夢を持っていた。
 
 この世界の主人公になって、ヒーローになること。


 けど、結局その夢はかなわなかった。


 私は、主人公になれなかった。

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『つよいポケモン よわいポケモン
 そんなの ひとの かって
 ほんとうに つよい トレーナーなら
 すきなポケモンで かてるように がんばるべき』


 けど、それで結果を残せるのは、天才だけなんです。


みなわのゆめ

 世の中にはヒーローが数えきれないほどいると、幼いころに知った。

 誰かを助けるヒーロー。世界を変えるヒーロー。人々の望む世界を作るヒーロー。

 

 世界はヒーローで満ちていたのだ。

 だから私も、ヒーローになりたかった。女なのでヒロインだとか、そういうのは気にせずに、ただ純粋にヒーローになりたかった。

 しかし大きくなるにつれ、とある事実にぶつかった。

 

 私という存在は、ヒーローにはなれないのだと。

 

 私は世の中の歯車であり、決してそれを動かす役割ではないのだと、悟った。悟ってしまった。

 

 だけど、それでも望んだ。

 全員から羨望されなくてもいい。尊敬されなくてもいい。誰も見ていなくてもいい。

 

 

 ただ、主役になりたかった。

 自分が中心の世界で、やりたいようにやって、したいようにしたかった。

 主人公になりたかった。

 

 

 けどやっぱり世界は残酷で、そんな小さな少女の願いなんて、全く叶えてくれなかった。

 私はいつまでたってもわき役であり、他の主人公を目立たせるだけの存在だったのだ。

 

 そう、私は、主人公になれなかったのだ。

 

 これは、そんな私が送った、どこにでもあるような、悲しいお話。

 主人公になれなかった少女が送った、ありきたりなストーリーである。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 「朝だあああああっ!!」

 

 窓の外にいるポッポが小気味よいリズムで鳴き始めたころに、私は叫びながら飛び起きた。

 その大きな声に驚いたのか、ポッポは急いで飛び立っていく。しかし、そんなことなど気にならないほど、私は興奮していた。

 

 「朝だ! 朝だ! ついに来たんだぁーっ!」

 

 叫びながら部屋を飛び出て、階段を駆け下りる。目指すは階下のリビング。良い匂いが漂う、私の大好きな空間だ。

 

 「おはようお母さん! 今日はいい朝だねっ!」

 「あらあら、今日は早いのね……まあ、それもそっか」

 「うん! 楽しみで全然寝れなかった!」

 

 リビングに入ると、キッチンの奥で朝ご飯を作っていたお母さんに声をかけられた。叫ぶ私を見ても、お母さんは優し気な視線を送るだけで何も言わない。

 まあそれもそのはず。今日は私が待ちに待った“あの日”なのだ。

 

 「ちょっと待っててね、もうすぐで朝ご飯出来上がるから」

 「はーい! テレビでも見て待っとくね!」

 「お父さんまだ寝てるんだから、あまりはしゃぎ過ぎないようにね」

 

 慈愛に満ちた言葉に、くすぐったいような嬉しさが私の体を駆け巡る。

 ソファに座った私は、テレビをつけ朝のニュースを見始める。そんな私を見て、お母さんはにっこりと笑って言ったのだった。

 

 「それと、十歳の誕生日、おめでとうね」

 

 今日から私は、ポケモントレーナーである。

 

 

 私たちが住んでいる地方には、十歳になった子供に二つの選択肢が用意される。

 一つはこのまま家に住んで親の手伝いをする。そしてもう一つは、モンスターボールとポケモンを手に地方を旅させるというものである。

 幼い子供たちにとって、どちらがより楽しそうかなんて火を見るより明らかであり、毎年多くの子供が慣れないボールを手に、草むらを歩くのだ。

 そして、今日から私もそれの仲間入り。

 そう考えるだけで、私の心は天にまで届く思いだった。

 

 「ねえねえお母さん! やっぱり最初のポケモンって、何がいいかな!?」

 「うーん、どうだろ……お母さんあんまりそういうことについてわかんないから……お父さんに聞いてみたら?」

 

 そう答えるお母さんの瞳は、優し気に細められている。

 幼い私は、その優しさの中に含まれる一抹の寂しさに気づくことができなかった。

 

 「あーどうしよっかなー! やっぱり可愛いピカチュウかな!」

 「ピカチュウって、どこで捕まえられるのかしら?」

 「どこだろ……ま、そこらへんで捕まえられるでしょ!」

 

 そうこうしているうちに、朝食が出来上がったらしく、お母さんが美味しそうな食事を食卓に持ってきた。

 

 「さ、お父さんを起こしてきて」

 「はーい!」

 

 リビングを飛び出てお父さんの部屋に入る。大きな鼾が、私の耳に入ってきた。

 

 私はお父さんの上に飛び乗ると、鼾にかき消されないくらいに大声で叫んだ。

 

 「おとうさーん!! 朝だよーっ!!」

 

 その大声で目が覚めたのか、お父さんは眠そうに瞬きを数回して、体を起こした。

 

 「うぅーん……なんだ、今日はずいぶん早いなぁ」

 「当たり前! 今日は私にとって大切な日なんだから!」

 「……うん、そうだね。誕生日おめでとう」

 

 その言葉に、私は満面の笑みを浮かべた。

 今日は私が世界の主人公である! これほどに嬉しい日があるだろうか!

 

 リビングに戻った私は、朝ご飯を急いで詰め込み外に出た。今すぐに友達の所へ行き、私の誕生日を祝ってほしかったのだ。

 

 

 駆けだした私は、これから私に降りかかる苦しみや悩みのことなど、微塵もわかってはいなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 「この料理おいしーね!」

 

 夕方、私は家で豪華な夕食を送っていた。

 机に並べられているのは名前はわからないが美味しそうなお肉に、フルーツを飾った色鮮やかなサラダと大きなケーキ。

 それらを見る私の顔がこれでもかというほどに笑顔であふれているだろう。

 しかし、それよりも──食卓を彩る豪勢な食事よりも尚私を喜ばせるものが、机の上にはあった。

 煌めくガラスのような紅の部分と、雪よりも白い下半分。真ん中を囲うようにひかれている白い線に、丸いボタン。ごとりと見た目によらず重そうな音をたてながら転がるそれは、ポケモントレーナーの証であるモンスターボールであった。

 このボールを手にした瞬間から、私はポケモントレーナーとしての人生を歩み始めるのだ。

 これは私の物語である。私が主役の! 物語なのだ!!

 

 興奮で震える手で、がしりとモンスターボールを握る。ひやりと冷たかった。

 それを見ていたお父さんが、嬉しそうな声音で私に問いかける。

 

「それで、どんなポケモンを相棒にするんだ?」

「うーん……決めてない! 実際に草むらに行ってから決めようかなって!」

「そうか、うん、その方がいいな。お父さんも行こうか?」

「大丈夫! これからは私一人でやらなきゃ!」

 

 そう言って、残りのご飯を全てかきこむと、急いで部屋へと戻っていく。これからは明日に向けての作戦会議である。

 

 部屋に入った私は、机の上にゆっくりと、壊れ物を扱うようにモンスターボールを置いた。ごろりと転がるその姿が、とても愛おしかった。

 

「さて! じゃあどうしようかな!」

 

 ベッドに思い切りダイブした私は、枕に顔を埋めながら笑みをこぼした。

 

 明日からトレーナー。

 何とも甘美な響きだろうか!

 

 ゴロンと寝転がり天井を見つめた私は、大きく息を吐き天井に向けて手を伸ばした。

 

「目指すは……チャンピオン!」

 

 チャンピオンとは、ポケモントレーナーたちの頂点に立つ者であり、全てのトレーナーの憧れである。チャンピオンになるためにはまずすべての町々にあるジムを制覇して、なおかつ四天王と呼ばれるトレーナーと現チャンピオンを倒さなければいけないのだ。もちろんそれは至極狭い道であり、本当にチャンピオンになれる人間などそうそういない。バトルというものは天性のセンスありきのものなのだ。

 だがしかし、どうせトレーナーになるのならチャンピオンを目指したいというのが性である。こうなれば行けるところまでとことん行こうではないか!

 

「よっし! そうと決まればさっそく寝よう!! 明日に備えておやすみー!」

 

 布団を頭の上まで被って目をつむる。昨日は興奮していたのであまり寝れていない。今日はぐっすり眠れることだろう。

 やがて、私の体を優しく暖かい眠りの波が包んでいく。微睡みながら、私は私の輝かしい未来を頭の中で思い描いて、小さく笑みを漏らした。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「さーって! 捕獲の時間だぁ!」

 

 麗らかな春の森に、私の声が響く。

 森閑とした場は一転、驚いた鳥ポケモンが飛び立つ音でにわかに騒がしくなった。

 

 

 ここは町付近の森。今日から旅に出かける私は、朝早くに荷物をまとめ、リュック一つでこの森に来たわけである。今までは帰ることを頭の隅で考えていた私だが、今日は違う。私は旅に出るのだ。この町に帰るのは数か月後だろう。

 息を大きく吸う。森のひやりとした空気が肺を撫でていく。

 

「ちゃんと捕まえられるかな……って、ダメダメ!」

 

 ぱちんと頬を叩き、自らを鼓舞する。弱気になっていてはダメだ!

 

 草むらに足を突っ込む。ふくらはぎを擽る草切れが気持ち悪い。自然と、モンスターボールを握る力が強くなった。

 

「っ!」

 

 不意に、森の奥深くから何かの声が聞こえた。

 ぴたりと体と息を止め、視線さえも動かさずに耳を澄ます。

 しかしいくら待っても音は聞こえない。どうやら私の聞き間違いらしかった。

 

「ふう、ホントに、心臓に悪いよぉ」

 

 疲れたように呟く。すると、それに応えるかのように、森のどこかで鳥の鳴き声がした。

 ゆっくりと、野生のポケモンに出くわさぬように歩く。今から捕獲すると言っても、いきなり出てこられたら怖いのだ。

 ゆっくりと、風に吹かれ揺れる葉よりも少しずつ進んでいく。一つ目の草むらを歩き終わったところで、少し向こうの草むらで動く影を見つけた。

 

「……あれ、って……確か」

 

 草むらからぴょこんと出ているしっぽは、箒のような形で、色は茶とくすんだ白。影が少し動くにつれてぴょこぴょこと揺れていた。

 不意に、影が草むらから顔を出した。

 目の周りに黒いアイマスクのような模様。全身が茶と白のストライプになっているポケモン、ジグザグマだった。

 ジグザグマは私の声に気が付いたのか、そのつぶらな瞳で私を見つめた。

 

「か、可愛い……!」

 

 そのジグザグマに、私のハートは撃ち抜かれた。

 何だこの可愛いポケモンは!? こんな可愛らしい生物が存在していいのか!?

 

 ぎゅっと、モンスターボールをきつく握りしめる。

 ジグザグマは、私のただならぬ気配におびえたのか、じりじりと後ずさりをしている。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 思わず叫んでしまった。

 いきなり大声をあげてしまったので、ジグザグマは驚いてしまったらしく急いで逃げ始めた。

 

 逃がすか!

 

 私は新しく買ったばかりのランニングシューズで少し湿った森の地面を踏みしめる。今の私はテッカニンよりも速い!

 地面が少し抉れる。柔らかい地面なのであまり力を籠めれないが、十分だ。

 右足を前に出し力を籠めると同時に左足を出す。しかし視線はジグザグマから外さず、しっかりとモンスターボールで狙いをつけている。

 

 いきなりのことにまだ理解が追い付いていないのか、ジグザグマは半べそをかいている。可愛い。

 

 ジグザグマはすばしっこいが、体力はあまりないポケモンである。

 すぐに力尽きて、ふらふらになってしまった。

 

「よーし、チャンス!」

 

 木を背に、おびえた表情でこちらを見上げるジグザグマ。これではまるで私が悪役のようではないか。

 違う、今から私はあなたをパートナーにするんだよ。

 

 そう語り掛けるが、当然ジグザグマに理解できるはずはない。先ほどよりもおびえている。

 

「ええい、こうなったら強硬手段! モンスターボールっ!」

 

 狙いをつけ勢いよく──もちろん怪我をしない程度でだが──モンスターボールを投げる! 

 ひゅーんと聊か頼りない効果音と共に飛んで行ったモンスターボールは、がたがたと震えるジグザグマの体に当たった。

 次の瞬間、赤線がジグザグマの体を包む。いきなりのことに驚くジグザグマだったが、すぐにその体は赤線が消えると共にモンスターボールの中へと吸い込まれていく。

 窮屈な場所へ閉じ込められたジグザグマは、そこから出ようと懸命にもがく。モンスターボールがぐらぐらと揺れるが、簡単に抜け出せるほどにモンスターボールはヤワじゃない。

 かがくのちからってすげー!

 

 数度激しく揺れたモンスターボールだったが、ほどなくしてぴたりと動きが止まった。カチリと、静かな森に機械音が響いた。

 

「………やっ……、た」

 

 ぽつりと、言葉が漏れ出た。

 やがて、心の底から、熱いほどの嬉しさがこみあげて来た。

 

 私は両手を広げ空を眺めながらくるくると回る。

 しじまに響く歓喜の声。がさがさと草むらが揺れる音がそこら中で聞こえたが、全く気にならなかった。

 モンスターボールを握ると、心なしか先ほどよりも重いような気がした。

 紅いガラス部分を覗いてみると、縮こまったジグザグマがこちらを見ていた。

 

 真ん中の白いボタンを押し、ジグザグマを外に出してみる。

 先ほどと同じ赤線が中空を舞い踊り、形を作る。数舜後には、ジグザグマがそこにいた。しかし、少しおかしい。

 ジグザグマの視線が、やけに冷たいのだ。まるで、敵を見るかのような視線!

 

 なんだこのモンスターボール! 欠陥製品か!?

 

 ジグザグマを抱きしめてみようと、少し近づく。すると、同じようにジグザグマが少し遠ざかる。まるでそういった暗黙のルールが制定されているかのようだった。

 

「なんで触らせてくれないの!?」

 

 そう叫ぶと、応えるかのようにジグザグマが少し唸った。先ほどのことを思い出せとでも言っているのかもしれない。

 

 私は大きなため息をつくと、ジグザグマをボールの中に戻した。

 

「まあ……絆ならあとからできるよね……」

 

 割とショックであった。

 手元にあるモンスターボールはあれで最後。もうこの森を突っ切るまではこのジグザグマのみでいかなければいけないのだ。少しは懐いてくれても良いとは思うのだが……。

 

 周りを見ると、先ほどの私の大声を聞きつけて、数匹のポケモンが草むらからこちらを見ていた。見せもんじゃないんだぞ!!

 そう叫びたい気持ちを抑え、歩き出す。とりあえずポケモンセンターに行こう。

 

 すると、歩き出した私の前にいきなり、影が飛び出してきた。

 平べったい嘴に、胸元まで覆う赤い毛。ぴょんぴょんと勇ましく飛び跳ねながら睨むそのポケモンは、よく私の家の庭に訪れていたスバメだった。もちろん、違う個体なのだろうけど。

 

 スバメは好戦的な目で私を見ている。どうやら、戦う気らしい。

 それなら私だって同じだ!

 

「頼むよ、ジグザグマ……!」

 

 腰につけていたモンスターボールを手に取って、そっと囁く。ボールの中では相変わらず、ジグザグマが私を睨んでいた。

 

「いけっ! ジグザグマ!」

 

 ジグザグマの登場。しかしやはり、その表情は不機嫌そのもの。なんでそんなに怒ってんの……。

 

 まあジグザグマの機嫌は些事である。今は戦うことだけに集中!

 

「ジグザグマ! たいあたり!」

 

 ……………………。

 

 ぷいっ。

 

 

 あれ?

 

 

 ジグザグマが言うことを聞いてくれない。

 まるで拗ねた子供のようにそっぽを向くジグザグマは、それはそれは可愛らしいものだったが、今この場面でそれはまずい。戦っておくれ。

 私たちの関係に少し呆れた表情のスバメだったが、戦いには関係ないと思ったのか、勢いよくこちらに飛んできた。

 

「ちょっ、来たって! ジグザグマ! はよたいあたり! おいっ!!」

 

 何度も叫ぶが、当のジグザグマはどこ吹く風。全く聞いていない。

 

 スバメが私の頭の上に降り立ち、嘴で何度もつついてくる。

 

「痛い痛い!! やめて、私の頭は木の実じゃないの! つついても美味しくないよ!」

 

 しかしやはり、スバメにそんなことがわかるはずもなく、私の初試合は悲惨なものになってしまった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「もう、ジグザグマー。そろそろ言うこと聞いてよー」

 

 完敗試合の後、何とかスバメから逃げ出した私たちは、歩きながら話し合っていた。話し合う、と言っても実質話しているのは私だけで、ジグザグマは私の少し先を一人で歩いている。

 モンスターボールには入れないようにした。窮屈そうなので、どうせなら出してあげようという私の粋な計らいだったのだが、ジグザグマには理解できないようだ。

 

「あ、そうだ! 木の実あげる! これでいいでしょ?」

 

 返答はない。

 

「うーん……難しいなぁ」

 

 捕まえた時点ですごく仲良しになるかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。全く、厳しいものである。

 そのうち、森を抜けた。久しぶりに見る大きな青空は、なんだかいつもより輝いて見えた。

 ぐっと背伸びをすると、背中辺りから小気味よい音が鳴った。どうやら歩き続けて体は少しだけ疲れているらしい。

 腰をひねりながら運動をしていると、近くにいたトレーナーとばっちり目があった。

 

 

 まずい……トレーナー同士、目と目があえば……。

 

「バトルよっ!!」

 

 やっぱり!!

 

 

 

 結果はまあ言わなくてもわかると思うが、完敗だった。

 まず、ジグザグマが私の後ろに隠れて出てこなかった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 ちゃぷ、ちゃぷ。

 

 池の水が、風に揺られ幾つもの波紋を生んでいる。

 その波紋を乱さぬように、つま先からそっと足を入れる。ひやりとした水に包まれ、戦いで熱くなった体が冷やされていく。横には少しだけ傷を負ったジグザグマが丸くなってうとうとしている。

 

「負けちゃったねー……」

 

 小さくつぶやくと、ジグザグマが片目だけ開けて、ちらりとこちらを見た。少しだけ慣れて来たのか、もう撫でても何も言わなくなった。

 

「ちょっとはいい勝負できると思ってたんだけど……な」

 

 今度は波紋のことなど気にせず、思い切り足をばたばた動かしてみる。水しぶきが飛んで、きらきらと宙で煌めいた。ジグザグマが、嫌そうに顔を顰めていた。

 

 野生のポケモンとのバトルではあまり感じなかったが、今回のバトルで私ははっきりと、敗北に対する悔しさを感じていた。

 何もできずに敗北したということが、とても悔しかった。

 

 そして何よりも、相手のトレーナーが最後に発した言葉が、私には許せなかったのだ。

 

『強くなりたいんだったら、ジグザグマをパーティに入れるのはやめた方がいいと思うわ』

 

「何さ何さ……私のジグザグマを悪く言ってくれちゃって!」

 

 ぱしゃりと、腹立たし気に水を蹴る。その音に、ジグザグマの耳が少し動いた。

 しかし、あのトレーナーが口にした言葉は、間違ってはいないのだろう。

 ジグザグマはあまり強いポケモンではない。所謂初心者が旅の初めに、パーティを埋めるために捕まえるポケモンであって、決して相棒にするポケモンではないからだ。

 

 しかしそれでも、私は悔しかった。

 私の大切なジグザグマが馬鹿にされているようで、とても悲しかった。

 そして、自分の無力さに腹が立った。

 

 ジグザグマは、私のパートナーなのだ。

 例え弱くても、懐いていなくても、そんなの関係ない。私にしかいない、特別なパートナーなのである。

 

 ジグザグマをパーティから外さないと強くなれない? そんなの、近道を探そうとしている弱者の言い訳だ。

 私はそんなのに屈しない。ジグザグマで、最強のポケモントレーナーになってやる!

 

 そう心の中で豪語した私は、強気な心とは裏腹に、自信ない手つきで、ジグザグマを撫でた。

 

「ごめんね……」

 

 それが何に対する謝罪なのか、果たして私にもわかってはいなかった。

 ジグザグマはちらりと私を一瞥すると、少しだけ居心地悪そうに姿勢を変えた。

 

「ごめんね……」

 

 再び謝罪する。その言葉には、少しだけ、涙の色が混じっていた。

 ジグザグマがこちらをじっと見る。その表情は、少しだけ、優しいものだった。

 

 横でごそごそと動く音がする。涙で霞む視界を懸命に動かし見てみると、ジグザグマが自身の体の毛を繕っていた。どうやら私の謝罪を聞いていなかったらしい。

 まあ、ポケモンだからなぁなんてことを、ちょっと悲しくなりながらも考えていると、横腹をつつかれた。

 見ると、ジグザグマが鼻で私をつついていた。その可愛らしい上目遣いに、少しだけ心が軽くなった。

 しかしそれだけではない。ジグザグマは、何かを私に押し付けていた。

 見ると、それは木の実だった。どうやら森のどこかで拾っていたらしい木の実を、ジグザグマは私に突き出していた。

 木の実を手に取ると、ジグザグマはまた先ほどと同じように、丸くなって寝始めた。

 

「……ありが、とうね……」

 

 目頭がかぁっと熱くなり、止め処なく涙があふれて来た。こんな私を、ジグザグマは慰めてくれているのだ。

 そっとジグザグマを抱きかかえ、膝の上に乗せる。

 ふわりと暖かい、生き物の体温が私の心に染みわたる。

 

 

 

 空を見上げる。大きな雲が太陽に被さろうとしていた。雲の切れ端が、銀色に輝いていた。

 

「強くなるんだ……!」

 

 ジグザグマを撫でながら、私は静かに呟いた。

 春の風が、私たちを静かに撫でていた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「くそっ! ジグザグマっ、すなかけ!!」

 

 私の掛け声に合わせ、ジグザグマが後ろ脚を思い切り敵に向け振りぬいた。バトルフィールドに砂塵が舞い上がる。

 ジグザグマと敵との間に作られた砂の壁は、私たちが作戦を考えるのに良い時間を作ってくれると思っての行動であった。

 ──しかし。

 

 

 絨毯のように厚く大きな砂の壁を、弾丸のような速さで敵のポケモンが突き抜けて来た。

 いきなりのことに追いつけないジグザグマは、なす術なく敵のたいあたりをモロに食らってしまい、私の足元にまで吹き飛んできた。

 

「ジグザグマっ!」

 

 急いでジグザグマを抱きかかえる。傷だらけになったジグザグマは、それでも私に向けにこりと微笑んだ。しかしその笑顔は、私の心を締め付けた。

 

 また……負けた……。

 

 ぐっと、ジグザグマを抱きかかえる手に力がこもる。

 相手もこれでジグザグマが戦闘不能になったことに気づき、ポケモンを引っ込めた。勝負ありだった。

 

 私は、傷を負ったジグザグマを連れて、ポケモンセンターで休んでいた。

 包帯を巻かれたジグザグマは、特性であるものひろいで拾ってきた木の実を半分に分け、片方を私に差し出してくれた。

 

「情けないなぁ……」

 

 呟いた言葉は、自分のものかと疑ってしまうほどに嗄れていた。

 

 初めての敗北の味から、既に数か月という時間が経っていた。

 私とジグザグマは近くの町に行き、そこで色々と修業を行っていた。

 

 

 しかし結果は全て敗北。

 現実はそれほど甘くないのだ。

 

 

 しかし私は、まだあきらめずにいた。

 絶対に、私はチャンピオンになってやる。

 

 努力だけで、私は強くなってやるんだ!!

 

 

 ジグザグマが、私の膝に頭をのせて来た。暖かいその感触に、私は少しだけ安堵する。まだ大丈夫だと、そう思えた。

 

「よし、明日は102番道路に行こっか」

 

 その言葉に、ジグザグマは嬉しそうな声を上げた。

 幸せだと、きちんと感じれた。

 

 

 

 それでも、やはりわかっていた。

 いつまでも、夢を見ているわけにはいかない。いつまでも戦いに明け暮れるわけにはいかないのだ。

 

 そろそろ現実を受け止めなければならない。

 もう、終わりにしなければいけないのだろう。

 

 

 心の隅に差してきた暗い影に、私は静かにため息をついた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 102番道路は、初心者がよく通る道路である。

 あまり強いポケモンが出てこないのと、近くに初心者が必ずと言って良いほど訪れるコトキタウンがあるからであろう。

 だからこそ、よくこの場所では初心者狩りが行われている。

 ポケモンを手にいれたての、トレーナーになったばかりの初心者にバトルを吹っ掛け、金を巻き上げるという悪質な行為である。

 もちろん私はそんなことをしにここへ来たのではない。

 

 私の目的は一つ、ラルトスを捕まえることであった。

 ラルトスは私のあこがれのポケモンであり、モンスターボールを使えるようになったら絶対に捕まえたいと思っていたポケモンの内の一人なのだ。

 

 だからこそ、今日は一日を使ってラルトスを捕まえようと、私は意気込んでいたのである。

 その意気込みがいつものものとは比にならないのを見てか、ジグザグマが嬉しそうに鼻を鳴らした。

 

「よーし! 今日こそ捕まえるぞーっ!」

 

 そう叫ぶと、数人かの短パン小僧がぎょっとした顔でこちらを見た。見せもんじゃないぞ。お前らはお前らの仕事をしろ初心者狩り。

 

 しかし、ラルトスというのは滅多に現れない希少なポケモンであり、探せど探せどその姿を見つけられることはできなかった。

 

 すると、すぐ近くでバトルの音が聞こえて来た。どうやら初心者狩りが始まったらしい。

 どかんずがんと鳴り響いていた音だったが、数分もすれば元の静けさを取り戻した。どうやらバトルが終わったらしい。

 全く大人げない奴らだと鼻で嗤っていると、再びバトルの音が鳴り響いた。

 

 まさかまた同じ奴と戦っているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 

「……勝ち進んでる?」

 

 まさか。

 私は馬鹿な考えを振り捨てるように、頭を小さく振った。それを見ていたジグザグマが真似して、ぷるぷると首を振った。

 初心者が勝てるわけない。もしかして、初心者だと思って戦ったのがベテランとかだったのだろうか。

 そんなことを考えていると、再び耳が痛いほどの静けさが訪れた。どうやら、二回目のバトルが終わったらしい。

 

 すると、初心者狩りをしていたはずの短パン小僧が、傷だらけのポケモンを抱えながらトウカシティへと駆けて行った。

 

「初心者とベテランくらい、見分けられなきゃダメだよ」

 

 馬鹿にするように呟くと、それに答えるかのようにどこかでがさりと草むらが動く音がした。

 ポケモンが来たのだろうかと周りを見渡していると、後ろから足音がした。

 

 振り向くと、そこには一人の少年が。

 赤と黒を基調としたトレーニングウェアを着て、ニット帽のようなものを被った少年だった。

 少年はにっこりと笑うと、徐に腰に掛けてあったモンスターボールを手に取った。

 

 トレーナー同士、目と目があったら────

 

「いけっ! ジグザグマ!」

 

 反射的に叫ぶと、ジグザグマが勢いよく私の前に出てくる。

 それを聞いて、少年はモンスターボールを投げた。中から出て来たのは、私が見たことのないポケモンだった。

 

 水色の蛙のようなポケモンは、両のほっぺにオレンジの頬袋のようなものがついており、そこから伸びるようにトゲトゲしたひげのようなものが両側に三本ずつついていた。頭の上にはとさかのようなものがついていて、ぴくんぴくんとレーダーのように細かく動いていた。

 

 敵のポケモンを観察している場合ではない。私はキッと敵を睨んで、ジグザグマに言う。

 

「ジグザグマ! たいあたり!」

「ミズゴロウ! みずてっぽう!」

 

 四本の足で必死に駆けるジグザグマに、ミズゴロウと呼ばれたポケモンは口から水を吐き出しけん制する。

 しかし、そんなちんけな攻撃で怯む私のジグザグマではない!

 

「ずれるように避けてそのままたいあたり!」

「みずてっぽう!」

 

 ミズゴロウは、命令の通りみずてっぽうを放つ。が、横にずれながら進むジグザグマには当たらない。

 焦ったのか、ミズゴロウのみずてっぽうは明後日の方向へと飛んでいく。

 

 

 やはり、初心者だ。

 

 私は内心首を傾げた。

 何故、初心者狩りのトレーナーは彼に負けたのだろうか。ただ少し珍しいポケモンを使うだけの初心者ではないか。

 

 しかし、そんなことを考える時間はあまりない。ジグザグマのたいあたりはミズゴロウに迫っていた。

 ミズゴロウは地面にみずてっぽうを当て、その反動で少しだけ後ろに下がる。しかし、それだけで避けれるほどに、ジグザグマは間抜けではない。

 すぐに軌道修正し、ミズゴロウへと走っていく。

 相手トレーナーを見てみる。

 自分のポケモンがピンチになったというのに、平気な顔で見ている。なんと冷静な少年だろう。

 

 ジグザグマが大きく一歩を踏み出す。

 次の一歩を踏んだ後、敵へと突っ込んでいく。もうミズゴロウは避けれない。腹に当たるだろう。

 

「いっけぇええええ!!」

 

 

 私は、思い切り叫んでいた。

 ジグザグマも、叫んでいた。

 

 ミズゴロウが少しだけ態勢を崩す──今だ!!

 

 ジグザグマがもう一歩踏み出し、力を込め頭からぶつかる準備をした──その時だった。

 

 

 ジグザグマの態勢が、いきなり崩れた。

 それまでしっかりと地面を踏みしめていたその足がずれ、前のめりになった。

 

「なっ!?」

 

 思わず声を上げ、目を見開く。

 そして気が付いた。

 

 

 ジグザグマが滑ったその地面は、先ほどミズゴロウがみずてっぽうを当てていた場所だった……。

 

 勢いよく滑ったジグザグマは、態勢を立て直す暇もなく、地面に衝突した。

 すると次の瞬間、ミズゴロウが飛び上がった。

 

「尻尾で叩け!」

 

 その命令通りに、ミズゴロウは空中でくるくると器用に回り始めた。

 遠心力を付け、最高のパワーで殴る気なのだ。

 

「っ!! ジグザグマ!!」

 

 叫ぶが、もう遅い。

 ジグザグマが起き上がるまでにはあと少しの時間が必要だ。そしてその間に、ミズゴロウの攻撃は完成する。

 

 重力に従って、ミズゴロウは落ちてくる。その視線の先には、ふらふらと起き上がろうとしているジグザグマの姿。

 

 思わず、目を瞑った。もう、見たくなかった。

 

 次の瞬間、凄まじい音が私の耳を聾した。

 目をうっすらと開けると、粉塵が私の顔に襲い掛かる。

 何という力だろうか。あの小さな体にこれほどまでの力があるとは!

 

 

 しかし関心している場合ではなかった。

 

「ジグザグマっ!」

 

 駆け寄る。ジグザグマは、体の半分以上を地面に埋めながら、苦しそうに呻いていた。

 

「ジグザグマっ! ジグザグマぁっ!」

 

 泣きながらその体に縋る。そんな私を、少年はじっと見ていた。

 

 天才と凡才の違いを、はっきりと見せつけられた。

 

 

 ◆

 

 

 草むらの横に腰掛けながら、私は空をぼうっと見るともなく見ていた。

 空は茜色に色づいて、気が付けば夕方になっていた。

 

 気づいていた。

 私は戦いに向いていないのだと。

 もう、終わらせるべきなんだと。

 

 すぐ横には、傷薬を使って少しはマシになったジグザグマ。疲れたのかぐっすりと寝ている。

 

 ため息をつく。もう、終わりなのだ。

 

「ごめんね……」

 

 静かにそう言うと、ジグザグマはゆっくりと顔を上げた。まるで、初めてバトルで敗北したあの日のようだった。

 そっと立ち上がると、ジグザグマもつられて立ち上がった。その小さな姿が、とても可愛らしかった。

 ふと、後ろでがさがさと草むらが揺れた。

 振り返ってみると、そこには私が今日一日探し続けていたラルトスがいた。

 ラルトスは私に気が付いていなかったのか、こちらに視線をやると、一目散に逃げて行った。しかし、追いかける気はなかった。

 

 捕まえても、意味がないから。

 もう私は、トレーナーではないのだ。

 

 そっとジグザグマを抱き上げる。その重さと、柔らかさと、暖かさが、私の心をぎゅっと締め付ける。

 力いっぱい、ジグザグマを抱きしめる。腕の中にいるジグザグマは、楽しそうに鳴いていた。

 

「ごめんね……ごめんねっ……」

 

 気づけば、私は泣いていた。

 

 ふがいない自分が、情けなかった。

 ジグザグマを強くしてやれない自分が情けなかった。

 

 

 

 この時ようやく、気づいた。気づいてしまったのだ。

 

 

 私は、主人公にはなれないのだ。

 

 

 落ちていく夕日が私たちを照らし、後ろに長く影を伸ばしていた。

 こうして、私の短い冒険は、ひっそりと、誰にも気づかれることなく、幕を下ろした。

 




強いパーティにするために弱いポケモンをボックスに送る。
合理的ではありますけど、何だか悲しいですね。

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