その日、S.O.N.G.発令所は一種の異様な雰囲気に包まれていた。
室内と空気の中心にいるのはもちろん総司令である風鳴弦十郎だったが、気配を発しているのは彼自身ではない。
ともあればソワソワと落ち着かない雰囲気は、弦十郎を取り巻く職員たちの放つもの。
なぜにこのような状況に陥っているのかというと、とうとう産気づいた雪音クリスが本部内の医療施設に入院しているからだ。
「あの…司令。やはり、傍についていて上げた方が…」
本日、幾度目とも知れぬ声を上げたのは友里あおいだ。
対して、腕組みをしたまま弦十郎は答える。
「なに、ここもその気になれば一息で行ける近場だ。何も心配はあるまい」
「ですが…」
だったらなおさら子供の生まれる今日この瞬間くらい、ずっと妻の傍にいて上げればいいのに、と藤尭は思う。
友里も、いや、他の職員の気持ちも同様で、皆が口々に有給を取得すればいいのに等声をかけているのだが。
「皆の心遣いはありがたいが、うちの嫁さんの方が付き添わなくてもいいと宣言していてな」
幾度も繰り返している問答なのに、弦十郎の声は穏やかだった。
クリス曰く「出産は女の戦いだッ! 旦那は自分の戦いをしろッ」とのこと。
弦十郎は世界を特異災害から守る特殊部隊の長であるから、自分の任務をあだおろそかにするなということらしい。
ゆえに、弦十郎自身も、常在戦場の平常心なのに違いない。
不満そうに口元を膨らませ、友里は前を向き直っている。
こと女性目線からは強く進言できるが、結婚も妊娠出産経験もない身では説得力に欠いているからだろう。
結果として、泰然自若とする弦十郎は全くいつもの様相で、その冷静沈着なさまを藤尭は羨ましく思っている。
自分は神経が太くないから、間違いなく狼狽える自信があった。
…切歌ちゃんの時は、きっとオレは動揺しまくっているんだろうな。
そんな風に遠くない将来に思いを馳せていると、司令席のホットラインが鳴り響く。
発令所内に緊張が走る中、きっかり受信音を二つ数えてから弦十郎は受話器を手に取る。
「はい。…そうか、無事生まれたか」
その声に、発令所内の空気は反転した。
受話器を置く弦十郎に、皆が次々に「おめでとうございます!」と祝福の声をかける。
そのまま一気に祝賀会でも催されそうな雰囲気の中、弦十郎は「みな、ありがとう」と返事はするも司令席から動こうとしない。
「どうしたんです? 赤ちゃんの顔を見にいかないんですか?」
怪訝そうに友里が尋ねれば、
「いや、まだ就業時間中だからな」
さすがにこの返答には友里も血相を変えた。
「妻が自分の戦いを終えたんですよ!? 夫が労わなくてどうするんですかッ!」
「むう」
その迫力にたじろぐ弦十郎に、藤尭も後押しする。
「その通りですよ。こちらはオレたちに任せて下さい。何かあればすぐに呼びますから」
「……」
弦十郎は沈黙するが、その時間は決して長くない。
「…そうか。ならば甘えさせてもらうとするか」
そういって毅然と身を翻す様は、全く普段通りで羨ましい。
発令所を出て行こうとする弦十郎の後姿を見ながら、藤尭は自分もあの胆力を真似たいと願う。
直後、ぼこんッ! という音が響く。
見れば、発令所の扉の隣の壁が人型にくり抜かれていた。
―――訂正。あんなの、真似したくでも出来るもんじゃねえ。
「うふ、やっぱり司令も動揺していたのね」
隣席で微笑ましい声を出す友里に、バチバチと機材が火花を散らす壁の穴を見ながら突っ込まずにはいられない。
「いや、あれはそういう問題なの?」
就業時間を終え藤尭は発令所を出る。
ゆるゆると医療エリアへと赴けば、新生児室の前の通りは鈴なりの人だかり。
先頭には実に女性職員の姿が多く見られた。単純に赤ん坊というだけで、女性は興味をそそられるらしい。
ましてや弦十郎とクリスの子供で双子ということであれば、職員の誰もが一目は拝みたいと切望している。
「ふぉおおおッ! 可愛い! 可愛すぎるッッ!」
かぶりつきで見ているのは、予想通りの立花響。
リディアンから直行してきたらしい制服姿は、隣にいる小日向未来も一緒だ。
藤尭も赤ん坊の顔は見たかったが、他人を押しのけてまで見るつもりはない。
なので遠巻きにしていると、くいくいと制服の袖を掴まれた。
「朔也さんッ」
「切歌ちゃんか」
嫁であるところの暁切歌がこちらを見上げている。
「朔也さんも赤ちゃんを見に来たんデス?」
「ああ。そのつもりだったけどね…」
こんな大騒ぎだから、あとでゆっくりと出直そうかな。
そう切歌に告げると、彼女はにっこりと笑った。
「携帯電話に動画をとってあるけど、見るデスか?」
「へえ? そうなの? それは是非」
本日、弦十郎の替わりというわけではないが、クリスの傍でマリアと一緒に付き添ったという。
切歌の差し出してくる画面には、出産間もない双子の赤ん坊を両手に抱きかかえるクリスの姿が映っていた。
赤ん坊を優しげに眺めるクリスの瞳は完全に潤んでいた。
そのクリスの頬に優しく手を添え、一緒に赤ん坊の顔を覗きこみながら「良く頑張ったな」と労う水っぽい弦十郎の声も収録されていた。
全てがなかなかレアな映像記録ではなかろうか。
見終えた藤尭は、切歌に更に手を引っ張られる。
「クリス先輩のお部屋に挨拶に行くデスよ!」
「ええ? オレがお邪魔してもいいもんかな…」
基本的に、出産直後の女性の病室へお邪魔するなど、身内とかのよほど親しい関係ではないと躊躇してしまうところだ。ましてや藤尭は親戚でもなければ男性でもある。
「大丈夫デスよ! 司令さんもいるデスし」
そりゃあ旦那である弦十郎がいるのは当然だろう。
半ば切歌に背中を押されるようにして、藤尭はクリスの滞在している病室の前へ。
ありゃ、何もお祝いの品を持ってきてないや、と思い至っても手遅れだ。
「…お邪魔します」
室内へと入れば、ベッドで上体を起こすクリスに、そのそばに立つ弦十郎、椅子に座るマリアの面々がいる。
空調が完全に利いているはずだが、どことなく甘ったるく懐かしい匂いがした。
ああ、これはお母さんの匂いってヤツだ。
「お疲れさまです。そしておめでとうございます」
ベッドのクリスと弦十郎へ頭を下げる。
「うむ、ありがとう、藤尭」
「あたしからも礼を言うぜ。切歌がいてくれて助かったよ」
そういってくるクリスに藤尭は軽く驚いてしまう。
「え? 切歌ちゃんが何か役に立ったの?」
「…それってどういう意味デス?」
切歌が睨んでくる。
「え、いや、そういう意味じゃなくてね…!」
切歌も妊娠七か月の身重だ。そんな身体の彼女より、身軽なマリアの方が色々と動けるのは自明だろう。
しどろもどろでそう説明する藤尭を援護するように、クリスが口を挟んできた。
「いてもらうだけで良かったんだ。出産は大変だったけど、後輩の前で無様な姿は見せられないからな」
「そうかしら? パパぁ、ママぁとか滅茶苦茶に泣き叫んでいたようだけど?」
とマリア。
「ああ? そんなこと言った覚えはねーぞ!?」
「なら、そういうことにしておきましょうね」
いなすマリアを横目に、切歌に「どうだったの?」と尋ねてみる。
切歌はにっこりとしただけで答えてくれなかった。
そのあと、丁度夕食が運ばれてきたのを機に、切歌と一緒に病室を辞す。
そのまま家に帰る道すがら、切歌が尋ねてきた。
「アタシも本部の病院へ入院するんデス?」
「う~~ん」
藤尭はすぐに返事が出来ない。これはずっと考えているがなかなかに難しい問題である。
確かに緊急性や安全性を考慮すれば、S.O.N.G.本部である次世代潜水艦の中ほどの安全地帯は、世界中でも数えるほどしか存在しないだろう。
しかし、今回クリスがその選択を出来たのは、彼女にほとんど身内が居ないからだ。
身内の少なさは切歌もクリスに準じるが、藤尭の方は両親も健在。
出産前後の切歌の見舞いや、孫の姿を一刻でも早く目にしたいのは両親の望むところだろう。
だがS.O.N.G.本部で出産に及んでも、基本的に一般人は訪問することすらできない。
ならば市井の病院という選択になれば、シンフォギア装者である切歌に対する配慮が必要になってしまう。
そこいらへんの警備は弦十郎から大丈夫だと直接請け負ってもらってはいたが…。
とりあえずはっきりとした返事が出来ないまま、手をつないで歩く。
切歌は最近髪を伸ばしている。
全体的に髪が伸びたその横顔は、なんとも大人っぽく見えた。
藤尭は、出産を控えて短くするとばっかり思っていたのだが、なんでも短いままの髪型をキープするのも大変らしい。かえって手間がかかるので、敢えて髪を長く伸ばし、後ろで結い上げたりした方が楽な場合もあるそうで、切歌はそれを選択していた。
そんな彼女を引き連れて商店街へ入れば、方々から声をかけられる。
魚屋、八百屋、肉屋、お菓子屋、etc…。みな切歌が利用しているところばかりだ。
「最近、みんなの眼差しがとーっても優しいんデスよ♪」
大きくなったお腹を抱えながら切歌が笑う。
そんな彼女は、お気楽極楽な本来のキャラも相まって、いまや商店街のマスコットのようだ。
特に買い物もしていないのに「ほら、もってきな」と色々なものを貰ってしまう。
いちいちペコペコと頭を下げて、気疲れしつつも官舎へ戻れば、玄関先にローファーが揃えてあって藤尭はげんなりとしてしまう。
「お帰りなさい切ちゃん」
パタパタと駆けてきたのはエプロン姿の月読調だ。満面の笑みで切歌を出迎えてくれる。
一応藤尭も出迎えてくれるのだが、向けてくる笑顔は体感温度で20度ほどは差がありそうだ。
「もう、ご飯も出来ているよ」
そう切歌を気遣う調に声をかけてみた。
「そういえば調ちゃんは司令たちの赤ちゃんは見てきたのかい?」
「はい、学校が終わってすぐに」
それなりに返事はしてくれるのだが、なんかそっけない印象が捨てきれない。
自宅なのにアウェー感を意識しながら食卓に着けば、
「はい、切ちゃん。鳥胸肉のトマトソース煮に、柚子餡の風呂吹き御大根、それとスープ蒟蒻パスタだよ♪」
「御馳走デ~ス!」
「はい、藤尭さん。大根の皮のきんぴらに鳥皮のケチャップ炒め。ご飯はレンジでチンしてどうぞ」
「………」
メニューと待遇に格差を感じるのは気のせいだろうか?
いや、作ってもらっておいて文句をいうのも大人げない。
だいたい切歌に作ってもらっているメニュー自体、低カロリー高たんぱくの妊婦用メニューの見本みたいなものだ。栄養バランス、見た目的にも、ぐうの音も出ない逸品である。
そんな調自身は、涼しい顔でスパゲティナポリタンを食べていた。
「切ちゃん、デザートもあるよ」
「ほんとデスか!?」
「はい、りんご寒天におからクッキー」
全くの至れりつくせりに、藤尭の介入する隙がない。
まあ、それでも構わないか、と二人が後片付けする後ろ姿を眺めながら、一人食後のコーヒーを啜る。
「切ちゃん、お風呂入ろ」
そしてさも当然のようにお風呂セットを持って、調は切歌と浴室へと消えた。
しばらくして戻ってきた切歌がワンピースタイプの寝間着を着ていたのはともかく、調もピンクの水玉パジャマ姿なのに、藤尭は憂鬱な気持ちになる。
「あの、調ちゃん。今日も泊まっていくわけ?」
「あれ? 言ってませんでしたっけ?」
足しげく藤尭家に通い、夕食や風呂の準備をしてくれるのには感謝している。
同時に、一緒に夕食を食べた流れで泊まっていくことが増えていた。
調も自分にとっては家族同然と藤尭は宣言してしまった手前、邪険には出来ない。
が、結果として切歌と二人きりで過ごす時間は大幅に減っていた。
もともとは切歌も調もこのような生活を送ってきたらしいが―――調ちゃんの目的は、オレが切歌ちゃんとイチャつくのを妨害することなんじゃないの?
藤尭の予想は、おそらく当たっている。
入浴後も二人で肩を寄せ合い、生まれてくる子供の命名辞典や、赤ん坊用のグッズなどのカタログを眺めている。本来ならそここそが藤尭のポジションなはずなのだが、あまりにも仲が良さそうな様子に割って入る隙がない。
不承不承風呂へ入って戻ってくれば、
「それじゃあ、藤尭さん、お休みなさい」
調は切歌を伴い寝室へと消えた。
「………」
見送り、藤尭は憮然とする。
身重の切歌はベッドで寝るのは当然として、一緒に調が寝たがれば、やはりベッドを使うしかない。
そして藤尭家の寝室のベッドは、さすがに二人で寝るのでギリギリだ。
来客用の布団もないので、藤尭は仕方なくリビングのソファーで横になる。
なんか理不尽だ。オレは家主なのに。
そうボヤいたところで、早く眠らなくては明日の仕事に差し支えてしまう。
いつの間にかこの状況にも慣れつつある自分も嫌だな、と思いながら瞼を閉じた。
肩を揺すられ目を覚ましたのは夜半過ぎ。
「…朔也さん」
枕を持った切歌がこちらを見下ろしている。
「どうしたの、切歌ちゃん? 眠れない?」
寝ぼけ眼をこすりながら尋ねれば、首を振って切歌は小さく笑う。
「朔也さんと一緒に寝ようと思って」
「調ちゃんは大丈夫?」
「調なら、もうぐっすり眠っているデスよ」
「なら、おいで」
身体をずらし、ソファーの内側にスペースを作る。
嬉しそうに滑り込んでくる切歌の身体と、ほとんど密着する形になった。そうしないとソファーからずりおちてしまう。
切歌の両足が自分の足に。両腕は首に抱きついてくる。
藤尭も切歌の頭を抱きかかえるようにして、その額に軽く口づけ。
本当なら、夫婦の営みとまではいかなくてもせいぜいイチャつきたいものだが、調が近くにいるとあってはそれもままなるまい。
切歌の身体の暖かさと柔らかさ、それと彼女の香りを胸いっぱいに吸い込む。
しばらく頭を撫でて滑らかな髪の感触も楽しんでいたが、気づけば切歌は実に幸せそうに寝息を立てていた。
藤尭も満たされた気分で瞼を閉じ、再度眠りの世界へ旅立つ。
それから間もなく。
「…あいたぁッ!!」
ソファーから突き落とされる藤尭がいる。
痛む腰を摩りながらソファーを見れば、元気いっぱいに両手を突きだして爆睡する切歌がいるわけで。
どういうわけか彼女は、ベッドだと比較的大人しく寝ているのに、ソファーで寝ると異様にアグレッシプな寝相になる。
再度ソファーに一緒に横になっても、またぞろ蹴り落とされたりする羽目になることを、藤尭は経験則で知っていた。
繰り返すが藤尭家に余分な布団はない。だからといって床で眠るのは身体にも悪い。
仕方がないので藤尭は寝室へ赴く。
ベッドでは調が熟睡していた。
そんな彼女をベッドの端へと追いやり、出来るだけ距離を取ってその反対で横になる。
ギュッと瞼を閉じ、それなりに睡眠欲を満たした藤尭の朝は、枕で叩かれて目を覚ますことで始まる。
「ぷあッ!?」
ばすんばすんと羽毛まくらで顔面を叩いてくるのはもちろん調だ。
「なんでッ! 藤尭さんがッ! 一緒にベッドで寝ているんですかッ!」
そこに騒ぎを聞きつけた切歌もやってくる。
「どうして朔也さんが調と一緒に寝ているんデス!?」
二人の少女に責め立てられ、藤尭は眠い目を擦りながらせいぜいボヤくしかない。
「もう何度も同じやりとりしてるんだからさ、いい加減わかろうよ二人とも…」
そして玄関から響いてくる
「おはよう。…朝食の準備は終わったかしら?」
「めんどくさいタイミングでめんどくさい人が朝飯を食べに来ちゃったッ!?」