Sword GENEZ Online   作:ゼミル

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7:遠き日

 

 

謙吾達からネペントの胚珠を横取りしたプレイヤーを連れて来た人物――――アスハブ。

 

 

 

 

昔本人から謙吾が聞いた話曰く、アスハブは元々チェチェン出身の少年兵上がり。まだ2歳か3歳だった頃に麻薬の仕入れにやってきたロシアンマフィアに誘拐され、マフィアの兵隊として教育された。

 

成長したアスハブはやがて抗争中に重傷を負って巻き込まれ見捨てられたが、その時ある人物に助けられた。

 

エレナ・ヴェガ。国際的な犯罪組織のボス。そして彼女の正体は植物兵器として造られた戦闘用の半植物人間――――謙吾が数多く殺した敵の中の1人。強敵の事は特に謙吾の記憶に残っている。

 

エレナに救われたアスハブは彼女の側近の1人となった。ようやく人間らしい生活を手に入れたのもその頃だと、アスハブは謙吾に語った。

 

浅黒い肌の少年はこうも言っていた。

 

 

『幼かった頃殆ど遊べなかった分、今はそれを取り戻す為にあちこちからゲームやおもちゃを集めて楽しんでるんだ』

 

 

この少年を殺したくない、と謙吾は強く思った。

 

差異は在れど、謙吾とアスハブは同類だったからだ。10にも満たない子供の身で戦場に放り込まれて、理不尽な子供時代を送った過去を穴埋めするようにゲームにのめりこんでいる。そんな似た者同士。

 

知り合ってからの数日間、謙吾とアスハブはたっぷりゲームで対戦しながら友好を深めた。だが結局、謙吾とアスハブは殺し合いをする羽目になった。

 

そもそも謙吾とアスハブが出会ったのはエレナの組織が所有する豪華客船で行われていた非合法な賭け試合の会場で、何故謙吾がそんな場所にいたのかといえばエレナの組織に奪われたGENEZを奪還する為の潜入任務中だったから。遅かれ早かれ、激突は避けられない運命だった。

 

そしてとうとうグリークスが本格的なGENEZ奪回作戦を実行に移し、謙吾の正体と目的もアスハブに知られ、互いを倒さなければならない敵同士とみなした2人も本気の殺意と拳を交し合い……

 

勝ったのは、当人も予想していなかった援軍の力を借りた謙吾だった。

 

だが謙吾はアスハブを殺さなかった。後に控えていたエレナとの激戦も制した謙吾が引き返した時、アスハブの姿は消えていた。

 

 

 

 

――――だけどまさかこんな場所で再会するとは、謙吾もアスハブもまったく予想だにしていなかった。

 

尤も予測不能という点では、さしもの謙吾もSAOが1万人のプレイヤーにとって巨大な牢獄兼死刑場と化すという展開をまったく想像できていなかった訳だが。

 

そちらについてはそもそも予測する方が難しいであろう。民間軍事企業(PMC)のトップエースである謙吾も、ゲームの世界では一介のプレイヤーでしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アスハブ……」

 

「あのプレイヤーとタイガは知り合いなのか?」

 

「……ああ、そうだ。昔色々あって、喧嘩別れみたいな形で会ってなかったけど、まさかアスハブも参加してたなんて……」

 

 

パーティ中唯一の部外者であるキリトに、事実の大部分を端折ってアスハブとの関係を簡潔に教える。

 

 

「自己紹介は後にして話を順番に進めていこう。まずはコイツの事からだ」

 

 

アスハブは拘束していたプレイヤーを謙吾達の方へ突き飛ばした。強く押し出されたそのプレイヤーは「うわっ」と間抜けな悲鳴を上げて地面に転がる。

 

 

「実は一部始終は遠くから見させてもらった。で、そっちからモンスターが落としたアイテムを横取りして逃げ出したはいいけど、自分で誘き寄せたモンスターの群れに逆に囲まれて危うく殺されかけてたソイツを俺が助けてやったんだ――――なるべくそっちの手でケジメをつけるべきだと思ってな」

 

「つまり2重に尾行されてたのか、俺達は」

 

「運が良かったんだよ。最初は<はじまりの街>の広場で謙吾達を見つけた時から接触しようと考えてたけど、人が多過ぎて途中で見失った。で、謙吾達が向かった方角から目的地を推測して、到着した村のNPCに片っ端から話しかけてこの森のクエストの存在を知ってまたすぐに追いかけて、ようやく見つけたと思ったらソイツがした事を目撃した訳だ」

 

 

ホルンカの村で受諾できるイベントは<森の秘薬>クエストのみ。真っ先にこの村を目指したとなれば目的は自ずと限定される。

 

 

「悪いけど、一応ここではタイガと呼んでくれないか」

 

「そっか、そういえばそうだよな。それじゃあそっちも俺の事はヨーシュって呼んでくれ。それが俺のここでの名前だ」

 

 

ヨーシュとはロシア語でハリネズミの意味。

 

思わず謙吾の口元が苦笑の形に歪んだ。アスハブのPNは謙吾とも縁深い名前だったからだ。

 

謙吾がチェチェンに派遣されて軍事顧問されていた時、彼の活躍に畏怖したロシア軍が謙吾につけたあだ名がヨーシュ。

 

浅黒い肌の少年の目元が鋭さを増し、自ら多くの死を与えてきた者特有の冷たい気配が彼の身体から俄かに漂う。

 

 

「それでソイツはどうする?ヨーシュ達の好きにすれば良い。生かすも殺すも、決めて構わない」

 

「――――俺達は1日でも早くこのゲームをクリアして、閉じ込められた他のプレイヤー達を1人でも多く生還させたいと考えている」

 

 

謙吾は首を横に振りながら、断固とした口調で告げた。

 

 

「確かにこのプレイヤーがした事は許されない事だが、だからといって殺すのは本末転倒だ。殺したりはしないさ。だけど奪ったアイテムは返してもらうぞ」

 

「わ、分かった。もちろん胚珠はそっちに返すよ」

 

 

ガクガクと何度も頷きながら、名も知らぬプレイヤーは震える右手でメインメニューを表示させた。その様子を横目に見ながら謙吾は仲間に確認を取る。

 

 

「皆も、それで良いな?」

 

「うむ、横取りされた物をちゃんと返してもらえるのであれば文句はないぞ」

 

「私も、謙吾が決めた事なら従うよ。武器は壊れちゃったけど、取られたアイテムを返してもらえればまた新しい武器も手に入るしね」

 

「俺は……そうだな。俺もそれで良いよ。向こうも<隠蔽>スキルの穴に気づかなくて危うく死にそうになってたんだし、それで溜飲を下がったって事にしておくよ。直接PKを仕掛けられるよりはまだ格段にマシだとも思うしさ」

 

 

意見は全員一致。

 

プレイヤーが指を滑らせアイテム欄を操作すると、発光エフェクトを伴いながら先ほどキリトが拾い上げた物とまったく同じ存在が出現し、空中から地面に転がり落ちた。

 

近づいた謙吾は盗まれた件の胚珠を拾い上げると七湖に手渡す。受け取った少女は、大事そうに腰のポーチへキーアイテムを収めた。

 

謙吾が「もう行って良い」と視線を動かすと、プレイヤーは転げるようにしてアタフタと再び夜の森の中へ消えていった。「ごめんなさい、ごめんなさい……!」と謝罪の言葉を残して。

 

 

 

 

 

 

 

改めて謙吾はアスハブと向き直った。

 

客船で知り合った当初は野生のジャッカルを連想させた鋭い表情は、謙吾の記憶と比べて僅かに緩んでいる気がした。顔つきも心なしかふくよかになっているようにも思える。

 

何を話せばいいのだろうか。再会に対する喜び?アスハブの母親みたいな存在だったエレナを殺した事についての謝罪?そのどちらも選択肢として正しくない気がする。

 

戸惑った表情で口を噤んでしまった謙吾と同じく、アスハブも口を開こうとしなかった。やや速足気味に謙吾の元へと近づいて行く。瞬く間に2人の距離が詰まる。

 

 

「今度また会えたら、言ってやりたいと思っていた事が山ほどあったんだが……」

 

 

事態の推移を見守るユキナ達が見ている前で、アスハブはおもむろに拳を振り上げた。

 

固く握られた拳が謙吾の頬へと捻じ込まれる。骨と鍛錬を積み重ねた拳がぶつかり合い、重たい打撃音が生じた。

 

壮絶な打撃音とは対照的に痛みは殆ど感じなかったので、謙吾は殴られた事よりもむしろそちらに対し少し驚いた。

 

代わりに残存している謙吾のHPゲージが若干減少している。これは注意しなくてはなるまい。痛みを感じずに済むのは良い事だと一見勘違いされがちだが、痛覚は身体の危険や限界を知らせてくれる重要な手がかりなのである。

 

 

「タイガは俺を騙した敵だったけど、俺の事を見逃してもくれた……エレナ様の事については、これでおあいこだ」

 

「アスハブ……」

 

「俺達は似てる。もう、タイガを殺す気にはなれない」

 

 

友達との和解を無邪気に喜ぶ子供のような、あるいはあらゆる体験を積んできた老兵のような、もしくはどちらとも兼ね備えた微笑みを浮かべてアスハブは謙吾へと右手を差し出す。

 

躊躇う事無く謙吾はアスハブの右手を握り返した。2人はどちらからともなく、ごく自然に抱き合った。

 

直接武器を交えて殺し合った者同士が和解するのは非常に困難だ。

 

だけど、決して不可能ではないという事も謙吾は知っている。某国から送り込まれた暗殺者だった彩離や、元ライバル企業のエースで戦場でも度々相見えた武田爪兵といった人物達。彼らも今では立派な謙吾の戦友だ。

 

 

「一緒にこのゲームを生き抜こう」

 

「ああ!」

 

 

力強く謙吾は言い切る。アスハブは笑みを浮かべて頷き返す。

 

アスハブの視線が謙吾から外れ、ユキナ達の方へと移った。

 

ユキナと七湖もアスハブとは面識がある。前者は謙吾同様エレナが所有していた豪華客船にメイドとして潜入していて、直接会話した事は無いが何度か顔を合わせた事があった。

 

後者は謙吾やユキナと共にアスハブと彼の仲間と戦った事がある。だがその時の七湖もGENEZを纏って顔を隠していたので、アスハブの方は七湖の顔は知らない筈だが。

 

中央アジア系の少年はまずユキナを指差し、

 

 

「アンタは地下遺跡以外の場所でも見た覚えが……思い出した、エレナ様の船のメイドの1人か。お前もタイガの仲間だったんだな」

 

「ああその通りだ。私の名前はユキナだ。宜しく頼むぞ」

 

 

次に七湖を示す。

 

 

「で、そっちの声も聞き覚えがあるぞ。もしかして地下遺跡でもう1体のGENEZを操縦してた奴か?

 

「正解。セブンだよ、よろしくね」

 

 

過去の因縁など感じさせない素振りでアスハブは美少女2人と握手を交わした。

 

最後にアスハブの顔がキリトへと向けられた。単に明らかに日本人離れした容姿のみならず、幼いながらに過酷な経験を積み重ねてきた人種特有の鋭い顔立ちで真正面から見据えられて、黒髪の少年は堪らず少したじろいでしまう。

 

気にした様子も無くアスハブはキリトにも話しかけた。

 

 

「お前とは初対面だな。タイガ達の仲間って事は、やっぱりお前もグリークスのメンバーなのか?」

 

「え、ええっ?いやその、俺はグリークスじゃないけど……そもそもグリークスって一体何の事なんだ?」

 

 

戸惑いがちに質問に質問で聞き返すキリト――――グリークス?ジーンズ?エレナ様って誰だよ?

 

彼とアスハブのやり取りを聞くなり、謙吾達3人の表情が一変した。やってしまった。この場のメンバーでただ1人一般人であるキリトの前で堂々と任務関係の事を話してしまうなんて!

 

ネペントの軍勢相手に大乱戦を続けたせいで、やはり謙吾達も精神的に少なからず消耗してしまっていた。ユキナと七湖も一緒だったせいでキリトもグリークスの関係者だとアスハブが勘違いしてしまったせいもある。

 

自分よりも年下であろう女顔の少年の反応に、アスハブも己の失言を即座に理解した。

 

顔を引き攣らせながら謙吾の方をチラリと確かめてみる。和解したばかりのゲーム仲間も同じような表情を浮かべていた。どこからどう見ても完全に自分の失策である。早合点し過ぎだ。我ながら間抜けにも程がある!

 

そこで助け舟を出したのは七湖であった。

 

 

「げ、ゲームの話だよ!彼(アスハブ)とはSAOより前にプレイしてたネトゲで知り合ったんだけど、ちょっと揉めちゃったんだよ!だったよねタイガ!?」

 

 

ナイス七湖!と心の中で親指を立てながら謙吾も七湖の発言に同調する。

 

 

「そ、そうなんだ!……プレイスタイルの意見の相違でついヒートアップして、その時は結局喧嘩別れになって、それからは会わずじまいだったんだ」

 

「あ、エレナ様は俺が所属してたパーティのリーダーだった人でな!弱かった俺を拾い上げてここまで強くしてくれた恩人だったんだ」

 

 

更にアスハブも加わって有耶無耶にしようとまくし立てる。

 

年長者達のただならぬ剣幕に、キリトはちょっとだけ腰が引けた様子で、

 

 

「そ、そうだったのか……まぁプレイヤー同士が他のゲームでも一緒だったりするのは珍しくないけど……デリケートな内容みたいだし、これ以上は聞かない事にしておくよ、うん……」

 

 

 

 

その言葉にそっと胸を撫で下ろす一同――――何とか誤魔化せた、か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホルンカの村に謙吾達が帰還したのは午後9時。

 

その頃には村の広場に新たに数名のプレイヤーの姿が出現していた。彼らも恐らくはキリトと同じ元ベータテスターだ。

 

彼らの視線は先んじて<森の秘薬>クエストを完了させた謙吾達一行に注がれている。妙に集中する視線に、ユキナの口からつい不審の声が飛び出した。

 

 

「何だか妙にジロジロ見られていないか私達……」

 

「あー……それは多分、今の時点でパーティ組んで行動している俺達が珍しいんじゃないかな?この村に辿り着いてる他のプレイヤーの殆どは自分だけ先に進む事にした元ベータテスターばっかりだろうし」

 

 

ただそれだけじゃないだろうけど、とキリトは内心付け足す。

 

現在、SAOにログイン中のプレイヤーの男女比は大部分が男に傾いているであろう事は、<はじまりの広場>に集められた全プレイヤーの顔ぶれをを思い出せば容易に推察できる。

 

ハッキリ言ってユキナはかなり高レベルな美少女だ。きりっとした顔立ち、洋画にありがちなアクション映画の女主人公というよりも時代劇に登場する女剣士のように凛とした振る舞い、グラビアアイドルも真っ青の見事なスタイル(特に胸)。

 

ユキナとはベクトルが違うが、セブン――――七湖も十分美少女と呼んで差し支えない外見だ。スレンダーではあるが触っれば虜になってしまいそうな柔らかさを漂わせる肢体。目が大きく、顔立ちは猫を連想させる愛嬌の持ち主である。

 

そんな今や希少な女性プレイヤー、それも超レアアイテムクラスの美少女が美貌を隠そうともしないでダブルで揃い踏み……目立たない筈がないだろう。

 

 

「(この可愛さであの強さ……まるでゲームやアニメに出てくるヒロインそのものみたいだよなぁ)」

 

 

目的の民家に辿り着く。ゾロゾロと家の中へ踏み込んでいく一同。

 

ハスハブを加えた謙吾達パーティの総数は現在5名。流石に1度にこれだけの数の人間が入ってくると室内が少し手狭に感じた。

 

 

「それじゃあまずは俺から行かせて貰って構わないかな」

 

「良いよ良いよ。キリトからお先にどーぞ」

 

 

七湖の許可を受け、数歩前に歩み出たキリトは中に居た中年女性のNPCに、腰のポーチから取り出したネペントの胚珠を手渡した。

 

NPCの頭上には金色のピックリマークが浮かんでいる。このアイコンがクエスト進行中の合図だ。

 

クエストのキーアイテムを受け取ったNPCは感謝の言葉をひとしきり捲くし立ててから部屋の隅に置いてあるチェストへと近づいていく。その中から取り出されたのは赤鞘の長剣――――<森の秘薬>クエストの報酬である<アニールブレード>。

 

 

「……ありがとう」

 

 

これでクエストは達成。無事クエストを終えたキリトにボーナス経験値が与えられたが、生憎謙吾達には経験値は与えられなかった。同じパーティではあるが<森の秘薬>クエストは1人用クエストなので、手順を踏んで直接NPCからクエストを受諾した者しかクエストクリアの報酬も配分されないのだ。

 

続いて七湖がキリトと同様の手順を経て<アニールブレード>を受け取った。その際七湖も「あ、ありがとうございます」とペコリと頭を下げた。

 

NPC相手にそんな事をしても意味が無いが、思わずそうしてしまうぐらいNPCの素振りや会話の挙動が本物の人間のそれに近かったのだ。頭上に浮かぶアイコン、一定パターンの動作を正確過ぎるぐらいのテンポで繰り返し続ける姿を予め目撃していなければ、すぐにはNPCと見抜けまい。

 

 

「皆お疲れ様……これでクエストはおしまいだ。あー疲れたー……」

 

 

キリトは身を投げ出すようにして近くの椅子へと腰を下ろした。そのままズルズルと姿勢を崩し、疲労感が色濃く滲む溜息を大きく吐き出す。クエスト達成のメッセージを見て遂に緊張の糸が切れてしまったらしい。

 

彼だけでなくユキナや七湖も同様だったようで、キリトのようにだらしなく椅子へとへたり込みはしなかったが、2人も安堵の息を長く漏らしながら緊張に強張った肩を脱力させている。

 

謙吾とアスハブは3人と比べれば大分余裕を残しており、これからの行動を相談し合っていた。

 

キリトは戦慄する――――最後の方で加わってきたヨーシュはともかく、タイガもネペントの大群相手の激戦で散々暴れ回った筈なのに、何でこうもケロッとしていられるんだ!?

 

 

「今日はもう宿屋に戻って休もう。もう皆も限界だし、揃えた武器ももう耐久値が限界寸前だ」

 

「俺はタイガ達ほど戦ってないからまだまだ余裕だけど仕方ないな……装備の限界ギリギリまで戦った分、タイガ達のレベルはかなり上がってるんじゃないか?」

 

「ああ、きょうだけでもうレベル5まで上がったよ。皆も同じぐらい上がってるな」

 

「そっか、俺もさっさとレベル上げてタイガ達に追いつかないとなー」

 

 

ボンヤリと会話する野郎2人をキリトが見つめていると、視界の端で鍋の中身をかき混ぜていた例の中年女性NPCが動きを見せた。鍋の中身を注いだ木製のコップを持って部屋の奥へ進んでいく。

 

おもむろにキリトは立ち上がって女性の後を追った。ベータテスト時代は見る事が出来なかった扉の奥がどうなっているのか、ふと興味を抱いて女性に続いて部屋の敷居を跨いだ。

 

 

 

 

待ち受けていたのは小さな女の子だった。

 

 

 

 

部屋の奥は寝室で、7歳か8歳ぐらいの少女がベッドに横たわっていた。もちろん彼女もNPCである。

 

少女はかなり血色が悪かったが、女性が差し出したコップの中身……謙吾と七湖が手に入れたネペントの胚珠を使って拵えた秘薬を口にすると、少女の顔色は血色を取り戻す。彼女から漂っていたやつれ気味の雰囲気も心なしか和らいだ気がした。

 

少女の顔が、部屋の入り口に立ち尽くしていたキリトに向く。

 

そして少女は言う。

 

 

「ありがとう、お兄ちゃん」

 

「………あ………」

 

 

見えない矢がキリトの胸を貫いたような感覚。

 

衝撃を感じた部分から熱い奔流みたいな何かが込み上げてきて、キリトの口や目元から溢れ出しそうになった。

 

1歩、後ろへよろめく。背中に何かがぶつかった。ハッとなって振り向いてみると、いつの間にか謙吾がすぐ背後まで近づいて来ていた。彼も寝室の様子を覗きに来ていたらしい。

 

謙吾だけでなくユキナや七湖、そしてアスハブも落ち着きを失いかけているキリトに注目している。その事に気付いたキリトは、寸での所で噴き出しそうになった感情の奔流をグッと抑えこもうとした。

 

だが完全には抑え込めず、震える声が勝手に口から漏れ出てしまう。

 

 

「……昔、似たような事があったんだ。俺、妹が居てさ、大分前に妹が風邪で寝込んで、俺1人で看病しなきゃいけなくなって、そしたらアイツ、いきなり『生姜湯が飲みたい』って言い出して……」

 

 

震える声と途切れ途切れの独白が、キリトの今の心境を謙吾達へも雄弁に教えてくれる。

 

黙ってキリトの独白を聞き続ける4人。

 

 

「母親に電話して、どうにか生姜湯を作って持って行ってやったらさ、スグの奴いつもは憎まれ口しか叩かないくせに、その時だけ殊勝な顔して――――」

 

 

 

 

 

 

言葉が途切れる。

 

感情の鉄砲水を堰き止めていた自制心が限界を迎える。

 

 

 

 

 

 

「…………会いたい。会いたいよ、スグ、母さん、オヤジ、帰りたいよ……!!!」

 

 

悲痛な呻き声の直後、キリトは顔を手で覆って嗚咽を漏らし始めた。

 

望郷の念を爆発させて泣き言を漏らす黒髪の少年の姿を前に、若くして戦場に身を置く学生傭兵と元犯罪組織の幹部だった少年は、彼の事を情けないとは思わなかった。

 

戦場に長く過ごしていれば様々な光景に遭遇するようになる。自分達よりずっと年上の大人が今のキリト以上に醜く泣き叫ぶ姿を目撃した事がある。

 

そもそも謙吾だって笑えるような立場でもない。謙吾もまた家に帰りたい、家族に会いたいと泣き喚いた事が何度もあった。似たような境遇の仲間達も同じように泣いていた。

 

だけど結局、その願いは果たせなくて。仲間達も次々死んでいって、敵をどんどん殺していって。

 

 

 

 

――――やがて謙吾は戦場に慣れた。人を殺しても、仲間が死んでも、涙を流さなくなった。

 

 

 

 

謙吾同様、幼い時分から捨て駒代わりの少年兵として養成されたアスハブも似たような経験をしているであろう。

 

そもそもキリトがここまで冷静さを失わずにいられた事自体称賛に値してもいい筈だ。<はじまりの広場>に集められたプレイヤーの大多数のようにその場でパニックに陥らず、自分なりに熟考して行動を起こし、ここまで謙吾達を導いてみせたのだから。

 

それも高校生である謙吾達よりも更に年下の、まだ中学生ぐらいの少年がだ!

 

 

「――――そうだな」

 

 

謙吾は静かにキリトの言葉に同調してみせる。

 

細かく慄くキリトの肩に手を置き、しゃくり上げ続ける年下の少年の痛々しく歪められた顔を覗き込む。

 

涙までは再現されない仕様らしく、クシャクシャの表情とは対照的に涙がキリトの頬を濡らしてはいなかった。

 

だがもしかすると、現実に取り残されたキリトの生身の肉体の方は、SAOに取り残されたキリトの感情に呼応して涙を流しているのかもしれない。傍らで見守る彼の家族の目の前で。

 

 

「だったら必ず生き残って家族と再会しないとな。絶対に、皆揃って、SAOをクリアするんだ」

 

「ああ……ああ………!!」

 

 

感極まったらしく、キリトは謙吾の抱きつくようにして彼の肩に顔を埋めながら、何度も何度も頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

少年の嗚咽など微塵も聞こえないかのように、民家のNPCはプログラムにそって動き続ける――――

 

 

 




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