ふわっといずデス?   作:とりなんこつ

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第1話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、飲み物を求めて自販機コーナーへと向かった藤尭朔也が、暁切歌と出会ったのは誓って偶然である。

 

 

 

自販機の横のソファーの端っこで膝を抱えて座る少女。丈の短いスカートから剥き出しの太腿はえらく健康的に見えたが、それだけだ。

藤尭にとって、リアルJKがどうこういうよりも、装者自体がアンタッチャブルな認識である。

心象心理を具現化し、シンフォギアとして身にまとう装者のメンタルケアには細心の注意が払われていた。

ゆえに専門性のスキルを持たない藤尭としては、事務手続き等の会話をした記憶しかない。

それでなくても切歌はレセプターチルドレンの一人である。

最近、高校生活に馴染んできたとの話は耳にはしているが、FISとして活動する以前は正規の教育を受けてきたとは言い難く、情緒的にも、同じ年代の少女に比し、やや不安定であると藤尭は分析していた。

しかし、顔を見てしまった以上、ここで回れ右して戻るのも変な話である。

努めていつものように振る舞い、個人用端末を使ってキャッシュレスで缶コーヒーを購入。

がちゃん! と思ったより大きな音と一緒にコーヒーが吐き出され、切歌がビクッと身体を震わす。

そして、目が会った以上、声をかけないのも不自然だ。

 

「…えーと、切歌ちゃん、どうしたのかな?」

 

「藤尭…さん」

 

大きな目がたちまち潤み始めた。

なんか面倒臭そうだぞ、と直感したが、決して表情には出さない。

大人だってやせ我慢をするのだ。

 

「とりあえず、温かいものでも、どう?」

 

藤尭は手に持った缶コーヒーを差し出して言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「調が…調が…」

 

コーヒーの湯気で涙腺が緩んだのか、鼻水と涙をズビズビさせながら切歌は繰り返す。

 

「うん、調ちゃんがどうしたのかな?」

 

ポケットティッシュを差し出しながら藤尭は促す。

結果として、予感は的中。そして話も良くある内容。

些細なことで喧嘩になり、互いに言い争い。

その流れで、切歌は思わずこう切り返してしまったという。

 

『アタシの方が調より少しだけお姉さんなんだから、言うことを聞くデース!』

 

確かに切歌の方が一年ほど年長になる。

調にしては、自分ではどうしようもない埋められない差で言い返されたのだから溜まったものではない。

 

『お姉さん? 切ちゃんはどっちかというと妹だよ』

 

『そんなことないデス! アタシがどれだけ調のことを守ってきたか…!』

 

『おさんどんは私より下手でしょ?』

 

噛みあわない上にすれ違う互いの主張は、止めるマリアも居なければ際限なくエスカレート。

そしてとうとう、

 

『だったら切ちゃんが年上らしいところを見せて!』

 

『わかったデス! しっかり 淑女(れでぃー)らしいところを証明してみせるデース!』

 

『淑女らしく、ってなに?』

 

『そ、それは…素敵な男性にエスコートされる大人の女性ということデース!』

 

『そんなの切ちゃんには絶対無理だよ!』

 

『そんなことないデスッ!』

 

互いに言い捨てて、喧嘩別れ。

家を飛び出した切歌は、他に行く宛もなく、S.O.N.G.本部まで戻ってきたという。

 

 

 

 

 

「アタシは、どうしたらいいんデス?」

 

「………」

 

そんな目で見られても、その、困る。

しかし、困惑をおくびにも出さず、藤尭は微笑んで見せた。

内心では死ぬほど面倒臭くなったと溜息を連発している。

だいたいこの年頃の女の子の扱い方など知らない。

淑女の定義はともかく、素敵な男性ってなにさ?

まあ、夢に夢見るお年頃なんだろう、と分析しては見たが、何の解決にもなっていなかった。

とりあえず、これは司令たちに下駄を預けたほうが良さそうだ。

そう判断したものの、濡れた瞳で見上げてくる少女の前から何も言わずに去るわけにも行かない。

 

「そう…だね。一度、男の子とデートでもして見せたらいいんじゃないかな…?」

 

後日、この発言は迂闊かつ無責任だったのでは、と藤尭は大いに反省することになる。

 

「でーとデスとッ!?」

 

一転、切歌は瞳を輝かせた。

 

「あ、あの、男の子と遊園地で遊び放題、おやつもご飯も食べ放題なデート…ッ!」

 

何かおそろしく認識にズレがあるような気がする。

しかし、もはやこの時点で藤尭は限界だった。

 

「それじゃあ、オレからも司令たちに相談してみるから…」

 

身を引きながらそろそろと後ずさり。

 

「是非お願いするデスッ!」

 

ああ、真っ直ぐな眼差しが胸に痛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほう、切歌くんがデートとな?」

 

藤尭の報告を聞いた風鳴弦十郎が実に面白そうに言う。

 

「なるほど、色を知る歳か…」

 

失礼しますと一礼し、そう呟いた弦十郎の頭を、すぱこーん! と友里あおいが丸めた書類で叩く。

 

「司令。あの年頃の女の子は、夢に夢を見るものなんですよ」

 

彼女の言は、奇しくも藤尭の認識と一致していた。

オレの判断は間違っていなかったと藤尭はそっと胸を撫で下ろす。

 

「さりとて、夢は醒めて現実へと落ち着くものだろう?」

 

「今はまだ夢のままで満足させて上げればいいのではないでしょうか」

 

弦十郎と友里は良く分からない会話を交わしている。

オレの役割は終わったとばかりに自分の仕事に邁進していた藤尭だったが、直後の弦十郎の声にディスプレイにコーヒーを思い切り噴き付けてしまう。

 

「おい、藤尭。おまえ、いっちょ切歌くんとデートしてこいッ!」

 

「は、はあッ!? 何いってるんですかッ!?」

 

だばだばと口からコーヒーを零しながら慌てる藤尭に、弦十郎は太い指を折々話かけてきた。

 

「まず第一に、切歌くんにデートを御膳立てするにしても、迂闊な人間を立てるわけにはいかない。組織に関係ない第三者などもっての他だ」

 

「ま、まあ、そりゃそうでしょうね」

 

「第二に、いくらプライベートであれ、護衛が必要だ。しかしデート相手がずぶの素人では、警護対象が二つに増えてしまう。結果として予期せぬ危険を招きかねん」

 

「……」

 

「最後に、切歌くんが頼ったのは藤尭、おまえだ。そこは大人として最後まで対応すべきだろう?」

 

「そんなの、司令が相手してあげればいいじゃないですかッ!」

 

苦し紛れにそういうと弦十郎は大きく苦笑する。

 

「さすがに相手が俺みたいなおっさんでは、切歌くんも納得せんだろうよ。外見的にもな」

 

護衛としては無二だろう。だが弦十郎の言うとおり、客観的に見れば、弦十郎と切歌二人並べたとして、親子以上に見られることはまずあるまい。

 

「そ、そうだ。緒川さんに頼めば…ッ!」

 

「残念ながら翼さんのツアーで一緒に国外よ」

 

藤尭の足掻きを、友里が冷静に突き放した。

 

「…そうはいいますけど、オレだって彼女と一回りくらい歳が離れてますよ?」

 

「だが、見た目的にはそれほど悪くない取り合わせだと思うぞ。俺と違ってな」

 

弦十郎はそういって笑った。

 

「大人として、しっかりエスコートして上げればいいじゃない」

 

友里も笑っている。

 

気づけば完全に外堀が埋められつつある。

背中に冷や汗を流しながら、それでもどうにか藤尭はやせ我慢。

ああ、オレの貴重な休日が…。

唇を震わせないようにしながら訊いた。

 

「もしかして、二人とも面白がってませんか…?」

 

「そんなことはないぞ。おまえを男と見込んでのことだ」

 

「そうそう。切歌ちゃんの夢を壊さず満足させて上げれば、装者のメンタルケアの観点からも望ましいわ」

 

二人揃ってそう言われては、さすがにそれ以上拒否するわけには行かない。

まったく、すまじきものは宮仕え、というやつだ。

半ばやけくそ気味に叫ぶ。

 

「わかりました。今度の日曜日ですねッ!」

 

「ああ、なんなら時間外と代休を申請してもいいぞ? 本部の車も自由に使ってくれて構わん」

 

「保安部にしっかり映像資料を提出するよう言っておかなきゃ」

 

「…絶対に面白がってるでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

そして日曜日。

駅前の公園で、藤尭は切歌と待ち合わせ。

チノパンにTシャツとベストというカジュアルな格好で、藤尭はベンチの前に佇む。

…よもや、まさか本当にデートをする羽目に陥るとは。

しかも相手はリアル女子高生。

それはそれで貴重な体験かも知れないが、司令はちゃんと地元警察にも根回ししてくれているんだろうな…?

未成年保護条例で引っ張られたりしたら目も当てられない。

 

「お待たせしたデース…ッ」

 

待ち合わせ時刻の丁度五分前。

顔を紅潮させた暁切歌が現れた。

そしてその姿を見て、唖然とする藤尭がいる。

 

「どうしたの、その格好」

 

「え? 変…デスか?」

 

ヒラヒラのサテン生地のワンピースに、ともあればよろけそうなほど高いピンヒール。

 

「デ、デートに相応しい格好ってことで、色々調べたんデスけど…」

 

確かにデートの装いではある。

しかしそれは、どちらかと言えば夜にしっぽりと行われるデート用の格好だった。

おまけにしている化粧も、何で覚えたのか濃いグロスをべったりとつけている。

やはり知識に偏りがあるようだ。

そう分析した藤尭は、苦笑を通り越して脱力してしまう。

正直、全くの予想外。

 

「とりあえず、そこのブティックへ行こうか」

 

「え? え?」

 

困惑する切歌の手を引いて、駅前のブティックへ。

店員に可愛らしいコーディネートを依頼して、切歌を押し付ける。

奥の試着室へ引っ張られていった切歌は、ものの15分ほどで姿を現す。

紺色のブラウスに純白のフレアスカート。足もとは編み上げのブーツで、全体的にシックかつカジュアルにまとめられている。

 

「うん、似合ってるじゃないか。可愛いよ」

 

とりあえず、女の子は可愛いと褒めるに限る。たいがいオレも擦れてるね。

 

「そ、そうデスか…?」

 

満更でもない切歌を横目に、クレジットカードで支払いを済ませた。絶対に経費で落としてやると心に誓う。

着てきた服は紙袋にまとめてもらい、藤尭が持ってブティックを出た。

すぐそばのパーキングに、本部から借りてきたSUV車が留まっている。

紙袋を後部座席において藤尭は訊いた。

 

「さて、切歌ちゃん、どこか行きたいところある?」

 

切歌は目を白黒させ、

 

「で、でーとは男性がエスコートするものデスと本には…」

 

「うん、そりゃそうか。そうだね。出発するよ」

 

あっさりと認め、藤尭は車をスタートさせる。

切歌に敢えて尋ねたのは、藤尭自身がデートという意識が薄いことの表れだ。

どっちかというと、親戚の子供をどっかに遊びにつれていく感覚に近い。

それでも切歌が望むのであれば、それなりにデートの体裁を整えなければならないだろう。

車を走らせること数十分。とある建物の駐車場で車を止める。

 

「…ここは?」

 

怪訝そうな顔つきの切歌を、藤尭は建物へと誘う。

中に入るなり、切歌は感嘆の声を上げた。

ここはお洒落な外観の水族館。

天井まで張り巡らされた巨大な水槽の下を歩き、エスカレーターで地下へと降りる。

 

「み、見たこともないお魚さんがこんなにいっぱい…!!」

 

感動し、同時に喜んでいる切歌に、藤尭もホッと一安心。

デート先の候補に対し、他には動物園、美術館、遊園地なども考えていた。

しかし動物園は臭いが気になるし、美術館は展示内容によっては退屈だ。

遊園地ではしゃぐには、藤尭ほどの年齢になると少々辛いものがある。

よってセレクトしてみた水族館だったが、どうや図は当たったようだ。

巨大な水槽の中でキラキラと鱗を輝かせながら渦巻く小魚の群れなどは、十分大人の鑑賞に耐えるものがある。

はしゃぐ切歌を半歩遅れてついて回りながら、それでも気分は遠足を引率する先生に等しい。

 

「見て見て、藤尭さん! あのマンボウさん、まるで響さんみたいデース!」

 

「ほう、どれどれ?」

 

言われてみれば、なるほど、クリスに叱られて頬を膨らませる響にどこか似ている赤マンボウだった。

他にもペンギンコーナーや、ヒトデなどの海産物に直接触れるコーナーではしゃぐ切歌。

 

「すごく楽しいデース! 今度調もつれてこなきゃ…!」

 

無意識の想いが声に出たのだろう。藤尭は敢えて聞かないふりをする。

仲違いしても、本心はお互いを思いやっている。まったく可愛いもんだ。

 

「うわ、凄いデスね、ここ…!」

 

そんな切歌が一番大きな歓声を上げたのは、壁付された巨大なヒョウタン型の水槽にびっしりと浮かぶクラゲの群れ。

照明を押さえられたそのエリアでは、まるで無数の雪が舞うような幻想的な光景を演出していた。

 

「そうだね、凄いな」

 

賛同の意を示しつつ、水槽を眺め、藤尭は生来の分析癖を発揮している。

この水槽の容量に対し、クラゲ一匹あたりの占有面積は…。

 

「…藤尭さん?」

 

すぐそばで心配そうな表情で見上げてくる切歌がいる。

 

「ん? いや、ごめん、少しぼーっとしてた」

 

誤魔化すような答えは、切歌の表情を完全に晴らせなかった。

彼女なりに気づいたのだろう。

自分ははしゃいでいるけれど、果たしてエスコートしている藤尭は楽しいのかと。

 

やれやれ、こんな子に気を使わせちゃったか。

藤尭は微笑んで、近くの売店を指さす。

 

「ところで、クラゲソフトクリームってあるんだけど、食べる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜひ食べてみたいデース!」という切歌を水族館のイートインコーナーのベンチで待たせ、藤尭は売店でソフトクリームを購入。自分のぶんのアイスコーヒーと一緒にお盆に載せてそろそろと戻れば、何やら切歌が二人の少年に絡まれている。

 

「ちょっと、止めてくださいデスッ!」

 

「いいじゃん、遊びにいこうぜ?」

 

「一人でいてもつまらないでしょ?」

 

「あ…ッ」

 

嫌がる切歌の胸元からこぼれたギアペンダントが、少年の一人に鷲掴みにされ、ネックレスごと引き千切られる。

 

「なんだこれ? 変な形だな」

 

「か、返してくださいデースッ!」

 

「返して欲しけりゃ、少しおれ達に付き合ってくれよ。な?」

 

藤尭は歩きながら溜息。

ったく、保安部はなにやってるんだ?

同時に、少年二人の振る舞いに怒りを覚えずにはいられない。

 

「はい、そこまで。ストーップ」

 

それでもいきなり怒鳴りつけないのは、大人の矜持だ。

少年二人は怪訝そうに藤尭を見て、すぐに下卑た声を上げた。

 

「なんだよ、おっさん? お呼びじゃねーぞ?」

 

「ひょっとしてこの子の彼氏だってのか? やべー、ロリコンだろ、さては」

 

…そのロリコンの相手をナンパしているおまえらは何なんだ?

藤尭はそう思う。

自分でも線の細い方なので見損なわれるのは仕方ない。だが、二十歳そこそこのガキに笑われるのはともかく舐められるのは我慢できない。

はあー、と藤尭は溜息。

それから、挑発的な笑みを浮かべている二人のガキどもに最終通告。

 

「さっさとそのペンダントを置いて帰れ。今なら見逃してやる」

 

「はあ? なにイキってんだよ、おっさん…」

 

少年の一人が言い終わらないうちに、藤尭の右足が跳ね上がる。鋭すぎる前蹴りは的確に鳩尾を貫いた。

悶絶し嘔吐しようとする少年の顎先を、すかさず左ひざがカチ上げる。

あろうことかペンダントを持って逃げ出そうとするもう一人の背中へ向けて、藤尭の腕が翻った。

フリスビーのように飛んだお盆は狙い違わず後頭部を直撃。

転倒する少年の腕を背中から捻りあげ、腹とアゴを押さえて悶絶しているもう一人のところまで引っ張ってくる。

折よく、目前のエレベーターが開いた。

エレベーターの中には黒服サングラスの男たち。二課所属の本日の護衛部隊がおっとり刀で駆けつけてきたらしい。

そんな彼らのいるエレベーター内に、ガキどもを放り込む。

黒服たちと軽くアイコンタクトをし、エレベーターの扉は閉まる。あとは連中が上手く片付けてくれるだろう。

 

「さて、と」

 

藤尭は取り返したペンダントを切歌に差し出す。

 

「災難だったね。でも、大切なものなんだから、二度と取られちゃだめだよ?」

 

適合者も、ペンダントを取り上げられれば只の人か。

そんなことを思いながら切歌を見れば、ただただ彼女は茫然としていた。

 

「…藤尭さんってこんなに強いんデスかッ!?」

 

藤尭は苦笑する。

この程度の護身術など、S.O.N.G.職員としては必須能力だ。

まあ、確かに身近にいるのが超人揃いで、自分は目立たないかも知れないけれど。

 

「強さでいえば、とても君たちには敵わないよ」

 

ノイズや錬金術師と戦う彼女たちと比べればどうということはない。

一般人のチンピラをぶちのめしたところで、なんの自慢にもならないだろう。むしろ大人として少しやりすぎた感もある。

 

「あちゃ、クラゲソフトクリーム駄目になっちゃったね。もう一度買ってこようか?」

 

床に散らばったコーヒーと一緒に拭きながら言う。

 

「う、うん、結構デス。もうお腹いっぱいデス…」

 

遠慮するようにそういった瞬間、切歌の腹が派手な音を立てた。

赤面する切歌に、藤尭は笑う。

 

「そうだね、そろそろいい時間だ。お昼にしよう」

 

 

 

 

 

 

 

車に戻り、後部座席からバスケットを取り出すと、切歌が意外そうな顔をする。

どこかへ食べに連れていってもらえると考えていたなら、少し気の毒だなと藤尭は思う。

もっとも日曜の真昼間となれば、どこの飲食店も混雑している。

ならば予約すればと言われるかも知れないが、混みあった店内で食事をするのは藤尭の趣味ではなかった。

だから、切歌に申し訳ないと思いつつ、藤尭は公園の外れにある東屋のような一角に彼女を誘う。

以前も来たことがあるから知っていたが、そこは意外と穴場で、日曜なのに人影も少ない。

そこのベンチにシートを広げ、バスケットを開く。

 

「ほああああッ!?」

 

切歌の感嘆の声は、バスケットの中身を目の当たりにしたから。

カリカリのクロワッサンで作られたオープンサンドに、チキンのチューリップ揚げ。

丸いカップに盛られたのは桃と生ハムのサラダで、野菜スティックには三種ものディップソースが添えられていた。

 

「も、もしかして、藤尭さんが作ったんデスか?」

 

「ほんの手遊びみたいなもんだけどね」

 

肯定すると、心底驚いた顔で見られた。

懐かしい。昔付き合った女性も、みんなそんな顔してたっけ。

 

「い、いただきますデス」

 

「はい、おあがりなさい」

 

「!! お、美味しいデスッ!」

 

目を丸くしてパクつく切歌。

モリモリと食べながら、思い出したように顔を上げて言う。

 

「調の料理と比べても、すっごく美味しいデス!」

 

…いちいち面白い子だな、この子は。

もっとも褒められて悪い気はしないけれど。

 

ふむ、今日の出来はなかなかだ。

自分もサンドイッチを摘まみながら、藤尭は自画自賛。

その間も切歌は遠慮なく食べ続け、バスケットの中身はあっという間に殲滅。

 

「ぷはー、サイコーに美味しかったデス♪」

 

上機嫌に感想を漏らした切歌だったが、たちまちその顔は真っ赤に染まる。

どうも藤尭より多量に食べてしまったことに、今さら気づいてしまったらしい。

…本当にいちいち面白い子だ。

藤尭はそんな感想を抱きつつ、バスケットの奥底からタッパーを取り出す。

 

「デザートもあるんだけど、どう?」

 

「で、でも…」

 

「生憎と、オレは甘いものは苦手でね」

 

「…それじゃ、ひょっとして藤尭さんは、アタシのためだけに作ってきてくれたんデスか?」

 

「デートだもの。そんなの当たり前でしょ?」

 

まあ、初デートで自分の手作り弁当を食べさせる男なんていないだろうけどな。

藤尭はそんなことを思いながらタッパーを切歌に向けて差し出した。

一方、切歌は顔を伏せてタッパーを受け取ると、

 

「…ありがたく、いただきますデス…」

 

小声でぼそぼそっと言うと蓋を開けた。

 

「…ッ!」

 

顔は伏せられたままだが、息を飲んだのは分かる。

タッパーの中身一面は、茶褐色のココアパウダー。

その下は、芳醇でまろやかな甘みのチーズクリームが広がる。

スプーンで一口頬張り、切歌は顔を上げる。目はキラキラと輝いている。

もぐもぐゴクンと咀嚼すると、頬を紅潮させたまま叫ぶように言う。

 

「こ、この美味しいものはなんていうんデスかッ!?」

 

「これはティラミスってんだけど…食べたことない?」

 

「こんな美味しいもの食べたの、生まれて初めてデース!」

 

そんな大袈裟なと苦笑する藤尭の前で、切歌は興奮状態。

わっしわっしとスプーンを頬張る様子は一生懸命という言葉は相応しい。

まあ、それだけ喜んでもらえりゃ冥利につきるけど。

にしても、ちょっとばかりオレンジキュラソーが足りなかったかな?

漂ってくる甘い匂いにそう分析していると、ほっぺたに遠慮なくマスカルポーネチーズをつけたまま切歌は呟いた。

 

「藤尭さんとでーとすると、毎回こんな美味しいものが食べられるんデスか…」

 

「おいおい」

 

藤尭の突っ込みはまるで無視して、切歌は真剣な眼差しを向けてくる。

 

「なのに、どうして藤尭さんに彼女さんはいないんデス?」

 

精神的にも、肉体的にも、半歩ほどぐらつく藤尭。

それでもどうにか平静を装い、切歌に問いかける。

 

「ははは、切歌ちゃん、そんなこと、誰から聞いたのかな?」

 

「友里サンが言っていたデス」

 

…友里ぉおおッッ! オレの個人情報はダダ漏れすんのかよッ!

 

「まあ、女性ってのはね、自分より女子力の高い男は敬遠するもんなのよ」

 

同僚への怒りをおくびにも出さず、藤尭はそう答える。

もっともこれは事実の半分ほどだ。

原因の大半は、藤尭の持つ分析癖による。

かつて付き合った女性の中で結婚を考えた人もいた。

しかし、深く付き合えば付き合うほど、分析してしまう。

その人の嗜好や性格、その変遷の可能性。

将来的な収入と支出、それに伴う環境の変化。

いずれも己の中で完結させたもので、決して相手に伝えたことはない。

だが、女性とはそういう視線には非常に敏感な生き物のようだ。

 

貴方はなんでも見透かそうとするのね。

 

そんな風に別れを告げられたのはまだいい方で、自然消滅したことも多い。

 

「そうなんデスか…?」

 

不思議そうな顔で見てくる切歌。

 

「そうなんですよ」

 

ポットの紅茶を口に含み藤尭。

 

「でも、友里サンとかお似合いだと思うんデスけど」

 

「ぶおっ!?」

 

藤尭は咽る。

友里あおいは同僚で、確かに一番身近な女性ではある。

詳しくは聞いてないが、本部の女性陣の間ではそんな噂もあるようだ。

 

「残念だけどね、オレは職場恋愛はしない主義なの」

 

このポリシーに由来はない。ただ何となく嫌なだけだ。

他に、例の分析癖を働かせれば、仮に友里と結婚しても尻に敷かれる未来しか想定できなかったこともあるか。

自身のそんなクセを、時折疎ましく思う。

そもそも今日の切歌のデートを比較的あっさり承諾したのも、司令の言い出したことにいくら逆らっても無駄だと分析した結果である。

 

そういう意味においては、オレは諦めの良い男なのかも知れないな、ははは。

 

「…ふーんデス」

 

「まあ、切歌ちゃんもそのうち分かるよ」

 

「そのうちって、どれくらいデスか?」

 

思いのほか食い下がってくる。

 

「そりゃあ…好きな男の子が出来たくらい、かな?」

 

藤尭の見るところ、暁切歌と月読調は、立花響と小日向未来のような関係にある。

同性同士と眉を顰めるような潔癖さは持ってないが、そんな彼女たちも異性との付き合いは、また違う実感があるのではないか。

 

「それじゃあ…」

 

切歌が少しだけ躊躇してから、

 

「アタシ、藤尭さんのことを好きになってみていいデスか…?」

 

その訴えに、藤尭はあんぐりと口を開けて固まってしまった。

不覚にもハングアップして、ようやく再起動。

まず頭に浮かんだことに、今度はお茶を含んでなくて良かったとしみじみ思う。

間違いなく咽てしまったことだろう。

 

「あ、あのね、切歌ちゃん。人は好きになるもんで、好きになってみるもんじゃないと思うよ?」

 

諭すように言い返したのは一般論にしては少し弱いかも知れない。おまけにちと冷たいか?

 

「でも、アタシは男の人、好きになったことないデスし…」

 

切歌の呟きは、彼女の過去を知れば至極納得できるものだ。

レセプターチルドレンとして、マリア姉妹に月読調と肩を寄せ合い生きてきた。

フロンティア事変を経て二課に参入後、高校に通うようにこそなったがリディアンは女学院。

FIS時代に唯一接点があった男性と言えば、あのウェル博士だけというのも色々と救われない。

 

「だったら、調ちゃんを好きになったときのことは憶えている?」

 

「わからないデス。調のことは気が付いたら好きになっていたから」

 

「じゃあ、男の子に対してもそうじゃないかな。気づけが好きになっていると思うよ、きっと」

 

我ながら無責任というか力づくで収めようとしている気がしないでもない。

だが、同時にこれが限界でもあった。

ハイティーンの恋愛感にこの歳で共鳴するのは、なかなか辛いものがある。

 

「そういうものなんデスか…」

 

「そういうものです」

 

言い置いて、そそくさと藤尭はバスケットの片付けに入る。

時刻もちょうど昼下がり。

初デートの終わりにはちょうど良いかな? 調に対するアリバイ作りも成立しただろうし。

そんな考えはどうやら態度に出ていたようだ。

 

「藤尭さん」

 

切歌が縋るような目で見て来たので、藤尭は次の言葉を予想する。

 

『今日はこれで終わりデスか?』

 

「次はどこに連れていってくれるデスか?」

 

一転して切歌が微笑んだので、藤尭は驚いてしまう。

予想と違う台詞は元より、彼女の小首を傾げる様は、いきなり大人びて見えたからだ。

全く、この年頃の女の子はよく分からないな。不思議だ。

思わず、はい。と頷いてしまったオレも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

取りあえず、考えてきていたデートプランは弾切れだったので、適当にショッピング街をぶらつくことにする。

 

「普段は藤尭さんは何をして遊んでいるんデスか?」

 

「大人はね、あんまりおおっぴらに遊ばないの」

 

そんなことを言いつつ連れてきたのはバッティングセンター。

 

「ここは企業戦士たちのストレス解放の場なんだ」

 

世の中のサラリーマンの三割くらいからは支持を得られそうな自説を披露する。

野球のルールも良く知らない切歌にヘルメットを被せ、バッター席へと放り込む。

ろくにバットの握り方すらわからず、次々と飛んでくる白球に驚いていた彼女だったが、そこはイガリマの装者。

間もなく大根切りでぶった斬るように球を打ち返し始める。

 

「なかなか楽しかったデスね~」

 

上機嫌の切歌と入れ替わりに藤尭もバッターボックスへと立つ。

結果として、全ての球を打ち返し、一つはホームランゾーンへと命中。鳴り響くファンファーレ。

 

「今日はまあまあだな」

 

呟きつつ、ホームラン賞の景品であるジュースを切歌に渡せば、軽く尊敬の目で見られてしまった。

もっとも藤尭にしてみれば、球を打ち返すたびに切歌が大はしゃぎで応援してくれたのが目立ってしまって、周囲の好奇の目が痛い。

逃げるようにバッティングセンターを後にする。

 

「次はどんな大人の遊び場デスか?」

 

「そうだなあ。あとはカラオケくらいかな?」

 

「知ってますデス! クリス先輩たちと行ったことあるデス!」

 

そうは答えはしたものの、藤尭の趣味は一人カラオケである。

他人の歌を聞くのはともかく、自分の歌は聞かれたくない。

しかし、どうも切歌は次はカラオケに連れていってくれるのを期待しているようだ。

困った藤尭は、さてどうしようと視線を彷徨わせ、階層式のショッピングモールの吹き抜けから階下を見下ろす。

とあるものがあることに気づき、切歌の手を引いた。

 

「いいものがあった。行こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…いいものってこれデスか?」

 

一階の広場に設置されたグランドピアノ。誰でもご自由に弾いて下さいというピアノは、全国各地に結構設置されている。

 

「でも、アタシはピアノは弾けないデスよ」

 

「いいからいいから」

 

切歌を椅子の端へ寄せて座らせる。

 

「この黒鍵と白鍵だけを、リズムにのって押して」

 

「は、はいデス…」

 

切歌が弾く、単調な二音が周囲に響き始める。これだけでは、さすがに注意を払う人はいない。

 

「よしよし」

 

切歌の隣に腰を降ろし、藤尭は指をぽきぽきと鳴らした。

不安げに見てくる切歌を横に、一気呵成に鍵盤に指を走らせる。

 

「ふぁっ!?」

 

切歌が驚くのも構わず、藤尭の指は止まらない。奏で上げられる音色に、周囲の視線がぐっと集まってくるのを感じる。

弾いているのはショパンの『木枯らし』。クラシックの名曲だ。

これも藤尭の特技の一つ。

趣味で始めたのか、仕事上の流れで出来るようになったのか、あまり良く覚えていない。

ただ、女の子を喜ばせるのには結構役に立ったことを思い出す。

いつの間にか切歌は手を止めて見入っていた。

どっちかというと喜ぶより、ひたすら驚いている様子。

 

「切歌ちゃん」

 

木枯らしを弾き終えて、藤尭は声をかける。

 

「は、はいデス!?」

 

夢から覚めたように切歌は背筋を伸ばした。

続けて藤尭が前奏を始めたのはクラシックではない。

見物に集まっていた若者たちから歓声が上がる。

 

「これは…」

 

思わず立ち上がる切歌に、藤尭は言った。

 

「君は唄うんだ」

 

藤尭が奏でる曲。

かつてのツヴァイウイングの名曲であり遺曲でもある『逆光のフリューゲル』。

 

「…はいデスッ!」

 

躊躇わず切歌は唄った。

綺麗な歌声だと思う。

それを証明するかのように、場のボルテージは一気に上がる。

装者=シンガーというわけではないが、歌手なみの歌唱力を持つのも事実だ。

買い物客は足を止め、次々と新たな観客がやってくる。

飛んでくるリクエストに藤尭が曲を変えれば、追随して切歌が見事に唄い上げる。

結局、そんなミニコンサートは、一時間以上続けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ~~、楽しかったデス♪」

 

帰りの車の助手席で、切歌は満足そうにそう言った。

 

「そりゃ良かった。でも疲れてないかい?」

 

「いっつも訓練で鍛えてるデスから」

 

対して藤尭の指はボロボロだった。

若いって良いよなあ、としみじみ思う。

 

「…藤尭さん、ありがとうございましたデス」

 

「なんだい、急に改まって」

 

「本当に、今日は楽しかったんデスよ?」

 

「そりゃ良かったよ」

 

「だから、良かったら、また誘って…」

 

「………」

 

その声に、前を見たまま藤尭は口をへの字にしてしまう。

今日は楽しくなかったと言えば嘘になる。

でも、こんなのは一般のデートと言えるのだろうか?

やはりもっと年齢の近い子と一緒に出掛けた方がいいのでは。

いやいやしかし、今回のデートが決して失敗だったというわけでもなくて…。

 

「…あの、切歌ちゃん?」

 

考えがまとまらず、何を言うかすら頭になく、藤尭はそう声をかけていた。

返事はない。

見れば、切歌はすいよすいよと寝息を立てていた。

 

赤信号で車を止めてから、はあ~と溜息をついてハンドルにもたれる藤尭。

チラリと助手席を眺めてから思う。

 

ったく、電池切れたみたいにスッと寝るなんてやっぱり子供だな。にしても、こんな無防備な寝顔を晒すもんじゃないよ、全く…。

 

ほどなく車は切歌と調が共同で暮らすマンションへと到着。

切歌の眠りは深く、揺すっても起きないため、おんぶして車から担ぎ出す。

手に着換えの入った紙袋を持って歩きだすと、きゅっと肩に回った手で抱きしめられた。

 

「…藤尭さん…」

 

その囁き声は、予期せぬほど大人っぽく響く。

柄にもなく緊張して立ち尽くす藤尭の耳に続きの声が。

 

「…えへっ、えへ……。もう食べられないデス………」

 

…なんだよ、緊張して損したぜ。

がっくりと肩の力を抜き―――あれ? なんでオレ緊張なんかしているの? なんて思いながら、マンションのドアのチャイムを押す。

驚いた顔の月読調が出迎えてくれた。

 

「そう、切ちゃんのデートの相手って藤尭さんだったの」

 

「まあ、なんていうか成り行きでね」

 

切歌はまだ起きない。

なので調に靴を脱がせてもらったあと、リビングへ運びソファーへと寝かせた。

 

「それじゃあ、オレはこれで」

 

そこで思い立ち、藤尭は釘を刺しておくことにする。

 

「あ、それと、オレが切歌ちゃんとデートしたってことはナイショにしてくれないかな? 立花さんたちに知られたりすると、説明するのがややこしいから」

 

くすりと調は笑って、

 

「はい、分かりました。切ちゃんを送ってくれて、お疲れさまでした」

 

玄関で靴は履き、ふと藤尭は振り返って言った。

 

「実はさ、今日のデートの最中でも、ずっと切歌ちゃんは君のことを気にかけてたぜ?」

 

「え…?」

 

「なんで喧嘩しているかはわかんないけどさ、仲直りしてくれると嬉しいな」

 

今日のオレに免じて、なんて付けるのは蛇足だろう。

調は少し考え込むような顔をしたあと、頷いた。

 

「それじゃ」

 

軽く手を振ってマンションを出る。

木立の向こうにはユラユラと揺れる夕日。

ぴゅーっと冷たい風が一陣。

くしゃみをして藤尭を思わず首を竦めた。

甘い少女の匂いと、ココアパウダーが仄かに香る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日談というか蛇足的な話として、翌日出勤した藤尭は、司令直々に良くやったと褒められた。

続いて、あんな場所で歌を唄わせて装者に注目を集めさせるヤツがあるか、と叱責も喰らった。

先日の筋肉痛に立つのも辛く、大人しく藤尭は称賛と叱責を受け入れた。

ピアノは結構足の筋肉も酷使するのである。

どうにか自席に帰りつき、溜まっている仕事の整理をしていると、友里がやってくる。

 

「昨日はお疲れ様。はい、温かいもの」

 

仏頂面でコーヒーを受け取り、そういえばオレの個人情報を勝手に売ったなと文句の一つも言おうと思った矢先、どやどやと装者たちが発令所へと雪崩こんできた。

 

「おい、みんな今日は学校は?」

 

弦十郎が尋ねれば、

 

「やだな、師匠、今日は開校記念日でお休みですよ」

 

ケラケラと響が答えている。

…だったら、何も日曜日にデートすることなかったじゃん。今日で良かったじゃん!

自席で一人悶絶する藤尭。

だが、もうオレの役目は終わった。無関係だ。

そう心に決め、モニターに向かい合っていると、例のデート相手がやってきた。

 

「…藤尭さん」

 

「ああ、おはよう切歌ちゃん」

 

「その、昨日はありがとうございましたデス。なんか途中で寝ちゃったみたいで…」

 

「うん、大丈夫気にしてないよ」

 

一刻も早く会話を打ち切りたい藤尭に反し、案の定、カタパルトで勢いをつけたが如く、響が食いついてきた。

 

「なになに? 二人とも昨日、なにかあったの?」

 

「え…?」

 

戸惑う切歌に、そういや切歌自身には口止めをしていなかったことを思い出す。

頼みの綱は調だ。彼女の方から口止めをしていてくれれば…!

 

「…ううん。別に何もない、デスよ?」

 

答える切歌。GJ!と調に親指を立てる藤尭。頷く調。

 

「そうなの~? 怪しいなあ?」

 

なお訝しげに見てくる響。

 

「ねえ、本当に何もないの? そうなの調ちゃん」

 

「ええ、何もありませんでした」

 

ゴホンと大仰そうに咳払いをして、月読調はこう続けた。

 

「切ちゃんが藤尭さんに寝取られたくらいしか」

 

真空状態が生じたような沈黙のあと、響の絶叫が轟く。

 

「えええええええええええっ!? ねとられって、ええええええええええええええっ!?」

 

「違う違う違う! ただ眠った彼女を俺は送ってっただけで…!」

 

「なんだ、藤尭、おまえはそんな大それたことをしでかしたのかッ!?」

 

事情を知っている弦十郎など、単なる悪ノリだろう。

司令席を睨みつつ、藤尭は哀願するような声で尋ねる。

 

「そもそも調ちゃん、寝取られの意味って分かってる?」

 

「切ちゃんの寝顔を藤尭さんに見られました。寝取られです」

 

「それは意味が違う! 違いすぎるッ!」

 

叫ぶ藤尭。

 

「ね、ねとられ! ねとられぇえっ!」

 

妖怪の名の如く連呼する響。

 

「だから、オレは昨日の切歌ちゃんとデートしただけ! やましいことは一切していないッ!」

 

とうとう藤尭はぶっちゃけた。

下手に取り繕ってボロが出るより、正直に話したほうがまだマシと判断してのことである。

ここに至ってようやく場が静まり、当事者である切歌へと視線が集まった。

 

「…本当にそうなの? 変なことされない?」

 

懐疑的な声を上げたのはまたしても響。

 

「デートしただけだよな、な?」

 

どれだけ信用されてないんだよ、オレ。半ば泣きたくなりながら必死で訴える藤尭。

 

渦中の少女はというと、ちょっと驚いたような表情をしたあと、満面の笑みを浮かべてこういった。

 

「デェエエエ~ス♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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