Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere - 作:びわ之樹
傍若無人な
海面がきらきらと陽光を照り返し、まばゆい反射を翼へ縫い付けるように染め上げる。
時刻にして午後2時15分、仰いだ空の雲量はほぼゼロ。数日前に通過していった低気圧が雲をごっそりと持って行ってしまったかのように、陰り一つ無い空がオーレッド湾の上空に広がっている。コクピットに横たわる体、その頭を覆うように備えられた
《状況は予定通りに推移。各機、針路ならびに速度、そのまま》
鼓膜を揺らす青い声に、はン、とレフは息を漏らす。――予定通り。予定通り、ね。皮肉な気分募る胸、常とはまた異なる僚機。レフはどこか醒めた面持ちで今の空を俯瞰していた。
晴れ渡る蒼天の下、空を駆けるのは先行する5機ひと塊の機影と、それに連なる3機編隊。レフはカールやスフィアとともに後方の集団に位置しており、常通り青い尾翼のR-101FR『デルフィナスE』を駆って3機編隊の先頭に位置していた。装弾数の差こそあれ、そのいずれもが戦況の変化に対応できるよう、
一方、前方の5機はといえば、深紅地に黄金色の十字を染め抜いたR-211『オルシナス』を先頭とする雁行隊形。こちらは対艦戦闘を専らとするらしく、自衛用に最低限搭載したAAMの他は、全て装備にLASMを選択しているのが特徴だった。言うまでも無く、サピン駐留部隊のうち最精鋭を誇るNEUの飛行隊、『エスクード隊』の面々である。編隊の最後尾には機首を赤く染めた見慣れぬ前進翼の機体――XR-099CG『グラシャ・ラボラス』も付随し、さながら派手な衣装を翻す百鬼夜行のごとき様相を見せていた。自己主張の激しい赤染めの彼らと比べれば、青い尾翼のレフの機体など何ともおとなしい方ではないか。
ここまでは昨日のブリーフィング通りの編成ではあるが、今回はそれに加えて員数外のR-502『ストレクタス』が1機、高度にして1500ほど上空に付随していた。対艦戦闘が予想される空域に輸送機の存在というだけでも妙だというのに、その機体は全体が黒塗りの上、機体の各部からアンテナを生やした奇妙な姿のもの。通信すら交わす様子も無く、ただぴったりと上空に張り付くその様はどこか不気味でもあった。
詳細は、レフにも知らされていない。出撃前になって急に編成の変更通知を受けたと思えば、それ以外に何の説明も無くこうして付随してきたというのが実情なのである。当然、乗員の詳細すらもレフ達キャンサー隊には知らされていなかった。
「………ちっ」
物事が、頭上を過ぎて流れていく。
不意に形となったその印象に、レフは思わず舌打ちを漏らした。事態がこうして不明瞭のまま、レフにとって幾分不本意な形で動くようになったのも、エスクード隊――その隊長であるクルス・コンテスティが来てからのことである。それに端を発するといえば当のクルスにとってはとんだ迷惑だろうが、当日から今に至るまでの中で、一連の作戦に対しどこか複雑な感情を抱くようになっていた。
取り乱すフォルカーの姿、余裕を感じさせるクルスの雰囲気、そして球コロの親戚――『オーキャス3』という存在。昨日目にしたそれらの様と、それらに端を発する疑念と感情の渦は、レフの中で今なおぐるぐると黒く渦を巻いている。
初対面であるクルスに対し、なぜこれほどまでに険しい感情を抱いているのかは自分でも分からない。単に馬が合わないと言ってしまえばそれまでだが、ややもすれば言葉の端々に覗くエリート意識と、これまでの戦績や肩書、サピン屈指のエースの孫という血統からくる余裕たっぷりの仕草が、レフにとってはどこか癪に障るのだった。
もちろん、一歩引いて理性的に考えれば、クルスの今の地位も言動も、当然と言えば当然のものである。
出自はかのエースパイロット、ニコラス・コンテスティ
もっとも、そうして理性的な思考をもって納得できれば苦労は無い。
レフにとって、感情は理性に優先する。結局のところ、心に渦巻くものといえばわずかばかりの理性の他は、気に入らない、馬が合わない、気に障る――そんな他愛も無く蒙獏とした負の感情であった。どこか馬の合わないこの相手も、作戦さえ終われば元の所属へと帰ってくれる。その安堵を想えば、作戦への疑問や後入りしてきた謎の輸送機の存在など、どうという事でもなかった。
《レフ、速度が落ちています。大丈夫ですか?》
「…何でもねぇ。お前は前見てろ、球コロ」
目ざとくこちらの意識を察したのか、はたまた機械的に速度低下を判別したのか、スフィアが通信を介して声を向ける。HMDの端、僚機のコクピットを映す通信ディスプレイの中では、スフィアが小首を傾げてこちらを見やる様も見て取れた。AIという機械に過ぎない割りに、その仕草は妙に人間臭い。
――いや。思わず抱いたその感想に、レフは心に反語を刻む。
スフィアがフォルカーとともにこの基地へ来て、1か月と少し。まだほんのわずかな期間ではあるが、それでも当初と比べれば、スフィアはどこか人間臭くなってきた――機械らしさが薄れて来たような印象がある。先ほど『大丈夫か』と心配した辺り然り、日頃も基地周辺の自然やサピンの文化に興味を示し、カールを脚代わりに方々を歩き回っている所然り。ややもすれば管理する側であるフォルカーの方が機械的に見えることすらあり、どんどんと自ら学び変わっていくその様が、レフには何とも奇妙に思えた。
無人戦闘機用の空戦型AI。それが、スフィアのそもそもの肩書だった筈である。その字面通りに役割を考えるならば、どこに感情を育み、空戦技能以外に興味を持つ必要があるだろう。どこに、人間らしさを追求する必要があるだろう。当初の説明では、無人機に対する対外的なイメージ改善のためとフォルカーは言っていたが、それにしても誤魔化しようはいくらでもある筈である。
フォルカーの言葉と、スフィアの今の在り様。その間に滲む矛盾に、レフはまた一つ、納得できない思いを抱かずにはいられなかった。フォルカーは、一体何を隠しているというのか。
感情と、渦巻く謎。レフの脳裏を緩やかに漂うそれらは、直後の通信によって破られた。
《指揮所より攻撃隊各機へ。『プリンシペ・デ・アルルニア』艦隊より、艦砲射撃を受けているとの報告あり。間違いない、ゼネラルの『ランドグリーズ』艦隊だ。各機、当初の予定通り行動を開始せよ》
《エスクード1了解。各機、方位250へ変針》
「始まったか!」
脳天の闇を払うように目を見開き、レフはコフィンシステムを解除して背もたれを屹立させる。水平線の外に事態は動き始め、それが計画通りに流れていることを告げていた。
網膜認証リンクよし、モード選択、レーダーレンジ。
HMD上のセンサーが目の動きを読み取り、レフの瞳の動きそのままに表示を刻一刻と変えていく。走査モードは対地・対水上、レンジを拡大。エレクトロスフィアを介して編隊各機と沿岸レーダーをリンクさせ、従来に勝る広大な索敵範囲がレフの目の前に映し出された。
戦場を俯瞰すると、現在位置から北、フトゥーロ運河出口に軽空母『プリンシペ・デ・アルルニア』を旗艦とするニューコムの囮艦隊。こちらから西側には中継艦の役割を果たすゼネラルの駆逐艦1隻が、さらにその遥か南方洋上には『ランドグリーズ艦隊』の本隊が位置しており、オーレッド湾へ向けて大きく腕を伸ばすような編成となっていた。レーダーには映っていないものの、現在艦砲射撃を行っているステルス駆逐艦2隻も、ニューコム艦隊の半径50㎞圏内に存在する筈である。言うなれば、洋上に位置する『ランドグリーズ艦隊』が伸ばした腕の先端こそが、この2隻のステルス駆逐艦という所だろう。
増槽を捨て、彼我の位置を見極めながら、レフは作戦を反芻する。
第一の目標は、西の中継艦である。この艦の役割は対空能力に難のあるステルス駆逐艦へのサポートであり、万一の時に離脱する際の護衛を務める意味合いもある。『プリンシペ・デ・アルルニア』がステルス駆逐艦を縫い留めている間に、まずはこの中継艦を撃沈してステルス駆逐艦を孤立させるのがその目的であった。
こうして孤立したステルス駆逐艦を、袋の口をすぼめるように海空の包囲網の中で撃沈するというのが第二段階。余力があれば洋上の敵本隊の排除も行うというのが、作戦の第三段階という訳である。第一および第二段階はいずれもエスクード隊が主力を務めることとなっており、レフらキャンサー隊はあくまで護衛役というのがその与えられた役割であった。
《洋上に敵中継艦を確認!クルス、私やっていい?》
《待て、『オーキャス3』。対艦装備に乏しいお前では無理だ。エスクード3、攻撃を》
《エスクード3、了解》
きゃんきゃんと吠える子犬のような少女の声を制し、クルスは冷静な声音で僚機へと下命する。編隊から離れた『オルシナス』はそのまま敵艦へ向けて加速し、有効射程に至った所でLASMを2発発射した。
水平線の近くで迎撃の火線が走り、
曳光弾に巻かれ、炸裂する一方のLASM。その閃光に幻惑されたのか、火線は一瞬目標を見失い――その爆炎を割いて、もう一方のLASMが艦体へと殺到する。短刀で斬り払うように放たれた銃弾の光軸も、それを捉えることは叶わず。LASMは船体側面に直撃し、数㎞彼方の洋上に鮮血のような爆炎を咲かせた。
《敵中継艦、大破を確認。沈没は時間の問題と思われます》
《エスクード1了解、敵中継艦の脅威消滅を確認した。各機変針、方位010。速やかに敵ステルス駆逐艦を索敵し撃沈する》
機械のような統制。まさにそう評すべき挙動で、エスクード隊の5機は一糸乱れぬ編隊機動を維持したまま北へと変針してゆく。
わずかな距離を開けて追随しながら、レフはちらりと左手側の水平線近く――沈みゆく駆逐艦を見やった。喫水線近くに被弾したのだろう、艦は既に大きく傾斜し、被弾箇所以外からも黒煙が立ち上るのが見て取れる。完全に沈むまではまだ幾分時間はかかるだろうが、もはや戦闘力はほとんど喪失したと見ていいだろう。
姿の見えない友軍のために敢えて孤立し、仲間の助けも得られないまま一方的に沈んでゆく。
ゆるゆると渦巻く水面と黒煙に巻かれ、刻一刻と身を沈めていくその様は、敵とは言え悲哀を感じさせるのに十分な姿だった。
「指揮所へ、『プリンシペ・デ・アルルニア』はどうなってる。敵ステルス艦の位置は」
《こちら指揮所。艦隊は現在、艦砲射撃により駆逐艦『フアン・グラーバ』が撃沈。フリゲート艦『ガル・デ・ロッソ』が被弾し航行不能となっている。敵艦位置は依然不明》
《エスクード1よりキャンサー、指揮所への照会は編隊長から行う。各個人での実施は避けるよう願う》
「はいよ、失敬失敬、エスクード1」
普段小隊長を務める癖で、戦況を俯瞰する司令部へ状況を諮ったレフ。直後に被さったクルスの声は、年若らしからぬきっぱりと威厳のあるものだった。
言う所は正論である。年下とはいえ階級は向こうが上であり、その口調も別段おかしい訳では無い。
が、せめてもう少し言い方もあったのではないか。胸に兆した微かな苛立ちは、HMDの通信ウィンドウに突然映し出されるスフィアの姿にかき消された。
レーダーサイト上には『データリンク中』の表示。傍らにはデータリンクの進捗を示すバーも映し出され、盛んにデータの授受が行われていることを示している。数瞬の後レーダー上に表示されたのは、こちらの編隊後方から接近する8つの機影。
《オーキャス14より各機へ。編隊後方よりGRDF所属機の接近を確認しました。機数8、いずれもF-35BRと推定されます》
《敵の強襲揚陸艦の艦載機か。オーキャス3、反転し敵編隊へ対応せよ。残るエスクード隊機は扇状に散開。敵ステルス駆逐艦を索敵する》
《了解!任せてクルス!》
《えっと…あの、エスクード1、我々は…》
《うん?ああ…では、キャンサー隊はオーキャス3の支援をお願いする。対艦攻撃に移行するこちらの後方を護ってくれ》
焔。
瞬間、エスクード隊の最後尾にいた機体の尾部に光が灯るや、それは剃刀のように鋭い弧を描いて反転旋回。咄嗟に緊急回避したこちらをあざ笑うかのように、やや上方真正面を高速ですれ違っていった。赤い機首に鋭い前進翼のその姿は、言うまでも無くオーキャス3の『グラシャ・ラボラス』である。こちらの追随を待たず高速で南下に入っている辺り、キャンサー隊との連携は最初から頭にないのだろう。気づけばクルスら4機も速度を上げ、頭上のR-502『ストレクタス』もそれを追うように上空をゆったりと泳いでゆく。その言動も、行動も、まるでキャンサー隊を戦力として見ていないかのような有り様だった。
「気に入らねえな…。カール!球コロ!編隊長サマのお達しだ、あのじゃじゃ馬を追うぞ!」
《了解っス。…なーんかやりづらいっスねー。エリート部隊ってこんな感じなんスかね》
「さあな。…にしても今日は静かだな、技術屋さん。他の球コロを見る絶好の研究日和だろうに」
「…心中平らかでない、というのはこういう気持ちなのだろうな。レフ君、可能な限り早くオーキャス3に追いついてくれ。…見ておきたいんだ。あの男の…他の『オーキャス』の完成度を」
「?…まぁ、言われなくともその積りだがね」
操縦桿を横、次いで前へ。傾斜を帯びた方向舵に従い、流麗な『デルフィナスE』の機体は風を孕むように南へ向けて旋回する。LASMを積み普段より重くなった機体だが、それでも若干の旋回半径増大程度で影響は済んでいるようだった。
それにしても。
フットペダルを踏み加速する最中、レフの脳裏に疑問が過ぎる。
そう、それにしてもである。昨日、オーキャス3と『グラシャ・ラボラス』が来ると聞いてから、フォルカーの様子は尋常ではない。オーキャス3についていた研究者――確かハインツと言ったか、あの男を見る時のどこか暗い目つきといい、奥歯に物が挟まったような物言いといい、フォルカーは普段らしからぬ歯切れの悪さを見せていた。かといって同じセクションのライバル社員というには、ハインツの様子はそれほどとげとげしいものには感じなかった。
加えて、昨日のオーキャス3の言葉である。スフィアを目の当たりにして、あれは『落ちこぼれの』『予備機』、『補欠』と、確かにそう表現していた。そこに、あのフォルカーの態度の秘密があるのではないか?
今に始まったことではないが、フォルカーにまつわる謎は多い。『ヴェパール』の性能、『オーキャス』の本当の存在意義、それに加えて今度はル・トルゥーアに配属されるに至る背景ときた。いくら機密とはいえ、ここまで来れば互いの信頼問題に関わるといっても過言ではあるまい。どんな性能を持ち、何ができるのか。それが分からない相棒に、戦いの空で背中を預けることはできないだろう。
さて、ではどうやって吐かせてくれようか。
悪企みするように指をわきわきと鳴らし、教育上よろしくない笑顔が刷かれるレフの横顔。わずかばかり目を正面から離したその時、レフの意識は別のものに引き寄せられた。
正面、レーダーレンジ。敵機を示す小さな光点が、一つ、また一つと消えていくのだ。
大きく弧を描くそれらに対し、中心で細かな機動を描いているのは、周囲の機影と比べて格段に大きな反応。ステルス性を一切考慮しない前進翼を有し、レーダー上での投影面積が極めて大きくなる機体――『グラシャ・ラボラス』。
「何だ、こりゃ…!」
《れ、レフ!前!…信じられねえっス、こんな…!》
狼狽しつつ、どこか興奮した様子のカールの声。それに釣られるようにレーダーサイトから目を離し、空を仰ぎ見たその瞬間、今度こそレフは言葉を失った。
ゼネラルリソースにおいて、主力機の一つに位置づけられる戦闘機F-35BR『アドバンスドライトニング』。優れたステルス性能と情報処理能力を有し、多対多の空戦では最適解とも謳われる第5世代機。その8機から成っていたはずの敵編隊が、既に半数までに減っているのである。
赤首の『グラシャ・ラボラス』が、F-35のうち1機に食らいつく。
右旋回、降下、すかさず左へ切り返し。第5世代機らしい俊敏な動きにも関わらず、『グラシャ・ラボラス』の旋回半径は『アドバンスドライトニング』と比べ物にならない程に小さい。機銃で機動の全てを潰され、F-35は徐々に逃げ道を失っていく。
何度目かの旋回を読まれ、射撃でその機動を潰され直進となった一瞬。過たず放たれたAAMはその尾に食らいつき、黒い尾翼を砕いて虚空へと散らしていった。直後に後方と側方から放たれたAAMを小半径旋回で躱し、エンジンを吹かして、『グラシャ・ラボラス』は悠々とAAMの槍衾をいなしてゆく。側方から襲い掛かったF-35はその機動に絡め取られ、驚くほど簡単に後方への占位を許して、一瞬でコクピットを打ち砕かれていった。
《あっははは!遅い、鈍い、よっわーい!》
《お姉さま、援護に来ました。後方の支援はお任せ下さい》
《フォーティン?いらないわ、私一人で十分。むしろ邪魔しないでよね》
傲岸な口調、そしてそれとは裏腹に鮮やかで鋭い機動。運動性に特化した機体とフォルカーに評されただけあり、その機動力はゼネラルのSu-37タイプやニューコムの『デルフィナス』と比べても何ら遜色がないように見て取れた。まして汎用性に重きを置いたF-35で接近戦重視の『グラシャ・ラボラス』に勝る道理は無く、さらに1機が背中を取られ、AAMの直撃で無残に空へと散ってゆく。
8機からの威容を誇っていた筈のF-35も、これで残るは1機。『グラシャ・ラボラス』の後方600ほどに付いてこそいるものの、その攻撃が命中するビジョンは傍目には到底思い描けなかった。
《でも、そうね…折角だし、見せてあげる。私の、とっておき》
「とっておき、だぁ…?」
「……!まさか!」
察するところがあったのか、フォルカーが狼狽した声を上げる。それがレフの耳に響くのと、F-35が『グラシャ・ラボラス』の後方からAAMを放つのは同時だった。
必中必殺を期し、放たれた矢は実に6発。それぞれが放射状に飛来し、左右いずれへ旋回しても被弾は避けられない位置取りである。いかに運動性に優れる『グラシャ・ラボラス』でも、旋回だけで回避しおおせる道理は無い。
だが、ここで赤首は信じられない機動を見せた。機首のカナードを大きく上へと向け、同時に尾部の推力偏向ノズルを限界まで下げて、ほとんど高度を変えないままにその場で反転したのである。空戦機動に言うクルビット――限られた機体でのみ可能とされるポストストールマニューバを、『グラシャ・ラボラス』は易々とこなして見せたのだ。
近接信管が作動し、空に爆ぜる炸裂を背にF-35の正面から迫る『グラシャ・ラボラス』。致命となるヘッドオン、その距離が300を切った時、不意に異変が生じた。
『グラシャ・ラボラス』の腹部に突き出る、薄い半円状のレドーム。そこから、短い砲塔のような構造体が顔を覗かせたのである。
真正面、腹側にすれ違う位置取り。距離が200を、150を、100を割ったその時、その砲口から光が爆ぜた。
いや、正確にはそれは光の刃と言うべきか。敵機とすれ違うその瞬間、『グラシャ・ラボラス』の腹部に生じた光の刃は、そのまま正面からすれ違ったF-35を真っ二つに溶断したのである。
まるで時が止まったかのような、一瞬の間。斬られたことを思い出したように、二つの破片に切り分かたれたF-35はぐらりと推力を失い、重力の虜となりながら炎に包まれていった。
《れ…レーザーブレード…!?すげえ、すげえっす!何なんスか今の!》
《お疲れ様でした。控えめに申し上げても流麗にして絶美な機動でした、お姉さま》
《うふふ、その調子でもっと私を褒め称えなさい。クルスなんかは全然褒めてくれないんだから》
「球コロの武装といい、もはや何でもありだな…。おい、フォルカー。何なんだ、今のは」
機体下部の砲口を収め、水平飛行に戻る『グラシャ・ラボラス』。口々に声を上げてその傍らに集っていくカールとスフィアをよそに、レフは後席のフォルカーへ声をかけた。『グラシャ・ラボラス』があんな装備を搭載していることなど――いや、それどころか航空機を溶断しうる出力のレーザーブレードなる装備が存在すること自体、今まで聞いたことが無い。先に『ヴェパール』の特殊装備を把握していたこと然り、フォルカーならば何か詳細を知っていると考えてのことだった。
間、数秒。
予想を裏切り、後席から応じる声は無い。よくよく耳を澄ませばエンジンの轟音の合間に細々と声が漏れ聞こえて来るものの、それは明らかに独白の色を帯びており、レフに向けられた言葉では無かった。
『まさか…既に装備の封印が…』。
『ハインツが…奴は一体何を掴んだというんだ…』。
ちっ。
舌打ちの音一つ、レフは後席へ向けた通信を切り、意識を目下の空へと向けた。ともあれ、『ランドグリーズ』艦隊の艦載機は全て片付いたのだ。彼我の位置を踏まえれば敵のステルス駆逐艦はニューコム制空権の下で孤立し、本隊の方も保有戦力を大きく失ったことになる。
ここまで至れば、次の段階は。
そこまで巡ったレフの意識に水を差したのは、子供のようにはしゃいでいたオーキャス3の声だった。
《まあ、多少の時間潰しにはなったわね。私、クルスの所に行くから。早く行かないと
《へ?このまま敵本隊を叩くんじゃないんスか!?》
《知らないわ、そんなの指示されてないもの。…あーもう、止めないでよ!カメラが待ってるんだから!》
《?あの、お姉さま。カメラというのは一体…きゃっ》
傾くカナード、生き物のように蠢動する推力偏向ノズル。先の空戦機動そのままのクルビットを繰り出すや、『グラシャ・ラボラス』はカールとスフィアの機体を払いのけるように加速して、北の空へと向かっていった。
オーキャス3が残した謎の言葉――『遅れる』、『カメラ』。北の空へと向かう様、そして時間の推移へと意識を向けた時、レフはその意味にはたと思い当たった。
方位を省みるまでもなく、進路から察するにオーキャス3はエスクード隊と合流するに違いない。そして時間の推移を踏まえれば、エスクード隊が敵ステルス駆逐艦と会敵し、戦闘が佳境に入っているであろう頃合いである。
エレクトロスフィアへアクセス。瞳の動きそのままに、選び取るのはニューコム・パブリッシンググループ隷下のテレビ回線。ずらりと並ぶ番組欄の端、赤く『臨時放送』と記された項目を選ぶと、正面ディスプレイの端に生放送と思しきテレビの配信画像が表示された。
黒煙を上げる軍艦。その頭上を高速で飛び去る赤い機影と、画面端に見え隠れするオーレッドと思しき湾岸。過たず、レフの予想に寸分違わない光景が、その小さな四角の中へと映し出されていた。
「お前ら、これ見てみろ。…なるほどな、合点が入ったぜ」
《合点?…あれ、これって…》
《赤地に黄金十字の機体は、エスクード隊の『オルシナス』と推定されます。下方の艦影、位置を踏まえると、ステルス駆逐艦とエスクード隊の中継映像でしょうか》
きょとんとした様子のカールに、スフィアの冷静な声が被せられる。出撃前に急遽加わった謎の輸送機、そしてオーキャス3の言動にようやく納得がいき、レフの胸は不快な気分に渦巻いた。
一連の作戦は、いわば戦意高揚のためにシナリオが描かれた一種のショーだったのだ。
ニューコム勢力圏の沿岸部をごっそり攻撃され、士気低下にあえぐNEUと経済圏下諸国。その状況打開と士気向上のために、NEUはエースパイロット部隊として名が売れたエスクード隊をわざわざ招聘し、衆目に触れるテレビ中継の下で活躍するよう仕向けたのだ。おそらく途中参加となった黒塗りのR-511は、かねてNEUからニューコム・パブリッシングへ供与された特殊撮影用の機体だったのだろう。多くの視聴者の前で、エースパイロットたるエスクード隊が、悪名高いステルス駆逐艦を叩き潰す。その光景が与える影響は、けして少なくないに違いない。
当然そのストーリーが第一とされる以上、その他の存在は都合よく無視される。先の戦闘で多くの犠牲を出しながらも敵の手の内を見定められたことも、囮艦隊の命がけの行動で敵艦の位置を把握できたことも、そして洋上の敵本隊への攻撃も。一連のストーリーのために、その他の現実という下敷きは全て影のうちに消えていくに違いないのだ。言うなれば、キャンサー隊を含めた他の一般部隊は体のいいダシに使われたという所だろう。
『皆さま、見えますでしょうか!艦が、あのステルス駆逐艦が燃えています!対空砲が掠めますが、エスクード隊の前にはなすすべもありません!』。
『あっ、また当たりました!赤い機体から放たれたミサイルが、敵艦の横側に命中しました!驚異的!驚くべき命中率です!』。
テレビ画面から流れる、キャスターらしい男の声。レフは醒めた面持ちで、カメラ越しに沈みゆく艦の姿を見つめていた。
「…まぁ、いいだろ。『その他』なんてこんなもんだ」
《…?レフ、今なんと?》
「なんでもねぇ。キャンサーより指揮所!敵の本隊はどうなってる。位置知らせ」
《指揮所よりキャンサー。敵本隊はオーレッド郡レッドミルの南東120㎞地点を南下中、ステルス駆逐艦を見捨てて外海へと離脱しつつあり。既にル・トルゥーア基地のジェミニ隊が攻撃を開始している。貴隊はただちに南下し、ジェミニ隊の支援に当たれ》
「ち、何だってんだ。どこもかしこも予定外の動きしやがって。キャンサー了解、出演中のエースさまの尻ぬぐいに行くぞ」
冷めた声、饐えた双眸。
胸を覆いかけた虚無感を振り払うように、レフは操縦桿を倒し、『デルフィナスE』を旋回させた。本来ならばステルス駆逐艦の撃沈と同時に反転し追撃する予定だった筈だが、『ランドグリーズ』艦隊がニューコムの動向を読みF-35を早期に出撃させたこと、そしてそれらが予定より早く全滅したことにより作戦が早まったのだろう。戦闘機の妨害さえなければ、鈍足な『アステロゾア』でも敵艦隊に打撃を与えることは十分に可能だった。敵艦隊の離脱が早まり、かつエスクード隊がマスコミ露出に励んでいる真っ最中な以上、裏方は裏方でやる他ない。
オーレッド湾上空を南東へ向け、飛行すること十分あまり。基地を離陸してから西走し、北上、次いでこうして南下。まさしく東奔西走する羽目となったキャンサー隊の足取りは、しかしここでも徒労に終わった。
穏やかに注ぐ陽光、柔らかに凪いだ西スプリング海。そして黒煙を上げて沈みゆく駆逐艦に、大きく右へと傾いたイージス艦の姿。上空を舞う6機の『アステロゾア』に啄まれ、キャンサー隊が到着した頃には『ランドグリーズ』艦隊の本隊は既にその戦闘能力をことごとく失っていたのである。対空砲火を上げる対潜ヘリ母艦の上空にはAH-1RZ『パイソン』が2機、迫る『アステロゾア』相手に決死の砲火で対抗こそしているものの、その光景はもはや痛ましいと言うのも愚かな姿だった。丸裸となった軽空母は甲板に大穴が空き、既に致命傷を負っている様も見て取れる。海面におびただしい量の油が浮かんでいる所から察するに、姿が見えない駆逐艦1隻は既に沈んでしまったのだろう。
《おっ。ようやく到着か、遅いぞキャンサー。ちょっと待ってろ、もう一航過で止めを刺して来る》
F-35BRという最大の防御壁を失った敵艦隊を思う存分に食い散らかしたためか、通信を送るジェミニ隊隊長の声は弾みが良い。両翼端を黄色く切り欠くように染めた隊長機は海上をゆるりと弧を描き、中破したイージス艦の横腹向けて舵を切っていく。
『パイソン』の20㎜機銃がその背を追うように撃ち放たれる。
2発、3発。主翼に命中弾こそ与えるものの、耐久力に優れる『アステロゾア』には致命傷となりえない。なけなしの追撃を振り切って、黄色翼の機体は無防備な艦体を狙い澄ます。既に対空能力を失っているのか、イージス艦からは迎撃のSAMはおろか主砲の単装砲すら火線を上げる様子はない。艦橋後方のCIWSが辛うじて弾幕を張りこそすれ、それは手負いの虎が腕を振るい、辛うじて虫を払う様にしか見えなかった。
双胴の翼下から放たれる、大型のLASM一筋。
CIWSの死角を抉るように飛来したそれは、波間を割いてイージス艦の側面に命中。炸裂は火炎をもたらし、火炎は誘爆を呼んで、イージス艦の艦体は中央やや後部から轟音とともにへし折れた。割れた船体はそれぞれの舳先を空へと向けて、渦巻く波間に鉄と血をまき散らしながら飲み込まれてゆく。
沈没してゆく大質量の物体は、周辺に大きな渦を作り出す。レフの目は、艦の周囲にぽつぽつと浮かぶけし粒のような人影が、渦に呑み込まれ消えていく様を確かに捉えていた。
《見やがれ、どうだ!キャンサー、お前もどうだ。ヘリ2機とヘリ母艦は譲ってやるよ》
「………」
《…レフ?》
「……いや、俺はいい。たまにはお前らに譲ってやるよ。カール、球コロ、行ってこい」
《へ?レフはいいんスか?…じゃ、俺はお言葉に甘えて。死ぬ危険も無く戦果ゲットできるチャンスっスしね》
呟くようなレフの言葉に、怪訝な声を返すカール。間を置くこと一瞬、気を取り直したカールは弾かれたように『デルフィナス』を敵艦の方へと向けていった。2機のヘリが行く手を阻み機銃を向けるも、その光軸は『デルフィナス』の機動に追いつくことすら叶わない。
AAMが直撃し、炎に包まれるAH-1RZ。その光景を眼下にしながら、レフは横に並んだ長い尾の機体――スフィアの『ヴェパール』へも目を向けた。反転し二次攻撃を狙うカールをよそに、スフィアはレフの隣に並んだまま動く様子はない。
「…どうした、オーキャス14。早く行って来るんだ」
《いいえ。私は残ります》
「な…!?」
《レフ。なぜ、あなたは行かないのですか?》
抵抗の言葉に息を呑むフォルカー。それをよそに、スフィアは見据えるような声をレフへと向けた。通信ディスプレイの中では、ダークブルーの瞳はまっすぐにレフを見つめている。
「何てことはねぇ。気が乗らないだけだ」
レフは、突き放すような、ぶっきらぼうな短い言葉を口にした。機械であるスフィアに対し、別に理解も共感も求めてはいない。そう、言外に伝えるように。
正面のスフィアから目を逸らしかけたその時、CGモデルのスフィアの口元がわずかに微笑んだように、レフは感じた。
《…あなたは、不思議です。矛盾を抱え、不条理を振りかざして、それでも何か――確かな何かが芯にあるように感じます。非常に興味深いと、そう思います》
「あーそうかい。言ってくれるじゃねえか」
《ですので。私もここにいます。あなたの矛盾を、少しでも理解するために》
「は」
「そ…そんな我儘を言っている場合か!オーキャス14、お前はあのオーキャス3に…ハインツに勝たなければならないんだぞ!…戦果だ。戦果を挙げなければ、お前は…!私は!!」
ぶつり。後席の通信を強制的に閉じ、レフは手動にしていた操縦系統をコフィン制御へと移行させた。
背もたれが倒れ、HMDが張り出し、目の前全体を覆っていく。ゆっくりと息を吐き出して、レフは翻弄され続けた今日という戦場に蓋をした。頭上を飛び交い続けた戦況の姿は既に無く、今はただ眼下に、沈みゆく『ランドグリーズ』艦隊の哀れな姿がある。
「…好きにしろ、球コロ」
横髪をふわりと揺らし、スフィアは小首を傾げて微笑む。
立ち上る爆炎、水面すれすれを飛ぶカールの『デルフィナス』。翼の下から放たれたLASMはヘリ空母の側面に突き刺さり、轟音とともにその船体をへし折ってゆく。
舳先を天に向け、深淵の海へと呑み込まれていく大きな艦影。手を伸ばした
《各員、よくやった。『プリンシペ・デ・アルルニア』艦隊に若干の被害こそ出たものの、最小限の被害で『ランドグリーズ』艦隊を殲滅することに成功した。この度の戦勝は、オーシア東方における戦況にも大きく寄与することとなるだろう。今日はゆっくり疲れを癒してくれ》