(完結)ルート2027(初代デジモンアドベンチャー) 作:アズマケイ
野には稲が黄色く実る。稲の絨毯が燃え上がるように輝き、そのうえをトンボの群れが不規則な軌跡を描いて飛行する。稲の穂が重そうな首を止まず動かしてはさらさらと寂しく笑う。照りつける太陽の陽射しから存分に栄養を吸い取った稲が、青々と地を埋め尽くす夏、黄色く熟した田があった。
その先に茅葺き屋根の立派な家があった。居間と思われる部屋でジュンは待っていた。
「おねえちゃ───────!」
大輔は頭を振って目を覚ました。体がしびれ、頭が痛んだ。誰かが大輔を氷と一緒にシェーカーに入れて、でたらめに振りまわしたみたいな痛みに満ちていた。悪夢からの叫びで目覚めるほど嫌なことはない。びっしょりの手で布団をどけて、大輔はおぼつかない足取りで立ち上がる。和室のようだ。
「どこ......ここ......あれ、ぼく......あれ?」
ふすまがあいた。
「大輔!」
「おねえちゃ、」
「なにかあったの?大丈夫?どっか痛くない?」
大輔が泣き出したものだから、ますますジュンは混乱する。抱きついたまま離れなくなってしまった大輔は、ぐずぐずいいながら怖い夢を見たことを話した。
お姉ちゃんが知らない誰かのお姉ちゃんになってしまう夢だった。大輔がぼくのお姉ちゃんだと叫んでも、ジュンはごめんねありがとうというだけで。伸ばされた手はやんわりと拒まれ、振り払われ、悲しげな顔をしたまま遠ざかる。
何もかもを最初からやりなおさなくてはいけない、とジュンはよくわからないことをいっていたらしい。目が覚めてからずっと、まるで他人の人生を生きているような気分になってしまうから、と。
ジュンは目を伏せた。覚えがあったからだ。サマーメモリーズの爆弾テロ事件により、精神的ショックが大きすぎて死んでしまった本宮ジュンの精神に不純物が混ざりこんだ時の記憶だろう。錯乱状態になったジュンのことまで大輔は思い出してしまったようだ。
「大丈夫、どこにも行かないわよ、大輔」
ジュンは笑った。それが自分の人生に重なりあうまでにずいぶん時間がかかってしまったように思う。具体的には5年ほど。
「ほんと?」
「ほんとよ」
「ほんとにほんと?」
「ほんと」
頭を撫でると大輔はくすぐったそうに首をすくめた。
「......大輔?」
しがみついたまま、寝息が聞こえてくる。ジュンは苦笑いして、そのまま待つことにした。
しばらくして、大輔はもう一度目が覚めた。 夢だった、というのがわかるまで、少しかかった。 何が来るかわからないままでまだどきどきしていたし、冷たい風の感触の余韻も胸にひんやりと残っていた。 そのせいか、すっきりしたいい目覚めだったらしく、恐ろしく機嫌よさそうに寝ぼけている。
さっきまで死人のように青くて、声をかける気にもならないほど心配になる様子だったが、今はすっかり回復していた。
「離していい?」
「やだ」
たずねてもいないのに、答えるのがいやそうに大輔は言う。不機嫌というより、本当に眠くて話すのもおっくうだ、という感じだった。
ここがどことかどうでもいいらしい。とはいえジュンも気づくともうそこにいるといったような感じなのだ。具体的に聞かれてもひとことで表すことはできなくて困ってしまうが。
大輔はもう半分夢の住人になりかかっていて、意識がすでに何もなくなっているのだ。自分が、ただ宙に浮いている。理屈では違うとわかっているし、そういうつもりにはなれる。今がいつで、自分は眠る前何をしていたか。どうにも遠い。感情も感覚もない。ただ空虚な空間に身を休めているのだけが実感できる。それだけ安心しきっているのだ。
「ごめんね、大輔。心配させて」
ジュンはポツリとつぶやいた。
自分が14歳なのか、2×歳なのか、問われたらジュンは14歳だと答えることが出来る。だが、前の家族が会いたがっていると言われたら本当にわからないのだ。今日明日で答えが出るものでは無い。前のジュンは死んでいるから結果的にこちらを選んだ。
すべてが夢で、君はこれからうまれる赤ん坊なんだよ、と言われたらああそうか、そうなんだな、と思えるくらい混乱する自信がジュンにはあった。
それをつなぎとめてくれるのは間違いなく腕のなかの弟、ただ一人である。
しばらくして、半開きのふすまがあいた。
そこにいたのはゲンナイさんたちである。
「お姉ちゃん?」
「ああうん、長くなるんだけど、みんなで悪いやつをやっつけにいくんだってさ」
「みんな?」
「そ、みんな」
「あの狼みたいなやつ?」
「そう、あの狼よ」
「おう。だからさ、安心してくれよ、大輔」
「がんばってくるからね」
「だから、大輔くんも、ジュンさん守ってあげてね」
大輔はわけがわからないまま、こくりとうなずいた。大輔の目線はそっくりじいさんが12人もいることのようだ。全部で12人いるというのだから、いかにダークマスターズがエージェントを虐殺したかがわかる。じいさんのままなのに無理やり自身を複製したのだろう。このエリアから1歩も出られないというのだから暗黒の力は除去が難しいのだ。3年もかかってしまう。
選ばれし子供たちは茅葺き屋根の家の広い広い畳部屋でゲンナイさん(オリジナルらしい)から話を聞いたようだ。
四聖獣は先代の選ばれし子供たちのパートナーだったデジモンたちで、東西南北に楔を打ち込むことで暗黒の力を封印したため、東西南北を守護する究極体デジモン達として崇められている。
干支をモデルとしたデーヴァと呼ばれる完全体デジモン達を部下にしている。四体ともに共通している特徴としてデジタルワールドで起きている出来事を全てを見透せるとされる四つの眼と、身体の周りに12個のデジコアを表出させている。
「我が名はクンビラモン。世代は完全体。タイプは聖獣型。必殺技はクリミシャ 。『十二神将』に所属する『子』の完全体デジモンじゃ。シェンウーモンさまに仕えており、十二神将一の知恵者よ。相手の心理を読み取る能力を持っており、シェンウーモン以外の者であれば、ほとんど先読みすることができる。非力なため肉弾戦には向いていないものの、強力な念動力によって、自分の身の丈と変わらないほどの大きさである鋼の杵『宝杵』(パオツウ)を自在に使いこなすことができるのよ」
「あっしはヴァジラモン。世代は完全体。タイプは聖獣型。必殺技はローダ。『十二神将』に所属する『丑』の完全体デジモン。シェンウーモンさまに仕えており、肉体的にも精神的にも高みを目指す求道家たあ、あっしのことよ。鍛え上げられている腕力は十二神将一であり、腰に携えている巨大な『宝剣』(パオチェン)二振りを軽々と振り回すことができるってえわけさ」
「ヴィカラーモンは先に行ったのでな。出迎えは我らだけじゃ。許せよ、選ばれし子供たちよ」
「あっしらがいままで力になれなかったのは、ダークマスターズたち、ゲンナイたちを殺したヤツらの力を押さえ込んでいたからでさあ。あっしらでもなかなかにキツイんで、迎えに上がったってえわけだ。よろしく頼むぜ」
「シェンウーモンさまってデジモンが私たちを助けてくれたのね?」
「そーいうことだ。今まで選ばれし子供たちと頑張ってくれてありがとよ、嬢ちゃん。坊主」
大輔はうなずくだけで精一杯のようだ。
「大輔、みんなを待ってようか?」
ジュンの呼びかけに顔を上げた大輔は、にこりと笑ってうなずいたのだった。
太一たちが光につつまれていなくなる。しばらく見つめていた大輔だったが、ゲンナイさんから詳しい話を聞くことにしたようだ。難しい話を噛み砕き噛み砕き話され、そのうち疲れてきたのかまた寝てしまった。居間の布団に逆戻りである。
静かに襖を閉めたジュンは息を吐いた。
「すこし、いいかのう」
「あ、ゲンナイ......ゲンナイさん?」
「ああ、わしはオリジナルのゲンナイじゃよ」
「じゃあゲンナイさん。どうしたんですか?」
「一度話をしなければならんと思っとったんじゃ。まさかサマーメモリーズの爆弾テロ事件の被害者だったとはのう」
「いつ知りました?」
「十二支のデジモンたちに教えてもらったんじゃ。ホメオスタシスさまとデジタルワールドがやらかした大罪についても」
ジュンは苦笑いした。
「ほんとうにすまなんだ」
「ゲンナイさんに謝られても困りますよ。ゲンナイさんはまだ生まれてない頃の時代の話じゃないですか」
「しかしなあ......」
ゲンナイさんは申し訳なさそうだ。
上司がホメオスタシスのようにシステムそのものの場合、末端らしく気苦労も多そうだ。なにせ善悪の基準も自我がないからあってないようなもので、四聖獣が仲介に入ってようやく理解したようだから。
「前の私が精神的に死んだ時、蘇生できないことを知らなかったんでしょう?理解できないものを必死で救おうとした結果、私がダウンロードされたわけだから仕方ないですよ。魂が同じだと機械的に判断したなら、自我までは考慮できなかったんでしょうし」
まったく悪びれた様子がない、自分の悪いのは棚に上げて、一言も謝らない、そんな救いようがない偽善以前の問題だ。デジタルワールドはまだ人間を知らなかった時代の事故のようなものだ。
「でも、ゲンナイさんでよかったです。ホメオスタシスあたりに出てこられるとデジタルワールドが嫌いになりそう」
ジュンはわらう。
きっとデジタルワールドの根幹たちならばあやまったのは心から後悔してあやまったのではない。ただ命令されて、形式的に頭を下げたにすぎなくなる。頭ばかりさげてやめないのと一般で謝罪だけはするが、けっしてやめるものでない。
よく考えてみると世の中はみんなこんなことで成立しているかもしれない。人があやまったりわびたりするのを、まじめに受けて勘弁するのは正直すぎるばかというんだろう。
あやまるのもあやまるので、勘弁するのもかりに勘弁するのだと思ってればさしつかえない。もしほんとうにあやまらせる気なら、ほんとうに後悔するまでたたきつけなくてはいけない。ジュンはそこまで望んでない。少なくても、今のジュンは。
「そういってもらえるとうれしいのう」
ゲンナイさんはぽつりとつぶやいた。
「うむ、うむ。やはり、間違いなさそうじゃな」
「え?」
「実はのう、太一から預かっているものがあるんじゃ」
「?」
「ヴァンデモンはたくさんのデジモンたちを自分の中に取り込み、強化することで進化した。そして、それを倒すためにガーゴモンが自分を犠牲にしてくれたじゃろう。実はのう、ガーゴモンはヴァンデモンを内側からハッキングして大幅な弱体化を狙っていたようなんじゃ。自分の構成データを無理やりねじ込み、いわば合体のようなことをして取り込もうとしたんだろうと十二支のデジモンたちからおしえてもらえたわい。わしはガーゴモンに感謝しておる。もし彼が立ち上がらなければ、たくさんのデジモンたちが幽霊としてあちらの世界をさまよったに違いないからのう。もちろんヴァンデモンもじゃ」
「ま、まさか......」
「ああ、そのまさかじゃよ。ガーゴモンは結果的にいろんなデジモンを救ったんじゃ。もちろん、選ばれし子供たちに協力するため。そして、お前さんの力になるための行動だったわけだから、結果論になるがのう」
ゲンナイさんはわらう。
「それだけ会いたかったんじゃのう」
ジュンはゲンナイさんをみた。ゲンナイさんがどこまで知ったのかわからないからだ。
「太一がいっておったよ。ヴァンデモンは未来のデジタルワールドに行こうとして、ワシらのような立場のデジモンに阻止されたとな。そのデジモンは時間転移ができるアイテムを強奪した犯人を探しておったらしい。ジュンにそれだけあいたかったなら、デジタルワールド側のミスなんだから融通きかせてやるべきだと」
ジュンは目頭があつくなる。
「初めこそパートナーデジモンではなかったかもしれん。だがガーゴモンにとっては最初で最後の愛された記憶だったんじゃろう。パートナーデジモンになりたいと思った。それが出発点だったんじゃろうな。それはわしらに暗黒の力は封印したり倒したりするだけではない可能性を教えてくれた」
「えっ」
ジュンは目を丸くする。
「やはり気づいておらなんだか......わしらもわからんかったよ。ガーゴモンはわかっておったんじゃな。いくら転生しても構成するデータの根幹が変わらねばデジタルワールドに受け入れてはもらえんと。パートナーデジモンにはなれないと」
「ガーゴモンて、いったい......」
「未来では、ガルフモンというそうじゃ」
「ガルフモン」
「全ての生命を滅亡せんとしたアポカリモンの残留思念データから産まれた闇の存在だという。その行動原理はアポカリモンと同じく、あらゆる生命の殲滅にある。暗黒系の魔術を得意とし、その性格は残虐極まりない。しかし、知性が高く、策士家でもある。ダークエリアの深淵よりいでし、闇の魔獣型デジモンでもある。その巨体は山の様に大きく、強靭な四肢を持つ魔獣で、下半身には全てを飲み込む程の大きな“口”が付いている。しかも、その穴はダークエリアの深淵に繋がっていると言われ、そこに吸い込まれたものは魂(デジコア)を粉々に砕かれて、抜け出ることは出来なくなると言われている。そのパワーは強大であり、7日間で世界を滅ぼすことが出来るとも言われている」
「......」
「昔の話じゃ。ま、ヴァンデモンのデータと融合したわけだから、ウィルスにまた転生しそうじゃがのう」
「ガーゴモンが......」
「お前さんにとってはなにげない行動だったのかもしれんが、ガーゴモンにとってはなによりも忘れがたい思い出だったんじゃよ」
ゲンナイさんはジュンにデジタマを渡した。紫色のデジタマだった。
「育ててやってはくれんかのう。デジタルワールドにとって暗黒の勢力と共生できるきっかけとなりうるかもしれんからのう」
差し出されたデジヴァイスを手にしたジュンは今にも泣きそうな顔をして頷いたのだった。
デジタルワールドの一日は現実世界の一分である。光が丘で待っていれば逆さまのデジタルワールドが見えただろうし、ほんの数分の出来事だった。
だが大輔もジュンも選ばれし子供たちをすぐに迎えに行きたくてゲンナイさんの隠れ家で待っていた。ダークマスターズとの死闘は熾烈を極めているようで、選ばれし子供たちを写していたはずのモニターはすぐに砂嵐になってしまった。大輔は不安そうにジュンを見上げたが、大丈夫よとハッキリ言い切るジュンに安心したのかうなずいた。
1日、2日、3日、と音信不通なまま時間だけがすぎて行く。
ジュンの知る歴史とは違い、四聖獣が健在かつ十二支たちが封印前の万全に近い体制での後方支援が望める最終決戦である。ジュンはあまり心配していなかった。そんな姉に影響されてか、大輔もそのうちに後姿には待つ表情が溢れはじめる。
ゲンナイたちは誘拐された人々を元の場所に戻してあげたり、デジモンのせいで破壊されてしまった現実世界から痕跡を消したり、作業に追われている。さいわいデジタルワールドと東京都内がひとつのデータとして一体化する寸前だったからか、デジタルワールドお得意のデータの上書きという形でなかったことにすることは可能だった。
データを実体化できるデジタルワールドの性質を現実世界に適応することが可能だった。皮肉なことにそれはデジタルワールドと現実世界がかぎりなく近くにいる今だからこそ可能だった。暗黒勢力討伐後は無理だ。
待っていても仕方ないとばかりにゲンナイさんたちは作業に没頭していた。なぜならゲンナイさんたちはセキュリティシステムの末端だ。ホメオスタシスからの指示には従わなければならない。プログラムの宿命である。お疲れ様ですとジュンはいうほかない。
「でもね、ゲンナイさん。きっとこの方法は通用しなくなるわよ、わりとすぐ」
「そうじゃのう。現実世界のネットワークの発展は著しい。わしらの予想を遥かに超えるスピードじゃ。じゃが、まだはやい。そうじゃろう?」
「そうね。デジタルワールドは現実世界にはまだはやい」
ジュンはうなずいた。
「ところで何をしとるんじゃ?」
「だからってなかったことには出来ないでしょ。だから受け皿をつくっているのよ。デジタルワールドとかデジモンに関することが調べられるサイト。あるいは掲示板。ある程度形になったらゲンナイさんたちに見てほしいんだけど。将来的には選ばれし子供たちの交流や連絡交換の場も兼ねることになるからね」
ジュンのノートパソコンにはデジモン図鑑やデジタルワールドについての情報がまとめられたサイトがある。
「すごいのう」
「違うわ。すごいのははるか未来に確立させた光子郎くんたちよ。アタシがしているのは模倣にすぎないわ。でも必要でしょ、こういうところは」
ジュンは凝り固まった肩を揉みほぐすように腕を回す。
「一日中ここにいて、ただみんなを待ってなきゃいけないなんて本当に嫌なのよね。なにせ一人きりでいるとね、体が少しずつ腐っていくような気がするのよ。だんだん腐ってきて溶けて最後には緑色のとろっとした液体だけになってね、地底に吸い込まれていくの。そしてあとには服だけが残るの。そのうち待つという単一の神経繊維しか持たない原生動物のようになって、光も色もない空虚な期待に、ただ凝然と身を浮べつづける。そんな気すらするわね、一日中じっと待っていると。だからこれでいいのよ。選ばれし子供たちに必要なのは後方支援だわ」
「ジュンらしいのう」
「デジタルワールドのセキュリティシステムの仕事委託されてただけはあるから安心して。ま、アタシは新人だったけどね」
ゲンナイは笑う。
「将来有望な選ばれし子供がいてわしらも嬉しいわい」
ジュンは肩を竦めた。
「光子郎くんには負けるわよ」
ゲンナイさんは首を振った。
「思えば全てが後手後手じゃった。先代の選ばれし子供たちの予言がダークマスターズに奪われ、紋章を奪われ、デジモンたちを預けた直後に呪いにかかり動けなくなった。四聖獣様は対ダークマスターズにおわれ、あの子達にはほとんど支援らしい支援ができなかった」
「デジモンが人間との絆で進化するなんて不確定要素に全てをかけるしかない大博打なわけでしょ。下手なこといったら進化自体出来なくなるし、仕方ないんじゃないかしら」
「本当にあの子達はよくやってくれたわい」
「とりあえず、それ、全部太一くん達に伝えた方がよくない?ゲンナイさん」
「そうじゃのう」
「あとはウィルス種と暗黒の勢力は別物だってこととか、進化にいいも悪いもないとか。テイルモンがいるからまだマシとは思うけど。この子が生まれたとき、みんなに嫌われるのは可愛そうだわ」
「うむうむ、そうじゃのう。デジタルゲートが閉じる瞬間まで、平和になったデジタルワールドを見てもらいながら話さなければならんな」
ジュンの傍にはまだまだ生まれる兆候を見せない紫色のデジタマがある。
「お姉ちゃん、まだ?」
大輔はデジタマをのぞきこむ。
「まだみたいね。光ちゃんがいたら早く生まれるんだけどね」
「そっか」
なにがうまれてくるのか、大輔は楽しみで楽しみでたまらないようだ。ジュンはやさしいまなざしで大輔を見ている。ふと、遠くで笛が空気を割くような音を立てたような気がした。顔を上げたのは大輔だった。
「お姉ちゃん、笛の音がする!」
あくびでもするかのように間の抜けた笛が太く鈍く響かせているのがわかった。ジュンはあわてて立ち上がる。そして大輔とともに転がるように茅葺き屋根の家から飛び出した。
音のあいまいな霧がひろがるように、遠い汽笛がおぼろげに伝わってくる。
「電車だ!」
なにもないところを電車が走っている。大輔は空を走る電車に大きく手を振る。そこに必ず帰ってくると約束した太一たち、そしてパートナーデジモンたちが乗っている。
(そっか、ゲートが閉まるのは明日の12時だから·····お別れはまだまだ先ってわけね)
なにせデジタルワールドの一日は現実世界の一分だ。ずっとこちらにいるなら1440日、約4年。現実世界に帰るにしても調整すれば太一たちが初めてデジタルワールドに迷い込んだ時以上の時間が約束されている。
(よかった......)
ジュンは手元のデジタマをみた。それだけあればパートナーデジモンの顔を見ることもきっと出来るにちがいない。
「おかえりなさい、みんな!」
ジュンは大きく手を振る。
「おかえりー!」
大輔は待ちきれなくて走り出す。大輔をおいかけようとしたジュンの腕の中でぱきりとデジタマが音を立てる。
「あ」
デジタマが真っ二つに割れる。生まれたばかりのデジタルモンスターの黄色い目玉がジュンを見上げる。スライム状の体の表面には、黒い産毛がびっしり生えている。
生まれたてなので戦うことはできないが、口から泡のようなものを出して敵を威嚇する幼年期は、ジュンがどういう存在かわかっているようで攻撃する気配はない。ただ言葉は発しない。ジュンは涙が溢れてくるのがわかった。
「今度はちゃんと死ぬまで面倒みてあげるから。勝手にいなくなったりしないから安心してちょうだい、ボタモン」
ジュンの言葉を知ってかしらずか、ボタモンはピーピー泣き始める。
「お腹がすいたって、あのねえ......」
脱力したジュンは苦笑いした。
「あの時みたいに高級肉はあげられないわよ。ここにはそんな気の利いたものないみたいだしね。デジりんごかデジマスあたりで我慢してちょうだい」
ビクッと体がゆれる。ボタモンはこの世の終わりみたいな顔をして全身が震え始め、猛抗議しだした。
「覚えてないんじゃないかと思って悲しくなった気持ち返しなさいよ、アンタね!生意気いってんじゃないわよ、ボタモンのくせに!覚えてるんじゃないの!」
ジュンの声に太一たちが反応するのはもう少しあとのことである。選ばれし子供たちを含めた彼らの2年半の夏休みは始まったばかりだ。