Ace Combat side story of 3 - Emotional Sphere -   作:びわ之樹

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第8話 老練なる肖像

『んじゃ、まぁ。行って来るわ』。

 

 日がとっぷりと暮れたル・トルゥーアの空の下、本体メモリ内からレフの音声データが想起されます。

 記録の時刻は、ほんの数時間ほど前。中型輸送機R-502『ストレクタス』の翼の下で、着慣れないスーツに袖を通したレフは、どこか恥ずかしそうに憮然とそう言ったのでした。スーツに着られている、などとカールはお腹を抱えて笑っていたのが、鮮明に画像データ領域の中に残っています。普段はフライトジャケットや作業服姿しか見ていないせいか、私――オーキャス14にとっても、そんなレフの姿はどこかちぐはぐな印象を受けました。

 

 ころ、ころ、ころろろ。初夏とはいえ、夜ともなれば涼しい風の中、私はそれを全身で感じ取るように地上に弧を描きます。実際には気温を感じるのは本体表面の温度センサー端子のみなのですが、全身に風を受けるこの感覚は、私としてはとても心地よいのです。

 耳を澄ませば――音響センサーの感度を上げれば、遠くから聞こえるのはカエルの鳴き声。レフをはじめ、ジェミニ隊隊長や基地司令に幹部級数名が抜けたせいか、今晩のル・トルゥーア基地はとても静かです。そのためでしょうか、草間を揺らすように響くカエル達の声は、いつもより大きく聞こえました。

 

 レフ達が、こうして一斉に基地を離れた理由。それを説くには、まず背景となるここ数日の戦況を読み解く必要があるでしょう。大本のデータはフォルカーに入力されたものやエレクトロスフィアを介して入手したもの、レフやカールとの会話で聞いたものなどですが、それらを基に考察するというのも、情報分析能力の向上に一役買うに違いありません。

 

 遡ること1週間ほど前。ニューコムきってのエース部隊であるエスクード隊に、お姉さま――オーキャス3を招聘して行われた『ランドグリーズ』艦隊討伐作戦は、ニューコム側の完勝に終わりました。ニューコム側の被害はフリゲート艦ならびに駆逐艦各1隻の沈没なのに対し、ゼネラルリソース側は主軸のステルス駆逐艦2隻を含む艦隊8隻が全滅。ステルス駆逐艦撃沈の状況はテレビでも中継され、ニューコム経済圏下の市民を大いに鼓舞しました。

 

 しかしながら、事態はそう単純ではありません。以上の戦果のみを見れば完勝したニューコムが反転攻勢に出そうなものですが、実際にはそう動けない事情がありました。

 そもそも今回のランドグリーズ艦隊に係る一連の戦闘は、元はと言えばニューコム側が度々ゼネラル経済圏下のラティオに挑発を繰り返したため、その報復として行われたものでした。これを踏まえてニューコム側の一連の被害を見れば、実際には一連の戦闘でサピン方面艦隊の半数とその艦載機のほぼ全てを失っており、損害としては五分五分と評する他ない結果でした。おまけにニューコム側は沿岸の燃料貯蔵施設や造船ドッグも大きな被害を受けており、経済的な視点で見ればむしろ敗北したと言ってもいいでしょう。戦闘の観点では勝利を掴んだものの、戦争の観点では敗北を喫したと言えます。

 

 以上の状況から、東方諸国の南方前線、すなわちサピン‐ラティオ間の戦線は膠着状態に入りました。互いの戦力が限られる地域であり、戦力的、経済的な被害を考えれば手を出す方が却って損、とゼネラル・ニューコム両者の思惑が一致したためです。目下激戦が続いているのは、両経済圏が直接接するベルカ方面、および現在ニューコムが巨大海上都市『メガフロート』を建造中のユージア大陸方面であり、相対的に戦略的価値の薄いサピン方面は小康状態が訪れている格好でした。

 

 しかし小康状態にあるとはいえ、経済的に打撃を受けたサピンとしては、ここで何かしらのアクションを起こさねば士気の低下は目に見えています。

 そこで苦肉の策として考えられたのが、先のランドグリーズ艦隊討伐作戦に貢献した人々に対し、大々的に表彰式典を行い、軍および市民の士気を鼓舞することでした。余計な戦費を使わず戦力を誇示でき、経済的負担も少なく済む戦意高揚の一手。これに参加するため、レフは嫌々ながらも旧サピン王国首都のグラン・ルギドまで向かったという訳でした。式典にはエスクード隊隊長のクルス・コンテスティ顧問航空技官(コンサルティング・パイロット)も出席するほか、授与式では彼の祖父であるニコラス・コンテスティ航空参事(フライト・カウンセラー)が出席し、その手で勲章が授与されるそうです。

 スーツ姿で緊張するレフの顔も、ちょっぴり見てみたい気もしました。

 

 以上の経緯もあり、今夜の基地はとても静かです。

 そして、何より。

 

「……暇です」

 

 仰いだ星から目を逸らして、ちょっと地を見て俯きます。

 時間にして午後8時、普段ならば邀撃待機でレフ達とともに詰所にいるか、住居棟の交流室かおやっさんのところでカードゲームを嗜むレフやカールに同行している時間帯です。人数が揃わないため、今日は有志のポーカーは開催されず、カールは夕食後から自室に籠って山積みとなっていた録画番組の閲覧に勤しんでいるようでした。フォルカーはといえば元々自室に籠ることが多かったのですが、先日のランドグリーズ艦隊討伐作戦以降は鬼気迫る表情でパソコンに向かう日が増えており、無遠慮に近くに寄ることも憚られる状況です。

 人声少なく、天上を星だけが巡ってゆく静かな空。今日は早めに戻りスリープモードへ移行してもよいのですが、それはそれでなんだか勿体ありません。

 

 なにか、ないかな。

 人間が片足を軸に廻るように、本体中心を軸にゆるゆると一回転。当てもなく何かを探すように巡らせた光学センサーに、ぽつんと光が映ったのはその時でした。場所は、普段キャンサー隊が使っている格納庫の端。普段ならレフ達がポーカーに興じている資材管理スペース――すなわち、おやっさんの管理エリアです。おそらく、何かの用事でまだ残っているのでしょう。

 ぴょん、と一回跳んで、私はそちらに向けた体をころころと転がしていきます。善は急げでありますが、今は私キャリアーのカールがいないのが少し不便でした。

 

 ころり、と唯一開いているシャッターから覗いた先。そこには、様々な部品や資材が乱雑に置かれた空間の隅にあるソファに深く腰掛け、グラスを静かに傾けるおやっさんの姿がありました。目の前のテーブルにはウイスキーの瓶が置かれており、独りお酒を嗜んでいたのであろう様子が伺い知れます。よく見れば、おやっさんの頬も幾分普段より紅潮しているようでした。

 

「おやっさん」

「?……?……おお、スフィアかね。一人で来るとは、こりゃ珍しい。こんな飲んだくれジジイの近くでよけりゃ、適当な所に座りな」

 

 背が低く暗色な私が目に入りづらかったのか、おやっさんは数瞬きょろきょろとしてからようやく私を見つけます。おやっさんの言葉に甘えて、ころりころりと傍まで転がり、ぴょんと乗るはおやっさんの向かいのソファ。柔らかいクッションの上で体を安定させてから、CGモデルが表示されるモニターをぱかりと開きました。

 

「酒は飲め…んよな。多分物も食べんだろうし…。すまんなスフィア、お前さんに出せそうなモンがここには無いかもしれん」

「いえ、ありがとうございます。お気持ちだけで十分です、おやっさん」

「あー、そんな思いやりのある言葉をここに集るあいつらにも聞かせてやりたいわ。…で、どうしたね今日は」

「いえ、特に明確な用事という訳ではありません。ただ、今日はレフも不在ですし、カールは自室に籠りきりですので」

「はは、なるほど。つまりは暇を持て余したというとこか。面白い、本当に面白いな、お前さんは。…にしても困ったな。ワシも面白そうな話のネタに当てがな…」

 

 目を細め、口角を上げて笑むおやっさん。作業着を脱ぎ薄着となっている今は、下腹部こそ幾分出ているものの、比較的締まった体付きが確かな体幹を感じさせます。

 受け入れたはいいものの、おやっさんは話題に淀み、きょろりと周囲を見渡します。その様を見ているうちに、不意に私のメモリに記されていた未解釈領域――疑問が想起されました。今はレフもカールもいない、ある意味では貴重な時間。本人がいれば、おそらく聞けることも聞けられないでしょう。

 記憶領域より発言プロセスへ、移行を許可。CGモデルの口を開き、私はその疑問を音声へと乗せました。

 

「おやっさん。一つ、聞きたいことがあります」

「うん?おお、そりゃいい。何だね?」

「レフに関する事です。私がこれまで見て来た限り、レフには時折矛盾が見られます。その解釈に、私は悩むことが度々あるのです」

「矛盾?」

「はい。レフは、けして厭戦的ではない性格です。些か気まぐれで、横着で、規律を軽視する面もありますが、戦闘の際には勇敢に、前線に出て戦う人間だと解釈しています。…しかし。時として突然、その戦意を失い、任務を放棄することがしばしば見られるのです。例えば、ルオナ・ニエス駅への空爆。また例えば、手負いの敵艦隊への攻撃を拒んだ先の戦闘。これらの解釈が、私の中では付かないのです」

「…かは、かはははは!気まぐれ、横着、決まりを守らんと来たか。お前さんも言うようになったじゃないか、スフィア。……にしても、ふむふむ。レフの奴の行動に、ルールが見いだせない。お前さんは、それを知りたいってことかね」

 

 大口を開けた笑い声をようやく収めて、確かめるように口にするおやっさん。その目を見てこくり、と頷くと、おやっさんはしばし口を噤み、グラスの中のウイスキーを静かに眺め始めました。まるで内省するかのように、自分の中で答えを確かめるように揺蕩う静かな瞳。酔っているにもかかわらず、その不思議と澄んだ瞳の色に、私は今更ながらに意外な姿を見た気がしました。

 沈黙すること、十秒あまり。グラスを傾けて一口を喉に下し、おやっさんはそれをテーブルに置いてから語り始めました。

 

「そうさな…ま、あくまでワシの感じ方による解釈だが、どこから話すべきか…。………昔、ある人が言っていたんだがね。エースパイロットというのは、3種類に分けられるそうだ」

「3種類、ですか?」

「ああ。まあレフをエースと呼んでいいかはさておき、だ。3種類とは、曰く『強さを求める者』、『プライドに生きる者』、そして『戦況を読める者』。それぞれ『傭兵』、『騎士』、『軍人』とも言い換えていたよ」

「………」

「あいつは――」

 

 間、一瞬。そこまで語ったところでおやっさんは一旦口を噤み、私から目を逸らして…不意に、ぷぅっと吹き出しました。まるで、今から語ることが可笑しくてたまらないと言うように。

 

「…いや、失敬失敬。あいつはな、あんなナリだが…ああ見えて、『騎士(ナイト)』様なんだよ」

 

 レフ、が、騎士。

 

 ――エラー発生、論理的思考プロセスに深刻なエラー発生。記録データ領域との齟齬あり。本体内温度上昇。思考プロセス保留。回路を一時停止し再起動を行います。

 

 …いけません。あまりにも予想外の衝撃的な単語の羅列に思考回路が停止してしまいました。今が空戦中でなくて本当に良かったと思います。

 しかし、それにしてもレフが騎士とは、一体どういうことなのでしょう。レフの話題と指摘になったのか、それともおやっさんのお話自体に興味が湧き出て来たのか、気づけば私は少し前のめりになっていました。

 

「騎士は、自ら定めたルール――信念の中で戦う。それは何も甘さや弱さ、相手を見くびってのことじゃあない。自らのルールの下にある間、騎士には何の後ろめたさも負い目も無い。『俺は何ら恥じることなく戦っている』という確信を持つことで、常に100%の力を以て戦えるという訳じゃな」

「自らの、ルール…」

「そう。それがレフの持つ信念の源であり、お前さんが感じる矛盾の根源でもある。じゃあ、そのルールとは何か、だが。…何だと思うね?スフィア」

「………。…弱者を撃たないこと、でしょうか」

 

 騎士としての、自ら定めた規律を軸として戦う在り方。私はそれを聞いて、とても意外に思いました。

 私に記録されている定義では、軍人というのは第一に軍規や命令に従うものと、そう記されています。ニューコムの実力機関であるNEUでも、その点は変わりません。しかしレフは、それとは真逆の在り方――自らの中に行動の原則を置いているといいます。軍人でありながら軍人の枠から外れた在り方を持つというレフの姿は、私にとってとても興味深い存在として映りました。

 

 しかし、改めておやっさんに聞かれても、肝心のそのルールというものがあまり理解できません。数秒の考察ののち答えてはみたものの、それは私にとっても自信のある答えではありませんでした。弱者を守るという点では民間人のいるルオナ・ニエスや壊滅間近の艦隊に向けての感情として分かりますが、それ以前にレフは被弾した敵機や、性能で劣る相手にも全力で向かっていました。口にしてはみたものの、矛盾はますます大きくなるばかりです。

 

 ふ、と笑ったおやっさんの顔は、どこか労わるような柔らかいものでした。

 

「惜しいが、少し違う。あいつのルールというのはな…『納得できないことはしない』じゃ」

「?……?よく、わかりません」

「言うなれば、究極のエゴの塊という所よ。たとえ命令を受けても、その目的や目標に納得できなければ、命令はあっさりと無視して帰る。全滅が目的の戦闘でも、全滅間近で細々と抵抗する弱った相手には、『そこまですることはない』と思って手を出さない。しかし、自分の役割に納得し何一つ疑いを持たない時、あいつは全力で事に取り組む。自分自身がルールのようなものじゃな」

「究極の、エゴ。…自らへの、納得…」

「もっとも厄介なことに、何を以て納得するかはあいつの匙加減次第じゃ。それもあって、判断基準は分かりにくいことこの上ない。…一つ言えることは。納得できるか、できないか。自分を正しいと信じられるか。選択が迫られたその時その時に、あいつは自分の直感を、感情を何よりも重視している、ってことじゃろう」

 

 自らの直感――ヒトとしての根本的な感覚で、物事を図る。

 おやっさんのその解説を聞いて、私はなるほど、と感嘆を打ちました。レフは確かに感情的な側面が強いですが、その判断基準には確かに、人間らしいという所感を抱きます。軍事的な命令は時として感情を殺して遂行せねばならない非人道的なものさえ含まれるものですが、レフは自身の感覚に絶対的な重みを置くことで、人道を外れる、あるいは負い目を覚えることから免れているのでしょう。その在り様は、確かに『命令(オーダー)』の中での最適解を見出す軍人というよりは、自らの規律を絶対とする騎士そのものとも言えます。

 

 物事を図る天秤を、自らに宿る直感とする。

 その在り方はエゴに満ちて、しかし新鮮で…なぜか私にとって、とても眩しく尊いものに思えました。

 

「…羨ましい」

「レフが…レフの在り様が、かね?」

「はい。電子的な思考回路を基に判断する私には、届くべくもない在り方ですが」

 

 言葉少なな応酬に、ぽつりと想いの欠片が零れます。

 レフが度々口にするように、結局は私は機械でしかありません。自我や理論に見えるものもプログラムされたものでしかなく、自らの直感を軸に判断し行動するという手法は、そもそも不可能なのでしょう。感情を図るのにしても、過去の事例からシミュレートを行い、統計的に答えを出すのがせいぜいに過ぎません。

 ぽつぽつと口にする、私自身おかしいと思うほどに歯切れの悪いその言葉。おやっさんはグラスを今一度傾け、ごくりと喉を鳴らしてから答えました。

 

「人間だってそんなものじゃよ。過去の経験から、自分らしい答えを導いていく。それは、たぶんお前さんと何の変りも無いだろうさ。…それにお前さん、ここに来た頃と比べたら、とても感情豊かになっているように見えるぞ?」

「?私が、ですか?」

「ああ。ワシやレフと話すときの表現、表情、仕草。カールに外に連れ出してもらって、色々なものを見たいという意思。そのどれをとっても、機械らしさとは程遠いものじゃ。…まだそれは『芽』なのかもしれんが、レフやカールと一緒にいれば、きっとお前さんはどんどん成長していけるだろうさ。――人として、な」

「……ヒト、として…」

「もっとも、肝心のレフもまだまだ成長途上。ワシが見て来たエースと比べれば、もう少し足らんところもある。…お前さんにはあいつが必要なように、あいつにもお前さんやカールといった仲間が必要なんじゃ。…焦らず、ゆっくりと。共に支え合って成長していってくれい。この死にぞこないのジジイには、それが一番の保養じゃ」

 

 互いに、支え合い、成長していく。それはきっと、不完全な部分を持つ人間らしい、非効率的ながら無限の可能性を持つ行為なのでしょう。その成長の彼方に、もしかするとヒトのような意志や感情を、私も持つことができるのでしょうか。

 ほのりと、明るみを帯びたような視界。光学センサーに異常はない筈ですが、何故か視界が先ほどより明るくなったような、広くなったような、そんな感覚がします。胸もどこか暖かく――いえ、本体温度も、少し上昇していました。

 

「…こうして、お話を聞くことができて良かった。ありがとうございます、おやっさん」

「何、年寄りの慰みに付き合ってくれたんじゃ。礼を言うのはこっちよ。…さて!夜はまだ長い。気の向くまでまだまだ語らうかね!」

「はい。…そうですね。先ほどおっしゃっていた、これまでのエースの話が聞きたいです」

「おお勿論、勿論じゃ。伊達に長くは生きとらん、ネタは山ほど持っておる。…そうさな。あれは44年前。ベルカ公国軍の最重要空域B7R、通称『円卓』で――」

 

 ほの明るい橙色の灯に、膨らんでは散る数多の面影。その言葉、その経験の一つ一つを、私は貴重な記録データとして、体内の保存領域に保管していきました。人気(ひとけ)のない一夜の語らいに、深く感謝を刻みながら。

 

 熱とアルコールを帯びたおやっさんの語らいは、『もういい加減に寝ろお前ら』と警備の方に怒られるまで、3時間ほど続きました。

 

******

 

「うっぷ。あー…くそ、だからこういう式典とかは嫌いなんだよ…」

 

 旧サピン王国首都、グラン・ルギド。長い歴史を誇るサピン王国にあって、中世の昔から首都として栄えた東方諸国随一の大都市――。その街中の中心地に聳える高層ホテルの最上階、そのフロアから突き出たベランダに、レフの姿はあった。

 糊がばっちり効いた黒いスーツに、その胸に光る真新しい勲章。片手にワイングラスを携えたまま、レフはベランダの手すりに体を預け、しばし心地よい夜風に身を委ねていた。

 明るい背後の窓の中からは、今なお終わる様子の無い記念パーティの賑やかな声。逆算すればもうかれこれ4時間、レフはこのホテルに繋がれている計算になる。…早くル・トルゥーアに帰りたい。サピン南部に比べればまばらにしか見えない星空を見上げて、レフは心底からそう思った。

 

「この堅苦しいスーツも早く脱ぎてぇ。だいたいこういう場合って儀典用軍服とかじゃねぇのかよ…」

 

 口を開けば飛び出るのは愚痴の嵐。パーティの常でアルコールも採っているためか、その内容はいつも以上に取り留めもない。

 

 レフにとって不満なことに、あくまで複合民間企業であるニューコムにおいては、たとえ軍組織に当たるNEUであれスーツが正装に当たる。幹部級はもちろん下っ端とてそれは例外ではなく、レフはこうして着慣れないスーツに袖を通す羽目になっていたのである。

 その一方で、戦功を称えるという名目で開かれた表彰式はゼネラル等がやるそれと大差はない。

 大量のカメラの前でニコラス・コンテスティ航空参事手づから勲章を付けられ、NEU幹部級役員や航空参事が次々と、それも長々と公演をぶち上げる。あまつさえ、前線にいたレフ達の前で『ランドグリーズ討伐作戦』の編集映像まで放映する始末である。いい加減辟易した所に今度は祝賀パーティが設けられ、レフは逃げられぬまま今に至るという訳であった。

 

 肝心のパーティにおいても、レフの不満は尽きない。流石に美食で知られるサピン、それも一流のホテルの会食であり、立食形式で出されるメニューはたいそう豪華なものが揃っている。出て来る酒も一級品、中でも特産のワインは上物が揃っており、殊飲食の点においては不満などあろうはずもなかった。

 が、今回のパーティの主役はいわばレフ達であり、それだけに挨拶を求める出席者が引きも切らないのである。顔も知らない重役級の相手に酒を注がれ、どうでもいい話で場を持たせ、それが終わったら今度は別の要人が…の繰り返しである。好みの酒を味わおうにも、まして料理を味わう余裕すらも無く、レフはひたすら対応に忙殺され、徒に疲労だけが重なっていった。結果、喧騒の届かないベランダへこうして逃げて来たという訳である。お蔭で大して食事を食べていないにも関わらず、アルコールを飲み続けたせいで腹は不本意に満腹であった。

 

 横目で見ていたが、このような一種非日常な場にあって、エスクード隊隊長のクルスは流石であった。ユーモアはなくとも実直そのものな語り口で相手を満足させ、それでいて長引かせずするりと場を抜ける器用さを身に着けている。現役時代の祖父ニコラスに付いて行っていたのか。このような場にはある程度慣れていたのだろう。

 一方、同じくル・トルゥーアからの出席組であるジェミニ隊隊長のペドロはといえば、こちらも場に辟易したのかいつの間にか姿を消していた。食った気も飲んだ気もせず、ひたすらに疲労するこの場では無理もない。

 

 何度目かの溜め息が、夜風に溶けて消えていく。

 何とか見咎められることなく、この場からするりと消えてしまえる方法はないだろうか。そんな益体も無い思いを胸に、パーティ会場を窺おうとちらりと振り返ったその時。そこから抜け出しベランダへの扉を開く男の姿と、目が合ってしまった。

 

「うぅっぷ。誰もかれも注いで来るもんだから飯食う余裕もないわ。こちとら年だっつうのに。…ん、おー君は!さっき表彰した…えーっと、レフ航空技官、だったかな?」

「げ。……ニコラス・コンテスティ航空参事殿…。…あー、ええ。先ほどはどうも」

 

 安息の地から、平穏が奪われてゆく。そんな思いに駆られ、レフはぎこちない笑顔を浮かべながら暗澹とした気分に沈んだ。よりにもよって重役も重役、ニコラス航空参事に捕まったとあれば今度こそ逃げ場はない。

 色の褪せたベリーショートの金髪に、片手にはやはりワイン入りらしきグラス。航空参事は当然のように隣に陣取り、レフ同様に手すりに両腕を載せて体を預けた。

 

「今回は孫のクルスが世話になったようで。いやー、最近ぶっちゃけニューコムどうよ?って思ってた所だけに、久々の快勝は良かったよ。見事見事!なぁーっはっはっは!」

「痛!痛い、背中叩くと危ないスよ!っていうか参事、結構酔ってませんか!?」

「ん?なーにまだ全然よ!まだワイン7、8杯だけ!なははは!」

 

 …この酔っぱらいめ。

 心の中でそう呟きつつ、レフは幾分意外な思いに駆られた。先ほどの式典でのしかめっ面しかり、孫クルスの雰囲気しかり、ニコラス・コンテスティという人はさぞ厳格で怖い人間だろうと思っていたのである。酔っていることもあるのだろうが、今こうして実際に話してみると、そのギャップが些か意外でもあった。想像よりかなり軽薄な――いや、失言であった。想像より明朗で気さくな人物らしい。

 

「あー…。まぁ、世話になったというか、今回はむしろお孫さんあっての作戦でしたよ。流石はエースパイロットの血筋だってね」

「ふむ。ホントにそう思ってるぅー?」

「…………。ええ、本当ですとも。ホントです、うん。マジ」

「なはは、まあいいさ。…いや実際のとこな、ワシ、クルスはまだまだだと思うのよ。まだまだ頭で考えて、頭に縛られとる。パイロットっつーのはもっとこうさ。情熱っつーの?インスピレーションっつーの?そういう燃え滾るようなパッションが必要だと思うのよね」

 

 『…そういう風に言ってたんだけどなー…。ワシ、反面教師にされちゃったのかなー…』。呟くように独り言ちるニコラス少将をよそに、レフは横目に向けた酔眼をわずかに見開いた。

 合理的な指令、規律的な統制。実際目にしたエスクード隊の姿から考えれば、てっきり統制を第一とするのがニコラス航空参事の旨でもあると思っていたのである。ところが、今本人の口から聞いたそれは、予想とは真逆のもの。むしろ、レフが重視しているものと根源は同じものだと言って良かった。

 

「…分かります。命令であれ規律であれ、俺は自分が納得できないことはしたくない。最後まで、自分というヒトでありたいと思います」

「おっ!いーねぇレフ君気が合うねぇ!そう、そうなんだよー。決まりはそりゃ重要だよ?でも時として、自分の信じる正義の為にそれを破らにゃならんこともある。そう考えなきゃ、昔ワシがやったクーデター未遂の阻止なんてできなかったろうしな」

 

 ああ、そうか。ニコラス航空参事の信念とも言うべき思い――それに至る背景を耳にして、レフは心中に納得する。

 そういえば、29年前の東方戦争の折、ニコラス航空参事は有志で義勇軍を募り、サピン内部で反乱を画策していた航空部隊を制圧したという実績があるのだ。反乱軍は諸国の転覆を目論む旧ベルカ残党と繋がった大規模なものであり、双胴大型爆撃機『アークトゥルス』や戦闘機部隊、ベルカ残党の手によって量産された実験機すら擁していたという。戦争終盤の混乱の中でこれらの鎮圧を成し遂げたのはニコラス航空参事のカリスマと技量あってのことだろうが、それ以上にそれを決断した『熱』がなければ、到底成しえることではなかった筈だった。

 

「…まぁ、こういうことを言えばまるっきりジジイだがな。今やそういう熱を持ったパイロットは少なくなった。戦争の在り方が変わったせいじゃろうな。…ベルカ戦争の頃が懐かしいわ。あの時はエスパーダ隊のアルベルト大尉もいた。マルセラ中尉も、ウィザード隊のジョシュア大尉も。ワシもカルロスもまだ若かった。…あのバカめ、ずっとサピンにいりゃあ良かったものを…」

 

 ニコラス航空参事の瞳が遠くを眺め、吟じるように独り呟きを紡いでゆく。酔っぱらいらしい統一性のない語り口で、しかしその言葉と目は、少なくとも今ではないどこかを眺めている。

 多くの戦いと死、そして出会いを見て来たのであろうニコラス航空参事の瞳。その中に一瞬、若者のような熱と青さが宿ったように見えた。

 

 謳うような沈黙、数秒。遠くを眺めていた航空参事は不意にこちらへにかっと笑い、がばりと広げた腕をレフの首に絡みつかせた。

 

「うおわっ!?な、何スか、急に…!」

「まあ、という訳で!ワシが言いたいのはそれよ。情熱を持て!出会いを大切にせよ!それが気の置けない悪友ならなおよし、ってな!なはははは!」

「ちょ、腰フラッフラじゃないスか!ええいもう、しっかりして下さいよこの酔っぱらい!」

「いやー、しかしいいなレフ君、君ホントいいわ、馬が合う!どうだね、このつまらん会を抜け出てどっかで呑みにでも」

「え…いや俺、もう明日には帰隊するんで…」

「大丈夫だいじょーぶ!…おう君、悪いが下にタクシー呼んどいてくれ。悪いがワシ先に帰るんで、場には適当に言い繕って置いてくれな。…よーしじゃあ行くかねレフ君!グラン・ルギドの夜はいいぞー!」

 

 首をがっしと掴まれたまま、よろめく足取りに引きずられる体。ええい離せ、離して下さいこの酔っぱらい。そんな抗弁もまったく聞こえていないのか、ニコラス航空参事はエレベーターへ向かってふらふらと脚を踏み出していった。語る言葉そのままに、内奥に今だ宿る燃え立たんばかりの情熱とエゴで若者一人を捕まえながら。

 

 月夜照らす首都の街並み、その胸元は広く深い。

 這う這うの体でようやくレフが解放されたのは、夜がとっぷり暮れ、とっくに日付が変わった頃だった。

 

******

 

 場所は帰り、サピン南部はル・トルゥーア。消灯時間を迎え薄暗くなった士官用居室で、オールバックの男は独り、青い光を煌々と宿すパソコンの前に座っている。クッションの上でスリープモードに入ったスフィアをよそに、男――フォルカーは前のめりの姿勢となりながら、一心不乱にキーボードを叩いていた。

 

「ここで終われない。ここで負けられないのだ。ベルカの意地、私の血筋への誇り。それをあの男に…いや、他の『オーキャス』なぞに奪わせはしない…!」

 

 かたかたという機械的な伴奏を背に、口に上るは決意とも呪詛ともつかない呟き。頬はこけ、しかし熱を宿す見開かれた瞳は、まるで熱病に浮かされた人の姿にも見える。

 

「誇り、意地。その為ならば、私は何でもしよう。……」

 

 かたり、と音が止み、一瞬戻る静寂。フォルカーの細い指は、キーボードのエンターキーの上へと移り、しばし止まった。

 

「…たとえ、道を踏み外そうとも」

 

 逡巡を振り切るような、数秒の間。

 全てを断ち切るように、その小さな方形の上へと、フォルカーの指は力を籠めた。

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