ダンジョン、モンスターを輩出し地上の人に害なす尋常ならざる力を備えた存在とされまず何よりも危険視されている存在で、そんな存在を生み出すダンジョンは生きる人々にとって危険そのものなのだろうが僕にとっては嬉しくもあり悲しくなってしまう母の腕の中。
地上を照らす日の光が届かないダンジョンの内部に入り、女神フレイヤから逃れるべく空気を割きながら走る僕の背後から、猛然と迫ってくる強大な気配を感じるが加減をしているとはいえ僕に追いつける速度ではないと分かって僕らしくない安堵の吐息を吐いてしまった。
「あんなに強い人を見るのは初めてだよ……やっぱり世界は広いなぁ」
息を吐き、オッタルと呼ばれた彼の気配を背後に感じつつも僕は彼から逃れるべくより深い階層を目指して足を動かす。
なだらかだが小さな隆起は普段の足取りなら決してつまづかないだろうけど、いつ襲われるか分からないという恐怖と緊張などを感じながらでは意識が地形に及ばずに蹴つまずくこともあるだろう。
だけど、僕にとって此処は母の腕の中。
生まれながら備わっている自然と同化できる感知能力と大地そのものを味方にする力によって、この程度のどかで平和な平原と変わらない。
地を踏みしめて風となって走りぬける。
白い貫頭衣がたなびき風を感じる。
これでもそれなりの速度で徐々に背後の彼との距離が離れていっているのだが、なかなか諦めてくれない。
そろそろ諦めてくれてもいいんじゃないか、そんな想いも浮かんでくるが僕は胸が弾む様に何だか楽しくなってきていた。
だって、手加減しているとはいえ僕の性能についてこれる人なんて今まで見たことも聞いたこともなかったんだから。
壁から生まれつつあったモンスターや武器や盾を構えて緊張している何人かの冒険者の側をすり抜けて僕は更に下の階層に移動して、背後の彼も勢いを落とすことなく、それどころか少しづつ、ほんの少しづつとはいえ速度を上げていた。
「すごいな」
僕は自然と言葉にしていた。
何だか親近感が湧いてきた。
僕は母ティアマトの苦しみや嘆きを解放する為に、彼は信奉する女神フレイヤの願いを叶える為に。
色々と食い違ったり互いに理解できず共感もできないところがあるだろうけど、大切な誰かの為に。
その想いだけは違わない。
「ん? これは……場違いなモンスターがいるようだ。それに……これは彼かな?」
地上から数えて5階層に飛び込んだ僕は前方に感じた数多の気配の中で、この階層に出没するであろう周りのモンスターと比べ物にならない力のモンスターの存在と以前会話した事のある少年の気配を感じ取った。
どうやら彼は本当に迷宮都市に赴いたようだ。
農村に住み、人の活気と欲があふれたオラリオでは、浮いているかのようにあまりに純朴すぎる少年が場違いなモンスターに襲われそうになっている。
苦笑いだと思う。
今、僕の顔にどんな表情が浮かんでいるかは分からないけどこの際どうでもいいだろう。
見捨てるのも簡単だが、此処でまた会うのも縁だから今回だけは介入するとしよう。
何やら地下からそれなりの速さで大きな気配が登ってきているようだけどこれでは間に合うか微妙な所だし、母から力を分け与えられた風の精霊の力を感じるし一目見ておいて損は無いはずだ。
地面を蹴りつける足に込めた力を、更に増加させ、その反発する力を前へとてっんかさせて僕はさらなる速度を得る。
背後の彼と一気に距離が開いたけど、お目当のモンスターと壁際に追い詰められて縮こまっている少年の気配はもう目の前。
壁の向こう、あちら側からは見えない角から僕は飛び出し今まさに振り降ろされんとする二足歩行で筋骨隆々の猛牛のモンスターと壁際に追い込まれた少年の間に飛び込んだ。
「ブモッ?!」
『おやめ。恐れなくていい。今、この少年では、君を傷つけることはできないよ』
「…………ゥモ」
僕よりも上半身1つは大きな体躯の猛牛のモンスターは僕の言葉をきちんと理解してくれ、先ほどまで恐怖によって錯乱していたが徐々に落ち着きを取り戻し振り上げた剛腕を下ろしてくれた。
『いい子だね。大丈夫、僕は君を傷つけたりしないよ』
「モゥ……モゥッ!」
手を伸ばしモンスターの腕を撫でると彼は嬉しそうに声をあげた。
まるでじゃれついているように嬉しげな声をあげるけどこの大きな体に低い声では猫とはいかないね。
僕に備わっている生物へ語りかけることが出来る力は相手の意思や言葉を理解することも出来る。
どうやら猛牛の彼の明確な意思ともいうべきモノは読み取ることができないが、動物のように本能や微弱な意思を読み取ることは僕にも出来るようだ。
これが彼と同族の猛牛のモンスターであればもっと明確にその意思を読み取ることが出来るだろう。
「ぇ……あれ? 僕、死んでない?」
「そうだね死んではいない。だから、君もこれに懲りたら此処に来るのはやめにするといい」
「ぇ……? あっ! 旅人さん!? なんで此処に?!」
これも彼の純朴さや素直さを表すものと考えれれが、此処は仮にも生死の危険が当然のようにあるダンジョンなのだから脱兎の如く逃げ出しても命があるのなら儲け物だ。
さて、下来る二人と上から来る彼の対処をしなくちゃいけないのだけれど咄嗟の判断か僕の服の裾を掴んで後ろに隠れている少年をどうにかする方が先かも知れない。
『君、少しだけ隠れていてくれるかい? 少し狭いけど、ちゃんと匿う場所を作るから』
「ウモ……モッ!」
「ひぃぃ! ミ、ミノタウロスがまだ—— !」
僕の陰から彼を覗き見て少年は喉から絞り出した悲鳴を上げてしまい、近づいてくる者たちに彼を感づかれては同じ同胞として申し訳ない。
少年の視界を一瞬だけ僕の姿で覆い、ダンジョンの地面を操作して穴を作り彼をその中に落としてその穴を隠すように地面で覆ってこの場から彼/ミノタウロスの姿を消しておく。
後は徐々に地面の中の空洞ごと動かして彼が本来いるべき場所まで戻ってもらうとしよう。
「少年、もう大丈夫だよ。あのモンスターは此処にはいない」
「え?! あ、ほんとだ……」
「なら君は帰るといい」
まだ状況が理解できていない少年は何とか僕の服の裾から手を離してくれたとはいえその恐怖と緊張はまだ体から忘れ去られてはいないようでしきりに周囲を伺っている。
でも、何とか間に合ってくれたようだ。
「ミノタウロスは!? ……いない?」
「……テッ! そんなわけねえだろアイズ! レベル1の雑魚がミノタウロスを傷つけるなんざ、ましてやピーピー悲鳴あげてるような奴が倒せるわけねえェだろ?」
「でも……いないですよベートさん」
「……チッ。臭いは確かに此処だ。だが姿どころか陰もねぇのはどういう事だ? オイ! そこの雑魚どもッ! ミノタウロスはどこ行った!」
金の髪の少女に、出で立ちからして狼人の青年。
ミノタウロスが恐怖していたのはこの二人だったようだ。
その体からは尋常ではない気配と血の臭いを漂わせているし、ミノタウロスを戯れに殺せる程度に強いのは確実だろう。
「ミ、ミノタウロスならさっきまで居たんですけど……その、何処かに……」
「アァ?! だったらおかしいだろうが! ミノタウロスが此処に居たんならテメェらみてぇな雑魚、とっくの昔に死んでるだろうがッ!!」
少年は嘘は言っていないんだけど、狼人の青年には神のように嘘か本当か分かるような便利な能力はないらしい。
質問というよりもはや詰問と言ってもいいし、物騒な顔で僕たちへと苛立ち交じりに近づいてきたが何かに気付いたのかその動きをピタリと止め、緊張した面持ちで後ろへと振り返った。
「此処に居たか。ようやく逃げることを諦めたようだな」
「もう追いついたのかい? 本当にすごいね君は」
「……それでまだ逃げる気か?」
狼人の青年と金髪の少女が極度の緊張によって体を強張らせ冷や汗さえ浮かべながら決して視線を逸らさない先には、ミノタウロスよりも背が小さいとはいえ屈強な体つきの彼オッタルが近づきながら背中から無骨な大剣を抜き放っていた。
「『
「何でテメェが此処にいやがるッ!?」
「……『剣姫』に『
少女も青年も強いようだけど、オッタルとは歴然の差があるのは確か。
それは二人も分かっているようだし無闇に勝負を仕掛けようとしていない。相手との力量を理解しているようだし、後ろにいる少年を任せても問題はないだろう。
「彼が用があるのは僕だよ。あぁ、そこの二人。この少年の保護を頼むよ。下手に巻き込んではこの少年に労を割いた甲斐がないからね」
「アァッ!? テメェ何言ってやがんだ!」
オッタルの気迫に当てられたのか僕の後ろに居る少年はミノタウロスの時よりも酷い具合に狼狽していて動こうにも全く動けそうにないので、服の首根っこを掴んでポイっと青年へと投げておくと口とは正反対に狼人の青年は繊細に少年を受け止めてくれた。
その繊細さは青年の口ぶりからはとても似つかわしくないものなのだけれど、あの青年もオッタルの気迫を前に動揺しているようだ。
「戦うつもりはない。だが、これ以上フレイヤ様の手を煩わせる様であれば無理矢理にでも連れて行く」
「それだけの気迫の癖にと言いたいけれど、どうやら本当の様だね」
「それで、どうする」
「うん。僕としても、ちょっとした事情でこの先までついてこられるのは困るからね」
「ならば——論など不要だ」
多分だけれど、ダンジョンの上に栄える迷宮都市、いや地上に住む人という枠において目の前のオッタルという存在は最強と言って差し支えないという確信を僕は今得ることができた。
好きのない構えに並々ならない気迫。
無骨ながらも洗練された動きが見え、優雅とは真逆にいながら内包しているという矛盾。
だけど、だけどね。
すごく勘違いをしているよ君たち。
「誰が、君より弱いと言ったんだいオッタル」
これは、今から行くぞという合図。
僕の言葉を聞いて遊びや余裕というものを一切かなぐり捨てたオッタルは無意識の内に僕を殺す気概となって踏み込もうとしたけれど、それじゃあ僕には追いつけない。
だって本気の全力になった君であっても、未だ本気でも全力でもない僕よりも遅いのだから。
踏み込みは一瞬で、オッタルの懐に入る時間は瞬きよりも速く。
鋭く尖らせた手刀を刃と化して彼が手に持つ幅広で分厚い大剣を半ばから両断し、彼の意識が追いつかないままその側を駆け抜けた僕は、振り返って背中を向けたままの彼に話しかけた。
「今日の所は僕も帰るとするよ。また話をしようオッタル」