(完結)ルート2027(初代デジモンアドベンチャー) 作:アズマケイ
パレットに乗せた絵の具のようにカラフルで、楽しさにあふれた町、パレットタウンは、今年の3月にオープンしたばかりのお台場を代表する遊園地だ。そこにある直径100メートル、高さ115メートル、ゴンドラの数が64台、搭乗時間16分、定員6名の大観覧車こそ、羽田空港や西新宿の超高層ビル群など東京を一望できる、お台場の象徴、パレットタウン大観覧車だ。
これが一望できるお台場臨海公園前の遊歩道、ここがジュンのお気に入りの場所だった。なぜなら、ジュンは、この眺めを見るたびに1999年を生きているのだと実感することができるからだ。
20XX年を生きていたジュンは、あの大観覧車をネット上の画像でしか見たことがなかった。ジュンが生まれたころには、すでにパレットタウンは閉鎖、取り壊されて更地になり、見る影もなかったのだ。
ジュンが物心ついたころには、あの土地は日本を代表する自動車会社のもとに渡り、大きな博物館の特徴的なパノラマが新しいお台場の象徴になっていた。今年で来たばかりのパレットタウンは、20XX年にはもうないのである。ここにくるたびに、ジュンはとても不思議な気分になるのだった。
ジュンがまっすぐに向かうのは、お台場臨海公園駅から徒歩1分のところにある、高層マンションである。シーリアお台場5番街という、5番目にある高級マンションだ。1996年にできたばかりの新しいマンション群は、お台場臨海公園を囲むように建っている。
ジュンの記憶が正しければ、このあたりはやがてハイセンスな住宅街区と東京湾が臨めるレストランやショッピング街、商業ビル、都市型リゾートホテルなどが計画的に配置され、沿岸沿いはオフィス街になるはずだ。
まだ着工し始めたばかりの土地整備であちこちが工事中になっていて、建設予定地の空き地が目立つ。まだまだこれからの街なのだ。光ヶ丘爆弾テロ事件から引っ越してきた選ばれし子供たちの両親は、いずれも裕福層ばかりである。居住区がかたまるのも、ジュンから言わせれば当然といえた。
八神家はシーリアお台場5番街の最上階、1306号室にある。さすがに階段を上る気にならなかったジュンは、まっすぐにエレベータに向かった。13階のランプが点灯する。
クーラーが効いている真新しいエレベータに揺られながら、ジュンはじいっと移動していくランプを眺めていた。太一君や光ちゃん、コロモンとばったり鉢合わせしちゃったらどうしよう、と思って、無駄に焦ってみたりどうやってしらばっくれたりしようかなと考えたりした。でも、今の時点だと絶対ありえないことを思い出して、安堵のため息である。
今の時点では、ジュン以上にデジモンのことに詳しい人間はいないのだ。ジュンは知っている。デジタルワールドが現実世界のコンピュータ・ネットワーク上にある世界であり、現実世界から流れ込んだデータが実体化する力をもっている異世界であること。
デジタルワールドが現実世界と比べてどこかおかしいのは、現実世界のデータが流れ込むときに欠損したり、破損したことが原因であり、ただの文字列にすぎないプログラムが実体化したりするからであること。
現実世界とデジタルワールドを繋ぐのは、デジタルゲートから続くゲートポイントという球体の空間、そして迷路のように入り組んだ通路のようなネット上にあるワームホールという電脳空間であること。
ちなみにワームホールは、ある場所とある場所に直結しているトンネルのようなもので、デジタルワールドが一般化する前はSFの世界の理論だった。
リンゴのある一点から反対方向に行くには円周の半分を移動する必要があるけど、虫が中を掘り進めれば短い距離の移動ですむ、という意味で虫食い穴という意味で名前が付けられた。そこを通ると光よりも早く時空を移動できるので、タイムマシンの原理を説明するのによく使われたのだ。
もっとも、デジタルワールドというネット上に存在する世界だからこそ実現可能な現象であり、ジュンが生きていた時代でも現実世界ではタイムマシンは実用化されていなかった。デジタルワールドでは、デジモンが世界の時間を管理しているのである。それくらいきっと朝飯前なのだろう。
デジタルワールドが不安定になるとそのワームホールに亀裂が入り、ゆがみが発生すること。そこからデジモンは現実世界に迷い込むことがある。ジュンたちテイマーは、基本的にネット上でデジモンを育成しているのだが、育成フォルダを破壊してデジモンが脱走する事件が度々あるので、その事態の収拾に奔走することがあった。
それを考えると、まだネットの環境が整っていない今の時代は、デジタルワールドに行くための手段がひどく限定されている。デジタルワールドや現実世界からは特定の手段を使わないと、出入りすることは出来ない。きっとまだ出会うのが早すぎるのだ。
せめて20年、30年もたてば、電脳空間を題材にしたアニメやゲーム、フィクション作品は世界にあふれかえり、SFの題材としてもやりつくされた感満載の、ごくありふれた時代遅れの題材に変貌する。そうすれば、デジモンという存在は、それほど異端視すべき脅威ではなくなるのだ。少なくても、その電脳空間の修繕に出向くことがジュンの仕事の一環だったことを考えれば、お察しというやつである。
まだ世界はデジモンを知らない。デジモンは現実世界で実体化するために、電気を根こそぎ奪う性質があることはもちろん、電波障害が発生することは誰も知らないのだ。それは進化する世代が上がるにつれて深刻化していくのだが、1999年はデジモンに対応した設備など皆無である。つまり、幼年期のデジモンであっても、エレベータに乗った途端に何らかの障害が発生する。
うっかり成長期になった状態で乗ろうものなら、システムダウンするか停電になって運転停止、強制的に追い出されることになる。あとは警備員の人が駆けつけて、技術端の関係者がやってきて、緊急点検、立ち入り禁止の大事に発展する。ジュンが無事にエレベータに乗れたと言うことは、太一君はきっとコロモンと一緒に乗ろうとして、異常を察知して利用するのを辞めたに違いない。
わざわざ13階まで階段で上るとはご苦労様である。エレベータのアナウンスが流れた。ジュンは吹き込んできた夏の暑さにため息をつきながら、13階の通路をまっすぐ向かったのだった。
1306号室 YAGAMI
あった、あった、とジュンはドアの前までやって来た。いつだったか、興味本位で八神家に遊びに行った大輔のお迎えをかってでたことがある。そのとき挨拶をした程度の知りあいだ。
実際に目で見て確認したら、デジタルワールドの冒険読者としては、聖地巡礼を達成した気分になるので、自己満足してから一度も足を踏み入れていなかった。八神君たちには八神君たちの生活があるのだ、意味もなく足しげく通っては悪質なストーカーである。
逮捕されるような行為をするほど、ジュンはバカじゃなかった。だいたいジュンが住んでいるマンションも、シーリアお台場に名前を連ねているのである。間取りとか大体一緒だから、わざわざ確認する必要なんてないのだ。
ぴんぽーん、とチャイムが鳴る。カメラ目線でジュンはインターフォンを覗き込んだ。
「こんにちは、本宮です」
しばらく待ってみるが、反応がない。あれ?もう一度念のため、ジュンはチャイムを押した。
「こんにちは、本宮です。八神さん、いらっしゃいませんか?」
おかしいな、とジュンは思った。光ちゃんは一人で留守番している。もしジュンが赤の他人なら、居留守するかもしれない。でも、ジュンのことは光ちゃんは知っているはずである。
お台場小学校サッカー部の公開練習や大会を見学にやって来た時、何度か話したことがあるからだ。大輔君のお姉ちゃんと呼ばれたことをジュンははっきりと覚えている。母親はきっと八神家にジュンが向かうことを連絡しているはずだ。それなら、わざわざ居留守をする理由は無いはずだ。
もしかして、太一君とコロモンが隠れるために、今頃靴を隠したり、かくれんぼしたり、いろいろバタバタしてるんだろうか。そっと聞き耳を立ててみたが、物音がしない。うーん、どうしよう?さすがに鍵がかかっていてはどうしようもないが、何もせずに母親に連絡を入れるのもどうかと思ううし。
かちゃりとドアノブを回したジュンは、するりと空を切るドアに、え?!と声を上げた。ドアが開いている。鍵がかかってない。しかもチェーンもかかってない。あっさり空いてしまったドアである。ジュンはその場に立ち尽くした。ぴこぴこぴこぴこ、と聞いたことがない音がする。
「こんにちはー」
ちょっとだけ覗いてみる。まず気付いたのは、靴がないことだった。すっからかんだ。誰もいない。玄関からまっすぐ伸びる廊下の先は、リビングの間取りになっているのだが、開けっ放しの向こう側はカーテンが翻って揺れていた。窓の向こう側には、パレットタウンの大観覧車が真正面から臨めた。
つまりクーラー点けっぱなしである。しかもニュース、NNKの番組がつけっぱなしになっている。しかもぴこぴこぴこぴこ、とさっきから目覚まし時計か、携帯電話か、タイマーのアラームが鳴りっぱなしである。一向に止む気配を見せないアラームにジュンはさすがに、えええええ、と声をあげた。いくらなんでも不用心すぎるよ、太一君に光ちゃん。
はじめこそ、太一君が子供部屋で昼寝してるところなのか、と思ったジュンだったが、リビングに続く廊下にはトイレがあるのだ。普通なら光ちゃんと真っ先に目が合うはずだ。やっぱり誰もいないと考えるのが普通だろう。どうしよう、とジュンは途方に暮れた。まさか入れ違いになるとは思わなかった。
ニアミスだった。これでいいのかもしれないけど、ちょっと残念である。はあ、とため息をついたジュンはとりあえずドアを閉めたのだった。泥棒に入って下さいと言わんばかりの部屋である。ほっとくにほっとけない。すっかり困り顔でジュンはドアの前に立つ尽くしていた。いったい何の音だろう、このアラーム。妙に音に残る仕様のようだが。
ちりん、ちりん、と小さな鈴の音がした。きょろきょろとあたりを見渡すと、にゃーん、と鳴いている三毛猫がジュンを見下ろしていた。
「ミーコちゃんはいるのね、光ちゃんたちどこ行ったかしらない?」
真っ赤な首輪についている小さな鈴が揺れている。ぱちぱちと瞬きをした三毛猫は、とたたとリビングの方に向かってしまった。無人とはいえ勝手に人様の家にはいる訳にはいかず、ジュンは立ち往生である。どうしよう、と途方に暮れていると、ふたたびミーコは玄関にやって来た。ぴこぴこぴこぴこ、というアラームがどんどん近づいてくるではないか。なにかくわえている。
デジタル時計だろうか。ディスプレイが激しく点滅し射ていて、しかも振動しているではないか。誇らしげに獲物をジュンに見せ付けたミーコは、ジュンのところまでやって来ると白いデジタル時計を足元に置いた。そしてちょこんと座る。飼い主への贈り物やお土産のつもりなのだろうか、感謝の気持ちをしめしているつもりなのだろうか、でもジュンはミーコの飼い主ではない。
顔は知っていると思うけど、どうしたの?と疑問符なジュンに、ミーコはにゃーんと鳴くだけだ。じいっとジュンを見上げている。ジュンは困惑した。動物を飼ったことが無いのである。これがなに、どうしたの、と聞いてみるが、ミーコはあとにひかずにずっとジュンを見上げている。
もしかして褒めてほしいんだろうか、と思ったジュンは、えらいねーと笑ってすり寄ってきたミーコを撫でた。ごろごろと咽が鳴る。あー、なるほど、ミーコは自分がどんなに働き者か自慢したかったわけね、とジュンは思った。ミーコが持ってきた獲物を受け取った。
そして、それが初期型のデジヴァイスだと気付くまで、たっぷり10分を要したのである。無理もない話だ。ジュンが知っているデジヴァイスは、育成ファイルで育てているデジモンを携帯機に移して移動するために使用するものである。持ち運びができる育成ファイルなのだ。
選ばれし子供が使用していたデジヴァイスは、それこそ選ばれた人間しか使うことができない特権だらけの塊だったはずだ。デジタルワールドの冒険のあとがきで参考資料が掲載されていたが、そこにある一枚写真でしかジュンは見たことがない。
そんな大事なモノを平気で置き去りにして、ホントにどこ行ったんだろう、太一君に光ちゃん!ジュンはさすがに焦った。こればっかりは渡さないとさすがにまずい。それだけは分かったからだ。
デジタルワールドの冒険がアニメ化された際は、光ちゃんのデジヴァイスの出自は最後まで不明のままだったため、太一君がデジタルワールドに帰ったと同時に、八神家にデジヴァイスが出現する謎仕様だった。
ミーコが持って行ってしまったという描写が加えられていたが、さすがにそれは違うだろう。アニメ化する際の演出だってインタビューに書いてあったはずだ。ヴァンデモンが持ってきたものではないはずだ。
まだヴァンデモン一派はデジタルワールドのゲートを開いてないし、ここまでこれない。そもそも、デジヴァイス自体が光ちゃんの持っている力を元に作られたものなのだ、光が丘テロ事件の後にずっと光ちゃんが持っていたとは考えられない。
ホントにどこからきたんだろう、これ。ジュンは、おそらく光ちゃんのであろうデジヴァイスを握り締めて思った。たぶん、光ちゃんのだ。太一君のは紋章の色を取り込んでオレンジ色になったはずだから。もし、泥棒が入って持って行ってしまったら、ホントにえらいことになる。ジュンは、太一君か光ちゃんにこれを渡すことに決めたのだった。
「あらぁ、本宮さんところのジュンちゃんじゃないの」
「あ、山田さん、こんにちは」
「こんにちは。八神さんのおうちのまえでどうしたの?もしかして、何か御用?ごめんなさいね、八神さんは今、ご家族のお見舞いに行ってて留守なのよ。光ちゃんは風邪をひいてて一人で留守番してるのよ。もしかしたら、寝ちゃってるのかしら?」
「山田さん、お詳しいんですね」
「光ちゃんのこと心配だから、時々様子を見てあげるって引き受けたのよ。さすがに小学校2年生の女の子を一人で留守番させるわけにはいかないし、でも風邪ひいてる光ちゃんをお見舞いに同行させるわけにはいかないしって困ってらしたから。八神さんにはいつもお世話になってるから、これくらいはね」
お隣に住んでいるおばさんは笑った。ジュンは、ほっとしてドアノブを回した。あら、と山田さんは目を見張る。中を覗きこんだおばさんは、どこ行っちゃったのかしら、と心配そうに口元を覆った。どうしましょう、と困惑しきっている。
「どこか出かけちゃったのかしら、光ちゃん。これからお昼にしようと思って買い出ししてきたのに」
「山田さん、八神さんのおうちをお願いしてもいいですか?アタシ、光ちゃん、捜してきます」
「ごめんなさいね、そうしてくれる?私はとりあえず八神さんに連絡してみるわ。さすがに遠くに行けるほど光ちゃん回復してないと思うのよ。もしどこかで倒れてたりしたら大変だわ。これ持って行ってくれる?見つけたら連絡頂戴」
「はい、わかりました」
山田さんから預かったPHSをポケットに入れたジュンは、大急ぎでエレベータに引き返したのだった。行き先はわかっている。デジタルワールドと現実世界の境界線が非常にあいまいになっている今、現実世界とデジタルワールドを繋ぐワームホールは今、びっくりするほど不安定で、穴だらけなのだ。
その穴にうっかり迷い込んだデジモンは、ゆがみの姿をして、まるで透明な怪物のように東京をばっこしている。光ちゃんや大輔にだけ見えている状態である。
でも、そのワームホールを完全に潜り抜けてしまうと、現実世界に実体化することになる。あたりの電気を犠牲にして。身体を構成する電気が足りなければ、中途半端な実体化となり電波障害は深刻化するし、そのデジモンから繰り出された攻撃は全て結晶化という奇妙な現象を引き起こす。
ジュンは一度だけ見たことがある。育成ファイルから脱走したデジモンが現実世界で中途半端に実体化し、ある町を結晶世界に変えてしまった光景を見たことがある。
奇怪な形になった鳥が石化した森を飛び交い、結晶化した町のほとりには、宝石をちりばめたような動物が紋章のようにきらめいていた。
夜になると光り輝く人間が木々の間を走り回り、その腕は金色の車のようで、頭は妖怪みたいな冠におおわれていた。忘れもしない。その人はまだぬくもりがのこっていた。
山田さんから借りたPHSを片手に、ジュンはこの大都会ど真ん中で突然圏外になる異空間を捜し始めた。ジュンの目に見える形で、結晶化した戦闘の痕跡が広がっていたからだ。黒山の人だかりである。どうやらワームホールは相当不安定らしい。
お台場付近のデジタルゲートがまだ開いていないようだ。ジュンはパソコンが入っているリュックを背負い直し、太一君たちを懸命に捜した。今どき珍しい無線LANは、父親の職業柄贔屓してもらってる会社さんからお古をもらったものである。
スペックは20XX年と比べれば天と地の差があるが、最新機種と比べればそんしょくないものである。最悪、これを使う羽目になるかもしれないと思いつつ、突如出現したクリスタルの肖像をひたすら遡ったのだった。
太一の持っているデジヴァイスには、他のデジヴァイスの所有者を探知する能力がある。世界に一人ぼっちだと思っていたデジヴァイスの所有者がもう一人いる。それに気付いた太一がどういう行動に出るのか、もちろんジュンは知るわけがなかった。