大型連休も過ぎ去り、間もなく梅雨を迎えようとする五月末。
今日も今日とて自宅に来た切歌に、手製のおやつを振る舞う藤尭がいる。
「はい、フレッシュオレンジケーキにレモンタルト」
「ありがとうデース!」
満面の笑みを浮かべる切歌を微笑ましく眺めながら、藤尭は少し疑問に思う。
「あれ? 切歌ちゃんってそんなに酸っぱいもの好きだっけ?」
淹れてやったコーヒーを断り、切歌が飲んでいるのは自前で買ってきた黒酢ドリンクだ。そもそもの今日作ったお菓子も彼女のリクエストだったりする。
「なんか無性に酸っぱい系とか柑橘系のものが食べたくなっちゃって」
「ふ~ん…」
まあ、そういうこともあるだろう。
藤尭も自分のタルトを食べ、コーヒーを飲んでいると、食べ終えた切歌がやや恥ずかしげな上目使い。
「あの~朔也さん。今日は泊まっていっちゃダメデスか…?」
「今日
口元を拭いながら、軽く睨む。
「この間、マリアさんからたっぷりお小言をもらったばかりなんだぜ?」
てへへと誤魔化すように頭をかく切歌だったが、昨年と見違えるほど成績は上昇中。
このあいだ終えたばかりの中間テストの手ごたえも上々だという。
…その御褒美だと思えば、まあアリかな。お小言なんてオレが我慢すれが済むわけだし。
「分かった。構わないよ」
頬を染め、嬉しそうにコクンと頷く切歌。この初々しさが変わらないところが藤尭的にはたまらない。
「それじゃあ、晩御飯は久しぶりに手作りハンバーグといこうか」
半解凍した薄切り牛肉を自分で叩いてひき肉にして作る特製だ。食感と溢れる肉汁は、市販のひき肉で作ったものとは段違いになる。
「…あ~、すみませんデス。ハンバーグはちょっと…」
「どうして? 切歌ちゃん大好物だったじゃない」
「最近、肉々しいものは臭いからしてダメなんデスよ。気持ち悪くなって吐いちゃうこともあるんデス」
「ああ、そうなんだ…」
なら、しめ鯖とかどうだろう? 鯛の甘酢あんかけなんかもいいかも知れない。
新しいメニューを模索しながら冷蔵庫を漁る藤尭だったが、不意に手を止めて思案する。
「…ん?」
次の瞬間、冷蔵庫も開けっ放しのまま踵を返し、短距離をダッシュして切歌に詰め寄った。
血の気が引くのを自覚しながら尋ねる。
「も、もしかして切歌ちゃん、生理が遅れていたりしない?」
「な、なんで朔也さんはアタシの身体のことが分かるんデス!?」
激しく狼狽する切歌に、藤尭は天を仰ぐ。
…なんてこった。
頭の奥がまるで氷柱を突っ込まれたかのように冷たい。
「ご飯の準備は後回しだ。今から病院へ行こう」
エプロンを外しながら言う。
「え? え?」
いまだ良く分からず混乱しているらしい切歌の手を引いて、藤尭はタクシー会社の番号をコールする。
S.O.N.G.本部の医務室にて。
神妙に椅子に座る藤尭と切歌に、当直医は告げた。
「おめでたですね。八週目といったところですか」
嘆息し青ざめる藤尭に、きょとんとしたままの切歌。
医師が持ったボールペンでコメカミ当たりを突きながら微妙な表情を浮かべている理由は、間もなく大股で室内へと入ってきた。
「はっはっは、やってくれたなあ、藤尭ッ!」
豪放な声を振り下ろしてくるは、S.O.N.G.総司令風鳴弦十郎。
弦十郎に言われるまでもなく、藤尭の内心はやっちまったとの念でいっぱいだ。
細心の注意を払っていたつもりだが、避妊に絶対はない、と過去の保健の授業で習ったことを思い出す。
本来であればぐうの音もなく、大人しく叱責を受け入れるしかない流れだが、どっこい藤尭には反論材料があった。
「司令にだけは言われたくないですけどねッ!」
「むうッ」
途端に口を噤む弦十郎。
その背後から、話を聞きつけたらしい装者たちもドヤドヤと入ってくる。
そして最後に入ってきた雪音クリスの腹部は大きく膨らんでいた。
藤尭の視線に気づいたらしい彼女は、こちらを睨んでくる。
「あんだよ、こちとらちゃんと家族計画だぞ?」
「でもでもでも! クリスちゃん、卒業生総代で挨拶したとき、すっごくお腹張って苦しがっていたよね!」
すかさず突っ込みを入れる響。
「うっせえ、黙ってろバカ!」
「騒ぐな雪音、身体に障るぞ」
暴れるクリスに止める翼と、背景はかなりカオスな様相を呈している。
確かにクリスは今年でリディアンを卒業していて、世間的にも社会人である。高校生という身分ではない以上、社会的な問題は存在しない。
しかし、妊娠六か月という期日を遡れば、在学中に手を出されたことは明々白々。
手を出したS.O.N.G.最強の大人が、蛇に睨まれたカエルの如く脂汗を流す理由はこれである。
司令自らこの様では、部下を叱責できる道理がない。
「切歌ッ!?」
ステージ衣装姿のマリアが調を伴い入ってきた。
リハーサルの最中に報告をうけ、取るものも取りあえず駆けつけてきたそう。
切歌の妊娠が確実であることを医師に確認し、マリアは溜息をつく。
「こうなると思ったから、あまり外泊はさせたくなかったんだけど?」
「うう、面目ない…」
ジト目で睨まれ、藤尭の心境はまな板の上の鯉も同然だ。
切り刻まれようが焼かれようが、文句を言える筋合いはない。
そんなマリアの隣で、調はひたすら無言でこちらを見てくる。
こちらもこちらで非常に神経にこたえる視線で息苦しい。
いっそ怒鳴られたり嫌味を言われたりする方がよっぽどマシだ。
「―――しかし、雪音に続き暁もしばらく
翼の唸るような口調の指摘は、正鵠かつ深刻だった。
最近、聖遺物絡みの事件もなく、出動件数そのものも減少傾向にあったが、楽観は出来ない。
そもそものシンフォギア装者という最大戦力を保有してこその特殊部隊S.O.N.G.である。
それが40%も戦力低下となれば、組織の存在意義が疑われる事態だ。
ましてやその原因が組織内の人間の手によるものであれば、鼎の軽重を問われるのも無理はない。
事実、クリスの妊娠が発覚して戦線離脱を余儀なくされた際、弦十郎は国連本部へ呼び出されている。最終的にはクリス自身も召還され、そこでどんなやり取りがあったが詳らかにされてないが、とりあえず訓戒だけで済んだという経緯があった。
「あたしが装者だってのは承知してる。組織に属するなら命令を守って命だって張るさ。でもよ、だったらあたしに自由に恋愛する権利はないのか? 好きな人と結婚する権利はないってのかよ!?」
明日は我が身の藤尭が、実際にどんなやりとりがあったのかとクリスに尋ねたところ、あっさりとネタバレをしてくれた。
「呼び出されたとき、そう高説を垂れたんだけど、それでも旦那に責任をおっかぶせようとすっからさ。んじゃあたしは装者辞めますって言ったら、なんか有耶無耶になったんだぜ? お偉方みんな苦虫を噛み潰した顔してたけど」
けらけらと笑うクリスに屈託はない。それを横で聞く弦十郎は顔を赤くしたり青くしたりしていたが。
…つまるところ、原因そのものが肩を組んで、叱責する側を脅迫したということだろうか?
確かにシンフォギアは有限で、それをコントロールできる人材も希少だ。
おまけに国連が掲げる人権の自由を逆手に取られては、訓戒以上の強い処分は出せなかったと推測する。
「大丈夫ですよ、翼さん! その分、わたしたちで頑張ればいいんですから!」
響の明るい宣言に、藤尭の気分も少し救われた。
シンフォギア装者である切歌を戦えなくしたという職務上の罪悪感。
同時に、彼女を身籠らせたことにより戦いから遠ざけたという安堵感もある。
二律背反する想いを抱えて唇を噛む藤尭の肩に、力強い手が置かれた。
「どおれ、二人で叱責を喰らうとするかッ」
そう言ってくる弦十郎に、藤尭の中の罪悪感が増した。
今回の場合、藤尭個人の責任では済まない。組織の長である弦十郎にも監督責任が生じる。
それでも、ことさら明るい口調で振る舞ってくれる弦十郎に、しみじみ上司に恵まれていると感謝した。
…あれ? そもそもの発端は、この人に切歌とデートしてこいと命令されたことにあるような…?
「…切ちゃん?」
調の声に振り向くと、椅子に座ったままの切歌の頬をぽろぽろと丸い涙がつたっている。
「ど、どうしたの、切歌ちゃん!?」
慌てて藤尭が近づくと、切歌の涙の量が増す。
「…もしかして、なんか怖くなっちゃった?」
切歌そっちのけで騒いでしまっていたが、本来的に妊娠は女性にとっての一大事だ。
組織人としての心配より、まずは彼女自身のケアを優先すべきだった。まったくオレってやつは…!
自分自身を罵倒したい衝動をぐっとこらえ、藤尭は切歌をあやすように抱きしめた。
「もしかして、子供産むのが怖いのか? あたしだって怖いさ。でも、安心しろ、先にあたしが産んで見せるからなッ!」
いきなり先輩風を吹かせて割り込んでくるクリスがいる。
「でも、クリスちゃんのお腹、大きい、大きくない?」
「そりゃ双子だからな」
「ええッ!? 初耳なんですけど!?」
「聞いて驚け、本邦初公開だッ!」
出産祝いが二人分に…ッ! とワタワタする響を見て、切歌は少しだけ笑う。
「そりゃクリス先輩が言うみたいに、子供を産むのは少し怖いデスけど…」
「…うん。他にも何か怖いことがあるんだよね?」
藤尭がいうと、切歌はまるで嫌々するように頭を振った。
「違うんデス! 嬉しいんデス!」
「え…?」
「だって、家族が増えるんデスよね!? これって凄いことなんデスよね!?」
情けないことに、藤尭はその意味を少し考えこんでしまった。
が、間もなくストンと色々と腑に落ちる。
切歌とは未だ結婚せず、同居もしていない。
その意味でも、まだ彼女にとって、家族が増えたとの実感はないのだろう。
つまり、現時点での切歌にとっての家族とは、マリアに調、そして故人となったナスターシャ教授とセレナが全てだ。
そんな彼女の認識では、家族とは減る一方なもの。命を失い居なくなるもの。
なのにいま、自分のお腹に新たな命が宿っている。
だから、切歌は泣いているのだ。
新たな命が生まれることによって家族は増えていくものであることを、彼女はようやく知ったのだから―――。
そこまで理解が及んだとき。
藤尭の心の奥底から、この子を幸せにしたいという衝動が胸を満たした。
切歌を抱いていた腕をほどき、床に片膝を突く。
それから切歌と目線を合わせると、自分でも信じられないような自然さで、口から言葉が滑り出た。
「切歌ちゃん。…いや、切歌さん。オレは君のことを心から愛しています」
「…!」
「オレと結婚してもらえますか?」
切歌の目から更に涙が溢れた。
ぐしぐしと止まらない涙を拭い続ける彼女に、藤尭はじっと答えを待つ。
どれくらい時間が経ったのだろう。
室内に集った誰もが口も開かず見守る中、顔じゅう真っ赤にして泣き腫らした少女は、確かにはっきりと頷いた。
「…はいデス!」