帰宅途中の商店街を歩いていると、菓子店のショーウインドウが目についた。
こんな時間にも関わらず名物のケーキが残っている。それも二つ。
「すみません、二つともください」
藤尭は迷わず財布を取りだして購入。
ケーキの入った箱をぶら下げながら、以前の自分だったら決して買わなかっただろうなと苦笑する。
むしろだいたいのレシピを推察、分析し、自作していたと思う。
「オレも変わったもんだねえ…」
そう呟く藤尭自身、自覚はなかったが、その足取りは軽く表情もにやけている。
自分が変わった理由は分析するまでもなかった。
今の家には、帰りを待ってくれている人がいるのだから。
自宅のドアを開ければ、ピンクに黒ラインの小振りのスニーカーが玄関先に揃えてあった。
これは切歌の所有物の中で見たことはない。となれば来客であって、この靴のコーディネートが似合う少女は一人しか記憶になかった。
「やれやれ、調ちゃんが来ているのか」
こりゃ、オレのぶんのはケーキはお預けかな?
頭を掻きつつ、藤尭は靴を脱ぐ。
それから帰りの挨拶の声を放った。
「…ただいま~っと」
しかし、返事はない。
どうしたんだろうと歩を進めれば、キッチンから何とも温かいハミングが聞こえてくる。
「おさ~んどん、おさ~んどん♪」
そっと覗き見ると、予想通りに私服姿の月読調が居た。
切歌と二人並び、流し台に向かい合っている。
その二人の後ろ姿が、まるで姉妹のようにしっくりとしていて、藤尭は見蕩れてしまった。
続いて、切歌がせっせと夕食の準備をしてくれていることに胸がいっぱいになってしまい、声をかけあぐねてしまう。
「おさ~んどん、おさ~んどん♪」
なおも歌いながら、調はぐつぐつ音を立てる土鍋へレンゲを差し込む。
すくった汁をふーふーと冷ましてから口に含んで一言。
「…うん、思った通りの味が出た」
「いやいや、調。ここで隠し味の投入デスよ!」
宣言するように胸を張った切歌は、次々と手に持ったものを土鍋へ投入。
「コーンクリームにパクチーを入れて! トドメはチョコレートデース!」
「そ、そんなにアレンジして大丈夫なの切ちゃんッ!?」
「料理は愛情、女は度胸ッ! って朔也さんが言っていたデース!」
おい、オレはそんなこと一言もいった記憶がないぞッ!?
廊下の壁越しに心の声を叫ぶ藤尭に気づくはずもなく、切歌は土鍋の蓋を閉めている。
「これで煮込めば出来上がりデース!」
「煮込めば煮込むほど美味しくなるものね」
いえーい! とばかりにハイタッチで手を打ち鳴らす二人。
何を作ってるかよく分からないけど…まあ、楽しそうでなによりだな。
そんな感想を抱きつつ、副菜のポテトサラダを作り始めた二人に今度こそ声をかけようとしたところ、調が思いもがけないことを言い放つ。
「…切ちゃんは、藤尭さんのどこが好きなの?」
「全部デスよ!」
即答する切歌に、藤尭は言葉を呑みこむ。
「朔也さんは頭もいいし、料理も上手デスし、カッコいいデスよ?」
あまりに明け透けな切歌の答えに、藤尭は思わず赤面。
すると調が訝しげに首を捻る気配。
「かっこいいかなあ? わたしは緒川さんの方がかっこいいと思うけど」
「そうデスね、緒川さんもカッコいいデスすね!」
「…切ちゃんは司令もかっこいいと思う?」
「カッコいいデスよ!」
「ウェル博士は?」
「何おバカなこといってんデスか調ぇ?」
「うん、いつもの切ちゃんで安心した」
苦笑する調だったが、切歌の答え自体に納得したわけではないらしい。
「切ちゃんにとって、緒川さんも司令もかっこいいんだよね。だったら切ちゃんが最初にデートしたのが藤尭さんじゃなくてその二人だったらどうなってたのかな?」
「へ?」
その質問に、切歌のきょとんとした気配。
廊下で聞き耳を立てる藤尭もビクッと身体を震わせる。
そもそもの初デートに至る経緯が、消去法的にオレにお鉢が回ってきただけ。
確かに緒川がいれば、オレの替わりに切歌ちゃんとデートしていたかも知れない…。
「うーん…」
切歌が腕を組んで考えこんでいる。
その反応に、藤尭も一抹の不安を覚えていると、
「どう、切ちゃん。答えはでた?」
「答えってゆーか。そもそも調の質問の意味が分からないデスよ」
「え? だ、だから…」
「緒川さんも司令さんも料理デキるんデスかね? ピアノ弾けるんデスかね?」
「…それは知らないけど」
「出来たとしても、朔也さんほどアタシを甘やかして、そしてアイしてはくれないデスよ」
にっこりと笑い、切歌は自らのお腹に手を当てている。
ゆったりとしたワンピースの腹部はだいぶ膨らんでいた。
「………」
唇を噛む調。
どこか悔しげな、そして悲しげな表情を浮かべ、黒髪の少女は呟く。
「もし」
「もし?」
「もし、切ちゃんとケンカして、家を飛び出して本部へ行ったのがわたしの方だったら、どうなっていたんだろう…?」
あの時、藤尭は切歌と出会った。
それが切歌でなく調だったとしたら。
…オレは調ちゃんとデートしていただろうか?
でも、彼女はそんな明け透けに悩み事を他人に訴えてくるタイプではないと思うし…。
「その仮定は無意味デスよ、調」
そんな彼女の懊悩を、笑顔で吹き飛ばす切歌がいる。
「例え調が朔也さんとデートをすることになっても、今と同じでなーんにも変わらないんデスから」
「変わってない? そんなことない! ぜんぶ、全然変わったんだよ、切ちゃん!」
半ばベソをかいた調が、叫ぶように言う。
慟哭するような彼女の様子に、藤尭も同情出来た。
世の中に不変のものはない、などと大人らしく諭すには、ここの最近の彼女たちを取り巻く環境の変化は急激にすぎるだろう。
なのに、金髪の少女の方は、実に不思議そうに首を捻っている。
「デス? 調もいるし、マリアもいるし、何か変わったデスか?」
「切ちゃん、藤尭さんと結婚しちゃったじゃない…ッ」
「ああ、結婚したデスね! それにお腹にベイビーもいるデスッ」
いひひっと照れくさそうに笑う切歌に、調は半ば呆れたような視線を向けて、
「この間まで、切ちゃんと一緒に暮らしていたんだよッ!? 二人で一緒にッ! それなのに…ッ!」
「ひょっとして、調は寂しいんデスか?」
「寂しいよッ! 寂しいに決まっているじゃない…ッ」
うつむく調。
そんな彼女を優しく抱きしめる切歌。
「ごめんなさいデス。アタシもそんな調に寂しい思いをさせてるなんて思わなかったデス…」
「切ちゃん…」
くすんくすんと鼻をすする調。
その身体をさらに強く抱きしめ、華奢な肩にアゴを載せて切歌は囁く。
「大丈夫デス。アタシにとって調は大切な家族のままデスから…」
「…藤尭さんよりも?」
「順番なんてないデス。藤尭さんも、マリアも、マムもセレナだって、みーんな同じくらい大切な家族デスよ」
諭すように言う切歌は、少し大人びて見える。
調は涙を拭いながら笑う。
「なんだか切ちゃん、お姉さんみたい…」
「当ったり前デス! アタシは調より一つ年上のお姉さんなんデスからねッ」
藤尭の記憶が確かなら、そのやりとりこそが、全ての元となったケンカの原因のはず。
しかし今度は調は言い返しはしない。
「本当にわたしは切ちゃんのことが大好きだよ…」
切歌の肩に顔を埋めて甘えるような声を出す。
「それに、もうすぐアタシはママにもなるんデスからねッ」
えっへん!と誇らしげにそう続けた切歌に対し、調は表情を曇らせた。
その変化に、切歌もさすがに不審そうな顔つきになる。
「どうしたデス、調?」
「だって…悔しいんだよ」
「何がデス?」
「わたしがいくら切ちゃんは好きでも、子供まで作れないもの…」
「あー…」
さすがに切歌も困惑した表情を浮かべた。
世間的にはジェンダーフリーの考えも普及し、同性婚も浸透しているが、さすがに同性同士での妊娠、出産は不可能な現状である。
「…でも、響さんと未来さんあたりなら作っちゃいそうデスけどね」
熱い風評被害を口にしたあと、切歌は調の顔を覗きこむ。
「なんならどうデス? 調も朔也さんにアイしてもらいますデスか?」
「え…ッ?」
調の髪が逆立ち、顔がたちまち真っ赤に染まった。
「き、切ちゃん、何をいっているのッ!?」
「え? 調もママになりたいんデスよね?」
「それは浮気だよ不倫だよ略奪愛だよ切ちゃんッ!」
「だって調と朔也さんは家族デスよね? 家族同士で愛し合うのは何も問題ないと思うんデスけど?」
あらん限りの不貞のワードを並べる調を不思議そうに眺める切歌。
物蔭でそれを見ている藤尭も、穏やかな気持ちではいられない。
…それって近親? いや、重婚になるのか? というか、切歌ちゃん、ちょっとばかし家庭内の博愛主義が爆発しているッ!
「…悪くないかも」
頬を染めぼそりと呟く調に、藤尭は絶句。
「デスデス! 朔也さんもきっと調を大切にしてくれるデスよ!」
満面の笑みを浮かべる嫁を驚愕の目で見てしまった藤尭を、誰が責められよう?
そんな藤尭の心情など露も知らず、調は悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「でも、わたしは独占欲が強いから、切ちゃんから藤尭さんを取っちゃうかも」
「デデースッ!? それはちょっと困るデス!」
「いっそ藤尭さんをMapputatsuにして仲良く二人で分けてみる?」
「さすがにそれじゃあ朔也さんも死んじゃうデスよッ!?」
「エルフナインに相談してみれば、錬金術でなんとかしてくれるかも」
「デスかね?」
調の提案に、切歌は割と本気で考えこんでいるように見える。
…オレはプラナリアか何かかッ!?
さすがに色々と洒落にならない会話だ。そろそろ割り込もうかと藤尭が思案していると、調はゴホンと咳払い。
「まあ、冗談はこれくらいにして」
冗談なのかよッ!
触っていい? と前置きして、調は切歌の腹部へと手を当てた。おっかなびっくりの手つきに、その眼差しはひたすらに優しい。
「切ちゃんはママになって、わたしはおばさん、か…」
「デス? 調もこの子のママになって欲しいんデスけど…」
「…何いっているの切ちゃん?」
「調だけじゃないデス。マリアもこの子のママになって欲しいんデスよ」
戸惑ったような表情を浮かべる調だったが、切歌の物言いはあくまで真剣。
やがて、調の顔に穏やかな笑みが広がっていく。
「そっか。切ちゃんと一緒にわたしもママになれるんだね?」
「そうデス! …早く元気に産まれるデスよ? たくさんママが待っているんデスからね」
「そうだね、切ちゃんの子供なら、わたしの子供も同じなんだよね…」
しみじみとそう呟いて、照れ隠しのように調は室内に視線を巡らしている。
その視線が藤尭を見つけたのは、偶然というより必然だろう。
「…や、やあ。ただいま」
「ふ、藤尭さん、いつからそこにッ!?」
目にも止まらぬ速さで包丁を手にとった調は、指の先にのせてくるくると回転。
「返答しだいによってはButtagiriですッ!」
顔を真っ赤にし、物騒な台詞とともに調は臨戦態勢。
「た、たったいま帰ってきたばっかりだよ!? 本当だよッ!?」
命の危険を感じた藤尭が咄嗟に嘘をついたのもむべなるかな。
「あ、朔也さん、お帰りなさいデ~ス!」
そんな剣呑な空気に全く頓着せず抱きついてくる切歌。
「うん、ただいま。はい、これ、お土産のケーキ」
「嬉しいデスッ!」
受け取って、切歌はその場でくるくると回転。
短い喜びの舞いを披露したあと、藤尭を向いてにぱっと笑う。
「調と一緒に晩御飯を作ったデスよ! 早く手を洗ってきて下さいデス!」
不承不承
テーブルの上にデンッ! と土鍋を置いて、茶碗と小鉢が配られた。
さっそく食べるデス! と蓋を開けようとした切歌を制し、藤尭は調へと向かいあう。
「えーと、その、調ちゃん…?」
藤尭自身、月読調という少女に対し、強い負い目を意識している。
彼女の最愛の人とでもいうべき切歌を娶ってしまったからだ。
同時にそれは、調との縁戚関係を結ぶことにもつながっているわけだが、彼女の藤尭に対する態度は、お世辞にも柔和とは言い難い。
その気持ちが分かるだけに、どうにか改善しなければと常日頃考えていたわけだが、今日はその絶好の機会だと思おう。
「いつも切歌ちゃんの面倒を見てくれて、ありがとうね」
「御礼を言われるまでもないです。わたしが切ちゃんの面倒を見るのは当たり前のことですから」
あくまでそっけない調の態度に苦笑する。
「いや、本当に感謝しているんだぜ…?」
返事はない。調はただじーっとした眼差しを向けてくる。
その視線には、こちらを咎めるような、会話を拒否するような圧力が込められていた。
正面からその視線を受け止め―――本音を言えば途中でそらしたくなったけど―――藤尭はゆっくりと諭すように言う。
「調ちゃんが切歌ちゃんを誰よりも大事に思っていることは理解している。
でも、オレだって切歌ちゃんのことが世界の何よりも大切なんだ」
…朔也さん。と感動している切歌の眼差しを敢えて無視して藤尭は言葉を重ねる。
「きみもオレも、切歌ちゃんを大切に思っている気持ちは一緒なんだ。その気持ちって、喧嘩して相容れないようなものなのかな?」
「………」
「それにね、きみと切歌ちゃんは家族で、オレは切歌ちゃんと結婚した。となれば、きみはオレにとっても大切な家族なんだ」
「………」
「これから子供も産まれるんだ。仲の悪い家族なんて、子供に見せたくないよ」
調は顔を伏せ、視線が途切れた。
沈黙は溜息で破られる。
「…わかりました。確かに家族の仲が悪いのは、赤ん坊の教育にも悪いと思いますから」
それから、じろりと藤尭を睨んで調は言ってくる。
「それに、別にわたしは藤尭さんとケンカしているつもりはないんですけど?」
「そ、そう?」
その眼差しだけで神経にクるんだけど。
大人のやせ我慢を発揮し、どうにかその言葉を呑みこむ藤尭。
「わたしにとっても藤尭さんも大切な家族(仮)ということにします」
「なにそのカッコカリは?」
「でも、家族なら、一つだけ約束して下さい」
「…約束?」
一転して真剣な表情になる調に、藤尭も態度を改める。
「家族同士、嘘はつかない、隠し事はしないこと」
「あ…」
小さく切歌が声を上げた。
その様子を横目で見て、藤尭は調の真意を諒解する。
かつて自分がフィーネの器であると勘違いし、『てがみ』という遺書を残した切歌。
同時にそれは調自身にも当て嵌まり、彼女も命を落とす寸前だった。
そんな苦い経験から、既に彼女たちの二人の中で同じような約束は交わされているはず。
その上で調が申し出てくれたのは、彼女たち二人だけの約束の輪の中に藤尭も入れてくれるということ。
家族として認め合うという意味では、これ以上にない証だろう。
「分かった。家族同士、絶対に嘘も隠し事もなしだ。約束しよう」
力強く藤尭は頷く。反面、
「…でも、仮に約束を破ったらどうなるの?」
そう訊ねずにいられないのは、藤尭の藤尭たる所以か。
「その時は、藤尭さんを色々とButtagiriです」
涼しい顔で断言する調がいる。
「え、え? 色々って、何を?」
「だから色々です」
…この子は本気だ。
うすら寒いものに背筋を襲われる藤尭。
そして、そんな雰囲気の中でもとことん空気を読まない切歌の存在は、逆に救いとなる。
「さあ、難しい話もすんだみたいデスし、ごはんにするデス!」
さっそく土鍋を開け、藤尭の小鉢に中身をたっぷりとよそってくれた。
立ち昇るは鰹節の芳醇な香り。
透き通った和風出汁の中に、煮込まれた様々な具材が沈んでいる。
箸で持ち上げて齧れば、染みこんだ旨味が存分に口いっぱいに溢れた。
熱々の大根を頬張りながら、藤尭は思う。
うん、本当に良く出来た
ゆえに、震える声で尋ねずにはいられない。
「あの、切歌ちゃん。隠し味のコーンクリームとパクチーとチョコレートはどこへ…?」
「デスぅ?」
そして。
「―――藤尭さん。さっそく嘘が一つバレましたね」
「…ひぃいいいいッ!?」