藤尭が業務を終えると、司令席の弦十郎と目があった。
どちらともなく席を立ち、示し合わせたわけでもないがほぼ同時に廊下に出る。
肩を並べながら廊下を歩いていると、弦十郎が声をかけてきた。
「…久しぶりに飲みに行かないか?」
「いいですね、行きましょうか」
普段の藤尭は直帰を旨にしている。これは切歌を娶る前からも変わらない。
なのになぜ今日に限って変節させているのか?
切歌が今日は家に不在であることもあったが、理由はそれだけではない。
一方の弦十郎も、嫁であるクリスに今日は遅くなってもいいとお墨付きをもらっている。
種を明かせば、クリスの家に切歌が訪問し、妊婦の勉強会と称し様々な手ほどきを受けているとのこと。
既に妊娠七か月目のクリスは、その意味でも切歌にとっての先輩となってくれている。
肝心の切歌も、妊娠三か月目に突入して悪阻も落ち着き、身体を動かす分にも問題はない。調も同道してくれているとのことだから、まず心配はないだろう。
「よし、それじゃあ、行くかッ!」
連れだって足を向けたのは、駅前の居酒屋―――などではなく、本部のガンルーム。
バーカウンターに革張りのソファー。ビリヤード台まで設えられているあたり、決してS.O.N.G.の高級士官に限った使用を考えて作られたものではあるまい。
予め申請すれば、バーテンダーの技能を持った職員の配置もしてもらえるが、広い室内は無人。
「とりあえずビールで構わないか?」
司令自らカウンターの中へ入り、グラスにビールを注いでいる。
ついでにごそごそと冷蔵庫を漁りツマミを物色する弦十郎の姿に、藤尭は哀愁のようなものを感じた。
藤尭たちより一足先に一緒に暮らすようになった弦十郎は、嫁であるクリスに実に色々と制約を受けている模様。
特にクリス主導による自宅改修が著しく、弦十郎がコレクションしていたカンフーの訓練道具や木人などは、泣く泣く貸倉庫へ移動したとか。
それを敢えて指摘する野暮はせず、カウンターの上に出されたグラスを手にとり、乾杯。
一気にグラスを空ける弦十郎の内心を、ほぼ完璧に藤尭は推察している。
…まあ、推察するまでもないか。きっとオレとほぼ同じだと思うし。
新妻たちが色々と話し合ってるように、その亭主たちも色々と話し合いたい、もとい愚痴りたいことがあるのは一緒だ。
「切歌くんは学院の方はどうするつもりなのだ?」
そう口火を切ってくる弦十郎に、ビールを飲み干して藤尭は苦い顔をする。
「本人は出来るだけ通いたいと希望していますが…」
まだ三か月なので腹部はそれほど目立ってはない。しかし、リディアンは女子高であるから、女生徒たちは同性の変化に敏感だろう。結果として、あらぬ噂を立てられて切歌が傷つくことになるかも知れない。
それを防ぐためには、藤尭と結婚したことを明かし、学院側の理解を得なければならないが、いくら私立とはいえ、社会通念上認められるとは思えなかった。
「…うちのクリスくんの時とは状況が違うからな」
卒業を間近に控えたクリスはどうにか隠し通せたが、いまだ二年生の切歌はそうはいかない。
順当に考えれば休学、もしくは退学するのが常道だろう。
それでも、出来るだけ切歌の希望に沿わせたかった。
休学して、出産が済んだあとに復学させようか、とも考えたが、後輩をクラスメートにし、調を一学年上の先輩と仰がなければならない学生生活もどうなのだろう? ましてや生まれたばかりの赤ん坊もいるわけだし。
藤尭は頭を抱えた。
切歌との結婚、懐妊という祝福の後に、向き合わなければならないシビアな現実が多すぎる。
まあ、それも自業自得といえるのだろうけど…。
「飲め、藤尭」
弦十郎がグラスに琥珀色の液体を注いでくれた。
「頂きます」
一気に呷り、胃の腑が熱くなる。
高い酒のはずなのだが、よく味は分からない。
それでも、アルコールのおかげか、少しだけ気分は上向いた気がする。
「しかし、司令は家でも
空気を換えようと、わざと明るい口調で言う。
ウイスキーを舐めていた弦十郎は苦い顔をした。酒がまずかったのか、それとも。
「この性分はなかなか治らなくてな。呼び流せといつも怒られるのだが…」
藤尭の脳裏に、おそらく人類最強の男を叱りつけるクリスの姿が浮かぶ。
滑稽だが、これほどしっくりくる光景はなかなかないと思う。
そう笑いは誘われたものの、朗らかな気分にはなれなかった。
俗に、酒には良い酒と悪い酒があるという。
良い酒とは気分が高揚し、気鬱もなくなる。
逆に悪い酒とはネガティブな方向に思考が進み、鬱々となるという。
弦十郎とて、そんな気分になりたくて藤尭を飲みに誘ったわけではあるまい。
だが、いくら気分に逆らおうとも、口から出る話題は決して楽観的なものばかりではなかった。
「時に藤尭。おまえは御両親への報告は済んだのか?」
「いえ、それはまだ…」
結納こそあんなゴタゴタと済ませてしまったものの、親に無断で結婚するほど藤尭も親不孝ではない。切歌との仲は、きっちり両親にも認めてもらい、祝福してもらいたいと思っている。
反面、切歌個人の情報を、どこまで両親に伝えるかが難題だ。
シンフォギア装者である彼女の来歴は、国家機密に相当する。
結婚した藤尭個人が弁えている分には問題ないが、両親に対しては、やはりマリアと同様のアンダーカバーの話を作る必要があるだろう。
「それがなかなか難儀してましてね…」
一時的なものでは意味がない。将来的にもボロの出ない話を作るとなると、これが難問となっている。
事実、藤尭一人では手に負えず、友里にも手伝ってもらっていた。
「そうか。こちらとしては協力を惜しむ気はないからな。なんでも相談してくれ」
力強く言ってくれる弦十郎のグラスに、ぺこりと一礼して藤尭はウイスキーを注いだ。
豪快にグラスを空ける弦十郎だったが、漏らした呼気は弱々しい。
「うちの嫁さんだが、子供を産んだら結婚式を挙げたいと言っていてな…」
あくまでクリスと呼び流しをすることを拒むように言う。
「なんでも、元のクラスメートたちも招待して盛大に挙式したいとのことだ」
基本的に慶事なのだが、藤尭の鬱屈した気分も弦十郎に準ずる。
「切歌ちゃんも、クラスメートを全員招待したいって言ってたっけ…」
出来るなら弦十郎と同様に愛する嫁の希望に沿いたい。
だが、叶えるためには、問題がうんざりするほど山積している。
まずは、彼女らが装者であることを伏せた上での馴れ初めなどの説明が必要だ。
弦十郎自身がS.O.N.G.総司令として国際的に公表されているのも、その点は苦しい。
加えて、組織関連での招待客と、一般の招待客を同席させることによって生じる問題も挙げられる。
藤尭などは家族にも自分の本当の勤務先を伏せていた。式場で組織サイドの招待客と会話して、お互いの認識に齟齬が生じる可能性が十分に考えられる。
それら招待客の予めの選別や説明を考えただけで頭が痛くなる。
そして何より、式にかかるであろう費用のことが切実だった。
「…そうだ!」
「どうした、藤尭?」
「いっそ、司令と合同の結婚式にしてはどうでしょう?」
「なんだとッ!?」
大声を上げた弦十郎だったが、すぐに、いや待て待てと考え込む。
「確かに…招待客が被っている以上、アリかも知れんな」
「でしょう?」
「しかし、嫁さんたちが了承するかどうか…」
「そこは、参加者の負担も減るとか説得すれば大丈夫だと思いますが」
結婚式などで女性がおめかしする時の煩雑さは、男性の想像を絶する。
おまけに衣服や装飾具などの費用も馬鹿にならないと聞く。
弦十郎にそう説明しつつ、このときの藤尭の脳裏に浮かんだのは雪音クリスだ。
色々とぶっとんだ属性を持つ装者の中で、一番の良識派は彼女であると認識している。
他者にいらぬ気遣いや苦労を強いるのは、クリスのもっとも嫌うところだ。
「なるほど…。では、その方向で調整してみるかッ!」
弦十郎の表情が少し明るくなる。
藤尭も同様で、互いのグラス打ち合わせて乾杯。
招待客を一元化することで、費用を抑えられることが最大のメリットだ。
もっとも藤尭の内情としては、結婚式という人生最大の晒し場での道連れが出来たことを一番に喜んでいるのだが、これは司令には永遠の秘密にしておこう。
少なくとも大きな懸念の一つが片付く目途が立ち、グラスを空けた二人の口から洩れた呼気は軽い。
積もった酔いは、ようやくポジティブな方向に回転してくる。
「しかし、まさか司令のとこは双子とは…」
「うむ。俺も知らされたときは耳を疑ったぞ?」
答える弦十郎の表情は、喜びつつも戸惑いが隠せない。
如何な百戦錬磨のS.O.N.G.総司令も、父親になるのは初めてだ。
未だ父親としての実感がわかないのは藤尭も全く一緒だったので、その感情は完璧に共有できる。
「名前とか決めているんですか?」
「色々と考えているが、親父も首を突っ込んできていてな…」
しみじみ述懐する弦十郎に、思わず藤尭は含んでいたウイスキーを吹きだしてしまう。
「げほっ、げほっ…! か、鎌倉の御前がッ!?」
「ああ。珍しく機嫌も良さそうに、名前を付けさせろと言ってきている」
風鳴赴堂が風鳴一族の長として干渉してくるであろうことは想定できる。
だが、あのスサノオのような威容を備えた老人が機嫌の良さそうな素振りを見せるだと?
藤尭は考え込んでやめた。人間の想像力には限界がある。
「そ、それでッ!? どうするんですか!?」
「いや、まあ、その件に関しては、嫁さんがおかんむりでな」
弦十郎が苦笑しながら言うことには、
『ちょせえッ! 夫婦の決めることに爺さんが口出しすんじゃねえッ!』
クリスが一喝して退けたそうな。
それを聞いた藤尭は、たっぷり一分間は放心していたと思う。
ようやく我に返ると唇を震わせながら言った。
「よ、よく刃向かえましたね、雪音さんは…」
「まあな」
そういう弦十郎の横顔には、苦笑と誇らしさが同居している。
「ともあれ、親父も一旦は引っ込んだんだが」
「…相当怒っていたんじゃないですか?」
「いや、それが満更でもない様子でな」
「はあッ!?」
「もしかしたら、クリスは親父に気に入られたのかも知れん」
「………」
無意識でクリスと呼び流ししている弦十郎に突っ込む気も起きない。
風鳴一族の将来は、こちらの想像を超えて波乱に満ちていそうだ。
「そういう藤尭の方は名前も考えているのか?」
「うちはまだ三か月ですからね。性別も分からない状態です。ですが…」
藤尭の顔に浮かぶものを、苦笑という枠で収めるにはやや逸脱していた。
弦十郎が風鳴の本家の動向で頭を悩ませているように、藤尭の場合はマリアたちがその役を担っている。
突然、山のように送られてきた本は、全て命名辞典や画数判断。
そしてその差出人は、しょっちゅう家までやってきては、付け焼刃の知識を披露してくれる。
元々難解な漢字に精通していないマリアなので、なんとも突拍子もない名前を挙げてくることがあるが、とりあえずは御愛嬌ということで流していた。ここに将来、藤尭家の両親の参入とかも考えると、そら恐ろしい。
やはりクリスを倣い、切歌と二人で決めるのが無難か。
「うちのは、どうやら二卵性双生児でな。男と女らしい」
「へえッ!」
驚きつつも、良かったですね、とは言えない。
そりゃあ子供がたくさん欲しい夫婦には朗報だが、双子の子育てでも性別が違えば、それぞれの衣類を用意しなければならないから大変だと聞く。
新米パパにすらなっていない藤尭にとって、迂闊な評価は出来なかった。
「男であれ女であれ、雪音さんに似たらきっと可愛い子になるでしょうね」
無難かつ本心を口にする。
雪音クリスはハーフであるからして、生まれてくる子はクォーターだ。
女の子はさぞかし美人に、男の子は偉丈夫になることだろう。
「よせ、照れくさい。…それより、俺に似る可能性もあると思うのだが?」
カウンターに片方の肘を突き、どうだ? という顔で見てくる上司に、藤尭も自然と笑ってしまう。
「司令に似るにしても、身体能力は遺伝しない方が良いと思ってますよ」
「…おい、それはどういう意味だ?」
薄く笑うだけで藤尭は言及を避けた。
本人は無自覚だろうけど、これ以上憲法にすら抵触しそうな『歩く戦略兵器』など存在されてたまるか。
「ちなみに藤尭はどちらが欲しいと思っている?」
「どちらでも構わないと思っていますよ。…無事に生まれてきてさえくれれば」
迷うことなく藤尭は答える。
切歌が幼い子供とは思えないが、完全に成長しきっているとも言えないと思う。
そんな身体で出産に挑む、いや、挑ませてしまうことに、藤尭は忸怩たる思いが拭えないでいた。
そして出産時の危険は、医学の発展で限りなく低くなっているもののゼロではない。
「…そうだな。それが一番だな」
肩をがっちりと掴んでくる弦十郎の手も声も力強い。
「医療スタッフに関しては、俺の権限を逸脱しても、世界最高峰のものを揃えてやる」
そんな大袈裟な、と藤尭は笑い飛ばそうとして、上司の目が真剣なことに気づく。
なにか胸がいっぱいになって、自然と頭が下がってしまった。
「お願いします」
「ああ、大船に乗ったつもりで任せておけ」
少なくとも二人にとって感動的なやり取りが終わったあと、場は一気に緩くなる。
酒も程よく回り、互いの嫁自慢が始まったことは、あとで思い返して悶絶する羽目になるだろう。
だが、醜態も過剰な言動も、酒のせいと減罪されるのは、ある意味便利だ。
酒が人類の友と称されるのは、こうやって言い訳をするための悪友であり続けてくれているからかも知れない。
更に酒杯を傾け続ける藤尭、弦十郎の口にする話題は、よりざっくばらんに―――俗的な表現をすれば下品、さらに言ってしまえばゲスいものになる。
「それで? 司令は、ぶっちゃけ、雪音さんにどんな感じでハメられたんですか?」
気分の高揚するままに、藤尭の口はとまらない。
「おまえ、それを訊くかッ!?」
弦十郎も珍しく赤ら顔で大声を出す。
「オレはですね、自宅で、こう、パソコンに向き合っていたり、本を読んでいたりすると、切歌ちゃんが膝の上に乗ってくるんですよ」
最初は、やめなさい、と注意していた。ところがいくら注意しても切歌はやめない。
仕方なく放っておくと、そのまま抱きつくような格好で寝てしまうこともある。
そんな彼女は薄手の格好を好み、ショートパンツやミニスカートで剥き出しの太腿は当たり前。おまけに襟ぐりの深い服の胸元も間近で見せられては、さしもの藤尭も無心ではいられない。
それでも煩悩を振り払うように視線を剥がす藤尭だったが、何かの拍子に太腿に指が触れた。
誓って一瞬のことだが、切歌は無反応。
しばらくして、つつく。やはり無反応。
いつの間にか潤んだ目を向けて来ている切歌に気づきつつ、そっと手で触れてみたが、嫌がる素振りは見せない。
触れる面積が少しずつ増え、それが腰、やがては上半身までに至る。
可愛らしい少女が、自分の腕の中でどこに触れても嫌がることはなく、むしろその身体を差し出すようにしている。
ましてや二人きりで誰からも咎められないシチュエーションであることを自覚した時。
藤尭の鉄の意志は夏場の氷柱のごとくやせ細り、あっさりとへし折れたのだった。
「さあ、オレは話しましたよ! 司令は!?」
悪ノリと見せて、実際は懺悔していることに弦十郎が気づいただろうか?
暁切歌という未成年に手を出したのは、藤尭の中の重い十字架だ。
こうやって誰かに聞いてもらう形で吐露しなければ、罪悪感に押しつぶされそう。
ちびちびとウイスキーを舐めつつ露骨に表情を歪めていた弦十郎だったが、とうとう根負けしたように語り出す。
「オレの場合は…クリスが色々と誘惑してきているのは知って、知らないふりをしていたのだがな…」
総司令という重責を抱え、自制心と意志の強さでいえば、弦十郎は自分の遥か高みにある。
そう思っているからこそ、その意志が挫けた様を藤尭は知りたくてたまらない。この機会を逃せばもう訊きだせることはないだろうから尚更だ。
「しかし、ある日クリスが」
「はい、はいッ」
「了子くんと同じ髪型をして迫ってきたことがあってな。それでムラムラッと来てしまって、つい」
「………」
藤尭の脳裏に、故桜井了子の巻き上げた独特の髪型が浮かぶ。
ぶっちゃけあの頭は相当ダサいというかアレだったが、当時の二課メンバーには誰も指摘しない優しさがあった。
結果として、藤尭はしみじみとこういうしかない。
「司令ってマニアックですね…」
男二人の飲み会を終えた藤尭は、帰路を急ぐ。
その横顔が青いのは、決して悪酔いしたせいではない。
実は、マニアックですね、と評した瞬間、「言わせておいてそれはないだろうッ!」と弦十郎の右手の突っ込みが入った。
そのタイミングで、酔いのせいか椅子からずり落ちてしまったのは幸運というしかない。
藤尭の肩を狙った弦十郎の右手は、空振りした勢いそのままにカウンターテーブルを粉砕している。
式も挙げないうちに切歌ちゃんを未亡人にするところだったぜ…。
うそぶきながら、おかげで酔いはとっくに醒めている。
しかし、あんな化け物みたいな人をあんな手で陥落するとは。
クリスが良識派という評価は修正する必要があるかも知れない。
そんなことを思いつつ藤尭は家に帰りつく。
夜も遅いし、切歌は先に寝ているかな。もしかしたら調のとこに泊まっているかも知れない。
そう思って玄関を開ければ、すんすんと何やら泣き声が聞こえる。
慌てて靴を脱ぎ散らかし駆けつければ、薄暗いキッチンでテーブルに突っ伏すように切歌が泣いていた。
「ど、どうしたの!?」
「…さ゛く゛や゛さ゛~ん゛!!」
涙塗れの切歌に抱きつかれる。
一般に妊娠すると情緒不安定になるという。
これもその類だろうか?
そんな知識を思い出しつつ頭を撫で続けると、ようやく涙の勢いを押さえた切歌が尋ねてくる。
「…朔也さんは浮気なんてしないデスよね?」
「はいッ!?」
素っ頓狂な声を上げてしまったのは、浮気というワードに対して、後ろめたいことはなくてもなぜか狼狽してしまうという、伴侶のいる男には誰でも起こりうる反射反応だ。
「いきなりなんだい、藪から棒に?」
どうにか態勢を立て直して逆に問い返すと、切歌は不安そうに目を伏せた。
「だって、妊娠中は旦那さんが浮気をしやすくなるってクリス先輩が言ってたんデス!」
…なにを教えてんだよ、あの子は!?
思わずそう叫びそうになったが、心を落ち着かせ優しい声音で言う。
「大丈夫。浮気するつもりも予定も全くないから」
仮に浮気しようものなら、
そこでようやく切歌は半べそになったものの、唇を尖らせて、
「でも…アタシがこんな状態じゃしばらくは夜のお勤めも出来ないんデスよ?」
「ぶふうッ!?」
明後日の方向を向いて盛大に咳き込む藤尭。
その様子をきょとんとした表情で見上げてくる切歌に、ああ子供と思っていた嫁が大人の知識を身に着けたんだなあ…と藤尭は感慨に更けるわけはない。
「…あのね、切歌ちゃん。今日は妊婦の何を勉強してきたのかな?」
上司の嫁に対する怒りの衝動を抑え、努めて冷静な声で尋ねる。
「うーんとデスね。検診とか、食べていいものとか、運動の仕方とか、服のこととか…」
「うん、他には?」
「…えっと」
切歌は、頬を染めて恥らうように言い淀むと、
「…お、男の人がグっとくる仕草とか、まんねり防止?のために髪型を変えたりした方がいいって教わったデス!」
「一体何の勉強会だったんだよ!?」