きなだけ吠えやがれ!」

 

 鋭刃のような声、間髪入れず飛来するミサイルの雨と無数の『ヴェパール』。進入方向は先と同様にこちらの背面側。

 舌打ち一瞬、レフはアームレイカーを手前へ引いて機首を逸らし、足を踏ん張りながら縦方向へと一回転。余計な機動を交えない縦旋回で以てミサイルの針路を下方へ逸らし、なおも上空を目指してゆく。ベース機と比べ旋回性能が下がっている『サイファード・ワイバーン』では縦旋回の半径もけして小さくはないが、それゆえに上下へ大きく動くループ機動はミサイルの機動を幻惑するのに却って効果的でもあった。

 

《ちいっ!相も変わらず羽虫のように目障りに…!》

 

 下方を擦過する『ヴェパール』、正面に現れる無数の機影、岩、雲、氷塊。上空に障害物が存在する筈も無く、問答無用にそれらを突っ切って、ひたすらに飛竜は上昇してゆく。機首が向かう先には太陽を遮るように雲が流れ、お誂え向きの様相へと移りつつあった。

 

《無様に雲へ逃げ込むか?視覚を欺けば私の隙を突けると読んだか、ヤコヴレフ?それならば貴様はどうしようも無く愚かだ!今の私が!…電子の目を備え機体と一体となった、私が!!雲ごときで貴様を見失うとでも思ったか!!》

「御託は聞き飽きたんだよノーコン野郎が!その節穴かっぽじってせいぜいよく狙うんだな!」

《貴様…!!》

「敵機上昇、こちらの後方に就きます。距離1800」

「よぉし、それでいい…!挑発し続けた甲斐があったな」

 

 スフィアの声に後方――地上方向を省みれば、こちらを指して上昇に入る無数の『ヴェパール』の姿。これまでこちらを封殺することを狙ってか横方向からの攻撃に固執してきたルカだったが、どうやら上空へ逃げるこちらの背を直接追う方針にシフトしたらしい。先の挑発が効いたのか、はたまた残弾に余裕が無くなってきたのかは知る由も無いが、逃げに徹するこちらに対し命中率重視の手に出たのは、今取り得る手としては定石と言えるだろう。

 

 目前に雲、後方にまっすぐ上昇してくる『ヴェパール』。求めていた条件は、全て整った。

 

「子供騙しで散々コケにしてくれた借り、一括払いで返してやらぁ!」

 

 先行していた『サイファード・ワイバーン』が雲へと入り、視界が瞬く間に白一色へと染まってゆく。旧来のガラスキャノピーならいざ知らず、コフィンシステムでは風防に付着する水滴や氷片は補正で全て除去されるため、白い闇以外が視界を妨げることはない。上昇角さえ間違えなければ、2秒とかからず雲の上へと出る筈であった。

 後方、距離はやや狭まっている筈だが、ダミー含め反応は確認できず。燃料残とエンジンへの負担を考えれば、アフターバーナーはあと数秒に留めなければ後に響く。彼我の運動エネルギー差と以降の戦闘を考えれば、チャンスは1回限りと言っていいだろう。

 

 雲を抜け、広がる視界は一点の曇りない澄み渡った蒼穹。

 雲上に出て距離200、アフターバーナーを切りエンジンの回転数を落としてゆく。速度計がぐんと下降し始めたタイミングを見計らい、レフはアームレイカーを引いて機体を反転。脚を踏ん張りながら『ワイバーン』の機首を翻し、やや大振りのロールを描いてその鼻先を下方へと向けた。

 指先を引き金へと触れさせる。

 雲の中から朧に機影がゆらめく。

 HMDの中央、射るような目はその中心に表示された歯車型のガンレティクルへ。上下に相対したヘッドオンでは本来ミサイルが有効ではあるが、どのみち電磁パルス防御システムを持つ『ヴェパール』には有効打たりえない。故に狙うは、機関砲による確殺の他に無い。

 

 視界に陽炎が揺らいだ一瞬後、現れるのは30機は下るまい無数の『ヴェパール』、さらに後続に雲から出る機影が10。たかだか人間一人の処理能力では、全ての挙動を追い本物を看過するのは不可能と言っていい。

 

《観念したか、ヤコヴレフ。もはや旧人類の身では勝ち目などないとようやく悔悟したか》

 

 HMD越しの瞳が素早く奔る。

 その目が向くは、無数の機影ではなく、『ヴェパール』が飛び出して来た下方の雲。

 

《ならば死ね。貴様の今までの不遜を。傲慢を。愚かな肉体の罪を。――旧人類の業を!》

 

 『ヴェパール』が生成したダミーは日光を遮らない。

 すなわち、()()()()()()()()()()。いくら目では一対多に映っていても、今雲上に落ちる影はただ一つ。――後背の白雲に影を縫い付けた、向かって左下側、中央寄りの機体。

 

《その肉の身体で!血で…償え!!》

「――上から物言うのも大概にしやがれ、この大馬鹿野郎が!!」

 

 押し込んだ引き金、機首の唸りはコンマ数秒。

 無数の弾雨が機体を掠めて過ぎてゆく。

 弾丸が爆ぜる金属音が鼓膜を苛む。

 正面、右、擦過。

 風圧を帯びた轟音、偽物では無い実体を物語る、影を帯びた翼。

 

 正面から突破し、雲の上で操縦桿を引いて機体を立て直す。見上げたその先には、ノイズを帯びて次々と消えてゆくダミーと、代わらず中天に輝き続ける太陽の光。

 ――そしてその白光を背に炎を吐き、機体構造物を散らして傾く『ヴェパール』の姿があった。

 

《………!!…何故。何故、だ》

「…理由は山ほどあるが、最後に一個教えてやる。ここは円卓、上座も下座もない…ってのがじいさん共の言だが。そんな空で、性能と思想で高い所から見下して、足元を掬われた。それがてめえの敗因だ」

《……。何故、なんでなんだ。私は人類の進化を信じたのに。この醜い世界を変えたかっただけなのに。――全てを捧げたというのに。…あんまりだ。あんまりだ、こんな最期…!》

 

 燃料に火が付いたのだろう、『ヴェパール』に焔が爆ぜ、黒い翼が弾け飛んで落ちてゆく。もはや揚力を得ることも叶わなくなったのだろう、『ヴェパール』はぐらりと傾き、緩く回転しながら雲へ向けて機首を落としていった。

 

《…嫌だ、嫌だ…!…()()()()()()…!!》

「…お前らが言う通り、確かに人間は愚かなんだろうよ。失敗はする。戦争は繰り返す。欲の皮は張る。…でもな、その欲がなきゃ人間は前へ進めねぇんだ。――人間、舐めんじゃねえ」

「…………」

 

 慟哭は雲へと呑まれ、漆黒の機影とともに白い闇へと消えていく。

 

 下方、閃光。爆音一つ。

 その残光を省みることなく、レフは操縦桿を返して、『ワイバーン』をスーデントールの方角へと向けていく。

 

 未だ果て見えぬ混迷の空の下、蒼穹を宿したような青の翼が空を切る。

 数多の幻影に彩られた喧騒の戦場が嘘のように、円卓の空は虚しいほどの広漠と静寂に染まっていた。

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