艦これ~extra voyage~   作:瑞穂国

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新章突入です。


急転
急転(一)


 ……また、あの夢だ。

 

 真っ暗で、何も見えない、延々と続く海。暗い暗い、墨のような海。

 

 私はそこに、ただ一人。

 

 誰かを呼ぶ。振り向き、見渡し、あらゆる手を尽くして探す。声を張り上げ、誰かを求める。

 

 それは誰だったのか。

 

 返事はない。答えはない。闇は晴れず、やはり私はここに一人。

 

 最早進むことも、戻ることもできない。振り絞って放った最後の声は、虚しい木霊を響かせるだけ。

 

 ……違う、木霊じゃない。確かに聞こえた。それは誰かが、私の声に応えたもの。

 

 誰。そこにいるのは誰。私がずっと呼び続けた、貴女なの。

 

 木霊は呼びかけ続ける。声は闇の先、波の先、この目では届かぬ先。

 

 残った力で進みだす。声のする方へ、呼びかけてくる闇の向こうへ。

 

 その声の正体が、ずっと探し続けた誰かのものなのか。それは最早、些細な問題であるように思えた。

 

 

 

 

 

 

「お出迎えありがとうございます」

 

 簡易出撃ドックとなっているコンテナから出てきた人影は、シャナリという音が聞こえるほど優雅に敬礼をした。長門はそれに短く答礼する。お互いに右手を下げたところで、長門が先導する形で歩きだした。

 

 長門よりも少しばかり高い背、その背丈ほどもある長い髪は、頭の高い位置で一房にまとめられている。そこに刺された、桜をあしらっている簪がよく似合う、そんな大和撫子である。

 戦艦大和。艦娘たちの最終兵器とでも言うべき強力な艦だ。所属はトラック泊地であり、元々南方作戦には召集されていない。が、トラック泊地の指揮官である大神提督が刑部提督から南方作戦の指揮権を引き継ぐことになり、彼の指揮下である大和もまたオブザーバーという形で作戦に参加する運びとなったのだ。

 

「大神提督が到着されるまで、第七艦隊第一特務分隊(トラック泊地所属艦隊南方作戦派遣部隊)の指揮は私がお預かりしています」

 

 庁舎へと歩きながら、大和が話し始める。

 

「今後の作戦展開については承知していませんが、必要であれば、私たちを第八艦隊の指揮下に組み込んでいただいて構いません」

 

 どうされますか?そう尋ねるように大和が顔を覗き込んでくる。それに長門は、腕組みと溜め息をもって答えた。

 

「そこをまだ悩んでいるんだ」

「と、言いますと?」

「詳しい状況はこれから話す。第七艦隊の第八艦隊への編入は、それからでも遅くはあるまい」

 

 長門の話に納得したらしく、大和ははっきりと頷いて見せた。

 

「わかりました。そうさせていただきます」

 

 

 

 

 

 

 肩のあたりが揺すられて初めて、自分が目を閉じていたことに気づいた。いつの間に眠ってしまったのだろうか。両腕に痛みがあるあたり、その上でうつぶせになっていたらしい。

 

「睦月ちゃん、起きた?おはよう」

 

 顔を起こすと、吹雪がこちらを覗き込んでいた。隣には夕立も立っている。

 

「うん……おはよう」

 

 寝ぼけ眼のまま辺りを見回す。どうやら食堂らしい。少しして頭の中が晴れてくると、昨夜のことが思い出された。泣き疲れた私は、そのままここで寝ていたのだろう。

 見れば、吹雪も夕立も、顔に不自然に赤いところがある。二人もこの食堂で寝ていたのだろうか。

 

「睦月ちゃん、顔洗ってきた方がいいっぽい。スッキリするっぽい」

 

 夕立がそう言う。あれだけ泣いて、そのまま寝てしまったのだ。さぞかしひどい顔になっているに違いない。そう思うと、何だか急に恥ずかしくなった。

 

「戻ってきたら、一緒にご飯にしよう」

 

 笑って送り出す吹雪に頷いて、睦月は立ち上がる。無理な体勢のせいで節々痛いが、とにもかくにも顔を洗うのが先決であった。

 

 

 

 かなりスッキリして食堂に戻ると、すでに間宮と伊良湖が朝食の準備をあらかた終えていた。厨房の方からは、みそ汁の香りが漂ってくる。その匂いを嗅いだ途端、無性にお腹が空いてきた。

 

「今できるから。もう少し待っててね」

 

 間宮がニコニコとこちらに言った。

 

 朝食の準備をするために、彼女は睦月が起きるよりも早く、この食堂に来ていたはずだ。睦月がなぜここで寝ていたのか。それを尋ねてこないのは、吹雪たちが答えたからなのか、そういうことを聞かない性質なのか。

 間宮はいつもの通りに、ご飯や味噌汁、おかずを盆の上に並べていく。三人分が揃ったところで、声がかかった。

 

 机に並んだ朝食は、今日も今日とていい匂いとふくよかな湯気を漂わせている。端的に言って、食欲がそそられる光景だ。これでお腹が鳴らないわけがない。

 

「さ、食べよう」

 

 手を合わせる。結局昨日の夜は、睦月もまともに食べられていない。満足のいくような食事はこれが一食ぶりではないだろうか。

 ほうれん草のお浸し。鮭の塩焼き。漬物を少々摘まみながら、麦飯をかきこむ。その合間に味噌汁の塩気を挟めば、朝食はあっという間に消えてしまった。あまりの早さに、睦月自身も驚いたくらいだ。しかもここに来て、体はもう少しばかりの養分を欲しているらしい。

 チラリ。ほぼ無意識のうちに厨房を窺ってしまう。おかわりの余地はあるだろうか。

 と、そこで当然のように、間宮と目が合ってしまった。ニコリと微笑んだ彼女は何かを察したのか、一旦厨房の中に戻っていく。

 ほんの一分ほどで暖簾をくぐった間宮は、小さなお皿の上におにぎりを三つ乗せて現れた。パタパタとこちらへやって来る。

 

「三人とも、まだ少し、お腹が空いてるでしょう?よかったら、食べてね」

 

 コトリ。そう言っておにぎりの皿を置いていく。形よく三角形に握られたお米が、つやつやと色よく輝いた。

 

「具になりそうな余り物があまりなかったから、鮭で申し訳ないんだけれど」

 

 いや、十分すぎるくらいだ。潮気のきいた焼き鮭が、このおにぎりの中に入っている。そう思うだけで、生唾が出てきた。

 

「ありがとうございます。いただきます」

 

 思いがけず追加された朝食を、ありがたく受け取る。含んだおにぎりはまだ暖かく、口の中でほくほくといっていた。ほぐされた鮭との相性も抜群だ。

 

 用意されたおにぎりも平らげ、三人は満腹の息を吐く。さすがにお腹が膨れた。とてもいい朝食だった。

 

「ごちそうさま」

 

 仲良く手を合わせ、お盆を持って立ち上がる。

 

「おそまつさま。おいしそうに食べてくれると、とても作り甲斐があるわ」

 

 間宮は心底嬉しそうにニコニコと笑っていた。

 

 三人が食堂を後にすると、入れ替わるようにして他の艦娘たちが入ってくる。本来はこれからが朝食の時間だ。さすがに睦月たちは早すぎた。

 

 食堂から寮への道すがら、海面を完全に離れた太陽に照らされながら、三人は口も開かず歩いていく。満腹になった満足感もあったのだろうが、理由はそれ以外にもある。

 栄養分を取り入れたことで、頭が正常に回転するようになってきた。思考が回り、記憶の中から様々なことを考え始める。

 当然それは、昨夜のことも含めてだ。

 

「如月ちゃん、もうそろそろ起きてるかな」

 

 吹雪が呟く。

 

「起きてたら……ご飯、食べてもらうといいっぽい。きっと、元気が出るっぽい」

 

 夕立はそう言って微笑んだ。昨夜のことでささくれていた心が、少しばかり和らぐ。やはりご飯の力は偉大だ。心にいくばくかの余裕を持てる。

 

 居室の前で二人と別れ、睦月は自室に入る。

 

「如月ちゃん、起きてる?」

 

 そう尋ねて覗き込んだベッドの中に、如月の姿はなかった。


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