ダンジョンからの遠征を終え約一週間ぶりに地上の日の光を拝むことができたオラリオの二大巨塔であるロキ・ファミリアの主力部隊は武器や防具に消耗品を大量に消耗し傷を負った負傷者は居れど、死者0という快挙を残して深層から帰還し拠点へと戻って行く。
その姿を力なき冒険者たちは羨望の視線で眺め、市井の民は流石ロキ・ファミリアと噂話としゃれこむが先頭を行く小さな勇者にとって、次なる遠征に向けての対策が既に練られている事など誰も知る由も無いだろう。
強者の名を欲しいままにするロキ・ファミリアの中に、身を縮こませた白兎の様な冒険者が居たことなど周りの者は誰一人として気づかなかったとしても問題はないことと同様に。
「まずはこちらの失態によって発生した事について、ロキ・ファミリア団長として正式に謝罪させてもらうよ。申し訳ない事をしたベル・クラネルくん」
ロキ・ファミリアの拠点、くねった尖塔が何本も立つ奇妙な館の客間にて、見たことも触ったことはおろか聞いたことさえない様な上等な革張りのソファーに座らされたベルは、机を挟んで同じ造りをしたソファーに座る小人族の勇者の謝罪に目を動転させてあわあわと言葉にならない何かを口にする。
見世物として笑えるかもしれぬベル少年の動きだが、話を円滑に進めるという意味では全くの無意味かつ無駄でしかないのだが、小人族の勇者、『
まさに大人の余裕というそれだがそれがさらにベルの動転した心の動きを加速させるのだが追求しないだけ、この場に集まった全てのロキ・ファミリアの幹部や首脳陣、そして主神の優しさと言えるだろう。
「償い、と言えるか分からないが後で武器庫に案内するからそこにある物を一つ好きに持っていってもらって構わない。それでロキ・ファミリアからの正式な償いと謝罪としたいのだけれど……どうかな?」
「は、はひ! そ、それでいいですますっ!」
「ありがとう。それで、僕たちはこの様な案件が今後発生しない様に努めるつもりだ。だけど状況が正確に分からなければ対策の立てようが無いからね。あぁ、幹部であるベートやアイズから一通りの話を聞いているけれど当事者である君も話も聞いておきたいんだ。話してくれるかい?」
「は、はいっ! わかりました!」
ベルはフィンの言葉を額面通りにそのまま信じた。
こんな新参者にまで、しかも他所のファミリアの者にまで気を使ってくれるなんてと考え、思い出せることは何でも話そうと思い、先程まで自分が置かれていた状況を思い出せる限り話していくがそれは正にフィンの思惑通りであることにベルが最後まで気づかなかったことが救いだろう。
ロキ・ファミリアの団長であるフィンにとってこの様な人災を今後起こさない様に努める心は本物だが、ダンジョンの暗黙のルールとしてダンジョンで発生した損失や生死は当人の自己責任なのだから、それに沿うのであればロキ・ファミリアの過信によってミノタウロスを逃したのは彼らの過失といえど、ベル・クラネルへと発生した損失はダンジョンを甘く見誤った彼自身の過失なのだ。
それは、この場に集まったロキ・ファミリアの幹部陣は明確か不明瞭とはいえ持ち合わせている。
それなのにベル・クラネルという少年へわざわざ謝罪し話を伺うというのは何やらおかしなことでは無いかと、少しでも勘の良い者なら気付けることなのだがベルは全く気付くことは無い。
何故なら、ベルの純朴さを見抜いたフィンによる手腕なのだから。
フィン自身、その人の良さに騙している彼でさえも苦笑いを浮かべてしまうほど。
「なるほど。つまり、ミノタウロスに対処したのは君ではなく割って入った君の旧知である『旅人』さんということになるね」
ベルの話を一通り聴き終えて、彼の真の目的である『旅人』さんが出てきたことに真剣な面持ちの裏で冷静に思考し迷宮都市に存在する名のある者たちの名前や顔を羅列するが、該当する者は一人としていないことに頬を噛んだ。
「どういう風に対処したのか、君は知っているかい?」
「いえ……その、僕が知らない間に旅人さんが何とかしたみたいで……すみません」
「いや、君も命の危機を前にして冷静ではいられないはずだ。それを考えられなかった僕の判断ミスだ。気にしないでくれ」
申し訳なさそうにシュンとその小さな体を縮こませた様はまさに兎だ。
どうにも調子が狂うとフィンは思いながらもその視線を前に座るベルから思い思いに佇むアイズとベートへと向けて彼らの見解を無言で問うた。
「……そのガキの話が嘘か本当かはともかく、俺とアイズがそこに着いた時には確かにミノタウロスの姿も影もくっせえ血の臭いもしなかったがな」
「魔石も無かったよ、フィン」
「なら、件の『旅人』さんが君たちにも気づけないほどに素早く対処したとしたら?」
「……あり得るな。あの『猛者』相手に一歩も動かさずに対処できちまうんだからな。ミノタウロス如きブチ殺せてもどこも不思議じゃねぇ」
舌打ちでもしそうな程に険しい形相の狼人の青年、ベート・ローガだがその言葉は彼を知る者なら驚くほどに平坦でそこに込められた感情を伺わせないのだ。
長い付き合いであるロキ・ファミリアの面々も驚きはしたがベートの殊勝な様こそ真実を語っていると素早く判断した。
「アイズ。君も見たんだよね」
「うん……完全に『
「それで、オッタルの得物である大剣を半ばから文字通り両断した……」
「うん。スパって感じ。ガレスの斧みたいに叩き割るって感じじゃなくて……すごく綺麗な断面」
「ロキ、一応確認させてくれ。君の知る限り、オッタルの得物は深層から採れた高純度の
「まぁ神が嘘ついとるんならウチにも分からんけど、でもファイたんも言っとたし……確かや」
糸目で朱色の髪を頭の後ろで結い上げた露出過多なひんぬー女神のロキは顎に人差し指を当て、天井を見上げながら神妙な面持ちで確かだと口にしたが彼女自身自分の言葉を信じられずにいた。
「だって、鍛冶神のファイたん直々の作品やぞ? いくら神の力が封じられとるいえ神が作った剣や。それをどこぞ知らん奴に斬られるって……外に鍛冶神が居っておんなじ様なもん作ったかファイたんが流したかやな。いうても深層で採れもん使って作られたもんに匹敵、それ以上言うたら金の流れで分からんはずないわ」
それはあまりに筋が通り過ぎていて一切の反論の余地がないほど。
だからこそありえないと言う結論に行き着いてしまい、それ以上に『旅人』という人物が何者なのかと言う疑問が膨れ上がる。
「あ……そう言えば」
痛いくらいの沈黙が充満する客間に控えめで消え入りそうな声が上がったが、それは尻すぼみに小さくなっていきもはや消え入りそうな声量だ。
しかし何か一つでも『旅人』の情報が欲しいロキ・ファミリアとしては自然、視線が声の主ベル・クラネルへと突き刺さった。
「その、ミノタウロスなんですけど……旅人さんが何か言ったら途端に大人しくなってて……」
「その言葉が何だったか、君は分かるかい?」
「いえ……全然聞いた事ない言葉で意味も全く……すみません。こんな事しか言えなくて」
「……リヴェリア。魔法という線はないかな?」
ここにきて貴重な情報だ。
フィンはあらゆる可能性を思い浮かべ、そして最も可能性のある可能性に精通した者への見解を求めるためにその先に視線を向けた。
神々でさえ羨む美しき緑髪のエルフがその先にいた。
「あり得るな。魔法の正確な効果までは分からないが転移、または対象の精神の安静化、隷属などだろう。熟練した調教師という線がない訳でもないが、少年の言った通り何かを口にした途端にミノタウロスが大人しくなったのなら対象の安静化という線が最も高いと、私は思う」
「ガネーシャ・ファミリアにも探りをいれる必要があるね……」
悩むロキ・ファミリアの面々だが真実は未だ闇の中であった。
「えっと……コレはどういう事かしらオッタル?」
「申し訳ありませんフレイヤ様。あの者を連れくる事も出来ず、あまつさえフレイヤ様から賜った剣さえ文字通り両断される始末。如何なる処罰でも甘んじて受け入れます」
バベルの塔最上階から見下ろせる見事な絶景には目もくれず、オラリオの職人に作らせた最上質の椅子から思わず立ち上がってしまった神フレイヤは最も信頼する眷属が持ち帰ってきた剣を見て目を丸くしてしまった。
「貴方やアレンや数人のサポーター、それにヘファイストスの団長『
「はい。フレイヤ様の仰る通りです」
フレイヤ自身が尋ねたとは言え、自分の質問を思い返してその美しい顔を僅かに歪めてしまった。
最高の素材を使い鍛冶の神が作り上げた剣を両断する存在。
一体どんな武器を持っているのかとても興味が湧いてくるが、フレイヤが目をつけたのはその様な部分ではない。
「オッタル、正直に答えて頂戴」
「どの様な内容でも」
「現時点の貴方に、コレが可能かしら?」
フレイヤはそう言って跪くオッタルの前に置かれた両断済みの剣へと近づき、腰を屈めて神の視点を持つフレイヤをしても怖気がする様な鋭利すぎる断面にそっと触れた。
フレイヤが別たれた大剣に思いを馳せるなか、ほんの数秒が経過したが二人の間にはとても長い時間が経った様な、そんな不思議な時間が流れたがオッタルは恥をしのみ堂々とその質問に答えを出す。
「不可能かと。同じ剣があったとして砕く事は出来ますが——一撃で、レベル7に何をしたのか気づかせずに、両断する……不可能としか言いようがありません」
「そう……正直に答えてくれてありがとうオッタル」
いくらオッタルがフレイヤの従僕とはいえ、武を尊重する彼にとってこの質問はその矜持を傷つけるものだとフレイヤは気づき労わるようにオッタルの肩に触れた。
ピクリと震えるように僅かに動いたオッタルだが、その不安を打ち消すようにフレイヤは優しく触れて手を離し彼に背を向けて最上階から外の景色を見ることができる格子付きのガラス窓へとゆっくりと歩き窓を開けて外の空気を招き入れた。
優しく吹く風がフレイヤのプライベートルームに入り込み、彼女の滑らかなプラチナブロンドの風を揺らして髪が頬をくすぐった。
「とても、澄んだ色だった」
フレイヤの言葉が風に溶ける。
「炎のような情熱、揺らぎのない水面のような落ち着き、たおやかな慈悲、それでいて敵とみなす者にはニヴルヘイムさながらに凍てつく容赦のなさ……いえこれら全て彼の数多ある中の一面でしかない」
ほうと、息を吐いて体に篭った熱を逃がすフレイヤだがそれは誰も見たことがないような顔をしていたが、彼女に最も近いオッタルでもその背を見ている事しか叶わない。
「初めてね……欲しい、手に入れたいではなく——側に居て欲しい、なんて思うなんて、ね」
その言葉も風に吹かれて流れて消えていく。
「やぁそこのキミ! じゃが丸くんを食べていかないかい? 一つたったの40ヴァリス! 小腹が空いたらこれだよキミ!」
「じゃが丸くん……芋を揚げた食べ物だね。初めて見るな……うん。それじゃあ一つ買わせてもらうよ」
「まいどあり! どうだい? このじゃが丸くんの美味しさは!」
「……(モグモグ)……いいね。とても美味しい。へぇ……色々な味があるんだね。抹茶クリーム味……? なんだか不思議な色合いだ。うん、これも買うとするよ」
「へい毎度あり! しかし躊躇いなく抹茶クリーム味を買うとは……」