Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第54話 The sky of the end(後) -黄昏の残光-

《カプチェンコ…やっぱり生きてやがったか!ヒカリ、俺が空域に到達するまで無茶すんじゃねえぞ!》

「そうしたいのは山々だけど…降りかかってくる分は払わないとね!」

《――天秤の央、円卓の(きざはし)の空。戦の切所に(はだ)かる2騎。…だが、()()()負けん》

 

 玉陣の内と外、わずか2騎となった乗り手の言葉が広大な空に交錯する。レフの『サイファード・ワイバーン』とは距離にして8000、いかに音速機とはいえあまりに長く隔てた距離。その長さは、さながら己とカプチェンコの命脈を告げる生命線も同義と言っていい。

 すなわち、要諦はレフの到達までにいかに凌ぎ切るか、あるいは向こうが死力を尽くしてこちらを墜としにかかるかの一点のみ。ヒカリとカプチェンコ、互いに背水となった戦空は、まさに終局の様相を呈していた。

 

《まずは君だ、ヒカリ・B・タカシナ》

「…来い!」

 

 幕開けの合図は、交戦を告げる互いの声。

 それと同時に左右に陣取っていた『ベールクト』は鋭角を描いて踵を返し、ヒカリの『グリペンJ』を左右から挟撃するように距離を狭め始めた。ちらりと上方へ目を走らせれば、上方左右に配された2機もロールに入り、降下に向けた挙動を示している。死角となっている左右下方の2機もおそらくは同様。すなわち、先ほどと同様に挟撃と死角からの奇襲を織り交ぜた封殺戦術と見ていい。

 

 先ほどの戦術を省みれば、左右の初手はこちらを動かすための探り。しかしながらその殺意は先ほどと段違いに鋭く、旋回したこちらに対し『ベールクト』の優れたロール性能を以て執拗に追尾を仕掛けてくる。いかに『グリペン』が小回りに優れるとはいえ、単純旋回では『ベールクト』には到底敵わない。

 ロックオン警報、次いでミサイルアラート。至近からの攻撃に、ヒカリはやむを得ずアームレイカーを引くと同時にカナードを大きく(うわ)向け、速度を活かした小半径の縦旋回で交差した射線を凌ぎ切る。旋回から下方降下に入る『グリペン』の後方上空からは、翼を翻した1機が降下に入る様が見て取れ、本命たる第二陣が動き始めたことを告げていた。図解するならば、X字の交点から右上を仰ぐヒカリに対し、左上の頂点に位置する『ベールクト』が仕掛けて来たと言えば概要を示せるだろう。

 そして、先ほどのカプチェンコの戦術を考慮すれば。その挙動は、ヒカリから完全に死角となる下方――X字の左下頂点に位置する1機も同時に仕掛けに来ていることと同義であった。

 

「やっぱり…!」

 

 下方を俯瞰し、果たして急上昇に入る『ベールクト』を捉え、ヒカリは得心の声を漏らす。

 『死角』とはいえ、実のところコフィンシステムによる全天投影モニターを備えた現代の機体では、座席の下方を除き全方位を捉えることができる。旧来表現されるところの『死角』と比べ現代のそれは極めて小さく、技術革新によって得られた広大な視界はこうしてカプチェンコの隙を捉えるのに一役も二役も買ってくれていた。ヒカリが声を上げたのも、一つにはカプチェンコの一手がこちらの想定通りであった事を早々に把握できたがゆえであった。

 

 だが、それ以上に。一連の挙動とカプチェンコの言動から、ヒカリは先ほど抱いた違和感に対して、同時にある確信を抱いていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 先ほど、カプチェンコは戦術の変幻と即応性を謳った。事実この『ゴルトの玉陣』とやらは、対象の動きに応じて臨機応変の攻撃を仕掛けることで最大限の力を発揮するものと言ってよく、その思想を裏付けている。

 だが、その運用はどうか?初手に左右からの揺動、次に死角を狙う上下1機ずつの奇襲。これを繰り返すことによる包囲した敵の封殺。最初と今回で、その手順は一切変化していない。例えば初撃を下方から、あるいは追撃を上から2機同時に行い低空へ追い落とすなど、変化の余地はいくらでもあった筈である。選んだ戦略と裏腹に、その戦術は理想の形として定めた一手を繰り返す、応変の思想とは相いれないものだろう。

 

 一貫した思想によるとは思えない戦略と戦術。先ほど流し聞いた今のカプチェンコの背景。これに今まで触れて来た『カプチェンコ』の在り方を重ね合わせれば、その原因は朧に浮かび上がる。

 変化と革新を謳い、時に個人の興味に随ってレフの脱走を手引きさえした『カプチェンコ』。一方で、おそらく統制と秩序を重んじ、戦術においても研究し尽くし定型として確立した一手を是とするタイプである今のカプチェンコ。

 根本の思想が異なるこの両者が、記憶と思考を歪に重ね合わされた存在だと言うのなら。その齟齬こそが、彼を打倒する隙になるのではないか。

 

「なら。それなら、読める!」

 

 上方、次いで下方。彼我の位置を考慮すれば、攻撃は上の『ベールクト』がわずかに早い。

 『ベールクト』が攻撃位置に就く一拍前を見計らって、ヒカリは左右のアームレイカーを互い違いに倒し機体をロール。上空の敵に対し側面を向けて投影面積を減らし、次いでフレアを射出しAAMによる撃ち下ろしを攪乱する。

 

 ミサイルアラート、2連。次いで機首を返しての機銃掃射。左翼に被弾するのも構わず、アームレイカーを素早く手前へ。フットペダルを踏んで水平を得る最中にも、俯瞰した先には既に距離1200を切って急上昇するもう1機の『ベールクト』。

 ――『ベルカの玉陣』の王手にして、突くべき隙。

 

「ここっ!!」

《…!》

 

 狙いは、『ベールクト』がこちらを捉えるべく機首を向けたその一瞬。

 ヒカリは水平から間髪入れずにアームレイカーを引き、機体を急上昇。敢えて敵機に背を晒しながら、スロットルをわずかに開放するとともにフットペダルを力の限りに踏み込んだ。

 

 背後からミサイルが迫る。

 距離が近い。フレアは間に合わない。

 だが、()()()()()()()()()()

 

 フットペダルにより傾いた方向舵とカナードが気流を逸らし、『グリペン』は急上昇を描いたまま右回りに大きく旋回。縦方向に機動しつつ横滑り旋回を組み合わせた空戦機動――ヴァーティカルローリングシザースを以て、ミサイルの軌跡を躱しきる。それだけに留まらず、ヒカリは速度を緩めながら、上昇する『ベールクト』の腹側に潜り込んで見せた。

 

 相対距離、わずかに数十メートル。『ベールクト』の死角に潜り込み、さながら大鯨に侍るコバンザメを思わせるようなその様は、皮肉にもかつてスーデントール上空で見せたレフとの連携戦術に瓜二つであった。

 

「『ベールクト』を盾にして死角を潰す…!言ったでしょ、一回見た戦法はあたしには効かないって!」

 

 打開を得た会心に、弾けるようなヒカリの声が通信を揺らす。

 精髄の全霊を以て意識を集中し、腹側の『ベールクト』のロールに合わせて機体をロール。ほぼ一体となったその状況に惑ったのか、上方に占位していたもう1機の『ベールクト』は機体を翻して攻撃を断念。急激な回避機動ゆえかその軌跡は精彩を欠き、素早く『グリペン』の鼻先にそれを捉えたヒカリは、ガンレティクルの央へと曳光弾を刻み付けてゆく。

 

 焔、黒煙、機関砲弾によって斬り飛ばされる左翼。

 元より運動性の代償として安定性に劣るSu-47が、片翼を失ってなお飛び続けられる道理は無い。横旋回の頂点で制御を失ったそれは、錐揉みを描きながら炎に呑まれて、重力の底へと墜ちていった。

 

「破れたり、『なんとかの玉陣』!…あと6機よ、おじいちゃん!」

《……磨き上げ昇華し、確立した戦術は強く、しかし脆い、か。認めよう。それは確かに、私の瑕疵だ》

 

 思わず口に上ったのは、戦術の打破を確信した会心の声。

 先の読み通り、この戦術は前の『カプチェンコ』の立案らしいにも関わらず、その運用は定型の封殺戦術に偏っている。おそらくは本来のカプチェンコの戦術思想なのだろうが、それゆえに想定されていない機動の一穴は、想定を容易に崩しうる。『ベールクト』の1機を盾に取った今の状況はまさにまさにその()()()であり、今のカプチェンコではこの打開は至難の筈であった。

 

 ――そう、()()カプチェンコならば。

 

《率直に見事、と評そう。そして、それに総評を加えたい。――青い、と》

「…!?何を…!」

 

 打開の確信から一転、一際低いカプチェンコの声に、ヒカリはぞくりと肌が粟立つ感覚を覚えた。

 何か、狙っている。でも何を。

 傍らの『ベールクト』は離れる様子は無い。こちらとしても離れる積りも無い。

 背面旋回で頭を上げて見下ろす先には、低高度側の『ベールクト』は4機、左右に広がり旋回しながら、こちらへ射撃する位置には無い。

 レーダー上の表示も、その光景には矛盾しない。自機とほぼ重なった『ベールクト』1つと、旋回する4つの機影。すなわち概観できる反応は5つ、今も目に映るそのままの姿を示して――。

 

 ――5つ。

 

 瞬間、ヒカリはそれに思い当たり、同時に自らの読みの甘さに後悔した。

 絶え間なく鳴り続ける接近警報。

 背面飛行となり、『ベールクト』に隠された上空方向の視界。

 重なった『グリペン』と『ベールクト』の光点。

 そして、『グラシャ・ラボラス』の装備。

 

 咄嗟に機体をロールして『ベールクト』から離れ、上空を見上げたその先。

 ヒカリは目にすると同時に理解した。

 距離わずかに300、下方から光刃を展開して真っすぐにこちらへ向かう黒翼の機影を。

 ――今のカプチェンコが二つの記憶を宿す以上、元の『カプチェンコ』の戦術も採り得るということを。

 

《君の技能はかつて拝見して熟知している。接触しかねない極近接機動すら容易に成しうる、その技量もな》

「……しまっ…!!」

《賞賛しよう。悼もう。一人のエースの誕生と喪失を》

 

 イーオン粒子を高密度に束ねた光刃は、戦闘機の外装程度は紙のように溶断しうる。

 

 逆落としに飛翔した『グラシャ・ラボラス』のレーザーブレードは、僚機の『ベールクト』ごとヒカリの『グリペンJ』の右翼とエンジンを斜めに両断。失われた機体後部は誘爆を促し、小柄な翠翼の機影は瞬く間に炎に包まれた。

 

******

 

「ヒカリ!!」

 

 内奥の臓腑を掴まれるような息苦しさが、苦みとなって口中に満ちる。

 

 鋭角を描いて急降下する『グラシャ・ラボラス』。

 その胴から発振される光の刃。

 漆黒の『ベールクト』ごと翼を両断され、あっという間に朱に染まっていくヒカリの『グリペン』。

 炎と死を象徴する赤と黒が斜陽に混じったその光景は、歯がゆいほどにゆっくりと、そして残酷なほどに明瞭に、レフの瞳と心を灼いていった。

 

「…くそったれ、が…!脱出しろヒカリ!」

《……!レフ君、ごめんドジった!…けど、()()()!》

「呑気に話してる場合か!急げ!!」

《聞いて!…この『カプチェンコ』は、あたし達が知ってるおじいちゃんが電脳化しただけじゃない!……おじいちゃんと、ベルカ戦争のエースパイロットの精神が歪に混ざり合った存在なの!…2つの人格、2つの思想、2つの精神!だから、どれだけ盤石に見えても絶対に隙はある!》

「はぁ!?んな馬鹿な…!…いや、何にせよもう十分だ!早く脱出しろ!!」

《お言葉に甘えて!…信じて、スフィアちゃんとその機体(サイファー)を!……レフ君の力を!!》

「……おう!!」

 

 墜ち行く翠翼(グリペン)から、なおも響き続けるヒカリの声。攻略の手がかりとしては僅かな、しかし確信に満ちたそれを確かに掴んで、レフは無意識に降下していた機首を上げる。それまで己がしてきたように、あるいはされてきたように、託された意思を胸に宿しながら。

 通信の末期に混じるは、僅かな破裂音と風の音、そしてぶつりと断絶を刻む砂嵐。それらが意味することを意識から外し、レフは水平となった機体からゆっくりと周囲を見渡した。

 

 西に斜陽、地にはいくつもの焔と黒煙。あれだけ飛んでいた友軍も、GRDFの姿さえも周囲にはなく、目に映るのは荒廃したスーデントールの大地と、乾いた空に扇を描く5つの黒翼の他に無い。荒涼とも殺伐とも言い表しようのない、空々しい静寂と孤独だけが終末の空を満たしていた。

 

 息を吸い、瞼を閉じる。

 ふつふつと滾るは、悔恨と悲哀、そして内奥を焦がすような憤怒。電脳と機械の世にありながら、なお人を人たらしめる感情の奔流。

 

《気分はどうかね、レフ・ミハイロヴィチ・ヤコヴレフ。君は名実ともにこの時代に名だたるエースとなった。――今や、君の他に空を飛ぶ者はもういないのだから》

「……………口に気を付けろよジジイ。俺は、三途の川で遊泳中の老いぼれの寝言聞いてる気分じゃねぇんだ。――気分なんざ最悪に決まってんだろ!!」

 

 返り血を浴びたかのようなカプチェンコの挑発に、応じる言葉は理論の欠片も無い激発。憤怒は熱となり、拍動の波となって、レフの視界と頭を揺らし続ける。

 

 問われるまでもなく、気分は最悪だった。

 目の前でヒカリが墜とされたことも。塵芥のように死んでいった兵たちも。消息の知れないイングリットやイルダ達のことも。荒れ果てた世界も。…もう、スフィアが元に戻らない事も。その全てが、最悪の一言に尽きる。

 

「理想だ理屈だで世界をこねくり回すなんざしゃらくせぇ。この際だ、弟子(ルカ)にも言ったがお前にも言っといてやる。……てめぇらが人類に失望するのは勝手だがな。――人間、舐めんじゃねぇぞ!!」

《もはや語り合う段は過ぎた。あとは、君たち(人間)の好きな殺し合いで正義を決めよう》

「テメェ…。上等だ!!」

 

 血戦の嚆矢は、意思を乗せた言葉の鏃。片や託された意思を、片や紡ぎ続けた理想を宿して、彼我の機影は真正面から交錯してゆく。

 

 おそらくこれが最後の空、最後の戦い。ならば、ルカとの空戦でこそ長期戦を見越して温存していたが、今ばかりは出し惜しみする必要も無い。

 

 脳裏に過ぎるは、かつてスフィアが語った言葉。今のように情緒と人格を失う前の、魂を宿した()()の意思。

 

 何が起ころうと、何を失おうと。

 人間たる情動と情熱を持って、未来へと進め。

 

 分かってる。

 分かっている。

 だから。たとえ機体性能に縋ろうと、たとえスフィアの力に頼ろうと。今己の手にある全てを賭して、奴を必ず叩き落す――!

 

「スフィア、ヴァルハラシステム起動!最初から全力で当たる!」

「了解しました。システム、起動します」

「モード選択はお前に任せる。――俺の命、お前に預けるぞ!」

「――……。了解しました。レフ、あなたに勝利を」

 

 上、そして左右やや上方の4方向。眼前で大きく分散した敵機に対し、レフはスロットルを開放しながら、敢えてその中央へ吶喊する。速度を殺しかねない横方向への機動を極力抑えながら、『サイファード・ワイバーン』は自ら包囲の直下へ侵入。自ら網に飛び込む挙動を捉え、左右上方のSu-47がロールに入った瞬間を見計らって、レフはアームレイカーを引いて急上昇へと入った。

 

「戦況解析、最適値を反映。コード『Grun』、推奨機動を投影します」

 

 急激に増加するGと緊張で冷めた頭に響くは、やはり抑揚を失ったスフィアの声。

 己の選択と命を機械――AIに託すという、2年前では到底考えられなかった現状に皮肉な笑みを刷きながら、レフはなおもエンジンの回転数を上げて加速を重ねていく。その瞳の先には、直上を飛ぶカプチェンコの『グラシャ・ラボラス』。戦場を睥睨する、元凶たる目の主。

 

《奇策、と言えば聞こえは良いが。運動性に勝る相手に、高度劣位から上昇攻撃を仕掛ける愚は認識していように》

 

 切り返した左右の敵機が、こちらの側方から横撃を狙う。視界の端に映るそれらの姿にも構わず、レフはカプチェンコの機体目掛けひたすらに上昇加速を重ねた。上昇とロール直後の『ベールクト』の、それもほぼ直交する針路からの攻撃では、あらかじめ速度を重ねていたこちらに有効打を与えることは叶うまい。

 

 眼前、『グラシャ・ラボラス』が翼を翻して降下に入る。

 針路、正面。速度の落ち始めたこちらと正対し、ヘッドオンで仕留める接敵法。

 相対速度が高まる。

 距離が瞬く間に1000を切る。

 ヴァルハラシステム、横転回避及び防御措置推奨。

 ――許可。

 黒翼の下部に光刃が閃く。

 続いてミサイル2連、波状攻撃で仕留める構え。

 

《失望させてくれるな、『首無し』君》

「勝手に失望して勝手に憐れむってか。テメェらしい傲慢さだな、クソジジイ!」

 

 交錯。

 瞬間、スフィアに委任した通りに機体が横転した一拍後、レフはアームレイカーを手前へと引き、機体に横転機動を加えた。

 ミサイルが直前に放たれたチャフとフレアに吸い寄せられる。

 上昇横転機動――ヴァーティカルローリングシザースの要領で転回した『ワイバーン』が、敵の光刃を横転軸の央に捌き抜ける。

 

 『グリューン』なるエースの変幻な機動と、レフが得意とする縦方向の機動戦を組み合わせて、機首を引き反転したその先。

 そこには下方へ離脱してゆく『グラシャ・ラボラス』の背と、入れ違いに上昇し速度を落としつつあるSu-47の姿が映っていた。

 

《今の機動は…。やはり、か。きな臭いとは感じていた。その機体にも備わっているのだな、ベルカの遺産が》

「まんまと引っ掛かりやがったな。俺の狙いは、最初から取り巻きの4機だ!」

 

 満願の気合とともに、照準に捉えるは左下方から上昇する2機。そのうちの手前側、ロックオンマーカーが重なった1機へ向けて、レフは温存していた短距離用空対空ミサイル(AAM)2発を撃ち放ち、機首を翻してもう1機へと肉薄していった。

 そう、元よりレフの狙いはカプチェンコの『グラシャ・ラボラス』ではなく、追撃を仕掛けるであろう『ベールクト』の方だったのである。速度を落とすリスクを冒してカプチェンコへ向かったのも、チャフとフレアを惜しまず正面からの攻撃を凌ぎ切ったのも、全ては後続のSu-47を釣り上げる為に他ならない。

 

 『ベールクト』2機が呼応するようにチャフとフレアとまき散らす。

 AAMが僅かに鼻先を逸らす。しかし、速度が落ちた『ベールクト』に対しこちらは直上からの撃ち下ろし、おまけにほぼ相対する進路では、その矛先を大きく逸らすことは叶わない。

 

 直撃こそ免れたものの、真正面から至近弾の炸裂を浴びた『ベールクト』は尾翼を失って、錐揉みを描きながら墜落。傍らのもう1機も速度を失い横方向への機動を殺されたまま、成すすべなく『ワイバーン』の機銃掃射によって焔を散らしていった。

 

「っし!狙い通り!」

《…面白い。ヴァルハラシステムに、敢えて()()の余地を残したか》

 

 失った速度を降下で稼ぎ、『グリューン』の機動を宿した『ワイバーン』は空に爆ぜた黒煙を抜けていく。

 己の技術を組み合わせた、会心の一撃。その得意は、しかし直後の衝撃によって脆くも崩れ去った。

 

《だが、それしきで『ゴルト』は崩れない》

「んな?…にぃっ!?」

 

 黒煙から機体が抜けたその瞬間、傍らを轟音が抜け、一拍遅れた衝撃が『ワイバーン』の機体を激しく揺らす。

 予想外の状況に混乱しながら、歯を食いしばってアームレイカーを引き、機体を平行へ。その機動は明らかに先ほどより遅く、機体が重篤なダメージを負ったことは誰の目にも明らかだった。

 

 一体、何が。

 上方を警戒しつつ、手早くダメージコントロールモニターを開いたレフは、思わずその目を疑った。

 

 機体上面の投影図を写したワイヤーフレーム。その左翼が、半ばから消えている。被弾による損傷であれば赤く表示されるはずだが、左翼は半分ほど真っ黒に染まっており、その箇所が損傷ではなく()()したことを物語っていた。

 

 やられた。

 レフの脳裏に浮かぶは、手遅れの悔恨たるその一言。

 おそらくカプチェンコは、一手越されたと見るや、急降下から速度を活かして急上昇。かつてのベルカ空軍が得意としたという垂直下方向からのカウンター機動――『ダイブ・アンド・ズーム』によって、黒煙で視界を塞がれたこちらに奇襲を仕掛けたのだろう。その様は皮肉にも、先ほどヒカリが一矢報いた戦術をそのまま逆手に取られて見舞われたと言っていい。

 

 2機落としたとはいえ、依然とした数的不利。先と同様の高度劣位に加え、さらに運動性の悪化。悪条件が重なったこちらを憐れむように、3つの黒翼はこちらを静かに睥睨していた。

 

《彼女も、君も。戦術に自信があるのは結構だが、それ故に予測もまた易い。それでは、かつて我々を追い込んだ唯一の敵――『円卓の鬼神』には遠く及ばない》

「…クソ、が…!」

《そろそろ手札が尽きたかね?…ならば、今度はこちらから行こうか》

 

 絶望に歯ぎしり一つ、左右上方から同時に吶喊する『ベールクト』に対し、レフはアームレイカーを操作し機体をロールさせ、回避機動に入る。

 チャフ、フレア、残数わずか。元来の優れた速度性能はがくりと落ち、躱しきれない至近弾の破片と機銃弾が着実に『ワイバーン』へとダメージを負わせてゆく。スフィアの制御(オート)レフの操作(マニュアル)を組み合わせて機動を読ませ難くするのが精一杯であり、幾度となく重ねた旋回で速度を失っている今となっては、反撃の芽は刻一刻と摘まれつつあった。

 

《防御手段の有効な活用に加え、巧みな回避機動と連携戦術の組み合わせこそが『グリューン』の本質だ。それらを全て失った今、君に勝機は無い。…残念だよ、レフ・ミハイロヴィチ・ヤコヴレフ。君の奥の手が、ベルカのエース達を踏襲するばかりの猿真似だとは》

「ち…!テメェにだけは言われて堪るかよ、半世紀前の亡霊が!」

《減らず口だけは一人前、か。いいだろう、引導を渡そうではないか》

 

 失望したように、頭上から皺枯れた声が落ちる。睨み上げた先には、紅の空を背に急降下する『グラシャ・ラボラス』。レフもまた無意識に舌打ちしながら、わずかに機首を上げて相対する。

 

 撃ち下ろし、AAM2連。

 右ロール、次いでアームレイカー機首手前。願わくば切り返しのシザースで躱したい所だが、主翼の半ばを失った今となっては複雑な横機動は却って自分の首を絞める。事今に至っては、可能な限り投影面積を抑えた横旋回を以て回避を試みるのが関の山だった。

 ミサイルアラート。

 フレア、チャフ散布。

 ――残数ゼロ。わずかに数発を放ったディスペンサーが、乾いた音を立てて手札切れを告げる。

 こんな時に。

 頭上、迫るミサイルは幾分針路を曲げたものの、大きくその矛先を逸らすには至らない。ましてその先に映る一筋の光刃は、もはや致命の間合いにまで迫っている。機動性が落ちた今の状況では、自分の技量ではもちろんのこと、おそらく『グリューン』の回避機動でも免れ得ない。

 

 くそったれ。

 くそ。くそ。クソが。

 うんざりするようなスローモーションの視界の中、レフは口中に罵倒を刻み続けた。カプチェンコに対してか、非力な己に向けてか、それとも同じ穴の(むじな)ばかりの世へ向けてなのか。理不尽と不条理を、憤怒と絶望を孕んだその言葉は、さながらレフの熱情が溢れ出るかのように内奥から零れ続けている。

 

 納得できるか、こんな最期。

 受容できるか、こんな結末。

 死んでいった奴らの信念。託していった奴らの想い。今を生きる人間の、確かな熱。

 それが、こんな奴らの為に無為に散っていい筈が無い。そんなもの、到底()()()()()()

 

 ――くそったれ。

 何でもいい。偶然でも幸運でも何でも構わない。この際俺もどうなってもいい。

 何か無いか。戦う術は。奴に勝つ術は。

 ――スフィア。

 

 今わの際のその名前は、果たして心に奔った一瞬の閃光だったのか、それとも無意識の裡に発していた熱情の発露だったのか。

 レフ自身にもその真偽は判然としないまま、その視覚と聴覚は至近弾の炸裂と、降り注ぐ曳光弾の雨に呑まれていった。

 

「おおおおおおおおおお!!!」

 

 無数の破片が『ワイバーン』へと突き立つ。

 コフィンを弾丸が貫通し、左大腿の外側と左手の中指から下を抉り取ってゆく。爆炎の幕の央、迫る光刃はあまりにも(まばゆ)い。

 飽和した、痛覚と聴覚。その中に、わすかに慣れ親しんだ声が入り混じった。

 

「…況…新。………諾。最上位………リティ、ロッ……除。不足……はOCAS…の上書………び削除…対応」

「ぐ、あ、は…っ!!…っ、…の、野郎…っ…!!」

「エク…ト…コード『GALM』、実行します」

「――な、に?」

「あなたに、勝利を。――レフ」

 

 エンジンが唸る。

 黒煙を纏った飛竜(ワイバーン)が身を捩る。

 スフィアの遠い声が、祈りが、鼓膜に残響を引く。

 急激な回転機動が、痛覚に苛まれる平衡感覚を束の間かき乱す。

 

 傍目には、右旋回から左ロールへと移る、わずか一挙動の切り返し。

 たったそれだけの機動――接触の瞬間に寸分違わず繰り出したエルロンロールを以て、『サイファード・ワイバーン』は翼を翻し、振り下ろされた光刃を機体下方へと躱しおおせて見せた。

 

《………何だと?》

「…!?何だ…この機動は、スフィア!」

「――――」

「…おい!スフィア!!…く、そ…!左手に力が入らねぇ…!」

 

 炸裂の残響と死の影が遠のき、入れ違いに襲い掛かる耐え難い痛みで、意識にかかった靄が束の間和らぐ。

 後ろ上方、Su-47が2機。破片の飛散でひび割れたバイザーからそれを確かめるも、応じるスフィアの声は無い。機体もまた変わらず水平のまま直進するばかりであり、その様は先の攻撃で航行機能を失い、死を待つばかりの翼に見えることだろう。

 

 ――その認識は、直後に覆った。

 後方から迫る2機がミサイルを撃ち放つ。

 各機2連、高度差から速度を乗せた撃ち下ろし。フレアも無い今、彼我の速度差を考慮すれば必中を期しうる距離。

 『ワイバーン』の動翼とカナードが翻る。

 推力偏向ノズルが互い違いに上下を指す。

 翼端に航跡を曳ながら『ワイバーン』が描いたのは、バレルロールにすら至らない平凡な左エルロンロール。

 

 先と同様にあくまで基本に忠実な、しかし被弾の一瞬前に寸分違わず合わせられた回避運動。わずかにそれだけの挙動で、『ワイバーン』は旋回の央にミサイルを躱しおおせ、それどころかオーバーシュートしてゆくSu-47の片割れへと曳光弾の筋を浴びせていた。

 

 黒い前進翼が抉れ飛ぶ。

 最後の『ベールクト』が急旋回で射線を逸らす。

 しかし、最低限のロールのみで速度を保った『ワイバーン』に対し、急角度の旋回で運動エネルギーを失った『ベールクト』では、エネルギー戦における優劣は逆転したと言っていい。まして、ベース機に対し旋回性能で劣る反面、翼面積を切り詰めロール性能とエネルギー保持力を向上させた『サイファード・ワイバーン』ならば猶更の事である。

 

 速度の鈍った一瞬の隙を突き、『ワイバーン』は有効射程距離に至るやAAMを2発発射。

 チャフによる妨害も赤外線誘導を逸らしきることは叶わず、黒鉄の鏃を受けた『ベールクト』は、その翼を粉砕されて夕紅の空へと消えていった。

 

「…はぁ、は、ぁっ…!!…何者だ、この機動…!平凡な動きのクセにタイミングが神がかってやがる…!」

《――……。…『円卓の鬼神』…》

「…何…?」

《…そうか。なるほど、確かに人の出会いは皮肉なものだ。約半世紀を経た終末の空、最後に立ちはだかるのはやはり君か》

「………」

《――だが。此度こそは退けて見せる。醜い奪い合いを止め、人類の可能性を信じるために》

 

 痛みと出血で意識が朦朧とする中、辛うじて拾えたのは感慨と愁寂を帯びたようなカプチェンコの声。変わらず抑揚こそ少ない機械的にすら思える声音には、今はどこか喜悦すら入り混じっているようにも感じられる。

 

 わずかな残響はエンジンの唸りに紛れ、虚空の先へと消えてゆく。

 憂色を帯びた、終末を象徴するような濃紅と紺碧の間の空。鋭い弧を描いて旋回する金色縁の黒翼は、『サイファード・ワイバーン』と切り結ぶかのように静かに間合いを詰めてくる。

 互いに単機、かつてのエース達の技能を体現した者同士。戦空はまさに、終局の様相を呈していた。

 

 正面、ミサイル単発。次いで機銃。『サイファー』は再び接触寸前の位置でエルロンロールに入り、速度を維持したまま攻撃を紙一重で躱してゆく。運動エネルギーの損耗を最小限に抑えて迎えた旋回は極めて鋭く、瞬く間に『グラシャ・ラボラス』の後方優位を奪取。間髪入れず見舞った曳光弾の軌跡を見極め、カプチェンコもまたコーナー速度を保った横旋回で射線を躱し視界外へと飛び抜けてゆく。息をつく間もない、とはまさに比喩ではなく、機動戦の度に飛び交う死神の鎌は呼吸の暇すら奪っていくかのようだった。

 

 これまでの状況から推察するに、この『円卓の鬼神』は類稀な反射神経と洞察力を武器に戦うタイプのパイロットだったのだろう。すなわち、エルロンロール等の最小限の回避機動を繰り返すことで敵に対する運動エネルギーの優位を確保し、格闘戦か僚機との連携で仕留める戦術である。主に縦方向への大振りな機動戦を得意とするレフとは全く異なる類型と言ってよく、『鬼神』のその戦術はさながら孟勇な突進を紅幕ひとつで躱し続ける闘牛士のそれと評してよかった。

 

 ベルカのエース達の機動を再現したという触れ込みのヴァルハラシステムに、何故ベルカ以外のエースの機動が再現されているのか、理由は分からない。カプチェンコが知らないらしい様子から判断するに、唯一L.M.A.に回収されていた物だけに後から加えられたものなのか、あるいは相当厳重な封印が施されていたのか。今となっては明らかでないが、それでも相当のデータ量と執念がつぎ込まれたものだったのだろう、ほぼシステムと同化したスフィアはもはや言葉一つ発することなく、ただただ『鬼神』の機動を『サイファー』に再現させるだけの機械と化していた。

 

《望外だ、これは。まさに瓜二つ、完全な再現と評していい。…素晴らしい。中々に昂るではないか…!》

 

 ミサイルと曳光弾が飛び交う。

 『サイファー』の尾部に弾痕が爆ぜ、切り返しの直撃を受けた『グラシャ・ラボラス』が胴体下部の構造片を空へと散らす。

 

 一進一退の様相の中、これまで欠片すら見せなかった喜色を滲ませるカプチェンコに、どろりと疼くは内奥の情念。自嘲、憤怒、後悔、悲嘆。あらゆる負の感情は澱となって混然となり、目の前の光景がかき回してゆく。

 電脳化したカプチェンコ。ヴァルハラシステムと一体となったスフィア。人間の未来を賭したこの空に駆ける翼は、いずれも人ならざる存在であり、唯一の人間たる自分はコフィン(棺桶)に収まることしかできない。

 

 それで、いいのか。

 勝利は必須である。

 過程は些事である。

 だが、それでも。人間の手によらない勝利は――スフィアの犠牲だけに全てを賭した勝利などは、果たして人間の勝利なのか。

 

 違う。

 そんなものは違う。

 失血で混濁した意識の中でも、本能と情念は叫び続ける。

 勝利。結果。()()()()()だけを求めるなら、機械にでもなってしまえばいい。たとえ不合理でも、理不尽でも、正しいと思える過程を――納得を求めずにはいられないのが人間ではないか。

 

《この喜悦も、此度で終わるのは惜しい事だが。人類の未来のため、終わらせよう。これは黄昏では無く、新たな黎明へと向かう最後の空なのだから》

 

 ――。

 脳裏に閃光が奔る。

 交わしてきた、託された言葉の奔流が自らを包む。

 何が正解なのか、正直分からないが。

 それでも、俺は自分が正しいと思う道を歩こう。

 理不尽に怒り、理不尽を怒る。それこそが人間の在り方だと言った、()()()()()()()()()()()()()()

 

 正面、距離2000。

 さながら騎士の一騎討ちのように、金色縁の『グラシャ・ラボラス』が正面から迫る。

 1600。1200。超音速ジェット機同時の相対は瞬く間にその距離を狭めてゆく。

 息を吐く。今更省みることは無い。『サイファー』ならば確実に回避できるとしても、今は己の選択を信じたい。

 1000。

 800。

 短距離AAMの射程に入りながら、なおも距離は迫ってゆく。すなわちカプチェンコはAAMの回避を見越し、予測点に対する見越し射撃で応じる挙動。

 600。

 450。

 『サイファー』がエルロンロールの兆候を見せる。

 『グラシャ・ラボラス』の機首がわずかに逸れる。

 

《来たまえ、『鬼神』!》

「…言ったよな、人間舐めんじゃねぇって」

《…何…!?》

「お前の相手は、俺だ!!!」

 

 変わらぬ意思を吐き出す口、精神の虚を突くように向かう感情の奔流。

 正面からの曳光弾が飛来する、まさにその刹那。レフはロックオンも程々に、残っていたAAM4発を全て撃ち放った。

 当然、ロックオンを経る前に発射したミサイルが十全に誘導する理由は無い。

 『グラシャ・ラボラス』の機銃弾が右翼を、胴を、コフィンを貫通し、破片がヘルメットを弾き飛ばす中、入れ違いに飛翔したミサイルは放射状の軌跡を描き、『グラシャ・ラボラス』の目の前で近接信管を作動させて起爆。互いの視界が白い闇に包まれる中で、レフは渾身の力を込めて左右のアームレイカーを引き上げた。

 

 急激なGで血流が頭から引いてゆく。圧迫された大腿から血が噴き出す。闇を帯び始めた意識の中、しかし体はその機動を覚えていた。

 頭の中で、航空シミュレーターで、そして空戦で幾度となく繰り返し、真髄に沁み込ませて練り上げた必殺の空戦機動。すなわち、レフが得意とし、かつ『鬼神』のそれとかけ離れた、縦方向へと弧を描く高速機動戦を。

 

《邪魔、を…!》

「なるほど、確かにヒカリが言った通りだ。矛盾した台詞に、二つの精神。それなら確実に隙ができる。――予想外が起こった時、()()()()()()()()()()()()()()ってなァ!!」

《――!!》

 

 黒翼が6連の鏃が生み出した白煙を抜ける。

 『鬼神』と戦っていると思い込んだ思考の虚。至近弾で視界を奪われた動性の虚。それらを重ね合わせたかのように、『グラシャ・ラボラス』はスーデントールの大地を遠景に、水平となった機体を宙に舞わせている。

 すなわち、直上から迫る『サイファー』に対し、投影面積を最大にした格好の標的として。

 

 被弾による焔を帯びながら、脳天へ向けて墜ち行くその様はさながら黄昏を送る彗星。

 

 コフィンの中央へ刻み付けたガンレティクルへと過たず放たれた曳光弾は、『グラシャ・ラボラス』の首を貫いて、妄執に駆られたその翼を瞬く間に朱へと包んでいった。

 

《!!………潰える、か。再び》

「見たか…はァ…、この野郎…!いろんな奴らの想い、こちとら抱えてるんだよ…!」

《…想い。今を生きる者の意志、か。………見せて貰おうとしようか。人類の永続でなく『人間』の存続を選んだ、君たちの行く末を》

 

 爆発。

 最期に宿した信念を散らすかのように、『グラシャ・ラボラス』の翼が爆ぜて脱落してゆく。推力を失った機体はそのまま全身を焔に包まれ、やがて四散五裂してスーデントールの大地へ向けて重力の虜となり――その生涯を飾るように、紅と黒の中に金色の閃光を帯びた花を地へと刻み付けた。

 

 決着を終え、力が緩む。出血の消耗が視界を濁らせる。

 だが、まだ。まだだ。まだ衛星通信は回復していない。何とかこの機体を地上へ下ろさなければ、スフィアは機体とともに失われてしまう。

 

 ちらりと探り見るは、正面端の投影モニターに表示されたダメージコントロールパネル。ワイヤーフレームで象られた機体上面図はほぼ全体が赤く染まり、機能不全を示していた。エンジンの片肺は既に停止し、右翼を包む炎も消える様子は無い。一か八かで急降下で消せなくもないだろうが、被弾と火災の消耗が重なった今となっては、機体の方が先に空中分解してしまうだろう。

 

「…!折角勝ったんだ…!諦めて堪るかよ…!…うわっ!?」

 

 消え入りそうな意識を保つように、握った右拳で大腿を一発。鈍い痛みを味わう間もなく、後方に生じた爆発でレフは正面モニターへ顔面を打ち付けた。

 割れた額、赤く染まる視界の中、辛うじて見えたのは右エンジン全損の表示。

 絶望的な状況、ただただ歯ぎしりが滲む音。

 もはや次善策も、悪態をつく余裕も無いまま息を吐いたレフの耳に、唐突に聞き知った声が入ったのはその時だった。

 

《事前の指定条件への合致を確認しました。再生プログラム02を起動します》

「…!?スフィア!?…そうか、録音か!何だってこんな時に…!」

 

 思わぬスフィアの声に泡を食うも一瞬、以前の似たような経験から、録音の二文字が脳裏に過ぎる。

 確かニョルズⅡを経つ前に、同じような形でスフィアがメッセージを再生したことがあった。スフィアの状態を鑑みれば、録音のタイミングとしてはおそらくスフィアがヴァルハラシステムの管制を担うことになった頃。すなわちウロボロスのレギンレイヴ艦隊迎撃に向かった後あたりの『声』ということになるのだろう。おそらくは、事前に再生条件を定めておき、その条件を満たした時に自動で再生されるプログラムを遺しておいたのに違いない。

 

《レフ。このメッセージを聞いているということは、おそらく私は…『サイファード・ワイバーン』は全損を免れない状況にあることでしょう。大丈夫ですかレフ、まだ生きていますか?手も脚も残っていますか?機体は燃えていませんか?》

「指は3本吹っ飛んだし機体も絶賛燃えてるよクソッタレ!」

《私が、以前に残したメッセージを覚えていますか?私は、あなたに生きて欲しい。『ウロボロス』の打倒より、人類の未来より、私はあなたに前へと進み続けて欲しいのです。…たとえ私がどうなろうと、それだけがたった一つの希望なのですから》

 

 燃え続ける機体、徐々に狭まる視界。のっぴきならない状況でありながら、レフは久方ぶりのスフィアの『言葉』に安堵した。

 ――だがそれと同時に、スフィアの穏やかな声と祈りに、ぞくりとする絶望的な末路を直感せずにはいられなかった。

 

「おい…」

《あなたの事です。また意地を張って、なんとか不時着しようという無理難題を考えているのでしょう。…ですが、それは不要です。ほぼゼロの可能性に縋って、あなたが死んでしまっては元も子もない。これまで長く付き合った相棒なんです、最期くらいは相棒のお願いを聞いたってバチは当たらないですよ。という訳で、口を閉じて舌を噛まないようにしてください。10秒後、あなたを強制射出します》

 

 駄目だ。

 そんな短い、縋るような言葉が喉に張り付いて出てこない。

 ふざけるな。ふざけるんじゃない。そんな結末納得できるか。

 機械を、電子の魂を信じさせてくれたお前を失ってしまったら。

 ――俺は。

 

《最後に、ですが。私はとても幸福でした。あなたという存在と巡り合い、私という『魂』に意味を見出すことができたのですから》

「…待て」

 

 無情なカウントダウンが時を告げ、言葉にならない声が嗚咽となって喉を塞ぐ。

 待ってくれ。待ってくれ。俺はお前に感謝の言葉も伝えていない。離別の言葉も用意なんてしていない。またどうでもいい無駄話をして、カールやイングリット達と笑いあって、一緒に空に上がって――。

 

《さようなら。…ありがとう。理不尽で、我が儘で、怒りっぽくて…眩いほどに輝かしい魂を持った、愛しいあなた》

「待て!!…待ってくれ…!スフィア、俺は…!!」

 

 最期の、最後。瞼に浮かんだのは、耳の上で跳ねた癖毛と青みを帯びた銀髪、好奇心旺盛な真ん丸の瞳を持つ少女の姿。

 

 過去の記憶か、それとも幻影か。それすら判然としないまま、その残影は炸裂音と轟音の中に霧散し消えていく。

 風圧で回転し平衡を失う体。徐々に日が沈み暗くなってゆく視界。

 自動的に開いたパラシュートで体ががくりと減速する中、眼下では炎に包まれた『サイファード・ワイバーン』が墜ちてゆく。黒と赤の中で燃え尽きていくその姿は、まるで命を輝かせ燃え尽きていく流星の最期を思わせた。

 

「………っ…!…スフィアァァァァ!!!」

 

 伸ばした手の向こう、地に割いた紅蓮と漆黒の華一つ。

 西の果て、ノースオーシアとの郡境を象る山の()に日は沈み、その残光たる一筋を闇の中へと沈めていった。

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