多分、月一くらいの頻度になるかと……
「なに、司令と夫婦喧嘩したんだって?」
「......ッ!?」
あきれ顔で唐突に投げかけられた言葉。夫婦喧嘩という言葉に、かがは二つの理由で赤面した。
一つは、相変わらず非常時だというのに、当の艦長が個人的な事情で艦内を混乱させてしまったこと、迷惑をかけたことへの後悔と羞恥心。
そして、二つ目は単純に「夫婦」という言葉に驚き、そしてその意味に気付きなぜか嬉しく、そして恥ずかしくなったからだ。
赤面し、硬直してしまったかがを半眼で見つつ、天羽はため息をついた。
「やれやれ......お似合いだとは感じてたけどさぁ......いや、夫婦喧嘩は......ないわー」
「そ、そんなこと!そもそも夫婦喧嘩なんかじゃありませんし私とあの人は恋人ですらありません!バカにしないで頂戴!」
「......とりあえず、ここであんたの黒歴史さらに一つ増やすことはやめとくけど、これだけは言っておくわ。
―――何もかも一人で背負うのが傲慢だというなら、司令が背負っているものが司令にとって重石だと決めつけること、そしてそれが自分に解決できると考えること、それも傲慢なんじゃないの?」
その言葉は、まるでナイフのように心の隙間に突き刺さった。
言われてみれば、確かにそうだ。
司令が何を背負っているにしろ、それに自分が関わる事で解決できる。その考えは、たしかに傲慢以外のなんでもない。
そして、かがは自分がそのような考えを持っていないとは口が裂けても言えなかった。
なぜなら、先程自分で言ってしまったのだから。
「いい、艦長?知ったら、悪化することだってあるのよ。だから
「......それもそうね」
かがは、俯いた。瑞鶴の方が、軍人としての正論を突いていたからだ。
独りで抱え込むな。それを言えるのは、あくまで平和なときだけだ。非常時には、人情なんてものは通用しない。
「......さ、もどりましょ?皆が待ってるわよ、艦長」
「ええ、そうね......貴女にしてはいいこと言うじゃない」
「それはどうも」
かがと天羽は連れ立って水密戸を潜り、仄暗い赤色灯が照らす艦内へと入っていった。
CICには先程と変わらない顔ぶれがおり、浮かない顔をした司令が副長の報告を聞いていた。
「艦長、入ります!」
妖精隊員の声と共に、かがは液晶画面の反射光に照らされた鉄の穴蔵へと足を踏み入れる。
かがに向き直った司令が、気まずそうな顔で口を開こうとしたものの、彼女の方が先に口を開いた。
「司令、私が言い過ぎました。先程の事は忘れてください」
「......わかった」
司令は頷く。
そして、再び副長へ視線を向ける。
副長は2人を見やって、口を開いた。
「では、艦長もおいでなさったところで今後の方針確認と行きましょう。
−−−現在、打撃群は司令の指令により南へ原速で航行中です。同行している南雲機動部隊はトラック泊地に入港いたしますが、打撃群各艦はトラック北200kmで変針、クェゼリンへの航路を取ります。
クェゼリン入港予定時刻は、7日0600。ここまではよろしいですね?」
「ああ」
「ええ、問題ありません」
「では、航海長、航路を」
「了解」
副長の指示に従って、航海長は前方の大スクリーンに予定航路を表示した。
一直線ではなく、やや大回りのルート。
その理由は、
「グアムだな?」
「はい。南雲長官の情報によると、グアム島にはアメリカの泊地及び飛行場があります。いくらこの時代の偵察機の航続距離が短いとはいえ、直進すると哨戒の潜水艦に見つかったり偵察機に発見される恐れがあるため、このような進路を取ることとしました」
「随伴の駆逐艦隊の燃料は?」
「〔あかし〕の生産プラントにより供給します。とりあえずトラックまでは持つかと」
「了解した。次に、クェゼリン入港後、だな」
一番の問題は、それなのだ。拠点を手に入れた後に、どうするのか。
こちらの手勢は少ない上に、時間がたっぷりあるというわけではない。
「無難な手は地道な情報収集だが......それだけじゃ間に合わない。それに、うちに情報戦に特化した兵員は多くない。」
「......ならば、敵深部への挺進、そして敵情視察による敵の行動把握......ですか?」
「そのとおりだ、かが」
司令は重々しく頷いた。
「挺進」とは、少数の兵力が主力より先んじて敵地へ侵攻する事を指す。「挺身」ほどではないが、損害も出やすい作戦だ。
しかし、主力と連携することにより総攻撃よりも大きい損害を与えることもできる。それを考慮して、司令は話を続けた。
「この辺は南雲長官や山本長官と話す必要があるが、多分我々の力を最大限に発揮できる戦略でもある」
「......了解。しかし、その場合の自軍の損害は?私達はたった6隻です。流石に深海艦隊南方方面軍全軍と正面切ってやりあえる程強くはありませんよ?」
「......そこは、80年後の戦術の出番ってやつじゃないか?まあ、とりあえず引き剥がして各個撃破が手っ取り早いだろうな。敵深部に、奴はいるはずだ」
「......司令の手腕、拝見させてもらうとしましょう。分かりました、当面はその方針で作戦行動を継続しましょう」
かがは、ため息とともに頷いた。
第三次世界大戦では挺進作戦など日常茶飯事だったが、まさかこの時代に来てまでそれを行う羽目になるとは流石に思っていなかったのだ。
「まぁ、とにかくやってみるしかないでしょうね」
* * *
「かが、少し良いか?」
「......構いませんけど」
CICを出たすぐのところで、司令は唐突に話しかけた。
かがの返答がつっけんどんになってしまったのは、喧嘩してしまった事を考えれば、まぁ仕方ないだろう。
しかし、司令はいつになく真剣な、そして疲れ切った顔でかがに向き直った。かがも足を止める。
「......お前は、俺が隠しているものを、知りたいか?」
「ーーーッ!?」
まさか、司令の方から言ってくるとは思わなかった。驚愕しつつも、まるで何かに操られたかのようにコクリと頷いた。
しばしののち、彼女の姿は司令私室にあった
彼の部屋は綺麗に整っており、そして余計な物は1つもなかった。
ティーパックから紅茶を2杯淹れて、お互いに一口のんで一息つく。
そして、司令はおもむろに問いかけた。
「これは、多分お前にとって最も辛い事だ。......それでも構わないな?」
「ええ。私は覚悟してます......焦らさないでください」
その答えを聞いて、さらにため息を1つ。
そして、語り出した。彼の隠していた、秘密を。
「作戦文書には、2枚添付書類があった。1枚目は予想される手がかりの位置。そして2枚目は、ーーー加賀参謀長直々の、俺宛の私信だ」
「ーーーえっ!?」
そこに愕然とするかが。母親が司令に手紙を出した、その真意がわからない。しかも、自分にではなく。
「............手がかりの方は近いうちに明かそうと思っていたが、手紙は正直誰にも知らせたくは無かった」
「......続けてください」
「ああ。......その内容は、多分お前たちの心を折りかねないからな。ただ、お前がそこまで言うのなら話そう。
読み上げるぞ。
ーーー拝啓、天城鷹見海将補殿
私には、貴方にだけ伝えておかなければならない事実があります。それは、貴方たちが去った後の私たちのことです。
単刀直入に言うならば、敵対する深海棲艦を含め私たちは消滅します。なぜなら、歴史を巻き戻しているからです。この行いは、それだけの禁忌なのです。
しかし、座して死を待つのか、それともせめて人間足らんと戦い、斃れるのか。それは別の問題ですし、少なくとも、私は後者を望みます。
この作戦を認可するにあたり、三笠様と内閣総理大臣で何度も話し合いました。なぜなら、70億もの命を一瞬で刈り取るにも等しいのですから。しかし、結論は、やむを得ないでした。
どうせ、生き残れる確率は極めて低く、もう不可逆地点は通り過ぎてしまったのです。ならば、「やり直す」方が良いと、そう考えたのです。
この数多の命の重みを貴方1人の双肩に乗せてしまうことは正直心苦しいです。しかし、それは結果として何倍もの命と未来を守ることに繋がるのだと。理解してくれると幸いです。
結びに、このことは我が娘、かがには伝えないでください。あの娘はどこまでも優しく、そして傷つきやすいのですから......
貴方達の天下無双の御武運を祈って
静かに話を聞いていたかがの顔から、表情が落剥していた。見開いた目は虚ろで、全身がかたかたと小刻みに震えている。色あせた唇から言葉のカケラが零れ落ちた。
「かあ......さん?嘘......」
その様子を見て、司令は深く後悔した。やはり、何としても聞かせるべきでは無かった。
敵や同僚はおろか、愛する家族すらもういない。その事を知ってしまったかがは、ただ泣くしかできなかった。
せめてもの救いにならないかと、司令はなけなしの言葉をかける。
「......かが。たしかに、加賀さんや他の家族はいなくなってしまったかも知れない。でも、逆に言えば今から生まれてくると言うことなんだ。その未来を守ることがーーー特別打撃群の至上命題だ」
ーーー馬鹿か俺は。
言ってから、これでは励ましにもならないではないかと後悔した。
しかし、彼の後悔に反して彼女は、毅然と顔を上げ、口を開く。
「いえ、伝えてくれてありがとうございます。貴方が伝えたく無かった理由も、よく分かりました。だから、私もそれを受け入れましょう。......これから生まれてくる仲間達を守るため。......戦う理由は、見つかりました」
彼女の目は、涙に潤んでいた。
人間は、本当に辛いことがあった場合泣けないのだと言う。感情がカットオフされてしまうからだ。
しかし、かがが泣けたと言うことは、ある程度立ち直ることができたのだろう。未だ溢れる涙に濡れそぼった顔で、彼女は言葉を投げかけた。
「ですが、司令。............今は、そばにいてくれませんか?」
「............ああ」
かがは、司令の胸の中で泣いた。
まるで子供のように、一晩中。司令はそんな彼女を優しく撫でつつ、月明かりが照らす虚空を見つめていた。
翌朝の総員起こしの時間、寝不足と泣き腫らしたため目が赤く腫れてしまったかがが天羽に爆笑されたが、彼女は珍しく、それを大人な笑みで見ていた。
* * *
翌々日の夕方、〔かが〕以下5隻からなる打撃群は南雲機動部隊より離脱、取舵を取って一路クェゼリンを目指した。
幾度も行われた南雲との会議を経て、証人兼案内人のような役割で第17駆逐隊より駆逐艦浦風と磯風が同行することになっている。
「南雲機動部隊より電文!“コレヨリ当艦隊ハトラックへ入港スル、護衛感謝”」
〔かが〕CIC内に、通信長の電文読み上げの声が響いた。
それに対して小さく頷いた司令は、そこまで大きくない、しかしよく通る声で下命した。
「全艦、第2種警戒配備のまま航行。クェゼリンの入港予定は明朝だ、ヘマはするなよ。
それと、この海域に敵潜がいないとも限らない。〔いかづち〕〔いなづま〕はソナー警戒を厳とせよ。また、〔浦風〕、〔磯風〕も対潜警戒を頼む」
この海域は日本海軍の勢力圏ではある。しかし、当時の日本の対潜水艦作戦はお世辞にも成功していると言えず、勢力圏内であっても敵潜がいないとは言えないのだ。
『〔浦風〕より〔かが〕、了解じゃ』
『〔磯風〕より〔かが〕、承知した。大丈夫だ、任せておけ』
無線機から、頼もしい返事が返ってくる。
両艦にも野戦用の無線機材を渡しており、この時代のあてにならない無線機よりはよっぽどましな通信環境を整えてあった。
「さて、かが。哨戒のヘリは飛ばしてあるな?」
「ええ。3機体制で回しています。また、E-2J哨戒機も飛ばしているので、敵潜や敵艦、敵機については見逃すことはないかと。ああ、ちょうどヘリとE-2Jがそれぞれ交代する時刻です。浦風さんや磯風さんはちょっと驚くでしょうか」
「了解。まあ、サプライズみたいなものだ。じゃあ、あとは何事もなく入港できることを祈るばかりだな」
そのころ、駆逐艦〔浦風〕の艦橋ではちょっとした騒ぎになっていた。
「な、なんじゃあの飛行機は!?重巡から垂直に飛び立ちおった......」
「艦長、空母の上空で友軍航空機が静止しています!?」
『左舷見張りより艦橋、友軍の大型航空機が煙と共に急加速して発進して......』
簡単に言うと、SH-60K及びE-2Jに驚いているのだ。
彼女たちの常識ではありえない機体だ、その反応になるのも当然だろう。
ただし、ただ見とれているばかりではなかった。
「水測長、探信儀の発信はやめるのじゃ。おそらく、彼女たちのソナーの邪魔になっとる」
「は、はい......?」
「うちが搭載しとる九三式水中探信儀はただでさえ当てにはならんけぇ、素直に頼った方がよか。それより、聴音器に耳を澄ませとき。敵潜の魚雷はそっちのほうが早くわかる」
探信儀を担当する水測員が探信儀のスイッチを落とし、呼応して艦の側面に搭載された九三式水中探信儀の発信が止まった。
「了解です......現在、異常なし」
それでよし、と浦風は頷いた。
「最後に物を言うのは人の力やけぇな、心してかかっとき」
* * *
深海艦隊ミッドウェイ基地および太平洋方面軍司令部では、大変な騒ぎとなっていた。
4日前に発生した南雲機動部隊の爆撃による基地損害もそうだが、それ以上に所属する航空隊の8割を喪失したのだ。
ミッドウェイから南雲機動部隊に向かって繰り出された攻撃隊が全機未帰還、その上第3機動部隊所属の航空部隊も攻撃に向かった機は軒並み帰ってこなかった。
いくら敵の零戦が強力で、乗るパイロットたちも熟練だとはいえ、護衛の艦戦すら1機残らず行方不明とは由々しき事態である。
「司令、捜索に出ていた第55水雷戦隊からの電文によれば、味方機と思われる破片多数、生存者は今のところゼロ。......どうやら、全機敵戦闘機に食われた模様です」
「......やはりか......ミッドウェイの中間に打電、対空警戒を厳とせよ。確かこの基地には余りの警戒レーダーがあるはずだ、それを届けてやれ。......ちっ、第3機動部隊は第2次パールハーバー作戦を成功に導いた精鋭だぞ......!」
ハワイ島パールハーバー、その真新しい建物の中で中部太平洋の深海棲艦を率いる総司令は頭を抱えた。
今回壊滅した部隊は、虎の子中の虎の子だったのだ。
「了解、姫司令」
「......はぁ、仕方ない、当面は作戦行動は不可能だ......南方からの補給線はかなりきつくなっている、北方からの補給を待つしかない、か」
南雲機動部隊をはじめとする日本軍が去ってから改めて、さらに大軍で襲いかかった第2次パールハーバー作戦。
奇襲が成功し真珠湾の基地を確保したものの、その直後にマーシャル諸島に日本軍が進出、補給線が危うくなった。
ちょうどダッチハーバーを北方棲姫率いる艦隊が奪取したため、そこからの補給が望めるが、心細いことには変わらない。
その時、紙束を手にした士官が走り込んできた。
なにやら急いできたらしく、汗だくになっている。
その士官が紙束を差し出して興奮した様子で口を開いた。
「中枢棲姫司令、第8機動部隊からの電文、生存者を確保した模様!」
「なに!?命の別状は!?」
多数の味方機の消息が途絶えた海域で、機動部隊が重要な証人を入手したとの報告だった。生存者がいれば、状況を把握しやすくなる。
そして、誰一人生きて帰らなかったよりは生存者がいた方がまだ救われる。
「命に別状なし、奇跡的にほぼ無傷とのこと!どうやら、零戦に撃墜された艦攻のパイロットの模様」
「......了解、彼は丁重に看護してやれ、何かショックを受けているかもしれん。それと、私が直々に見舞いに行こう」
「ええっ!?」
総司令官たる彼女が直々に見舞いに行くというのは異例であるが、それだけの理由があるということだ。
驚く副官を尻目に、彼女は決意した。
この戦いには、裏で暗躍していただれかがいる。
必ずやその姿を暴かんと。
ここまで舐めた真似をしてくれたのだから、それ相応の応酬をしてやろうと。
* * *
とある、暖かな日差しが差す朝のこと。
「司令、ほら司令!起きてください!」
「......ん......?ああ............」
1人の寝間着姿の女性が、隣で布団にくるまって眠る男性の肩を叩いて起こしていた。
しかし、彼はなかなか起きない。
「あと5分............」
「す、すでに総員起こしは過ぎちゃってるんですよ!?ほら、早く!」
枕元に置かれた時計が指すのは午前6時7分。
起床時刻が6時であるため、寝坊気味ではある。
「今日はお客が来るんでしょう!?」
「ああ......そうだったな......悪いな、神通」
そう言うと、男性は体を起こして大きく伸びをした。
筋骨隆々というわけではないがよく引き締まった体だった。顔はどちらかというと細面の、30歳前後の男。
「はぁ............とりあえず、早く着替えちゃってください。今日は本当に色々あるのですから......もう朝ご飯も出来てますよ」
「ああ、ありがとう」
よっこらせという掛け声と共に、起き上がった。そして雨戸を開け、外に広がるいつもの蒼い海を見ようとして、
「............なぁ、神通」
「なんでしょうか?」
そこには、想像を外れた光景が広がっていた。
いつものクェゼリン軍港だったが、沖に停泊している艦がおかしい。
「......あんな艦、帝海に所属していたか?」
「え......?ちょっと見せてください......」
クェゼリン泊地の沖合に停泊していたのは、6隻の見知らぬ艦。
2隻は空母、そして残りの4隻は巡洋艦のようだった。
直線を組み合わせて構成されたそのシルエットは、明らかに時代が違うということを理屈ではなく本能に語りかけてくる。
巡洋艦と空母だけというのも珍しいが、その艦隊の付近に帝海の新鋭駆逐艦が2隻航走していることを見てとり、合点がいった。
あの艦隊が、昨夜極秘無電で告げられた「お客様」だ。
「司令、あれって......!」
「......『お客様』ってのはあながち間違ってないかもな!よし、神通!ちゃっちゃっと飯食ってお出迎えに行くぞ!」
「......了解!」
彼は、「華の二水戦」と言われる第2水雷戦隊を率いる司令官だった。
そして、彼の傍らに常にいるのは艦娘神通。2水戦の猛者を取りまとめる旗艦である。
大慌てで食事をかき込み、軍装を身にまとって家を出る。
クェゼリン泊地の司令部施設は、この丘の麓だ。いつもどおり、自転車を使うことにした。
「神通」
「わかってますよ......よいしょ」
アルミフレームの自転車に跨がり、後輪上の座席に神通が横座りに座る。彼女がしっかりと腰に手を回し固定したことを確認して、自転車を漕ぎ出した。
真っ白な軍装にしがみつきつつ、神通はふと思う。
(こんな日が、いつまでも続いてくれればいいのですけれどね)
燃料タンク横の道路を走り、庁舎の群れを通過。
ここは小さな泊地であるため、通信所なども比較的小規模だ。
10分ほど走れば、そこはクェゼリン泊地の司令部施設だった。
自転車を止め、汗を拭ってから建物内へ入る。
すぐに、開け放たれた大きめの事務室から声がかかった。
「小柳少将、久しぶりじゃけぇの!」
「ご無沙汰してる、神通さん」
執務机の側に立っている、2人の少女。軍事施設にあるまじきその若い姿は、艦娘そのものである。
姉の浦風と、妹の磯風。
彼女たちはこの泊地の常駐戦力ではないため、おそらくは今さっき入港してきた駆逐艦の艦長なのだろう。
彼女たちの声に応えて、小柳司令は右手を振りながらよく通る声を発した。
「おう、元気してたか?」
「おかげさまでの。それはそうと大佐、外に停泊しとる艦隊はみたかの?あれは凄いとしか言いようがない艦隊じゃけぇ」
「ああ。最早、時代が違う、そう言うしかないな」
「そうなのか?まあ、お前らがそう言うならそうなのかもしれんが......」
「まぁ、会ってみるのが早かろ。......というわけだ泊地提督、早う入港許可下すのじゃ」
浦風が、机の方を振り向いてにらみつける。
その先には、怯えきった中年の男がいた。きっちりとした軍装を着た、いかにも四角四面といった男だ。状況が飲み込めていない小柳は、磯風に耳打ちした。
「......はぁ、とりあえずどうなってるんだ?」
「......私達と同行していた艦隊の入港許可をもとめているのだが、それが一向に降りない。業を煮やした姉さんがこうして直談判しているが、話が一向に進まないんだ......」
「......まあ、確かにこいつは融通聞かないしな」
クェゼリン泊地提督は、規則に厳格な男だった。彼の判断基準は、軍法で認められているか、上官の許可は出ているかだ。
そして不味いことに、沖合に停泊している艦隊ーーー海上自衛隊特別打撃群のクェゼリン入港は南雲の口約束だけで、正式な命令書は回ってきていなかった。
唐突に、バンッという机を叩く音が響いた。音の主は、泊地提督だった。
「とりあえずだ!小官は素性もわからぬ艦隊を入港させるわけには行かない!補給なんてもってのほかだ!今は戦時中だぞ!?トロイの木馬のようにだまし討ちされる可能性がないとは言えないではないか!」
激昂して、まくしたてる痩身の男。
傍から見ればヒステリーにしか見えないかもしれないが、正論であり彼もまた大真面目だった。
「ああ!?ならうちらが補給を受けさせてもろうたのは、護衛してもろうたのはどういうことじゃ!?それこそ彼女らが敵ではない証左じゃろうが!そもそも、彼女らが本気を出せば連合艦隊はおろか日本など一瞬で消し炭にされるけぇな!?」
「五月蝿い、駆逐艦風情が!情や情けで戦っているわけではないのだぞ、そんな甘ったれた理論が通るか!大体そこまでの力を持っているなら、なおさら危険ではないか!」
互いに、周囲のことが目に入らなくなるほどヒートアップする。両者ともに顔を真っ赤にして、もはや誰にもとめられないかと思った、まさにその時。
プルルルル。
突然の電子音が鳴り響いた。驚き、しんと静まる室内。この音は電話機や無線機ではない。
「......すまない、私だ」
音の正体は、磯風の制服、そのポケットに入っていた端末が着信音を鳴らしたのだ。
一同があっけに取られる中、近未来的な液晶画面を操作して、机の上に置く。
液晶画面に、隙なく第2種軍装を着こなした
『これでよし......久しぶりだな、泊地提督、二水戦司令、そして浦風、磯風。俺だ、南雲だ』
「な、南雲長官......それに、山本長官!?」
南雲とともに画面に映っていたのは、連合艦隊司令長官の山本五十六中将その人だった。
『ああ。この“戦術端末”とやらは本当に便利だな......。さて、俺も南雲もくだらない前置きは嫌いだからさっさと本題に入ろう』
「本題、とは?」
『そこで待機している艦隊についてだよ。―――泊地提督、即刻艦隊の入港許可を。また、彼女たちに十分な補給を行え』
神通や小柳も驚愕したが、それ以上に驚いたのはほかでもない、泊地提督だった。素性のわからない艦隊を入港させろという命令が、本当に下ってくるとは。
「......それは、長官方の独断でありますか?」
たとえ階級が上でも、正規の命令系統になく、その上独断ならば従えない。その意味を含んだ問いを投げかける。果たして、南雲の回答は、
『俺の隣に山本長官がいるのがいい証拠だろう?なんなら横須賀の三笠元帥の命令書もあるぞ?』
というものだった。
「「「み、三笠元帥!?」」」
その名の重みを知る3人の少女は、驚愕に口もふさがらなくなった。
三笠元帥が認可した。
それは、艦娘艦隊に対する命令に限りありとあらゆる行動が認められるということでもある。それだけの権力が、当時の彼女には与えられていた。
『というわけだ、さっさと彼らを入港させるんだ。抗弁は聞かない』
「し、しかし!」
『いいか、これは命令だ。帝海の軍人ならどうするべきかわかっているだろう?』
「は、了解!」
命令の語に弱いのは、軍人の習い性だ。そして、ここまで強引に進めるあたり、その艦隊というのは相当に重要な存在なのだろう。
* * *
『クェゼリン泊地より“海上自衛隊特別打撃群”、入港を許可する。4番バースへ接舷せよ』
「入港許可感謝します」
司令がインカムのスイッチをオフにする。
たった今、入港の許可が下されたのだ。
〔かが〕CICでは、どことなく安堵の空気が漂っていた。久しぶりに陸に上がり、骨を休められるのだから。
「......しかし、のどかなところですねぇ。敷地内には民家らしきものもありますよ」
「副長、それもそうだが、E-2Jによれば大規模な飛行場がない。これは少しばかり厳しいぞ」
「......作りましょうか」
「......あかしなら洋上に何か作りそうだな。まぁいいか。......それにしても、まさか先客として神通さんがいらっしゃるとは、ね」
「停泊していたのは川内型1と、改白露型が4、陽炎型が2......それと、先行した浦風さんと磯風さんですね。神通、海風、山風、江風、涼風、陽炎、不知火......第2水雷戦隊ですか」
「にしても魚とか美味そうですよね。食料も自給自足できなくはなさそうですし」
「〔あかし〕がたしか植物工場試作していたはずだが」
雑談に見えて真剣な会話をしつつ、艦を進めてゆく。
微速前進、精密なかじ取りで、タグボートなしに完璧な接舷をして見せた。ガコンッというゆるい衝撃とともに艦が停止し、即座にもやい綱が下ろされる。お互いに本能で味方と判断したのか、もやい作業中特に険悪なことになることはなかった。
「お見事です、航海長」
「ええ。この艦の特性はすでに把握済みですから。回避機動では負けますけど、平常航行だったら負けませんよ」
「言ってくれるじゃないですか。頼もしい限りです」
「......見ろ、〔まや〕や〔いなづま〕も接舷している。あっちは目刺し停泊するみたいだな.........あ、〔あかし〕がミスって思いっきしぶつけてやがる......」
他の艦も一部を除き順調に入港作業を進めているようだった。
クェゼリン泊地はそこまで大きくないため、15隻もの戦闘艦が停泊するといっぱいいっぱいになってしまう。
というより、すでに足りなくなっているため「目刺し停泊」している艦が半分以上を占めていた。つまり、同型艦が並んでまるで「目刺し」のように一つの桟橋を共有するのだ。
そんな入港作業を見やりつつ、かがは念を押すように口を開いた。
「さて、入港したらそれで終わりではありません。わかってますよね、司令?」
「正直忘れたかったがな。はぁ……泊地の提督への説明と各種許可って、初っ端からつまずいているじゃんか……」
「まぁ、こうなることも想定済みですから。普通ならあんな反応でもおかしくありませんよ」
「仕方がない、やるか」
数刻ののち、クェゼリン泊地の事務室では3人の男、そして端末越しにさらに2人の男が向き合っていた。
沈黙の中、最初に口火を切ったのは携帯端末越しの南雲だった。
『俺に関しては、紹介は不要だろう。まぁ、先の救援感謝する』
『......はじめまして、天城鷹見海上自衛隊特別打撃隊群司令。私は連合艦隊司令長官の山本五十六だ。
―――重ねて、機動部隊の救援に対し感謝する』
「......お会いできて光栄です、長官。機動部隊については、本職の信ずるところに従って行動しただけであります。また、泊地入港の口添え感謝します」
「......改めて、私はこの泊地の提督、階級は少将だ。......これから、よろしく頼む」
「最後に、俺はニ水戦司令の小柳、階級は同じく少将だ。よろしく頼むぞ」
それぞれ一通りの自己紹介を終えたところで、山本が本題に切り込んだ。
それは、帝国海軍と海上自衛隊が時を超えて共闘するにあたり、必要なことでもあった。すなわち、腹を割って話すことだ。
『まず、この通信が敵に傍受されることはないな?』
「ええ。南雲長官にお渡しした戦術端末は海上自衛隊が支給しているもので、無論機密保持に関しては相当の手段が練られています。
通信はSSL通信、すなわち高度に暗号化された通信方法で行われます。この時代の技術はおろか、80年後であっても解読および傍受は非常に困難とされる代物です。なので、深海棲艦にも米軍にも傍受は不可能です」
『ならば安心して話せるな。さて、天城海将補、質問だ。
―――アルフ・レングサントとやらが帝海に与えるであろう影響には、どのようなものがあるか?』
「......南雲長官、山本長官にはどの程度まではなされていますか......といっても聞くまでもなさそうですね」
『ああ。聞いたことは山本長官のみに洗いざらい話してある。だから、80年後に世界がどうなっているかもすでに把握されているはずだ』
「なるほど......単刀直入に言いましょう。
―――彼が帝海に直接及ぼす影響はほとんどありません」
『......すなわち?』
山本が先を促す。その言葉の裏に何かがあることはすでに見抜いていたらしい。
眼はまるで獲物を狙い定めるかの如く細められており、冷静に次の言葉を待っていた。
その眼光に、会話には加わっていないかがや神通、浦風や磯風が思わず怯んだ。泊地提督など、緊張でがちがちに固まっている。
しかし、その眼光を一身に受けた提督はおびえず怯まず、いっそ傲然と言葉を発した。
「ですから、交換条件です。
特別打撃群は、帝海の作戦に協力しましょう。
その代わり、あなた方も私たちに協力してください。
―――約束しましょう、第三次世界大戦は必ず阻止すると。そうしなければ、そこで発生した数多の犠牲上に立つ我々は生きることを許されなくなってしまいますから。
あなた方にとっては実感のない話でしょう。しかし、このままだと起こり得る未来です。そして、それを防ぐためには今行動をしなければ間に合いません」
『なるほど、利害は一致……ということか?』
「あなた方が、第三次世界大戦を防ぎたいと思うのならば」
そう言い切って、彼は言葉を締めくくった。
再び、重い沈黙が降りる。
やがて、決心したかのように山本は顔を上げた。
『わかった、私がそちらへ行こう。対面して話した方がいいことも多いだろう、ここは一気に決めようか』
「「「えっ!?」」」
一同が、場に合わない声を上げてしまったことも仕方がない。なぜなら連合艦隊の司令長官とあろうものが持ち場を離れて、独断ではるか辺境へ赴こうとしているのだから。
『南雲君、すまないが留守中よろしく頼む。私の身一つで行くわけにもいかないから、多分武蔵あたりを連れて行くことになりそうだな。
三笠は今横須賀に戻ってしまっているしな。
ーーーそれと天城海将補。実は協力の件に関してはその三笠から直々の命令書が出ている。
遠慮せず、必要なものがあれば言って欲しい。
よろしく頼むぞ』
一同は、その決断力と行動力にあっけにとられるしかなかった。
補足
戦術端末とはiPh◯neの改造品で、流体メモリや耐衝撃カバーの装備によって野戦使用できるようにしたもの。
今回はE-2Jで中継して繋いでいた。