(完結)ルート2027(初代デジモンアドベンチャー) 作:アズマケイ
夕闇が落ちる。夏の夕方の明るさは砂上の淡水のような肌目のこまかさで空気に溶け込む。夕方の日差しは、その暑さにも日中の挑みかかるような強さはなく、どこかだらりとけだるい残照になっている。熱気に沈んでゆく夏の時刻を前に、ジュンは公衆電話の中にいた。
帰り道はずいぶんに暗くなっていて、昼間の熱気の残りが夏特有の生暖かさに変化して、空気のそこらじゅうをぼこぼこと埋めていた。
ひぐらしの鳴く声にうながされ、オレンジ色に染まった薄い雲の下を歩いて帰る子供のいない集合団地は不気味なものだ。
陽は
昼の暑さがじょじょに、薄く透き通る青空に吸い込まれてゆく時刻だった。
「なんでよ」
ジュンはイライラしていた。自宅番号にかけてみるとテープのアナウンスが出て、その番号は現在使われておりません、と言った。掛け間違いかと思って再度電話をかけたが、留守番電話の甘い声が留守を繰り返すばかり。何度かけても電話をかけたら留守番電話が、 ただいま出られません。メッセージをどうぞ。と告げるだけだった。
「なんで出ないのよ、大輔......。あれだけ外に出ちゃだめだって言ったのに......」
ジュンは嫌な予感がしてたまらなかった。テイルモンたちがヴァンデモンが現実世界に侵攻してきた理由のひとつについて、破滅させる人間を殺すためだと言ったからだ。破滅させる人間は選ばれし子供だ。もっというなら本宮大輔なのだ。お台場霧事件が回避できそうだから念には念をおしてお母さんを守るようにいったのに。太一と光に来てもらってダメ押しをするよう頼んだのに。
「まさか光ちゃんたちが心配になったからじゃないでしょうね?」
通り魔のニュースは連日報道されているようだから、デジモンが見えている大輔は光が丘という単語に過敏になっているはずだ。大好きな女の子と大切な先輩が呼び出されて行ってしまうのをたまたま聞いてしまったら、いてもたってもいられなかったのかもしれない。大輔持ち前の行動力を甘く見ていたのだろうか。ジュンは頭が痛くなった。
「ダメだわ、かかんない......」
ジュンは一か八か、母親の携帯電話にも連絡をいれてみる。父親は出版社につめていて帰っていないからだ。
「お願いだから出てよ......お母さん......お願いだから......」
祈りは通じた。
『もしもし、本宮ですが』
「もしもしお母さん?ジュンだけど」
しばらくしてジュンは公衆電話からでてきた。
「どうしたの、ジュンさん」
あまりにも顔色が悪いものだからミミが心配そうな顔をして聞いてくる。
「大輔が......弟が出かけたみたいなの......あれだけ家から出るなっていったのに......」
「大輔くんがですか!?」
「今からじゃ時間が足りないわ......たぶんここまでは電車じゃ来れないと思うし、早くヴァンデモンのところに行きましょう」
みんなが家族に光が丘に来ないようにだけ釘をさしてから、ただちに夕闇が迫る地下へジュンたちはいそぐのだった。
ガーゴモンの先導でジュンたちはウィルス種しか通れない結界を突破した。その瞬間に世界は一瞬にして様変わりする。
結晶が人間も動植物も関係なく全てを平等に包み込んで光り輝く世界へ取り込んでいる。
結晶化によって対象の時間が止まるというのは単なる終末でなく不老不死や永遠を思わせるものがあり、煌びやかな森は綺麗に感じる。
結晶化する世界は美しいけれど、人間の作った人工物は非常に俗っぽい。宝石と癘病、幻想と現実、相反し相対する現象がすべてにおいて、といわんばかりの迫力だった。
その中をバケモンたちが徘徊しているのだ。なおのこと不気味である。
バケモンたちが隊列を組んで選ばれし子供たちに襲い掛かってきた。地獄の絵を月夜に映したような怪しの姿である。ミミは悲鳴をあげて空にかくれる。丈は固まるが、光子郎がデジヴァイスを掲げるよう叫んであわてて逢魔が時の薄明かりに出て来る妖怪の山に印籠のようにかかげた。
デジヴァイスのウィルスを撃退するバスター機能が炸裂する。霊魂なんて所詮、焦立たしさと口惜しさの塊りみたいなものだとばかりに光が全てを退散させた。
空を自由に駆けめぐる闇の眷属たちはバードラモンたちが撃退する。結晶の間をすり抜けて、バルコニーのほうへどんどん歩いていき、窓ガラスに映るバルコニーの椰子や向かいのビルや星空に、一瞬まみれたかと思うとかき消えた。どうやらその向こうにもまた結界があるようだ。
「ずいぶんと厳重なのね」
「吸血鬼だから日光を警戒してるんでしょう、きっと」
「あーあ、ここに太陽の光がさしこめば1発で解決なんだけどな」
「そう簡単にはいかないですよ」
雑談している間でさえも、放置していたら結晶化していく人間や人工物の波がどんどん広がり、最後の時点ではかなりの面積に影響が出てしまうだろう。ゾッとする話である。
ジュンはたまらず息を吐いた。自然と手が白くなるほど力が強くなっている。リリモンたちがバケモンたちを撃破しているさなか、ジュンはなにもできないまま結界の中にいるしかないのだ。
結晶の中にある光が丘団地はバロック芸術の複雑に入り組んだ紋章や巻軸装飾に覆われている。あるいは、それ自体の空間量以上の空間を占めていて、まぎれもない不死性の予感を与えてくれるような錯覚を覚える。かつて親友が魅入られたような、それがたしかに存在していた。
ただただジュンは恐ろしかった。
「大丈夫ですよ、ジュンさん。私達がここにくるのも一苦労だったんだから、大輔がここまでこれるわけないですって」
バードラモンがデジモンたちを追っ払うのを見計らって、空はジュンに先を促す。ジュンは無理やり笑顔を作りながら先に進む。
全てが水晶のように結晶化する恐ろしくも美しい、そして幻想的なSFの世界。そこには圧倒的な色彩の美しさがある。人間には太刀打ちできない大きすぎるエネルギーへの畏怖と憧憬、諦念などを感じさせる。これは本能からの警鐘なのだろう。
丈たちは知らないから、気持ち悪いなあとしか思っていないのか、気にもとめない。ジュンもわかっている。人間の血が欲しいなら結晶人間にさせるのは本末転倒なのだから。
この美しく煌めく静寂と色彩の世界という天国が、明るい地獄だと知るのはジュンだけだ。魅せられたくはないと思っているのも、急激な水晶化の中に取り残される魂の軋む感じに怯えているのも。
「どうやらここがデジタルゲートの入口のようですね」
そこは宇宙的な異変により存在が凍結し、全てが妖しく光り輝く結晶と化していく世界の中心だった。
光子郎がパソコンを起動する。ふたたびゲンナイさんと連絡を取るためだ。デジタルワールドに続くゲートを一時的に解放してもらうために接続作業に入ったのだ。
「あれ」
光子郎はふと声を上げた。
「どうしたの、光子郎くん」
空が光子郎のパソコンを覗き込む。
「変ですね......太一さんのデジヴァイスの反応がさらに奥にあるみたいなんですよ。ほら、ここなんですけど」
「あ、ほんとね」
「間違い表示じゃないのかい?太一じゃないとか」
「いえ、そんなことは無いですよ。だって、僕、ミミさん、空さん、丈さん、これはジュンさん、みんないます」
「なになに、どうしたの?なにかあった?」
ジュンに事情を説明した瞬間、ジュンは青ざめるのだ。膝の辺りに突然水をかけられたような不気味さに震え、恐ろしいものが体中を走り抜けるのを感じる。体から恐怖が一気にあふれ出す天から舞い降りる鳥のように突然やってくる。
恐怖と不安が稲妻のように一気に通り抜けたのか、悲鳴をあげた。冷水を浴びたようだった。
ジュンは頭の中の白い靄がとけ、黒い霧が溢れ、闇がいっそう深くなった。刺すような顫動が背中を駆け巡ったのだ。
冷気に似たものが背筋を走った。思想と名づけるには、あまりに形のなさすぎる、だが感情と呼ぶには、厚味のありすぎる、強いて例えれば、眼にみえない手によって白刃を胸もとにつきつけられたような戦慄感だった。
光子郎はどうしたのか聞いた。
「大輔!なんでっ!?どうしてよ、なんでそんなところにいるのっ!?!」
あまりに多くの考えが、憶測や予測が、頭を駆け巡り、そのせいで状況を把握できなくなっていた。ジュンは混乱し、何が何だか分からなくなった。
混乱を鎮めようと努めていた理性が頭の中で音がするようだった。組み立てていた仮説が崩れる音だ。
考えがまとまらない。いま自分がなにをしているのか、どうしてこうなったのか、筋道を立てる前に言葉がばらばらになってしまう。
「ジュンさん落ち着いて!大丈夫、この距離ならすぐ行けるわ!だから落ち着いて!ね?」
空はあわてて問いかける。ジュンはうなずきながら、ジッと目をつぶり大輔の顔を思いうかべた。だがもう種々な疑惑に掻き乱されて、まとまりもつかない印象となっていた。
「ジュンさんいきなりどうしたの?!」
空は心配そうな顔をしてガーゴモンによびかける。
「ああ、いけない。結晶世界はジュンのトラウマを直撃しているようだ。アメリカのサマーメモリーによる爆弾事件は4年生だったジュンにはあまりにも精神的ショックがつよい事件だったんですよ。だからここにくるまで忘れていたのでしょう。こちらの世界でデジモンは中途半端に実体化するとこのように結晶世界になってしまうようですから」
「そうだったの......」
「怖かったと思いますよ、なにもかもが結晶に変わるんですから。植物も生き物も人間もね」
「えっ」
「だからこそ急がなくてはなりません。ジュンは大輔が結晶になってしまうのではないかと本気で考えてしまっているのだから」
ガーゴモンの爆弾発言に誰もが青ざめたのである。