錬金術師がアジトに膨大な爆薬を錬成していることは把握していた。
イレギュラーは、そこに全く無関係の人間が存在したこと。
アジトの廃工場に、肝試しとばかりに遊びこんでいた地元の少年少女。
彼らを発見し、保護と避難誘導を担当したのは切歌だった。
間一髪、少年たちは逃したものの、切歌は廃工場の爆発に巻き込まれてしまう。
…イガリマのシンフォギアの防御力に、過去の爆発事例のデータと観測上のデータを重ねあわせて、吹き飛ばされたであろう位置座標を推定する。
「座標でました! 至急、待機班より捜索隊を…ッ!」
「藤尭ッ!」
顔を上げて叫ぶと、弦十郎の姿がすぐ眼の前にある。
「もういい、休めッ!」
意味を測りかね、壁の時計に目を走らせる。
なんだ、まだ事故から一時間しか経ってないじゃないか。
司令こそ何いってるんですか?
まだ間に合う。早く救援を…!
「おまえは丸一日以上、同じことを繰り返しているんだぞッ!?」
「…え?」
発令所を見回す。
風鳴翼は項垂れ、雪音クリスは泣き叫んでいた。
その姿を眺め、立ち上がろうとし、藤尭の意識はそこでブラックアウトした。
目を開けると消毒薬の匂い。
首を巡らせば、静脈に繋がれた点滴が吊るされているのが目に入る。
医務室か、ここは。
深夜らしく、人の気配はない。
上体を起こし、藤尭は胸を押さえる。
込み上げてくる吐き気は、心労と肉体的な疲労のどちらによるものか。
「…そうだ、切歌ちゃんを探さないと」
呟いた途端、意識を失う直前に見た弦十郎の悲壮な顔が克明に浮かぶ。
『切歌くんは……KIAだ』
Killed In Action―――「作戦中に死亡」。
…そんな馬鹿な。
あの子が死ぬはずなど。
額に手を当てる。
当てたまま、枕元の消灯台の上に、一冊の本らしきものが置かれていることに気づく。
誰かが意図的に置いていったのだろうか。
手に取り、中を開く。
一瞥して、藤尭は自分の手が震えるのを自覚する。
稚拙な文字で書かれたその内容は、切歌が筆者であることは間違いなかった。
そしてその内容は、藤尭の表情を固まらせるには十分過ぎた。
―――今日は、藤尭さんと初めてのデートでした。とっても楽しかったデス。
取り留めのない内容は、日記というより、忘備録のよう。
だが、そのデートの記述を境に自分の名前が頻出していることに、藤尭は脳の奥が痺れるような感覚を受けていた。
―――今日は、巴旦杏のケーキをご馳走になったデス。
―――今日は、一緒にチゲ鍋を作ってみたデス。
―――今日は、駅前の新しいアイスクリームのお店に一緒に買いに行ったデス!
感情を麻痺させたまま読み進め、藤尭の手は止まる。
―――今日、藤尭さんにキスをしてもらいました。
―――アタシは、きっと、調と同じくらい藤尭さんのことが好きなのもかも知れません。
その記述が一番新しかった。
「…なんで」
喉が狭まる。
胸が締め付けられる。
あの子は、なんで。
あの子は、何を思って。
あの子は……もういない。
「…ふぐっ…」
任務なんだと不承不承付き合う体で、オレは切歌ちゃんに構ってやることで年上の優越感に浸っていた。
何様なんだ、オレは。上から目線も甚だしい。切歌ちゃんが可哀想だろう?
…いや、可哀想と思うこと自体が失礼だ。
彼女は純粋だった。
優越感や可哀想とかいう目線とは全く別の次元でオレを慕ってくれていて…!
「切歌ちゃん…!!」
毛布を噛みしめた。
噛みしめた隙間から嗚咽が漏れるのを止められない。
藤尭は泣いた。
毛布に顔を埋め、胸に日記帳を抱き、泣き続けた。
いつまでも涙は止まらなかった。
ふらふらと歩きながら発令所へ赴くと、帰って休め、と言われた。
「命令ですか」
「…命令だ」
総司令である弦十郎とのやりとりは、それだけだった。
そのままふらふらの足取りで帰宅する。
正直、どうやって帰ったのかよく覚えていない。
周囲の人間が何やかんやと話しかけてくれたようだが、これもまるで覚えていなかった。
変哲もない自宅が出迎えてくれた。
なのになぜガランと広く、そして冷たく感じてしまうのだろう?
リビングのソファーに腰を降ろし、ただただ茫然とする。
「…そうだ。掃除しなきゃ」
ふとそんなことを口にしてみたが、ソファーから立ち上がれない。
掃除をしてしまうと、切歌の残り香まで消えてしまいそうな気がした。
見回せば、そこかしこに彼女の温もりが残っている。
最初は迷惑だと思っていた。
懐かれて鬱陶しいだけとも。
だけど。
オレの料理を嬉しそうに頬張る彼女の姿を見て、嬉しくなかったか?
以前に付き合った女性とは違い、切歌は真摯だった。
感情そのままの無邪気な振る舞いは、打算も何もなく裏表も存在しない。
いや、比較すること自体無意味だ。
彼女は、唯一の。
それはオレにとっても…。
藤尭は頭を抱える。
自分でも想像していなかったほど、彼女の存在は胸の中に焼き付いて離れようとしない。
あのとき、額以外にキスをしていたら、何か変わっただろうか―――?
今さら想いを巡らせても無意味だ。
過去の記憶を弄んでも、現実は決して変わりはしない。
認めろ。もはやこの世界に彼女は存在しないことを。
諦めろ。オレは大人なんだから。
「…駄目だ。出来ない…」
出来ない。
出来るわけがない。
意識しないように思っても、次々と浮かぶのは天真爛漫な少女の笑顔だけ。
藤尭はようやく気付く。
迷惑がっていたその実、いかに救われていたのか。
彼女の笑顔は、死と隣り合わせの仕事という現実を忘れさせてくれていたのだ。
手の中で弄んでいた原石は、手から零れ落ちて本当に価値があったものだと思い知る。
それは時の砂時計も同じだ。
時が流れ落ち、そこで初めて砂ではなく宝石だったことに気づく。
そんな教条めいた言葉を用い、埒もないことと割り切るには、感情が邪魔しすぎていた。
…ならば、感情のままに振る舞うしかないじゃないか。
顔を拭い、藤尭は立ち上がる。
それからエプロンを身に着けた。
声をかけられて顔を上げると、悲壮な表情を湛えたマリアと調が立っている。
「…何やっているの貴方はッ!?」
「見ての通りだよ」
フライパンを操りながら藤尭は答える。
「凄すぎるご馳走なの…」
調が思わず呟いたように、キッチンは異様なことになっていた。
テーブルの上に乗りきらなかった料理の数々は、リビングのテーブルでも足りず、床の上まで浸食している。
「…こうやって料理を並べれば、一緒に切歌ちゃんの思い出も頭から出ていってくれるかな、と思って」
ポツリと藤尭は言った。
作ったのは、今まで切歌に振る舞ったものばかり。
作るたびにそのことが思い出され、少しだけ感情も満たされるような気がする。
手を止めたその時に、途轍もない虚無感の反動がくるのは承知していた。
だから藤尭は料理を止めない。ただひたすらに作り続ける。
「貴方は―――ッ!」
抗う間もなく、マリアにフライパンと菜箸を取り上げられた。
「藤尭さん、もうやめてください」
調も心配そうに見上げてくる。
急に疲労を覚え、藤尭はよろめく。マリアと調が支えてソファーへと座らせてくれた。
「もしかして、ずっと料理をし続けていたわけ…?」
マリアの言に、藤尭はぼんやりと室内を見回した。
テーブルと床は料理に溢れ、所々には開封された段ボールが放置されている。
普段の藤尭家らしからぬ酷い有様だ。
「食材は全部通販で買ったんですか?」
と調。
確かに調理をする合間に、ネットで食材を注文した覚えがある。
だけど、配達員から受け取ったどうかの記憶は曖昧だ。
でも、段ボールがこうやって開封してあるのだから、間違いなく受け取ったのだろう。
肯定も否定もせず、ただぼーっとしていると、マリアと調が顔を見合わせ深い溜息をつく。
「なんにせよ、不健康が過ぎるわ。少しはお日様にでも当たってこないと」
言われて、初めて外が明るいことに気づいた。
家に帰ってきたのは夜中のはず。
でも、通販で色々とものを受け取ったのは昼間だったかな。
というか、今日は何月何日なのだろう…?
気づいたときには、藤尭は公園のベンチに座っていた。
マリアと調が引っ張ってきてくれたらしいのだが、二人の姿は見当たらない。
一人ベンチに座り、なにをするでもなくひたすら空を眺める。
中天にあった太陽がゆらゆらと赤く沈み、間もなく月が当たりを照らし出す。
…人は陽光型と月光型に分けられるという。
日陰で地味に目立たないように生きたいと思うオレは、間違いなく月光型だな。
対して、彼女は間違いなく陽光型だった。
過去形で語ったことにより、凪いでいた感情がさざめく。
心の奥底に沈んでいた海竜が目を覚ましそう。
さすがに外で泣きじゃくるわけにはいかない。
けれど部屋に戻る気力もなく、胡乱に視線を彷徨わせることでささやかな抵抗を試みる。
公園内のブランコ。
…切歌ちゃんが乗ってはしゃいでたっけ。
砂場。
…近所の子供たちをオママゴトで遊んでやっていた。
ジャングルジム。
…さすがにスカートのまま登ろうとしたのを止めたっけな。
「…くそ」
なんてことだ。
この公園でさえ、切歌との記憶に溢れている。
その温もりから無理やり視線を引き剥がし、公園の周囲に植えられた木々へと固定。
隙間を流れていくテールランプとヘッドライトをぼんやりと眺める。
冷たい夜風が心そのものを凍えさえ、寂しさを浮き立たせては通り過ぎていく。
…会いたいな。
ふと思った。
思わないでいようと思ったことを思ってしまったら、もはや切実だった。
会いたかった。
無性に会いたかった。
魂でも、霊でもなんでも構わない。
あの明るい笑顔がもう一度見られるなら、オレは…!
「藤尭さん」
幻聴か?。
顔を上げる。涙で滲んだ視界が輪郭を取り戻す。
木の影から、切歌がこちらを見ていた。
恥ずかしそうな表情を浮かべている。
…これは夢か?
だったら醒めないでくれ。
切歌がこちらへ向かって歩いてくる。
藤尭は反射的に立ち上がっていた。たたらを踏んで歩き出す。
それは間もなく小走りへと変わり、小石に躓いてつんのめる。
「危ないッ!」
受け止められた。ハッとして顔を上げる。
触れた手を離し、再度腕に触った。
確かな温もりが伝わってくる。
まさか、これは、本当に、
「…切歌ちゃん?」
「はいデス」
見慣れた、爛漫な笑顔に見下ろされた。
そうして腰を抱きしめる。強く。ひたすら強く。
「生きて…生きていたんだね?」
そう言ったつもりだけど、込み上げてくる嗚咽で言葉になった自信はない。
「ごめんさい、藤尭さん」
それだけを繰り返し、切歌が後頭部を撫でてくれるのを感じた。
その温もりが嬉しすぎて、腕に益々力を込めている。
どれくらいそうしていただろう?
ふと気配を感じて振り向くと、マリアと調が、それはそれは見事な土下座を敢行していた。
「今回はごめんなさい。本当にごめんなさい…!」
手入れの行き届いた髪が砂に塗れるのも構わず必死の様相。
あまりの光景に藤尭も思考を停止。すると彼女らの背後から苦い顔をした弦十郎たちが現れた。
「オレからも謝らせてくれ。済まなかった藤尭ッ!」
開口一番頭を下げられ、藤尭は困惑する。
こちらも併せて事態が呑み込めないでいると、マリアがおそるおそる語り出した。
「爆発の影響で、切歌の反応が一瞬ロストしたのは本当よ? 発見したのは私たちだし。
その上で、せっかくの機会だから、藤尭さんの切歌に対する気持ちを確認しようと思って…」
ようやく藤尭の頭が回り始める。
つまり、今回の件の大元は、マリアたちが仕組んだこと。
「その上で、オレたちも頼まれてしまってな。一芝居打ったつもりだったが…」
もちろんマリアだけではなく、弦十郎らの発令所の面々の協力も不可欠だ。
「…つまり、全員でオレを
「いや、一応すぐにネタばらしするつもりだったんだぞ? なのにおまえがあんな深刻な状態になって聞く耳すら持たなくなったのは全くの想定外でな。そこで急遽切歌くんたちの帰還を急がせたわけだが…」
しどろもどろになる弦十郎の傍らで、不機嫌極まりない声が上がった。
「おいッ! その件はあたしも聞いてねーぞッ!?」
怒りに声を震わせるクリスに、マリアはあっさり言う。
「ああ、貴女には伝えてないわ。だって隠し事なんて出来なさそうですもの」
「ざっけんなッ! あたしがどれだけ心配したと思ってんだッ!?」
ガンッ! と近くのジャングルジムを蹴り上げるクリスの迫力に、ヒッ!? と正座したまま抱き合うマリアと調。
その様子に、切歌も一緒に並んで謝ろうと身体を離そうとしたが、それは藤尭が許さない。
「…あの、藤尭さん、怒ってますデスか?」
クリスが先に怒りを爆発させてくれたおかげで、藤尭の気勢はそがれてしまっている。
だから、立ち上がって視線を合わせると、にっこりと笑って言った。
「切歌ちゃん。この間の約束、覚えている?」
「…あー。はい、一応覚えてますけど…」
笑顔のまま、藤尭は切歌の肩に手を置いた。
さすがに切歌の顔も引き攣る。
「ちょ、ちょっと待ってくださいデス! さすがにここでは…!」
最後まで言わせない。
切歌の唇に、藤尭は己の唇を重ねている。
そのまま少女の柔らかい唇を割り、口腔内に舌先をねじ込んだ。
「んー、んー、んーーッ!!」
パンパンと肩を叩きながら切歌が顔を離そうとするが、後頭部に手を当て、腰に手を回し、決して逃がさない。
存分に蹂躙し彼女の生を味わう。
「…ぷはッ」
ようやく顔を離せば、唇の端に唾液を光らせながら切歌はまるで酔っぱらったような表情。
どうやら一緒に腰も砕けたらしく、支えなしでは足もとも覚束ない様子。
「も、もう勘弁してくださいデース…」
息も絶え絶えに言ってくる少女の身体を抱きしめ、その耳元に藤尭は悪魔のように囁く。
「死んでも許すつもりはないから、覚悟しておいてね?」