真相ノイズ 作:タチマ
――物心つく前から、自分はどこか人とは違っているんだなと感じていた。自覚をしたのは幼稚園に上がった頃からだろうか。何を言ったのか詳細は覚えていないが、無邪気だった俺は先生に先生しか知りえないであろう事柄を指摘してしまったのだ。
当然先生は戸惑った。口にしていないのに自身の事情を指摘してくる幼稚園児など、不気味に見えて当たり前だろう。初めは笑顔で流していた先生だったが、2度、3度と繰り返していく内にその顔は恐れに代わっていき、一月もすれば俺の前から姿を消してしまっていた。
そんなことを何度か繰り返し、入園から半年もたたない間に俺は幼稚園から追放されてしまった。原因は言うまでもなく俺である。先生が変わるたびに、その心の内を暴いてしまう俺のことを扱いきれなかったのだ。最期の方には常に気味が悪いものを見る目で見られ、出ていく俺を睨みつけながら怨嗟の念を吐く園長先生の瞳は、今でも忘れることができない。
その後幾度か他の幼稚園や保育園をたらい回しにされた後、俺の身は祖母に預けられた。元々両親はこの特性が判明した時から、俺のことを疎み始めていた。生まれた時から数多の人々の声を受信していたこともあってか、言語発達自体は早かったものの情緒は安定せず、真っ当に成長をしてきてはいなかった。俺に接する両親の心の中はいつも荒れ狂っており、二人の下を去る時にはもう父の姿を見ることも無くなっていた。
中でも一番負担を背負っていたのは母であろう。責任感の強かった母は、俺のことを気持ち悪がったとしても放り出すことはしなかった。精一杯自分のできることをやろうとしていた。笑顔の裏に本音を隠しながらも、必死に俺のことをわかろうとしてくれていた。
だからこそ、だったのだろう。責任感が強く善人だった母は、自分の息子を捨てるという選択肢を持つことができなかった。結果、母は自分の許容量以上のものを受け止めようとして、壊れかけてしまった。育児ノイローゼも発症してしまっていた母の心は、とっくに限界を迎えていたのだ。母の心の声を受信していた俺は、母の心が少しずつ壊れていく過程を聞き続けてきた。悲痛な母の叫びは俺の心に突き刺さっていた。故に俺は、家族から離れることに反対の声を上げることはできなかった。
そうして祖母の下に赴いた当初、俺は人間不信に陥っていた。外を歩けば、嫌が応にも頭の中に声が流れ込み、心を蝕んだ。対話をすれば、その人物の本音が飛び込み、恐怖を抱いてしまう。人と関わるということ。それ自体がとても恐ろしいものに感じられ、身動きが取れなくなってしまっていた。
唯一の救いは、祖母が俺と同じ能力を持っていたことだろう。俺の能力の大本ともいうべき力を祖母は有しており、その特性を知り尽くしていた。祖母から師事を得ることで、俺は少しずつ再び人と関わることができるようになっていった。
とはいっても一度根付いたトラウマは、そう簡単には拭い去ることはできなかった。なぜなら能力の抑制を覚え、受信する数を少なくできたとしても、どうしても聞こえてきてしまう声は存在していたからだ。能力自体を無くすことのできず、常に無数の人々の思考の波にのまれる生活が終わりを迎えることはなかった。
根が素直で、発言と思考が似通っている人であれば問題はない。だが人間には建前と本音を別々に備えている者もいる。あくまで俺の経験上ではあったが、そういった人物ほど社交的で、見かけ上は好意的に捉えられるであろう印象を持っていた。周囲から浮いてしまっている俺を気にかけ、輪の中に入れようとしてくれるくらいには。
彼、彼女等は間違いなく好人物といっていい人たちであっただろう。輪の中に立って皆を導く良きリーダー。そんな役割を担っている人ばかりだった。その心中を知る術さえ持たなければ、彼らに導かれながらそれなりに楽しい日常を過ごすことができたはずだった。
――こいつ暗いなあ。正直あんまり関わりたくない。でもここで行かないとなあ。
――また寝てんのかよ。せっかくこの間連れてってやったのに。台無しじゃん。
――めんどくさいなあ。また俺かよ。勘弁してくれ。
声をかけてくる度に、近づいてくる度に聞こえてくる声。強制的に受信される声はどれもがノイズがかっていて、無機質なものだった。だがそれでも、はっきりとわかる、わかってしまう。それらの声は、俺に親切にしてくれる人たちから発せられるものだと。手を引こうとしてくれる、微笑みかけてくれている顔の裏でそのようなことを考えているのだとわかってしまったら、もう駄目だった。
俺は、差し出されるそれらの手を掴むことができなかった。手を伸ばされるたびに、怯える俺の姿は滑稽で、不自然なものだったのだろう。次第に周囲から人は遠のいていき、気が付けば一人になってしまっていた。
人と関わるのが怖い。特に俺に善くしてくれる人がとても怖い。刻まれた不信は、いつしか諦観へと変化していった。人に期待しすることを止め、人を信じることができなくなり、人とのかかわりに希望を持てなくなった。
そうして自暴自棄になって初めて俺は、人とまともに接することができるようになった。過度な期待を持たなくなったことで、開き直ったといってもいい。
語りかけてくる言葉をあしらい、心の声を聴きながら、適度に流す。いつの間にかそういった処世術を身に着けることができていた。祖母はそんな俺に対して、哀しそうな眼をしながらも、何も言うことはなかった。何も言うことができなかったというのが正しいのだろうか。同じ能力を持っているからこそ、俺の現状を、こうなってしまった理由を理解できたのだろう。訓練の中で時折俺を心配する声が聞こえてきたが、その全てを無視した。祖母には悪いと思ったが、昔よりも幾分もマシな状態になった今に不満などなかったのだ。むしろ掘り返されることの方が嫌だった。そしてそのまま、数年の歳月が流れていった。
転機を迎えたのは、中学3年の夏だった。祖母に連れられた俺は、都会近郊のベットタウンである静乃宮にある静乃宮学園の見学に向かった。なんでも訓練の最終段階として、高校からはこの学園に通って、総仕上げを行えということらしい。特に反抗をするつもりもなかった俺は、すぐに首を縦に振った。
校舎や施設を適当に見ながら、同じように見学をする同学年であろう人たちの声を聴く。
――綺麗な校舎だなあ。グラウンドも広いし、いいかも。
――うっお、あそこからプールの中見えんじゃん。ラッキー。
――今日暑すぎ。早く中入りてー。終わんねーかな見学。
――どうでもいいからゲームしてーなあ。帰りたい。
純粋に学園を見学し、進路を定めていく人。邪な感情に流される人。高い気温にいら立つ人。早くも家に帰った後のことを考える人など。様々な人がいる中、俺は能力を使ってそれらの思考を受信していた。訓練の一環である。不特定多数の人の思考を読むことで、受信をする脳に適度に負担をかける。そうすることで少しずつその処理能力を上げることが目的だ。祖母と現在ともに住んでいる田舎よりも圧倒的に人口の多いこの都市で生活をするためには、この環境になれる必要性が出てくる。お誂え向きにそういった場が今用意されているのだから、経験をしておくことに越したことはない。目を閉じ、抑えていた受信の感度を上げる。聞こえてくる声をそれぞれ処理しながら、見学の時間が終わるのを待った。
数刻後、俺は学園を出て祖母の待つビジネスホテルへと向かった。周囲の環境や人々の様子を観察しながら、帰路を歩く。少しすると大きな道へ出た。夏休みだからか、平日であってもそれなりに人が歩いていた。人の流れに沿うようにしてしばらく進んでいると、奇妙なものが視界に入った。
真っ白なワンピースを着た、少し色素の薄い黒髪を靡かせた少女。容姿もそれなりに整っており、小柄ながらも気品を感じさせる出で立ちは、どこかのお嬢様のようにも見えた。
それだけであったならまだ可愛いなあと思いつつもスルーしただろう。だが少女は、何やら眼帯を付けた大きな熊のぬいぐるみを抱きしめ、虚空に向かって話しかけていたのだ。その目に光はなく、どこか不気味な様相をしていた。とてもじゃないが、普通ではない。通り過ぎる誰もが少女のことを避けていた。
俺にはその光景が、どこか他人事には思えなかった。シンパシーを感じた、と言ってもいい。平常であれば近寄ろうなどとは考えないのだろう。だが俺はどうしても無視できなかった。少女の姿が浮世離れしていたからだろうか。それとも人から避けられるその姿に、自分を重ねてしまったからだろうか。理由は無数に思い浮かべられるが、そんなことはどうでもよかった。重要なのは、ここで俺が少女の下へ歩み寄ったということなのだから。
きっと俺は、生涯この日のことを忘れることはないだろう。
止まってしまっていた俺、橘一真の物語は、間違いなくここから始まったのだ。
「あのさ、君。どうしたの――」
「すったらもんだこの若造! 何をしてんかわかっちょんか!」
「……え?」
それが良きものであったかは、さておいて。
一体この少女は誰なんだ……