艦これ~extra voyage~   作:瑞穂国

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急転(二)

 早朝にショートランドを出立した金剛率いる調査艦隊は、一一三〇をもって変色海域に突入していた。

 

 ショートランドの作戦指揮室に控える長門に通信を入れ、金剛は改めて周囲を見渡す。

 変色海域と言っても、辺り一帯全てが赤い海というわけではない。海域の端の方であるこの辺では、赤い部分はまだまだまばらだ。

 

 ただすでに、調査艦隊の面々は異変を肌で感じ取っている。生物の気配が全くしないのだ。

 

(一体何なんデスカ、これは)

 

 背筋を幾度となく悪寒が走り抜ける。本能的な恐怖、忌避感が、早々にここから立ち去れと告げているようだ。それに逆らう代償か、先ほどから額の冷や汗が止まらない。

 

「金剛さん、もう少し奥地へ行っていただけますか?」

 

 海域調査の担当として艦隊に加わっている水上機母艦瑞穂が要求する。ただし毅然とした口調とは裏腹に、その足元は小刻みに震えていた。

 

「……わかりました。調査艦隊はもう少し前進しマス」

 

 金剛の言葉に全員が頷く。この先はサーモン海域、南方作戦の最前線だ。今でこそ落ち着いているとはいえ、いつまた深海棲艦の活動が活発化してもおかしくない。そこでは、非戦闘艦の瑞穂をかばって戦うことは難しい。

 しかしながら、金剛たち調査艦隊には海域の異常解明という任務が与えられている。ここで前進しなければ、それは成果なしということだ。

 

 瑞穂を中心に置いた輪形陣で調査艦隊が前進する。周囲に展開した駆逐艦島風、村雨、春雨、軽巡洋艦那珂は周辺の警戒に従事する。サーモン海域は島影が多い。どこから襲撃されるか、わかったものではなかった。

 サーモン海域の深部に向かえば向かうほど、海水の赤みが増していく。まだら模様だった赤い海が、十数分進むと完全に真紅に染まっていた。

 

「瑞穂、零水偵(零式水上偵察機)の準備をしてくだサイ」

「わかりました。五分ください」

 

 金剛の指示に瑞穂が頷き、すぐに零水偵が格納庫から引き出され始める。使用する機体は六機。これ以上深部の海域に突入すれば復路が夜となってしまうため、代わりの眼として用意されたのだ。

 

「零水偵全機、発艦準備完了です」

 

 きっかり五分で準備が完了し、瑞穂のカタパルトから六機の零水偵が放たれた。飛び出した機体はそれぞれ定められた方向へと飛んでいく。

 

 だがその時すでに、異変は起こり始めていた。

 

「金剛さん、ちょっとよろしいですか?」

 

 零水偵を放ってから五分とせず、瑞穂が困惑した様子で金剛を呼んだ。海面に浮かんでいた魚の死骸から一度手を離し、金剛は振り返る。

 

「先ほどから、零水偵との通信が途絶えがちです。通信にノイズが入ってしまって」

「ノイズ?」

 

 言われて、試しに通信機を立ち上げてみる。途端、甲高く周期的な音が流れてきた。不快さに思わず顔をしかめる。

 

(通信障害?それとも、妨害?)

 

 だがサーモン海域に突入するまでは、こんな現象はなかった。もっと言えば、変色海域に突入するまで、通信は極めて良好だったのだ。

 

(何か因果関係があるかもしれまセン)

 

 そんなことを考えつつ、以後の指示は手信号と発光信号を用いる旨を各艦に伝える。零水偵の方はあらかじめ航路を指定してあるので、ともかくその帰りを待つこととした。

 

 やはりただの変色ではない。この赤い海には何かがある。自然現象などではないのだ。そんな確証に似た感覚を握り締め、金剛は採取したサンプルたちを睨んだ。

 

 不思議な声が聞こえ始めたのは、それからしばらくしてのことだった。

 

 

 

 

 

 

 二航戦を預かる蒼龍は焦っていた。

 理由は明白だ。二十分ほど前から、調査艦隊との連絡が途絶したのである。何度も呼びかけ続けているが、返事はなく、今もって状況は不明だ。

 

 蒼龍率いる二航戦は、定期の哨戒任務と同時に、調査艦隊の援護も担っていた。サーモン海域に敵艦隊が確認されれば、控えさせた攻撃隊をもって調査艦隊の撤退を援護する。そのために索敵機を念入りに巡らせていたし、攻撃隊もいつでも出せるように雷爆装をさせて待機させていた。

 

 だが、肝心の調査艦隊と、連絡が途絶してしまったのだ。

 そればかりではない。サーモン海域方面へと放った索敵機は、そのことごとくが定時連絡を絶っていた。すわ、敵戦闘機に撃墜されたか、とも考えたが、ただの一機も敵機の襲撃を受けた旨を報告していないのは不自然であった。

 ともかく何かの異常があったことは間違いないのだ。それを確かめるために、今追加で索敵機を出すか否か、そこが悩みどころであった。

 

『飛龍より蒼龍。定時連絡の時間です。四号機から六号機まで、いまだ連絡ありません』

 

 僚艦の飛龍も心配そうに報告する。最前線の海域だけに、気が気ではない。

 

『……飛龍より、蒼龍宛て意見具申。待機させている攻撃隊の一部を、索敵攻撃に当ててはどうでしょうか?』

 

 飛龍らしい具申に、蒼龍は思案する。索敵攻撃は一つの手だ。不発になる可能性も考えられなくはないが、最悪の事態に迅速に対応できる。

 

「……飛龍の意見具申を入れます。二航戦は第一次攻撃隊分を索敵攻撃に当てます。準備出来次第発艦始めてください」

 

 そう言うや否や、蒼龍は矢筒から矢を取り出し、弓に番えた。多くの空母艦娘に共通した得物である和弓を構え、ゆっくりと引き絞る。

 

「攻撃隊、発艦始め」

 

 風上に構えた矢を、息もせず解放してやる。弦が矢を押し出し、ひょうふっと軽快な音を立てて宙空へ躍り出る。真っ直ぐに風を切り裂いた矢は、燐光を放って三機の航空機へと変化した。

 零式艦上戦闘機六四型。長らく艦娘たちの頭上を守って来た零戦の、最終形態となる機体だ。発動機が「金星」に更新されたことで、これまで以上の速度性能を叩き出す。また、零戦の持ち味である格闘性能も、損なわれていない。

 

 これらに続いて、艦上攻撃機「流星」が高空へ放たれる。急降下爆撃機と雷撃機の統合機となる「流星」は、ここ最近機動部隊に配備され始めたばかりの新鋭機だ。偵察攻撃には、爆装していた機体を当てている。

 総勢で四十余機。ものの数分で発艦を終えた攻撃隊は、鶴翼の編隊を組み、南へ――サーモン海域方面へと進んでいった。

 

(何もなければ、それでいいんだけど)

 

 そんな願望を抱きながらも、眉間の辺りに力が入らざるを得なかった。

 

 

 

 状況の変化は、サーモン海域とは全く別の方向からやって来た。

 

 緊急電は蒼龍二号機――北東方面を担当していた機体から飛んできたのだ。

 

『敵艦隊見ゆ。ガ島よりの方位〇二六、三百海里。敵は空母級二隻以上を含む』

 

 敵機動部隊であった。ここへきて、ついに深海棲艦は動きだしたのだ。

 

(こんな時に……!)

 

 奥歯を強く噛む。間が悪すぎる。いまだ調査艦隊との連絡は回復しておらず、火急の用件を伝えることができない。それも、深海棲艦機動部隊の出現という、想定しうる限り最悪の事態だというのに。

 

『どうする蒼龍?攻撃隊を呼び戻す?』

 

 もっともらしい具申だ。偵察攻撃隊を放ってまだ三十分足らず。攻撃隊はサーモン海域に至っておらず、今から反転すれば発見した敵艦隊へ向けることも可能だ。

 空母の戦いは先手必勝。先に攻撃した方が圧倒的に有利だ。

 

 だが、こと今回に限って言えば。

 

「……攻撃隊の針路はそのまま。調査艦隊を発見した場合は、すぐにこの現状を伝えて」

 

 こういう時のための偵察攻撃だ。蒼龍の指示に対し、隊長妖精が了解の旨を伝える。

 

「調査艦隊撤退までの時間を稼ぎます。敵艦隊の注意をこちらへ引き付けましょう」

 

 それが蒼龍の決断だった。護衛役として付き従っていた駆逐艦朝潮、大潮、満潮、荒潮が構えた主砲のグリップを握り締める。緊張は当然だ。これからたった六隻で、敵空母を相手取るのだから。

 

 ショートランドの作戦指揮室宛てに文面を送りつつ、蒼龍から飛龍へ指示が飛ぶ。

 

「蒼龍より飛龍。攻撃隊は最初の一回のみ。あとは戦闘機で凌ぎつつ、北方へ誘引する」

『飛龍了解。いつでもやれます』

 

 飛龍が鉢巻きを締め直し、力強く頷く。頼もしい限りの言葉に、ふっと肩の力が抜ける。

 この僚艦と、幾度となく死線を潜り抜けてきたのだ。今度だって間違いなくやれる。

 

「攻撃隊、発艦始め!」

 

 号令と共に、新たな矢が放たれる。格納庫に残されていた零戦と雷装「流星」が次々に高空へ飛び立ち、発見された敵機動部隊へと飛翔していく。その姿を見守る暇もなく、蒼龍は格納庫内の予備機組み立てを命じていた。分解されていた零戦の機体が妖精たちの手によって組み上げられ、弓矢となって矢筒に収まる。この零戦が、防空戦闘を担うのだ。

 

「艦隊針路〇〇〇。各艦、対空警戒を厳となせ」

 

 遥かな空。見えないその彼方を睨む。来るなら来い。そんな決意を秘め、蒼龍たちは針路を真北へと取った。

 

 

 

 

 

 

 息が切れるほど、走った。

 走って走って走って。とにもかくにも、我武者羅に、無我夢中で走った。ひた走って、睦月はその人影を探していた。

 どこ。どこに行ったの。食堂にはいなかった。お風呂。甘味処。娯楽室。どこにもいなかった。どこで何をしているのか、見当もつかなかった。

 

「如月ちゃん……!」

 

 上がり切った息の合間に、その名前を呼ぶ。見渡す限りに人影はなく、さわさわと南国の風が呑気に流れる。それがさらに焦燥を掻き立てた。

 一度息を整える。滝のようだった汗を拭い、二度三度と深呼吸。

 

 ふと、一つの建物が目に入った。艦娘たちが使う大浴場だ。昼間はほとんど人の出入りがなく、とても静かなものだった。

 もしかしたら。一縷の望みを抱き、戸を開く。やはり中は静かで、電灯も消えて薄暗い。およそ人の気配というものは感じられなかった。

 

「どこ行っちゃったの……」

 

 両足の力が抜けて、へたりこむ。如月は見つからない。もぬけの殻だったベッドから、そのままどこへ行ったのかもわからない。

 思い詰めていたことなど、わかりきっていた。なのに私は、一晩の間彼女を放ったままだったのだ。苦しんでいた彼女の側から逃げたのだ。

 如月は深海棲艦。そう言った加賀の言葉から逃げたのだ。

 

 こうしている場合ではない。とにかく如月を見つけないと。両足にもう一度力を込め、立ち上がる。

 その時、洗面所の方で物音がした。ガタリ。何かが倒れ込むような、大きな音だった。

 誰かがいる。睦月は洗面所へと通じる扉へ駆け寄り、ノブを捻った。

 

 そこには、探していた人がいた。支給されている睦月型共通のパーカーを羽織っているが、フードからのぞく長い髪でわかる。如月は力なくうなだれ、床にへたり込んでいた。

 

「如月ちゃん!」

 

 名前を呼ぶ。ハッとして振り返った如月は、怯えるような目でこちらを見ていた。

 ハラリ。その拍子に、被っていたフードがめくれる。

 一瞬。ほんの一瞬、睦月はこの場にいることを後悔した。

 

 青白い肌。血の通わない頬。そこを侵食する、邪悪な何か。最早痣と見紛うことはない。本来如月にあるはずのない、あってはならない異物の存在。

 いいや、そんなものは小さな変化にすら思える。額の辺り、せっかくの髪を押し退けて主張する、それは明らかに角であった。艦娘にはどう考えてもあるはずのないものであった。

 

「如月、ちゃん……」

 

 瞬間、如月は立ち上がり、脱兎のごとく駆け出した。突然の動きに反応が遅れ、睦月は身をすくめる。そのすぐ横を、風が走り抜けた。

 匂いがした。如月のものではない。春の花畑のような暖かな香りではなく。とても嗅ぎ慣れた、忌避感の香り。微かな潮と、それよりも強い邪悪の匂い。鉄と死と渇望をない交ぜにした匂い。

 

 深海棲艦の匂い。

 

 疑いようはない。加賀の言っていたことは真実で、睦月が受け入れずとも現実は進んでいく。

 追いかけなければ、取り返しのつかないことになる。

 

「待って如月ちゃん!」

 

 ようやく我を取り戻し、睦月は駆けだす。元々足は睦月の方が早い。きっと追いつける、そう思って如月の背中を追った。

 

「如月ちゃん!」

 

 走りながらの呼びかけに、如月がビクンと反応する。その拍子に足がもつれ、如月は倒れ込んだ。睦月は慌ててその腕を取る。

 たったそれだけの動作に、如月はもう一度、ビクリと震えた。

 か細い腕、軽い体。支えきれなかった重みが、その心を押し潰す。如月は最早限界だった。

 

 如月の右腕を、赤い血が伝っていた。よく見れば、左手に血の付いた布巾を持っている。

 

(まさか……)

 

「……腕、まくるね、如月ちゃん」

 

 如月は拒むでもなく、たださらに俯きを増す。

 

 ゆっくり、ゆっくり。如月を刺激しないよう、慎重に。彼女の心が、精神が、何の拍子で壊れるか、わからなかった。

 めくった右腕の下。滴る血液。二の腕まで袖をまくり上げた。

 奥歯を強く噛み締め、悲鳴を堪える。

 

 それは最早、痣などというものではなかった。どくどくと脈打つ邪悪。刺々しく変色する表面。背中を幾重にも悪寒が走り抜ける。

 深海棲艦。そこに息づいていたのは、疑いようもなく深海棲艦であった。如月という姿形をした、しかしその体を蝕んでいく深海棲艦。

 血は、そこから流れ出ていた。強く強く、力まかせにこすった傷跡。

 如月は、その手に握った布巾で、必死に、このよく知っている邪悪を、取り除こうとしたのだ。自らの異物を懸命に拒もうとしていたのだ。

 

 袖を元に戻す。如月はまだ、俯いたまま。

 

「私……私……」

 

 掠れるような声で呟いている。

 その背中を、そっと抱き締めた。ほとんど無意識に、両の腕で如月を包んでいた。

 細く小さな体。ともすれば壊れてしまいそうな体。ほんの少し力を加えれば、この腕で崩せてしまいそうな体。

 睦月にとって、彼女は愛しい姉妹であり、尊敬する先輩だ。鎮守府に着任したばかりの睦月を、暖かく、優しく迎えてくれたのが彼女だ。

 その如月が今、腕の中で身を震わせている。肩を小さくして、小刻みに震えて。

 

「大丈夫。大丈夫、だから。如月ちゃんの側には、ずっとずっと、私がいるから」

 

 今度はちゃんと、そう言うことができた。

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