ふわっといずデス?   作:とりなんこつ

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第12話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…歌が聞こえる。

とても懐かしく、優しい歌だ。

 

藤尭はうっすらと目を開ける。

眩しさに染まる視界で、白いワンピースが翻った。

長めの髪を振る彼女が歌い手らしい。

鼻歌でハミングしながらくるくると回る彼女の背後から光が溢れた。まるでその姿ごと白い世界に溶けて消えてしまいそう。

不安が込み上げてきて、掴まえようと慌てて藤尭は上体を起こして―――ソファーから転落した。

 

「…あいたッ!?」

 

「だ、大丈夫デスか朔也さんッ!」

 

床から見上げれば、すぐ目前にかけつけてくれた切歌がいる。

藤尭は寝ぼけ眼で周囲を見回す。

間違いなく自宅のリビングだ。

まだ早朝の時分だが、窓から差し込む夏の光が既に暑さを匂わせる。

 

「…もしかして、オレ、寝ていた?」

 

いつも通りに6時に起床し、ルーティンで洗濯機を回し、掃除機をかけた覚えがある。だが、シャワーを浴びたあとの記憶がない。

 

「はいデス。だから替わりにアタシが洗濯ものを干していたデス!」

 

そういう切歌は、洗濯籠からバスタオルを取り出している。

 

「洗濯物、ありがとう。でも、もういいよ。オレがするから」

 

身重の嫁を気遣い、腰を上げようとした藤尭だったが、

 

「大丈夫デスよ。朔也さんは昨日は運転して疲れてるんデスから」

 

にっこり笑い、洗濯物干しを再開する切歌がいる。

そんな彼女の唇から明るい歌が漏れていた。

そうか、これが優しい歌の正体か。

その歌声に癒されつつ、藤尭はソファー前のテーブルに昨晩干していた洗濯物が取りこまれていることに気づく。

じゃあこっちを畳んでおくか、と手を伸ばしたところで、不意に先日の出来事が思い出された。

途端に額にじっとりと汗が滲む。洗濯物の山の中から適当に布切れを抜き取って、額を拭う。

先日まで、藤尭は切歌と一緒に実家へと里帰りしていた。

主目的はもちろん切歌を娶ったことの報告だったのだが。

 

「どうしたんデスか? 顔色が悪いデスよ?」

 

「ん? ああ、いや、やっぱり昨日の酒がまだ残っているみたいでね…」

 

「本当にすごく楽しい宴会だったデスね~」

 

「…マジで?」

 

藤尭にとっては、地獄の宴という印象しかない。

満面の笑みを浮かべる切歌の記憶との、この齟齬はなんなんだろう…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそもの藤尭の実家は、車で高速を飛ばせば一時間の近場である。

もっとも二課に所属してからは、まともに帰省した記憶はない。

そんな音沙汰のない息子が、いきなり嫁を連れて帰ってきたのだがら、両親が騒ぐのは無理もないことだろう。

 

『初めましてデス! 暁切歌と申しますデスッ!』

 

さっそく切歌が両親に挨拶。

その容貌からか、怪訝そうに母から年齢を訊き返された。藤尭が止める間もなく「17歳デス!」と切歌が答えた途端、母親は胸ポケットから取り出した携帯電話で110番をダイヤル。

どうにか発信する前に取り押さえるも、錯乱した母親から泣かれた。

続いて妊娠していることも報告したところ、父親は隣室から伝家の宝刀を持ち出してきた。

 

『朔也! そこになおれ! 成敗してくれるッ!』

 

果たして、時代劇かぶれの父親はどこまで本気だったのだろう?

ともあれ、『あんたはこんな若い娘になんてことを…ッ!』とハンカチで口元を覆いながらバンバン肩を叩いてくる母に、『愚息が申し訳ない』と切歌に向かって平身低頭している父を宥めたのは、持参したノートPCを用いたライブチャットだった。

 

『お初にお目にかかります。朔也くんの上司である風鳴弦十郎と申します』

 

ディスプレイの向こうの弦十郎に対し、『これはこれはご丁寧に…』と頭を下げる両親。

 

『そこな暁切歌くんは、幼いころ事故に巻き込まれ天涯孤独となり、ナスターシャ教授の養子となりまして。

そのナスターシャ教授がうちの組織へ出入りしている縁で、朔也くんと知り合った次第です』

 

上手な嘘のつき方は、いかに少量の真実を混ぜ合わせるかによるという。

弦十郎の語ることは、もちろんディティールこそ異なるが、大元の流れは変わっていない。

切歌本人にしても比較的受け入れやすい作話だと思う。

神妙に聞いていた両親の警戒レベルが目に見えて下がっていくのが分かった。

風鳴弦十郎は存在自体が説得力の塊みたいなものだ。

そんな超人が太鼓判を押している以上、疑うことすら難しくなる。

それでも母親が不承不承尋ねてきた。

 

『あの…暁切歌さん? あなた、本当にうちに朔也と』

 

『はいデス! アタシは朔也さんを愛しているデスッ!』

 

『朔也、あんたどんな洗脳方法で…!?』

 

切歌のどストレートな返答もともかく、母の反応に泣きたくなる。

 

『そこな二人は、確かな絆で結ばれているのです。まあ、紆余曲折はありましたが…』

 

再度弦十郎が解説し、ようやく母も現実を受け入れる気になったらしい。

またぞろ携帯電話を操作する姿に危機感を抱いたが、かける先は警察ではなかった。

 

『すみません、特上寿司の盛り合わせを。はい、はい、大至急で』

 

察するに近所の馴染みの寿司屋のよう。

半瞬遅れて、母の反応に父も準じた。

 

『…孫。初孫…だとッ?』

 

見ているほうが引くくらい、一気に表情がヤニ下がる。

 

『よーし、パパ、化粧箱入りのニッカウヰスキーと大吟醸黒縄を開けちゃうぞぉッ!』

 

その掌の大回転っぷりに、藤尭は思わず声をかける。

 

『あの、親父、お袋…』

 

本来なら、軽く挨拶を済ませて辞すつもりの予定だった。しかし。

 

『お、そうだな、秘蔵の森伊蔵も開封するか!?』

 

『朔也、あんた唐揚げ大好物だったわよね? 切歌さんも好きでしょ? はいはい、ちょっと待ってなさいよ!』

 

俄かに活気づきパタパタとし始める両親を横目に、藤尭はこのまま辞去してしまおうかと逡巡。

 

『あのね、切歌ちゃん…』

 

切歌に提案しようと声をかけるも、時すでに遅し。

 

『朔也が結婚するんだってッ!?』

 

どやどやと室内へ上り込んできたのは、比較的近所の親戚衆。

その後に、ご近所のおばさんやお婆ちゃんまでが続く。

示し合わせたように全員が手に重箱やらタッパを手にしていることは、驚愕を通り越してもはや恐怖だ。

 

『あらあらまあまあ目出度いねぇ』

 

『この子がお嫁さんかい?』

 

おばちゃん特有の距離感ゼロの攻勢にさすがの切歌も面食らう間に、

 

『ちわっす、ビールお届けにあがりました』

 

酒屋はビールを配達し、

 

『このたび、息子が結婚することになりましたッ! 嫁さんの腹に赤ん坊もいるとこのことですッ!』

 

さっそくビールを開封した父が、本人そっちのけでの大発表。

 

『なんと! そりゃめでたいッ!』

 

重箱とタッパが開けられた。ビールが回され、ところどころで勃発する乾杯。

まさにその中心にいた藤尭が無傷でいられるわけがない。

 

『ほら、飲め、朔也!』

 

『い、いや、オレは酒はあんまり…』

 

『目出度い席だぞ、遠慮するなッ!』

 

『別に遠慮してるわけじゃ』

 

直後、無理やり飲まされたらしい。その発言以降、記憶が飛ぶ。

飛ぶ寸前に見た光景は、座布団三枚敷きの上に座らせられた切歌の姿。

 

『外人さんなのかい? めんこいねぇ』

 

『ほら飴ちゃんをあげようね』

 

婆さん連中に囲まれるその様は、さながらご神体のごとく。

 

気がついたのは翌朝で、周囲は死屍累々だった。

酒瓶と空き缶が散乱する仏間で、頭痛をこらえながら立ち上がる。

切歌はどこだとよろめきながら歩いてリビングへ行けば、ソファーに座っているところを発見。

朝も早いのに、既に周囲を婆さん、もしくはおばちゃん連中に囲まれていた。

 

『切歌ちゃん、キュウリ漬け、食べるかい?』

 

『スイカも切って来たよ。今朝、畑でとってきたばかりだから』

 

『メロンもあるでよ』

 

…装者の中で一番の愛されキャラは、実は切歌なのではないか。

協調性の高さももちろんだが、明け透けで爛漫な性格も親しみやすい。せっせと世話を焼かれ可愛がられる姿は、まるで本当の孫のよう。

 

『ほら、朔也。ぼーっとしてないで顔洗っといで。それから皆を起こしてきな!』

 

そういう母が抱えているものに、藤尭は戦慄する。

鉄鍋でぐつぐつ煮えているのはすき焼き。

 

『朝っぱらからすき焼きって』

 

『ああ、ちゃんと朝一で近江牛のいいとこ貰ってきたからね。安心おし』

 

『いや、そういう話じゃなくてね…』

 

コメカミを押さえながら込み上げてくる吐き気をかみ殺していると、ドヤドヤと人の気配。

 

『おはようございます! 朔也が結婚するんだって!?』

 

今度の襲来は、比較的遠方の縁者たち。

そこに仏間で死んでいた親戚たちも蘇生する。

でん! と据えられたすき焼き鍋を中心に、冷蔵庫から次々取り出される刺身の盛り合わせやら煮物やらオードブル。おまけに庭先ではバーベキューの支度が整えられつつある。

 

『いや、目出度い。目出度いなあッ!』

 

『結婚、おめでとうッ!』

 

『二日酔い!? そういうときは迎え酒だッ!』

 

仮初にも祝福されている以上、無碍に断るのも…と逡巡したのが命取り。

たちまちたらふく飲まされて酔い潰され、朝っぱらからまた記憶が飛ぶ。

二日酔いどころか三日酔いで目を覚ましたのはそのまた翌朝で、これは不味いと判断した藤尭は近所の健康ランドへ緊急避難。

そこのサウナで半日かけて徹底的に酒を抜き、自宅でまたぞろ「宴会だ!」と待ち構えていた縁者たちを出し抜き、山のようなお土産を抱えた切歌を車へと詰め込んで脱出。ほとんど逃げ帰るようにして昨晩に帰宅していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ったく、多めに夏休みをもらっておいてよかったぜ」

 

実家に帰省するにあたり、司令直々に五日の休みを賜っていた。

丸五日も実家に駐留していたらと考えただけでぞっとする。

残り二日ほど休暇は残っているが連日の宴会のダメージが抜けてない。こうやって休んで癒さないと、明後日からの仕事に差し支えそうだ。

 

「ごめんな、切歌ちゃん。うちの連中はみんな騒がしくて」

 

思い出してはまた滲んできた汗を拭いながら、藤尭は言った。

 

「いえいえ、みんな優しくて親切だったデスよ?」

 

えへへと笑う切歌に、藤尭は苦笑するしかない。

うちの一族はとにかく無駄にアグレッシブで、あのまま切歌を神輿のように担ぎ上げて近所を練り歩きそうな勢いだった。

いずれ結婚式に招待し、切歌の身内として調はともかくあのマリア・カデンツァヴナ・イヴを紹介することを考えると頭が痛い。

 

「…朔也さん?」

 

心配そうな切歌の声。

 

「ああ、ごめん、なんでもないよ」

 

手を振って見せるも、切歌はちょこんとソファーの横に座ってくる。

藤尭の頭を引き寄せ、自らの太腿の上に置く。

それから見下ろしてくる切歌は、なぜか下唇を噛んでいた。

 

「…切歌ちゃん?」

 

「朔也さん。アタシに何か出来ることはないデスか?」

 

「え?」

 

「だってアタシは、朔也さんに色々と貰ってばかりなんデスよ?」

 

続いて切歌の目にうっすらと涙が浮かぶ。

 

「…アタシとデートしてくれて! アタシと遊んでくれて! アタシにご馳走してくれて! アタシを、あ、愛してくれて…!」

 

溢れる涙を拭おうと、藤尭は仰向けのまま切歌の頬に手を伸ばす。

頬に当てられた手の上に切歌は自分の手を重ね、もう一つの手を自分の腹部へと当てた。

 

「そして新しい家族もくれたんデス! なのに、アタシは何も朔也さんには…」

 

「そんなことはないよ」

 

切歌の意見を傾聴したものの、素直に同調するのは藤尭自身が許さない。許せるわけがない。

 

「オレだって幾つものものをもらっているんだ。むしろオレがキミから色々と奪ってしまったんだぜ…?」

 

例えば、彼女の純潔。

男女の成り行き上、それは避けられないものだったのかも知れない。

しかし、その結果として彼女を妊娠させてしまったことに、藤尭は忸怩たる感情を拭えないでいた。

まだ切歌は17歳だ。世間一般的には、まだ学校に通っている年齢。

そんな彼女は学生生活に、半ば無理やり終止符を打ってしまっている。

事実、リディアンが夏休みに入ると同時に、退学届を提出していた。

切歌の人生より、ある意味もっとも輝かしい青春時代を奪ってしまった。

そのことを心底申し訳なく思い、後悔している。

そう告げると切歌は首を振った。

 

「あたしは朔也さんと一緒にいられればそれでいいんデスよ? それに調とマリアだって、いつも一緒デス!」

 

「……」

 

冥利に尽きると返せばよかったのだろうか?

考えてみれば、切歌の出生からこれまでが異質なのだ。

それを日本の一般的な女の子に当て嵌めようとすること自体が間違いなのかも知れない。

 

「…切歌ちゃんが後悔していないのなら、別にいいけれど」

 

「ひょっとして藤尭さんは後悔しているんデスか?」

 

逆に問い返され、藤尭は口を噤んでしまう。

切歌と結ばれなかったらどうなっていたのか?

その可能性を吟味し、無限の未来の枝葉に思いを馳せたことがなかったと言えば嘘になる。

もっと素敵な女性との素晴らしい出会いがあったのではないか? と考えたことは否定できない。

自分のキャリアや将来的にも、切歌と結婚したのは果たして正解だったのかと自問しなかったことも一切ではない。

人間の心情的に、あらゆる可能性、ifという思考が働くのは止めようもなかった。

その上で藤尭は答える。

 

「後悔したこともあるけど、今は後悔してないよ」

 

この子抜きでは、この先のオレの人生は色彩を失ってしまうだろう。

それは紛れもない確信であり、真実だ。

同時に、藤尭は思う。

可愛い女の子が傍にいてくれれば、人生はなんとかなる。

誰の言葉だっただろう? でも、今のオレにとっては至言だね。

 

「それならばいいんデスけど…」

 

切歌の表情は完全に晴れない。

なので藤尭は一つ提案をする。

 

「だったら、歌を唄ってくれないか?」

 

「…歌を?」

 

「そう。オレだけに、オレのためだけに、切歌ちゃんに唄ってほしい」

 

「そんなのでいいんデスか?」

 

きょとんとする切歌に笑いかける。

 

「世界を救った歌をオレだけが聞かせてもらえるんだぜ? 最高の贅沢じゃないか?」

 

切歌の表情がみるみる明るくなった。

 

「…はいデス!」

 

膝枕をしたまま、さっそく切歌は唄い始める。

その歌声は、とにかく耳に心地よい。

魂そのものが浄化されるようなエンジェルボイス、というのは配偶者の贔屓目か?

それでも、まるで海面が凪ぐように藤尭の心は穏やかになる。

彼女の心を込めた歌声を前に、頭痛も去り、吐き気も収まっていく。

頬を撫でてくる手の感触も優しく、眠気を催してきた。

そのまま眠りの世界へ降下する寸前―――藤尭は上体を跳ね起こす。

 

「切歌ちゃん、ちょっと話しあっておかなくちゃならないことがある」

 

「なんデス?」

 

突然の申し出に、目を白黒させる切歌。

 

「夫婦の決め事だよ」

 

なんでも、夫婦でも暗黙の了解と思っていたことが、実は一致しないことが多いそうだ。

なので、予め意志や意見を擦りあわせ、互いに諒解しておいた方が良い。

妊婦はどんどんナーバスになるから早めにな。

先に夫婦となった弦十郎からの忠告なので、非常に含蓄に富んでいると言えよう。

 

「それってどういうことデス?」

 

「つまり、夫婦でもルールを守ろうってことかな」

 

例えば、結婚すれば財産は共有ということになる。

それでも、一方的に配偶者の持ち物をどうこうして良いわけはない。

旦那の持ち物をガラクタと判断し、妻が一方的に廃棄したとか、よく聞く話だ。

夫婦といえど、最低限の互いのプライバシーも尊重しなければならない。

そのことを、お互いに予め了承し、ルールとして共有しておくことが大切だという。

 

「なるほど。良くわかりましたデス」

 

「それと、夫婦でも、嫌だと思ったことは、はっきりと言ってくれていいんだよ?」

 

夫婦だから、と我慢するのは本末転倒。

夫婦だからこそ、最初に嫌なことは嫌と明言しておくことが肝心。

これから、ずっと一緒に暮らすんだからね。

切歌は嬉しそうにうなずいたあと、一転して頬を赤らめた。

何事かをいいかけて、躊躇っている。

 

「どうしたの、切歌ちゃん?」

 

その様子に、藤尭は促す。

 

「あの、凄く言いにくいんデスけど」

 

「うん」

 

「朔也さんがさっきから汗を拭っているの、アタシのぱんつデス!」

 

 

 

 

 

 

 

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