帰宅すると、玄関先にローファーとハイヒールが揃えられていた。
…勝手に上り込むのは、本当に勘弁して欲しいな。
溜息をつきつつリビングへ行けば、そこには予想通りマリアの姿が。
「…あれ?」
藤尭が思わずそう声を上げてしまったのは、マリアの隣にいるのが調だったことだ。
てっきり切歌と一緒に来たとばっかり思っていたのに。
「ああ、お帰りなさい。お邪魔させてもらっているわ」
そういったマリアの表情も声も硬い。
隣の調の神妙な顔つきも見る限り、きっと切歌に関してのことだろう。
そしておそらく、お小言か何かのたぐいに違いない。
「今日は尋ねたいことがあってきたの」
ほら、来た。
「単刀直入に訊くわ。貴方、昨日、切歌に何をしたの?」
「昨日って…」
先日は日曜日。
切歌たっての希望で遊園地に遊びにいった。
それだけだ。
藤尭がそう答えると、
「本当? 本当にそれだけ?」
マリアが必死の形相で食い下がってくる。
その表情にややたじろぎながらも、藤尭は回想。
切歌は、いつもと特に変わったところはなかったと思う。
ああ、そういえば、観覧車に乗っているときに不意に頬にキスをされたっけ。
切歌は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。
もっと凄いキスをしたことに比べれば健全すぎる反応だったが、それが本来の女子高生というものだろう。
観覧車という密室とはいえ、藤尭とてそれ以上の行動で返すつもりもなく。
お互いに照れくさそうに窓の景色を眺め続けて下車したのは、まるで青春ドラマの一場面のようだったと思い返して自嘲しているほどだ。
「本当にそれだけだよ。遊園地で遊んだあとは、まっすぐ家に送ったし」
「…本当に?」
「疑うんなら、本部の車を使っているからトレーサーも機能していたはずだ。走行履歴を見てもらっても構わないよ?」
さすがにムッとして言い返すと、マリアはしぶしぶと引き下がった気配。
代わりに心配そうな表情を浮かべた調が、すがるように言ってくる。
「今朝になってから、切ちゃん、ずっと自室から出てこなくて…」
調の語るところによれば、朝食の時間になっても起きてこず、様子を見に行ってもずっと自室のベッドで布団をかぶってうずくまっているとのこと。
マリアと色々と声をかけるも、どうも反応は芳しくない。
おまけに時折、ぐずぐずと涙ぐむ声も聞こえるものだから、マリアたちは外部に原因を求めるに至った次第。
「う~ん…」
藤尭は腕組みをして考え込む。
昨日の帰り際だって「今日はとても楽しかったデス!」と満面の笑みを浮かべて別れているのだ。
それから急転直下の変化に対し、心当たりといわれても思い当たらない。
それでも、なんとなく、原因の一端は自分にあると考えてしまうのは自惚れだろうか?
「わかった。取りあえず、オレも切歌ちゃんと話をさせてもらっていいかな?」
「お願いします」
調の表情が少し明るくなるの確認して、藤尭は携帯電話を引っ張り出す。
電話帳を表示し、切歌の携帯電話の番号を検索しようとして、
「…あ、オレ、切歌ちゃんの電話番号知らないや…」
藤尭としては呆れつつ苦笑するしかない。
考えてみれば、全て直接顔を合わせてのやりとりに終始していた。
まるで携帯電話の存在しない前世期のラブコメ漫画みたいだな。
お互いに特に気にしていなかったってのは、なんとも。
「あ、それなら私の携帯電話で…」
調の差し出してくる端末を断り、藤尭は笑って見せた。
「ありがとう。でも、もしよければ今から君たちの家にお邪魔させてもらって直接話してみたいんだけど、構わないかな?」
切歌と調の暮らすマンションにやって来たのはこれが初めてではない。
それでも、私室へ入るのは少しばかり緊張する。
「切歌ちゃん、入るよ?」
一応、ノックしてから扉を開けた。
薄暗い室内は、年頃の女の子らしく甘い香りがする。
視線を巡らすとベッドの上の塊がびくりと動く。
「…切歌ちゃん?」
「藤尭さん…」
切歌がいた。どうやら膝を抱え、その上に布団を羽織っているよう。
藤尭は散らばったティーン雑誌や少女漫画を踏まないようにしながらベッドの方へと歩く。
ベッドへ腰掛けると、布団の隙間から出た金髪の頭にポンと手を置いた。
「閉じこもっちゃってどうしたの? マリアさんに調ちゃんも心配しているよ?」
「………」
ぐしぐしと髪をかき回してやるが、反応が悪い。
いつもなら、手に頬を押し当てて来るくらいなのに。
それでもじっと待っていると、切歌が顔を上げた。
薄暗い中でもはっきりと分かるほど目が赤い。頬も涙でごわごわだ。
予想以上に深刻な様子に、藤尭も少し驚いてしまう。
「…藤尭さん」
「うん?」
「あの、アタシと藤尭さんは恋人同士デスよね?」
「ふぁッ!?」
咄嗟に藤尭が返答できなかったのは、何も不実なわけではない。
恋人同士という青春ワードが実に久しぶりな上に照れくさく、しかもそれを真正面からぶつけられて動揺してしまったからだ。
「い、一応、そのつもりだけど…?」
それでもどうにか態勢を立て直し、しどろもどろながらも肯定する。
切歌と同年代ならともかく、この歳になると純粋な物言いを口にするのは恥ずかしいものだ。
言葉にしなくてもそれとなく察っして欲しいと思うのは、大人の我儘だろうか?
すると、切歌の赤い目に、またジワリと涙が滲む。
「ど、どうしたの?」
慌てる藤尭に、切歌はえぐえぐと泣きながら、
「…雑誌や本に書いてあったんデス…」
「え?」
「初恋は実らないって…!」
「………」
あー。
非常に、とても良く、切歌の泣いている理由が分かった気がする。
彼女の初恋の相手が自分であるということは光栄だ。
同時に照れくさく、なんとも妙な気分を催してきたが、今はとりあえず慰めるのを優先しよう。
「えーとね、たとえ本に書いてあっても、誰が書いたか分からない言葉なんて信用しなくていいんじゃないかな?」
「でも! クラスの女の子たちからも同じこと言われたデスよ!?」
「…それって、いっつも仲良くしている女の子たちから言われたの?」
そう訊ねると、切歌は虚を突かれたように軽く小首を傾げた。
「あんまり一緒に遊んだこととかない子たちからデスけど…」
「…それも気にしなくていいと思うよ?」
うん、たぶん妬まれているんだよ。
率直に告げるには、切歌は無邪気すぎる。
この子に、変に他人を恨むような真似をさせたくなかった。
そっと肩を抱き寄せると、切歌は胸にコツンと額を当ててくる。
「けれど、藤尭さんは滅茶苦茶頭がいいのに、アタシはおバカだし…!」
要は、釣り合ってないという意味だろうか?
藤尭は苦笑して、
「そんなの関係ないよ。そういうとこも全てひっくるめて切歌ちゃんなんだし」
暁切歌という少女の個性に、藤尭は強く惹かれていると思う。
装者という意味でも、彼女の存在は無二だ。
その戦いを今まで身近に見てきたものとして、地頭の良さなどどれほどの意味があるだろう?
「それってフォローのつもりデス…?」
ようやく少しだけ切歌は微笑んでくれた。
しかし、すぐにその表情は曇らせてしまう。
「でも、それだけじゃないんデス…」
「どうしたの?」
藤尭が再度尋ねると、瞳を潤またまま切歌は言った。
「その…マリアも調も、藤尭さんも、いずれはみんな死んじゃうデスよね? いなくなっちゃうんデスよね?」
なんとも唐突の物言い。
しかし藤尭は動じずに微笑み返す。
「オレは今ここにいるよ? それじゃ駄目なのかい?」
安心させるように手を握ってやる。握り返してくる手は震えていた。
「違うんデス! みんなとずっと一緒に居たいんデス! でも、必ずみんな死んじゃうんデスよね? そんなのは嫌なんデス!」
切歌の言っていることは支離滅裂に思える。
人は必ず死ぬ。それは自然の摂理だ。
むしろ幾つもの死線を潜り抜けてきた彼女たちの方が、よほどのそのことを弁えているだろう。
にも関わらず、切歌は必死で訴えてきている。
この矛盾に、藤尭は、彼女が本当に言いたいことを正確に類推していた。
そうか。そういうことか。
理解して、心が痛んだ。そして思う。
ああ、本当にこの子は子供だったんだな、と。
「オレが子供の時に見たのはテレビでね、国営放送の番組だったと思う」
「………?」
「その番組は、タンチョウの特集だったんだ。タンチョウって、知ってるかい?」
首を振る切歌に、藤尭は説明する。
鳥綱ツル目ツル科ツル属に属する鳥類。金魚にもタンチョウという種類があるため、タンチョウヅルといった方が一般的に分かり易いだろう。
もっともこの知識は後年になって得たものだ。
幼少の頃にテレビで目にしたのは、タンチョウという鶴の凛として儚げな姿形。それと二羽の夫婦を長い尺で撮影したドキュメンタリー。
タンチョウヅルは、いちど
仮に片方が病に倒れればその場にとどまり看病をし、死んだとしてもそのままそこを去ろうとせず、風雪が死骸を隠してしまったり、あるいは雨に流されてしまって、初めてその場を去ると語られていた。
もっともこれは通説で、今ではそこまで一途ではないと証明されている。
しかし、古来より、永遠の愛の象徴として扱われていたことは間違いない。
少年であった藤尭が映像より感じ取ったのは、タンチョウのそんな生態に基づくものではなかった。
ただ仲良く子供を育てる夫婦のタンチョウを見て、漠然とした不安を抱く。
続いて急に悲しくなって泣いていると、何事かと母親が駆けつけてきてくれた。
どうしたの、と尋ねてくる母親に、藤尭少年が口にした台詞は、切歌のものと酷似している。
『―――お父さんもお母さんも、いつかみんないなくなっちゃうの?』
タンチョウの夫婦に見たのは、幸せという概念のようなもの。
しかしそれも、番の死という形で終わりを迎える。
生きているものは必ず死ぬ。
そんな当たり前のことを、少年が初めて理解した瞬間だった。
だからといって自分が死ぬことを恐怖したわけではない。
いま、自分の周囲を満たしている幸福な環境から、愛すべき人たちがいずれは必ずいなくなってしまう。そのことを恐れ、悲しく不安に思って泣いたのだ…。
「藤尭さんもそんな風に考えたことがあるんデスか…」
素直に耳を傾けていた切歌の眼差しは、少し落ち着いてきた様子。
その華奢な肩を抱く手に力を籠めながら、藤尭は思う。
自らが語ったことを切歌に当て嵌めれば、今となってようやく彼女は幸福な環境を手に入れたことを意味する。
切歌の生い立ちは決して幸福とは言えない。幼少の頃に拉致され、便宜上の名前が切歌となっているが本名も素性も不明のままだ。
だが、マリアや調たちと過ごしてきたレセプターチルドレン時代すら包括して不幸と断ずるのは失礼だろう。
もっともこれは多分に切歌の主観に左右されるだろうから、藤尭の分析は余計なお世話なのかも知れない。
なので、藤尭がより深く思いを馳せているのは、以前彼女が仲間たちに残した遺書のような『てがみ』のこと。
フロンティアごと海中に没したと思われたその文書の再生に、藤尭も一役買っている。
かなり独特な文章表現や内容はともかく、その背景に存在する精神的傾向が、藤尭にとって強く印象に残っていた。
かつてのF.I.Sとしての活動は、世界を月の落下から救済するという目的が存在した。
その大義のために、レセプターチルドレンの全員が、己の命を賭ける信念と覚悟を持っていたことは分かる。
それは逆説的に、目的のためならば自分の命も惜しくないということ。
つまるところ、切歌の『てがみ』に記された陽気とも思われる文章の裏に藤尭が感じたのは、己の命に対する無頓着さ。自分の死は怖くない。それでいて調やマリアたちの身を心底案じていることに、
その視点から見れば、普段の能天気にすら思える明るく奇抜な言動も、死に対する無意識の防衛反応の現れなのかも知れない。
そう分析し、なるべく関わり合いを避けるつもりでいた切歌とこうも深い関係を結んでしまったことを、藤尭は半ば自虐めいた気持ちで眺めている。
…このオレが、まさかこんな歳の離れた子に、ね。
だが、決して後悔しないと思う。
そして、この子を出来るだけ幸せにしたいとも思っている。
願わくば、彼女にも後悔させたくないものだ。
「切歌ちゃんの言うとおり、人は必ず死ぬんだ。それは絶対に避けることは出来ない」
「………はいデス」
「それが嫌だからって、その日まで何もしないでいるわけにはいかないだろ? だから、みんなと一緒に色々なことを楽しむんだよ。それが生きるってことなんだ」
力説はしたものの、もうちょっと気の利いたことは言えないのかオレ、と藤尭の内心は少し情けない。
「…藤尭さんは、アタシと一緒にいて楽しいデスか?」
「そんなの、今さら言うまでもないでしょ?」
切歌の額に手を当て、髪を掻き上げてやると、ようやく彼女の顔が明るくなる。
よし、いい感じだ。
「それにね、人は死んだからって、全てが無くなるわけじゃない。そのことは切歌ちゃんたちが一番知っているんじゃないかな?」
「え? どういう意味デス?」
「ナスターシャ教授のこと、切歌ちゃんたちは忘れるわけがないよね」
「もちろんデス! マムのことは絶対に忘れるわけなんて…あッ!」
ハッとした顔つきになる切歌に、藤尭は笑いかける。
「中井英夫って作家さんは知っているかい?」
「…ごめんなさい。不勉強デス」
「いや、まあ、晩年はかなりエッジの効いた生き方をした人だから、別に知らなくてもいいんだけどね。この人は、最愛の人から、死んだらどうなる、って尋ねられててこう答えたと記されているんだ。『死んだら、他人の心の中へ行く』ってね。いい言葉だと思わない?」
「………」
切歌は無言だったが、柔らかく頷いている。
「人は他人から覚えていてもらえる限り、ずっと人の心の中で生きられるんだと思う」
「…藤尭さんも、アタシが死んだらずっとアタシのこと、覚えていてくれるデスか?」
「うん、それ無理」
にっこり笑って即答。
目を白黒させて絶句する切歌に、
「だって、これからもずっと一緒に生きるんだからね。それに、死ぬのなら、年上のオレの方が先だって」
手を振って、カラカラと笑って見せる。
すると、ぽかんと口を開けた切歌の顔が、たちまち真っ赤に染まっていく。
その様子に藤尭は首を捻った。
あれ? なんだろう、この反応。単に当然のこと言っただけなんだけどなあ…。
「ふ、ふ、ふ、藤尭さんッ!」
「うん、どうしたの?」
「そ、そ、それって―――」
「??」
もはや切歌は布団をかぶっていない。薄手のパジャマ姿でワタワタと手を振り回し狼狽している様子。
彼女のそんな姿に目のやり場に困っていると、背後から声が。
「それくらいにしておいて貰えないかしら?」
振り返ると、腕組みをしたマリアが居た。
その横では、頬を両手で覆って真っ赤な顔をしている調もいる。
「ふ、二人ともいつからそこに!?」
「最初からいたわよ」
うんざり顔をするマリアに、そういえば切歌の部屋の扉を開けたあと、閉めてはいなかったことを思い出す。
くっ、なんて叙述トリックだ! と藤尭は一人悶絶。
観客がいたとも知らず、滔々と自説を披露してしまったのも小っ恥ずかしいが、傍目には切歌とイチャついて見えていたであろうことが何より痛恨だ。
「まったく、聞いているほうが恥ずかしいわ。あー暑い暑い」
そういって手でパタパタと仰ぐマリアに、部屋から出ていくよう指示された。
まあ、確かに当初の目的は達したみたいだから、長居は無用かも。
部屋を出て行くとき調とすれ違ったが、物凄い目つきで睨まれる。
背筋が凍るような感覚を受けている藤尭に、マリアは言う。
「それじゃ、日取りは改めてあとで伝えるから」
切歌の私室の扉は閉ざされた。
中から何事か話し合う声が聞こえたが、立ち聞きする趣味はない。
…こうやっていてもしょうがないな。夜も遅いことだし、帰ろう。
マンションを辞した道すがら。
藤尭は先ほどのことを思い出さないようにする。
詳細に思い出したら、恥ずかしさのあまりに何事かを叫んでしまいそうだった。夜道でそんなことをしたら怪しいことこの上ない。
努めてぼーっと歩きながら、ふと藤尭は思う。
そういえば、マリアさんが言っていた日取りってなんのことだろう…?
そして、『その日のお昼に行くから』とマリアから指定された当日。
一体なんなんだろう? と首を捻りつつ、それでも「食事も作っておいて」というリクエストに応えた藤尭は、玄関チャイムの音を聞く。
「いらっしゃい…」
とドアを開けて、藤尭は一瞬茫然としてしまう。
そこには、髪を結いあげ、振袖姿の切歌が立っていた。そしてその背後にいるマリアと調も、上品そうな付け下げを着ている。
その珍しくも華やかな姿に驚いていると、マリアから溜息をつかれた。
「呆れた、なんて格好しているの貴方は」
「い、いや、それ以前に何の集まりなわけ?」
狼狽しつつ疑問を投げかけると、和装姿の三人の背後から新たな人影が。
「おう、藤尭ッ!」
「司令!?」
「おまえ、まだそんな格好しているのか?」
ダークスーツを着た弦十郎に、マリアと同様のことを言われてしまう。
一向に事態が呑み込めないでいると、マリアに軽く睨まれる。
「まずは中に上げて貰えないかしら?」
「あ、はい、どうぞ」
しゃなりと草履を脱ぐマリアの所作は完璧だ。
調も完璧な動作で草履を脱いだが、藤尭と目が会うと真っ赤な目で睨んでくる。
綺麗な髪飾りをつけた切歌の顔に薄く化粧がしてあることに見惚れていれば、弦十郎に背中を押されてしまった。
「ほら、何をグズグズしている? さっさとスーツでも着替えてこいッ!」
なんで自宅でスーツ?
疑問に思いながらも、司令の命令であれば否応もない。
ブラックスーツに袖を通しリビングへ戻ると、なにやら厳かな雰囲気。
なんとなく流れで正座する三人娘の対面に座れば、上座に座った弦十郎が尋ねてきた。
「藤尭、おまえ御両親はどうした?」
「そりゃ実家にいますが」
「…略式も略式みたいなものだからか? それでも構わないのか、おまえは?」
「司令が仰っていることが良く分からないんですが」
「よく分からないって、結納のことだぞ?」
「…結納?」
意味を脳内で検索する。
―――結納。
男女が結婚を約束すること。
意味は理解できたが、目の前の光景と結びつかない。
「あの…誰と誰の結納なんで」
「貴方と切歌に決まっているでしょッ!」
マリアの大喝に、藤尭は正座のまま後方へ仰け反る。
「ちょ、ちょっと待って下さい! なんでオレと切歌ちゃんが…」
「この間、切歌の部屋でプロポーズしていたでしょうッ!?」
マリアに詰め寄られ、藤尭は過去の発言も検索。
先日、切歌の部屋で彼女を慰めた記憶を辿る。
でも、そんな発言をした覚えは…。
「…藤尭さんはこれからもずっと一緒に生きてくれるって、約束してくれたデス!」
頬を染め、上目使いで断言してくる切歌がいる。
マリアが威勢の良いままに注視してくるし、調に至っては呪い殺そうとするかのように睨んでくる。
果たして、この状況で、あの発言はそういう意味じゃ…と撤回できる男がいるだろうか?
顔を青ざめさせる藤尭の肩を、力強く抑える手がある。
「いや、まさか藤尭に先に年貢を納められるとは思わなかったぞ」
そのままはっはっはと朗らかに笑う弦十郎は、悪意がないだけに余計タチが悪い。
「ともあれ、切歌くんを任せる相手としては、仲人の俺も大安心というところだな」
光速で埋め立てられていく外堀の音を、藤尭は確かに聞いていた。
だが、その明晰な頭脳を持ってしても、事態の推移に理解が追い付かず、結果として固まるしかない。
おそらく世界有数の処理能力を誇り、それを滞らせた男に、切歌は三つ指をついて頭を下げてくる。
向日葵を模した髪飾りが、金色の髪の上でシャランと揺れた。
「どうか末永くよろしくお願いしますデス」