艦これ~extra voyage~   作:瑞穂国

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急転(四)

 大湊の埠頭は、夜の冷たい霧に包まれていた。港の入り口を示す灯標の光だけが妙にはっきりと辺りを照らす。音といえば波だけであり、思案に耽るには丁度いい。冷たい霧が小難しい表情を隠し、頭を適度に冷やしてくれる。

 だからだろうか、目当ての人影は、静かに埠頭で佇んでいた。支援を燻らせるその背中に、刑部はゆっくりと近づく。

 

「……なんだ、お前か」

 

 こちらに気づいた人影が振り返る。横須賀からここまで一緒にやって来た人物だ。刑部にとっては先輩にあたる海軍将校である。

 大貫特務提督はしけた煙草をふかすことをやめることもなく、隣のスペースを勧めてくる。そこに刑部は立った。

 

「そういえば、お前は吸わない奴だったな」

 

 懐に伸ばしかけていた手を、大貫が収める。それに、刑部ははにかんで頷いた。

 

「大神提督経由でショートランドから報告が来ました。面白いことになっているみたいですよ」

 

 刑部の一言目に、大貫は鼻を鳴らす。興味ない、といったところだろうか。

 

「そんなに面白いなら、あっちへ行けばよかったものを。わざわざ俺についてくることもなかっただろう」

「いえ、少将と一緒が面白くないと、そういうわけではありませんよ」

「はっ、どうだか」

 

 ボケて誤魔化したが、大貫にはお見通しなのだろう。

 そうだ。向こうが面白いことになるのはわかっていた。けれどもそれ以上に、こちらにいなければならないと思った。この機会を逃せば、最早二度とチャンスはやってこないだろう。

 

「サーモン海域深部で、海域の変色が始まったそうです」

 

 霧の中でピクリ、大貫の動きが止まった。それもほんの一瞬。彼はまた煙草をふかし、煙を吐き出す。だがどこか不機嫌そうであった。

 

「A事案と、全く同じですね」

 

 刑部の指摘に、大貫は盛大に煙を吐き出すことで答えた。その唇が動く。

 

「俺についてきたのは、そういうわけか」

 

 刑部は沈黙を選ぶ。諦めた風に大貫が息を吐き、改めて話し始めた。

 

「もう十年になる。艦娘と深海棲艦、それぞれを人類が確認した十年前。二つの新たな知的生命に関する全ての事項は、順にアルファベットの名前が与えられ、今は第一級の軍機として厳重に秘匿されている。知っているのは、最初期から提督をやっている俺と、お前みたいな命知らずの馬鹿が数人、海軍上層部のほんの一握り、といったところだ」

 

 大貫がぎろりと睨む。無言で「なぜお前が知っているか、今は不問にする」と主張していた。

 

「十年前、()()()()()()で赤潮のような現象が観測された。今もそう説明されている。だが実際はそうじゃない。でなければ、米海軍内で秘密裏に調査船団なんて編成されないし、そこにオブザーバーとして日本の調査船が呼ばれることもないのだからな」

 

 指先まで燃え尽きた煙草を大貫は埠頭に落とし、それを踏んでもみ消す。懐から新しい一本を取り出し、くわえた。そこへすかさず、刑部が火を差し出す。大貫は目を細めて、新しい一本に火をつけた。

 真新しい煙が吐き出される。

 

「俺もその調査に参加していた。航海士としてな。元は海軍の船乗りだったし、ソロモン諸島の航海経験もある。適任だっただろう」

 

 遠くを見るように、大貫が語る。

 

「調査が始まって四日目の朝だった。一服しようと甲板に出てな。その時、波間に人影が漂ってるのを見つけた。すぐ当直航海士に報告して、俺は救命胴衣を着て、救命浮環片手に海に飛び込んだ。人影は少女だった。歳の頃は十三、四。アジア的な顔立ちで驚いたよ」

 

 淡々と、報告書を読み上げるように語っていた大貫が、少女の話をするときだけ、ほんのわずかに柔らかい口調になる。気づくか気づかないか、そんなわずかな変化だ。

 

「意識を失っていた少女を、一先ず保護した。まさにその時だ。米海軍の駆逐艦から悲鳴じみた通信が入った。『船が溶けている』ってな。赤潮が、唐突に船を飲み込み始めた。それだけじゃない、ジワリジワリと広がり始めた。残った調査船団は、機関を一杯に吹かして海域から離脱し始めた。とりあえずは逃げ切ったさ。だがそれだけだ。赤い海は広がり続け、全てを飲み込んだ。文字通り、地球上の海という海をな。人類はありとあらゆる海上交通手段を失った。貿易網は軒並み崩壊。世界経済は死んだも同然だ。そんな状態が二か月続いた」

 

 十年前の出来事を、刑部も思い出す。豹変した地元の海。海上にいた船は、ただ一隻の例外もなく、鉄屑となった。小さな漁村育ちだった刑部にとって、海とは命の営み、生活そのものだった。だからこそ、子どもながらに、これほどの地獄があるだろうかと感じていた。

 

「二か月が経った頃、海域変色の基点となったソロモン海域に、不可思議な穴と光の柱が存在しているのを、米軍が見つけた。彼らはそれが海域変色の原因と考え、爆撃による破壊を試みた。そして実際、光の柱は爆撃で破壊できた。それで、海域の変色は終わった」

 

 だが、海は人類の手に帰ってはこなかった。大貫はそう言って、一度言葉を切る。霧に混じって紫煙が漂い、刑部と大貫の間に境目を作っていた。

 

「海域の変色が終わり、海は元の色に戻った。だが、そこにはすでに()()がいた。深海棲艦と呼ばれる、異形の集団が支配する世界だった」

 

 晴れて海に漕ぎ出した人類。その船を情け容赦なく襲う深海棲艦。現代兵器は何一つ通用せず、傷をつけることすらできない始末。奴らによる被害は毎日のようにニュースや新聞を騒がせ、人類はその存在に恐怖した。万物の霊長であるはずの自らに、どうしようもない存在がいたのだと。

 

「万策尽きた。希望はなかった。待つのは滅びの運命のみ。無力感を越えた、あれは恐らく虚脱感だ。まともな思考なんて、誰一人持っていなかった。そんな状態だったから、誰も特に疑問を抱くことなく、彼女たちを受け入れられた。艦娘という、深海棲艦に唯一対抗可能な少女たちの存在をな」

 

 昔語りはそこまでだと、大貫は一際大きく煙を吐き出した。濁った塊が辺りに漂ったかと思うと、数秒後には深くなってきた霧に飲み込まれた。恐らく視界は半海里もない。

 

「これが十年前、世界が変わった瞬間の顛末だ。一連の出来事は文書としてまとめられ、()()()()にAからCまでのアルファベットが振られた。A事案が海域の変色、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 B事案とC事案の順序に、大貫が力を入れる。それもそのはずだ。これまでの大貫の話では、深海棲艦が先に現れ、その後に艦娘が現れたとされていた。それが提督間での通説ともなっている。けれども、公式文書の順序は、それが逆だったことを示していた。

 

「艦娘が先にいた。それを追うように、深海棲艦が現れた。ただ、最初の艦娘が、その存在をずっと隠されていただけだ」

 

 早くも煙草の残りは少なくなっていた。残りかすを足で踏みつけてもみ消す。大貫はそれ以上の煙草を取り出さなかった。一日五本と決めている、その最後の一本だったのだろう。

 

「ソロモン諸島で俺が救助した少女。()()()()()()()()()()()()彼女が、最初の艦娘だった。彼女が全ての始まりだった」

 

 

 

 報告にやって来た水兵は、敬礼をして去っていった。揚陸艦の準備ができたそうだ。

 

「本当に前進されるのですか?このまま、ここで指揮を執り続けてもいいのでは?」

 

 刑部の問いに、大貫はかぶりを振る。

 

「ことがことだ。事態は急を要する。ここでは遠い」

「……では本当に、択捉まで前進されるのですね」

 

 刑部の確認に、大貫が頷いた。択捉とは、択捉島のことであり、日本最北端の地でもある。ただしそこは、先の大戦中にソ連によって占領され、未返還のままとなっている地であり、俗に北方領土と呼ばれていた。

 深海棲艦による侵攻後、同地からは人間が引き上げ、今は無人となっているそうであるが、それでも日本の軍艦が同地を航行することは、外交的にあまり好ましいこととは言えなかった。

 

「気が引けるのなら、残っていてもいいぞ。俺としても、信頼できる人間が大湊に残っていてくれた方が、何かと動きやすいしな」

 

 それこそ本末転倒だ。刑部はそう思った。

 

「いえ、ここまで来たのです。北の果てまでも、ついていきますよ」

 

 刑部の返事に対し、大貫はあきらめに似た鼻息を吐き出した。それから、まるで何気ない風を装い、こんなことを呟く。

 

「今回の変色海域、確かにA事案と似ているが……前回とは別物かもしれんな」




以上、急転編でした。

次回からは決断編となります。オリジナル成分強めのお話です。
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