Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere - 作:びわ之樹
夢を、見ていた。
とっぷりと日が暮れ、満天の星空が広がる深夜。遠景に黒々と山肌が並ぶ広原の央、そよそよと囁く草むらの音を傍らに、ビニールシートを平原に敷いてごろりと寝転ぶ男と少年の姿がある。
「あれ知ってる!
「そうそう、あの脚の先の明るい星が目印だ。よく覚えていたね、偉いぞ」
空を指した少年が楽しそうに声を上げ、男の方も感心したように相槌を打つ。人里離れた草原の中にあって、地上の光源と言えるものといえば、男が携えたランタン一つ。天光を妨げるものは何一つ無く、空を横切る天の川も、瞬く星々も、全てが明瞭に見て取れた。
「それじゃあ、あれは分かるかな?かに座の真ん中あたりにある、大きな星の塊。名前は覚えてる?」
「うーんと…えっと、プロ…プレ……プレアデス、だっけ?」
「惜しい!プレアデスはおうし座の方だね。あれはプレセペ。どちらもたくさんの明るい星で形作られる星団だ」
照れ隠しのように笑い声を上げる少年、それに応えながら満足そうに笑む男。
二人に釣られるように視線を天へと向ければ、そこに映るのは中天に浮かぶかに座の姿。左右へと大きく脚を伸ばすような様相の中央、すなわち蟹の心央に当たる部分には、確かに輝かしく煌めくいくつもの星々を認めることができる。
――そう、『
「…さて、そろそろ時間だ。見ててごらん、始まるよ」
声を潜める男に応え、少年も掌で口を覆い息を潜める。
1分。
2分。
しんしんと耳に痛いほどの静寂が響く中、それは唐突に現れた。
「わぁ…!」
一つ。
二つ、三つ、四つ。
夜空を切り裂くように流れ始めた、数多の光芒。時にしゃっと空気を割く音を響かせ、時に火球のように眩く光って、上天を奔る星屑は雨のように降り注いでゆく。
感嘆の声を上げる少年の姿。満点を彩る流星群。
この光景には、見覚えがある。確か、故郷デラルーシ。幼少の折、気まぐれに父親が言い出した、後にも先にも一回きりの天体観測。
「……ねぇ、お父さん」
「ん?」
「流れ星って、地球に落ちてきた隕石とかなんだよね?落ちる衝撃で燃えて、光って、消えちゃうって」
「ああ、そうだね」
「それってさ、なんか…。寂しいよね。こんなにきれいに輝いても、最後には消えちゃうなんて」
「………」
ぽつりと呟いた少年に、男はふむ、と顎に手を置く。その間にも流星は次々と大気の摩擦に曝されて、最期の輝きを残して消えていった。
少年は、まだ幼いのだろう。
少なくとも、いかに輝かしい想いだろうと、眩い存在だろうと、全てはいつか潰えてしまうことを知らない程度には。
「そうだね。どんなに美しいものも、消えてしまうのは寂しい。…だけど、それは『無かったこと』にはならない。目にしたもの、触れたもの、美しいと感じたもの。それは全部レフの心にずっと残り続ける。お前がそれを大事にし続ける限り、ずっと生き続けるんだ。ずっと覚えていてあげることが、消えていく流れ星にとっては一番の慰めになるんじゃないかな」
「ふぅん…」
――……。
忘れないでいること。眩く光り消えていった数多の星を、ずっと記憶に留めておくこと。
それこそが、彼らが――
たとえ過ぎた日がいかに尊くても、起きた過ちは二度と取り戻せなくても、時間は未来へしか進まないのだから。
「なら、僕、絶対に忘れない。今日見た、夜空いっぱいの流れ星を」
数多の光芒が流れては散り、閃いては消えていく。刹那の先の永遠へと、その輝きと記憶を刻み付けていくかのように。
その中の一つ、一際鮮やかに輝いた流星へ、少年は手を伸ばす。その煌めきを胸へと宿すように、目いっぱいに小さな掌を広げて――。
******
「………………あ?」
無意識に伸ばした手が虚しく空を掴み、薄ぼんやりとした視界に朧な輪郭を浮かばせる。
微睡みから醒めきらない、靄がかかったような頭と目。胸から下を覆う毛布の暖かな感触と明度の高い白い天井は、さながら二度寝にしゃれ込む休日の幸福を思わせる。
徐々に感覚が現実を取り戻し、明瞭となってゆく視界の中で、レフはゆっくりと上半身を持ち上げた。
周りを見渡せば、目に入るのはわずかに陽光を透かして明るみを帯びた天井――もとい天面に、病室と言うには粗末なパーテーション区切りのスペース。傍らには簡素な作りのパイプラックに、その上に乗った水を湛えたコップ。
そして。
「レフ?…レフ!!目が…やっと目が覚めたっスね!?……よかった…!」
「お、よかった。おはようレフ君。頭は痛くない?体は?お腹は減った?」
起き上がったこちらに気づき、ギブスを巻いた腕で体に抱き着いて泣きじゃくるカールと、にんまりと余裕のある笑みを浮かべて歩み寄るヒカリの姿。在りし日の見慣れた日常の光景に、レフも気づけばつられたように笑みを返していた。
戻ってきた現実感に、脳裏に過るは安堵と一抹の苦み。結局、『ウロボロス』との戦闘はどうなったのか。他の皆は。いやそもそも、ここはどこでどれだけ時間が経ったのか。
矢継ぎ早に頭を満たす疑問を口にしかけたその刹那、機先を制したのは間の抜けたきゅるるるる、という圧縮音。すなわち、レフの腹の虫であった。
「心配かけたな、お前ら。聞きたいことは山ほどあるが、…まあ、この通りだ。腹減った」
間、一拍。ふ、と噴き出したカールの苦笑は、瞬く間にレフとヒカリへも伝播してゆく。
終焉を告げる快活な笑い声の三重奏に、レフの腹も負けじとコーラスを加えていった。
******
しゃり、と小気味よい歯触りに、噛み締めるほどに溢れ出る果汁が瞬く間に喉を満たしてゆく。酸味はあくまで爽やかで、甘みもまたくどくはなく。リンゴとは果たしてこんなに美味い果物だっただろうかと、レフは感動を覚えながら丸2個分を完食して見せた。聞けば先の空戦で脱出してから丸2日は眠っていたとのことで、都合3日ぶりの食事ともなればさもありなんという所だろう。この感動に比べれば、ウサギリンゴを作ろうとしたヒカリが不器用さに挫折して結局ダイスカットになってしまった事など、些細なことと言ってよかった。
「…なるほどな、だいたい事情は呑み込めた。『ウロボロス』も相当しぶといが、ようやくほぼ王手って訳か」
「そういうこと。もっとも、主戦場だったユージアの方はこれからが大変だろうけどね」
口直しの水を飲み干して、レフは3日ぶりの満腹感に満足したかのように腹を軽く叩く。欲を言えば浅炒りのコーヒーを飲みたいところだったが、胃への負担を考慮すれば仕方のないことであった。
食事を済ませる間、ヒカリやカールから聞かされたのは、ひとまずの自らと世界の状況についてである。
二人の説明を整理した上で簡潔に評すれば、『ウロボロス』は事実上壊滅し、長きに渡った対ウロボロス戦争もようやく終わりが見えて来た、という事である。
ここオーシア東方について言えば、実質的な指導者であった『カプチェンコ』は死亡し、残る大半のメンバーも衛星通信の遮断によって電脳化を十全に活かすことが叶わず大半が死亡。エレクトロスフィア上に残る彼らの人格データも逐次ニューコムのセキュリティチームが捜索し削除を行っているとのことで、組織としてはもはや崩壊したも同然であった。今はスーデントールの『ウロボロス』残存部隊がバルトライヒ山脈地下のニューコム宇宙技術開発工廠――旧ベルカ兵器産業廠へと撤退し、なおも抗戦を続けているとのことだが、他に救援の手立ても無いこの状況では制圧も時間の問題であろう。
翻って、反乱の中心地となったユージア方面はもはや目も当てられない。オーシア方面に先んじて『ウロボロス』は壊滅したものの、その最中にゼネラルリソースやニューコムの首脳陣は軒並み死亡。ニューコム肝煎りの海上移動都市『メガフロート』は海中に沈み、ゼネラルリソースの巨大地下都市『ジオフロント』も半壊して機能を喪失し、経済的および人材的な損失は計り知れないものとなっていた。UPEOに至っては直属部隊のSARFを始め多くの部隊が『ウロボロス』に付いたこともあり、後の掃討戦で壊滅し、治安維持部隊としての機能は完全に失われたという。
ニュースで漏れ聞く話によれば、目下の状況を踏まえてゼネラルリソースとニューコムの停戦協定が進んでいるとのことで、その中では各組織に潜伏する反乱分子の炙り出しのため限定的な業務提携すら検討されているらしい。一時的とはいえ世界を牛耳る二大巨頭の手を取らせたのが『ウロボロス』というのは、いささかエッジの効きすぎた皮肉であった。
余談ながら、レフ達の現在地はスーデントール市の郊外のテーベル記念公園に当たる。記念公園とは言うもののその前身は旧ベルカ時代の急造野戦飛行場の跡地であり、今はコンクリート固めの地面とささやかな展示版の他に何もない殺風景な広場に過ぎなかった。現在の立場上ニューコムの医療施設に入院できないレフは、運び込まれたニューコム系列の病院で処置だけを受けたのち、ルーメンから駆けつけて来たL.M.A.に拾われて今に至るという訳である。オーレッド湾で撃墜されたカールは回収後にヘリで、ヒカリも脱出後に自力でそれぞれテーベルへと至ったという。
「ま、なるようにしかならないよね。こっちのニューコムだって再建にどれくらいかかるのか分からないし、UPEOだってこれだけやらかしたら解散の可能性もあるし」
「まあな…。俺の今の本籍だってニューコムにあるのか正直分かったもんじゃねぇ。成り行きとはいえ一時的に『ウロボロス』所属だった訳だし、下手すりゃお縄だ。クビだけで済めばまだマシかもな」
「俺だって後半ほぼL.M.A.で動いてたようなモンっスからね…」
「だったらさ、イングリットも一緒に3人でL.M.A.に来ればいいじゃん。ママも歓迎してくれるよ」
「再就職にせよ何にせよ、俺はこの手治すのが先だ。こんなんじゃ自前で修理もできやしねぇ」
二人の話に応えつつ、レフは今更ながらまじまじと左手を眼前へと翳す。
撃墜されながらも五体満足だったヒカリとは裏腹に、レフの左手は中指から小指までを欠損し、今は包帯で厳重に巻かれていた。ニューコムお得意の再生医療で傷口断面からの出血の心配はほぼないとのことだが、正規の病院で完治まで過ごせないのは少々心もとない。この点は、脱出時に機体の破片を受けて右腕を骨折したカールも同様であった。
とはいえ、レフの場合はコフィンを徹甲弾が貫通していったのである。榴弾であれば左半身まるごと失っていたかもしれない以上、まだ幸運な部類と考える他無いであろう。
「大丈夫だってば。何だったらママの伝手で医療工学系の試験機材のテスターになれるかも。ついでに義指に仕込み銃でも付ける?」
「いるかバカ」
「まぁまぁ、次またいつこうなるか分からないじゃない。パウラ師匠だってもういないんだし」
「あ…」
「…まあ、そうだな。スフィアもそう、パウラ主任もそうだ。せっかく気の合ったGRDFの連中も全滅しちまった」
冗談交じりの談笑から一転、パウラやスフィアの死に触れる言葉に、カールは思わず口を噤む。戦闘時の混乱で意識からすっかり抜け落ちていたが、今回の戦闘で死んでいった人間はあまりにも多い。まして、カールは目の前でパウラが死ぬのも見ているのである。いかにヒカリが何気ない様子で口にしたとはいえ、カールが表情を陰らせたのは当然といえば当然であった。
話が脇に逸れるが、先の戦闘の最中、そして先ほどの食事に至るまでの間に、ここにいない面々の消息についてもレフはある程度聞き知ることができた。
まず、イングリットは五体満足で無事とのこと。L.M.A.のルーメン脱出の際に立派に殿を果たし、戦闘が終息した後に同じく無事だったサヤカ支社長に回収されて、今は護衛を兼ねて側にいるのだという。フォルカーもまたGRDFの空母『ニョルズⅡ』から離れ、グラン・ルギド経由でスーデントールへと向かう最中らしい。
一方で、パウラ主任は先述の通り『ウロボロス』の空中空母に特攻して戦死。攻略の突破口を開いた立役者でありながら、その最期ゆえに遺体すら残らなかったと聞かされた時には、流石のレフもやりきれなさを抑えられなかった。
ニューコム繋がりで触れると、オーレッド湾で空中空母の迎撃に向かったクルスも無事生還し、今はグラン・ルギドで引き続き指揮を執っている。時折入院中のニコラスやおやっさんの見舞いにも行っているらしく、一度サヤカ支社長とヒカリ宛てにメールが届いていたらしい。殺しても死なないジジイ二人はともかくとして、クルスが健在であることはオーシア東方のNEU再建の上でも大きな力になることだろう。
一方で、『ウロボロス』拠点の一つであるヴァレーへ向かったイルダの消息は今もなお分かっていない。聞くところによればGRDFのアレックスとも偶然同道しヴァレー攻撃に向かったとのことらしいが、いかんせん山深いウスティオの奥地である。救援部隊の派遣にも困難が伴う立地であり、その安否が現状気がかりな点でもあった。
そしてスフィアはといえば、もはや言うまでもないであろう。
レフの強制脱出後も最期まで機体を制御し続けたらしく、『サイファード・ワイバーン』は都市部へは墜ちることなく開けた郊外へ墜落。データの吸い上げなど不可能なほどに機体は大破し、その存在は影も形も無くなっていた。
生き残った命。潰えていった命。その厳然と分かたれた両者の果てにある今の自分たち。その現実を前にしてなお、レフは自身の心が存外に平静であることに気が付いた。
理由はといえば、それは言うまでも無く。
「……なんか、妙に平気そうっスね、ヒカリさんもレフも。俺未だに精神的にキてるんっスけど」
「んー、平気ってほどでもないかな。パウラ師匠って生まれた時からずっと一緒にいた人だし、もう一人のお母さんみたいな存在だったし。死に目にも会えなかったし、もう二度と話せないと思うと正直寂しいよ」
「まあ、そうだな。腐れ縁のあの玉ちくしょうとも金輪際会わなくなると思うと、だいぶ静かになるな」
「なら、何で…」
「…忘れなけりゃ、それでいい。死んじまったらあいつらは終わりなのか?無意味なのか?……それは違うと俺は思う。忘れさえしなけりゃ、あいつらの心は、信念は――ずっと、次に繋がって生きていくんだ。俺だって決して呑み込んだ訳じゃねえが…少なくとも、納得はしてる」
「……ずっと、生きる…」
「そういうこと!分かってるじゃんレフ君。………あたしだって、パパからママへ、ママからパウラ師匠へ繋がった信念の先にいるんだ。凄く分かるよ、それ」
永遠の精神。不毀の魂。それは電脳化という手段で永遠を求めた『ウロボロス』の思想と似た、しかし決定的に異なるアプローチによるものだった。
片や、ヒトへの不信と不完全性に基づき。片や、人間の継続性と情念に根付く。結局どちらが正しいのか、今は正直なところ分からないが少なくとも人間はこうやって試行錯誤を繰り返しながら、何かをずっと未来へと繋いでいくのだろう。
沈黙と弔意、その中に漂う仄かな暖かさ。
揺蕩う終焉の気配は、しかし慌ただしく駈け込んで来た足音によって綺麗さっぱりかき消された。
「失礼します!ヒカリお嬢様、おいでですか!?」
「…
「こう見えて社長令嬢だからね!…ってそれより、どうしたの?」
到底ヒカリに似合わぬ『お嬢様』の響きに、盛大に噴き出すレフとカール。その様にも構わず、ヒカリはきっと眉を引き締め、入ってきた男に応じた。作業着姿と襟章を見る限り、どうやらL.M.A.所属の人員らしい。
「バルトライヒを包囲中のGRDF司令部から各所へ緊急電です!籠城中の『ウロボロス』残存部隊が、地下施設から形式不明機を複数離陸させつつあるとのこと!数機は既に先発し、ユージア方面へ向かっているとのことです!」
「何ですって!?」
「GRDFも包囲戦と追撃に手一杯らしく、我々にも協力要請が出ています。如何しましょう?」
「…分かった。レフ君の『オルシナス』があったわよね。扱いよく分からないけど、アレで出るわ」
予想だにしなかった情報の奔流に血流が回り、レフの顔がさっと紅潮する。
バルトライヒ地下の工廠跡、ユージアへ向かう形式不明機。確かな情報は依然少ないながら、レフの脳裏には心当たりが一つ浮かんでいた。
以前、イェリング廃鉱攻撃が失敗した際に、同時攻撃を行う手筈だった『アヴァロン』のNEUが形式不明機によって壊滅させられたことがあった。その時は不鮮明な画像データのみだったが、まるでブーメランのような不気味な全翼機だったことは朧に記憶に残っている。追い詰められた『ウロボロス』の最期の悪あがきに、虎の子の新鋭機を出してくるとしても不思議は無かった。
「ちょっと待て。俺の『オルシナス』がここにあるのか?」
「あ、そっか言ってなかったっけ。ルーメンを脱出する時にママが持ち出してたの。予備機としてここに到着してから組み立てたって」
「そりゃラッキーだ。ヒカリ、俺に使わせてくれ。丁度いいリハビリだ」
「…いや何言ってるんスかその体で。怪我人は安静にしてるっスよ」
「バカ言え、『オルシナス』に慣れてない素人に愛機を任せられるかよ。どうせ出血の心配は無いんだろ?寝たきりじゃ勘が鈍っちまう」
空に魅入られた者の性というべきか、もはやパイロットの本能と評するべきか。『ウロボロス』の脅威を言い訳に、レフは早くもベッドから床へと降り立った。理由をつらつらと述べたところで、結局は外に出たいのが本音ではあったのだ。スカスカとした感触の病院着は正直好きではないし、頭では納得していてももやもやとした鬱屈は残っている以上、発散だってしておきたい。
止めるカールに、どうしても行きたいレフの押し問答しばし。
結局折れたカールに対するせめてもの譲歩ということで、『オルシナス』の後席にヒカリが補佐に就く形でなんとか決着がつく運びとなった。
「にしても、そもそもその手で操縦なんてできるっスか。『オルシナス』のインターフェースだってそれ専に調整はしてないんでしょ?」
「何言ってんだ、こんな時の為のコフィンシステムだろ。手さえ触れてりゃ直接操作しなくてもある程度は動かせる」
「へ?……あ、そっか。レフの事だから、てっきりマニュアルで操縦するもんかと思ってたっス。…不思議っスね。今やレフがコフィンシステムを普通に使ってるなんて」
「……そうだな。スフィアのお蔭だ」
「…………っスね。レフ、気を付けて。今更死なないでっスよ!」
「分かってらバカ」
言われてみれば、そうか。
カールの言葉に、レフは今更ながらに己の変化を思い知った。過去のトラウマで機械というものを信じきれなかった自分も、こうして数年の間に変わり、成長し、生き残ることができたのだ。その変革の背には、今まで出会ってきた数々の人たちや、何よりスフィアがいることは間違いない。
良くも悪くも、人間は変わってゆく。数多の価値観に、信念に、魂に触れて、確かなものを自身の中に継ぎながら、未来へと向かってゆく。さながら
更衣室で病院着を脱ぎ、久しぶりの感すらあるフライトジャケットを身に纏う。ごわごわとした固い感触、ところどころに防寒を施した生地の厚みは、空へ帰って来たことを否応なしに感じさせた。
外、高い日差しの下には、槍の穂先を思わせる流線を象った灰色地に青の塗装と、尾翼に巴の6の字を描いたかに座のゾディアックシンボルを刻んだ機体。慣れ親しんだ『キャンサー隊』の所属を示す、R-211C『オルシナスC』の雄姿が、レフとヒカリの前に佇んでいる。しばらくは『サイファード・ワイバーン』に乗っていた関係上、本来の愛機である『オルシナス』に乗るのは久しぶりだった。
「それじゃレフ君、操縦はよろしく。今死なれたら色々と困るから、不調があったらすぐ言ってよ」
「何なんだお前まで、女房みたいに世話焼きやがって。分かってるよ」
「ふふーん、ならよし。他の事は一切合切お姉さんに任せなさいな」
「へいへい」
夫婦漫才のような慣れ親しんだ雑談一つ、レフとヒカリは『オルシナス』のコフィンへと身を収めてゆく。久方ぶりのニューコム製コフィンということも相まってか、『オルシナス』のコフィンは記憶よりかなり広く感じられた。
背を深く座席に預け、両手を左右それぞれのアームレイカーへと置きコフィンシステムを起動する。コフィン内部の全周囲モニターへと次々と光が灯り、瞬く間に頭上から足元までを外部映像が包む様相は、さながら身一つで空中に浮いている錯覚すら覚えさせた。
エンジンの回転数を維持する最中、二つの影が頭上を過ぎる。褐色を帯びた翼を広げて円を描きながら飛ぶその姿は、この辺りではポピュラーな鳶の一種のようだった。
「豪胆なもんだ。『オルシナス』の図体を屁とも思って無ぇ」
《まったくです。神経の図太さはあなたにも通じるものがありますね、レフ》
「余計なお世話だ。………ん?ヒカリ、今何か言ったか?」
《え?何も言ってないけど?》
「は?じゃ、今のは…」
益体も無い会話に反射で返したその瞬間、さっと脳裏に奔る違和感。
ヒカリの声とは違う、しかし慣れ親しんだ声。ずけずけと遠慮のない口調。この声を、この存在を、俺は知っている。
「……まさか」
《試験接続成功。データリンク完了。エレクトロスフィアよりR-211Cへシステムを移行。――そんな訳で、お久しぶりです、レフ》
「――スフィア!!?」
電子合成の音声ながら、生き生きとした抑揚を感じさせる声音。正面に一瞬奔るノイズ。それらが収まった後に、モニターの中に現れたのは一人の少女の姿だった。
ヴェールを思わせる緩いウェーブのかかった服装。
肩の辺りまで伸ばした、青みを帯びた銀髪。
耳の上の辺りで外側へと跳ねた、イルカのヒレを思わせる癖毛。
深い海のようなダークブルーの瞳。
そして、好奇心を湛えたくりくりと大きな目。
投影画像の中に浮かぶのは、紛れも無い在りし日のスフィアの姿だった。
《スフィアちゃん!?え、何で!?どうして!?》
「お前…『ワイバーン』と一緒に消滅した筈じゃ…」
《?…おや、元の私はその点を説明していませんでしたか。おっちょこちょいも甚だしい。とはいえ色々と緊急時だったのでやむなしかもしれませんが。何という事はありません、元の私は、エレクトロスフィア上に保管されたバックアップから『ヴァルハラシステム』と一体化した私です。そういう訳で、私的にはお久しぶりですねレフ、ヒカリ》
呆気に取られるレフとヒカリを尻目に、スフィアは平然と説明を返す。要は、スフィアの本体データはエレクトロスフィア上にバックアップの形で依然として存在しており、前のスフィアはそれと切り離されて『ヴァルハラシステム』と融合し、ローカルデータと化したスフィアに過ぎないという訳である。有体に言えば、今のスフィアは
――初耳である。少なくとも前のスフィアもフォルカーもそういった事は一切言っていなかった。フォルカーの想定外だった可能性もあるが、いずれにせよ後日しばき上げることは必要であろう。
「いや嘘だろお前…!色んな録音メッセージやら死ぬ前に愛しいあなたとか思わせぶりに残しておきながらよぉ…!」
《む、前の私はそんな情熱的な事を言っていましたか。私もなかなか隅に置けない。率直に言って妬けます。…いずれにせよ、問い詰めたいことは山ほどありますが。また会えて嬉しいですよ、レフ》
「!……お前な」
《はいはーい!あたしもまた会えて嬉しいよスフィアちゃん!いえーい!》
《いえーい。…レフ、いつまで惚けているのですか。早く積もる話がしたいので、早く仕事を終えてしまいましょう。貴方なら朝飯前の筈です》
「いや朝飯はさっき…いやいいもういい、これ以上脇道に逸れるのは叶わん。――『オルシナス』上がるぞ!係員退避!」
胸の靄が晴れる。
身体に、心に力が漲ってゆく。
空は快晴、視界の先に遮るものは何一つ無く、滑走路の向こうは遥かな蒼穹へと繋がっている。
計器類チェック。エンジン回転数上昇。ブレーキを一たび緩めれば、流線型を帯びた『オルシナス』の巨体は徐々に加速し地上を奔ってゆく。
息を吐き、下腹に力を込めて一拍。ふわりと浮揚感に包まれた体は、一気に増速して急角度で空の
火器管制、
「こちとら今後もやること山積みなんだ!速攻で片を付けるぞ、スフィア!」
《もちろんです、レフ。――あなたに、勝利を》
掌から意識が機体へと流れ、有機的に動翼を動かした『オルシナス』が翼を翻す。
傾いた銀翼には眩い陽光が反射して、煌めくように空と地を照らしていた。