フレイヤ、ロキ、ガネーシャ、イシュタル、アポロン、ゴブニュ、ヘファイストス、アポロン、ディアンケヒトなど、僕が調べた中でオラリオに存在する大きなファミリアはまだまだあるけれど冒険者たちの管理を行い中立を謳うギルドの奥には神が居ることに僕は気づいた。
大地の声を聞くことができる僕にとってギルドの下に大きな地下空洞がある事を知るなんて無意識のうちに知れる事だし、そこで何やらこそこそとやっている事にも気づけない訳が無い。
ウラノスと言う名前の男神。
「ふぅん……随分と小綺麗な場所だ」
ダンジョンが生まれ地上へと進出し人を襲うモンスターが現れ始めた時、人々に恩恵を与え彼らの力をもってモンスターをダンジョンへと追いやり蓋をし、その上に迷宮都市の基盤を作り上げたとまことしやかに言われる神であれば、母を貶めた神の存在を知っているのではないかと僕は踏んでいる。
母さんの嘆きや怒り、そして在りし日の記憶を生まれた時に視た僕だけれどあまりに情報が断片的すぎたしノイズがかってて殆ど理解が及ばなかった。
ただ、地に伏した母に近づきその耳元で、
『泣いてしまった! 笑える三文芝居をありがとう』
そう言った神が居たのは間違いない。
で、あるならばその神は千年前かそれ以降に降りてきている可能性はあるはずだ。
千年も長い間、この地上に降りて来ているウラノスなら他の誰かが知らない情報を知っているのではないか、僕はそんな不確かな物にさえ手を伸ばさざるを得なかった。
僕はダンジョンを、いや母の愛憎を、ひどく楽観的に考えていたらしい。
母の落とし子で望みである僕がオラリオに踏み込み、ほんの上層とはいえダンジョンの中に入ってしまった事で母が動き出そうとしているのだ。
今まで心を頑ななまでに閉ざしていながらも溢れていた人と神への愛憎が、僕の存在をきっかけに感情が動き、それに触発され母そのものであるダンジョンが連動して活発になりつつある。
恐らくまだ時間は掛かる。
だけど人の歴史から見ても神の視点から見てもそれは余りに短い期間で母は再誕してしまう。
このペースでいけば、10年。
たった10年ぽっちで母は動き出す。
死に体の体のダンジョンでモンスターを生み出すというそんな甘いものではなく、自身でさえも制御できない愛憎に振り回されるままに生誕すれば、どう足掻いても地上は終わるし、天界に住まう神々でさえ止めることは不可能だろう。
きっとそれは母の本心だ。
だが同時に、止めて欲しいと、自分を殺してでも人や神を傷つけたくないという気持ちも母の本心。
感情というものは酷く、悩ましいものだ。
「ようこそギルドへ。本日は一体どのような御用件でしょうか?」
統一されたギルドの制服をキッチリと着てメガネをかけたエルフの女性が感じの良い微笑を浮かべて順番の回って来た僕に対応してくれたけど今は神ウラノスに会って情報を得ることが先決だ。
「神ウラノスへの面会を」
「え? いえ一般の方では面会は不可能かと、ウラノス様に会う事は神であっても許可がなければ難しい事ですから。もし宜しければこちらから言伝を預かっておきますが……」
「そうか。では伝言をお願いするよ」
「はい……それでは、どうぞ」
机の下からインクにペン、そして僕の伝言を書き留める羊皮紙を取り出した彼女の促しに従って僕は言葉を口にする。
「『10年』そう伝えてくれるかな?」
「あ……分かりました。ですが本当にそれだけよろしいのですか?」
「うん。神ウラノスが僕がそれなりに知っているなら気付く内容だけど……これに気づけないなら……愚かだと思って他に当たるとする。じゃあ、僕はもう行くよ」
対応してくれたギルド職員の彼女はまだ何か言おうとしていたが机から離れた僕に何かを問う事もできないし、そして次の人に対応しなければいけないのだから真面目な性分に従って仕事を頑張るはずだ。
なら追求されようもない。
それに、僕の真意を知ったところで母を悪と貶めた人の子が信じるはずもない。
知らなくていい事なんて、この世界にごまんとあるのだからね。
多くのモンスターの命の上に成り立っている魔石産業によって発展した迷宮都市という事実を鑑みて、やはり生命は他の生命の犠牲の上で成り立っているのだと思えた。
命を糧に育んでいく、そう考えたなら人も獣も神も変わりないのではないか。
城壁の上から壁に背を預けて地平線の下に夕陽が沈む様子を眺め、その暖かな光に僕は目を細めた。
壁の外に目を向けると、穏やかな平原の景色が広がり反対に迷宮都市へと視線を向けると帰路につく人々や夜の街に足を運び騒ぎ立てる活気ある人の姿が映った。
母が守りたかった、いや守りきった尊い光景がここにある。
母の記憶にあった原初の世界はそれはそれは酷いものだった。
今の世界とは比べ物にならない、生きることが偉業といえるような過酷で荒廃した世界の光景が目を閉ざした瞼の裏に映し出される。
全能を謳われながら神々は地上がどうして栄えたのか微塵も知らないなんて滑稽でしかない。
話したところで誰が信じるか。
与太話だとしてももう少し信憑性のある話か面白い嘘を言えと失笑されるのがオチだ。
知っているが故の苦しみ。
これは先日、バベルの塔の下で出会ったあの女神のように持てる者の悩みなのだろうか。
もしそうだとするならば、このような誰にも共感が出来ない悩みを抱える神という身分も存外に大変だと理解できるが、下界に娯楽を求めてやって来た神の悩みなんて面白いもの探ししかないだろう。
全てを味わい退屈だと口にし未知が欲しいなら、死ねばいいと思うのは勝手だろうか。
「君はどう思うかな? 風に抱かれた少女」
夕焼けの光が沈み込み、夜の暗さが辺りを包み暗くなって来た中で僕は城壁の上に現れた少女の方へと顔を向けて声をかけたが、少女は驚くように目元を僅かに見開きその端正な顔を歪めて立ち止まった。
「貴方は……誰? なんで私の魔法が風だって知ってるの?」
警戒と困惑。
自分のパーソナルを他人に知られているなんて僕も君が悪いと思うし、少女という繊細な年頃なら尚更だろう。
僕は対応を誤ったと思いその警戒と困惑を解消すべく、自分でもうまく笑えているか自信がないけれど微笑みを浮かべて彼女の問いに答えるべく言葉を選び紡ぎ出すしかない。
「初めまして、僕の名前はキングゥ。君が風にまつわる系譜である事を知っているのは——君の母親が<精霊>アリアだと知っているからかな?」
「何で……お母さんの事を……」
「申し訳ないけれど、僕がソレを知っている事について話すのはとても難しいんだ。君だって誰にも言えない秘密の一つや二つあるんじゃないかい?」
「う、うん……」
「ごめんね」
ずるい言い方だと僕自身思う。
僕から少し離れた所で佇む金髪の少女の疑問に答えてあげたいのは本心だ。
だって、この世界に生まれて根付いた原初の四大精霊は母ティアマトの子供といってもいい。
<精霊>アリアが母の子供と考えるのなら、その子供である少女に気付くことができるのは同じ母ティアマトの子供である僕なら当然だ。
少女が僕に気づいていないのは、恐らくその体と血に受け継いだ風の力を引き出し切れていないからだろうが、人である彼女にとってその方がいいはずだ。
何故なら、全てを引き出してしまえば人であるこの少女は心身ともに精霊になってしまう。
人の中で育ったのに精霊となってしまえば歪みが生まれ、少女自身を苦しめてしまう未来は確実だ。
だから僕ら二人はこうして会うことはおろかすれ違うことさえ本当ならいけない存在なんだ。
少女は少女のまま、僕は僕のまま、互いを知らずに生きていればよかったんだけれど先日少女に会うまで僕はこの因果に気づけなかった。
しかしこうして生まれてしまった後悔というのは本当にどうしようもない。
こればっかりは後から悔いてもどうしようもない。
彼女は知らず知らずの内に僕の気配に気づいてしまって、そしてここに来てしまった。
「もうお帰り。そして僕の事は忘れるんだ。君の人生において僕という存在は害にしかならない」
母の事を最優先するあまり他の事の重要性や気付くのが肝心な所で遅れてしまう。
母を解放した暁には僕がダンジョンになるのだから誰かの記憶にいても、生きていた僕という存在には何の意味もない無価値で無意味な過去の残滓だ。
「……私はアイズ」
もう夜といってもいい時間帯、オラリオの街の表通りに乱立する魔石灯の小さな光が暗闇の中で輝きながらその言葉は確かに僕の中に入り込んできた。
この場から去っていこうと、立ち上がって背を向け意識が彼女から離れた瞬間、そんな空白の不意を打った彼女の言葉。
「キングゥ……また会えるよね?」
「困った子だね。会えないと言ったばかりだろう?」
「まだ、お母さんのこと……ちゃんと聞いてない」
何も知らないのに強情だ、僕の気も知らずになんて身勝手だと、僕は思った。
だからこそ僕は強く思う。
母をダンジョンから解放して、僕が人身御供になることで兄妹というべき少女・アイズの悲しい宿命を解き放てるのなら僕が生まれた意味は確かにあったのだと、そう強く確信できるのだから。